Tsukuba Gakuen Church, UCCJ

日本キリスト教団 筑波学園教会


これまでの礼拝から

2019年の礼拝説教 INDEX
1月 2月 3月
 6日「自由な者ではないか」
13日「見えることと見えないこと」
20日「ヨルダン川を渡る」
27日「共に福音に与るため」
 3日「私は良い羊飼い」
10日「この石は何ですか」
17日「試練と共に逃れる道をも」
24日「神殿奉献記念祭にて」
 3日「説教題」
10日「説教題」
17日「説教題」
24日「説教題」
31日「説教題」
4月 5月 6月
 7日「説教題」
14日「説教題」
21日「説教題」
28日「説教題」
 5日「説教題」
12日「説教題」
19日「説教題」
26日「説教題」
 2日「説教題」
9日「説教題」
16日「説教題」
23日「説教題」
30日「説教題」
7月 8月 9月
 7日「説教題」
14日「説教題」
21日「説教題」
28日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
29日「説教題」
10月 11月 12月
 6日「説教題」
13日「説教題」
20日「説教題」
29日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
24日「説教題」
29日「説教題」

2018年の礼拝説教

2019年 2月17日(日)降誕節第8主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 10章 1~13節』

10:01兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、 10:02皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、 10:03皆、同じ霊的な食物を食べ、 10:04皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。 10:05しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。 10:06これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。 10:07彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。 10:08彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。 10:09また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。 10:10彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。 10:11これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。 10:12だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 10:13あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

説教:『試練と共に逃れる道をも』

 説教を聞く

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月10日(日)降誕節第7主日礼拝

『ヨシュア記 4章1~9節』

04:01民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。 04:02「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、 04:03彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」 04:04ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねて決めておいた十二人を呼び寄せて、 04:05言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。 04:06それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、 04:07こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」 04:08イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた。 04:09ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。

説教:『この石は何ですか』

1.イスラエル人たちは、すぐにもエリコを攻略できるだろうとの期待を抱いてヨルダン川の川岸にやってきた。しかしはからずも、ちょうど春先の頃のヨルダン川は、激流逆巻く状態で、到底渡河できるようなものではなかった。恐らくイスラエル人は、普通の方法ではもはや渡る手段を見いだすことはできなかったであろう。万策尽きてしまった。しかし、ここにこそ神様の御心があった。人間の考える方法では渡る手段が見いだせなかったからこそ、彼らは神様が教え示してくださる方法を待った。そして示された方法に素直に従った。その方法とは、実に驚くべきものであった。契約の箱と呼ばれる箱に十戒が刻まれた2枚の石の板が収められていた。その箱を担いだ祭司がまず、ヨルダン川に足を踏み入れた。すると不思議にも激流が上流でせき止められて川底が見えるようになり、そこを民が渡ってゆくことができた。
 注解書によれば、歴史的な事実として、1267年12月7日の夜半から8日にかけて約16時間にわたってヨルダン川の流れが止まったことが知られているとのことである。また、1927年7月11日に起きた大地震によって、高さ45メートルの断崖が崩れ落ちたために、流れがせき止められ、21時間にわたって川底が干上がったようである。一体何が起きたのかは定かではない。しかし、とにかくこのような不思議なことが起きた。
 イスラエル人のすべてがヨルダン川を渡り終えると、神様は12の部族の指導者たちに、干上がった川底から12の石を取ってその夜の野営地に据えるようにと命じた。それは何のためだったのか。、6節には「それはあなたたちの間でしるしとなるであろう」とある。後日、子どもたちがこれらの石は何を意味するのかと尋ねるときには「ヨルダン川の流れは・・・せき止められた」と教えて、神様の不思議な御業を永久に記念するため(7節)であった。何よりも私の心が引き付けられたのは、この神様の言葉であある。

2.この神様の言葉から私たちが語りかけられることの第一は、私たちには神様の驚くべき御業をいつまでも語り継ぎ、記念するモニュメントが絶対に必要だということである。神様は、イスラエル人、また私たちにとって、このような記念のしるしが必要だと考え、12の石を据えるようにと命じたのである。私たちは、結婚記念日だとか、はじめてのデートの記念日だとか、様々な記念日を覚え、また記念のモニュメントを作る。しかしそれは大抵、私たちが結婚したとか人間がこれこれのことを成し遂げたとかを記念するものでしかない。しかし私たちにとってなくてならないのは、私たちがこれこれのことをなしとげたことの記念碑ではなく、神様が驚くべき不思議な御業をしてくださったことの記念碑でである。それがあることによって私たちは、人間として、いかんともしがたい状況に直面した時にも、それを乗り越えてゆけるとの希望を抱けるのである。
 イスラエルの人々は、幸いにもこのような記念碑を幾つも受け継いでいた民であった。そこにこそ、彼らが幾多の困難をも生き延びてゆけた秘訣がある。リファレンス付きの聖書には、6節の「後日・・・」という聖句の関連箇所として、幾つかの聖句があげられている。参照聖句としてあげられているのは、イスラエル人の正月にあたる「過越の祭り」という祭りでの儀式に関するものである。この祭りには、いろいろな要素がある。記念となるもののひとつに、小羊の血を家の入り口の鴨居と2本の柱に塗る儀式があげられる。それについては、出エジプト記12章26節に「あなたたちの子供が『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときにはこう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」とある。過越の祭におけるもうひとつの記念のモニュメントは、酵母を入れないパンを食べる儀式である。これについては出エジプト記13章8節に「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき主がわたしのために行われたことのゆえである』と。」とある。過越の祭りという記念の儀式を正月としてずっと守り続けることにおいて、イスラエル人は苦難に際しての神様の驚くべき御業を常に思い起こしてきた。彼らは、神様の奇跡を想起することによって、目の前の苦難の現実を乗り越えてきた。実際の出来事としては、出エジプトやヨルダン川渡河と同じような奇跡は起こらなかったかもしれない。しかし、過去の神様の御業を思い起こすことは、決して無駄にはならず、確実にイスラエル人の助けや希望となってきたのである。

3.第二に、私たちクリスチャンはイスラエル人から、こうしたモニュメントを受け継いでいる幸いな民だということがあげられる。「いや私たちは、もはや過越の祭を守ってはおらず、またヨルダン川を奇跡的に渡った記念である12の石など、どこにもないではないか」と思えるかもしれない。確かに目に見えることとしてはそうである。しかし私たちは、イエス様を通してしっかりと、こうした記念碑を受け継いでいる者なのである。
 イエス様は自身の十字架の時を、他のどんな時ではなく、わざわざ過越の祭りの時を選んだ。イエス様は明確な意図をもって、この時を選んでエルサレムに入り、最後の晩餐の食事を、はっきりと過越の祭りの食事として守ったという事実を、福音書もパウロの言葉(聖餐式の際に必ず朗読する第1コリント11章23節以下)も伝えている。だから、私たちが今もなお聖餐式を守っているということは、イエス様が弟子たちと守った過越の祭の食事を守っているということなのである。ひいては、イスラエル人が長い間守ってきた過越の祭の儀式を受け継いでいることになるのである。
 聖餐式のときに朗読されるコリントの信徒への手紙(1)11章23節以下を思い起こしたい。イエス様は、過越の祭の食事でふるまわれるパンを取って「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしを記念するためこのように行いなさい」と言ったとある。また、ぶどう酒の入った杯についても「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言ったとある。イエス様は、「これからあなたがたが食べるパン、また飲む杯は、十字架の上で裂かれ流されるであろう私の体であり血なのだ」と言っているのである。「記念」という言葉が、まさしくここにある。その意味するところは、「十字架の上で裂かれる私の体、また流される血こそが、過越の祭で食べられる酵母の入っていないパンを記念しているし、また犠牲となってその血が家の入り口の鴨居や2本の柱に塗られる小羊を記念している」ということであろう。イスラエルの人々が過越の祭りを通して、ずっと記念してきた出エジプトという神様の御業は、今やイエス様の十字架の犠牲によって記念されてゆくことになった。私たちクリスチャンは、餐式を守ることによって、イスラエル人がずっと記念してきた出エジプトという神様の御業を記念するようになったのである。

4.なぜイエス様の十字架の犠牲が、過越の出来事における小羊の犠牲なのか。家の入り口に塗られる小羊の血が「滅ぼすもの」を過ぎ越させた。私たちを滅ぼすものとは一体だれのことなのか。先週の礼拝では、「サピエンス全史」、「ホモデウス」という著書の内容を解説したテレビ番組を紹介した。著者のノア・ハラリは、「今や人間(ホモ)は、神(デウス)となりつつある」と言っていた。しかしそこで、神になりつつある人間がやろうとしていることは、ひたすら弱さや欠陥の除去なのである。このTV番組では、中国で、ついに遺伝子を操作して、あるマイナス部分を取り除いた双子が誕生したことも扱われていた。しかし、果たして私たち人間が弱さや欠陥だと考えるものを、遺伝子操作によって除去することが、私たちを幸いにするであろうか。もしかしたら、弱さや欠陥を作り出す遺伝子にこそ、逆に私たちをして何らかの逆境を生き延びさせる秘密が秘められているかもしれないのである。私たちにとっての「滅ぼすもの」とは、実に私たち自身ではなかろうか。浅はかな尺度によって、弱さや欠陥を排除しようとする心が、実は私たちを「滅ぼすものなのである。だからこそ、この「滅ぼすもの」から私たちを守るものとして、イエス様の十字架の犠牲があるのではなかろうか。私たちが排除しようとする苦しみや痛みを、イエス様は十字架の上で背負って下さったのである。このイエス様の小羊としての犠牲を、私たちは公然と誰の目にも見えるように家の入り口や鴨居に塗る。それが公然と洗礼を受けることであり、また聖餐にあずかることに他ならない。それによって私たちは、滅ぼすものから救われ、ヨルダン川という激流を乗り越えてゆけるのである。
5.さて、最後に注目すべきことは、出エジプト記12章や13章においても、この記念のモニュメントや儀式の意味を、後日、子どもたちが尋ねるようになると語られている点である。なぜ子どもたちが、このように尋ねるようになるのか。それは外見から見れば、何のことかわからないからだと思う。外見からすれば、据えられた石はせいぜい、つけもの石よりもちょっと大きい12の石が並べられているに過ぎなかったであろう。イエス様の十字架の上での死は、多くの人々にとって愚かで躓きでしかないものだった。その犠牲を私たちに塗るという意味の私たちの聖餐式においていただくパンやぶどう酒は、私たちの教会の近所の店から買ってきたパンやぶどうジュースである。また、洗礼式で注がれる水も、水道から汲んだただの水である。神様の驚くべき奇跡を記念するしるしとは、すべからくこのようなものなのだということが教えられているのだと思う。「そのようなものは、全く無意味だ」と断じる人もいよう。しかし神様は、その無意味な石や十字架の犠牲や、ただのパンやぶどうジュースや水道の水に、神様の偉大な御業を想起する者は幸いだとおっしゃっているのである。ただの石にしかすぎないものに神様の奇跡を想起できる者は、苦難を乗り越えてゆけるのである。
 先ほどの本の著者ノア・ハラリも、他の人類学者も、以下のようなことを言っている。「現生人類と絶滅してしまった幾多の人類とを比べての決定的な違いは、もしかすれば象徴的な事柄を想起できる能力ではないか」と。絶滅してしまった人類は、石からは石しか思い浮かべることができないか、せいぜいそれを使って刃物や武器を作ることしか思い浮かべることができなかったのではないかと言うのである。ところが私たちは、石からは全くかけ離れた目には見えない神様という存在やその奇跡を想起することができる。それが、もしかしたら私たちをして幾多の危機を乗り越えさせたものなのかもしれないのである。イスラエル人は、その典型であり、私たちクリスチャンは幸いにもイエス様を通してそれを受け継いでいる者なのである。想起するということの一番の中心に、信仰がある。
 さて、子どもたちや周囲の人々は、私たちに問うであろう。「12の石やイエス様の十字架の死や洗礼や聖餐式に一体どんな意味が込められているのか」と。そう問われたら私たちは、ちゃんとそれに対する答えを持っていなければならないと神様は言っているのである。それを伝えてゆかなければ、石は何の意味も持たない何も記念しないただの石になってしまうのである。勿論、ただのオウムがえしのような説明ではなく、語る私たち自身にとっての意味を込めて「わたしにとっての12の石には、こういう意味があるのだよ。イエス様という方の犠牲をいただくことはこういう意味があるのだよ。このような神様のすばらしい御業をいただくことなんだよ。」と語ってゆかねばならない。私たちも、後に続く子どもたちのために、石を据えるものでありたいと思う。りっぱなモニュメントである必要などない。ただの石に過ぎないではないかと言われるものでよい。イエス様の犠牲という石を据え続けたいと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月3日(日)降誕節第6主日礼拝

『ヨハネによる福音書 10章 7~18節』

10:07イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 10:08わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 10:09わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10:10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 10:11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10:12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 10:13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10:14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10:15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10:16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 10:17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 10:18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

説教:『私は良い羊飼い』

1.ヨハネによる福音書の10章10節から18節の中の、11節の「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」は、かつて私が牧会をしていた郡山教会の付属の石川幼稚園(所在地は郡山市から少し離れた磐城石川町)の聖句である。礼拝のたび、園児たちが元気な声で暗唱していたのを思い出すとなつかしい。
 さて、イエス様が自分を「わたしは良い羊飼いである」とかたった言葉は、このヨハネによる福音書にしか記されていない。迷子の羊を探しにゆく羊飼いのたとえ話は、ルカによる福音書とマタイによる福音書にある(ルカ15:1-7/マタイ18:12-14)。イエス様のもとに押し寄せてきた人々を「飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れ(マルコ6:34)」まれたともある。おりにふれてイエス様は、自身を羊飼いにたとえて語っていたのかもしれない。
 なぜこの福音書の著者ヨハネが、イエス様のこの言葉をここに置いたのであろうか。10節には、羊を盗んだり屠ったり滅ぼしたりする盗人のことが書かれている。また12節には、狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げてしまう雇い人でしかない羊飼いのことが書かれている。これらは具体的には、誰のことを指しているのであろう。前後の流れから、それはファリサイ派と呼ばれる人々のことを指しているとわかる。10章6節には「イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話したが、彼らはこの話が何のことか分からなかった」とある。9章には、イエス様が生まれつき目の見えなかった人を見えるようにしたのが安息日だったことをきっかけに、ファリサイ派とイエス様との間に激しい論争が起きたことが記されていた。10章21節には、「ユダヤ人たちはイエスを石で打ち殺そうとしそうした」ともある。こうした前後の文脈から言えば、盗人とか雇い人でしかない悪い羊飼いとかは、明らかにファリサイ派を指していることがわかる。

2.ヨハネは、主に西暦100年頃小アジアに住んでいたユダヤ人に、イエス様が救い主であると信じてほしくて、この福音書を書いたとされている。当時のユダヤ人社会の信仰的な指導者、他でもないファリサイ派だったのである。9章や10章に描かれているイエス様とファリサイ派の人々の対立や論争は、西暦100年頃の小アジアで、クリスチャンとファリサイ派の人々との間に生じていたものを描いたのだと言われている。そうした対立を描く中でヨハネは、人々に問うているのだと思う。「ファリサイ派とイエス様とでは、一体どちらがまことの羊飼いなのか」と。「どちらが羊である私たちを養ってくれる良き羊飼いなのか」と。
 1月、岩波新書の新刊として『ユダヤ人とユダヤ教』という著書が出版された。早速買い求めて読んだ。その冒頭で、著者の市川裕先生(東京大学 大学院 人文社会系・文学部 宗教学 教授)は、このように書いている。「(紀元70年に起きた)戦いは無残にも、多くの人々の死、神殿崩壊、国土の荒廃、首都の崩壊で終わった。ユダヤ社会でラビが出現したのはまさにこの時期からである。ラビは聖職者ではなく、神の教えに関して専門知識を持つ律法学者である。彼らは、祖国を失ったユダヤの人々に新たな生き方を示す賢者であった。ラビは時代によって職務内容に変遷はあるが、今日に至るまでユダヤ社会を指導する重要な身分であり続けている。ユダヤの人々は、親、兄弟、友人でも解決できない問題はラビに頼り、時にはラビに付き添い、教えを請うことで解決してきた(同書12ページから)」と。この書物全体を通して市川先生は、ラビと呼ばれる律法学者たちを高く評価しておられる。市川先生が紀元70年のエルサレム崩壊のただ中から出現したと言っているラビこそが、9章や10章において登場するファリサイ派に他ならない。彼らこそエルサレム崩壊後の紀元100年頃のユダヤ人社会を牧会する羊飼いであったのである。しかし、それをよくわかった上で、なおヨハネは人々に問わざるを得なかったのだろうと思うのである。一体イエス様と彼らとどちらが真の羊飼いなのかと。

3.ヨハネは、ファリサイ派の人たちを、「羊を盗み滅ぼす悪しき羊飼いであり、また狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げる雇い人のような羊飼いだ」と評した。しかし先ほどの市川先生の文章からすれば、それは余りにも一面的すぎる見方ではないだろうかと思うのである。律法の専門家たる彼らが、ちゃんとした羊飼いであるとの側面がなければ、流浪の民となって全世界をさすらって苦悩したユダヤ人を牧会する羊飼いとして今日あるを得ることはなかったはずである。しかしながらヨハネは、西暦100年頃の彼の周りにある状況からして、どうしてもファリサイ派の人々を盗人のような悪しき羊飼いとしか言いようがなかったのだと思う。その具体的事実こそが8章の姦淫の現場を取り押さえられた女性の出来事であり、9章の生まれつき目が見えない人の出来事ではなかったか。
 羊飼いと言えばすぐに思い出される聖書箇所は、詩編23編であろう。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて下さる」と詩人は歌っている。9章に登場したのは、生まれつき目が見えず、それゆえに両親からも縁切られ物乞いをしてしか生き得ない人であった。彼こそは、羊飼いによって青草の原へと導かれ、憩いに水場へと誘われ、魂を生き返らせていただかねばならない羊ではなかったか。ところがこの羊に対して、ファリサイ派の人々はどのように接したか。「お前は全く罪の中に生まれたのに(9章34節)」と彼に言い放った。イエス様の弟子たちさえ、イエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、本人が、あるいは両親が罪を犯したからですか」と尋ねた。それと全く同じ見方をファリサイ派の人々はしていたのである。「罪の中に生まれたことの現れが、生まれつきの盲目という障がいなのだ」と彼らは見ていた。彼らにとっての神様とは、つきつめれば私たちの罪を責め、怒り、それに対してこうした罰を下す存在だった。
 生まれつきの盲目というハンディが、象徴的に示すのは、私たち人間にはどうしても取り除くことができない病いやハンディである。私たちの誰しもが、いつかはそのようなマイナスを背負う。ファリサイ派の信仰とは、それを私たちへの神の怒り・責め・罰としてしか見ることのできない信仰なのである。本当に神様がそういう存在だとすれば、そのような病いや苦悩を背負った私たちに立つ瀬はない。自分では取り除くことができないマイナスを背負った私たちには、だからこそ食べなければならない青草や水や魂の生き返りが不可欠なのである。死の陰の谷を行くときの導き、苦しみを前にしてこその食卓が不可欠なのである。9章に描かれているファリサイ派の人々は、生まれつき目の見えない人に、そのような食べ物・水を与えることができたであろうか。できなかった。むしろ食べ物を奪ったのである。「お前などどうしようもない罪人なのだ」とレッテルを張って滅ぼした。狼の餌食にしたのである。狼とは、私たちから生きる希望や喜びを奪おうとする存在ある。

4.このようなファリサイ派は、私たちにとって決して無縁な者ではないと、改めて示される。確かに文字通りの意味でのファリサイ派は、私たちの前にはいない。しかし私たちひとりびとりの中に、ファリサイ派のような存在がいるように思う。
 今、私たちは聖書研究祈祷会で、イザヤ書の56章以降の箇所を学んでいる。通説としては、イザヤ書の40章から55章までは、バビロン捕囚因の中にあったイスラエル人に語られた部分であり、56章から66章までは、紀元前538年にペルシャ王キュロスによって故郷への帰還が許された後の部分だとされている。帰還後にイスラエル人の羊飼いとなった人々(エズラやネヘミヤといった人々)の後に、ファリサイ派やラビ・律法学者となる人々が生まれた。彼らには、瓦礫の山になった信仰共同体を再建するにあたって、ある原則があった。それはバビロン捕囚やその後帰還した後に結婚した異邦人を排除するという原則であった。また、バビロン捕囚の間にバビロニア王宮の大奥のようなところに仕えるために強制的に「去勢」された人々がいた。このような人々も汚れた者とされて排除された。ファリサイの語源は「分離・排除」という意味である。このような再建の仕方に対して神様は、はっきりと「主のもとに集ってきた異邦人は言うな『主はご自分の民とわたしを区別(ファリス)される』と言った。『わたしは枯れ木にすぎない』と(イザヤ書56章3節)」。神様は区別や排除などしないのに、人間の側が勝手にそれを神様の御心だと言って区別したり排除したりするのである。生まれつき目の見えない人を、全く罪の中に生まれたからそうなったのだと言って排除するのである。このようにマイナスを排除してゆくのである。
 こういったファリサイ派的なものが私たちの中にあるのではなかろうか。羊に対して盗人であり雇い人でしかない悪しき羊飼いとは、他でもない私たち自身なのである。生まれつき目が見えないという病気に象徴されるような重いハンディやマイナスを背負った自分自身を私たちは見捨てるのである。それが自分を飼う羊飼いとしての私たちなのである。私は先日、録画していた『サピエンス全史』『ホモデウス』という著書(著者はイスラエル在住のユダヤ人であるユヴァル・ノア・ハラリ)の内容を解説した番組を観た。今や人間(ホモ)は、デウスつまり神になろうとしていると著者は言うのである。AIと人間の脳や体が直接に接続されて、ある意味において人間は不死と全能を手に入れるだろうと。しかし、そこで神となった羊飼いたる私たちがやることと言えば、つきつめれば排除であり分離ではなかろうか。自分たちにとって嫌な弱さや欠陥や病いを、例えば遺伝子の操作をして常に排除し続けるのである。しかし、そのような羊飼いは、羊を滅ぼすことしかできな。狼から羊を守ることはできない。死の陰の谷に置かれた自分に青草や水を与えることは決してできない羊飼いなのである。

5.だからこそ、羊のために命を捨てるイエス様こそが良き羊飼いなのだとヨハネは語るのである。16節には、イエス様に飼われてこそ「羊は一つの群れとなる」とある。また「囲いに入っていないほかの羊をも導けるのだ」とイエス様は語っている。私は新たに、このイエス様の言葉の意味を味わうことができた。イエス様が羊のために命を捨てたということは、ただ単に羊飼いが羊のために命を犠牲にしたから良い羊飼いだという意味ではないと。そうではなく、イエス様という羊飼いだけが、十字架の死を─普通の人間ならば当然に排除し分離してしまうものを─受け入れたということにおいて良い羊飼いなのである。イエス様自身が、十字架の死の陰の谷を行く中で神様からの青草や水や魂の生き返りを見出した。苦しめるものである十字架を前にして、そこにこそ神様の与えて下さる食卓があるとわかった。その姿をもってこその良い羊飼いなのである。苦しみや死が、私たちにとって貴い歩みであることを、決して私たちの人生から分離や排除してはならないものであることを、イエス様は身をもって示して下さった。囲いに入っていない羊とは、私たち自身は悪しき羊飼いとなって排除してきたものを意味している。イエス様は、これをもなくてはならない人生の一部として導こうとされるのである。「こうして・・・一つの群れ」となるとは、私たちが分離し排除してきたものが、このイエス様によってやっとひとつになるという意味なのである。命をどこまでも手放そうとしない私たちである。このような私たちが、自分自身の羊飼いになるとき、羊である私たちは狼の餌食になる。盗人に殺されてゆくのである。命を手放すことができたイエス様が、私たちの羊飼いになって下さるとき、私たちは守られてゆくのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月27日(日)降誕節第5主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 9章 19~27節』

09:19わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 09:20ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 09:21また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 09:22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 09:23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 09:24あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 09:25競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 09:26だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。 09:27むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。

説教:『共に福音に与るため』

1.19節前半に「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」とある。この言葉は、私達プロテスタント教会のはじまりを作った宗教改革者ルターの著書『キリスト者の自由』において、最初に引用されている聖句である。ルターはこの書を、次のような問いを掲げることから書き始めている。「キリスト者とは何であるか。またキリストがキリスト者のために確保し与えてくださった自由とはどんなものであるか」。ルターがクリスチャンであるということの核心を、イエス様から自由を与えられている点にあると考えていたのがよくわかる。そして、この問いに答えるべく19節前半の聖句を引用したのである。
 この19節の御言葉が語っていることが、本当に不思議なものだと改めて思う。というのは、端的に言って自由な者であるということと奴隷になるということは全く矛盾することだからである。普通に考えれば、自由な者であることと奴隷になるということは、同時にはあり得ない。しかしパウロは、「わたしは誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」と語っている。おそらく、この言葉を語ったパウロ自身、自由であることと奴隷になることは矛盾し両立しえないことだとよくわかっていたのだと思う。それを承知で、すぐ後に述べるような背景があって、このように語ったのである。
 いったい自由な者であるということと奴隷になるということは、どのように関係しているのであろうか。自由な者であることを一旦は捨てて、奴隷になるということなのであろうか。パウロが言わんとしたのは、そうではないと思うのである。これは私の読み過ぎかもしれないが、私はここから、自由であるからこそ奴隷になったというニュアンス、あるいは奴隷状態の中にこそ実は自由さがあるのではないかということを読み取るのである。  私がなぜこの言葉にそのようなニュアンスを読み取るのかと言うと、先週の聖書研究所祷会で、ある方がこんなお話をして下さったことを思い起こしたからである。その人は若かりし頃、ミッションスクールで学んでおられた。当時、ミッションスクールで共に学んだ同級生たちから届く年賀状は皆、不思議と明るさや生きる喜びにあふれていたという。その中には、クリスチャンである人もない人もいたが、皆共通してそうだったと言うのである。ところが、ミッションスクールに通っていなかった人々からの年賀状は、「どこそこが痛い、どこそこが悪い、もう人生は闇でしかない、何の希望もない」といった繰り言ばかりだったと言うのである。そのような年賀状を読んで、自分が若い時にキリスト教に出会い、こうしてクリスチャンとして生きていられていることが本当に感謝だと言っておられた。その祈祷会の場所でも皆で話したことだが、奴隷という言葉を使えば、私達は、いつかかならず老いや病気や死の奴隷にならねばならない。そうなることからは、残念ながら逃れることはできないのである。だからこそ大事なことは、そうした奴隷状態に置かれてもなお、いやそれだからこそ、そこでも自由でありうることだと、しみじみ思うのである。老いや病や死の奴隷になったときに、なくなってしまうような自由では、何の支えにもならないのである。
 こうしたことから私は、このパウロの言葉には、奴隷状態の中におかれても、それとは矛盾しない形で見いだされる自由があるのだというメッセージを感じ取るのである。もっと突き詰めてゆくと、「私達の自由とは、限りなく奴隷的な状態の中にこそ発見されるものではないのか、そのような自由こそが、イエス様が十字架の上で死や苦難の奴隷となることにおいて私達に授けてくださったものではないのか」と示されるのである。

2.パウロがあえて、まるで相反するような自由と奴隷のことを、ここで語った背景を考えてみたい。コリントの人々に限らず、当時のギリシャ・ローマの人々は、広く自由というものを、それも特に体からの自由というものを切実に求めていた。「ソーマ(体)は、セーマ(墓場)」と言って、人々は自分たちを墓場へと引きずりこむ体から、何とかして自由になろうとしていた。それは、一方では、体の求めを極端に無視し、抑圧するようなこととして現れ、コリント教会では、結婚を避けたり、異性に触れないふるまいとして現れていたのである。他方で、体の求めることは何でも満たしてやろうとすることとして現れ、これもまたコリント教会では、義理の母と結婚したり、様々なみだらなことをしたりするさまとして現れていたのである。総じて言えば、体からの自由を求めるがあまり、結果的には、皮肉にも体の奴隷にならされていたのである。だからこそパウロは、「むしろ私は自ら進んで奴隷になったのだ、そこにこそ私にとっての自由があるのだ」と語ったのだと思う。パウロが、今述べたようなコリントの人々のありさまに感じていたのは、あることから逃れよう・自由になろうとすればするほど逆に不自由になり、逃れたいと思っているものの奴隷にされてしまう皮肉さなのであった。自由を得る方向性が違うのだとパウロは感じていたのだと思う。「~から」逃れようとするところに自由はないのである。
 ここでふと、学生時代に授業で読んだE.フロム(ユダヤ人の社会心理学者として有名)の『自由からの逃走』という本の記述を思い起こした。この本は、もう今は手元にはない。しかし、はっきりと覚えているのは、「自由には二つあって、ひとつは『~からの自由』であり、もうひとつは『~への自由』である」というフロムの記述である。そして「~からの自由」は、しばしば私達を、その逃れたいと思う対象から自由にしないだけではなく、もっと悪しきものに捕らわれてしまう結果を引き起こすと教えていた。だからこそ私達を本当に自由にするのは、目的に向かう「~への自由」だというのである。これは、パウロが今日の御言葉で繰り返し語っているのと、まさに同じである。パウロが何度も「ため・ため」と語っているのは、目的に向かうということである。パウロもまた「~から」逃れようとするところに自由はなく、その反対に「~へ」向かおうとするところにこそ、たとえ奴隷的な境遇であっても、自由があるのだと教えているのだと思う。

3.このような自由さが果たして実際どこにあるかという疑問に対して、パウロは24節以下の競技場を走るランナーのありさまをもって答えようとしている。パウロは、フィリピの信徒への手紙の3章でも「目標を目指して走る」ランナーの姿に自身をなぞらえている。この時代には、あちらこちらで、そうした競技会が開催されていた。パウロは彼らの有り様を見て、そこに信仰者の生き方を教えられたのではなかろうか。一体ランナーたちは、何が楽しくてあのような辛い走りをするのであろうか。毎日毎日が練習づけ、まさしく25節にあるように日々節制し、また27節にあるように「自分の体を打ちたたいて服従させる」ような毎日である。その練習の毎日や、本番で走る姿は、奴隷というのは言い過ぎかもしれないが、辛いことに捕らえられ縛られているような生活ではないか。
 そこにどんな楽しみがあるのか。24節・25節に、「賞を受ける」「朽ちる冠を得る」ことだと書かれている。しかし、おそらく、それだけではないのだろうと思う。賞を取って優勝することだけではなく、勝っても負けても、ある目標を掲げ、それを目指して一心不乱に精進するという営みが楽しいのだろうと思う。目標を目指して、ひたすら走るという生き方が、ある種の自由さをもたらすのだと思う。マラソンランナーも、100メートル走者も、ゴールを目指して走るのに邪魔なものは一切身に付けない。仮に走っている途中に心臓麻痺を起こして倒れ、死んでしまったとしても、それで本望なのである。そこに自由さがあるではないかとパウロは言っているのだと思う。墓場である体「から」逃げようとするところに自由を求めるのではなく、目標「へ」とひたすら向かうことに、たとえいろいろな大変さがあっても自由があるのではないかと言っているのである。

4.それでは、その目標とは何であるか。パウロは「できるだけ多くの人を得るため」「何とかして何人かでも救うため」「福音に共にあずかる者となるため」と畳み掛けている。それは、ひとりでも多くの人に福音の喜びを味わってほしいという目標である。たとえて言えば、福音というおいしい料理を、ひとりでも多くの人に味わってほしいという気持ちであると表現してもよいのではなかろうか。そのためには、まず自分自身が福音という料理のおいしさを味わっていなければならない。「こんなおいしいものならば、できるだけ多くの人に食べさせてあげたい」と心から思うようにならねばならない。そして、それを、どのようにして様々な人に届けたらよいのか。それは、届ける私達が、届けたいと思う人々のいる場所に行けばよいのである。赴いて、お腹をすかせている人々に福音という御馳走をおすそ分けすればよいのである。
 このような目標を果たさせるために、神様はパウロを、すべての人の奴隷のような者としたのである。最後には、彼はローマ帝国の未決囚となって、牢獄に幽閉されながらも福音を宣べ伝えたと使徒言行録の最後28章30節に書かれている。22節で「福音のためならわたしはどんなことでもします」とパウロは言っている。しかし、これは神様・イエス様が私達にさせようとなさることだと思うのである。神様は、私達が福音という御馳走を一人でも多くの人におすそわけできるためには、何でもさせようとなさる。パウロを奴隷のような境遇に置き、最後には牢獄に置いたように、神様は私達をも不自由で奴隷的な状況に置くのである。しかしそれは「福音のためならどんなことでもする」神様の御心の現れなのである。これが、神様が私達の人生に対して抱く目的であり、私達もこの神様の目標を受け入れて、それを私自身の目標として受け入れるのである。そうと知れば、もう何ら奴隷的な境遇に置かれることを恐れる必要はないのである。私たちは、そのような境遇の中でこそ、いよいよ福音のおいしさをより深く味わい知ることとなる。そして、パウロが牢獄でそうしたように、普段は決して福音のごちそうをおすそわけできないような人々と出会って、共にそれを味わうようになれるのである。
 郡山教会で出会ったYさんのことを思い出した。私がアキレス腱を切って入院している時に出会ったのがYさんであった。Yさんは、入院中の私がベッドの上で書き物をしていたのを不思議がっておられた。私が牧師をしていると知って、彼は教会の礼拝に通うようになった。彼は、お酒や賭けごとで、借金を重ねていた。ある時には「これから死ぬから」と私に電話をかけてきたこともあった。彼は弁護士の世話になって、自己破産の手続きを取り、その状態から脱することができた。残念ながら、諸般の事情から洗礼を受けることなく、ガンのため召されてしまった。彼は神様を信じ、安らかな最後を迎えたと思う。私が入院したことがきっかけになって、私はYさんと福音を共に味わうことになった。私達に与えられた不如意な境遇、あることに捕らえられてしまったような状況こそ、私達が福音を深く味わい、困難な境遇に置かれた人々に福音をおすそわけする機会に必ずや出会うのである。その目的を果たすことに私達の自由があり、生きる喜びがある。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月20日(日)降誕節第4主日礼拝

『ヨシュア記 3章 1~17節』

03:01ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。 03:02三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、 03:03民に命じた。「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。 03:04契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」 03:05ヨシュアは民に言った。「自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」 03:06ヨシュアが祭司たちに、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。 03:07主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。 03:08あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」 03:09ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、 03:10こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。 03:11見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。 03:12今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。 03:13全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」 03:14ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、 03:15ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、 03:16川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。 03:17主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

説教:『ヨルダン川を渡る』

1.ヨシュア記の中でも、とてもよく知られたエピソードではなかろうか。第一のポイントは、イスラエル人はヨルダン川を渡るにあたって大きな壁にぶつかり、しかし壁にぶつかったことを通して、神様から不思議な渡河手段を示していただいたということである。2章の最後に、エリコを探った二人の斥候がもたらした報告が書かれている。「主は、・・・おじけづいています」とある。この報告を聞いてイスラエル人は、すぐにでもヨルダン川を渡り、エリコを攻略できると勇み立ったのではなかったか。3章1節のはじめある「ヨシュアは朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し」というのは、その勇んだ気持ちが滲み出ているような言葉だと感じる。シティムからヨルダン川岸辺はせいぜい10数キロしかなく2、3時間もあれば到着できる距離である。ところが岸辺については、時は、ちょうど「春の刈り入れの時機で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた(15節)」とある。場所によって川幅の広い狭いはあろうが、聖書辞典の写真で見る限りでは、この川はせいぜい日本の大きな河川に流れ込む支流程度の川である。しかし春先の頃の水流はとても激しく、到底渡ることはできなかった。1節の最後から2節には、ここに三日間野営しなければならなかったとある。3とは象徴的な数字である。もしかしたら、それ以上の野営を強いられたのかもしれない。浅瀬を渡れないかとか、橋がないかとか、様々な渡河方法を必死になって模索したのではなかったか。しかし、たやすく渡れるような場所があっても、そこではイスラエル人の侵入を恐れたパレスチナ側の人々の警戒が行われていたかもしれない。だから、もう普通の方法では渡る手段はないというところに追い込まれていた。そのような中で、3節以下に書かれているような渡河手段を神様が示して下さったのである。
 その神様の言葉の真意をどう受け取るかはともかくとして、神様はイスラエル人に、パレスチナの地を与え、住まわせると言ってくださった。また、パレスチナの人々は、イスラエル人やその背後におられる神様のことを恐れていた。そうであるならば、パレスチナに入る道筋は、まことにたやすいはずではなかったか。何ら障壁などなかったように思う。しかしそうではなかったのである。その道には、ヨルダン川の激流が立ちはだかっていたのである。その御心は何かと考えさせられるのである。もしもその道がた易いものであれば、それは他の人々が普通に川を渡るのと何の違いもないものとなろう。しかしそれは神様の御心ではなかった。神様は、信仰者であるイスラエル人ならではの渡河手段を取ってほしかったのである。それは、人間が普通に考え出す渡河手段が不可能となり、万策尽きたという事態になったときにこそ、見いだされるものなのである。神様が教え示して下さる渡河方法を三日間待って、そこで示されたものに忠実に従うということになってゆくのである。これは私達にとっても、そのままあてはまることだと思う。神様の御心は、私達がクリスチャンとしてふさわしく川を渡ってゆくというところにある。信仰者ではない人々と同じような渡河の姿を取らせることはなさらない。そうであればこそ、ことのほか私共の歩みには激流が立ちはだかるのである。それによって人間的なこの世的な手段を断って、神様の示して下さる方法を待ち、それに頼らせるようになさるのである。

2.二番目に示されるポイントは、神様が示した方法が、どのようなものであったかということであり、それが私達に語りかけているのは、どういうことかという点である。神様が示した方法は、まことに驚くべきものであった。契約の箱─十戒が刻まれた2枚の石の板が収められた箱─を、レビ人の祭司が担いで先頭を行き、これにイスラエル人が従った。祭司は、激流逆巻くヨルダン川に足を踏み入れ、そこに止った。すると水がせき止められ、イスラエル人は水の干上がったヨルダン川の川底を渡ってゆくことができた。かつてイスラエル人がエジプトを脱出するとき、海が割れてそこを渡ることができた(出エジプト記14章19節以下)。それよりは規模が小さいものの、出エジプトの出来事を彷彿とさせるような不思議なことが起きたのである。このような方法を、神様が示したことについて、4節最後から5節までの御言葉がとても私の心に響たのであるい。「これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの進むべき道は分かる。・・・自分自身を聖別しなさい。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる」とある。激流の川を渡るというのは、これまでだれも通ったことのない道を行くことである。だから、それを行くためには、普通の人のままでは渡ることはできない。特別な人に変えられなければならない。それが「自分自身を聖別しなさい」という言葉に込められているのだと思う。聖別されるとは、何かピュアなものになるとか、ホーリーな者になるということではない。そうではなく、聖なる神様との特別な間柄に入れていただくということなのである。それはまず、契約の箱を担ぐ祭司の後に従うということなのである。それによって、ヨルダン川で、神様がなさる驚くべきことを体験するのである。そのようなことを通して、聖なる者とされるのである。普通の人とは違う者とされてゆくのだと思う。
 ヨルダン川を渡るということは、信仰者として、ぶつかるさまざまな壁を越えてゆくということを意味している。「これまで一度も通ったことのない道」という御言葉から特に示されるのは、私達がまだ一度も通ったことのない老いや病や死の川を渡ってゆくということである。それは、すべての人々が渡ってきた、また渡ってゆく道ではあるが、生きている私達にとっては当たり前だが、まだ一度も渡ったことのない道なのである。昔からヨルダン川を渡るということは、死を越えてゆくこととして受け止められてきた。それは生きている私達にとっては「これまで一度も渡ったことのない道」であり、激流逆巻く道なのである。イスラエル人がそうであったように、そこにはいかなる人間的な渡河方法はないのである。大切なのは、神様が示して下さる方法を与えられることである。聖なる者とされることである。祭司の後に従い、神様が体験させて下さる奇跡に浴するしかないのである。

3.先日、朝日新聞の投書欄に載った投書のことを思い出した。それは、秋田県に住むクリスチャンの投稿だった。義理の母を看取った経験の投書であった。「義母は、体の痛みもさることながら魂の痛み・恐れが大きく、怖い・寂しいと訴えていた」とのこと。そして、おそらくは投書した方を通して彼女は、キリスト教の信仰を病床にて得られ、安らかに召されたとのことであった。どれほど多くの人々が、老いや病むことや、死の川波を聖別されることなく─つまり従うべき祭司もおらず、また神様という存在が見せて下さる奇跡を体験することもなく─たったひとりで越えてゆかねばならず、そのために激流にのみこまれてしまうことであろうか。

4.最後のポイントは、私達は一体どのようにしてイスラエルの人々が体験させられたようなことを味わえるのかということである。私達が契約の箱を担いだ祭司の後に続くとは、どういうことであろうか。祭司がヨルダン川に足を踏み入れている間、その激流がせき止められたということは、私達にとってどういうことなのであろうか。
 イスラエルの人々には、それを先頭にしてついてゆける契約の箱というものがあった。また、それを担ぐ祭司がいた。そのことは、本当に幸いだったと思うのである。そのあとに続こうにも、そうできる対象がないとしたら、ヨルダン川を渡るすべがなく、聖別される手段もなかった。契約の箱とは、神様がイスラエル人に与えた十の戒めの言葉が刻まれた2枚の石の板を収めた箱である。戒めと聞くと、私達はすぐに何か無理強いされるようなことを感じてしまう。しかし、本質は決してそういうものではないのである。荒れ野をさ迷うイスラエル人には、それを支えるしっかりとした支柱のようなものが不可欠であった。これに頼っていれば、荒れ野を生き延びてゆけるというシェルターのようなものだと言ってもよい。神様はそれを、石に刻まれたたった10の原理原則として教えた。それは、神様の私達に対する配慮や守りを意味している。私達がどういうところに置かれても、その私達を生かし、支え、守るシェルターがあるということを、契約の箱は示している。この契約の箱を、レビ人である祭司が担いで、激流逆巻くヨルダン川の中で立ち止まるということは、神様の守りの力を、そこで実証するということを意味している。この激流の中でも、神様の私達への配慮は、決して失われないことを証しするものである。そのような祭司がいてくれたことは、何とイスラエル人にとって幸いなことだったであろうか。
 私達の前には、もはや契約の箱はなく、それを担ぐ祭司もいない。しかし、幸いにもイエス様が、私達に与えられた神様からの守りでありシェルターなのである。私達は、もはや冷たい石の板に刻まれた戒めに従うことによってではなく、人となったイエス様を、ただひらすら慕い、イエス様を愛することによって、神様の守りと配慮の中に置かれる幸いを得たのである。さらには、イエス様が祭司となって、私達がこれから越えてゆかねばならない苦しみや死の川波のただ中に足を踏み入れて下さったのである。苦しみや死の激流は、イエス様を押し流すことはできず、その中に道ができた。イエス様という祭司がヨルダン川の中に作った道を通って私達は、安心してこの激流を越えてゆけるのである。私達一人ひとりが、イエス様を担ぐ祭司であると言ってもよい。イエス様を担ぐと、激流に足を踏み入れても流されることはない。そしてその後には、続く人々のための道ができる。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月13日(日)降誕節第3主日礼拝

『ヨハネによる福音書 9章 24~41節』

09:24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 09:25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 09:26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」 09:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 09:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 09:29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 09:30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 09:31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 09:32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 09:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 09:34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 09:35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 09:36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 09:37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 09:38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 09:39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 09:40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 09:41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

説教:『見えることと見えないこと』

1.ヨハネによる福音書の9章13節から書かれているのは、9章1節以下に描かれていた出来事から生じた波紋の様子である。生まれつき目の見えない人が、イエス様によって目が見えるようになった。これをイエス様がなさったのは安息日だった(14節)。当時、安息日については、細かな規定があった。放っておくと命の危険を招くような緊急事態でなければ、安息日での治療が許されていなかったようだ。盲人であったこの人は、当時のイスラエルの宗教的リーダーであったファリサイ派の人々のもとに呼ばれ、事情をただされた。彼の言葉を聞いたファリサイ派の人々中で、イエス様をどう見るかで意見が分かれたようである。「安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない(16節)」と言う人と「どうして罪のある者がこんなしるしを行うことができるだろうか」と言う人に分かれた。盲人だったこの人は「お前はあの人をどう思うか」と聞かれて「あの方は預言者です」と答えた。
 さらに、この盲人だった人の両親が呼ばれた。そして「彼が、生まれつき目が見えなかったのは本当か」と尋問された。22節には「両親はユダヤ人たちを恐れていた」とある。なぜなら、この時には、もう「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。先ほどの16節では、まだファリサイ派の中でも、イエス様をどう見るかの判断は割れていた段階だった。しかし、両親が尋問された段階では、ユダヤ人としての判断は決まっていた。会堂から追放されるというのは、単に会堂から追い出されるということではなく、ユダヤ人としての交わりから断たれる─いわゆる村八分にされる─ことを意味していた。ユダヤ人は、長い間のギリシャ・ローマ世界における独自の歩みによって、様々な独特の権利のようなものを獲得していた。ユダヤ人社会から村八分にされるということは、そうした権利を失ってしまうということを意味したのである。両親はそれを恐れたのである。
 その後、再び本人が呼ばれ尋問された。ユダヤ人の指導者たちが彼に要求したのは、「イエス様を安息日を守らない罪人だと認めよ」ということだった。しかし、彼は「イエス様がどういう人なのか、罪人なのかどうかはわからない。しかしイエス様が神様のもとから来のでなければ、私にして下さったようなことができるはずはない。」と答えたのである。すると彼は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか(34節)」と言われて、会堂の外に追い出されてしまった。これは単に会堂の外へ出されたということではなく、ユダヤ人社会から村八分にされたということを意味している。このことを聞いたイエス様は、彼のもとを訪れた。彼によるイエス様への信仰告白がなされ、イエス様は彼に「こうして見えない者が見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言った。私は今日の説教題を「見えることと見えないこと」とつけた。逆説的に、生まれつき目の見えない人が見えるようになり、にだれよりも見えると言い張っていたファリサイ人の人達が見えない者とされるということが、この9章を通して著者ヨハネが最も伝えたいことであったのだろうと思う。
 以上のような波紋のありさまというのは、実はこの福音書の著者であるヨハネ─この福音書を書いた当時100歳前後になっていたとさる─が、その周囲で実際に見聞きしていたことを、あるいはもう50年以上もずっと体験してきたユダヤ教とクリスチャンとの間で起こっていた軋轢を記したものだろうと理解されている。ユダヤ教の中のファリサイ派の人々は、特に西暦70年にエルサレムがローマ軍によって破壊された後、ユダヤ人の信仰生活を支えるリーダーとなっていった。信仰生活のより所だった神殿を失ってしまった彼らの信仰のよりどころは、ますます律法を守ってゆくことに置かれていった。だから、神殿を冒涜し、律法をちゃんと守らなかったイエス様をどう扱うか、またそのイエス様を救い主として信じるクリスチャンたちをどう扱うかが大きな問題となっていったのである。最初はファリサイ人の中でも、イエス様をどう見るかで意見が分かれていた。しかし最終的にはイエス様をメシア(キリスト)・救い主として公言する者は、ユダヤ人社会から排除するとの決定が下されたのである。はっきりとキリストだとは公言しなくても、イエス様が神様のもとから来たとするだけでも村八分にされたのである。そのように公言する者たちは、両親や家族とも袂を分かたざるを得なくなっていったのである。ヨハネは、専ら小アジア周辺にいたユダヤ人にイエス様をキリストとして宣べ伝えたいがためにこの福音書を書いたとされている。ヨハネは、イエス様をキリストとして信じれば、特にユダヤ人には、このような結果が起こるという厳しい現実を書いている。それでもイエス様によって「目が見える」ようにしていただくすばらしさを手放すことはできないのだとヨハネは告げているのだと思う。

2.一体、ファリサイ人とは、いったい何が見えていない人達であったのか。だれよりも「見える」と言い張ることにおいて、どのようなことが見えなくなっていた人々だったのか。逆に生まれつき目の見えなかったこの人は、イエス様によって何を見えるようにしていただいたのか。
 ファリサイ人は、この生まれつき目の見えなかった人について「お前は全く罪の中に生まれた」と言った(34節)。それは何を意味しているのか。彼が生まれつき目が見えないという障がいを負っていたのは「罪の中に生まれた」ゆえだと、ファリサイ人は言った。弟子たちがイエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか(9章のはじめ)」と尋ねたのと同じ考え方である。ここには、当時の人々が広く抱いていた神様の見方、また神様が人間にどのように関わるかという見方の根本がよくよく現れていると思う。要は、神様が人間の罪に対して罰を下し、それに報いて、生まれつきの障がいや病気を与えるのだという見方なのであった。「神様は常に人間のあら捜しをしていて、少しでも責める点が見つかれば、そこに天罰を下す。だからこそ、神様から天罰を下されないように、人間は律法の行いを一点のくもりないように懸命にしなければならない」とファリサイ派の人々は信じ、教えていたのである。もしある人に、生まれつきの病や障がいなどがあれば、それはその人自身や両親などが罪を犯し、それに対して神様が罰を下した故だというのである。そこから解放していただくためには、律法の行いを積み重ね、何とかして神様の怒りをなだめるしかないというのである。これが、ファリサイ派の人々が、自分たちこそ「見える」と言っていた神様の姿なのであり、神様と人間との関係である。自分たちが、自分ではどうしようもできない病気や災いに襲われたときの見方だったのである。
 これがどれほど悲惨な見方であったか。私は、「『声なき者の友』の輪(FVI)」という小さな団体の役員をしている。この団体の代表の神田英輔牧師は、もとは『日本国際飢餓対策機構』というNGOの理事長をしておられた。神田先生からお聞きしたエピソードがある。エチオピアで、干ばつがとてもひどかったとき、神田先生はある村を訪れて灌漑設備を作り、土地の人に「作物を植えよう」と声をかけたそうである。するとその村の村長が無気力な様子で「そんなことをしても無駄ですよ。なぜなら村がこうなったのは神様の罰だから。人間が何をしても無駄だ」と答えたという。この村人が信じていたのはイスラム教であった。イスラム教の始祖であるムハンマドは、もとは商人であったから、その信仰の根本には商売人の考えがとても強くあったようである。神様に、なにものかを支払って何かを買うという考え方による信仰は、わかりやすいといえば確かにわかりやすい。決められた幾つかの行い─それもそれほど難しい行いではない─をやっていれば、神様は喜んで良いものを下さる。こういうわかりやすさが、今でもイスラム教を信じる人々を増やしている理由だと言われている。しかしこのような信仰は、悪いものや災いが降りかかったときには、当然それを買ったのも自分たちのせいだと受け止めさせてしまう。神様からの天罰として受け止めさせてしまうのである。それが先ほどの村長の言葉に現れていた。このような人々に、神田牧師は「いやそのようなことは決してない。どのようななときにも神様は、私たちを愛して、私たちに良いものをくださろうとしておられる。だから井戸を掘って作物を植えてみよう。神様はそれを祝福して下さる。」と励ましたという。
 私たちFVIは、インドでもささやかな援助をしている。インドでは、言うまでもなくヒンズー教が人々を支配している。その教えは、弟子たちがイエス様に質問した考え方(9章のはじめ)と同じようなものである。その教えは、本人や親が犯した罪・因果によって、その子孫は最下層のカースト、あるいはカーストにも属さないそれよりももっと下の人間に生まれたりすると教える。女性に生まれること自体も因果応報の結果としている。イスラム教は、ごくごく簡単な日々の行いをすれば神様から良いものをいただけるという教えである。さらにヒンズー教では、この因果応報から抜け出す方法はないとの教えだと思う。このように今でも、常に人間の罪に目をこらし、そこを責めて罰を下す恐ろしい神様を信仰するという考え方が彼らを支配している。ファリサイ派の信仰も同じである。神様のことがだれよりも分かり「見える」と言っても、それは見えれば見えるほど人間であることが辛くなるような見方である。しかしそれは果たして神様の本当の姿なのであろうか。もっとも大事な本当の神様の姿が見えていないのではなかろうか。

3.このようなファリサイ派の人々に対して、この生まれつき目が見えない人は、イエス様を通してどんな神様を見たのか。彼は25節で「目の見えなかったわたしが今は見える」と言い、32節では「生まれつき目の見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、聞いたことがありません」と言っている。イエス様が自分にそのようにして下さったことにおいて彼が見たのは、自分のような者に、何の代金も求めずにすばらしい御業を無料でなして下さる神様の姿であった。彼は、両親からも見放され、物乞いをして生きるしかなく、本人や親の因果がこのような病気として現れるのだと、まるで見世物のように扱われてきた。そんな自分をイエス様は、ただただ何の条件もなく見えるようにして下さった。見えるようになるために彼が払った代価は、びた一文もなかった。払ったものと言えば、イエス様が自分の目に塗ったドロを池の水で洗っただけであった。生まれつき目が見えないという障がいを償うとすれば、どれほどとほうもない程の律法の行いを重ねなければならなかったであろうか。しかし彼には、そのようなことは何一つできなかった。ただイエス様に目に泥を塗っていただき、それをシロアムの池の水で洗っただけなのであった。それなのにイエス様を通して神様は、彼の目を見えるようにして下さった。神様はこのような方なのだと、彼ははじめて知ったのだった。神様は自分たちに、そのように接して下さるとわかった。何が原因で生まれつき目が見えないのかなどわからない。それは私たち人間にはどうしようもない。しかし、それは神様が、その私たちに何かすばらしいことをなして下さるための機会なのである。イエス様が塗った泥を水で洗い流すというような、律法の行いに比べればまるで馬鹿げたようなことを通して、神様の御業は現れてくるのである。それは、私たちにとっては、十字架の上で殺され復活したとされるイエス様を信じ、こうして礼拝に集うことなのである。粗末な紙に書かれた聖書の言葉を味わうことなのである。これはまさしく泥を塗ってもらい、それを水で洗うような愚かしいことではなかろうか。しかし神様は、そのようなことを通して、私たちに、すばらしい働きを現して下さるのである。
 生まれつき目が見えなかった彼にとって、このような神様を見ることができるようになったすばらしさは、たとえ両親との縁を切られ、ユダヤ人社会から村八分にされようとも、手放すことができないものであった。生まれつき目が見えないというハンディを抱えた人こそが、逆説的に、見ることができるようになったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月6日(日)降誕節第2主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 9章 12b~18節』

しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。 09:13あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。 09:14同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。 09:15しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。 09:16もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 09:17自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 09:18では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

説教:『自由な者ではないか』

1.9章1節から18節までに、繰り返し使われている言葉がある。それは「権利」という言葉である。8回も使われている。何の権利なのか。14節に「主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されました」とある。これは弟子たちを派遣するにあたってイエス様が語った言葉である。たとえば、ルカによる福音書の10章7節には「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」とある。これは、福音を宣べ伝える者が、その働きによって生まれた実である信徒の献げものによって生活の糧を得るという権利を指している。
 このような権利は、イエス様が弟子たちを派遣するにあたって用いるようにと言っただけではなく、13節でパウロが語っているように、イスラエルにおいて、礼拝や儀式を司る役割を神様からゆだねられていた祭司やレビ人たちにも、与えられていた権利であった。誕生したばかりの初代教会においても、こうした伝統やイエス様の言葉に従って、ごく自然に、伝道者たちは信徒たちが献げるものによって生計を立てていた。
 ところがパウロは、この権利を用いなかったというのである。使徒言行録の18章3節に、コリントでのパウロの伝道の様子として、「パウロはこの二人(プリスキラとアキラという夫妻)を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」とある。パウロは、その設立したすべての教会において、このように生計を立てていたわけではなかったようである。コリントでパウロは、テント造りの仕事をしながら伝道をしていた。なぜコリントでパウロがそうしたのか。その理由をここには詳しく書かれてはいない。しかし、12節には「キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」とだけ記されている。
 コリントで信徒になった人々は、奴隷階級の者が多かった。そのような人々は、だでさえ大変な生活のうえに、さらなる負担をかけるのを、パウロが避けようとしたのかもしれない。当時の社会には、様々な宗教を布教する巡回説教者のような人々が多くいた。彼らは、説教を聞いた人々からお金を取っていたということもあり、そうした説教者と同じに思われることを避けようとしたのではないかとも注解書には説明されていた。
 このようにパウロが、コリントで伝道者が当然に用いるべき権利を用いなかったことが、いろいろな点で、パウロと対立していた他の伝道者たちにとって、彼を攻撃する格好の材料となった。パウロ自身が認めていたように、この権利は、祭司やレビ人が、神様からそうするようにと命じられ、イエス様も弟子たちにそうするようにと言った権利であった。そのような大事な権利を、パウロはなぜ用いなかったのか。それはある意味、当然の批判であったとも言えよう。ここには、パウロを非難した人々の具体的な言葉は何も書かれてはいない。しかし、たとえば、そのように信徒たちに負担をかけないことで信徒たちのご機嫌を取り、他の伝道者よりも歓迎されようとしたのではないかという批判もあったであろう。また、そのようなパウロの伝道のスタイルが当たり前になってゆくことへの危惧もあったに違いない。
 最大の批判は、パウロがこの権利を正々堂々と用いなかったのは、そうすることに、どこか後ろめたい気持ちがあったからではないかという邪推であった。パウロは、もともとクリスチャンを迫害していたファリサイ人だった。そのことで、パウロを偽使徒だと言った人々もいた。そのことの現れが、この権利を用いないことなのだと批判したのである。このようなパウロへの非難に対して、パウロは精一杯答えようとしたのである。

2.次に考えたいのは、一体どういう文脈からパウロは、このようなことを書くに至ったのかという点である。9章1節は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。私たちの主イエスを見たものではないか」と始まっている。明らかに、この文章は「パウロは偽使徒ではないか」との批判を受けてのものだとわかる。
 しかし、そういう批判に対して、復活したイエス様と直接会い、使徒として選ばれた者として「自由な者ではないのか」と声を大にして叫んでいるパウロの様子が伝わってくる。「確かに福音を宣べ伝える伝道者・使徒が、福音によって生活の資を得るというのは、イエス様ご自身がお命じになったことではあるけれども、自分もまた、イエス様によって直接使徒として選ばれた者として、どのように生計を立てつつ伝道するかということは自由であってよいのではないか。使徒として福音を宣べ伝えるという務めを十分に果たすなら、どのようにその生計を立てるかということは自由であってよいのではないか。臨機応変であってよいのではないか。そこまで一律に“伝道者ならこうあるべき”と枠にはめる必要はないのではないか。」とパウロは言いたいのだと思うのである。
 この点こそが、前の8章までの文脈とつながるように思う。ポイントは「自由」である。これまでにコリント教会に生じていた様々な問題が扱われてきた。しかし、そのどれもが自由ということと深くかかわっていると思うのである。7章22節・23節に「主によって自由の身にされた者・・・主によって召された自由な身分の者は・・・人の奴隷となってはいけません」とあった。「体は墓場だ(ソーマ・セーマ)」とギリシャ・ローマの人々は考えて、何とかして体の不自由さから解放されることを切実に求めていた。コリント教会の人々も、クリスチャンになってもなお、そのことを願い求め、たとえば体の求めることを必要以上に抑圧して、極端な禁欲や独身主義に走ったり、奴隷である体の状態から何とかして自由にならねばと悩んだり、世俗の世界に体を置くことで、そこに流通していた偶像の神々に捧げられた食肉を食べてもよいかと悩んでしまっていた。  それは、ひとことで言えば、自由を求めるが余りに、逆に不自由になってしまっている姿だと言ってよいと思う。その結果として、教会全体が「こうであらねばならない」との縛りが、とても強い雰囲気になってしまっていたのではなかろうか。パウロは、8章までを書いてきて、このようなコリント教会の問題性を強く感じたがゆえに、自分に対して「使徒であるならばこうであらねばならぬ」と批判をする人々への反論を語ることに、自然に筆が動いていったのではなかろうか。

3.ここにきて「わたしは自由な者ではないか」とのパウロの心が読み取れたように思う。
 この自由さとは、そもそもいかなるものか。決して普通の意味で、私たちが好き勝手なことをしてよいという自由ではない。「使徒ではないか。主イエスを見たではないか」とある。これはパウロが、ダマスコに行く途中で、復活のイエス様と出会い、クリスチャンを迫害していたファリサイ人であったにもかかわらず、使徒・伝道者として選ばれたことを物語る言葉である。神様・イエス様は、パウロが迫害者であったことなどはものともせずに、いや迫害者であったればこそ、彼を使徒として選んだのである。それは、私たち人間の考えをはるかに越えたイエス様・神様の選びの「自由」である。そのようにして選ばれたことにおいて、私たちの「自由」がある。パウロは、自分が迫害者だったという過去に縛られることがない。私たちは、それぞれが抱えている様々なマイナスに縛られないのである。
 私たちと神様・イエス様との間柄は、根源的に神様・イエス様の側がイニシアティブを取っている関係である。その自由さは、私たち人間の側の様々な欠陥やマイナスをものともしない。むしろ、それをこそ用いて神様の御業を現すのである。イエス様は、生まれつき目が見えないという、私たちにはどうしようもできないハンディについて「それは神の御業が現れるためのものだ」と言った。このような神様・イエス様の御業の自由さにおいて、私たちの自由さがある。それなのに私たちは、「自分たちはこうでなければならない、教会はこうでなければならない」と型にはめて考えてしまう。イエス様自身がパウロを使徒として選んだのに、人々は彼を「偽使徒ではないか」と言った。その選びにおいて示された福音を、パウロは彼なりのやり方で伝えようとしたのに─確かに他の伝道者たちが生計を立てるありさまとは異なってはいたが─、人々は、その福音を偽物だと、彼の生活の資を得るあり様は間違っていると批判した。
 最も大事なのは、神様・イエス様の御業の自由さである。その自由さにおいて、私たちは自由な者ではなかろうか。しかし私たちは、この自由さを大事にしているであろうか。私はこの2月に、神学校の同級生から依頼され、彼が地区長を務める中部教区富山地区の役員研修会で話をすることになっている。彼は、先日電話で私に「お前ほど自由な者はいないよ」と言ってくれた。それが、はたして誉め言葉だったのか、それともあきれたゆえの言葉だったのかはわからない。しかし、私は誉め言葉だと思っている。神様・イエス様の御業の自由さが、私という人間からも「香り」として放たれているということではなかろうか。この2019年も、わたしたちそれぞれに、自分ではいかんともしがたい不自由さ・マイナスが科されるだろうと思う。しかしそれをこそ用いて、神様は福音の喜びを私たちに味わわせて、証しさせて下さる。この神様の自由さにおいて私たちは自由なのだから、「こうであるべきだ」と型にはめてはならないのである。

4.神様・イエス様が与えて下さったこの自由さに生きることにおいて、パウロが得ていた様々な賜物があった。15節・16節には、「誇り」という言葉が繰り返し出てくる。また17節・18節には、「報酬」という言葉が度々使われている。それはパウロが、その伝道者としての生き方をすることにおいて、伝道者としてのプライドをいただき、また大きな報酬をもいただいてきたという思いを語っている。他の人からどう言われても、周囲の人々とはどんなに違っていても、私は神様・イエス様によって選ばれた者であり、福音を示され、それを自分なりのやり方で告げ、知らせているということが、パウロの誇りであり報酬なのである。
 なお、パウロがここで報酬という言葉を度々使うのは、イエス様が弟子たちを派遣したときの言葉に「働く者が報酬を受けるのは当然である」とあったからではないかと思う。パウロを悪し様に非難した人々は、「お前はイエス様が受けるのが 当然とおっしゃった報酬を受けていないのではないか。報酬をちゃんと受けていないということは、おまえの伝道がちゃんとしたものではないことの現れだ」と批判したのではないかと思う。これに対してパウロは、「いや自分はちゃんと報酬を受けているのだ」と応えたのであろう。確かに、信徒から献げ物を受け、それによって生活の資を得ることをしていないということだけをとれば、報酬を受けていなかったかもしれない。しかし、17節には「自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう」とある。また、18節には「わたしの報酬とは・・・福音を告げ知らせるときに、それを無報酬で伝え」ることだとある。文字通りには「無報酬」に見えるかもしれないが、誇りをもって福音を宣べ伝えられること、それ自体に報酬があると言っているのである。
 皆さんは、パウロや私たち牧師のように直接伝道者として選ばれているわけではない。しかし、一人ひとりに神様の選びというものがあるはずなのである。イエス様の選びによって与えられた密かな働きがあるはずなのである。それは周囲の人々からは、なかなか理解されないものかもしれない。しかし、それをなすことに誇りが与えられ、豊かな報酬が与えられ、何よりも自由を与えられるということを、パウロは教えてくれているのだと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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