Tsukuba Gakuen Church, UCCJ

日本キリスト教団 筑波学園教会


これまでの礼拝から

2019年の礼拝説教 INDEX
1月 2月 3月
 6日「自由な者ではないか」
13日「見えることと見えないこと」
20日「ヨルダン川を渡る」
27日「共に福音に与るため」
 3日「説教題」
10日「説教題」
17日「説教題」
24日「説教題」
 3日「説教題」
10日「説教題」
17日「説教題」
24日「説教題」
31日「説教題」
4月 5月 6月
 7日「説教題」
14日「説教題」
21日「説教題」
28日「説教題」
 5日「説教題」
12日「説教題」
19日「説教題」
26日「説教題」
 2日「説教題」
9日「説教題」
16日「説教題」
23日「説教題」
30日「説教題」
7月 8月 9月
 7日「説教題」
14日「説教題」
21日「説教題」
28日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
29日「説教題」
10月 11月 12月
 6日「説教題」
13日「説教題」
20日「説教題」
29日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
24日「説教題」
29日「説教題」

2018年の礼拝説教

2019年 1月20日(日)降誕節第4主日礼拝

『ヨシュア記 3章1~17節』

03:01ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。 03:02三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、 03:03民に命じた。「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。 03:04契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」 03:05ヨシュアは民に言った。「自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」 03:06ヨシュアが祭司たちに、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。 03:07主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。 03:08あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」 03:09ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、 03:10こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。 03:11見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。 03:12今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。 03:13全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」 03:14ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、 03:15ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、 03:16川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。 03:17主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

説教:『ヨルダン川を渡る』

 説教を聞く

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月13日(日)降誕節第3主日礼拝

『ヨハネによる福音書 9章24~41節』

09:24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 09:25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 09:26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」 09:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 09:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 09:29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 09:30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 09:31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 09:32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 09:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 09:34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 09:35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 09:36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 09:37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 09:38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 09:39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 09:40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 09:41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

説教:『見えることと見えないこと』

1.ヨハネによる福音書の9章13節から書かれているのは、9章1節以下に描かれていた出来事から生じた波紋の様子である。生まれつき目の見えない人が、イエス様によって目が見えるようになった。これをイエス様がなさったのは安息日だった(14節)。当時、安息日については、細かな規定があった。放っておくと命の危険を招くような緊急事態でなければ、安息日での治療が許されていなかったようだ。盲人であったこの人は、当時のイスラエルの宗教的リーダーであったファリサイ派の人々のもとに呼ばれ、事情をただされた。彼の言葉を聞いたファリサイ派の人々中で、イエス様をどう見るかで意見が分かれたようである。「安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない(16節)」と言う人と「どうして罪のある者がこんなしるしを行うことができるだろうか」と言う人に分かれた。盲人だったこの人は「お前はあの人をどう思うか」と聞かれて「あの方は預言者です」と答えた。
 さらに、この盲人だった人の両親が呼ばれた。そして「彼が、生まれつき目が見えなかったのは本当か」と尋問された。22節には「両親はユダヤ人たちを恐れていた」とある。なぜなら、この時には、もう「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。先ほどの16節では、まだファリサイ派の中でも、イエス様をどう見るかの判断は割れていた段階だった。しかし、両親が尋問された段階では、ユダヤ人としての判断は決まっていた。会堂から追放されるというのは、単に会堂から追い出されるということではなく、ユダヤ人としての交わりから断たれる─いわゆる村八分にされる─ことを意味していた。ユダヤ人は、長い間のギリシャ・ローマ世界における独自の歩みによって、様々な独特の権利のようなものを獲得していた。ユダヤ人社会から村八分にされるということは、そうした権利を失ってしまうということを意味したのである。両親はそれを恐れたのである。
 その後、再び本人が呼ばれ尋問された。ユダヤ人の指導者たちが彼に要求したのは、「イエス様を安息日を守らない罪人だと認めよ」ということだった。しかし、彼は「イエス様がどういう人なのか、罪人なのかどうかはわからない。しかしイエス様が神様のもとから来のでなければ、私にして下さったようなことができるはずはない。」と答えたのである。すると彼は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか(34節)」と言われて、会堂の外に追い出されてしまった。これは単に会堂の外へ出されたということではなく、ユダヤ人社会から村八分にされたということを意味している。このことを聞いたイエス様は、彼のもとを訪れた。彼によるイエス様への信仰告白がなされ、イエス様は彼に「こうして見えない者が見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言った。私は今日の説教題を「見えることと見えないこと」とつけた。逆説的に、生まれつき目の見えない人が見えるようになり、にだれよりも見えると言い張っていたファリサイ人の人達が見えない者とされるということが、この9章を通して著者ヨハネが最も伝えたいことであったのだろうと思う。
 以上のような波紋のありさまというのは、実はこの福音書の著者であるヨハネ─この福音書を書いた当時100歳前後になっていたとさる─が、その周囲で実際に見聞きしていたことを、あるいはもう50年以上もずっと体験してきたユダヤ教とクリスチャンとの間で起こっていた軋轢を記したものだろうと理解されている。ユダヤ教の中のファリサイ派の人々は、特に西暦70年にエルサレムがローマ軍によって破壊された後、ユダヤ人の信仰生活を支えるリーダーとなっていった。信仰生活のより所だった神殿を失ってしまった彼らの信仰のよりどころは、ますます律法を守ってゆくことに置かれていった。だから、神殿を冒涜し、律法をちゃんと守らなかったイエス様をどう扱うか、またそのイエス様を救い主として信じるクリスチャンたちをどう扱うかが大きな問題となっていったのである。最初はファリサイ人の中でも、イエス様をどう見るかで意見が分かれていた。しかし最終的にはイエス様をメシア(キリスト)・救い主として公言する者は、ユダヤ人社会から排除するとの決定が下されたのである。はっきりとキリストだとは公言しなくても、イエス様が神様のもとから来たとするだけでも村八分にされたのである。そのように公言する者たちは、両親や家族とも袂を分かたざるを得なくなっていったのである。ヨハネは、専ら小アジア周辺にいたユダヤ人にイエス様をキリストとして宣べ伝えたいがためにこの福音書を書いたとされている。ヨハネは、イエス様をキリストとして信じれば、特にユダヤ人には、このような結果が起こるという厳しい現実を書いている。それでもイエス様によって「目が見える」ようにしていただくすばらしさを手放すことはできないのだとヨハネは告げているのだと思う。

2.一体、ファリサイ人とは、いったい何が見えていない人達であったのか。だれよりも「見える」と言い張ることにおいて、どのようなことが見えなくなっていた人々だったのか。逆に生まれつき目の見えなかったこの人は、イエス様によって何を見えるようにしていただいたのか。
 ファリサイ人は、この生まれつき目の見えなかった人について「お前は全く罪の中に生まれた」と言った(34節)。それは何を意味しているのか。彼が生まれつき目が見えないという障がいを負っていたのは「罪の中に生まれた」ゆえだと、ファリサイ人は言った。弟子たちがイエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか(9章のはじめ)」と尋ねたのと同じ考え方である。ここには、当時の人々が広く抱いていた神様の見方、また神様が人間にどのように関わるかという見方の根本がよくよく現れていると思う。要は、神様が人間の罪に対して罰を下し、それに報いて、生まれつきの障がいや病気を与えるのだという見方なのであった。「神様は常に人間のあら捜しをしていて、少しでも責める点が見つかれば、そこに天罰を下す。だからこそ、神様から天罰を下されないように、人間は律法の行いを一点のくもりないように懸命にしなければならない」とファリサイ派の人々は信じ、教えていたのである。もしある人に、生まれつきの病や障がいなどがあれば、それはその人自身や両親などが罪を犯し、それに対して神様が罰を下した故だというのである。そこから解放していただくためには、律法の行いを積み重ね、何とかして神様の怒りをなだめるしかないというのである。これが、ファリサイ派の人々が、自分たちこそ「見える」と言っていた神様の姿なのであり、神様と人間との関係である。自分たちが、自分ではどうしようもできない病気や災いに襲われたときの見方だったのである。
 これがどれほど悲惨な見方であったか。私は、「『声なき者の友』の輪(FVI)」という小さな団体の役員をしている。この団体の代表の神田英輔牧師は、もとは『日本国際飢餓対策機構』というNGOの理事長をしておられた。神田先生からお聞きしたエピソードがある。エチオピアで、干ばつがとてもひどかったとき、神田先生はある村を訪れて灌漑設備を作り、土地の人に「作物を植えよう」と声をかけたそうである。するとその村の村長が無気力な様子で「そんなことをしても無駄ですよ。なぜなら村がこうなったのは神様の罰だから。人間が何をしても無駄だ」と答えたという。この村人が信じていたのはイスラム教であった。イスラム教の始祖であるムハンマドは、もとは商人であったから、その信仰の根本には商売人の考えがとても強くあったようである。神様に、なにものかを支払って何かを買うという考え方による信仰は、わかりやすいといえば確かにわかりやすい。決められた幾つかの行い─それもそれほど難しい行いではない─をやっていれば、神様は喜んで良いものを下さる。こういうわかりやすさが、今でもイスラム教を信じる人々を増やしている理由だと言われている。しかしこのような信仰は、悪いものや災いが降りかかったときには、当然それを買ったのも自分たちのせいだと受け止めさせてしまう。神様からの天罰として受け止めさせてしまうのである。それが先ほどの村長の言葉に現れていた。このような人々に、神田牧師は「いやそのようなことは決してない。どのようななときにも神様は、私たちを愛して、私たちに良いものをくださろうとしておられる。だから井戸を掘って作物を植えてみよう。神様はそれを祝福して下さる。」と励ましたという。
 私たちFVIは、インドでもささやかな援助をしている。インドでは、言うまでもなくヒンズー教が人々を支配している。その教えは、弟子たちがイエス様に質問した考え方(9章のはじめ)と同じようなものである。その教えは、本人や親が犯した罪・因果によって、その子孫は最下層のカースト、あるいはカーストにも属さないそれよりももっと下の人間に生まれたりすると教える。女性に生まれること自体も因果応報の結果としている。イスラム教は、ごくごく簡単な日々の行いをすれば神様から良いものをいただけるという教えである。さらにヒンズー教では、この因果応報から抜け出す方法はないとの教えだと思う。このように今でも、常に人間の罪に目をこらし、そこを責めて罰を下す恐ろしい神様を信仰するという考え方が彼らを支配している。ファリサイ派の信仰も同じである。神様のことがだれよりも分かり「見える」と言っても、それは見えれば見えるほど人間であることが辛くなるような見方である。しかしそれは果たして神様の本当の姿なのであろうか。もっとも大事な本当の神様の姿が見えていないのではなかろうか。

3.このようなファリサイ派の人々に対して、この生まれつき目が見えない人は、イエス様を通してどんな神様を見たのか。彼は25節で「目の見えなかったわたしが今は見える」と言い、32節では「生まれつき目の見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、聞いたことがありません」と言っている。イエス様が自分にそのようにして下さったことにおいて彼が見たのは、自分のような者に、何の代金も求めずにすばらしい御業を無料でなして下さる神様の姿であった。彼は、両親からも見放され、物乞いをして生きるしかなく、本人や親の因果がこのような病気として現れるのだと、まるで見世物のように扱われてきた。そんな自分をイエス様は、ただただ何の条件もなく見えるようにして下さった。見えるようになるために彼が払った代価は、びた一文もなかった。払ったものと言えば、イエス様が自分の目に塗ったドロを池の水で洗っただけであった。生まれつき目が見えないという障がいを償うとすれば、どれほどとほうもない程の律法の行いを重ねなければならなかったであろうか。しかし彼には、そのようなことは何一つできなかった。ただイエス様に目に泥を塗っていただき、それをシロアムの池の水で洗っただけなのであった。それなのにイエス様を通して神様は、彼の目を見えるようにして下さった。神様はこのような方なのだと、彼ははじめて知ったのだった。神様は自分たちに、そのように接して下さるとわかった。何が原因で生まれつき目が見えないのかなどわからない。それは私たち人間にはどうしようもない。しかし、それは神様が、その私たちに何かすばらしいことをなして下さるための機会なのである。イエス様が塗った泥を水で洗い流すというような、律法の行いに比べればまるで馬鹿げたようなことを通して、神様の御業は現れてくるのである。それは、私たちにとっては、十字架の上で殺され復活したとされるイエス様を信じ、こうして礼拝に集うことなのである。粗末な紙に書かれた聖書の言葉を味わうことなのである。これはまさしく泥を塗ってもらい、それを水で洗うような愚かしいことではなかろうか。しかし神様は、そのようなことを通して、私たちに、すばらしい働きを現して下さるのである。
 生まれつき目が見えなかった彼にとって、このような神様を見ることができるようになったすばらしさは、たとえ両親との縁を切られ、ユダヤ人社会から村八分にされようとも、手放すことができないものであった。生まれつき目が見えないというハンディを抱えた人こそが、逆説的に、見ることができるようになったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月6日(日)降誕節第2主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1)9章12b~18節』

しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。 09:13あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。 09:14同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。 09:15しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。 09:16もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 09:17自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 09:18では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

説教:『自由な者ではないか』

1.9章1節から18節までに、繰り返し使われている言葉がある。それは「権利」という言葉である。8回も使われている。何の権利なのか。14節に「主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されました」とある。これは弟子たちを派遣するにあたってイエス様が語った言葉である。たとえば、ルカによる福音書の10章7節には「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」とある。これは、福音を宣べ伝える者が、その働きによって生まれた実である信徒の献げものによって生活の糧を得るという権利を指している。
 このような権利は、イエス様が弟子たちを派遣するにあたって用いるようにと言っただけではなく、13節でパウロが語っているように、イスラエルにおいて、礼拝や儀式を司る役割を神様からゆだねられていた祭司やレビ人たちにも、与えられていた権利であった。誕生したばかりの初代教会においても、こうした伝統やイエス様の言葉に従って、ごく自然に、伝道者たちは信徒たちが献げるものによって生計を立てていた。
 ところがパウロは、この権利を用いなかったというのである。使徒言行録の18章3節に、コリントでのパウロの伝道の様子として、「パウロはこの二人(プリスキラとアキラという夫妻)を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」とある。パウロは、その設立したすべての教会において、このように生計を立てていたわけではなかったようである。コリントでパウロは、テント造りの仕事をしながら伝道をしていた。なぜコリントでパウロがそうしたのか。その理由をここには詳しく書かれてはいない。しかし、12節には「キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」とだけ記されている。
 コリントで信徒になった人々は、奴隷階級の者が多かった。そのような人々は、だでさえ大変な生活のうえに、さらなる負担をかけるのを、パウロが避けようとしたのかもしれない。当時の社会には、様々な宗教を布教する巡回説教者のような人々が多くいた。彼らは、説教を聞いた人々からお金を取っていたということもあり、そうした説教者と同じに思われることを避けようとしたのではないかとも注解書には説明されていた。
 このようにパウロが、コリントで伝道者が当然に用いるべき権利を用いなかったことが、いろいろな点で、パウロと対立していた他の伝道者たちにとって、彼を攻撃する格好の材料となった。パウロ自身が認めていたように、この権利は、祭司やレビ人が、神様からそうするようにと命じられ、イエス様も弟子たちにそうするようにと言った権利であった。そのような大事な権利を、パウロはなぜ用いなかったのか。それはある意味、当然の批判であったとも言えよう。ここには、パウロを非難した人々の具体的な言葉は何も書かれてはいない。しかし、たとえば、そのように信徒たちに負担をかけないことで信徒たちのご機嫌を取り、他の伝道者よりも歓迎されようとしたのではないかという批判もあったであろう。また、そのようなパウロの伝道のスタイルが当たり前になってゆくことへの危惧もあったに違いない。
 最大の批判は、パウロがこの権利を正々堂々と用いなかったのは、そうすることに、どこか後ろめたい気持ちがあったからではないかという邪推であった。パウロは、もともとクリスチャンを迫害していたファリサイ人だった。そのことで、パウロを偽使徒だと言った人々もいた。そのことの現れが、この権利を用いないことなのだと批判したのである。このようなパウロへの非難に対して、パウロは精一杯答えようとしたのである。

2.次に考えたいのは、一体どういう文脈からパウロは、このようなことを書くに至ったのかという点である。9章1節は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。私たちの主イエスを見たものではないか」と始まっている。明らかに、この文章は「パウロは偽使徒ではないか」との批判を受けてのものだとわかる。
 しかし、そういう批判に対して、復活したイエス様と直接会い、使徒として選ばれた者として「自由な者ではないのか」と声を大にして叫んでいるパウロの様子が伝わってくる。「確かに福音を宣べ伝える伝道者・使徒が、福音によって生活の資を得るというのは、イエス様ご自身がお命じになったことではあるけれども、自分もまた、イエス様によって直接使徒として選ばれた者として、どのように生計を立てつつ伝道するかということは自由であってよいのではないか。使徒として福音を宣べ伝えるという務めを十分に果たすなら、どのようにその生計を立てるかということは自由であってよいのではないか。臨機応変であってよいのではないか。そこまで一律に“伝道者ならこうあるべき”と枠にはめる必要はないのではないか。」とパウロは言いたいのだと思うのである。
 この点こそが、前の8章までの文脈とつながるように思う。ポイントは「自由」である。これまでにコリント教会に生じていた様々な問題が扱われてきた。しかし、そのどれもが自由ということと深くかかわっていると思うのである。7章22節・23節に「主によって自由の身にされた者・・・主によって召された自由な身分の者は・・・人の奴隷となってはいけません」とあった。「体は墓場だ(ソーマ・セーマ)」とギリシャ・ローマの人々は考えて、何とかして体の不自由さから解放されることを切実に求めていた。コリント教会の人々も、クリスチャンになってもなお、そのことを願い求め、たとえば体の求めることを必要以上に抑圧して、極端な禁欲や独身主義に走ったり、奴隷である体の状態から何とかして自由にならねばと悩んだり、世俗の世界に体を置くことで、そこに流通していた偶像の神々に捧げられた食肉を食べてもよいかと悩んでしまっていた。  それは、ひとことで言えば、自由を求めるが余りに、逆に不自由になってしまっている姿だと言ってよいと思う。その結果として、教会全体が「こうであらねばならない」との縛りが、とても強い雰囲気になってしまっていたのではなかろうか。パウロは、8章までを書いてきて、このようなコリント教会の問題性を強く感じたがゆえに、自分に対して「使徒であるならばこうであらねばならぬ」と批判をする人々への反論を語ることに、自然に筆が動いていったのではなかろうか。

3.ここにきて「わたしは自由な者ではないか」とのパウロの心が読み取れたように思う。
 この自由さとは、そもそもいかなるものか。決して普通の意味で、私たちが好き勝手なことをしてよいという自由ではない。「使徒ではないか。主イエスを見たではないか」とある。これはパウロが、ダマスコに行く途中で、復活のイエス様と出会い、クリスチャンを迫害していたファリサイ人であったにもかかわらず、使徒・伝道者として選ばれたことを物語る言葉である。神様・イエス様は、パウロが迫害者であったことなどはものともせずに、いや迫害者であったればこそ、彼を使徒として選んだのである。それは、私たち人間の考えをはるかに越えたイエス様・神様の選びの「自由」である。そのようにして選ばれたことにおいて、私たちの「自由」がある。パウロは、自分が迫害者だったという過去に縛られることがない。私たちは、それぞれが抱えている様々なマイナスに縛られないのである。
 私たちと神様・イエス様との間柄は、根源的に神様・イエス様の側がイニシアティブを取っている関係である。その自由さは、私たち人間の側の様々な欠陥やマイナスをものともしない。むしろ、それをこそ用いて神様の御業を現すのである。イエス様は、生まれつき目が見えないという、私たちにはどうしようもできないハンディについて「それは神の御業が現れるためのものだ」と言った。このような神様・イエス様の御業の自由さにおいて、私たちの自由さがある。それなのに私たちは、「自分たちはこうでなければならない、教会はこうでなければならない」と型にはめて考えてしまう。イエス様自身がパウロを使徒として選んだのに、人々は彼を「偽使徒ではないか」と言った。その選びにおいて示された福音を、パウロは彼なりのやり方で伝えようとしたのに─確かに他の伝道者たちが生計を立てるありさまとは異なってはいたが─、人々は、その福音を偽物だと、彼の生活の資を得るあり様は間違っていると批判した。
 最も大事なのは、神様・イエス様の御業の自由さである。その自由さにおいて、私たちは自由な者ではなかろうか。しかし私たちは、この自由さを大事にしているであろうか。私はこの2月に、神学校の同級生から依頼され、彼が地区長を務める中部教区富山地区の役員研修会で話をすることになっている。彼は、先日電話で私に「お前ほど自由な者はいないよ」と言ってくれた。それが、はたして誉め言葉だったのか、それともあきれたゆえの言葉だったのかはわからない。しかし、私は誉め言葉だと思っている。神様・イエス様の御業の自由さが、私という人間からも「香り」として放たれているということではなかろうか。この2019年も、わたしたちそれぞれに、自分ではいかんともしがたい不自由さ・マイナスが科されるだろうと思う。しかしそれをこそ用いて、神様は福音の喜びを私たちに味わわせて、証しさせて下さる。この神様の自由さにおいて私たちは自由なのだから、「こうであるべきだ」と型にはめてはならないのである。

4.神様・イエス様が与えて下さったこの自由さに生きることにおいて、パウロが得ていた様々な賜物があった。15節・16節には、「誇り」という言葉が繰り返し出てくる。また17節・18節には、「報酬」という言葉が度々使われている。それはパウロが、その伝道者としての生き方をすることにおいて、伝道者としてのプライドをいただき、また大きな報酬をもいただいてきたという思いを語っている。他の人からどう言われても、周囲の人々とはどんなに違っていても、私は神様・イエス様によって選ばれた者であり、福音を示され、それを自分なりのやり方で告げ、知らせているということが、パウロの誇りであり報酬なのである。
 なお、パウロがここで報酬という言葉を度々使うのは、イエス様が弟子たちを派遣したときの言葉に「働く者が報酬を受けるのは当然である」とあったからではないかと思う。パウロを悪し様に非難した人々は、「お前はイエス様が受けるのが 当然とおっしゃった報酬を受けていないのではないか。報酬をちゃんと受けていないということは、おまえの伝道がちゃんとしたものではないことの現れだ」と批判したのではないかと思う。これに対してパウロは、「いや自分はちゃんと報酬を受けているのだ」と応えたのであろう。確かに、信徒から献げ物を受け、それによって生活の資を得ることをしていないということだけをとれば、報酬を受けていなかったかもしれない。しかし、17節には「自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう」とある。また、18節には「わたしの報酬とは・・・福音を告げ知らせるときに、それを無報酬で伝え」ることだとある。文字通りには「無報酬」に見えるかもしれないが、誇りをもって福音を宣べ伝えられること、それ自体に報酬があると言っているのである。
 皆さんは、パウロや私たち牧師のように直接伝道者として選ばれているわけではない。しかし、一人ひとりに神様の選びというものがあるはずなのである。イエス様の選びによって与えられた密かな働きがあるはずなのである。それは周囲の人々からは、なかなか理解されないものかもしれない。しかし、それをなすことに誇りが与えられ、豊かな報酬が与えられ、何よりも自由を与えられるということを、パウロは教えてくれているのだと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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