3. Apr. 2011
私は、筑波学園教会の牧師の
少し、私のプロフィールを書きます。
私は、1956年に秋田県湯沢市に生まれました。
両親がクリスチャンだったので、生まれたときから教会に通っていました。
仙台の東北大学法学部を卒業後、教育学部の聴講生をしたり、
所沢にある国立の精神薄弱児施設に付設されている職員養成所に学んだりしたあと、
仙台YMCAに1年間だけ勤めました。
その後、牧師になるため東京神学大学に編入学し、
卒業と同時に福島県郡山市の日本キリスト教団郡山教会の牧師になりました。
そして郡山教会の牧師として、24年間を過ごしました。
54年間の生涯のうちの50年近くを、ずっと東北の地で過ごしてきたことになります。
2011年4月、神様のお導きがあって、私は東北地方を離れて(といっても、すぐお隣の茨城県ですね)、
この筑波学園教会にやってきました。
家族は、妻と3人の子供たち、それに柴犬のヒナちゃんです。
趣味はいろいろありますが・・・ずっと軟式テニスをご婦人たちと一緒にやってきました。
また、下手の横好きですが囲碁を少々、それから50歳からはじめたジャズ・ドラムです
(牧師館に大切なドラムセットを運び込みました!)。
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牧師就任式後の茶話会にて(2011/05/15)
さて年度のはじめにあたり、私の教会形成や牧会への基本姿勢について、
4月の教会総会資料に掲載いたしました文章を以下にそのままご紹介いたします。
筑波学園教会の教会員のみなさんも、これを受け入れてくださいました。
「一緒にこんな教会を形作ってゆきたい」と願っています。
みなさんも、ぜひ筑波学園教会の礼拝においでください。
また、当Webには今後、主日礼拝の説教内容をダイジェストで掲載してゆく予定です。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
過日いただいた「筑波学園教会25年」の中に、次のようなことが書かれていました。
それは、当時の女性会会長さんのもので「この教会がこの地の人々の泉わき出る憩いの場となるように
・・・その為に私共を用いてください」と創立者稲垣牧師夫妻はじめ4人の方々がこのように祈られた、
とありました。私はこの文章を読んで、とても喜びを覚えました。
と、言いますのも、私の前任教会は福島県郡山市の「清水台」という地にあり、それにちなんで
福音の清水が地域の方々へとながれてゆくように、と祈り続けていました。
同じ祈りを持って創設された筑波学園教会に、こうして遣わされましたことに、
神様の不思議な御心を思わずにはいられません。
教会が、この地にくらす人々にとっての泉となり、また教会からの福音の清水があふれ出てゆく・・・
そのような意味において筑波学園教会が筑波の地にとって、なくてはならないところとなる、
これを私の教会形成と伝道・教会への基本姿勢として掲げ続けたいと思っております。
さて、教会について私たちのこうした願いは、まずは教会が、他のどんな場所でもなく
礼拝がささげられる祈りの家であることによって、かなえられてゆくのだと思います。
教会が礼拝共同体であり祈りの家であることは、地域の方々にとっては、それほど目に見える形で
なくてはならなぬ場所だとは感じていただけないことかもしれません。
創世記28章16節以下で、ヤコブは「まことに主がこの場所の折られるのに、私は知らなかった」と言い、
その直後に「ここは何と畏れの多い場所だろう。これはまさしく神の家である。ここは天の門だ」と言いました。
多くの人々にとって、教会が「神の家・天の門」であることは知られていないかもしれませんが、
教会が礼拝共同体・祈りの家であることにおいて、なくてはならぬ場所として建てられていると信じたいと思います。
礼拝に集うことが喜びであることを私は何よりも願います。
そしてその喜びが、畏れ多さと深く結びついたものであるように願います。
「教会がこの地の人々にとって、なくてはならぬところとなる」
これを、教会がただ礼拝共同体と祈りの家であることによって満たされるとお考えになる方もあるかもしれません。
それで必要にしてじゅうぶんだと言われるかもしれません。
しかし私はなお、教会が具体的にその地にくらす人々の求めるものや悩み・苦悩に応え、
耳を傾けてゆくこともなくてはならぬ大切なことだと確信しています。
つまりは教会の社会的な働きという側面です。
この点で、会衆主義の伝統の中にあるこの筑波学園教会は、先達者の豊かな実績を受け継いでいると思います。
私の前任教会はメソジスト教会にその根を持ちますが、メソジスト教会も社会的な働きを福音伝道・
教会形成の大切な柱として位置づけてきました。
しかし、教会のこのような働きは決して教派的な特徴のみに由来するものではなく、
キリスト教会がそもそも、そのスタートから授かってきた根源的なありさまだと私は確信しています。
イエス様は、この世に生きる私たちと共に苦しみ悩むために受肉なさいましたし、
パウロも繰り返し慈善の働きに富むようにと勧めました。
300年もの長期間にわたるローマ帝国による迫害にもかかわらず、
教会を帝国の通津浦裏に建てた初代キリスト教は、死者を弔うことに忠実であり病人や、
よるべなき者への慈善の働きに熱心であったと、
キリスト教嫌いの皇帝として有名であったユリアヌスは語っているそうです。
むりやりに、教会にそうした働きに駆り立てようとは思っておりません。
自然な導きの中で、地域の方々から求められ願われる働きがあれば、ゆっくりとそれをみなさんと共に
担ってゆきたいと願っています。
このようにして、この筑波学園教会がこの地にあって「なくてはならぬ教会」として形成されてゆくことを願います。