Tsukuba Gakuen Church, UCCJ

日本キリスト教団 筑波学園教会


これまでの礼拝から

2019年の礼拝説教 INDEX
1月 2月 3月
 6日「自由な者ではないか」
13日「見えることと見えないこと」
20日「ヨルダン川を渡る」
27日「共に福音に与るため」
 3日「私は良い羊飼い」
10日「この石は何ですか」
17日「試練と共に逃れる道をも」
24日「神殿奉献記念祭にて」
 3日「あなたの足から履物を脱げ」
10日「すべてを神の栄光のために」
17日「幻を抱いて一歩一歩を」
24日「ラザロよ、出て来なさい」
31日「7日目に7周すると」
4月 5月 6月
 7日「あなたがたのための」
14日「ふさわしくないままで」
21日「にもかかわらず」
28日「アカンは何をしたのか」
 5日「高価な無駄遣い」
12日「霊的な賜物」
19日「どこから来てどこにいるのか」
26日「説教題」
 2日「説教題」
9日「説教題」
16日「説教題」
23日「説教題」
30日「説教題」
7月 8月 9月
 7日「説教題」
14日「説教題」
21日「説教題」
28日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
29日「説教題」
10月 11月 12月
 6日「説教題」
13日「説教題」
20日「説教題」
29日「説教題」
 4日「説教題」
11日「説教題」
18日「説教題」
25日「説教題」
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
24日「説教題」
29日「説教題」

2018年の礼拝説教

2019年 5月12日(日)復活節第4主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 12章 1~11節』

12:01兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。 12:02あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。 12:03ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 12:04賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 12:05務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 12:06働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 12:07一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 12:08ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 12:09ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 12:10ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 12:11これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

説教:『霊的な賜物』

 説教を聞く

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 5月5日(日)復活節第3主日礼拝

『ヨハネによる福音書 12章 1~8節』

12:01過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。 12:02イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 12:03そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 12:04弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。 12:05「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 12:06彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 12:07イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。 12:08貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

説教:『高価な無駄遣い』

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 4月28日(日)復活節第2主日礼拝

『ヨシュア記 7章 1~13節』

07:01イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、更にゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。 07:02ヨシュアはエリコからアイへ数人の人を遣わし、「上って行って、あの土地を探れ」と命じた。アイはベテルの東、ベト・アベンの近くにあった。彼らは上って行ってアイを探り、 07:03ヨシュアのもとに帰って来て言った。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」 07:04そこで、民のうちから約三千の兵がアイに攻め上ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退した。 07:05アイの兵士は、城門を出て石切り場まで追跡し、下り坂のところで彼らを撃ち、おおよそ三十六人を殺した。民の心は挫け、水のようになった。 07:06ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。 07:07ヨシュアは神に言った。「ああ、わが神、主よ。なぜ、あなたはこの民にヨルダン川を渡らせたのですか。わたしたちをアモリ人の手に渡して滅ぼすおつもりだったのですか。わたしたちはヨルダン川の向こうにとどまることで満足していたのです。 07:08主よ、イスラエルが敵に背を向けて逃げ帰った今となって、わたしは何と言えばいいのでしょう。 07:09カナン人やこの土地の住民は、このことを聞いたなら、わたしたちを攻め囲んで皆殺しにし、わたしたちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、御自分の偉大な御名のゆえに、何をしてくださるのですか。」 07:10主はヨシュアに言われた。「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。 07:11イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。 07:12だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。もし、あなたたちの間から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちと共にいない。 07:13立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。

説教:『アカンは何をしたのか』

1.エリコを攻め滅ぼすにあたって神様は、「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」と言ったのだった。少なくともヨシュアはそう聞いたのである。恐ろしいことに、これをヨシュアは実行したのである。ところが、滅ぼし尽くして神様に献げるべきものの一部を盗み取った者がいたのである。それはアカンであった。神学校の入学試験に聖書の人物や出来事を答える科目があった。『アカンはあかん』と語呂合わせで記憶したのを思い出した。このアカンのやったことだけが理由ではなかったが、それが一つの理由となってイスラエル人は、アイという町の攻略に失敗し戦死者も出してしまったのである。一気に気力を喪失してしまったヨシュアたちに、神様は「あなたがたがこうなったのは、滅ぼし尽くせという私の命令に従わなかった者がいたからだ。それを一掃しなさい。」と言った。そこでどのような方法かは定かではないが、アカンが命令に背いたということがわかってしまった。アカン一族は、その財産もろともアコルという谷に引き出されて石を投げられて殺されてしまった。
 以上が書かれていることの概略である。一体これが今日の私たちに対して何を語りかけてくれているのであろうか。私の手元には、ヨシュア記の解説や注解書が多くあるわけではない。神様にすべて献げるべきとは具体的には1/10献金だと解釈している人もいる。私たちの中にアカンのように惜しむ心があってはならないと勧めるのである。ある解説書では、最もはっきりとこのヨシュア記に書かれていることは文字通りに受け取るべきものではないと勧めている。それは内村鑑三が書いている。1927年の『聖書之研究』の中で彼は、次のように言っている。「以上は、今より3000年前の野蛮時代にあったことである。われら今日のキリスト信者は、敵に対し罪人に対し、ヨシュアやイスラエル人が取った道を取ることはできない。敵をほふるとか、罪人を石にて撃ち殺すとかいうことは、われらがなさんと欲してあたわざるところである。しかしながら人生は戦争である。刀をもってする戦争はやんでも、霊をもってする戦争はやまない。我らにはわれらのエリコがあり、アイがあり・・・」と。なるほどと思う。私も同じように受け取った。やはり私たちにも戦いがあり、戦うべき敵がいるのである。しかしその敵とは、ヨシュア記や次の士師記が描くように、パレスチナ先住民ではない。まして、戦いとは彼らからその土地を取り上げ征服することではない。今日の私たちこそが直面している敵があり戦いというものがある。

2.その戦いとは何かを申命記は教えている。数と力において完全な人々であったパレスチナ先住民の中に、幾多の民の中で最も貧弱であったけれども神様の宝とされたイスラエル人が入ってゆかねばならなかった。神様が繰り返しパレスチナ先住民を滅ぼし尽くせと言ったのは、決して文字通りの意味ではなく、パレスチナ先住民の数と力に頼って生きる生き方に呑み込まれず滅ぼされないように、内面的にしっかりと対決して生きるということである。数と力では全くかなわないけれども、神様の宝ものであるという点によりどころをおいてパレスチナで生きのびてゆくということなのである。その意味での戦いだと言ってよいのである。
 けれども、数と力では完璧なパレスチナ先住民の中で一緒に暮らしてゆくうちに、いつの間にかイスラエル人も数と力に頼って勝利してゆくという生き方に汚染されていったのである。実は、それこそがアカンのしたことの根本であり、またアイとの戦い方の間違いの根っこにあることではなかったかと思うのである。そして、今日の私たちが最も戦わなければならない敵も、数と力に頼って生きて行こうとすることではないかと思うのである。そのようにして勝とうとすること、成功しようとすること、勝利し成功することに幸福を見いだそうとする生き方ではないかと思うのである。私自身のこととしても、そのように思うのである。
 『認知症カフェ』というラジオ番組の内容を私なりの言葉も付け加えて紹介したい。今や6人に1人が認知症になる時代だというのに、あいもからわず私たちの認知症への受け止め方は「そうなったら人生は終わりだ、生きている意味はない」というような考え方だと、その番組のコメンテイターが嘆いていた。「6人に1人が認知症になるということは、これが決して一部の人だけに起きることではなく、私たちの多くに起きることなのである。それだけ多くの人がそうなるということは、私たちの社会のあり方が大きく問われているし、変わってゆけるチャンスではないか」と。健やかなこと、何の欠陥もないこと、強いことだけが幸福だと思われている社会だが、しかし本当にそうなのか。6人に1人はそうではありえず、4人に1人は糖尿病になり、2人に1人はガンになり、そして1人に1人、つまりすべての人は死ぬのである。そういう時代にあって、いつまでもどこまでも健康であり、何の病気も欠陥もないところにのみ幸福や生きる意義を見いだすのはおかしいのではないか。そういう価値観は破綻せざるを得ないのである。
 私自身が最近、糖尿病だとわかり、また何となく頻尿の感じがあるのにも悩まされている。このような状態で、果たしてこれまでのように教区の仕事ができるのかと不安になる。私自身の中に、これまでのように何の心配もなく好きなものを食べ思い通りに仕事に当たりたいという思いがある。病いのない健やかな体で生きることにのみ価値を見いだし、そこにのみ幸福があるという思いからなかなか抜け出すことができない。これが、私自身戦ってゆかねばならない敵なのである。なぜこれが敵なのかと言えば、いつまでもどこまでも欠けのない者でなどあり得ず、幾多の思い通りにならないことを背負ってゆかざるを得ないからなのである。それを受け入れることが私たちの戦いだと思う。どのようにしたら、この戦いに勝ってゆけるのか。どのようにしたら、思い通りにいかない人生を受け入れることができるのか。

3.イスラエル人にとっての、また今日の私たちにとっての戦いとは、このようなものだということがわかった。すると、アカンのしたことの意味、またアイとの戦いに敗北した理由もよく理解できるのではなかろうか。
 まずアカンが懐に入れたものは、美しい上着と金銀であった(21節)。それはつまり、金銀や上着に象徴的に示されているようなものに頼って生きようとすることである。そうしたものを持つことに幸いを見いだす価値観である。アカンだけがこのようなことをしてしまったと捉え、アカン一家だけが石で殺して取り除かれた。しかし、アカンだけを責めることができるであろうか。その一家を石で殺してこと足りるのか。そうではないと私は思う。確かに神様に献げるべきものから盗んだのはアカンのみだった。しかし金銀や上着ではないが、パレスチナ先住民から武力によって土地を取り上げ、武力や土地・財産という数や力に頼って生きようとしていたのはイスラエル人全体だった。イスラエル人皆が、パレスチナ先住民から土地を奪い、土地を所有する生き方に幸いを見いだそうとしていたのだから、そこからアカンのような者が生じたのは当然だと言わざるを得ない。
 アイとの戦いに見えてくるものも同じである。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。2・3千人が行けばいいでしょう。取るに足りない相手なのですから」と偵察隊が報告し、ヨシュアもこれを受け入れた。数や力を測り、それに頼って勝利しようと考えていた。もっと言えば、勝つということのみを考えていた。ヨシュア記の御言葉そのものは決してそのような書き方はされていないが、私はその記述の背後から、金銀に頼り数や力によってのみ勝とうとすること、そもそも勝つということのみを考えて戦い、生きようとすることそれ自体が敗北をもたらすのだとのメッセージが私には聞こえてくるのである。5節に「民の心は挫け、水のようになった」とある。そもそも勝つということだけを求めて生きるなら、私たちもそうなるのだとのメッセージを聞くのである。

4、だからこそ神様の御心として、アイの戦いにおいて敗北をさせられたのではないかと思うのである。しかしヨシュア記は決して敗北したことをよしとはしていない。イスラエル人は、ただただ勝利することをよしとし、敗北の原因を捜してアカンを犯人として突き止めた。しかし実は、神様の深い御心は、敗北させることにこそあったのではなかろうか。
 残念ながらヨシュアをはじめイスラエル人は、そのような神様の深い御心を悟ることはできなかったのである。ただひたすら勝利することだけを求め、敗北した原因を作った犯人捜しをし、アカンを捜し当てて一族を処刑して、それによって取り除くべきものを取り除いたという記述になっているのである。神様もそれをよしとされたというように書かれている。しかし、そのようなことで取り除けるようなものではない。そもそも根源的に取り除くべきものとは、金銀や武力に頼ってパレスチナ先住民から土地を取り上げようという生き方であり価値観なのである。数や力に頼って勝利しようとする生き方そのものが取り除くべきものなのである。
 これを取り除くことは容易ではない。この敵との戦いに勝利するのは至難の業である。私たち自身の中に取り除くべき敵が深く深く巣くっているのである。これを石で除去することはできないのである。私はここにこそ、イエス様の十字架の死の意味があると示されるのである。突き詰めて言えば、イエス様は十字架の死によって敗北を引き受けて下さった。私たちのこの世の人生が敗北によって終わることをはっきりと突き付けて下さったのである。敗北に終わる人生を逃れることはできない。しかし、敗北に終わるところにこそ復活がある。敗北がなければ復活はない。敗北の象徴である墓がなければ復活はない。私たちの中にある取り除くべきものとは、滅ぼすべき敵を撃つ石とは、イエス様の十字架と復活という出来事なのである。それは確かに私たちの敵を撃つ石だが、私たちを殺してしまう石ではない。私たちを生かす石なのである。私たちをして、それぞれに与えられた十字架を引き受けることができるようにさせ、金銀や武力によってではなく、イエス様の十字架と復活に頼って生きるようにさせて下さるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 4月21日(日)イースター礼拝

『マルコによる福音書 16章 1~8節』

16:01安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:02そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:03彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:04ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:05墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:06若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 16:07さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:08婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

説教:『にもかかわらず』

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 4月14日(日)棕櫚の主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 11章 27~34節』

11:27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。 11:28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。 11:29主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。 11:30そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。 11:31わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。 11:32裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。 11:33わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。 11:34空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。

説教:『ふさわしくないままで』

1.棕櫚の主日は特別な礼拝の日である。イエス様が、過越の祭が始まろうとしていたエルサレムに入ったとき、人々が棕櫚の葉っぱを持って出迎えた(ヨハネによる福音書 12:12、なお新共同訳には「なつめやしの枝を持って」)とあることから、昔から棕櫚の主日と呼ばれてきた。イエス様は、この週の木曜日の夜に弟子たちとの最後の食事(最後の晩餐)をし、その後に逮捕され、裁判にかけられ、金曜日の昼頃に十字架にかけられた。そして日曜日の朝早く、遺体の葬られた墓に行った女性たちが、復活を伝えたのである。このようなことから、棕櫚の主日から始まる1週間は、受難週と呼ばれている。
 コリントの信徒への手紙(1)の11章27節から29節に「従って・・・飲み食いしているのです」とある。この27節と29節の聖句は、よく耳にする箇所だと思う。日本キリスト教団の式文として、聖餐式の「序詞」の中で読み上げるべき聖句としてあげられている。「・・・その測ることのできない愛と恵みとを私たちの心に刻み付けるために主は聖餐を制定されました」の後に、新共同訳とは少し違うが「ふさわしくないままでパンを食し、主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。また、主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分に裁きを招くと勧められています。」と続いている。
 私は、郡山教会で牧会していたときから、そしてこの教会での聖餐式においても、29節の御言葉を意図的に省いている。27節の「ふさわしくないままで」という言葉も、しばしば誤解されて受け取られることが多い。ましてや「裁きを招く」という言葉は「愛と恵みとを私たちの心に刻み付けるために」制定された聖餐式において口にするには、それこそ「ふさわしくない」と思う。もし朗読するならば、十分な説き明かしが不可欠だと思う。それがないままでこの御言葉だけが読まれたならば、聖餐式が裁きを招く機会として受け取られかねない。
 「ふさわしさ」は、全く本来の意味とは違って受け取られてきた。実際に私は、郡山教会の信徒の言葉として耳にしたことがある。その信徒は、聖餐を受ける朝に、夫婦ゲンカをしたという。それでその日の聖餐を受けるにふさわしくないと思って、実際に受けなかったという。ここでの「ふさわしさ」とは、それは言葉としては確かにそのような受け止め方で間違いはなかろう。しかしそれは、パウロが意図していた意味とは、全く違うのである。この信徒は、単に主観的にしか、単に気持ちの問題としてしか捉えていなかったのである。「ふさわしさ」を、そのように捉えたがゆえに、洗礼を受けていなくても、その日の礼拝に出席して、ぜひとも聖餐を受けたいと思うなら聖餐を受けてよいとする教会が、日本基督教団だけではなく全世界においても、そのような教会が増えてきたと聞く。この「ふさわしさ」もまた、極めて主観的な・気分的なものと思わざるを得ない。

2.そもそもパウロは「ふさわしさ」とは一体どのようなものだと言ったのであろうか。28節に「自分をよく確かめて」とある。自分のどのようなことをよく確かめればよいのであろうか。私たちのどのような状態が、聖餐を受けるにふさわしい状態なのであろうか。23節から26節をもう一度振り返ってみると、よくわかってくると思う。23節から26節に書かれているのは、パウロ自身が先達者から伝え聞いてきたところの最後の晩餐のありさまである。そのれが元になって聖餐式という儀式が、その時代から2000年後の今においても、ずっと守られてきているのである。この最後の晩餐に込められた意義を知ると、聖餐を受けるふさわしさが、どのようなことかが、よくわかってくる。
 はっきりとしたイエス様自身の意図により最後の晩餐の食事は、過越の祭の食事として守られたのである。イエス様は最後の晩餐を、わざわざ過越の祭の食事として守ることに、とても大事な意味を持たせようとしたのである。過越の祭とは、今から3500年近い大昔に、エジプトで奴隷だったイスラエル人が、とても不思議な形で、そこを脱出した出来事を記念して、彼らの正月として、長い間守ってきた。過越の祭の食事で決定的に大事なものは、小羊が犠牲とされることであった。それは、イスラエル人がエジプトから脱出したときに、小羊の犠牲が決定的な役割を果たしたことに由来している。犠牲として殺された小羊の血をイスラエル人の家々の入り口の柱や鴨居に目に見えるように塗ったことにより、『滅ぼすもの』という存在が過ぎ越していった。小羊の犠牲の血を塗らない家々には『滅ぼすもの』が入り込み、災いをもたらした。しかし、それを塗ったイスラエル人の家々は『滅ぼすもの』が過ぎ越していったのである(出エジプト記12章)。イエス様が最後の晩餐で、パンと杯を取り「これはあなたがたのための私の体である」と言い、「私の血によって立てられる新しい契約である」と言ったのは、過越の出来事に基づいて、はっきりと自分自身をこの小羊に重ね合わせて、「自分の体や血という犠牲が、弟子たちや、後々の者を『滅ぼすもの』から救うのだ」とのイエス様の意図が伝わってくる。
 ここにこそ、私たちが聖餐を受けるときの『ふさわしさ』がある。それは、私たちが『滅ぼすもの』から救われてゆくためには、イエス様の犠牲がなくてはならないという重大な思いである。「思い」という点では、確かに、「今日は夫婦ゲンカをしてきたからふさわしくない」とか「今はぜひ受けたい」とか、そのような「思い」と、主観的なものとしては同じだと言えよう。しかし、「私が救われるためには、イエス様の犠牲がなくてはならない」という思いは、もっともっと重大なレベルのものではなかろうか。私は医者嫌いで、頭痛のための薬をもらう以外は、ほとんど病院には行かない。しかし今度ばかりは観念して、医者のところへ行った。それは単なる気分の問題ではない。病院に行き、医師の診察を受け、必要な治療を施されるという客観的な行為として現れてくるものを含んでいる。

3.私は、私たちがイエス様の犠牲をいただくということを、ドナーの骨髄や臓器の移植を受けることにたとえて理解している。私たちは、心も体も病んでいる。そのままでは『滅ぼすもの』に滅ぼされてしまう。だから、そのような意味できわめて健康なイエス様から、病いも汚れもない骨髄や臓器の提供を受けねばならないのである。しかしそれは、単に私たちの勝手な気分でなされるものであろうか。「今日は受けたい」、「今日は受けなくともよい」などと言えるものであろうか。ひとりだけではなく、何人もの医者によって客観的な診断を受け、移植の必要があると認められた上ではじめて臓器移植はなされる。そこには、ドナーとなる人の命の犠牲がかかっている。だから移植手術を受ける側にも、それなりの客観的なふさわしさというものが必要なのである。だからそれと同じように、イエス様の犠牲をいただくことにふさわしい客観的なふさわしさというものが必要なのではなかろうか。
 私たちの信仰の歴史において伝統的に、それが洗礼なのだと理解されてきた。受洗準備会では、「洗礼とは、出エジプトのときに小羊の犠牲の血が、入り口や鴨居に、誰の目にもつくように塗られたように、イエス様の犠牲が、多くの人々の前で塗られるということです。だから洗礼は、原則こうして礼拝に集まった人々の前でなされます。」と必ず伝えている。洗礼の水は、イエス様の犠牲の血をあらわしており、それを注がれることは、言わばドナーとしてのイエス様の犠牲が移植されたことの現れなのである。洗礼を授けられたということは、客観的に、皆の前で、「私は生涯にわたってイエス様の命を犠牲として与えられねばならない病人です」と言い表し、その後の生涯を臓器移植を受けた患者として生きてゆくことを表している。臓器移植を受けた者は、生涯にわたって免疫抑制剤を飲み続けなければならないという。聖餐を受けるということも、そうである。洗礼においてイエス様の命を犠牲の移植を受けたという決定的な事実に立って、生涯に何度もイエス様の犠牲をいただくことが繰り返され、深められてゆき、ますますイエス様の犠牲をいただかねばならない者としてのありかたを強めてゆくのが聖餐なのである。移植を受けた者にふわさしいケアや治療を、生涯にわたって受けてゆくことになる。これが聖餐なのである。洗礼という生涯でたった1回きりの、イエス様の命を犠牲としていただくという大手術があって、それを受けたという体や心の前提があってはじめて、その後に聖餐においていただく犠牲が意味を持ち、体や心に有効に作用するのである。このように洗礼と聖餐とは、分かち難く深くつながっているのである。これを切り離すことはできないのである。「ふさわしさ」とはこのようなことなのである。

4.だから28節の「自分をよく確かめて」の意味は分かっていただけたと思う。それでは、29節の「裁き」という言葉はどのように理解したらよいのか。また30節はどう捉えたらよいのであろうか。伝統的には、式文の序詞として27節と並んで朗読されるべき聖句として掲げられていることからわかるように、この言葉も聖餐式についてのものとして理解され、ふさわしくないままで聖餐を受ける者は裁きを招くのだと読まれてきた。もし30節をそれにつなげれば、その裁きは「弱い者や病人」を生みだし、多くの者を死なせることにもなろう。果たしてふさわしくないままで聖餐を受けるなら、こういう裁きが生じるのだとパウロは勧めているのであろうか。
 コリント教会では、聖餐式と一般の食事である愛餐が混然一体としてなされていたので、パウロの勧めが一体どちらを対象として教えられたものなのか、区別がつかない。17節欄外のタイトルに『主の晩餐についての指示』とある。しかし17節から22節までに語られているのは、主の晩餐、すなわち聖餐式のことではなく、愛餐のことなのである。新共同訳の編集者でさえ17節から22節を、聖餐式と愛餐をまぜこぜにして読んでしまったようなのである。27節と28節には「パン・杯」という言葉があることから、これは聖餐式についてのことだと読んでいいと思う。しかし29節は「主の体のことをわきまえないで飲み食い」とあることから、これは愛餐のことを言っているものとして読むべきなのである。
 聖餐式と愛餐とは密接につながっている。聖餐式においてイエス様の命を犠牲としていただいた者同士は、いわばひとりのドナーの命や臓器を一緒にいただいて生かされている、まさにイエス様の血を分けた兄弟と言えよう。そうであるならば、自ずとその体の状態、経済的な状況、この世における生活状況にも当然心配りがなされてしかるべきできないかとパウロは勧めていたのである。そのようなことが29節でも勧めてられているのである。「聖餐において主の体をいただいている者同士として(「主の体をわきまえる」者同士として)、愛餐において飲み食いしなさい。お互いの体や生活状況に対して兄弟姉妹としての配慮を欠いているがゆえに、あなたがたの共同体に弱い者や病人や死んでゆく者が大勢出るのです。それは、聖餐共同体と愛餐共同体がばらばらになっているあなたがたへの神様の裁き・ペナルティだということです。しかし、裁きを受けるからこそ、真剣にその問題に立ち向かうことができるようになるのです。」と。私も糖尿病との診断を受けて、これまでの早食いや炭水化物盛りだくさんの食事のことをやっと改めることができた。同様に、教会の中に、もしも弱い者や病人が沢山いて、その人たちが、何の助けもいただけずに死んでしまうという状況があるなら、それは教会が重大な問題を抱えているとの裁き・ペナルティなのである。しかしそれを通して教会は、その問題に気づき、それこそ医師である神様とイエス様の診察を受け、ふさわしい治療を受けられるようになるのであろう。裁きとは、そのような恵み深い意味を持っているものなのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 4月7日(日)受難節第5主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 11章 17~26節』

11:17次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。 11:18まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。 11:19あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。 11:20それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。 11:21なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。 11:22あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。 11:23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 11:24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 11:25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 11:26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

説教:『あなたがたのための』

1.11章17節欄外のタイトルに『主の晩餐についての指示』とある。22節までに取り上げられている問題は、直接には『主の晩餐』─私たちが今は聖餐式と呼んでいるもの─についてではなく、愛餐と呼ばれる食事に関してのことである。それと深くつながることとして、23節以下に聖餐式のことが書かれている。初代教会の礼拝では一緒に食事をすること、すなわち愛餐会と呼ばれることが、とても大事にされていたようである。どのような形であったかはわからない。もしかすれば礼拝そのものが、人々が一緒に食事をする中で守られていたのかもしれない。そして、それと混然一体とした形で、儀式としの聖餐式も守られていたようである。この愛餐会のあり方に、大きな問題が生じていた。21節に「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」と書かれている。このような形で、自由が行使されていた。「自分が持ってきた物を自由に食べて何が悪いか」という主張がされていたのであろう。このために、「あなたがたの集まりが、良い結果よりはむしろ悪い結果を招いている(17節)」といった状態になってしまっていた。礼拝に集うことが、かえって互いの溝を深くし、対立をあおるような結果を招いていたのである。

2.このことからまず大いに考えさせられた点があった。集まることが、かえって良い結果ではなく、悪い結果を生み出してしまっているということが、古今東西、私たちの教会でも、ずっと繰り返されてきた。私自身、そうした現実を数多く見聞きしてきた。私の父は秋田の教会で、長く役員をしてきた。その教会の移転問題を巡って、牧師や他の役員と対立し、私が郡山教会の牧師となり秋田県から郡山に転居してくるまで15年近くにわたって、教会を離れてしまっていた。また、私が神学生として教会生活を送っていた東京のTという教会でも、あるいは東北教区のHという教会でも、牧師に辞任を求める人々と、それに反対をする人々で教会は激しく争っていた。そんなありさまを見るにつけ、私は「一体なぜ教会は、争ってまで集まるのか」という疑問を抱いた。17節にあるように、集まることが、かえって良い結果よりも悪い結果を生じさせている教会が余りにも多いのである。そんな教会の現実に辟易し、また大きな失望を抱えて、教会生活から離れてしまう人々も多い。一人静かに聖書を読み、祈り、礼拝のインターネット中継で見て、それで良いではないかという人々もいる。気の合った者同士だけで集まって礼拝のようにしている人々もいる。そんな疑問から、私の神学大学での修士論文は『教会はなぜ集まるのか』を探求しようとしたものであった。ここまで悪い結果を生じさせても、なお信仰者は集まるべきなのであろうか。集まることが信仰生活の本質なのであろうか。私なりに得た答えはイエス、すなわち「集まるべきである」だった。

3.今私が掲げた問いに、ここでパウロは直接答えているものではない。しかし、間接的にではあるが、「なぜ私たちは集まらねばならないのか」ということに答えてくれていると思うのである。23節から26節まで記されている聖餐式の由来となっている最後の晩餐の様子が、それである。
 ここに書かれているのは言うまでもなく、今日の私たちが聖餐式を守るときに必ず『制定語』として牧師が読み上げるものである。イエス様は、自身の受難の時を、過越の祭の中に求めた。それはイエス様自身の明確な意図であった。だからイエス様が、弟子たちとなされた最後の食事は、過越の祭において守られた。イエス様は、そこに決定的に大事な意味を持たせた。パンについてイエス様は、「これは、あなたがたのための私の体である」と言った。ぶどう酒の入った杯についてイエス様は、「この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である」と言った。このイエス様の言葉から、ひしひしと伝わってくるのは、これから十字架の上で裂かれるイエス様の体が、過越の祭の食事で裂かれるパンであり、また犠牲として屠られた小羊の肉なのだという思いである。また、ぶどう酒は、その小羊の血であり、その血がイスラエルの人々の家々の入り口の柱や鴨居に塗られることによって『滅ぼすもの』が過ぎ越していったことを、イエス様は明らかに思い起こしておられた。イエス様は「小羊たる私の流す血によって、私が犠牲となることによって、あなたがたは滅ぼす者から救い出され神様との新しい間柄、つまり契約関係に入れていただけるのだよ」と考ておられたのである。
 ここに、私たちの信仰の最も根幹となる部分があると私は思うのである。まずここにこそ、私たちが集まる必然性が含まれていると改めて感じるのである。最後の晩餐には、私たちがイエス様の犠牲をいただく者なのだという根源的な関係が示されていた。私たちはイエス様の犠牲をいただく者でなければならない。それを抜きにしては、私たちの信仰は成り立ち得ないのである。では、私たちが具体的にイエス様の犠牲をいただくということは、一体どこで成立するのであろうか。私たちは具体的に、どのような場で、イエス様の犠牲をいただくのであろうか。それは私たちがたった一人で聖書を読み祈ることで可能であろうか。インターネットで礼拝を見ることで可能であろうか。
 なぜ私たちは集まらねばならないかを教えるイエス様の最も大事な言葉のひとつは、マタイによる福音書の18章20の言葉である。イエス様は「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」と、私たちに教えた。なぜ最小でも二人の人間が集まることが必要なのであろうか。なぜそこにしかイエス様はおられないのであろうか。それは、目には見えないイエス様に代わって、誰かが私たちに、イエス様の犠牲のしるしであるパンや杯を与えることが絶対に必要だからなのである。聖書の御言葉を説き明かし、神様の恵みを与えてくれる存在が不可欠だからなのである。ひとりでは、自分が自分に与えることしかできない。しかしそれでは、「これはあなたがたのための」と言って、自分を犠牲として与えて下さったイエス様を記念することにはならない。教会とは、私たちが他者から『与えられる』共同体なのである。与えてくれる他者を通して、イエス様を記念し、思い起こす共同体なのである。だからこそ集まらねばならないのである。最小でも二人、与える者と与えられる者との関係が不可欠なのである。もし集まらないなら、それは「私には、もはや与えられる必要はない」という態度を表していることになる。「自分はひとりで足りているのであって、誰からも与えられる必要などないのだ」との態度の表明である。しかしそれは、私たちのために犠牲となって下さったイエス様を不用とする態度である。それは「これは、あなたがたのための」と言って命をかけて下さったイエス様を拒む態度なのである。それは信仰者の有り様ではない。

4.私はしばしば、イエス様の貴い犠牲をいただいて救われ癒される者となった私たちを、イエス様からの命をかけた臓器提供を受けた移植患者にたとえる。私たちは、イエス様の臓器移植を受けた患者同士なのではなかろうか。そこには何とも言えない結び付きが生じている。なぜなら私たちは同じひとりの人の命の犠牲をいただいて生かされている者同士なのである。その結び付きは、たとえば、ある人の移植を受けた部分が不具合を起こしたようなときには、今度は私がドナーとなるようなことを意味している。骨髄移植を受けた人の血液型が変わることがあると聞いたことがある。ドナーとなった人の血液型に変わるのだという。だとすれば遺伝子レベルでも変化し、同じドナーから移植を受けた者同士が万一の時には互いに移植しやすいことも生じるのではなかろうか。そのようにして、移植を受けた者同士が助け合うのである。
 最後の晩餐の制定語においてイエス様は、「あなたがたのための」と言っている。それは文字通りには、弟子たちが複数いたことによる言葉である。しかしそれ以上に「あなたがたは私の犠牲を、複数で、『あなたがた』と呼ばれる者として、同じ仲間として受けなさい」との心が込められているように思えてならない。それによって、同じく移植を受けた者が、もし不具合を抱えるなら、今度はあなたがドナーとなりなさいとの心が示されているのである。受洗準備会の時に「なぜ私たちが集まるか」を学ぶ上で必ずふれるイエス様の言葉は、ルカによる福音書の22章32節の言葉である。イエス様は、ペトロがイエス様を知らないと言ってしまうことを予告しながらも、彼は必ず立ち直ることも告げた。そしてイエス様は「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言った。ペトロが立ち直るのは、ただイエス様によってであった。ペトロは自分で自分をそうすることはできなかった。そしてイエス様から与えられたものによって立ち直ることができたなら、今度はそれをもって兄弟たちを力づけることができる。与えられたものをもって、今度は自分が与えるものとなるのである。イエス様から与えられた者との根源的関係が、今度は与える者となるという有り様へとつながってゆく。だから集まることが不可欠なのである。

5.パウロは、このように聖餐式の制定語を教えて、それを土台にして一緒に食事をする愛餐会のありかたをただしたのである。教会はあくまで聖餐共同体なのであって、それは愛餐会を守ることとは何の関係もないとよく言われる。たとえば、「教会の中に経済的な格差があって、礼拝に集う者の中のある人が、たとえ空腹を抱えていたとしても、それは教会が礼拝共同体であり聖餐共同体であることと何の関係もない」と言われることがある。しかし、パウロが聖餐式と深く結びついたものとして愛餐会のありかたを取り上げ、礼拝に空腹を抱えたままで放置されている人のことを聖餐式と深くつながっていることとして取り上げているということをよく考えていただきたいのである。パウロは「どんなに聖餐式をりっぱに守っていても、それと分かち難く結び付いている愛餐会で貧しい人が空腹を抱えているのを放置している教会をほめるわけにはいきません」と叱っているのである。
 私たちが集まるのは、何よりもイエス様が私たちに与えて下さったことを記念するためである。誰かが与える者となって、イエス様を想起する。そして、与えられた私たちは、今度はお互いに与える者同士になる。与える者同士になり、互いに力づける者となるためには、この世の食べ物によって養われる健やかな体であることも、当然に含まれているのではなかろうか。だれかを信仰において力づけてゆけるには、体の面でも元気でなければできない。聖餐共同体であるということは、この世の食事を共に食べるということと分かち難く深くつながっているのである。その点への配慮を欠く教会であることはできないのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 3月31日(日)受難節第4主日礼拝

『ヨシュア記 6章 1~5節』

06:01エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった。 06:02そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。 06:03あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。 06:04七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。 06:05彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」

説教:『7日目に7周すると』

1.ヨシュア記6章に書かれているこの出来事は、旧約聖書の中でも、とてもよく知られた有名なエピソードである。エリコの町の城壁が崩れ、イスエラル人がこの町を占領することができたという。かつてこの町に、イスラエル人の斥候2人が遣わされた際、彼らをかばった女性ラハブの一家は難を逃れた(2章)ということも、22節以降に書かれている。1930年代に行われた考古学調査によればエリコの町は、紀元前1400年頃に、恐らく地震によって崩落し、その後には大火にみまわれたようである。ヨルダン川がせき止められたという不思議な現象も、上流の崖の崩落によって引き起こされた歴史的事実がわかっているという。
 ヨシュアが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ(17節)」と命じ、それが実行された。「男も女も、若者も老人も、また・・・剣にかけて滅ぼし尽くした」と書かれている(21節)。これを一体どう受け取ったらよいのか。申命記7章2節にも、モーセが伝えた神様の言葉として、「パレスチナ先住民を滅ぼし尽くさねばならない」とあった。「パレスチナ先住民を滅ぼし尽くせ」と、神様もしくは指導者が語る場面は、ヨシュア記の中に何度も出てくる。
 福音派(聖書を、書かれた文字の通りそのまま神様の御心として読もうとする教派の人々)による旧約聖書注解全集(いのちのことば社刊)には、この箇所について次のように書かれている。「(この戦いは主の戦いであって)主の戦いにおいては、敵の人民、所有物は、すべて主に帰するものとして滅ぼし尽くさねばならない。そこには、人間的な同情心とか、貴重品をこわすのは惜しいという愛着心は許されない」と。そして、この絶滅のことを『聖絶』と表現している。ここには「はたして、神様自身が、このような命令を下すであろうか」といった問いは一切ない。人間的な同情心によるものとして退けられている。私には、このような理解は、到底受け入れられない。今から3千数百年前の虐殺が聖なる絶滅として大いに称賛されるのであれば、今もまたこれからも、同じような絶滅や虐殺が、神の命じる聖なることとして称賛されることとなるであろう。「私たちの信じる神様が命じることならば良くて、他の神々が命じることならばテロや虐殺として許されない」ということでよいのか。

2.もし仮に、神様自身が「滅ぼし尽くせ(申命記7章)」と言ったのならば、その御心は決して文字通りに剣にかけて本当に殺すことを意味しているものでは決してないと、私は理解する。神様の御心の根底には、エリコの町やパレスチナ先住民の生き方や価値観というものが、イスラエルの人々を呑み込んでしまうということがあったのだと思う。滅ぼし尽くされるのは、むしろイスラエルの人々の側だったのである。その価値観とは、申命記7章の言葉で言えば、「あなたに勝る数と力を持つ7つの民」という表現で言い表されている。エジプトを脱出し、その後アラビア砂漠を40年間も彷徨った難民としてのイスラエル人であった。彼らは、巨人のようだと描かれていたパレスチナ先住民と比べれば、圧倒的に少数者であった。むしろ滅ぼされ尽くされてしまうとしたら、それはイスラエル人のほうであった。だから、そうならないように厳しく対峙し(実際は滅ぼし尽くすことなどできないのだから)、内的な意味で、また精神的な意味で、エリコやパレスチナ先住民の生き方や価値観を「滅ぼす」ということなのである。つまり、それは彼らの生き方や価値観に呑み込まれないようにしっかりと否定してゆくということを、意味しているのだと思う。
 では、エリコの人々やパレスチナ先住民の生き方や価値観とは、どういうものだったのか。それは、1節の「城門を堅く閉ざす」という言葉や、2節の「エリコとその王と勇士たち」という言葉に言い表されているのだと思う。それは、自分たちの生活を、城門を堅く築いて武器を持った勇士によって守ろうとする生き方である。すなわち、自分たちがこれまで築いてきた生活が守られることが幸いだという価値観である。このような生き方や価値観は、旧約聖書において絶えず神様によって批判されている。イザヤ書45章1節後半から2節にかけてに、こうある。「(神様が油を注いだキュロスという人によって)扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える」と。「私たち自身が王様となり武具を備えた勇士となって城門を築いて自分を守ろうとする生き方は、必ず神様によって破られる。しかし、破られることによってこそ、実はそれまでは私たちにはわからなかった宝や富を発見する機会となる」とイザヤは語っている。
 こうしたことから、城門を築き武装した勇士によって生活を守ろうとするのは、何もエリコやパレスチナ先住民の人々だけではなく、イスラエル人もそうなのであり、ひいては私たちすべてがそうなのだと気づく。もし、これを文字通り「滅ぼし尽くさねばならない」としたら、私たち人間すべてが滅ぼし尽くされてしまわなければならないことになる。滅ぼされねばならない生き方は、私たちすべての中に深くふかく存在している。決してエリコの人々だけがそうだったとは言えない。私たち自身は滅ぼされる側にはいなくて、ただエリコやパレスチナの人々だけが滅ぼされる側の者だという解釈をしてはならない。私たち自身の内奥に、滅ぼされねばならないものが存在しているのである。

3.この聖書箇所が「私たちがどんなに城門を堅く閉ざして自分自身が王や勇士になって侵入者から身を守ろうとしても、神様はそれを打ち破る」ということを教えようとしていると受け止めることができる。また、エリコの町は城門を堅く閉ざして、王や勇士を配置して神様の御業の侵入に刃向かった。だからこそ、被害も甚大だったのである。城壁は崩れ、ほとんどの人が犠牲になってしまった。そのように、私たちも城門を堅く閉ざし、王や勇士を配置して神様がなさろうとする御業に抵抗してしまうなら、むしろかえって被害は甚大になってしまう。悲惨さが増してしまう。どんなに城壁を堅くしても、それを破る神様の御業がある。神様はどのような城門をも壊してしまう。そうであるならば、神様の御業を受け入れたいと思う。むしろ、そこに幸いがあると信じて受け入れたいと思う。
 私たちの周囲の至るところで、城門を堅く築き勇士となって戦おうとするがゆえに甚大な被害を被っている人々がいるように思う。イザヤ書65章17節から25節までの中に「神様に選ばれた私たちの一生は木の一生のようになる」という、不思議な御言葉があった。文字通りの意味は、木のように長生きをするということであろう。樹木がなぜ500年も1000年も長生きするのか。そこには、木の多くの部分が死んでいるからだと書かれていた。とても驚いて記憶に残っている。死んだ部分は固くなって木を支え、あるいは管の役目を果たして水や栄養分を送る働きをする。木には死んでいる部分があってはじめて、長生きができるのである。神様の御業とは、比喩的な意味で私たちにも様々な意味での『死』というものを生じさせ、それがあるからこそ、私たちは花を咲かせたり実を付けるということがあるのではなかろうか。私たちがどんなに城門を堅く築いても『死』は入り込んでくる。私たちはみな、若いまま健康なままではいられない。しかし、そのことことにこそ、木の一生のように「生きる」ということがあるのではなかろうか。それが神様の御業ではなかろうか。

4.エリコの城壁を崩す神様の御業は、イスラエル人が7人の祭司に先導されて契約の箱を担ぎながら、1日に城壁を一周し、7日目には7周した。そのことをきっかけに起きたとの御言葉から示されることである。聖書には7という数字が何度も出てくる。ヨハネによる福音書にも、イエス様の奇跡が7回記されている。7という数字はとても幸運な、祝福された神様の御業の訪れを告げる数字である。確かに目に見える現実としては、エリコの城壁が崩れ、人々は災難にあった。私たちも、様々な試練にあい、多くのものが失われ崩壊してゆく。しかし、それはすべて7という数字のもとになされるところの、私たちに幸いをもたらす神様の御業なのである。イエス様が7度の奇跡をなされて、私たちを救い癒されたように、私たちを祝福して下さる神様の御業なのである。
 7日目に7周するということが、堅く閉ざされていたエリコの城壁を崩したというところに、わたしはとても深い意味を感じる。7日目の7周とは、明らかに安息日を象徴的に指している。創世記2章1節には、神様は創造の7日目に、「ご自分の仕事を完成され・・・安息なさった」とある。契約の箱を担ぎながら7日目の7周をゴールとして歩むということは、神様の創造の7日目の『安息における完成』という、ある意味では、大いに矛盾するようなことを担ぐことを意味している。それこそが、エリコの町の人々にしても私たちにしても、城壁を堅くして自分を守ろうとする生き方を崩してゆくのである。崩すことで入り込んでくるのは、決して破壊ではなく、創造の御業なのである。私たちを7という数字で祝福して下さる神様の創造の御業なのである。
 城門を崩す神様の御業を、このように私たちを祝福する幸いの訪れと受け取れることが、とても大事ではなかろうか。そのために大切なのは、私たちも、7日目に7周というリズムによって生きる、すなわち7日目毎に礼拝を献げる歩みをすることが、とても大事だと思うのである。私たちが7日目毎に礼拝を守るということは、神様の創造のリズムと連動し呼応して生きるということである。こうして、たとえ城壁が崩れようとも、それはまことに幸いな神様の御業として受け入れるようになれるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 3月24日(日)受難節第3主日礼拝

『ヨハネによる福音書 11章 38~44節』

11:38イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 11:39イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 11:40イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 11:41人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 11:42わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 11:43こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 11:44すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

説教:『ラザロよ、出て来なさい』

1.11章にはこのようなことが記されている。ベタニヤ村に、マルタとマリヤという姉妹(この二人は新約聖書に登場する女性たちの中では名の知れた人々である)がいた。ラザロとは、その姉妹の兄弟であった。ラザロは、おそらくは、マルタとマリヤの兄ではなく弟ではなかったかと私は想像する。そのラザロが、重病になってしまった。そこで二人の姉は、他所にいたイエス様のもとに使いを送って「あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えた。「早く見舞いに来て下さい。できることなら彼の病気を治してください。」と願ったのであろう。11章5節には、念を押すかのように「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」とある。そうであるならば当然、病気の知らせを聞いたイエス様は、ラザロのもとに駆けつけるであろう。しかし、イエス様は「この病気は死で終わるものではない」と言い、ラザロのもとへすぐに行かずに二日間も、そこに滞在した。そうこうしている内に、ラザロは死んで埋葬されてしまった。そこにやっと、イエス様が来た。マルタとマリヤはいろいろな嘆きや恨み節を口にした。そのあと、この38章に続いてゆくのである。
 ヨハネによる福音書には、イエス様が行った不思議な働き─奇跡─が全部で7回書かれている。ラザロが生き返ったことを伝えるこの出来事は、その一連の最後、すなわち7番目にあたる。私たちにとっても7という数字は、ラッキーナンバーとされている。それはもともと聖書に由来する感覚なのかもしれない。聖書においては、7という数字は完全数である。この福音書を書いたヨハネにとって、このラザロの生き返りの出来事は、イエス様がこれまでなさってきた奇跡の完全版のような意味をもっていたのかもしれない。ヨハネは、福音書の総まとめのような意味を持つエピソードとして、これを記したに違いない。それではこの出来事は、どのような意味で7つの奇跡の総まとめなのであろうか。

2.読んでみると、7つの奇跡には幾つかの共通点があることに気づかされる。その共通点が最も強くはっきりとした形で出ているのが、このラザロの出来事なのではなかろうか。このラザロの出来事に最もはっきりと表れている共通点は、3つある。
 第一の共通点は、イエス様が不思議な働きをするにあたって、その当然の前提として、困ったことや難儀さを抱えた登場人物が描かれている点である。最初のカナの結婚式では、ぶどう酒が足りなくなったという困ったことから始まって、その難儀さは徐々に深まっていった。そして7番目の出来事に至っては、とうとうラザロは死んでしまい、あまつさえ生きている人間にはいかなる手出しもできない状況として、墓に葬られ腐敗さえ始まった状況であった。
 この状況をとても象徴的に表しているのが、38節から41節で3度にわたって言及される「石」という言葉だと強く感る。ラザロが葬られた洞穴の墓の入り口は、石でふさがれていた(38節)。イエス様が「その石を取りのけなさい」との言葉に、マルタは「主よ、4日もたっていますからもう臭います」と答えた。「いまさら何をしてももう無駄なのです」という思いが、ひしひしと伝わってくる。これに対しイエス様は、「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」と言った。そこで人々はやっと石を取りのけたのである。墓穴の入り口を石でふさぐのは、ごく当たり前のことだった。私はそこに、大事な人を失ってしまった私たちが、そのことに対して抱く、いかんともしがたい重々しい悲しさのようなものを感じる。私たちは、最愛の者の死を、どうすることもできない。最愛のものを失った人の心には、動かし得ようもない重い石が置かれてしまうのである。私たちには、その石を取りのけることはできない。7つの奇跡に登場する人々は、皆がこのような重い石を置かれてしまっていた。生きて行く上で、そのような石が覆いかぶさっている・・・私たちは皆そういう者ではなかろうか。自分の力ではどうしようもできない重い石をのせられている者なのである。

3.二番目の共通点は、このような石でふさがれている私たちのもとにイエス様が来て「それを取りのけよ」と言ってくださることである。「主よ、4日もたっていますからもう臭います」「何をしても無駄です」「この重い石を取りのけることなどできません」と言っても、「信じるなら神の栄光を見ることができる」と励まし、石を動かせて下さる。人々が石を動かし、41節にあるようにイエス様が祈りを捧げ、「ラザロよ出て来なさい」と声をかけて下さったことで、ラザロは生き返ったのである。
 私がここで特に心を動かされた点は、勿論全体の主人公はあくまでイエス様であるのだが、そこに私たち人間の果たす役割も、大事なものとしてあるということなのである。驚くべき奇跡が始まってゆくのは、イエス様が墓場に来て、腐ってゆく死体に「出て来なさい」と声をかけて下さったことによる。しかし、イエス様の驚くべき奇跡が表れてゆくためには、私たちの側の行いも決定的に大事なのである。「信じるなら神の栄光が見られると言っておいたではないか」とのイエス様からの励ましを受けて、大きな石を動かすことが大事なのである。
 最初の奇跡であるカナの結婚式においても、同様のことがあった。あるときのイブ礼拝で、そのことに心を動かされたと、ある人が私のメッセージへの感想を下さった。足りなくなったぶどう酒を与えられようとしたとき、イエス様は、わざわざ召し使いに空の器にただの水を汲ませた。そのただの水がおいしいぶどう酒に変わった。人々にやらせなくとも、イエス様なら自分の力で石を動かすこともできたはずである。しかしイエス様はそうはしなかった。「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」というイエス様の言葉を信じた人々が石を動かしたのである。そのことがイエス様の祈りを呼び起こし、ラザロへのイエス様の声かけへとつながっていったのである。
 私が心を動かされたのと同じようなことを感じた人がいた。救世軍の指導者であった山室軍平の聖書注解全集『民衆の聖書』の『ヨハネ伝』において、彼はこんな解説をしている。「『天はみずから助ける者を助ける』。わたくしどもが何事にもその人事を尽くして天命をまつ覚悟が大切である。イエスはラザロの墓のかたわらに立ち、彼をよみがえらせようとするにあたり、まず『石をのけよ』と傍人に命じたもうた。これはどこまでも、人間にできるだけのことはさせた上で、その及ばぬところのみを、神のみ力にまかせようとのおぼしめしであったようにみえる。」と。そして彼は、その後にやはりカナの婚礼の出来事を記しているのである。
 奇跡を起こす主人公は、あくまでもイエス様である。イエス様がいなかったならば、私たちが何をしようと何も生み出すことはできないのである。しかし、信じて水を汲み、石を動かそうとするなら、それは起こるのである。私たちにどんなに重い石がおおいかぶさっていたとしても、それは動かされてゆくのである。この奇跡物語が私たちに語りかけてくれることは、私たちに最も強く明確に促して下さることは、「あなたがたにも石を動かすことができるのだよ」という励ましであると感じるのである。さまざまな重い石を前にして、私たちはマルタのように「もう4日もたっていますから臭います。何をしても無駄です」と言ってしまう。しかし私たちにも、その石を動かすことはできるのである。そして、私たちがそうすれば、イエス様は、今はもう目に見える形でその姿を見ることはできないが、天におられるイエス様は、天から私たちのために祈って下さり、ラザロの墓の石が取りのけられていったように、私たちにも何かが起きてゆくのである。

4.イエス様が「出てきなさい」と声をかけると、その声に応じて「死んだ人が、手と足を布で巻かれたまた出てきた」というのである。これが、7つの奇跡物語に共通するそしてラザロの物語に最も完全にはっきりと表れている3番目のことである。イエス様の関与と祈り、そしてそこに私たちのささやかな働きが加わることによって、もはやただ腐敗していくだけの存在だったはずの死人がイエス様の言葉を聞き、応答することのできる者とされるのである。
 私は「ラザロ型」という信仰のタイプがあるのではないかと昔から思ってきている。女性は、聖書のマルタとマリヤを通して、誰々はマルタ型だとか誰々はマリヤ型だとかということを耳にしたことがあるのではなかろうか。信仰者として、どちらかと言うと行動的に奉仕することに喜びを見いだすマルタのようなタイプと、マリヤのようにただじっと礼拝を守り祈ることに喜びを見いだすタイプがあるとよく言われる。しかし、私はもうひとつ、彼女たちの兄弟であるラザロ型というものもあるのではないかと思うのである。新約聖書に登場する女性たちの中で、マルタとマリヤは良く知られている姉妹である。それなのに、なぜかその兄弟のラザロのことは、ここだけにしか出てこない。マルタとマリヤが何度もイエス様をその家に迎えたのに、その時ラザロは一体どうしていたのであろうか。これは私の勝手な想像だが、もしかしたらラザロは、姉たちに反発しイエス様の話など聞こうとしなかったのではなかったか。ラザロは、生きていて元気なうちはイエス様を信じることができなかったのではなかったか。しかし、死んで腐り始めてゆく者となったとき、はじめて自分を呼んで下さるイエス様の声に素直に従うことができたのではなかろうか。死んでこそイエス様の声を聞き、それに応答し、イエス様を救い主として信じる・・・それが私の思うラザロ型である。
 「死んで腐ってゆく者になど、もう何の価値があるか」と世の多くの人々は思っている。墓に葬って、重い石を乗せて、封をしておくしかない存在だと思っている。しかし決してそうではないと、この出来事は語りかけてくれるのである。むしろ、死んだ者こそが、誰よりもイエス様の声を聞き分け、腐ってゆく自分に絶対に不可欠な声と、そうでない声を聞き分けることができるのである。この世で生きている時には、様々な声や思いが邪魔をしてイエス様の声を救い主の声として聞き得ない私たちである。しかし死んでこそ、腐敗してゆくだけの者となったときにこそ、はじめてその自分になくてはならない声としてのイエス様の呼びかけを受け止めることができるようになる。この福音書の5章25節に「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。その声を聞いた者は生きる。」とある通りである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 3月17日(日)受難節第2主日礼拝

『箴言 16章 9節、29章18節』

16:09人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。

29:18幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。

説教:『幻を抱いて一歩一歩を』

1.私たちの筑波学園教会の創立は1978年3月21日である。創立記念日礼拝ではいつも、その年度の年間主題聖句を読む。今年度の聖句は、旧約聖書の箴言から2箇所。私たちは、これら二つの聖句を合わせて『幻を抱いて一歩一歩を』という標語を掲げて歩んできた。なぜ聖書のひとつではなく、わざわざ二つの言葉を掲げたかという点に大きなポイントがある。
 まず、29章18節に「幻がなければ民は堕落する」とある。一体なぜ幻がなければ民は堕落すると言うのであろうか。ここでいう幻という言葉は、しばしば誤解される。幻とは、私たち人間が勝手に抱く見果てぬ夢のようなものとして受け取られてきた。そのため、幻を抱くことが、かえって私たちや教会を滅ぼしてしまったという歴史がある。しかし注解書によれば、ここで幻と訳された原文の言葉の本来の意味は、預言者に神様が与えたメッセージや将来のビジョンを指すというのである。別の言葉で言うと「啓示」であると解説されている。54年版の口語訳聖書では「預言がなければ」と訳されていた。これが、どういう意図なのか、この新共同訳では「幻」と訳されている。一体どこに、そのような訳があるのか、未だに不明であるが「幻なき民は滅びる」とも翻訳されているという。

2.さて、ここで語られていることが、本来は神様が示して下さる将来のビジョンなのだということがわかった。そこから、それがなければ私たちが滅びてしまうということ、堕落してしまうということは、よく理解できると思う。神様が示して下さる将来のビジョンが「ない」という状態は、たとえて言えば、真っ暗闇の海の上を、目当てとする星も灯台も何にもない状態で進むようなものであろう。一体自分たちがどこを目指して進んでいるのかということが、全くわからない。自分たちがどこへ向かうべきかということが、しっかりとわからなければ、ただただ、自分たちを取り巻いている現状に左右され、とんでもない方向へと舵を取ってしまうかもしれないのである。
 私の勝手な想像であるが、この箴言の御言葉が語られたのは、バビロン捕囚の最中であったかもしれないと思うのである。半世紀以上、バビロンに捕虜として抑留されていたの状況が、一体どういう未来につながっているものなのか、この苦難を通して自分たちにどんな将来が与えられているのかがわからなければ、ただただ捕虜として抑留されている現実だけに左右されてしまう。目の前の現実にのみ左右されてしまうことは、結果的にはイスラエル人を滅ぼしてしまうことになったであろう。祖国を滅ぼした憎きバビロニアの人々への復讐心に翻弄されてしまったかもしれない。そのような彼らに必要だったのが、神様から示される将来のビジョンだったのである。
 エレミヤ書29章10節以下には、「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。・・・わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」とあった。幸い現在の向こうに、希望あふれる将来があるとの幻とあいまって、10節の前の段落では、バビロンに連れてゆかれたら、そこに家を建て、妻をめとって子をもうけ、平和に過ごしなさいと語られている。決してバビロニアの人々を憎んだりテロを企てたりしてはならないと語られている。このような神様からの語りかけがあったからこそ、イスラエル人は半世紀以上の抑留生活を耐え得たのではなかったか。どれほど神様自身が示して下さる幻というものが不可欠であったかが、よくわかる。
 私は今日の教会にとって、どれほどこのような幻が不可欠かとしみじみ感じるのである。先日、教区の主事に、関東教区全体として、この10年間教勢がどのように推移しているかを調べていただいた。現住陪餐会員も、経常収入も、いずれも約1割弱減少しているとのことだった。私たちの教会も、おそらく同じことが言える。今後ますますその傾向は強まってゆくであろう。その先にどういうことが待っているのか。よく言われるように、もしこのまま教会が消滅してしまうというような将来のビジョンしか抱けないならば、私たちはこの現状に右往左往し、すぐ後に述べるような目の前の事態への対策に走ってしまうことになる。この現状にのみ支配されてしまう。そうであればこそ、不可欠になるのは、神様自身が示して下さる将来のビジョンなのである。神様が私たちに抱いておられるのは、たとえ教勢が右肩下がりのものであったとしても、災いの計画ではなく、平和の計画なのであり、将来に希望を与えるものなのだと、しっかりと示されねばならない。
 これは、教会にとってだけではなく、私たち一人ひとりの人生にとってもそうなのである。私自身、先日、糖尿病の宣告を受けた。皆さんは「何をおおげさに」と言われるかもしれない。しかしこのようにして、ひとつひとついろいろな辛い宣告を受け、これまで持っていた健やかさやプラスをひとつひとつ失ってゆくのである。私たちの人生そのものが、右肩下がりなのである。そうであればこそ、その将来に希望があり神様が私たちに計画して下さっているのは、災いではなく平和の計画なのだと知ることが不可欠なのである。ひとつひとつ失ってゆくことの中にも、神様の良き計画があると知ることが不可欠なのである。そういう意味での幻がなければ、私たちは滅びてしまうのである。

3.幻がなければ民は堕落するとは、もともとはこのような意味なのである。しかし、最初にも申し上げたように、この言葉は、しばしば曲解されて読まれることが多かったのである。
 私の前任地である郡山教会では、クリスチャンで精神科医師の工藤信夫先生を、特別伝道集会の講師として三度ほど招いた。最近では、あまり工藤先生のお名前をお聞きすることがない。先生は、10数年前までは、とても積極的に教会のありかたに対して、非常に鋭い批判を口にされておられた。いのちのことば社発行の21世紀ブックレットのシリーズに、工藤先生の『これからのキリスト教- 一精神科医の視点-』という著書がある。その第2章に『信徒の苦しみ』と題されたた箇所があった。工藤先生主宰の学びの会に出席したある信徒のレポートが紹介されていた。かなり長い文章なので、ごく部分的に引用して紹介したい。それは「30年余り続いた教会生活に終止符を打つことを決意した終止符を打つことを決意した」という文章から始まっている。なぜそのような決意に至ったかというと「私の求める、神を知り神と共に歩もうとする姿勢が、教会生活を続けることによってかえって妨げられ、神を見えないものにしてしまう」からだという。「牧師は企業経営者のようになってしまい、人数の増加を願い、また不思議に思うくらい献金のアピールに力が注がれる。集まってくるひとりひとりが大切にされず、教会を建て上げるための手段として酷使される。そして会衆に向かって語られることばは、『幻のない民は滅びる』といったもので、偏った聖書解釈がなされてゆく。」というのである。箴言29章18節の御言葉がこのような形で用いられてきた実際がわかる。その幻とは、神様自身が示して下さったものではなく、企業経営者のようになってしまった牧師が抱く野望のようなものなのである。このような幻は、それが抱かれることで、かえって教会や信徒を滅ぼしてしまうものなのである。だから、本当の意味で神様が示して下さる将来ビジョンを抱くということがとても大切なのである。

4.それはどのようなものなのか。年間聖句としてもうひとつ掲げた箴言16章9節の御言葉が、それを示してくれている。、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」とある。明らかに対句となっている。「人間の心は・・・」とは、まさに幻を抱いてしまう私たちのことではなかろうか。それに対して神様が私たちに備えて下さる道とは、一歩一歩のものだと言うのである。これは、直接的には神様が与えて下さる将来というものを示すビジョンではなく、将来へと向かうプロセスのありかた示して下さったものである。しかし私は、一歩一歩というのは、プロセスだけではなく、教会の将来像の根源をも指し示して下さるビジョンではないかと強く感じるのである。一歩一歩とは、ひとりひとりということにも通じる。また、ささやかさとか、小ささにも通じる言葉だと思う。教会がどこへ向かえばよいのかとの問いに、神様は、ひとりひとりが、あるいは小さなささいなことが大事にされてゆくありかたであると教えて下さるのである。
 確かにこの先、教会は右肩下がりが続き、どんどん小さくなってゆくことは否めないかもしれない。しかしそれは逆に、牧師がひとりひとりの信徒に向かい合える機会を増やしてゆくことになるのではないだろうか。先々週の牧師相談日、教会でおひとりの方と面談をいたしました。その定められた時間が終わってから「ぜひ訪ねてほしい」とお電話があった方を訪問しました。そのようにして、ひとりの人と向かい合い、その方のお話しに耳を傾けることによって、牧師は励まされ慰められるものだと改めて感じることができた。個別にお訪ねをするとなると、勿論、そのために時間を裂かねばならない。お話を聞いた後、その足で専門家を訪ねてアドバイスを受けた。家に帰ってきたのは、もう夜の8時近くだった。しかし、これが牧師の務めだと喜びを深くしたのである。
 新年度の総会には、懇談会でも素案を示したように『支援基金』制度を始めることを提案したい。前任地の郡山教会で、同じような制度をつくったときにも、何か教会全体というようなことを考えての制度とか、ましてや教勢拡大という目的のために始めた制度では決してなかった。具体的に、ひとりの会員の困難に、どのように教会が応えてゆけるかを模索して始めた。今回の支援基金制度も同じである。執事や私の頭の中には、具体的に、ある何人かの会員のことがある。普段はあまり助けは必要ではないが、2年か3年に一度、どうしても急な出費が生じることがあり、それを賄うことができないという。何とかそれを援助してゆきたいと思う。先週の水曜日から急遽、聖書研究祈祷会を教育会館の1階ではなく、礼拝堂の玄関ホールにしている。それもまた、電動車椅子で来られるたったひとりの人の利便に応えようとしたからである。もちろん、誰の反対もなかった。
 教会が将来どのような方向に向かうのか、この先どうなってゆくのかについて、神様がはっきりと示して下さるビジョンは、教会がこのように一歩一歩、一人ひとりを大事にする信仰共同体としてある限り、決して廃れることなどないということである。過日の聖書研究祈祷会で、新聞の書評で見かけて読んで心を打たれた『しょぼい起業で生きてゆく』という書名の本を紹介した。その本は、しょぼい生き方こそが私たちを生き延びさせてゆくことだというメッセージにあふれていた。著者は、慶応大学を卒業し、自分は周囲の人と同じように会社に入って働くことはできないと思って、50万円ほどの手持ちのお金で、自分の住んでいる家でリサイクルショップを始めたという。そこに集まってきた人達が、自分たちでご飯を持ちよって食べ始めたところから喫茶店がはじまり、それが何店舗かに増えていったという。人が集まるのは、何をもってかと言うと「何となく楽しそう」という感じが漂っているからだという。最後に、同じような起業をした人との対談の様子の記載があった。そこでまとめとして「丁寧に草むしりをする」ということが書かれていた。この教会も、草むしりのような小さなことを大切にする教会でありたいと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 3月10日(日)受難節第1主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 10章 23~33節』

10:23「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 10:24だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。 10:25市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:26「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。 10:27あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:28しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。 10:29わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。 10:30わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。 10:31だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 10:32ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。 10:33わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。

説教:『すべてを神の栄光のためにて』

1.「これは偶像に供えられた肉です(28節)」という言葉がある。パウロが語ろうとしていたのは、コリントにあった偶像の神々に供えられた肉を食べることを巡って、コリント教会に起きていた問題についてである。8章でも同じ問題が扱われていた。当時コリントの市中で売られていた食肉の中には、神々への犠牲として捧げられた動物の肉を食肉業者に払い下げたものがかなりあったようである。おそらくユダヤ人からクリスチャンになったであろう人たちは、そうした肉を食べることについて大きな良心の呵責を感じていたのである。他方、それに何の抵抗も感じない人たちもいた。彼らは「すべてのことが許されている」すなわち「もはや自分たちには、あれこれ食べてはいけないというタブーや禁忌はない」と声高に主張し、堂々と胸を張って神々に供えられた肉を食べていた。そして、食べることに良心の呵責を感じていた人々を信仰の弱い人だとみなし見下していた(8章7節以下に何度も「弱い人」という表現が出てくる)。見下された人々は、そうした肉を平気で食べる人を憎々しく思っていたに違いない。こうしたことから、コリント教会の中で、両者は対立し溝が大きく深くなっていた。
 パウロは、それを何とか解決したかった。25節から30節までの部分は、偶像に供えられた肉を食べてもよいのか食べない方がよいのか、パウロの本意がどっちなのか、解釈に迷う文章である。ただパウロの思いとしてはっきりしていたのは「すべてのことが許されている」とは言っても、しかし「すべてのことが(教会にとって)益とはならないし、私たちを(教会を)造り上げるわけではない」ということだった。すべてのタブーや禁忌から解き放たれたということをもって、「ユダヤ人にも、ギリシャ人にも、神の教会にも・・・惑わす原因にならないようにしなさい(32節)」とパウロは語りかけたのである。

2.パウロは「すべてのことが許されている」という主張を引用しつつ、「しかし」という言葉をこれにつなげている。彼は「すべてのことが許されている」という主張を否定的に受け取っている感じが否めない。私がまず感じさせられたのは、クリスチャンとなった人々が「すべてのことが許されている」と言えるようになったのは、どれほどすばらしいことであったかという点である。今から2000年前の時代にあっては、どれほど希有なことだったかという点なのである。そのすばらしい恩恵を、今も私たちは受けているということをまず感じるのである。
 クリスチャンとなる前のユダヤ人が、どれほど数多くのタブーに取り囲まれていたかは言うまでもないことだと思う。とくにレビ記から申命記の中には、沢山の食べ物や生活習慣に関するタブーが、これでもかこれでもかと書かれている。今日なお、刑務所の中の受刑者のためにさえも配慮せざるを得ないほどイスラムの人々は厳格に守っている。それは、レビ記11章などに記されている食べ物に関するタブーである。11章3節に「地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ完全に割れており、しかも反すうするものである」とある。9節には「水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものは・・・食べてもよい。しかし、ひれやうろこのないものは・・・すべて汚らわしいものである」とある。12章には、出産した女性の汚れについて規定されている。
 クリスチャンたちは、このようにユダヤ人が先祖代々大事にしてきたタブーを守らなくなってしまった。その後、7世紀に生まれたイスラム教は、ユダヤ人以上に厳格に守るようになった。私たちからすれば「何と不自由なことか、強制された生き方であろうか」と思うが、ユダヤ人やイスラムの人々は、決して不自由だとか強制されているなどとは言わないだろう。彼らにとっては、タブーを日常生活の中で守ることは喜びなのである。バビロンに捕囚とされたユダヤ人にとって、たとえ自分たちがバビロニア王の捕虜であったとしても、日常生活において神様の言葉に従ってタブーを守って生きてゆけることに神様との結び付きを見いだしたのである。今のイスラムの人々も、そうなのだろうと想像できる。ますます神様以外の者が、私たちを支配し動かしている時代なのである。そのような社会にあるからこそ、わずかなことを守ることで神様と切っても切れないつながりを得られるなら、それこそが喜びなのである。断食を守り、ハラルという食べ物を食べ、ベールを被り、様々なタブーを守っている人々を、決して軽蔑などしてはならないのである。

3.しかし、私たちクリスチャンは、タブーを守るユダヤ人と袂を分かち、イスラムの人々とは違う道を歩んでいる。私たちは、あのようなタブーから解き放たれた者なのである。タブーを守り、律法の行いをすることに神様とのかけがいのないつながりを見いだすということは、ある意味で理解できる。しかしそれは、イエス様の時代のファリサイ人のように、もしタブーを踏みにじってしまった場合には、神様から見捨てられ罰を受けるという信仰にならざるを得ないのである。私が役員をしているFVIという団体「『声なき者の友』の輪」の主宰者である神田英輔牧師のエチオピアでのエピソードにあった。干ばつで苦しむイスラムの村長に灌漑設備を作ろうと声をかけたところ「自分たちは神様から呪われてこうなったのだから、何をしても無駄だ」との答えが返ってきたそうである。ここに神様との関係を、タブーを守るということに見いだす信仰の側面を見てしまう。おそらくギリシャ・ローマの人々にも、伝統的な神々との関係において、このようなタブーがあったはずである。それを守れればよいけれども、守れなければ神罰を受けるという信仰である。
 こういう信仰からクリスチャンは解き放たれたのである。解き放たれたのは、言うまでもなくタブーを守ることや律法の行いをすることに神様とのつながりがあるのではなく、ただイエス様との信仰におけるつながりにおいて、すなわち人格的な結び付きにおいて、私たちは神様とつなげられていると信じられたからである。もしイエス様が私たちにそれを示してくれていなかったならば、私たちは未だに様々なタブーのとりこになっていたであろう。2000年前の人々を捕らえていたタブーとは違う極めて現代的なタブーのようなものが今日あると改めて思わせられる。2000年前の人々は、それぞれの信仰において、その信じる神様との間にこうしたタブーがあった。今日の私たちにも、私たちが信じ頼る『神々』との間柄においてこうした強いタブーがあるのではなかろうか。「こうでなければならない」という強固な縛りがあるのではなかろうか。
 過日、朝日新聞のコラムに、認知症になったからこそ、老いたからこそできるようになることがあるとの記述があった。しかし今の時代を支配しているタブーは「認知症になるのは不幸だ。老い、病気になるには不幸だ」という縛りである。いつまでもどこまでも健康でなければならないという縛りである。あたかも健康や長生きという『神々』を礼拝し頼っているようである。
 先々週久しぶりに病院で診察を受けた。医師から感じたのはその「ねばならない」だった。健康診断もろくに受けていない私を、あきれるような目で見ていた。しかし、どれほど頻繁に健康診断を受けていても、半年に一度人間ドックに入って全身くまなく調べるような人でも、ガンになってしまうという現実がある。病むときは病み、認知症になるときにはなってしまう。何よりも大事なことは、そうしたマイナスを与えられても、そうなってこそでき、わかる幸いがあると思えることである。健康でなければ、豊かでなければ、仕事をちゃんとしていなければ不幸だという縛りから解き放たれていることなのである。2000年前、イエス様が来て下さって、私たちがイエス様を信じ頼れるようになって解き放たれたのは、まさにこのような縛りからなのだと思う。

4.パウロは「せっかくイエス様によって様々なタブーや縛りから解放されたというのに、その生き方が、あなたがたや教会を益するものとなっていないではないか。あなたがたを造り上げることになっていないではないか」と言っているのである。「せっかくタブーから解き放たれたのだから、その生き方をあなたがたや教会にとって益となり造りあげるようなものにしなさい」とパウロは勧めている。では具体的にどういう生き方が、私たちの益となるのか。24節にあるように「だれでも自分の利益ではなく他人の利益を求め」るのである。また33節にあるように「自分の益ではなく多くの人の益を求めて、全ての点ですべての人を喜ばそうと」することによってである。ここに勧められているのは、決して特別な生き方ではないし、難しいものでもないと私は感じる。
 イザヤ書61章1~11節に教えられたことがある。バビロン捕囚から故郷に帰ってきたイスラエルの人々は、遅々として廃墟となった故郷の再建が進まないことに悩んでいた。そのような彼らに、神様は61章の4節で「彼らはとこしえの廃墟を建て直し、古い廃墟の後を興す」と言った。廃墟を建て直すということは、「造りあげる」ということであろう。では一体イスラエル人が何をすることが廃墟の再建となるのか。お金や再建物資を集め、人を動員することであったか。しかし神様はそういうことは全く言わなかった。ではどういうことか。イスラエル人が遣わされていって貧しい人や困っている人を助け喜ばしてやることによってだと言うのである。遣わされるということは、再建に悩む自分たちの目の前の問題から一旦離れるということであろう。そして、自分の問題ではなく他の人が抱えている問題にかかわるということである。捕虜だったバビロニアから帰ってきて、やっと生きているような自分たちに、どうして他人を助ける余裕があるのかと思ったかもしれない。しかし、遣わされてそうすることが、なぜか結果的には廃墟の再建につながるのである。そのことが「あなたがたをしっかりと造り上げることになってゆくのだ」と神様は言うのである。ないない尽くしの私のようなものが、誰かを助けることのできる者とされる。その内面的な喜びや生きがいが、ハード面における廃墟の再建へと結果的にはつながってゆくのだと思う。私たちに益となるものを与え、人生をしっかりと造り上げられるようにして下さるのである。
 私たちの周囲には、私たちのような者であっても、このような私たちの来訪によって助けられ、慰められる誰かが必ずいる。それが私たちの益となり、私たちを造り上げることとなるとのだと、パウロは勧めているのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 3月3日(日)降誕節第10主日礼拝

『ヨシュア記 5章 13~15節』

05:13ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると、 05:14彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、 05:15主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。

説教:『あなたの足から履物を脱げ』

1.神様の使いが、抜き身の剣を持ってヨシュアに出会ったという。神様は、一体どのような御心から、このようなことをヨシュアにしたのであろうか。旧約聖書には、この他に2カ所、神様の使いが抜き身の剣を持った姿で現れたということが書かれている。3度もあるというのは、神様がそういう姿をもって人々に接したことが、比較的よくあったということではないかと思う。
 神様は、一体どのような意図をもってヨシュアに、このような姿で現れたのか。それを考える上でヒントになったのは、「ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて見ると」と13節にある。エリコのそばにいたヨシュアが一体どんな思いでそこに滞在し、目を上げて何を見ていたのだろうかと想像する。考古学的な調査によれば、エリコという町は、紀元前7000年にはすでに町が作られていたという。壊されてはまた新たに作られ、そうした歴史を積み重ねてパレスチナの中でも最も大きく堅固な要塞都市のような町がつくられていったのではなかろうか。6章1節には「エリコは、・・・城門を堅く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった」とある。このような大きくて堅固な要塞のような町を、ヨシュアは目を上げて毎日見ていた。その気持ちは暗澹たるものではなかったか。「一体どのようにして、この高くそびえ立つ堅固な城塞都市を攻めることができようか」と。町を見上げれば見上げるほど、それとはまるで対照的な自分の小さな・無力さばかりに気づかされる。私たちにも、しばしばそういうときがある。余りにも大きくて難儀なものを見上げてしまうとき、私たちは自分の無力さばかりを思って意気消沈してしまう。

2.このようなヨシュアを、この状態から抜け出させるためにこそ、神様は抜き身の剣を持った男という姿をもって彼に現れたのである。ヨシュアは、いつも、そびえ立つエリコの城壁ばかりを見上げていた。しかしこの時目に入ったのは、さやから剣を抜いて、今にも自分に切りかかってこようとしているような不気味な男の姿なのであった。もし逃げたとしたら背後から切りつけられてしまうかもしれない。だから逃げることは絶対にできなかったのである。ヨシュアは、相手に真正面から歩み寄って「あなたは味方か、敵か」と尋ねた。とにかく、いやがおうでも対峙するしかなかったのである。神様は、ヨシュアをそうさせることで、今の彼に活路を開かせようとしたのではなかろうかか。
 私たちは、余りにも大きな困難を見上げたとき、それと比べての自分自身の余りの小ささや無力さばかりに落胆してしまいがちである。しかしこのとき、ヨシュアの目の前に現れたのは、抜き身の剣を振りかざした一人の男だった。もちろん、とても危険な相手ではあったが、エリコの城壁と比べれば戦うことができるであろう相手であった。いや今戦うしかない相手だったのである。戦わずに背中を見せれば殺されてしまうかもしれないような状況だった。神様は、このような敵に直面させることを通して、途方もなく大きな壁であるエリコを見上げて意気消沈することからヨシュアを引き離し、目の前に立つ一つの困難に今対峙するようにとヨシュアを導いたのである。私たちの人生の歩みとは、途方もない大きな壁を見上げて、それを突き崩すことによって形造られるものではない。そのようなことを考えてしまうと、意気消沈するしかない。そうではなく、目の前に現れた小さな困難と、ひとつひとつ真正面から向かい合い、対峙することによって、そうしたことの積み重ねによって、ふと気が付いてみると、エリコのような途方もない困難を乗り越えてきたというものなのではなかろうか。
 だから私たちも、決して逃げることが許されない抜き身の剣を持ったような姿で現れてくる困難や難儀が目の前に訪れたときには、それは神様の遣わして下さった使いだと受け取るべきではなかろうか。私自身、ここ2週間ほど、朝食を食べた後、口の渇きを尋常ではなく感じていた。聖書研究祈祷会で、血糖値を計るキットをお借りして計ったところ、その数値は、明らかに糖尿病の領域に入っていた。母も糖尿病である。早速、土曜日に専門病院を受診した。本当にタイムリーに、これが今の私にとっての抜き身の剣を手にして現れてくださった神様の姿かと示された。病院嫌いの私だが、さすがの私も、これからは逃れられられない。もしこれに背を向けて逃げるなら、私は切り倒されてしまうであろう。ヨシュアは「あなたは味方か、敵か」と尋ねた。神様の使いが答えているように、それは「主の軍の将軍」なのである。どんなに恐ろしい姿をもった出来事でも、それは私たちの味方なのである。しかし、それから逃げてしまえば敵になってしまう。

3.イザヤ書の60章1節からの「起きよ。光を放て」の箇所は、クリスマス礼拝の招詞としてよく読まれる。特に心に残ったのは5節の「そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる」である。私たちを畏れさせ、おののかせる神様の御業があった。それは、私たちをして逃げることを許さない抜き身の剣を持って、私たちに対峙する神様の使いの姿である。それと向かい合ったとき、私たちは畏れおののく。しかし、この5節の御言葉は、何と不思議なことに、そこにこそ喜びに輝くことがあり、心が晴れやかになることがあると告げるている。畏れおののくことと、喜び心が晴れやかになることとは、相矛盾するように思える。しかし神様にとっては、そうではないのである。抜き身の剣を持った神様の使いに向かいあうことに、私たちにとっての喜びがあり、心を晴れやかにするものがある。畏れおののくしかない出来事において、私たちは神様に出会わせていただくのである。そして、このイザヤ書の1節・2節にあるように、神様の光が私たちを照らし私たちを輝かせ、私たちを起こして下さるのである。

4.ヨシュアは、出会った相手が神様の使いであるとわかると、地にひれ伏して「わが主はこの僕(しもべ)に何をお言いつけになるのですか」と口にした。私は、このヨシュアの態度の変化というものに、強く心を打たれた。それまでは、大きくて堅固なエリコの城壁を見上げては、自分の小さな・無力さに打ちひしがれていた。おのれの小ささ・無力さをどうしても受け入れることができないでいた。しかしここでのヨシュアの姿はどうであったか。地にひれ伏して、もうエリコなど見上げてなどいなかった。自分を「僕」と言って、進んで主人である神様に対しての自分の小ささを喜んで受容することができていた。もはや大きな者であろうとはしていなかった。ただ主人である神様が、僕である自分になさしめようとされることをやれればよいと思っていた。
 「心の晴れやかさ」とはまさにこのようなものなのである。畏れおののきつつ、抜き身の剣を持った神様に出会うことを通して、私たちはただ、この神様の前に小さな者としてひれ伏し、「あなたがわたしになさしめようとしておられることは何ですか」と尋ねることができるようにしていただいたのである。極端に言えば、もうエリコを攻略することなどどうでもよくなっていたのである。それまでずっと、そのことから思いが離れなかったところから解き放たれたのである。小さな自分を受容することができた。神様と出会わせていただく喜びとは、ここにこそあるのだと思う。それは抜き身の剣を持った者と、畏れおののきつつ出会うことによってしか与えられないものなのである。
 かつて郡山教会での、1995年の5月の奨励原稿が残っていた。そこには、郡山市に同じ日本基督教団の教会としてあった安積伝道所の三浦栄先生のことが書かれていた。三浦先生とは、教会学校の夏のキャンプに一緒に出かけるような親しい付き合いをしていた。先生の前任者は、確か東京高等裁判所の事務官を長くされ、その後に牧師になられた。牧会者としても説教者としても、とても優れておられた。三浦先生は前任の先生と比較されて、とても悩み傷ついておられた。私は、その悩みをよく聞いていた。ある年の夏のキャンプの最中に、三浦先生は体調不良を覚え、受診したところ、末期の肝臓ガンで手術のしようがないとの宣告を受けた。わずかな入院をされた後、すぐに退院され、召される2週間ほど前まで講壇に立って説教されておられた。もうその先生のお姿には、前任の先生と自分を比べて悩むという様子は一切なかった。このヨシュアのように、自分の小ささを受け入れ、神様が自分になさしめようとする牧師の務めを精一杯行おうとする姿のみがあった。その姿は今も、私の心に輝いて残っている。

5.「僕に何をお言いつけになるのですか」と問うたヨシュアに、神様は「あなたの足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる所である」と言った。これは神様が、燃えても燃えてもなくらない不思議な柴の木を見ようと近づこうとしたモーセに語りかけた言葉とまるで同じである。まさにその時、奴隷である同胞を率いてエジプト王に対峙しなければならなかったモーセに対して、また巨大で堅固な要塞都市エリコに向かってゆかねばならないヨシュアに対して、神様が全く同じ言葉を語ったということは、本当に心に染み入るものである。神様は、その二人にエジプト王と対峙し、またエリコを攻略するための策略や方策のようなものを伝授することなどはしなかった。そうではなく、神様が告げたのは、もっともっと根源的なことであった。これからどういう困難に立ち向かってゆくか否かに関わらず、私たちにとって最も大事なことは、今私たちの立たされている場所が聖なるところなのだという感覚なのである。このときヨシュアは、エリコを前にして呆然と立ち尽くしていた。しかし、その場所こそが貴いというのである。「今立たされている場所が、たとえ抜き身の剣を手にして立っている不気味な存在を前にしているところだとしても、足から履物をぬいで、その場所の貴さに触れてゆきなさい。足先から貴さを吸い上げなさい」との神様からの語りかけなのである。今置かれている場所の聖なることに気づく者だけが、いずれエリコをも乗り越えてゆけるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月24日(日)降誕節第9主日礼拝

『ヨハネによる福音書 10章 22~39節』

10:22そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。 10:23イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。 10:24すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」 10:25イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。 10:26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 10:27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 10:28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 10:29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 10:30わたしと父とは一つである。」 10:31ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。 10:32すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」 10:33ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」 10:34そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。 10:35神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。 10:36それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。 10:37もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。 10:38しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」 10:39そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。

説教:『神殿奉献記念祭にて』

1.神殿奉献記念祭は、54年版の口語訳聖書では「宮清めの祭」と呼ばれていた。ユダヤ人とイエス様との対立がいよいよ深まり、決定的になっていった様子が描かれている。対立の一番のポイントは、イエス様が「人間なのに自分を神として」神様を冒涜しているということだった(33節)。この場面は、イエス様とユダヤ人との対立として描かれている。このような対立は、この福音書が書かれた西暦100年頃の小アジアで、また著者ヨハネがそれまでクリスチャンとして生きてきた50年以上の歩みにおいて、ユダヤ人との間に常に起こり続けてきたのであろう。
 この神殿奉献記念祭とはどのようなお祭りであったのか。アレキサンダー大王が死んだ後、その大帝国は幾つかに分裂した。その中で、シリアが長くパレスチナ地方を支配することとなった。紀元前175年に、アンティオコス4世が治世を始めた。彼は自分に「エピファネス」という名前を付けた。ギリシャ語で「エピファニー」とは特別な意味を持った言葉である。「神様が自分をはっきりと顕す」という意味がある。アンティオコスは、自分自身が神なのだということを人々に示そうと、わざわざこのような名前を自分に付けた。そして自分だけではなく、ギリシャの神々を、イスラエル人にも強制的に信じさせようとした。当然、人々はこれに激しく抵抗した。とうとうアンティオコスは、紀元前170年にエルサレムを攻撃した。バークレーの注解によれば、8万人以上のユダヤ人が殺され、多くの人が奴隷とされたそうである。アンティオコスは、子どもに割礼を施すことを禁じた。禁を破った母親は、わが子を首に吊るしたままで、十字架にはりつけにされたそうである。さらに、エルサレム神殿をゼウスの神殿に変え、祭壇にはイスラエル人がもっとも忌み嫌ったブタの生け贄が捧げられたそうである。これに怒ったイスラエル人は、当時の大祭司だったマカベア家の5人の兄弟たちを中心に、3年間ほどにわたって激しく抵抗し、とうとう紀元前164年にシリア軍に勝利して、エルサレム神殿を聖なる場所に回復したのだそうである。それを記念して、イスラエル人の暦では、キスレウと呼ばれる月の25日から8日間(私たちの暦では、ちょうど12月の25日からお正月にかけての頃)神殿奉献記念祭、または宮清めの祭として守られるようになったのである。
 さらには、この祭りは別名「光の祭り」とも呼ばれるのだそうである。神殿をシリアから取り戻した時に、まだ封が切られていない油の小瓶が見つかったのだそうである。普通なら1日位しか持たないはずの油が8日間も明かりを灯し続けたというので、お祭りの間中、一日に1本ずつ蝋燭が灯されていったそうである。今でもユダヤ人の人々は、ハヌカーといって、このお祭りを守っているとのことである。8章12節に「私は世の光」とのイエス様の言葉があった。おそらくはハヌカーのお祭りが始まって最初の蝋燭が灯された頃に、このイエス様の言葉が発せられたのかもしれない。

2.このお祭りの起源や意味がわかると、どうしてユダヤ人とイエス様との間、ひいてはクリスチャンとの間に、ここに記されているような問答がなされたのかが、何となくわかってくる。何よりもこのお祭りは、かつて先祖が何万人もの血を流して3年もの困難な戦いを打ち勝って、神ではない者を神として信じさせ拝ませようとした王に勝利したことを記念するものであった。だから、この時こそ人々は、神ならぬ者を神として信じさせようとすることにとても敏感になり、神殿の中にそうした兆しが少しでも入ってきてはいないかとチェックしようとしたのである。だから、毎年この祭りの時期になると、人であるイエス様を神として信じていたクリスチャンとの間で激しい論争が繰り返されたのではなかろうか。
 22節の最後に「冬であった」とある。何かヨハネの心境が吐露されている象徴的な言葉のような思いがする。ヨハネとて、250年近く前の先達たちが多くの犠牲をはらって、神ならぬ者を神として信じさせようとした王様に勝利した歴史を、誇らしく思わないはずがなかろう。同じヨハネという名の著者によるヨハネの黙示録が、新約聖書の最後にある。その著者ヨハネは、時のローマ皇帝ドミティアヌスによって迫害されパトモスという島に幽閉された。この福音書が書かれたのは、その時代とぴったりと重なる。この福音書の著者ヨハネにとっても、先祖がそのような王と戦って勝利したことが支えにならなかったはずはなかろう。しかし、そのようなユダヤ人であればこそ、人であるイエス様が神様であり救い主・キリスト(メシア)であると信じるのは難しかったであろうし、激しく拒まざるを得なかったであろう。それは、ユダヤ人であるヨハネにとっては、本当に心痛むことであった。同胞と心を同じくして、そのお祭りをお祝いしたいと願っていたのに、残念ながら激しい論争を戦わせるしかない現実に、辛い「冬」を感じていたのではなかろうか。
 また、このような祭りの時であったからこそ、24節にあるように「いつまでわたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と、ユダヤ人がイエス様に迫ったのだと思う。この祭りこそ、大祭司の子どもたちであったマカベア家の者たちが指導者となって、この世の王を打ち負かした時を記念するものなのであった。この世の王を打ち負かせるリーダーこそが、ユダヤ人にとっては、いつの時代でもメシア・キリスト・救い主なのであろう。最初にエピファニーという言葉に触れた。アンティオコス・エピファネスという王様を神殿から追い出した時こそが、神様の遣わすメシアがその姿をはっきりと顕すエピファニーの時なのであった。だから人々は、イエス様に「この祭りの時こそ、あなたが本当にメシアならそれを顕して下さる時なのだ」と迫ったのである。

3.以上のようなことを通して、現在の私たちに語りかけられているメッセージは、どのようなものか。私はまず、当時のイスラエル人にとっても、イエス様がキリストであり、ましてや神様であると信じることは難しいことであったのと同じように、特に日本人である私たちにとっては、これを信じるのは難しいことなのだと改めて感じさせられた。
 再び24節に目を留めたい。ユダヤ人はイエス様に「いつまで・・・はっきりとそう言え」と迫った。これに対してイエス様は、「わたしは言ったがあなたがは信じない。」と言い、さらにその後では「業を信じてくれればよいが、それも信じない」と答えている。この問答は何を言い表しているのであろうか。要は、イエス様がキリスト・救い主であるということは、私たちをして気をもませることなのであり、イエス様がなさった働きを見ても、なかなかはっきりとは信じられないことなのである。イエス様が地上に肉体をもって生きておられた間は、9章に書かれていたように、生まれつき目の見えない人が癒されたり、次の11章に記されているように、死んだラザロが生き返るといった奇跡がなされた。しかし、ヨハネがこの福音書を書いた時には、もうそのようなはっきりとしたイエス様の奇跡的な業は体験できなくなっていたし、ましてや私たちはなおさらなのである。「イエス様を信じたら奇跡がおきます」「御利益がいただけます」と言えたなら、どんなにかイエス様がキリストであると周囲の人々に伝えるのが楽になったであろうか。
 祈祷会で、いつもいろいろな話題を提供して下さる方がいる。「先日、ガンになって髪が抜け落ちてしまった友人から『あなたは神様を信じてるからガンにならないからうらやましい。わたしだけがどうしてこんな辛い目にあわなくてはならないのか』と泣かれて、言葉のかけようがなかった」と言っておられた。日本人の私たちには、このような信仰観が根強い。今日のユダヤ人とは違うが、ある面ではそういった奇跡や、はっきりとした救いというものが劇的に現れる ―エピファニーする― 形で、いつの時代でも私たちは救い主を求めるのである。しかし、イエス様にそのような求めをすると、私たちは「いつまでも気をもませ」られるしかないのである。はっきりとそう言ってくれとイエス様に求めても、決して答えが与えられることはないのである。

4.はっきりとした救い主であることのエピファニーがないという点が、特に日本人である私たちにとって、イエス様を救い主として信じる妨げなのである。それ以上にイエス様を信じる困難として告げるのが、イエス様が人間である自分を神と見なしていたという点であった。イエス様は「わたしと父とは一つである(29節)」と明言している。これがユダヤ人にとっての最大の問題点であった。私たちにとっても同じではないかと思うのである。
 すばらしい奇跡を起こす人が救い主であり神であるというならまだしも、イエス様にはそういうエピファニーはない。イエス様は、十字架の上で殺されてしまうような人間なのである。王様に勝利する救い主ではなく、それとは正反対に、十字架の上で無残にもこの世の王様によって殺されてしまうような人間なのであった。そのような人間を、メシアとして、ましてや神として信じることなどできないのである。おそらく、私たちの周囲にいる人々にとっても、そこが大きなポイントなのである。
 私たち日本人は、ユダヤ人とは違って、石や木でも、また動物や人間でさえも、何でもかんでも神として拝めてしまう。しかし、そのような私たちにとっても、十字架の上で殺された人間を救い主とし、神と信じ、何か御利益が与えられるなどと信じることはできないのである。「十字架の上で殺された人間から、一体どんな御利益が期待できようか」と思うのである。増谷なにがしという、すぐれた高名な仏教学者でさえ、「クリスチャンとは、どうして十字架の上で殺されたおぞましい存在を、神として、救い主として信じるのか気が知れない」と書いていたように思う。宗教や信仰に対してとても優れたセンスを持っていても、十字架のイエス様に対しては、この程度の理解しか持てないのかと愕然としたのを今でも覚えている。
 ユダヤ人は今でも、人でしかないイエス様が救い主であるとは、ましてや神であるとは、決して受け入れない。イスラムの人々は、もっともっとはっきりしている。隣のYMCAの認可保育園にはイスラムの何家族かが、お子さんを預けていると聞く。もちろん昨年のクリスマス会はお休みしたし、確かクリスマス会の練習の時も教会のロビーで待機していた。それほど厳格なのである。人である者が神であるとは、決して受け入れることはできないのである。では、私たちはなぜこれを信じるのか。イエス様の弟子たちが、ユダヤ人に対抗し、何か理論的に人であるイエス様が神だと主張し、私たちがそれを受け入れたというのではない。理論では、人が神であるとか十字架の上で殺されてしまった存在が救い主であるとか、そういうことは到底主張しがたいものなのである。しかし、たとえ理論では説明できなくとも、ユダヤ人やイスラムの人々とどれほど対立をしても、そう宣べ伝えざるを得ないし、そう信じるしかないものがあったのである。
 29節に「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものよりも偉大であり」とある。ここに、ヨハネがイエス様、特に十字架の上で死をとげたイエス様に感じ取ったことの核心が語られているように思う。十字架の上で殺されたイエス様は、外見からすれば偉大さとは正反対の存在にしか見えなかったであろう。しかしヨハネは、そこにこそイエス様の偉大さを見たのである。偉大な存在である神様が、また神様が遣わしたメシアが、私たち人間を救うためにこそ、偉大さとは正反対な卑小な存在になって下さったのである。26節には、10章7節以下に続いて、羊である私たちは良い羊飼いであるイエス様の声をちゃんと聞き分けるとある。死の陰の谷を歩んで難儀する私たちを迷うことなく導くために、イエス様には十字架の死の陰の谷を歩む必然性があったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月17日(日)降誕節第8主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 10章 1~13節』

10:01兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、 10:02皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、 10:03皆、同じ霊的な食物を食べ、 10:04皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。 10:05しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。 10:06これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。 10:07彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。 10:08彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。 10:09また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。 10:10彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。 10:11これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。 10:12だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 10:13あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

説教:『試練と共に逃れる道をも』

1.先週の半ばに、現在日本で最も実力があるとされる若い水泳選手が、自身が白血病と診断されたことを公表した。水曜日に発表された彼女のコメントの中には、「神様は乗り越えられない試練をお与えにはならないと思っている」とあった。それを聞いて、もしかしたら彼女は、この13節の言葉を引用したのではないかと思い、はっとさせられた人も少なくないに違いない。それほどに13節の御言葉は、よく知られている聖書の言葉である。
 まず何よりも考えさえられたのは、この御言葉が、それ以前に書かれている1節から12節までの箇所と、一体どのようにつながっているのかということだった。さらには、この10章全体が、9章までと、どのようにつながっているのかという点だった。私は、説教の準備を始めるときには、先ずその聖書の言葉が文章として何を言わんとしているかを理解しようとするようにしている。理解するためには、文脈を読み取るのがとても大事なのである。
 10章欄外のタイトルには、『偶像への礼拝に対する警告』とある。このタイトル通りに10章全体を偶像礼拝への警告を記したものと解すると、直接的には8章とつながる部分だと理解される。しかし私としては、どうもそういう理解は腑に落ちない。今日の御言葉全体は、果たしてタイトルにあるように偶像礼拝を戒めたものなのであろうか。13節に試練のことが書かれているのだから、10章1節からの部分でパウロは、試練に関することを言いたかったのではないかと感じるのである。では、パウロの言わんとした試練は、どのように9章とつながってくるのであろうか。
 当時のコリントの人々を含むギリシャ・ローマの人々が切実な願いとして抱いていたのは、いろいろな不具合を抱えてしまう体からの自由ということであった。しかし、それを求めれば求めるほど、逆に、体に縛られ不自由になってしまうという現実があった。そこでパウロは、自由とは、不具合を抱える体から解き放たれるということにあるのではなく、ある目的へと向かうことの中にある、と教えたのだった。ユダヤ人社会心理学者のE・フロムは、その著書『自由からの逃走』で、「自由には『~からの自由』と、『~への自由』の二つがある。『~からの自由』は、しばしば私たちをかえって不自由にする。却って私たちを自由から逃走させる。」と言っている。私はパウロも、このフロムと同じことを教えていたのだと思うのである。パウロは、いろいろな不自由さを抱えた体から自由になろうとするのではなく、ある目標へと向かうことで、不自由さを抱えた体であっても自由でありうると教えたのであろう。
 そして、その目的とは、ひとりでも多くの人に福音という御馳走のおいしさを味わってもらうということである。その目的を果たすために何よりも大事なことは、まず伝える者自身が、福音の美味しさを味わうことである。イエス様が人として生まれ、十字架の苦しみを味わい、復活して下さったという喜びを、まず私たちが深く味わうことである。そのために何より大事なことは、私たち自身が苦しみを体験することなのであろう。私たち自身が苦しみの中に置かれてこそ、イエス様の十字架と復活という福音の美味しさがわかるのであろう。そういう意味で試練は、私たちにとってなくてはならないものなのである。試練を拒否し嫌ってはならないのだとパウロは言いたかったのだと思うのである。

2.パウロは、このよう意味から10章では、「試練の不可欠さ」を語ろうとしたのではなかろうか。10章1節は「兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい」と始まっている。もしここに、もう少しわかりやすく文章を補うならば、「兄弟たち、そういうわけで、もし自由を欲するなら、試練の必要性をぜひとも知ってほしい。その実例として、私たちの信仰の先達であるイスラエル人のことを思い起こしてほしい」となるであろうか。
 そこで1節の後半から、イスラエル人が奴隷であったエジプトを脱出した後、荒れ野で試練を受けたときの様子が描かれていったのである。出エジプト記、エジプトから最短距離でパレスチナへと行こうとするとき、地中海沿いのペリシテ街道とよばれる道を通れば、直線距離だと、せいぜい200キロ程度である。1週間もあれば十分に到達することができよう。ところが神様は、40年間も荒れ野を迷走させたのである。その間に、エジプトを脱出した第1世代の人々のほとんどは死んでしまった(5節)。なぜ神様は、わざわざエジプトから脱出させて、また再び荒れ野で40年間も不自由な状態へとイスラエル人を押し込められたのであろうか。なぜ、このような試練をお与えになったのであろうか。どうして、すぐにパレスチナへ入らせて自由な状態に身を置かせて下さらなかったのであろうか。そこには、本当に深い、神様の御心があったのである。
 それについてパウロは、こう言っている。「私たちの先祖は・・・霊的な岩からでした(1節後半から3節)」と。ここに書かれているのは、イスラエル人がモーセを指導者として、二つに分かれた海を渡り、マナという不思議な食べ物によって養われ、岩からほとばしり出た水によって渇きを癒したということである。エジプトを脱出し、わずか1週間でパレスチナへ入ったならば、これらの奇跡的体験は、すべて味わうことができなかったのである。目の前には海があり後ろからエジプト軍の追っ手が迫る状況や、荒れ野の中で食べ物や水が無くなるという試練がなければ、このような神様のすばらしい御業を体験することはできなかったのである。
 申命記8章2節以下は、イエス様が荒れ野で40日間試練にあったときに引用していた有名な御言葉である。イエス様は、次のように荒れ野の歩みを教えた。「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、・・・主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」と。
 荒れ野に40年間置かれたことによって彼らは、そして私たちは知るのである。私たちが生きるのには、この世のパン─それは私たちが自分の手で稼いで手に入れる生活の糧を指す─や、着物─それは私たちが自分で自分を守ろうとする鎧のようなものを意味する─だけでは足りないということを、私たちは知るのである。「マナ」とは、「これは一体何」というヘブル語そのままの言葉だという。私たちが生きてゆくためには、神様が体験させて下さる「マナ(これは一体何)」という、驚きの体験が不可欠なのである。私自身、もし神様の恵みというものがなかったならば、私は本当にふしだらで、定職にもつかず、それでいてプライドだけは高い、鼻持ちならない人間であったかもしれない。しかし、様々な試練を通して私はいくつもの「マナ」を授かり、岩から水をいただく体験をさせていただいた。私を生かすのは、この世のパン─自分が稼いで手に入れるパン─などではない。神様が下さるパンや水が不可欠なのである。

3.このように私たちの人生の目的は、試練を通して神様が下さるパンや水のすばらしさや不可欠さを知ることにある。しかし私たちは、しばしばその目的を見誤るのである。5節以下に記されているのは、それを見誤ったイスラエル人の様子なのだと思う。彼らは、エジプトを脱出したらすぐにも、自由で何の心配もない生活が与えられるものと期待していたのであろう。フロムが言っていたように、まさしく彼らはエジプトでの奴隷生活からの自由、また荒れ野からの自由を求めたのである。ところが、彼らを待っていたのは荒れ野をさ迷う試練続きの生活であった。だから、悪をむさぼったり偶像を拝んだりみだらなことをしたり不平を言ったりしたのである(5節以下)。しかし、どれほど不平を言っても嘆いても、神様が彼らに与えようとしたのは、単に自由であり試練のない生活を送ることにはなかったのである。むしろ、試練を与えて、荒れ野でマナや岩からの水を飲むことにあったのである。だから、試練の中に置かれて、いつまでもどこまでも不平不満を言い続けていると、おのずとそのような歩みは、そのような生き方は滅んでゆくしかないのである。5節以下に、「多くの者が滅ぼされていった」とあるのは、こういう意味だと思う。
 「滅ぼされた」と言っても神様は、40年間の歩みを通してイスラエル人すべてを滅ぼすことはしなかった。確かにエジプトを脱出した第一世代の男性は、ヨシュアとカレブしか生き残ることができなかった。しかし、第2世代の者が起こされて、人口はそれほど変わらなかったのである。要は、40年間の中で「人はパンだけで生きられるのだ、私たちが自分で自分に着せる着物があれば良いのだ、エジプトにいた時のように肉ナベをほおばり、目に見える物を神として頼ればよいのだ」という私たちの部分は、どんどん滅ぼされて行くということだと思う。私たちの人生をむさぼったりみだらなことをしたり、それがかなえられないと不平不満を口にするようなものとして考えたりする生き方は、神様によってどんどん滅ぼされてゆくのである。

4.こうして13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」へと続く。このように訳されているが、これはギリシャ語の原文からは、かなりの意訳である。原文どおりの語順で直訳すると、次のようになる。「試練はあなたがたを取らなかった。もし、それが人間的なものでないならば」と。どう訳したらよいかとても悩む文章と感じる。これまでの文脈から言えば、まずパウロが何よりも言わんとしていたのは、試練というものを「人間的」なところからのみ受け取ってはならないということなのだと思う。もし試練を、ただ人間的な次元からのみ受け取るなら、それは「あなたがたを取る」となる。取るというのは、単に襲うというだけの意味ではなく、滅ぼしてしまうとか、だめにしてしまうとか、そういったニュアンスまで含まれているのではなかろうか。
 試練をただ人間的に受け取ると、それは私たちから自由を奪い、私たちを荒れ野にぶち込み飢えさせ、喉を干上がらせ、多くのものを滅ぼしてしまうものとしか考えられない。しかし試練には「神的」な意義が必ずある。2節・3節に書かれているような、また申命記8章に書かれているようなすばらしい体験を、私たちにさせて下さるものなのである。「神様は真実な方です」から、必ずや私たちにも生きることの真実の喜びや意義を味わえるように取り計らって下さる。嘘の喜びや偽りの意義を味わわせることは、なさらない。こうして、試練のただ中にこそ、不思議なマナや水をいただくことができるのである。真実の生きる喜びを味わうことができるのである。それが、「試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていて下さいます。」という御言葉の言わんとすることなのである。この「逃れの道」は、「試練と共に」与えられるものであるから、試練がなくなったところでの逃れの道ではない。海の真ん中に備えられる道、岩からの水、ヨルダン川の激流の真っ只中に備えられる道なのである。十字架の真っ只中に永遠の命の道を見いだしたイエス様が道先案内人なのだから、安心して恐れずに歩んでゆけるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月10日(日)降誕節第7主日礼拝

『ヨシュア記 4章1~9節』

04:01民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。 04:02「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、 04:03彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」 04:04ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねて決めておいた十二人を呼び寄せて、 04:05言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。 04:06それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、 04:07こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」 04:08イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた。 04:09ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。

説教:『この石は何ですか』

1.イスラエル人たちは、すぐにもエリコを攻略できるだろうとの期待を抱いてヨルダン川の川岸にやってきた。しかしはからずも、ちょうど春先の頃のヨルダン川は、激流逆巻く状態で、到底渡河できるようなものではなかった。恐らくイスラエル人は、普通の方法ではもはや渡る手段を見いだすことはできなかったであろう。万策尽きてしまった。しかし、ここにこそ神様の御心があった。人間の考える方法では渡る手段が見いだせなかったからこそ、彼らは神様が教え示してくださる方法を待った。そして示された方法に素直に従った。その方法とは、実に驚くべきものであった。契約の箱と呼ばれる箱に十戒が刻まれた2枚の石の板が収められていた。その箱を担いだ祭司がまず、ヨルダン川に足を踏み入れた。すると不思議にも激流が上流でせき止められて川底が見えるようになり、そこを民が渡ってゆくことができた。
 注解書によれば、歴史的な事実として、1267年12月7日の夜半から8日にかけて約16時間にわたってヨルダン川の流れが止まったことが知られているとのことである。また、1927年7月11日に起きた大地震によって、高さ45メートルの断崖が崩れ落ちたために、流れがせき止められ、21時間にわたって川底が干上がったようである。一体何が起きたのかは定かではない。しかし、とにかくこのような不思議なことが起きた。
 イスラエル人のすべてがヨルダン川を渡り終えると、神様は12の部族の指導者たちに、干上がった川底から12の石を取ってその夜の野営地に据えるようにと命じた。それは何のためだったのか。、6節には「それはあなたたちの間でしるしとなるであろう」とある。後日、子どもたちがこれらの石は何を意味するのかと尋ねるときには「ヨルダン川の流れは・・・せき止められた」と教えて、神様の不思議な御業を永久に記念するため(7節)であった。何よりも私の心が引き付けられたのは、この神様の言葉であある。

2.この神様の言葉から私たちが語りかけられることの第一は、私たちには神様の驚くべき御業をいつまでも語り継ぎ、記念するモニュメントが絶対に必要だということである。神様は、イスラエル人、また私たちにとって、このような記念のしるしが必要だと考え、12の石を据えるようにと命じたのである。私たちは、結婚記念日だとか、はじめてのデートの記念日だとか、様々な記念日を覚え、また記念のモニュメントを作る。しかしそれは大抵、私たちが結婚したとか人間がこれこれのことを成し遂げたとかを記念するものでしかない。しかし私たちにとってなくてならないのは、私たちがこれこれのことをなしとげたことの記念碑ではなく、神様が驚くべき不思議な御業をしてくださったことの記念碑でである。それがあることによって私たちは、人間として、いかんともしがたい状況に直面した時にも、それを乗り越えてゆけるとの希望を抱けるのである。
 イスラエルの人々は、幸いにもこのような記念碑を幾つも受け継いでいた民であった。そこにこそ、彼らが幾多の困難をも生き延びてゆけた秘訣がある。リファレンス付きの聖書には、6節の「後日・・・」という聖句の関連箇所として、幾つかの聖句があげられている。参照聖句としてあげられているのは、イスラエル人の正月にあたる「過越の祭り」という祭りでの儀式に関するものである。この祭りには、いろいろな要素がある。記念となるもののひとつに、小羊の血を家の入り口の鴨居と2本の柱に塗る儀式があげられる。それについては、出エジプト記12章26節に「あなたたちの子供が『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときにはこう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」とある。過越の祭におけるもうひとつの記念のモニュメントは、酵母を入れないパンを食べる儀式である。これについては出エジプト記13章8節に「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき主がわたしのために行われたことのゆえである』と。」とある。過越の祭りという記念の儀式を正月としてずっと守り続けることにおいて、イスラエル人は苦難に際しての神様の驚くべき御業を常に思い起こしてきた。彼らは、神様の奇跡を想起することによって、目の前の苦難の現実を乗り越えてきた。実際の出来事としては、出エジプトやヨルダン川渡河と同じような奇跡は起こらなかったかもしれない。しかし、過去の神様の御業を思い起こすことは、決して無駄にはならず、確実にイスラエル人の助けや希望となってきたのである。

3.第二に、私たちクリスチャンはイスラエル人から、こうしたモニュメントを受け継いでいる幸いな民だということがあげられる。「いや私たちは、もはや過越の祭を守ってはおらず、またヨルダン川を奇跡的に渡った記念である12の石など、どこにもないではないか」と思えるかもしれない。確かに目に見えることとしてはそうである。しかし私たちは、イエス様を通してしっかりと、こうした記念碑を受け継いでいる者なのである。
 イエス様は自身の十字架の時を、他のどんな時ではなく、わざわざ過越の祭りの時を選んだ。イエス様は明確な意図をもって、この時を選んでエルサレムに入り、最後の晩餐の食事を、はっきりと過越の祭りの食事として守ったという事実を、福音書もパウロの言葉(聖餐式の際に必ず朗読する第1コリント11章23節以下)も伝えている。だから、私たちが今もなお聖餐式を守っているということは、イエス様が弟子たちと守った過越の祭の食事を守っているということなのである。ひいては、イスラエル人が長い間守ってきた過越の祭の儀式を受け継いでいることになるのである。
 聖餐式のときに朗読されるコリントの信徒への手紙(1)11章23節以下を思い起こしたい。イエス様は、過越の祭の食事でふるまわれるパンを取って「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしを記念するためこのように行いなさい」と言ったとある。また、ぶどう酒の入った杯についても「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言ったとある。イエス様は、「これからあなたがたが食べるパン、また飲む杯は、十字架の上で裂かれ流されるであろう私の体であり血なのだ」と言っているのである。「記念」という言葉が、まさしくここにある。その意味するところは、「十字架の上で裂かれる私の体、また流される血こそが、過越の祭で食べられる酵母の入っていないパンを記念しているし、また犠牲となってその血が家の入り口の鴨居や2本の柱に塗られる小羊を記念している」ということであろう。イスラエルの人々が過越の祭りを通して、ずっと記念してきた出エジプトという神様の御業は、今やイエス様の十字架の犠牲によって記念されてゆくことになった。私たちクリスチャンは、餐式を守ることによって、イスラエル人がずっと記念してきた出エジプトという神様の御業を記念するようになったのである。

4.なぜイエス様の十字架の犠牲が、過越の出来事における小羊の犠牲なのか。家の入り口に塗られる小羊の血が「滅ぼすもの」を過ぎ越させた。私たちを滅ぼすものとは一体だれのことなのか。先週の礼拝では、「サピエンス全史」、「ホモデウス」という著書の内容を解説したテレビ番組を紹介した。著者のノア・ハラリは、「今や人間(ホモ)は、神(デウス)となりつつある」と言っていた。しかしそこで、神になりつつある人間がやろうとしていることは、ひたすら弱さや欠陥の除去なのである。このTV番組では、中国で、ついに遺伝子を操作して、あるマイナス部分を取り除いた双子が誕生したことも扱われていた。しかし、果たして私たち人間が弱さや欠陥だと考えるものを、遺伝子操作によって除去することが、私たちを幸いにするであろうか。もしかしたら、弱さや欠陥を作り出す遺伝子にこそ、逆に私たちをして何らかの逆境を生き延びさせる秘密が秘められているかもしれないのである。私たちにとっての「滅ぼすもの」とは、実に私たち自身ではなかろうか。浅はかな尺度によって、弱さや欠陥を排除しようとする心が、実は私たちを「滅ぼすものなのである。だからこそ、この「滅ぼすもの」から私たちを守るものとして、イエス様の十字架の犠牲があるのではなかろうか。私たちが排除しようとする苦しみや痛みを、イエス様は十字架の上で背負って下さったのである。このイエス様の小羊としての犠牲を、私たちは公然と誰の目にも見えるように家の入り口や鴨居に塗る。それが公然と洗礼を受けることであり、また聖餐にあずかることに他ならない。それによって私たちは、滅ぼすものから救われ、ヨルダン川という激流を乗り越えてゆけるのである。
5.さて、最後に注目すべきことは、出エジプト記12章や13章においても、この記念のモニュメントや儀式の意味を、後日、子どもたちが尋ねるようになると語られている点である。なぜ子どもたちが、このように尋ねるようになるのか。それは外見から見れば、何のことかわからないからだと思う。外見からすれば、据えられた石はせいぜい、つけもの石よりもちょっと大きい12の石が並べられているに過ぎなかったであろう。イエス様の十字架の上での死は、多くの人々にとって愚かで躓きでしかないものだった。その犠牲を私たちに塗るという意味の私たちの聖餐式においていただくパンやぶどう酒は、私たちの教会の近所の店から買ってきたパンやぶどうジュースである。また、洗礼式で注がれる水も、水道から汲んだただの水である。神様の驚くべき奇跡を記念するしるしとは、すべからくこのようなものなのだということが教えられているのだと思う。「そのようなものは、全く無意味だ」と断じる人もいよう。しかし神様は、その無意味な石や十字架の犠牲や、ただのパンやぶどうジュースや水道の水に、神様の偉大な御業を想起する者は幸いだとおっしゃっているのである。ただの石にしかすぎないものに神様の奇跡を想起できる者は、苦難を乗り越えてゆけるのである。
 先ほどの本の著者ノア・ハラリも、他の人類学者も、以下のようなことを言っている。「現生人類と絶滅してしまった幾多の人類とを比べての決定的な違いは、もしかすれば象徴的な事柄を想起できる能力ではないか」と。絶滅してしまった人類は、石からは石しか思い浮かべることができないか、せいぜいそれを使って刃物や武器を作ることしか思い浮かべることができなかったのではないかと言うのである。ところが私たちは、石からは全くかけ離れた目には見えない神様という存在やその奇跡を想起することができる。それが、もしかしたら私たちをして幾多の危機を乗り越えさせたものなのかもしれないのである。イスラエル人は、その典型であり、私たちクリスチャンは幸いにもイエス様を通してそれを受け継いでいる者なのである。想起するということの一番の中心に、信仰がある。
 さて、子どもたちや周囲の人々は、私たちに問うであろう。「12の石やイエス様の十字架の死や洗礼や聖餐式に一体どんな意味が込められているのか」と。そう問われたら私たちは、ちゃんとそれに対する答えを持っていなければならないと神様は言っているのである。それを伝えてゆかなければ、石は何の意味も持たない何も記念しないただの石になってしまうのである。勿論、ただのオウムがえしのような説明ではなく、語る私たち自身にとっての意味を込めて「わたしにとっての12の石には、こういう意味があるのだよ。イエス様という方の犠牲をいただくことはこういう意味があるのだよ。このような神様のすばらしい御業をいただくことなんだよ。」と語ってゆかねばならない。私たちも、後に続く子どもたちのために、石を据えるものでありたいと思う。りっぱなモニュメントである必要などない。ただの石に過ぎないではないかと言われるものでよい。イエス様の犠牲という石を据え続けたいと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 2月3日(日)降誕節第6主日礼拝

『ヨハネによる福音書 10章 7~18節』

10:07イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 10:08わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 10:09わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10:10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 10:11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10:12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 10:13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10:14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10:15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10:16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 10:17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 10:18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

説教:『私は良い羊飼い』

1.ヨハネによる福音書の10章10節から18節の中の、11節の「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」は、かつて私が牧会をしていた郡山教会の付属の石川幼稚園(所在地は郡山市から少し離れた磐城石川町)の聖句である。礼拝のたび、園児たちが元気な声で暗唱していたのを思い出すとなつかしい。
 さて、イエス様が自分を「わたしは良い羊飼いである」とかたった言葉は、このヨハネによる福音書にしか記されていない。迷子の羊を探しにゆく羊飼いのたとえ話は、ルカによる福音書とマタイによる福音書にある(ルカ15:1-7/マタイ18:12-14)。イエス様のもとに押し寄せてきた人々を「飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れ(マルコ6:34)」まれたともある。おりにふれてイエス様は、自身を羊飼いにたとえて語っていたのかもしれない。
 なぜこの福音書の著者ヨハネが、イエス様のこの言葉をここに置いたのであろうか。10節には、羊を盗んだり屠ったり滅ぼしたりする盗人のことが書かれている。また12節には、狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げてしまう雇い人でしかない羊飼いのことが書かれている。これらは具体的には、誰のことを指しているのであろう。前後の流れから、それはファリサイ派と呼ばれる人々のことを指しているとわかる。10章6節には「イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話したが、彼らはこの話が何のことか分からなかった」とある。9章には、イエス様が生まれつき目の見えなかった人を見えるようにしたのが安息日だったことをきっかけに、ファリサイ派とイエス様との間に激しい論争が起きたことが記されていた。10章21節には、「ユダヤ人たちはイエスを石で打ち殺そうとしそうした」ともある。こうした前後の文脈から言えば、盗人とか雇い人でしかない悪い羊飼いとかは、明らかにファリサイ派を指していることがわかる。

2.ヨハネは、主に西暦100年頃小アジアに住んでいたユダヤ人に、イエス様が救い主であると信じてほしくて、この福音書を書いたとされている。当時のユダヤ人社会の信仰的な指導者、他でもないファリサイ派だったのである。9章や10章に描かれているイエス様とファリサイ派の人々の対立や論争は、西暦100年頃の小アジアで、クリスチャンとファリサイ派の人々との間に生じていたものを描いたのだと言われている。そうした対立を描く中でヨハネは、人々に問うているのだと思う。「ファリサイ派とイエス様とでは、一体どちらがまことの羊飼いなのか」と。「どちらが羊である私たちを養ってくれる良き羊飼いなのか」と。
 1月、岩波新書の新刊として『ユダヤ人とユダヤ教』という著書が出版された。早速買い求めて読んだ。その冒頭で、著者の市川裕先生(東京大学 大学院 人文社会系・文学部 宗教学 教授)は、このように書いている。「(紀元70年に起きた)戦いは無残にも、多くの人々の死、神殿崩壊、国土の荒廃、首都の崩壊で終わった。ユダヤ社会でラビが出現したのはまさにこの時期からである。ラビは聖職者ではなく、神の教えに関して専門知識を持つ律法学者である。彼らは、祖国を失ったユダヤの人々に新たな生き方を示す賢者であった。ラビは時代によって職務内容に変遷はあるが、今日に至るまでユダヤ社会を指導する重要な身分であり続けている。ユダヤの人々は、親、兄弟、友人でも解決できない問題はラビに頼り、時にはラビに付き添い、教えを請うことで解決してきた(同書12ページから)」と。この書物全体を通して市川先生は、ラビと呼ばれる律法学者たちを高く評価しておられる。市川先生が紀元70年のエルサレム崩壊のただ中から出現したと言っているラビこそが、9章や10章において登場するファリサイ派に他ならない。彼らこそエルサレム崩壊後の紀元100年頃のユダヤ人社会を牧会する羊飼いであったのである。しかし、それをよくわかった上で、なおヨハネは人々に問わざるを得なかったのだろうと思うのである。一体イエス様と彼らとどちらが真の羊飼いなのかと。

3.ヨハネは、ファリサイ派の人たちを、「羊を盗み滅ぼす悪しき羊飼いであり、また狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げる雇い人のような羊飼いだ」と評した。しかし先ほどの市川先生の文章からすれば、それは余りにも一面的すぎる見方ではないだろうかと思うのである。律法の専門家たる彼らが、ちゃんとした羊飼いであるとの側面がなければ、流浪の民となって全世界をさすらって苦悩したユダヤ人を牧会する羊飼いとして今日あるを得ることはなかったはずである。しかしながらヨハネは、西暦100年頃の彼の周りにある状況からして、どうしてもファリサイ派の人々を盗人のような悪しき羊飼いとしか言いようがなかったのだと思う。その具体的事実こそが8章の姦淫の現場を取り押さえられた女性の出来事であり、9章の生まれつき目が見えない人の出来事ではなかったか。
 羊飼いと言えばすぐに思い出される聖書箇所は、詩編23編であろう。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて下さる」と詩人は歌っている。9章に登場したのは、生まれつき目が見えず、それゆえに両親からも縁切られ物乞いをしてしか生き得ない人であった。彼こそは、羊飼いによって青草の原へと導かれ、憩いに水場へと誘われ、魂を生き返らせていただかねばならない羊ではなかったか。ところがこの羊に対して、ファリサイ派の人々はどのように接したか。「お前は全く罪の中に生まれたのに(9章34節)」と彼に言い放った。イエス様の弟子たちさえ、イエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、本人が、あるいは両親が罪を犯したからですか」と尋ねた。それと全く同じ見方をファリサイ派の人々はしていたのである。「罪の中に生まれたことの現れが、生まれつきの盲目という障がいなのだ」と彼らは見ていた。彼らにとっての神様とは、つきつめれば私たちの罪を責め、怒り、それに対してこうした罰を下す存在だった。
 生まれつきの盲目というハンディが、象徴的に示すのは、私たち人間にはどうしても取り除くことができない病いやハンディである。私たちの誰しもが、いつかはそのようなマイナスを背負う。ファリサイ派の信仰とは、それを私たちへの神の怒り・責め・罰としてしか見ることのできない信仰なのである。本当に神様がそういう存在だとすれば、そのような病いや苦悩を背負った私たちに立つ瀬はない。自分では取り除くことができないマイナスを背負った私たちには、だからこそ食べなければならない青草や水や魂の生き返りが不可欠なのである。死の陰の谷を行くときの導き、苦しみを前にしてこその食卓が不可欠なのである。9章に描かれているファリサイ派の人々は、生まれつき目の見えない人に、そのような食べ物・水を与えることができたであろうか。できなかった。むしろ食べ物を奪ったのである。「お前などどうしようもない罪人なのだ」とレッテルを張って滅ぼした。狼の餌食にしたのである。狼とは、私たちから生きる希望や喜びを奪おうとする存在ある。

4.このようなファリサイ派は、私たちにとって決して無縁な者ではないと、改めて示される。確かに文字通りの意味でのファリサイ派は、私たちの前にはいない。しかし私たちひとりびとりの中に、ファリサイ派のような存在がいるように思う。
 今、私たちは聖書研究祈祷会で、イザヤ書の56章以降の箇所を学んでいる。通説としては、イザヤ書の40章から55章までは、バビロン捕囚因の中にあったイスラエル人に語られた部分であり、56章から66章までは、紀元前538年にペルシャ王キュロスによって故郷への帰還が許された後の部分だとされている。帰還後にイスラエル人の羊飼いとなった人々(エズラやネヘミヤといった人々)の後に、ファリサイ派やラビ・律法学者となる人々が生まれた。彼らには、瓦礫の山になった信仰共同体を再建するにあたって、ある原則があった。それはバビロン捕囚やその後帰還した後に結婚した異邦人を排除するという原則であった。また、バビロン捕囚の間にバビロニア王宮の大奥のようなところに仕えるために強制的に「去勢」された人々がいた。このような人々も汚れた者とされて排除された。ファリサイの語源は「分離・排除」という意味である。このような再建の仕方に対して神様は、はっきりと「主のもとに集ってきた異邦人は言うな『主はご自分の民とわたしを区別(ファリス)される』と言った。『わたしは枯れ木にすぎない』と(イザヤ書56章3節)」。神様は区別や排除などしないのに、人間の側が勝手にそれを神様の御心だと言って区別したり排除したりするのである。生まれつき目の見えない人を、全く罪の中に生まれたからそうなったのだと言って排除するのである。このようにマイナスを排除してゆくのである。
 こういったファリサイ派的なものが私たちの中にあるのではなかろうか。羊に対して盗人であり雇い人でしかない悪しき羊飼いとは、他でもない私たち自身なのである。生まれつき目が見えないという病気に象徴されるような重いハンディやマイナスを背負った自分自身を私たちは見捨てるのである。それが自分を飼う羊飼いとしての私たちなのである。私は先日、録画していた『サピエンス全史』『ホモデウス』という著書(著者はイスラエル在住のユダヤ人であるユヴァル・ノア・ハラリ)の内容を解説した番組を観た。今や人間(ホモ)は、デウスつまり神になろうとしていると著者は言うのである。AIと人間の脳や体が直接に接続されて、ある意味において人間は不死と全能を手に入れるだろうと。しかし、そこで神となった羊飼いたる私たちがやることと言えば、つきつめれば排除であり分離ではなかろうか。自分たちにとって嫌な弱さや欠陥や病いを、例えば遺伝子の操作をして常に排除し続けるのである。しかし、そのような羊飼いは、羊を滅ぼすことしかできな。狼から羊を守ることはできない。死の陰の谷に置かれた自分に青草や水を与えることは決してできない羊飼いなのである。

5.だからこそ、羊のために命を捨てるイエス様こそが良き羊飼いなのだとヨハネは語るのである。16節には、イエス様に飼われてこそ「羊は一つの群れとなる」とある。また「囲いに入っていないほかの羊をも導けるのだ」とイエス様は語っている。私は新たに、このイエス様の言葉の意味を味わうことができた。イエス様が羊のために命を捨てたということは、ただ単に羊飼いが羊のために命を犠牲にしたから良い羊飼いだという意味ではないと。そうではなく、イエス様という羊飼いだけが、十字架の死を─普通の人間ならば当然に排除し分離してしまうものを─受け入れたということにおいて良い羊飼いなのである。イエス様自身が、十字架の死の陰の谷を行く中で神様からの青草や水や魂の生き返りを見出した。苦しめるものである十字架を前にして、そこにこそ神様の与えて下さる食卓があるとわかった。その姿をもってこその良い羊飼いなのである。苦しみや死が、私たちにとって貴い歩みであることを、決して私たちの人生から分離や排除してはならないものであることを、イエス様は身をもって示して下さった。囲いに入っていない羊とは、私たち自身は悪しき羊飼いとなって排除してきたものを意味している。イエス様は、これをもなくてはならない人生の一部として導こうとされるのである。「こうして・・・一つの群れ」となるとは、私たちが分離し排除してきたものが、このイエス様によってやっとひとつになるという意味なのである。命をどこまでも手放そうとしない私たちである。このような私たちが、自分自身の羊飼いになるとき、羊である私たちは狼の餌食になる。盗人に殺されてゆくのである。命を手放すことができたイエス様が、私たちの羊飼いになって下さるとき、私たちは守られてゆくのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月27日(日)降誕節第5主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 9章 19~27節』

09:19わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 09:20ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 09:21また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 09:22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 09:23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 09:24あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 09:25競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 09:26だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。 09:27むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。

説教:『共に福音に与るため』

1.19節前半に「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」とある。この言葉は、私達プロテスタント教会のはじまりを作った宗教改革者ルターの著書『キリスト者の自由』において、最初に引用されている聖句である。ルターはこの書を、次のような問いを掲げることから書き始めている。「キリスト者とは何であるか。またキリストがキリスト者のために確保し与えてくださった自由とはどんなものであるか」。ルターがクリスチャンであるということの核心を、イエス様から自由を与えられている点にあると考えていたのがよくわかる。そして、この問いに答えるべく19節前半の聖句を引用したのである。
 この19節の御言葉が語っていることが、本当に不思議なものだと改めて思う。というのは、端的に言って自由な者であるということと奴隷になるということは全く矛盾することだからである。普通に考えれば、自由な者であることと奴隷になるということは、同時にはあり得ない。しかしパウロは、「わたしは誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」と語っている。おそらく、この言葉を語ったパウロ自身、自由であることと奴隷になることは矛盾し両立しえないことだとよくわかっていたのだと思う。それを承知で、すぐ後に述べるような背景があって、このように語ったのである。
 いったい自由な者であるということと奴隷になるということは、どのように関係しているのであろうか。自由な者であることを一旦は捨てて、奴隷になるということなのであろうか。パウロが言わんとしたのは、そうではないと思うのである。これは私の読み過ぎかもしれないが、私はここから、自由であるからこそ奴隷になったというニュアンス、あるいは奴隷状態の中にこそ実は自由さがあるのではないかということを読み取るのである。  私がなぜこの言葉にそのようなニュアンスを読み取るのかと言うと、先週の聖書研究所祷会で、ある方がこんなお話をして下さったことを思い起こしたからである。その人は若かりし頃、ミッションスクールで学んでおられた。当時、ミッションスクールで共に学んだ同級生たちから届く年賀状は皆、不思議と明るさや生きる喜びにあふれていたという。その中には、クリスチャンである人もない人もいたが、皆共通してそうだったと言うのである。ところが、ミッションスクールに通っていなかった人々からの年賀状は、「どこそこが痛い、どこそこが悪い、もう人生は闇でしかない、何の希望もない」といった繰り言ばかりだったと言うのである。そのような年賀状を読んで、自分が若い時にキリスト教に出会い、こうしてクリスチャンとして生きていられていることが本当に感謝だと言っておられた。その祈祷会の場所でも皆で話したことだが、奴隷という言葉を使えば、私達は、いつかかならず老いや病気や死の奴隷にならねばならない。そうなることからは、残念ながら逃れることはできないのである。だからこそ大事なことは、そうした奴隷状態に置かれてもなお、いやそれだからこそ、そこでも自由でありうることだと、しみじみ思うのである。老いや病や死の奴隷になったときに、なくなってしまうような自由では、何の支えにもならないのである。
 こうしたことから私は、このパウロの言葉には、奴隷状態の中におかれても、それとは矛盾しない形で見いだされる自由があるのだというメッセージを感じ取るのである。もっと突き詰めてゆくと、「私達の自由とは、限りなく奴隷的な状態の中にこそ発見されるものではないのか、そのような自由こそが、イエス様が十字架の上で死や苦難の奴隷となることにおいて私達に授けてくださったものではないのか」と示されるのである。

2.パウロがあえて、まるで相反するような自由と奴隷のことを、ここで語った背景を考えてみたい。コリントの人々に限らず、当時のギリシャ・ローマの人々は、広く自由というものを、それも特に体からの自由というものを切実に求めていた。「ソーマ(体)は、セーマ(墓場)」と言って、人々は自分たちを墓場へと引きずりこむ体から、何とかして自由になろうとしていた。それは、一方では、体の求めを極端に無視し、抑圧するようなこととして現れ、コリント教会では、結婚を避けたり、異性に触れないふるまいとして現れていたのである。他方で、体の求めることは何でも満たしてやろうとすることとして現れ、これもまたコリント教会では、義理の母と結婚したり、様々なみだらなことをしたりするさまとして現れていたのである。総じて言えば、体からの自由を求めるがあまり、結果的には、皮肉にも体の奴隷にならされていたのである。だからこそパウロは、「むしろ私は自ら進んで奴隷になったのだ、そこにこそ私にとっての自由があるのだ」と語ったのだと思う。パウロが、今述べたようなコリントの人々のありさまに感じていたのは、あることから逃れよう・自由になろうとすればするほど逆に不自由になり、逃れたいと思っているものの奴隷にされてしまう皮肉さなのであった。自由を得る方向性が違うのだとパウロは感じていたのだと思う。「~から」逃れようとするところに自由はないのである。
 ここでふと、学生時代に授業で読んだE.フロム(ユダヤ人の社会心理学者として有名)の『自由からの逃走』という本の記述を思い起こした。この本は、もう今は手元にはない。しかし、はっきりと覚えているのは、「自由には二つあって、ひとつは『~からの自由』であり、もうひとつは『~への自由』である」というフロムの記述である。そして「~からの自由」は、しばしば私達を、その逃れたいと思う対象から自由にしないだけではなく、もっと悪しきものに捕らわれてしまう結果を引き起こすと教えていた。だからこそ私達を本当に自由にするのは、目的に向かう「~への自由」だというのである。これは、パウロが今日の御言葉で繰り返し語っているのと、まさに同じである。パウロが何度も「ため・ため」と語っているのは、目的に向かうということである。パウロもまた「~から」逃れようとするところに自由はなく、その反対に「~へ」向かおうとするところにこそ、たとえ奴隷的な境遇であっても、自由があるのだと教えているのだと思う。

3.このような自由さが果たして実際どこにあるかという疑問に対して、パウロは24節以下の競技場を走るランナーのありさまをもって答えようとしている。パウロは、フィリピの信徒への手紙の3章でも「目標を目指して走る」ランナーの姿に自身をなぞらえている。この時代には、あちらこちらで、そうした競技会が開催されていた。パウロは彼らの有り様を見て、そこに信仰者の生き方を教えられたのではなかろうか。一体ランナーたちは、何が楽しくてあのような辛い走りをするのであろうか。毎日毎日が練習づけ、まさしく25節にあるように日々節制し、また27節にあるように「自分の体を打ちたたいて服従させる」ような毎日である。その練習の毎日や、本番で走る姿は、奴隷というのは言い過ぎかもしれないが、辛いことに捕らえられ縛られているような生活ではないか。
 そこにどんな楽しみがあるのか。24節・25節に、「賞を受ける」「朽ちる冠を得る」ことだと書かれている。しかし、おそらく、それだけではないのだろうと思う。賞を取って優勝することだけではなく、勝っても負けても、ある目標を掲げ、それを目指して一心不乱に精進するという営みが楽しいのだろうと思う。目標を目指して、ひたすら走るという生き方が、ある種の自由さをもたらすのだと思う。マラソンランナーも、100メートル走者も、ゴールを目指して走るのに邪魔なものは一切身に付けない。仮に走っている途中に心臓麻痺を起こして倒れ、死んでしまったとしても、それで本望なのである。そこに自由さがあるではないかとパウロは言っているのだと思う。墓場である体「から」逃げようとするところに自由を求めるのではなく、目標「へ」とひたすら向かうことに、たとえいろいろな大変さがあっても自由があるのではないかと言っているのである。

4.それでは、その目標とは何であるか。パウロは「できるだけ多くの人を得るため」「何とかして何人かでも救うため」「福音に共にあずかる者となるため」と畳み掛けている。それは、ひとりでも多くの人に福音の喜びを味わってほしいという目標である。たとえて言えば、福音というおいしい料理を、ひとりでも多くの人に味わってほしいという気持ちであると表現してもよいのではなかろうか。そのためには、まず自分自身が福音という料理のおいしさを味わっていなければならない。「こんなおいしいものならば、できるだけ多くの人に食べさせてあげたい」と心から思うようにならねばならない。そして、それを、どのようにして様々な人に届けたらよいのか。それは、届ける私達が、届けたいと思う人々のいる場所に行けばよいのである。赴いて、お腹をすかせている人々に福音という御馳走をおすそ分けすればよいのである。
 このような目標を果たさせるために、神様はパウロを、すべての人の奴隷のような者としたのである。最後には、彼はローマ帝国の未決囚となって、牢獄に幽閉されながらも福音を宣べ伝えたと使徒言行録の最後28章30節に書かれている。22節で「福音のためならわたしはどんなことでもします」とパウロは言っている。しかし、これは神様・イエス様が私達にさせようとなさることだと思うのである。神様は、私達が福音という御馳走を一人でも多くの人におすそわけできるためには、何でもさせようとなさる。パウロを奴隷のような境遇に置き、最後には牢獄に置いたように、神様は私達をも不自由で奴隷的な状況に置くのである。しかしそれは「福音のためならどんなことでもする」神様の御心の現れなのである。これが、神様が私達の人生に対して抱く目的であり、私達もこの神様の目標を受け入れて、それを私自身の目標として受け入れるのである。そうと知れば、もう何ら奴隷的な境遇に置かれることを恐れる必要はないのである。私たちは、そのような境遇の中でこそ、いよいよ福音のおいしさをより深く味わい知ることとなる。そして、パウロが牢獄でそうしたように、普段は決して福音のごちそうをおすそわけできないような人々と出会って、共にそれを味わうようになれるのである。
 郡山教会で出会ったYさんのことを思い出した。私がアキレス腱を切って入院している時に出会ったのがYさんであった。Yさんは、入院中の私がベッドの上で書き物をしていたのを不思議がっておられた。私が牧師をしていると知って、彼は教会の礼拝に通うようになった。彼は、お酒や賭けごとで、借金を重ねていた。ある時には「これから死ぬから」と私に電話をかけてきたこともあった。彼は弁護士の世話になって、自己破産の手続きを取り、その状態から脱することができた。残念ながら、諸般の事情から洗礼を受けることなく、ガンのため召されてしまった。彼は神様を信じ、安らかな最後を迎えたと思う。私が入院したことがきっかけになって、私はYさんと福音を共に味わうことになった。私達に与えられた不如意な境遇、あることに捕らえられてしまったような状況こそ、私達が福音を深く味わい、困難な境遇に置かれた人々に福音をおすそわけする機会に必ずや出会うのである。その目的を果たすことに私達の自由があり、生きる喜びがある。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月20日(日)降誕節第4主日礼拝

『ヨシュア記 3章 1~17節』

03:01ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。 03:02三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、 03:03民に命じた。「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。 03:04契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」 03:05ヨシュアは民に言った。「自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」 03:06ヨシュアが祭司たちに、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。 03:07主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。 03:08あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」 03:09ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、 03:10こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。 03:11見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。 03:12今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。 03:13全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」 03:14ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、 03:15ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、 03:16川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。 03:17主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

説教:『ヨルダン川を渡る』

1.ヨシュア記の中でも、とてもよく知られたエピソードではなかろうか。第一のポイントは、イスラエル人はヨルダン川を渡るにあたって大きな壁にぶつかり、しかし壁にぶつかったことを通して、神様から不思議な渡河手段を示していただいたということである。2章の最後に、エリコを探った二人の斥候がもたらした報告が書かれている。「主は、・・・おじけづいています」とある。この報告を聞いてイスラエル人は、すぐにでもヨルダン川を渡り、エリコを攻略できると勇み立ったのではなかったか。3章1節のはじめある「ヨシュアは朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し」というのは、その勇んだ気持ちが滲み出ているような言葉だと感じる。シティムからヨルダン川岸辺はせいぜい10数キロしかなく2、3時間もあれば到着できる距離である。ところが岸辺については、時は、ちょうど「春の刈り入れの時機で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた(15節)」とある。場所によって川幅の広い狭いはあろうが、聖書辞典の写真で見る限りでは、この川はせいぜい日本の大きな河川に流れ込む支流程度の川である。しかし春先の頃の水流はとても激しく、到底渡ることはできなかった。1節の最後から2節には、ここに三日間野営しなければならなかったとある。3とは象徴的な数字である。もしかしたら、それ以上の野営を強いられたのかもしれない。浅瀬を渡れないかとか、橋がないかとか、様々な渡河方法を必死になって模索したのではなかったか。しかし、たやすく渡れるような場所があっても、そこではイスラエル人の侵入を恐れたパレスチナ側の人々の警戒が行われていたかもしれない。だから、もう普通の方法では渡る手段はないというところに追い込まれていた。そのような中で、3節以下に書かれているような渡河手段を神様が示して下さったのである。
 その神様の言葉の真意をどう受け取るかはともかくとして、神様はイスラエル人に、パレスチナの地を与え、住まわせると言ってくださった。また、パレスチナの人々は、イスラエル人やその背後におられる神様のことを恐れていた。そうであるならば、パレスチナに入る道筋は、まことにたやすいはずではなかったか。何ら障壁などなかったように思う。しかしそうではなかったのである。その道には、ヨルダン川の激流が立ちはだかっていたのである。その御心は何かと考えさせられるのである。もしもその道がた易いものであれば、それは他の人々が普通に川を渡るのと何の違いもないものとなろう。しかしそれは神様の御心ではなかった。神様は、信仰者であるイスラエル人ならではの渡河手段を取ってほしかったのである。それは、人間が普通に考え出す渡河手段が不可能となり、万策尽きたという事態になったときにこそ、見いだされるものなのである。神様が教え示して下さる渡河方法を三日間待って、そこで示されたものに忠実に従うということになってゆくのである。これは私達にとっても、そのままあてはまることだと思う。神様の御心は、私達がクリスチャンとしてふさわしく川を渡ってゆくというところにある。信仰者ではない人々と同じような渡河の姿を取らせることはなさらない。そうであればこそ、ことのほか私共の歩みには激流が立ちはだかるのである。それによって人間的なこの世的な手段を断って、神様の示して下さる方法を待ち、それに頼らせるようになさるのである。

2.二番目に示されるポイントは、神様が示した方法が、どのようなものであったかということであり、それが私達に語りかけているのは、どういうことかという点である。神様が示した方法は、まことに驚くべきものであった。契約の箱─十戒が刻まれた2枚の石の板が収められた箱─を、レビ人の祭司が担いで先頭を行き、これにイスラエル人が従った。祭司は、激流逆巻くヨルダン川に足を踏み入れ、そこに止った。すると水がせき止められ、イスラエル人は水の干上がったヨルダン川の川底を渡ってゆくことができた。かつてイスラエル人がエジプトを脱出するとき、海が割れてそこを渡ることができた(出エジプト記14章19節以下)。それよりは規模が小さいものの、出エジプトの出来事を彷彿とさせるような不思議なことが起きたのである。このような方法を、神様が示したことについて、4節最後から5節までの御言葉がとても私の心に響たのであるい。「これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの進むべき道は分かる。・・・自分自身を聖別しなさい。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる」とある。激流の川を渡るというのは、これまでだれも通ったことのない道を行くことである。だから、それを行くためには、普通の人のままでは渡ることはできない。特別な人に変えられなければならない。それが「自分自身を聖別しなさい」という言葉に込められているのだと思う。聖別されるとは、何かピュアなものになるとか、ホーリーな者になるということではない。そうではなく、聖なる神様との特別な間柄に入れていただくということなのである。それはまず、契約の箱を担ぐ祭司の後に従うということなのである。それによって、ヨルダン川で、神様がなさる驚くべきことを体験するのである。そのようなことを通して、聖なる者とされるのである。普通の人とは違う者とされてゆくのだと思う。
 ヨルダン川を渡るということは、信仰者として、ぶつかるさまざまな壁を越えてゆくということを意味している。「これまで一度も通ったことのない道」という御言葉から特に示されるのは、私達がまだ一度も通ったことのない老いや病や死の川を渡ってゆくということである。それは、すべての人々が渡ってきた、また渡ってゆく道ではあるが、生きている私達にとっては当たり前だが、まだ一度も渡ったことのない道なのである。昔からヨルダン川を渡るということは、死を越えてゆくこととして受け止められてきた。それは生きている私達にとっては「これまで一度も渡ったことのない道」であり、激流逆巻く道なのである。イスラエル人がそうであったように、そこにはいかなる人間的な渡河方法はないのである。大切なのは、神様が示して下さる方法を与えられることである。聖なる者とされることである。祭司の後に従い、神様が体験させて下さる奇跡に浴するしかないのである。

3.先日、朝日新聞の投書欄に載った投書のことを思い出した。それは、秋田県に住むクリスチャンの投稿だった。義理の母を看取った経験の投書であった。「義母は、体の痛みもさることながら魂の痛み・恐れが大きく、怖い・寂しいと訴えていた」とのこと。そして、おそらくは投書した方を通して彼女は、キリスト教の信仰を病床にて得られ、安らかに召されたとのことであった。どれほど多くの人々が、老いや病むことや、死の川波を聖別されることなく─つまり従うべき祭司もおらず、また神様という存在が見せて下さる奇跡を体験することもなく─たったひとりで越えてゆかねばならず、そのために激流にのみこまれてしまうことであろうか。

4.最後のポイントは、私達は一体どのようにしてイスラエルの人々が体験させられたようなことを味わえるのかということである。私達が契約の箱を担いだ祭司の後に続くとは、どういうことであろうか。祭司がヨルダン川に足を踏み入れている間、その激流がせき止められたということは、私達にとってどういうことなのであろうか。
 イスラエルの人々には、それを先頭にしてついてゆける契約の箱というものがあった。また、それを担ぐ祭司がいた。そのことは、本当に幸いだったと思うのである。そのあとに続こうにも、そうできる対象がないとしたら、ヨルダン川を渡るすべがなく、聖別される手段もなかった。契約の箱とは、神様がイスラエル人に与えた十の戒めの言葉が刻まれた2枚の石の板を収めた箱である。戒めと聞くと、私達はすぐに何か無理強いされるようなことを感じてしまう。しかし、本質は決してそういうものではないのである。荒れ野をさ迷うイスラエル人には、それを支えるしっかりとした支柱のようなものが不可欠であった。これに頼っていれば、荒れ野を生き延びてゆけるというシェルターのようなものだと言ってもよい。神様はそれを、石に刻まれたたった10の原理原則として教えた。それは、神様の私達に対する配慮や守りを意味している。私達がどういうところに置かれても、その私達を生かし、支え、守るシェルターがあるということを、契約の箱は示している。この契約の箱を、レビ人である祭司が担いで、激流逆巻くヨルダン川の中で立ち止まるということは、神様の守りの力を、そこで実証するということを意味している。この激流の中でも、神様の私達への配慮は、決して失われないことを証しするものである。そのような祭司がいてくれたことは、何とイスラエル人にとって幸いなことだったであろうか。
 私達の前には、もはや契約の箱はなく、それを担ぐ祭司もいない。しかし、幸いにもイエス様が、私達に与えられた神様からの守りでありシェルターなのである。私達は、もはや冷たい石の板に刻まれた戒めに従うことによってではなく、人となったイエス様を、ただひらすら慕い、イエス様を愛することによって、神様の守りと配慮の中に置かれる幸いを得たのである。さらには、イエス様が祭司となって、私達がこれから越えてゆかねばならない苦しみや死の川波のただ中に足を踏み入れて下さったのである。苦しみや死の激流は、イエス様を押し流すことはできず、その中に道ができた。イエス様という祭司がヨルダン川の中に作った道を通って私達は、安心してこの激流を越えてゆけるのである。私達一人ひとりが、イエス様を担ぐ祭司であると言ってもよい。イエス様を担ぐと、激流に足を踏み入れても流されることはない。そしてその後には、続く人々のための道ができる。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月13日(日)降誕節第3主日礼拝

『ヨハネによる福音書 9章 24~41節』

09:24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 09:25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 09:26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」 09:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 09:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 09:29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 09:30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 09:31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 09:32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 09:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 09:34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 09:35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 09:36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 09:37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 09:38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 09:39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 09:40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 09:41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

説教:『見えることと見えないこと』

1.ヨハネによる福音書の9章13節から書かれているのは、9章1節以下に描かれていた出来事から生じた波紋の様子である。生まれつき目の見えない人が、イエス様によって目が見えるようになった。これをイエス様がなさったのは安息日だった(14節)。当時、安息日については、細かな規定があった。放っておくと命の危険を招くような緊急事態でなければ、安息日での治療が許されていなかったようだ。盲人であったこの人は、当時のイスラエルの宗教的リーダーであったファリサイ派の人々のもとに呼ばれ、事情をただされた。彼の言葉を聞いたファリサイ派の人々中で、イエス様をどう見るかで意見が分かれたようである。「安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない(16節)」と言う人と「どうして罪のある者がこんなしるしを行うことができるだろうか」と言う人に分かれた。盲人だったこの人は「お前はあの人をどう思うか」と聞かれて「あの方は預言者です」と答えた。
 さらに、この盲人だった人の両親が呼ばれた。そして「彼が、生まれつき目が見えなかったのは本当か」と尋問された。22節には「両親はユダヤ人たちを恐れていた」とある。なぜなら、この時には、もう「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。先ほどの16節では、まだファリサイ派の中でも、イエス様をどう見るかの判断は割れていた段階だった。しかし、両親が尋問された段階では、ユダヤ人としての判断は決まっていた。会堂から追放されるというのは、単に会堂から追い出されるということではなく、ユダヤ人としての交わりから断たれる─いわゆる村八分にされる─ことを意味していた。ユダヤ人は、長い間のギリシャ・ローマ世界における独自の歩みによって、様々な独特の権利のようなものを獲得していた。ユダヤ人社会から村八分にされるということは、そうした権利を失ってしまうということを意味したのである。両親はそれを恐れたのである。
 その後、再び本人が呼ばれ尋問された。ユダヤ人の指導者たちが彼に要求したのは、「イエス様を安息日を守らない罪人だと認めよ」ということだった。しかし、彼は「イエス様がどういう人なのか、罪人なのかどうかはわからない。しかしイエス様が神様のもとから来のでなければ、私にして下さったようなことができるはずはない。」と答えたのである。すると彼は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか(34節)」と言われて、会堂の外に追い出されてしまった。これは単に会堂の外へ出されたということではなく、ユダヤ人社会から村八分にされたということを意味している。このことを聞いたイエス様は、彼のもとを訪れた。彼によるイエス様への信仰告白がなされ、イエス様は彼に「こうして見えない者が見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言った。私は今日の説教題を「見えることと見えないこと」とつけた。逆説的に、生まれつき目の見えない人が見えるようになり、にだれよりも見えると言い張っていたファリサイ人の人達が見えない者とされるということが、この9章を通して著者ヨハネが最も伝えたいことであったのだろうと思う。
 以上のような波紋のありさまというのは、実はこの福音書の著者であるヨハネ─この福音書を書いた当時100歳前後になっていたとさる─が、その周囲で実際に見聞きしていたことを、あるいはもう50年以上もずっと体験してきたユダヤ教とクリスチャンとの間で起こっていた軋轢を記したものだろうと理解されている。ユダヤ教の中のファリサイ派の人々は、特に西暦70年にエルサレムがローマ軍によって破壊された後、ユダヤ人の信仰生活を支えるリーダーとなっていった。信仰生活のより所だった神殿を失ってしまった彼らの信仰のよりどころは、ますます律法を守ってゆくことに置かれていった。だから、神殿を冒涜し、律法をちゃんと守らなかったイエス様をどう扱うか、またそのイエス様を救い主として信じるクリスチャンたちをどう扱うかが大きな問題となっていったのである。最初はファリサイ人の中でも、イエス様をどう見るかで意見が分かれていた。しかし最終的にはイエス様をメシア(キリスト)・救い主として公言する者は、ユダヤ人社会から排除するとの決定が下されたのである。はっきりとキリストだとは公言しなくても、イエス様が神様のもとから来たとするだけでも村八分にされたのである。そのように公言する者たちは、両親や家族とも袂を分かたざるを得なくなっていったのである。ヨハネは、専ら小アジア周辺にいたユダヤ人にイエス様をキリストとして宣べ伝えたいがためにこの福音書を書いたとされている。ヨハネは、イエス様をキリストとして信じれば、特にユダヤ人には、このような結果が起こるという厳しい現実を書いている。それでもイエス様によって「目が見える」ようにしていただくすばらしさを手放すことはできないのだとヨハネは告げているのだと思う。

2.一体、ファリサイ人とは、いったい何が見えていない人達であったのか。だれよりも「見える」と言い張ることにおいて、どのようなことが見えなくなっていた人々だったのか。逆に生まれつき目の見えなかったこの人は、イエス様によって何を見えるようにしていただいたのか。
 ファリサイ人は、この生まれつき目の見えなかった人について「お前は全く罪の中に生まれた」と言った(34節)。それは何を意味しているのか。彼が生まれつき目が見えないという障がいを負っていたのは「罪の中に生まれた」ゆえだと、ファリサイ人は言った。弟子たちがイエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか(9章のはじめ)」と尋ねたのと同じ考え方である。ここには、当時の人々が広く抱いていた神様の見方、また神様が人間にどのように関わるかという見方の根本がよくよく現れていると思う。要は、神様が人間の罪に対して罰を下し、それに報いて、生まれつきの障がいや病気を与えるのだという見方なのであった。「神様は常に人間のあら捜しをしていて、少しでも責める点が見つかれば、そこに天罰を下す。だからこそ、神様から天罰を下されないように、人間は律法の行いを一点のくもりないように懸命にしなければならない」とファリサイ派の人々は信じ、教えていたのである。もしある人に、生まれつきの病や障がいなどがあれば、それはその人自身や両親などが罪を犯し、それに対して神様が罰を下した故だというのである。そこから解放していただくためには、律法の行いを積み重ね、何とかして神様の怒りをなだめるしかないというのである。これが、ファリサイ派の人々が、自分たちこそ「見える」と言っていた神様の姿なのであり、神様と人間との関係である。自分たちが、自分ではどうしようもできない病気や災いに襲われたときの見方だったのである。
 これがどれほど悲惨な見方であったか。私は、「『声なき者の友』の輪(FVI)」という小さな団体の役員をしている。この団体の代表の神田英輔牧師は、もとは『日本国際飢餓対策機構』というNGOの理事長をしておられた。神田先生からお聞きしたエピソードがある。エチオピアで、干ばつがとてもひどかったとき、神田先生はある村を訪れて灌漑設備を作り、土地の人に「作物を植えよう」と声をかけたそうである。するとその村の村長が無気力な様子で「そんなことをしても無駄ですよ。なぜなら村がこうなったのは神様の罰だから。人間が何をしても無駄だ」と答えたという。この村人が信じていたのはイスラム教であった。イスラム教の始祖であるムハンマドは、もとは商人であったから、その信仰の根本には商売人の考えがとても強くあったようである。神様に、なにものかを支払って何かを買うという考え方による信仰は、わかりやすいといえば確かにわかりやすい。決められた幾つかの行い─それもそれほど難しい行いではない─をやっていれば、神様は喜んで良いものを下さる。こういうわかりやすさが、今でもイスラム教を信じる人々を増やしている理由だと言われている。しかしこのような信仰は、悪いものや災いが降りかかったときには、当然それを買ったのも自分たちのせいだと受け止めさせてしまう。神様からの天罰として受け止めさせてしまうのである。それが先ほどの村長の言葉に現れていた。このような人々に、神田牧師は「いやそのようなことは決してない。どのようななときにも神様は、私たちを愛して、私たちに良いものをくださろうとしておられる。だから井戸を掘って作物を植えてみよう。神様はそれを祝福して下さる。」と励ましたという。
 私たちFVIは、インドでもささやかな援助をしている。インドでは、言うまでもなくヒンズー教が人々を支配している。その教えは、弟子たちがイエス様に質問した考え方(9章のはじめ)と同じようなものである。その教えは、本人や親が犯した罪・因果によって、その子孫は最下層のカースト、あるいはカーストにも属さないそれよりももっと下の人間に生まれたりすると教える。女性に生まれること自体も因果応報の結果としている。イスラム教は、ごくごく簡単な日々の行いをすれば神様から良いものをいただけるという教えである。さらにヒンズー教では、この因果応報から抜け出す方法はないとの教えだと思う。このように今でも、常に人間の罪に目をこらし、そこを責めて罰を下す恐ろしい神様を信仰するという考え方が彼らを支配している。ファリサイ派の信仰も同じである。神様のことがだれよりも分かり「見える」と言っても、それは見えれば見えるほど人間であることが辛くなるような見方である。しかしそれは果たして神様の本当の姿なのであろうか。もっとも大事な本当の神様の姿が見えていないのではなかろうか。

3.このようなファリサイ派の人々に対して、この生まれつき目が見えない人は、イエス様を通してどんな神様を見たのか。彼は25節で「目の見えなかったわたしが今は見える」と言い、32節では「生まれつき目の見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、聞いたことがありません」と言っている。イエス様が自分にそのようにして下さったことにおいて彼が見たのは、自分のような者に、何の代金も求めずにすばらしい御業を無料でなして下さる神様の姿であった。彼は、両親からも見放され、物乞いをして生きるしかなく、本人や親の因果がこのような病気として現れるのだと、まるで見世物のように扱われてきた。そんな自分をイエス様は、ただただ何の条件もなく見えるようにして下さった。見えるようになるために彼が払った代価は、びた一文もなかった。払ったものと言えば、イエス様が自分の目に塗ったドロを池の水で洗っただけであった。生まれつき目が見えないという障がいを償うとすれば、どれほどとほうもない程の律法の行いを重ねなければならなかったであろうか。しかし彼には、そのようなことは何一つできなかった。ただイエス様に目に泥を塗っていただき、それをシロアムの池の水で洗っただけなのであった。それなのにイエス様を通して神様は、彼の目を見えるようにして下さった。神様はこのような方なのだと、彼ははじめて知ったのだった。神様は自分たちに、そのように接して下さるとわかった。何が原因で生まれつき目が見えないのかなどわからない。それは私たち人間にはどうしようもない。しかし、それは神様が、その私たちに何かすばらしいことをなして下さるための機会なのである。イエス様が塗った泥を水で洗い流すというような、律法の行いに比べればまるで馬鹿げたようなことを通して、神様の御業は現れてくるのである。それは、私たちにとっては、十字架の上で殺され復活したとされるイエス様を信じ、こうして礼拝に集うことなのである。粗末な紙に書かれた聖書の言葉を味わうことなのである。これはまさしく泥を塗ってもらい、それを水で洗うような愚かしいことではなかろうか。しかし神様は、そのようなことを通して、私たちに、すばらしい働きを現して下さるのである。
 生まれつき目が見えなかった彼にとって、このような神様を見ることができるようになったすばらしさは、たとえ両親との縁を切られ、ユダヤ人社会から村八分にされようとも、手放すことができないものであった。生まれつき目が見えないというハンディを抱えた人こそが、逆説的に、見ることができるようになったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2019年 1月6日(日)降誕節第2主日礼拝

『コリントの信徒への手紙(1) 9章 12b~18節』

しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。 09:13あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。 09:14同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。 09:15しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。 09:16もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 09:17自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 09:18では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

説教:『自由な者ではないか』

1.9章1節から18節までに、繰り返し使われている言葉がある。それは「権利」という言葉である。8回も使われている。何の権利なのか。14節に「主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されました」とある。これは弟子たちを派遣するにあたってイエス様が語った言葉である。たとえば、ルカによる福音書の10章7節には「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」とある。これは、福音を宣べ伝える者が、その働きによって生まれた実である信徒の献げものによって生活の糧を得るという権利を指している。
 このような権利は、イエス様が弟子たちを派遣するにあたって用いるようにと言っただけではなく、13節でパウロが語っているように、イスラエルにおいて、礼拝や儀式を司る役割を神様からゆだねられていた祭司やレビ人たちにも、与えられていた権利であった。誕生したばかりの初代教会においても、こうした伝統やイエス様の言葉に従って、ごく自然に、伝道者たちは信徒たちが献げるものによって生計を立てていた。
 ところがパウロは、この権利を用いなかったというのである。使徒言行録の18章3節に、コリントでのパウロの伝道の様子として、「パウロはこの二人(プリスキラとアキラという夫妻)を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」とある。パウロは、その設立したすべての教会において、このように生計を立てていたわけではなかったようである。コリントでパウロは、テント造りの仕事をしながら伝道をしていた。なぜコリントでパウロがそうしたのか。その理由をここには詳しく書かれてはいない。しかし、12節には「キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」とだけ記されている。
 コリントで信徒になった人々は、奴隷階級の者が多かった。そのような人々は、だでさえ大変な生活のうえに、さらなる負担をかけるのを、パウロが避けようとしたのかもしれない。当時の社会には、様々な宗教を布教する巡回説教者のような人々が多くいた。彼らは、説教を聞いた人々からお金を取っていたということもあり、そうした説教者と同じに思われることを避けようとしたのではないかとも注解書には説明されていた。
 このようにパウロが、コリントで伝道者が当然に用いるべき権利を用いなかったことが、いろいろな点で、パウロと対立していた他の伝道者たちにとって、彼を攻撃する格好の材料となった。パウロ自身が認めていたように、この権利は、祭司やレビ人が、神様からそうするようにと命じられ、イエス様も弟子たちにそうするようにと言った権利であった。そのような大事な権利を、パウロはなぜ用いなかったのか。それはある意味、当然の批判であったとも言えよう。ここには、パウロを非難した人々の具体的な言葉は何も書かれてはいない。しかし、たとえば、そのように信徒たちに負担をかけないことで信徒たちのご機嫌を取り、他の伝道者よりも歓迎されようとしたのではないかという批判もあったであろう。また、そのようなパウロの伝道のスタイルが当たり前になってゆくことへの危惧もあったに違いない。
 最大の批判は、パウロがこの権利を正々堂々と用いなかったのは、そうすることに、どこか後ろめたい気持ちがあったからではないかという邪推であった。パウロは、もともとクリスチャンを迫害していたファリサイ人だった。そのことで、パウロを偽使徒だと言った人々もいた。そのことの現れが、この権利を用いないことなのだと批判したのである。このようなパウロへの非難に対して、パウロは精一杯答えようとしたのである。

2.次に考えたいのは、一体どういう文脈からパウロは、このようなことを書くに至ったのかという点である。9章1節は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。私たちの主イエスを見たものではないか」と始まっている。明らかに、この文章は「パウロは偽使徒ではないか」との批判を受けてのものだとわかる。
 しかし、そういう批判に対して、復活したイエス様と直接会い、使徒として選ばれた者として「自由な者ではないのか」と声を大にして叫んでいるパウロの様子が伝わってくる。「確かに福音を宣べ伝える伝道者・使徒が、福音によって生活の資を得るというのは、イエス様ご自身がお命じになったことではあるけれども、自分もまた、イエス様によって直接使徒として選ばれた者として、どのように生計を立てつつ伝道するかということは自由であってよいのではないか。使徒として福音を宣べ伝えるという務めを十分に果たすなら、どのようにその生計を立てるかということは自由であってよいのではないか。臨機応変であってよいのではないか。そこまで一律に“伝道者ならこうあるべき”と枠にはめる必要はないのではないか。」とパウロは言いたいのだと思うのである。
 この点こそが、前の8章までの文脈とつながるように思う。ポイントは「自由」である。これまでにコリント教会に生じていた様々な問題が扱われてきた。しかし、そのどれもが自由ということと深くかかわっていると思うのである。7章22節・23節に「主によって自由の身にされた者・・・主によって召された自由な身分の者は・・・人の奴隷となってはいけません」とあった。「体は墓場だ(ソーマ・セーマ)」とギリシャ・ローマの人々は考えて、何とかして体の不自由さから解放されることを切実に求めていた。コリント教会の人々も、クリスチャンになってもなお、そのことを願い求め、たとえば体の求めることを必要以上に抑圧して、極端な禁欲や独身主義に走ったり、奴隷である体の状態から何とかして自由にならねばと悩んだり、世俗の世界に体を置くことで、そこに流通していた偶像の神々に捧げられた食肉を食べてもよいかと悩んでしまっていた。  それは、ひとことで言えば、自由を求めるが余りに、逆に不自由になってしまっている姿だと言ってよいと思う。その結果として、教会全体が「こうであらねばならない」との縛りが、とても強い雰囲気になってしまっていたのではなかろうか。パウロは、8章までを書いてきて、このようなコリント教会の問題性を強く感じたがゆえに、自分に対して「使徒であるならばこうであらねばならぬ」と批判をする人々への反論を語ることに、自然に筆が動いていったのではなかろうか。

3.ここにきて「わたしは自由な者ではないか」とのパウロの心が読み取れたように思う。
 この自由さとは、そもそもいかなるものか。決して普通の意味で、私たちが好き勝手なことをしてよいという自由ではない。「使徒ではないか。主イエスを見たではないか」とある。これはパウロが、ダマスコに行く途中で、復活のイエス様と出会い、クリスチャンを迫害していたファリサイ人であったにもかかわらず、使徒・伝道者として選ばれたことを物語る言葉である。神様・イエス様は、パウロが迫害者であったことなどはものともせずに、いや迫害者であったればこそ、彼を使徒として選んだのである。それは、私たち人間の考えをはるかに越えたイエス様・神様の選びの「自由」である。そのようにして選ばれたことにおいて、私たちの「自由」がある。パウロは、自分が迫害者だったという過去に縛られることがない。私たちは、それぞれが抱えている様々なマイナスに縛られないのである。
 私たちと神様・イエス様との間柄は、根源的に神様・イエス様の側がイニシアティブを取っている関係である。その自由さは、私たち人間の側の様々な欠陥やマイナスをものともしない。むしろ、それをこそ用いて神様の御業を現すのである。イエス様は、生まれつき目が見えないという、私たちにはどうしようもできないハンディについて「それは神の御業が現れるためのものだ」と言った。このような神様・イエス様の御業の自由さにおいて、私たちの自由さがある。それなのに私たちは、「自分たちはこうでなければならない、教会はこうでなければならない」と型にはめて考えてしまう。イエス様自身がパウロを使徒として選んだのに、人々は彼を「偽使徒ではないか」と言った。その選びにおいて示された福音を、パウロは彼なりのやり方で伝えようとしたのに─確かに他の伝道者たちが生計を立てるありさまとは異なってはいたが─、人々は、その福音を偽物だと、彼の生活の資を得るあり様は間違っていると批判した。
 最も大事なのは、神様・イエス様の御業の自由さである。その自由さにおいて、私たちは自由な者ではなかろうか。しかし私たちは、この自由さを大事にしているであろうか。私はこの2月に、神学校の同級生から依頼され、彼が地区長を務める中部教区富山地区の役員研修会で話をすることになっている。彼は、先日電話で私に「お前ほど自由な者はいないよ」と言ってくれた。それが、はたして誉め言葉だったのか、それともあきれたゆえの言葉だったのかはわからない。しかし、私は誉め言葉だと思っている。神様・イエス様の御業の自由さが、私という人間からも「香り」として放たれているということではなかろうか。この2019年も、わたしたちそれぞれに、自分ではいかんともしがたい不自由さ・マイナスが科されるだろうと思う。しかしそれをこそ用いて、神様は福音の喜びを私たちに味わわせて、証しさせて下さる。この神様の自由さにおいて私たちは自由なのだから、「こうであるべきだ」と型にはめてはならないのである。

4.神様・イエス様が与えて下さったこの自由さに生きることにおいて、パウロが得ていた様々な賜物があった。15節・16節には、「誇り」という言葉が繰り返し出てくる。また17節・18節には、「報酬」という言葉が度々使われている。それはパウロが、その伝道者としての生き方をすることにおいて、伝道者としてのプライドをいただき、また大きな報酬をもいただいてきたという思いを語っている。他の人からどう言われても、周囲の人々とはどんなに違っていても、私は神様・イエス様によって選ばれた者であり、福音を示され、それを自分なりのやり方で告げ、知らせているということが、パウロの誇りであり報酬なのである。
 なお、パウロがここで報酬という言葉を度々使うのは、イエス様が弟子たちを派遣したときの言葉に「働く者が報酬を受けるのは当然である」とあったからではないかと思う。パウロを悪し様に非難した人々は、「お前はイエス様が受けるのが 当然とおっしゃった報酬を受けていないのではないか。報酬をちゃんと受けていないということは、おまえの伝道がちゃんとしたものではないことの現れだ」と批判したのではないかと思う。これに対してパウロは、「いや自分はちゃんと報酬を受けているのだ」と応えたのであろう。確かに、信徒から献げ物を受け、それによって生活の資を得ることをしていないということだけをとれば、報酬を受けていなかったかもしれない。しかし、17節には「自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう」とある。また、18節には「わたしの報酬とは・・・福音を告げ知らせるときに、それを無報酬で伝え」ることだとある。文字通りには「無報酬」に見えるかもしれないが、誇りをもって福音を宣べ伝えられること、それ自体に報酬があると言っているのである。
 皆さんは、パウロや私たち牧師のように直接伝道者として選ばれているわけではない。しかし、一人ひとりに神様の選びというものがあるはずなのである。イエス様の選びによって与えられた密かな働きがあるはずなのである。それは周囲の人々からは、なかなか理解されないものかもしれない。しかし、それをなすことに誇りが与えられ、豊かな報酬が与えられ、何よりも自由を与えられるということを、パウロは教えてくれているのだと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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