2019年 12月 29日(日)降誕節第1主日礼拝
15:58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。 16:01聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。 16:02わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。 16:03そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。 16:04わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。 16:05わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、 16:06たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。 16:07わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。 16:08しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。 16:09わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。 16:10テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。 16:11だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。
1.エルサレム教会の信徒のための献金の指示、そしてパウロのコリント訪問の計画と、その前に派遣しようとしたテモテに関しての依頼が書かれている。手紙を閉じるにあたっての細々とした追伸のような感じを抱く。私は、文脈の流れとしては15章58節の御言葉を受けてのものだということである。
15章58節には「動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決してむだにならないことを・・・」とあった。パウロは、労苦を伴うが決して無駄にはならない主の業とは何かということを教え示すために、16章以下の文章を書いたのではないかと私は考える。
今日は、今年最後の礼拝である。今年はどのような1年だったであろうか。労苦はあったけれども決して無駄にはならなかったと言える1年だったであろうか。しっかりと労苦に見合うだけの収穫があったと言える1年だったであろうか。私自身にとっては、なかなかそうは言えない年だったように感じている。私は、この教会に赴任して丸9年になる。これまで礼拝出席者が60人台に減るということは1年に一度あるかないかだった。今年は、月に1回、どうかすると月に2回も60人台に減るような日が出てきた。なかなか礼拝に出席できなくなってしまう人が増え、また転勤などで他所に移る人も多くあった。先日の聖書研究祈祷会で「数えられないものをこそより所にせよ」と教えられたばかりなのに、あいもかわらず数で一喜一憂し「こうなったのは自分のせいなのか」と動かされてしまう。
このような私たちに、この御言葉がまず語りかけてくれるのは、私たちをしっかりと立たせてくださるところの主の業とは、労苦を伴うものなのだということである。、わざわざパウロが「労苦が決して無駄にはならない」と語りかけているのは、それは現実としては主の業というものが無駄になるように見えるからだと、決して自分たちの利益とは思えないような働きとして見えるからだと、どうしても労苦として感じられるからなのだと思うのである。目に見えて利益があれば、それば労苦ではない。利益などなく無駄ではないかと思えるからこそ労苦なのである。しかしそれこそが、私たちを動かされないようにしっかりと立たせて下さるところの主の業だとパウロは教えているのである。
C.メラー編『中世の牧会者たち』という本の中で、とてもこころ引かれた一文があった。クレルボーのベルナールは、12世紀頃に活躍した神学者として名高い人である。このベルナールが、時のローマ教皇に励ましの手紙を送った。「教皇は、自分の目標をあまり高く掲げてはなりません。そうでないと、十分に成功を得られなかったら絶望するでしょう。・・・パウロはこう言っています。『わたしは他のすべての人より、ずっとよく働きました(コリントの信徒への手紙1 15章10節)』。こうは言っておりません。『わたしは他の人よりも多くのことを達成しました。他の人よりも多くの実りをもたらしました。』と。・・・誰であっても、その実りではなく、どれだけ努力したかによって報われるということを。ですから他の箇所に『数え切れない労苦に生き』(コリントの信徒への手紙2 11章23節)とあるように、成功よりも労苦を誇ろうとしたのです。ですから、どうぞできるだけのことをなさってください。」と。今から800年前の人々も、利益や成果がなかなか見えない働きに悩んでいたことがうかがわれる。そして、主の業とは労苦なのだという御言葉によって励まされてきたのだと思う。
2.さて、そこで、労苦を伴う主の業の具体的なものとして、まずパウロはエルサレム教会への献金を勧めている。16章の初めに「実行しなさい」とある。また「わたしがそちらについてから募金が行われることのないように」という言葉がある。この表現が暗に映し出しているのは、コリントの人々がこの募金について消極的だったのではなかったかということである。コリント教会のメンバーの中には貧しい人々が多かったようである。彼らは「到底自分たちには他教会の人々に献金を送る余裕などない、むしろ助けてもらいたいのは私たちの方だ」と思っていたのではなかったか。そのような人々にパウロは、決して無駄にはならないし、それを行うことがあなたがたをしてしっかりと立たせるものとしての主の業として、他者のための献金をまず勧めてたのである。
パウロがここで主の業として勧めているのは、決してお金を捧げる献金だけではないように感じる。2節後半に「週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて幾らかずつでも手元に取って置いておきなさい」とある。「週の初めの日」というのは「礼拝を捧げる日」のことである。献金は礼拝を捧げることと深く結び付いていたことがわかる。私たちが今もそうしているように、当時の教会も礼拝の中で献金を捧げ、それをすべて自分たちの教会の収入とするのではなく、幾らかでもエルサレム教会への募金として捧げるようにとパウロは勧めていたのである。私はここから、献金だけではなく、まず礼拝を捧げること、礼拝のために時間と身を捧げることが労苦を伴うところの主の業なのではないかと示される。そしてその礼拝において、少し痛みを伴うような形で献金を捧げたのである。それをまた教会としても労苦を感じるような形で、自分たちだけのために用いるのではなく他教会のために捧げたのである。
3.そもそも、なぜ労苦を伴うような形で何かを捧げるということが主の業であり、それが私たちをしっかりと立てることになるのかを改めて思う。以前に旧約聖書のレビ記を学んだ。この書の3つの柱は、献げ物をすることと祭司の存在と生活を清くすることだと教えられた。エジプトを脱出して荒れ野を彷徨っていたイスラエル人に神様は、何よりもまず献げ物を捧げることを大切な柱として教えた。時には収入の1/10捧げて祭司やレビ人また難民や寄留者を助けた。神様はなぜ、捧げるように命じたのか。捧げるということにどのような深い意義があるのか。
それは、お金や物を自分の手元から手放すことによって、自分の生きるということが自分の手から離れるようになるからだと示される。生きることがおのれの手から離れることによって、そこに神様の不思議な恵みが入ってくるからでなかろうか。そのようにして生きることが、しっかりと神様によって立てられてゆくことになるのである。列王記(上)17章、預言者エリヤとサレパテの女性との出会いの物語を思い出す。彼女は寡婦としてひとり息子を抱えて生活に行き詰まり、わずかに残った粉と油から最後のパンを焼いて食べ、後は死ぬばかりだと思っていた。そこにエリヤがやってきて、何とも厚かましく最後に残った油と粉で自分に食べ物を持ってこいと言う。彼女はその通りにした。すると「壷の粉は尽きず瓶の油もなくならなかった」というのである。この物語が指し示しているのは、「おのれの手の中に持っているものによってのみ生きるということから離れよ、自分の手の中のものを手放してそれを他者に捧げてみよ、するとあなたの命は不思議にも神様によって養われるようになる」ということなのである。
なぜ礼拝を捧げることが大事なのか、また献金を捧げることが大事なのか。それはひとえに、それによって私たちの生きるより所となるものを私たちから手放せるからなのである。時間にしてもお金にしても自分自身の体や心にしても、そうなのである。自分の思い通りになるような、自分が主人であるような生き方を手放し、できるだけ少なくすることなのである。そうすれば、そこに神様が入ってくるのである。
4.改めて、いったい教会の存立とは、しっかりと立ってゆくということは何によるのか。会堂の維持が不可欠だとか牧師がいることが不可欠だとかそのようなことであろうか。しかし、そのようなことをパウロはここで語っているであろうか。確かに伝道者であるパウロは、テモテのことに触れている。勿論彼らは不可欠ではあった。しかしここを読んでわかるように、当時の教会は牧師がひとつの教会に常住していたわけではなかった。だから、ひとつの教会に常住する牧師の生活を支え、またその会堂を支えることが教会を存立させることではなかったのである。信仰共同体としての教会は、まず信者が「週の初めの日に」礼拝を捧げるために集まることによって支えられていたのである。そして、そこで自分たちのためにだけではなく他者のために献金を捧げた。様々な形で自分たちの利益には直接にはならない労苦を受け入れていた。教会はそのようにしてしっかりと立ってきたのである。教会は何よりも礼拝共同体であり他者のために捧げる共同体であることによって存立する。自分で自分を支えようとして存立しているのではない。維持するということが中心にあってはならないのである。そうではなく、まず礼拝を捧げる共同体として、そしてそれと密接不可分につながっているところの、他者のために捧げる共同体であることによって、教会は不思議にも立つことができるのである。
これはまた、教会の存立だけではなく皆さんひとりびとりがしっかりと立ってゆくことにおいても言えるのではなかろうか。自分の手にあるものをできるだけ多くまた豊かにして、それによってしっかりと立とうとしてはならないのである。しっかり立つことは、不思議にもそれとは正反対のことによってなされるのである。
5.さて最後に、パウロが旅行の計画を書いていることを通して教えられる点に言及したい。ここに書かれているのは、おのれの生涯を自分の手から手放して、神様に預けている伝道者の姿だと言ってよいのではなかろうか。そのような姿を示すことを通して、何がわたしたちをしっかりと立たせてくれる生き方なのかを教えようとしているのだと思う。どのように歩むのが主の業なのかを教えているのである。
パウロは様々な旅行の計画を立て、それを語っている。しかしその中心にあるのは「主が許して下されば」ということなのである。神様の許しがあってはじめて、それらは実現してゆく。思い通り実現しなくても、それもまた「主の許し」の下においてのことであり、「主の業」を生きることなのである。
10節から11節、テモテについてこうパウロは語っている。「わたしと同様彼は主の仕事をしているのです。だれも彼をないがしろにしてはならない」と。主の仕事・業をしていたテモテが、現実にはないがしろにされ労苦していた様子がうかがわれる。これが神様のよしとされる働きに生きる者の姿なのである。なかなか世間的には報われない。このようなテモテを「そちらについたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようにお世話ください」とパウロは願った。主の業に生きるがゆえに労苦し、この世的には報われないでいる人々が心配なく過ごせる。教会がそのような共同体であることによって、教会はいつの時代でも、しっかりと立ってゆけるのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 12月 22日(日)クリスマス礼拝
02:01そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 02:02これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 02:03人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 02:04ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 02:05身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 02:06ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 02:07初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 02:08その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 02:09すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 02:10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 02:11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 02:12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 02:13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 02:14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
1.天使は、羊飼いたちに開口一番「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる(10節)」と言った。大きな喜びの訪れの告知は、恐れるなという語りかけを伴ってなされた。それは、大きな喜びの訪れが恐れを伴うものでもあったということを物語っている。
天使ガブリエルは、ザカリア夫婦が待ち望んでいた子の誕生をザカリアに告げるにあたって、やはり開口一番「恐れることはない」と言った(1章13節)。天使ガブリエルは、イエス様の受胎を告げたときも「恐れることはない」とマリアに言った(1章30節)。そしてまた、この羊飼いたちへの語りかけにおいてもそうであった。私たちは、こうした一連の語りかけから、とても大きな励ましを受けてきた。
私たちに与えられたメッセージは、「神様が与えてくださるおめでたさや大きな喜びとは、しばしば私たちにとっての恐怖や不安を伴うものだ」ということである。神様が下さる大きな喜びは、しばしば、私たちに恐怖や不安を与えるものとして現れる。しかしそれが私たちへの大きな慰めや励ましとなるのである。なぜなら、神様が下さるめでたさや喜びがそういうものとして与えられるのであれば、私たちに恐れや不安を抱かせるような出来事を、いたずらにおののき悲しむ必要はないのだと教えられるからである。むしろそこに私たちにめでたさや喜びを与えるようなことが秘められていると受け取ってよいのである。
私たちは当然のように、恐れや不安と喜びとは決して両立しえないものだと思い込んでいる。私たちが抱く喜びは恐れに対しては本当に無力であって、恐れや不安がトゲのように小さなものであっても、あっという間に私たちから喜びを奪ってしまう。今置かれている状態への恐れや将来への不安から、これまで長い間積み重ねてきた喜びを、あっという間に失ってしまった人々を、私は牧師として、いくつも目の当たりにしてきた。私たちが抱く喜びは、恐れに対してなんと無力かとしみじみ感じた。恐れは、あざ笑うかのように私たちから、やすやすと喜びを奪っていった。そのような私たちに対して、今年のアドベントで、そしてクリスマス礼拝で耳を傾ける御言葉は、「恐れるな。喜びがあるから」と告げてくれるのである。恐れや不安があることを恐れてはならないのである。そこには決して奪われることのない大きな喜びがあるからである。
2.もしも、生きることについて、ほんの一片でも恐れや不安を抱くなら、もはや喜びがもてないというのならば、そもそも私たちには喜びなど抱き得ないということになってしまう。なぜなら私たちが生きて時間を重ねてゆく上では、おのずと行き先への恐れや不安を抱かざるを得ないからである。生物である限り細胞レベルから老化は進んでゆき、その寿命は近づいてゆく。だから、根源的に、生きる限り将来への不安や恐れを抱くことから逃れられはしないのが私たちではなかろうか。それなのに私たちは、さも当然のように、喜びを抱くなら不安や恐れはあってはならないと思い込んでいるのである。そこに付け込んで高笑いをしながら、恐れは喜びを私たちから奪い取ってゆく。だから私たちは、この攻撃に対してちゃんとした対抗手段を持たねばならない。そしてその手段はある。それが、「恐れるな。喜びがあるから」である。「恐れを抱くのを恐れてはならない。たとえ恐れを抱いても喜びはあるから」なのである。「恐れるな」と天使は言う。しかしそれは文字通りの意味で「恐れの否定」ではない。そうではなく、私たちの中に恐れが生じてくることを否定したり、あってはならないこととして排除してはいけないということなのである。恐れが生じるのは当たり前なのであって、しかしたとえ恐れがあるとしてもそれは私たちから喜びを奪うことはできないのである。これをしっかりと知ることが大事なのだと思う。
ダニエル書の御言葉をまた思い起こす。「分けられないもの」こそが私たちのより所なのである。私たちの何よりものより所は生きるということである。しかし生きるということには簡単にはこれは良いこれは悪いと分別できないものが一緒につまっていると思うのである。近年の科学技術の進歩により、動植物から人類にとって有用と思われる遺伝子だけを残して邪魔だと思われるものを切り捨てた生き物を作り出すことができるそうである。遅かれ早かれこれは、人間にも応用されるようになるのも、もはや時間の問題だと言われる。しかし、そのようにゴミを分けるように分別された細胞やそれによって作られた人間が、はたしてちゃんと生きられるのかどうか。恐らく細胞の成長と老化とは、分けることができないものだと思う。受精卵が様々な臓器へと成長・分化してゆくのと細胞がガン化してしまうシステムはつきつめると同じものなのだと聞いたことがある。人間からガンができる機能を邪魔だといって除外してしまったら、細胞が成長・分化することもできなくなるのではかろうか。このように、私たちのより所である生きるということには、幸いと災いとが、分けることができないようにつながっているのである。
3.そこで、この恐れの中でも与えられる大きな喜びについて、天使は「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」と告ます(11節)。恐れや不安がある中でも、私たちに与えられる喜びとは、他でもなく救いだと言うのである。救い主から与えられる救いが、喜びなのだと告げている。
救いとは、「助け」と言い換えてもよいであろう。救われまた助けられることにおいて与えられる喜びというものが、普通に私たちが抱く喜びとどのように違うものなのであろうか。それが最もよくわかるのは、病人が与えられる救いや助けを通してだと思う。イエス様自身がしばしば、「健康な人には医者はいらない。医者を必要とするのは病人である(例えばルカ5:31)」とおっしゃっている。私たちに下さる喜びというものが、病人が医者によって救われ助けられることにたとえて教えている。私たちが普通に抱く喜びというのは、あくまで健康な人間であることにおけるものではなかろうか。自分が病人になって医者から助けられたり救われたりなどしないことにおける喜びである。自分がだれかによって助けられたり救われたりすることを除外している喜びである。しかしそれでは、恐れの中に置かれたときにもある大きな喜びを見いだすことはできないのである。喜びと恐れが結び付いていることがよくわかる。私たちは、助けられ救われる状態に置かれることが怖いのである。
4.天使は、大きな喜びと救いのあるしるしは「飼いばおけの中に寝ている乳飲み子」だと告げた。このしるしが指し示している喜びや救いとはどのようなものであろうか。家畜小屋に置かれた牛や馬のよだれや餌や糞尿で汚れた飼いばおけの中に、神のひとり子は安らかに眠っていた。喜び一杯で眠っていたのである。この赤ん坊が、しるしとして、象徴として現しているのは、何よりも誰かに助けられ世話をされなくてはならない無力な存在ということである。それは、病人以下であろう。世話をしてくれる者がいなければ、あっという間に死んでしまう存在である。そのようなところに救い主は安らかに身を置いていたのである。
生まれたばかりの赤ん坊ほど喜びに満たされた存在はないかもしれない。しかしその赤ん坊は、人間の他のどんな時にもまして無力なものである。いついかなる時よりも助けられ救われなければならない存在なのである。そこにイエス様は救い主として身を置かれたたのである。このことから私たちへの救いや助けがもたらされるのではなかろうか。私たちが恐れつつもそのような境遇に身を置かねばならない時、なぜか不思議にもこの赤ん坊のように喜びが与えられるのだとのしるしなのである。
また、この家畜小屋や汚ならしい飼いばおけこそ私たちの象徴だと、しるしだと感じる。それは到底、自分では受け入れ難い存在となった私たち自身である。しかしそこに神様は、ひとり子を安らかに喜び一杯に眠らせて下さったのである。これもまた私たちに与えられる喜びと救いのしるしなのである。汚らしい飼いばおけのようになった私たちという器を用いて、神様は救い主をそこに眠らせたまうのである。汚れた私たちの中にこそ、何かすばらしいものが置かれているのではなかろうか。そのような私たちでも、イエス様を横たえさせることができるのだから。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 12月 15日(日)待降節第3主日礼拝
01:39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 01:40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 01:41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 01:42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 01:43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 01:44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 01:45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 01:46そこで、マリアは言った。 01:47「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 01:48身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 01:49力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 01:50その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。 01:51主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、 01:52権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、 01:53飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。 01:54その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 01:55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 01:56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
1.39節に「そのころマリアは出掛けて、急いで・・・挨拶した」とある。マリアがエリサベトに会いたくて、急いで出掛けていった様子が浮かび上がってくる。その気持ちは、想像に難くない。38節に天使ガブリエルにマリアが「お言葉どおり、この身になりますように」と答えたとあった。やはり内心は不安で、いても立ってもいられなかったのではなかったか。だからガブリエルから、親戚のエリサベトがとても不思議な形で既に6カ月の身重になっていることを教えられると、会わずにはいられなくなったのである。エリサベトに会ってマリアは、エリサベトに「あなたは祝福された方であり、胎内の子も祝福されています」と告げられた(42節)。その言葉を聞いて、どんなにかマリアは嬉しくまた安心できたであろうか。マリアも、自身に授かった子どもがエリザベトが授かったこと同様に祝福されているのだと確信できた。それがマグニフィカートを口にさせたのである。私はここに、信徒の交わりのありがたさを、そして意義というものをしみじみ感じる。
神様が与えてくださるめでたさは、しばしば私たちにとってはそうとは思えないものとして、むしろめでたさとは正反対のように感じられるのである。神様の下さるめでたさは、ザカリアの口をきけなくした。またマリアとヨセフの婚約関係を破談寸前に追い込むようなものとして現れた。天使ガブリエルは、ザカリアに「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる」と告げた(1章14節)。しかし私たちに与えられた「子ども」─文字通りの子どものことではなく、出来事を通して私たちが積み重ねる経験─は、喜びや楽しみをもたらすとは到底思えないものなのである。だから私たちは、恐れや不安にかられてしまう。その不安のことを、誰かに聞いてもらわなくてはいられない。そしてこの出来事は一体私たちに何をもたらすのかと教えていただかなくてはならない。そのようにしてはじめて、「このことは私に喜びや楽しみをもたらし、私は祝福されているのだ」とわかるのである。そのためには、私たちにとってもエリサベトのような存在がが不可欠なのである。つまり、すでに6カ月の身重になり、神様のくださっためでたさを、身をもって体験できている信仰の友・先輩が不可欠なのである。
教会という交わりは、そのためにこそある。もし私たちがマリアのような立場に置かれたなら、即ち私たちに到底喜びや楽しみ・めでたさをもたらしてくれるとは思えないつらい出来事の中に置かれたらなら、「急いで」私たちにとってのエリサベトを訪ねなくてはならないのである。そうせずにぐずぐずと自分の抱いている不安や心配に留まっていてはならないのである。
2.訪ねられたエリサベトの側にも驚くようなことが起きた。夫ザカリアが、口がきけなくなり、そのために恐らくは祭司の務めも休職せざるを得ない状況に追い込まれていた。彼女自身は日々大きくなってゆくお胎に喜びを実感できてはいたであろう。しかしそれでもなお不安も心配もあったはずである。ところが親戚のマリアが訪ねてきて顔を合わせたとたん、「その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言」うように促されたのである。エリサベトもまたマリアの訪れによって、その子がおどるように感じ聖霊に満たされるのを感じた。マリアが訪ねてくれてこそ、エリサベトもまた、いよいよお胎の子どもが祝されたものだと実感できたのであろう。
このようなことが、また私たちの信仰共同体にもあるのではないか。もしかすると私たちはまだ、神様の御業として「身ごもっている」ものがめでたい存在だとは知り得てはいないかもしれないのである。それは、いまだに私たちにとっては苦しみや悲しみのままであるかもしれないのである。しかしそのようなときにマリアのような存在が訪ねてくれるのである。神様のなさる御業によって苦しみや恐れを抱いている誰かが訪ねてくれるのである。するとそのときなぜか、私たちの中に身ごもっているものがおどるのである。不思議な祝福を感じるのである。私たちの味わった苦しみと目の前に訪ねてきた人の味わった悲しみとが感応しあう。そしてはじめて私たち自身がまず「ああ、身ごもっているものはめでたいものなのだ」と知り、それをもって目の前にいる人々をも祝福することができるようになるのである。
このようなことから言えるのは、私たちが今味わっている辛さは、いつのときにか私たちを訪ねてやってくる「マリア」を祝福するためのものなのだということである。試練の中に置かれている人々を、「あなたは祝福されている」と励ますためのものだと思う。今はまだ私たちの胎内にいる子どもはおどってはいないかもしれない。体験した出来事を祝福だなどとはまだ感じられないかもしれない。しかし、いつかそのように感じられる時が来る。「ああ、この方を祝福できるようになるために私にはあの時の辛さが与えられたのだ」と思えるようになる時が来るのである。
なお、マリアとエリサベトとのすばらしい出会いが、女性のそれであったというところに感じさせられるものがある。殊更に性を分けるのはよいことではないが、しかしこれは女性を蔑視するのではなく讃えることとして申し上げるのだから許されると思う。マリアがエリサベトを訪ねたとき、一体ヨセフやザカリアはどこにいたのか。ザカリアは、相変わらず口がきけないままだった。ヨセフは、マリアと一緒にエリサベトを訪ねた様子はない。信徒の交わりにおいて私たち男性とは、このような存在なのかもしれないとしみじみ感る。神様のくださるめでたさを身ごもり、それをもって互いに祝福しあえるのは女性なのである。教会は女性によってこそ成り立っているのだとしみじみ感じる。
3.さて、このような出会いによってマリアはマグニフィカートを高らかに歌う。なぜこれがマグニフィカートと呼ばれているのか。この歌は、もともとギリシャ語で書かれている。それをラテン語に訳した文章の最初にマグニフィカートという言葉が出てくるからなのである。マグとはギリシャ語ではメガ、大きくするという意味の言葉である。
この歌を読むたびに私が何よりも強く心を打たれるのは、48節最後の「今から後、いつの世の人も私を幸いな者と呼ぶでしょう」という言葉である。実はこの賛歌は、旧約聖書サムエル記(上)2章1節以下にあるハンナという女性の祈りと、とても似通ったものと言われている。ユダヤの女性たちだけが連綿として受け継いできた祈りや賛歌のようなものがあり、それをエリサベトと共にマリアが、我がこととして口にしたと言ってもよいのではないかと感じる。男性ではなく、女性だけが口にできる讃美が受け継がれてきたのであろう。その中心にあるのが「幸いな者」ということではないかと感じるのである。女性こそ幸いを求める者である。大切な人々との幸いを誰よりも求めるのが女性なのである。では何が幸いなのか。それをマリアはエリサベトと共にしっかりと証ししてくれているのである。イスラエルの女性たちが、連綿と証ししてきたものにしっかりと基づく形で。だからもし私たちが幸いを求め願うならば、ここに証しされているところの幸いでなければならないのである。それ以外の幸いは幸いとは言えないのであろう。
その幸いの特徴の第一は、マリアとエリサベトの出会いに基づいている。信仰を同じくし、同じように神様のくださるめでたさを身ごもって、とまどいつつも互いを祝福しているその信徒の交わりにこそまず幸いがある。
特徴の第二は、マグニフィカート。由来として大きくするという意味がある。何を大きくするかと言えば「私の魂は主をあがめ」とあるように神様を大きくするのである。それと反比例して私たち自身を小さくしてゆく。私たちの幸せは分数と同じだと聞いたことがある。分数は分母が大きくなればなるほどその値は小さくなる。それと同じように、私たちの思いや欲望や願いという分母が大きくなればなるほど、私たちが感じる幸せは小さくなってゆくのである。だから幸せを得るためには、私たち自身が小さくなってゆかねばならない。そして神様が大きくなってゆかねばならないのである。
ここに証しされている幸いは、小さな私たちにこそ与えられる神様からの幸いだと思うのである。幸いとは、ささいなところに見いだされるものだということ、あるいは私たちが小さくされているところにこそ不思議と見いだされるものだということである。51節以下に、革命的とよく言われるような言葉が語られている。しかし決してそれは文字通りの革命を描いているものなどではない。なぜ思い上がる者は打ち散らされ、権力ある者はその座から引き下ろされるのかと言うと、それは彼らには幸いが得られないからなのである。思い上がる者や権力ある者は、なかなか幸いを得ることができないので、それを得るためには引き下ろされるしかないのである。しかし小さくされた者は幸いを見いだすことができる。
4.ダニエル書5章の御言葉はとても意味深いものだった。バビロニア帝国の最後の王様だったベルシャツアルは、宴会の最中に不気味な指が現れて王宮の白壁に文字を書いた。それを見て王は、恐怖に襲われた。その文字を読み説き明かせる者は誰もいなかった。そこでダニエルが呼ばれた。ダニエルはその文字が「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」と書かれていると解き明かした。そしてその意味は、ダニエルの解釈によれば「数える・測る・分ける」という意味であるという。ベルシャザルは王として、金や銀などを神々として頼りまた金銀によって得られるものを頼りにしてきた。ひたすら数えられるもの・測られるもの・分けられるものを頼り誇ってきた。だからこそ「あなたは数えられてしまう・測られてしまう・分けられてしまう」とダニエルは告げた。そしてその夜に王は殺されてしまい帝国は滅亡するのである。ここから私は、数えられないもの・測られないもの・分けられないものを依り頼めというメッセージを受け取った。私たちが与えられる幸いとは、まさしく数えられないもの・測られないもの・分けられないものによるのではなかろうか。そして何よりも小さくされてそこに神様や人々からいただく幸いとは、そういうものなのである。また神様が下さる幸いは小さなもの・ささいなもの・かすかなものなのである。だからそれは、数えることなどできない。ましてや測ったり分けたりすることはできないのである。
さらに言えば、私たちの人生も、これは良い・これは悪いと分けることのできないものなのである。神様が私たちに生み出させてくださる「子ども」は、文字通りの子どももそうだが、本当にこれは良い・悪いと分別することなどできない。良いものと辛いものとが交じり合っている、それが私たちの子どもなのである。それが私たちに喜びや楽しみをもたらしてくれるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 12月 8日(日)待降節第2主日礼拝
01:26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 01:27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 01:28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 01:29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 01:30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 01:31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 01:32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 01:33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 01:34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 01:35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 01:36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 01:37神にできないことは何一つない。」 01:38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
1.「受胎告知」と呼ばれる場面である。1章5~25節までの箇所と同じ主題であるとわかる。前回の場面では、ザカリアにその子ヨハネの誕生が、やはり天使ガブリエルから告げられた場面では、祭司として何十年待ちに待って、やっとくじに当たって、やっとまわってきた晴れの舞台にザカリアが立っていた。その幸運さに加えて、さらには何と天使と出会い、長い間待望していた子の誕生を告げられた。それなのにザカリアは、天使との出会いに恐れを抱き、不安になり、子の誕生の予告を喜びをもって受け入れることができなかった。そのために口が利けない状態になってしまった。祭司としての務めを終え、その後には祭司も人々に祝祷をすることになっていた。しかし口がきけなくなっていたザカリアには、それができなかった。誰よりも一杯に喜びを与えられて、それを人々におすそ分けできたはずなのに、それができなかった。ここから何よりも私たちが教えられたのは、神様が与えてくださる喜びというものは、私たちにとっては、まことに思いもかけないものであり、私たちの「信仰の口」は、これを感謝して語るには余りにも小さいということである。
同じ主題がこの「受胎告知」の出来事においても貫かれていると感じる。ザカリアに現れたように天使ガブリエルがマリアに現れて、「おめでとう、恵まれた方」と語りかけた。しかし、天使ガブリエルがマリアに告げたことは、マリアにとっておめでたいとはいえないようなことであった。ガブリエルからそのことを伝えられ、マリアは29節にあるように、戸惑い、一体この挨拶は何のことかと考え込むしかなかった。ザカリアと同じように、マリアは恐れを抱いた。天使ガブリエルは、さらにこう告げた。「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生む。・・・その子は偉大な人になり・・・」と。マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と答えるしかなかった。これもザカリアと同じような応答である。ザカリアが口がきけなくされたのに対し、マリアは最後には「お言葉どおり、この身になりますように」と言えたところは違っている。しかし全体としては、天使ガブリエルから受胎を告げられた彼女の応答はザカリアと同じなのであった。
2.ルカによる福音書のこの箇所には、マリアの応答だけが書かれている。しかしマタイによる福音書では、同じ受胎告知を受けたマリアのいいなずけだったヨセフの姿が描かれていて、その戸惑いや恐れは、もっと大きなものであったことがうかがわれる。
マタイによる福音書の1章18節以下には、「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて・・・『恐れず妻マリアを迎え入れなさい・・・』」とある。婚約していたとはいえ、まだ正式に結婚はしていなかったのだから、身ごもるなどということはあってはならないことだったはずである。今から2000年前の時代である。今日のように「おめでた婚」などというものはない。子を身ごもるような関係などなかったいいなずけのマリアが身ごもっていることを知ったヨセフの恐れや戸惑い、葛藤はいかばかりだったであろうか。ヨセフが悩んだ揚げ句に出した結論は、密かに離縁することであった。ザカリア以上にヨセフにとっても、またマリアにとっても、神様が与えた「めでたさ」は決してそうとわかるようなものではなかったのである。平穏だった二人の婚約関係を破棄する寸前にまで至らしめるような「めでたさ」なのであった。
しかし何とか婚約を破棄することなく、結婚に至った二人だった。さらにその後の二人を襲った難儀も、想像に難くない。遅かれ早かれマリアに宿った子どもは、いいなずけ時に宿ったものだと知られ、夫婦は厳しい非難にさらされたに違いないのである。これが主の天使が告げた「おめでたさ」の生じさせたものだった。私たちにとっても、神様が与えてくださるおめでたさ・恵み・喜び・楽しみとは、しばしばこのような形で現れるものなのだと語りかけられるのである。
3.なぜ神様が与えてくださる「めでたさ」は、私たちに不安や恐れを抱かせ、それまでの平穏無事だった人間関係を破棄させるようなものとして現れてくるのであろうか。ザカリアにとっては、彼が祭司であり、また年を取った老人だったからだった。神様の下さった「めでたさ」は、祭司としての彼の立場を破り、また老人となり長く妻との間には子どもが与えられなかったという人間として抱えていた当然の限界を超えるものだからである。同じように、マリアにとっては「まだ男の人を知らず」正式な結婚に至っていなかったからである。そのような人間的な制約を抱えていたからである。ザカリアも「何によって」と問い、マリアも「どうしてそのようなことがありえましょうか」と問うた。私たちは神様の下さる「めでたさ」を、私たちの側の根拠によって把握し、受け止めようとする。「何によって」「どうして」そんなことはありえるのか。どんな根拠があるのか。そのようなことが現れるには、私たちの側には、あるときは余りにも年を取りすぎており、あるときは多くの限界や欠けを抱え過ぎていると私たちは言ってしまうのである。
そのことを象徴的に語っているのが、マリアの「わたしは男の人を知りません」という言葉だと思う。これは、文字通りには、マリアはまだ今日でいえば中学生ほどの少女であり、ヨセフとは婚約はしているけれども正式な夫婦ではなかったということを指している。しかしわたしはそれ以上に、様々なものを「知らない」「持っていない」「欠けている」という状況を言い表していると感じるのである。
「マリアの賛歌」の48節に「身分の低い、この主のはしため」とある。この記述は、もしかすればマリアが自分自身を「身分の低い」と言わざるをえないような何かを抱えていたのではなかったかと想像できる。婚約はしていたものの、なかなか正式な結婚ができないような「低さ」を抱えていたのではなかろうか。そこに、さらに追い打ちをかけるような突然の妊娠の告知が与えられた。周囲からの非難を受けて、さらに足りなさ・低さが増し加わっていったのであろう。
4.マリアが「男の人を知らない」のに身ごもったというこの出来事から、私たちの使徒信条に「処女マリアより生まれ」という告白ができた。カトリック教会では、ことさらにマリアの聖性・清さというものが強調されてきた。かつて私が郡山でとても親しくしていた『無罪原母女子修道会』に属していたシスターのことを思い出す。マリアは罪のない女性だったからイエス様の母とされたという。しかし、決して「処女」という言葉には、マリアの清さとか罪のなさとか、さらにはイエス様の誕生が男女の性的な営みによらないものだったというような意味はないことがわかる。ルカが言わんとしたのは、人間として子を宿すに不可欠だと私たちが当然に考えるようなことが、マリアにはなかったということなのである。それは、ザカリア夫婦が高齢となり長く不妊だったということと何ら違いがない。私たちが子を宿す上で絶対に必要な条件だと考えるものが欠けていたということなのである。そのマイナス・欠けの大きさを現しているのである。しかしそこに神様からの「おめでたさ」が宿るのである。そのマリアが天使ガブリエルに「おめでとう」との言葉をかけられたのである。
この1年の間に、信徒の皆さんも、多くのマイナスを抱えたのではなかろうか。愛する伴侶をなくされたり、一人暮らしができなくなって入院や施設入所を余儀なくされたり・・・。礼拝出席者が少なくなって、牧師の私にとってもつらいことの多い一年であった。しかし私は、このようなマイナス・欠けの大きいところにこそ、神様の下さる「おめでたさ」があるのだと教えられるのである。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは・・・を知らない」と言うしかない私たちだが、そのような私たちに「聖霊がくだり、いと高き方の力が包む」のである。そして様々な欠けを抱えた私たちをして何らかの「子を」身ごもらせて下さるのである。「聖なる」何かを生むのである。ただ欠けばかりを見るのではなく、欠けにおいて「おめでとう」と語りかけられていることを知りたいと思うのである。
5.マリアは「お言葉どおり、この身になりますように(38節)」と言っている。いつ読んでも、すばらしい言葉だと感じる。神様の言葉、そのめでたさは、他でもない「この身に」なってゆくのである。その身とは、様々な欠けやマイナスを抱えているところの、私たちで言えば、大切なものを次々と手放してゆかざるを得ない「この身」なのである。しかし神様は、そこを自分のおめでたさがなってゆく器として用いてくださるのである。他のものではなく、この私たちの「身」なのである。私たちは、この身を器として神様のめでたさを宿してゆけるのである。
ただマイナスのみを見てはならないのである。その出来事には何らかのおめでたさがあり、それは必ずや「身」において実現してゆくのである。他のどこにおいてでもなく、私たち自身の身において実現してゆくのである。私たちの体や心や社会的状況がどんなに欠けの多いものであったとしても、この身においてめでたいことは現れてゆくのである。この身において神様のくださるおめでたさが現れてゆくことを喜びとし希望として生きてゆきたいものだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 12月 1日(日)待降節第1主日礼拝
01:05ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 01:06二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。 01:07しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。 01:08さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 01:09祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 01:10香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 01:11すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 01:12ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 01:13天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 01:14その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。 01:15彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、 01:16イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。 01:17彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」 01:18そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」 01:19天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。 01:20あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」 01:21民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。 01:22ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。 01:23やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。 01:24その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。
1.12月25日のクリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼ぶ。今年の待降節の礼拝では、ルカによる福音書に従って、イエス様の誕生以前の出来事として記されている幾つかのエピソードに心を向けてゆきたい
当時、エルサレム神殿の祭司たちがどのように日々の勤めを行っていたのか。バークレーの注解などを参考にしてざっと説明をしてみたい。当時のエルサレム神殿には、2万人を越える祭司がいたそうである。それが24の組に分けられ、日々の勤めをしていた。5節にある「アビヤ組」も、この24の組の一つである。1年に3回あるユダヤ教の3つの大きな祭り(過越祭、ペンテコステと呼ばれる五旬祭、仮庵祭)のときには、全員の祭司が何らかの役割を担っていた。普段の毎日毎日なされる勤めは、24の組から順番に1組ずつ年に2度、1週間が割り当てられたそうである。簡単に言えば、1組に半年に一度1週間の勤めの割り当てと考えてもよい。
2万人を24組に分けると約1000人弱になる。その1000人の中から1年に2週間だから、都合14人が14日間の毎日の勤めを、主役になって担う者としてくじ引きで決められていた。朝と夜の勤めに、それぞれ違う人が割り当てられたと解説している人もいる。そうすると、一つの組みには一年に28人割り当てられることになる。一生の内に二度は主役にはなれないという決まりだったそうで、くじ引きに当たらなければ、一生の間に一度も主役となって儀式を司れない人もいたようである。「主の聖所」での勤めが終わると、祭司は一般の人々が集っている場所に出てきて、そこで人々に祝福を与えたのだそうである。10節に「香をたいている間、大勢の民衆が皆外で待っていた」とあった。また、21節に「民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを不思議に思っていた」とあるのは、こういう習わしが背景にあるからである。
2.以上のような背景がわかると、祭司だったザカリアが、ここでくじに当たって香をたいていたということの持つ意味がよくわかる。ザカリア自身が「わたしは老人ですし(18節)」と言っている。ザカリアは老人になってやっと、くじにあたって栄えある主役の座につくことができたのである。祭司として生きてきて、はじめて一世一代のおめでたい舞台に立っていたことがわかる。
そういう晴れの舞台の日に、さらに子の誕生を天使から告げられるというおめでたいことが重なったとも読むことができよう。しかし、ルカが告げようとしていたのは、どうもそのようなニュアンスではなかったように思う。祭司としての晴れ舞台に立っているザカリアが、神様の使いである天使と出会い、長い間待ち望んでいた子の誕生というめでたい喜びを告げられたというのに、それをそのように受け取ることができなかった姿が描かれている。何よりも、その姿の典型は、口がきけなくなってしまって、ザカリアからの祝福を待ち望んでいた人々に、それができなくなってしまったということである。これ以外にも随所にそのようなありさまが見受けられると感じる。
ザカリアは、9節にあるように「主の聖所に入って」務めについていた。それは、聖なる神様自身との直接的な出会いではなかったが、儀式を司ることを通して聖なる神様と出会おうとしていたのである。ところが、そのさなかに彼は、間接的どころではなく、主の天使と出会ったのである。天使は神様自身とは言えないかもしれない。しかし香をたくという儀式よりは、はるかに神様自身との出会いに近かったはずである。ところがザカリアは、主の天使を「見て、不安になり、恐怖の念に襲われた」のです。そして13節以下でガブルエルから待ち望んでいた子の誕生と、「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる」と告げられた。それなのにザカリアは「何によって、わたしはそれを知ることができましょうか。・・・妻も年をとっています」と応えた。そのために「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口が利けなくなる」と言われてしまった。
本当は、このザカリアこそ、天使と出会い、待ちに待った子の誕生を告げられて、神様が与えてくださる祝福に満ち満ちた人なのであった。だから、その一杯の祝福を人々におすそ分けできたはずだった。しかしそうできなかった。晴れの舞台に立った人がそうできなかった。神様の使いと出会った人がそうできなかったのである。
3.このようなところに、私たちに語りかけられている意味深いメッセージがあるように感じる。一体なぜ、ザカリアはこうなってしまったのか。それは、まず何よりも祭司としての先入観のようなものである。また、18節で彼自身が「わたしは老人ですし、妻も年をとってい」るからと言っているように、人間として当然に抱いてしまう固定観念もある。
11節に「主の天使が香壇の右に立った」とある。これは本当に象徴的な言葉ではなかろうか。主の天使が、ザカリアが務めをしようとする場所の傍らに立ったので、彼は務めができなくなった。主の天使が立っているのだから、祭司としての務めは全く違ったものとなったはずである。神様の臨在を人々に生き生きと伝えられたのではなかったか。ところがま逆だった。不安になり、恐怖に襲われてしまった。それは、祭司として抱いていた信仰の枠組みを破るものだったからであろう。「神様とは決してこのような形では私たちに現れないのだ。あくまで神殿でなされる様々な儀式を通して現れるのだ。」そうでなければ祭司が存在して神殿で多くの儀式を行うことの意義がなくなってしまう。そういう祭司としての固定観念が恐れを抱かせ、せっかく神様の使いと出会うことができたのに拒んでしまったのである。
老夫婦に、どうして子が生めようか。「何によって」と18節でザカリアは問うている。神様が私たちの固定観念を打ち破って、驚くような喜びを与えようとするのに私たちは、なおも私たちの側の枠組みにしがみつき、「何によって知ることができますか」と問うのである。私たちが抱えている年齢や体の問題、また長い間に作り上げられた様々な制度やシステムが妨げになって、神様がせっかく私たちに与えようとする喜びや楽しみを受け入れることができなくなるのである。6節に「神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」とあるザカリアでさえ、主の聖所に入って勤めができる幸いを与えられた人でさえ、それができなかった。それほどに私たちが持っている固定観念や先入観は強いのである。私たちの信仰による「口」は、喜びの訪れに感謝して語るのには余りにも狭く小さいのである。
4.しかし、ザカリアがこれを受け入れることができなくとも、信じることができなくとも、子の誕生という喜び・楽しみはこの老夫婦に実現したのである。ここにこそ、ルカが何よりも告げたかったメッセージがある。ザカリアのような非のうちどころのない信仰者であっても、私たち人間の信仰の「口」というものは、神様の御業を語り感謝するには余りにも小さく固定観念に捕らわれているのである。しかし、だからと言って神様は、この老夫婦に奇跡を現すのを止めない。ザカリアの不信仰は神様の御業を妨げることにはならない。エリザベツのおなかはちゃんと大きくなっていったのである。
しみじみ感じさせられるのは、神様が私たちに与えられる喜びや楽しみはこのような形で、つまり私たちに不安や恐れを抱かせ、私たちの口を利けなくさせ、ザカリアが祭司として人々に与えていた「既存の祝福」を不可能にするようなものとして訪れるのではないかということである。14節の「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる」という言葉を改めて深く味わいたいと思う。ザカリアは、この知らせを喜びとして受け取ることはできなかった。14節後半に「多くの人もその誕生を喜ぶ」とあり、その後には洗礼者ヨハネの栄えある生涯が書かれている。しかし私たちは、洗礼者ヨハネの人生の最後が、「ユダヤの王ヘロデ」の息子によって首をはねられて終わる(5節)ことを知っている。その頃には、彼の両親はもうこの世にはいなかったかもしれない。しかし決して洗礼者ヨハネは両親にとって、ただの喜びや楽しみではなかったはずである。
私たちもまたザカリアやエリザベツ夫婦と同じように、自分ではどうしようもない欠けや問題を抱えており、そこに神様の奇跡や喜びや楽しみがもたらされるように願っている。しかしそれは、もしかすると、私たちに不安や恐怖をもたらすようなこととして訪れるかもしれないのである。「一体そのことのどこに喜びや楽しみがあるのか」と思うような、「何によって」と問うてしまうような、私たちの口を閉じさせてしまう出来事として起きるかもしれないのである。しかし、神様のなさる御業は、何らかの意味で私たちに授けられる「子ども」であるし、それは必ずや「あなたにとって喜びとなり楽しみとなる」のである。
5.私は、ダニエル書の4章の学びから、新たに教えられたことがあった。バビロン王のネブカデネザルは、不吉な夢を見てその説き明かしをダニエルに頼んだ。王の見た夢はまことに不吉なもので、豊かに繁っている1本の大きな木が切り倒され、その切り株や根は残るが、そこには鉄や青銅の鎖がかけられ、残った切り株は、野ざらしにされ、雨露にさらされるという夢であった。ダニエルは、これはそのまま王に起こる出来事だと告げた。
その通りのことが実現していった。私はこれまで、王が狂人のようになって野をさまようことを文字通りに受け取ってきた。しかしそうではないと今回教えられたのである。確かに王は「人間の社会から追放され、牛のように草を食らい、その体は天の露に濡れ、その毛は鷲の羽のように、つめは鳥のつめのように生え伸び(ダニエル書4章30節)」た。しかしそれは、ただただ災いであっただろうか。むしろ彼に、それまで味わったこのなかった喜びや楽しみを与えたのではなかろうか。それまでバビロン王は、たとえば4章27節「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、わたしが都として建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ」と豪語していたように、「わたしが・わたしが」と言っていばる関係の中でしか生きられなかった。それが王をどれほど縛っていたことか。いばることだけが王の食べ物であり水だった。しかし狂人となってはじめて、人間の社会から解放され、牛のように草によって生き、天からの露によって喉を潤せる者にされたのである。心は鳥のようになって空を飛べたかもしれない。そのような時があって、彼は「目を上げて天を仰ぐと、理性を取り戻した(4章31節)」のである。
神様が私たちに与えてくださる「子ども」、また喜びや楽しみは、このように私たちを越えて大きく、しばしば私たちに恐れや口を閉じさせるようなものとして与えられるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 11月 24日(日)降誕前第5主日礼拝
15:06そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。 15:07議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。 15:08人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。 15:09また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。 15:10それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。 15:11わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」
1.タイトルに「エルサレムの使徒会議」とある。1節は「ある人々がユダヤから・・・教えていた」とはじまっている。背景にある事情はというと、正確にどれ位の年月とは言えないが、できたばかりのキリスト教会はエルサレムにだけあった。そこに集う信者は、ユダヤ人に限られていた。ただ、血筋の上ではユダヤ人とは言えなくとも、今私たちが旧約聖書として読んでいる聖書に慣れ親しみ、男の子であれば生まれてすぐに割礼を受け、日々安息日を守る・・・など律法の行いをしていた外国人(今日の聖書では異邦人と呼ばれている)であっても、信仰の上ではユダヤ人とみなされていた。はじめの頃のキリスト教会は、そういうユダヤ人によってのみ構成されていた。
ところがいろいろな出来事がきっかけになって、福音がユダヤ人以外の人々にも広がってゆくことになったのである。2つの大きなきっかけを使徒言行録が記している。ひとつは、11章19節以下に書かれている。ステパノ(ユダヤ人の中でもギリシャ語をふだんから話していた人々のリーダーだった)が、神殿や律法の行いを大事にしていたユダヤ人を痛烈に批判したために殺されてしまった(6章から7章)。そのような事件が起こり、それがきっかけとなり、ステパノの仲間(教会の中のギリシャ語を話すグループ、また信仰においてそれほど神殿や律法の行いを重視しない人々)が、エルサレムから追放されてしまった。流れ流れていった人々は、アンチオキアという町で、全くユダヤ教とのつながりを持たない完全な外国人・異邦人に福音を宣べ伝えるようになったのである。そこから信者が起こされ教会ができ、このアンチオキアで、はじめて信者がクリスチャンと(周囲の人々からつけられたあざけりの意味を込めたあだ名で)呼ばれるようになったと使徒言行録の11章26節に書かれている
もうひとつのきっかけは、会議の代表としてスピーチをしていたペトロが、全くの外国人(イタリア出身のローマの兵隊)コルネリオと出会い、彼が福音を信じて洗礼を受けたという出来事である(7節以下)。このことは10章に詳しく書かれている。7節以下のペトロの演説にはコルネリオという名前は出てこない。しかし明らかに彼がイエス様を信じ受洗したことが背後にある。こういったことがきっかけになって、キリスト教はユダヤ人の枠を超えて外国人へと広がってゆくことになったのである。
2.やがて深刻な対立・争いが生じてゆくこととなった。キリスト教が、それまでのユダヤ人だけの枠内に留まっている間は問題なかった。しかしそれまでの小さな枠を超えて広がってきたからこその問題や対立が生じていった。教会の中に争いや対立が生まれるのは、その教会がそれまでの小さな枠を超えて新たに広がろうとしたためとも言える。活発に成長しようとしたからこそだとも言える。教会の中に争いや対立が起きることをすべて悪いことと捉えてはいけないと教えられる。
アンチオキア教会で信者になった人々が割礼も受けず律法の行いもしていないと聞いて、ユダヤ(エルサレム教会)側はとんでもないことだと感じた。そこで指導者を送り「モーセの慣習に従って割礼を受けなければあなたがたは救われない」と教えた。するとアンチオキア教会の指導者だったパウロやバルナバとの間に激論が戦わされた。どうしても収拾がつかなったので、エルサレム教会で教会史上はじめての教会会議が開催されることとなった。
なぜエルサレム教会の人々は、これほどまでに割礼を受けることと律法の行いを守ることを大切にしたのであろうか。彼らは決してイエス様を救い主と信じて救われることを否定していたのではなかった。彼らは、イエス様をキリストとして信じて救われることを否定したのではなかった。しかし、それだけではだめだと信じていたのである。イエス様をキリストとして信じることと律法の行いとは、言わば車の両輪のようなものであって、どちらも不可欠だと信じていたのである。
なぜこれほどまでに律法の行いを大事にしたのか。それは、それまでのユダヤ人の信仰の歴史と深くかかわっている。ダニエル書に、バビロンの王様から巨大な金の像を拝めと命じられたダニエルの3人の仲間がそれに従わず、燃え盛る炉に投げ込まれてしまった有名な出来事がある。いつの時代でも王様とは、金の像に象徴されるような神々を拝めと強制する。そのような時代を、ユダヤ人たちは必死になって生き延びてきたのである。
何が彼らを生き延びさせたのか。それは、妥協できるところは妥協しつつ、しかし絶対に受け入れられないものは命をかけても拒んだことなのである。ダニエル書では、奇跡が起きて3人は焼き殺されることがなかった。しかし現実は、残念ながらそうではなかったであろう。ユダヤ人全体としては、金の像を拝まず神様のみを主として信じること(十戒の第一であり律法の行いの根幹)によってこそ生き延びてこられた。バビロン王が驚いて口にした言葉は「火の中を自由に歩いている。何の害も受けていない(ダニエル書3章25節)」である。王様の支配下、ユダヤ人に自由を与え、何の害も受けさせず生き延びさせたものこそ律法であった。
10節に「軛(くびき)」という言葉がある。ユダヤ人にとっては、律法は決して軛ではなかった。むしろそれとは正反対に、自由を与えるものだった。彼らを燃え盛る火から守るものだった。この点を見誤ってはならない。しかし、ユダヤ人に自由を与えるものが、異邦人に軛となる。ある人には自由を与えるものが、ある人には軛になる。ここが難しいところだと思う。
3.さて、この難しい対立を教会はどうやって乗り越えていったのか。それがペトロのスピーチの中に現れている。初代の教会のこうした姿は、これからの教会がその時々に起きる問題をどのように乗り越えていったらよいかを教えてくれる。それはとてもよいアドバイスとなる。
ペトロのスピーチからまず教えられるのは、彼はキリスト教がたとえどんな人々にも、またどんな時代社会においても広がってゆくときに、捨ててもよいものと絶対に捨ててはいけないもの、臨機応変に変えてもいってよいものと守り通さなさねばならない原理・原則とを区別しているという点である。7節以下でペトロが語っていることのすべては、この失ってはならない変えてはならない福音の原理・原則なのだと示される。その中でも核心にあるのは、11節で語られていることであろう。「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは異邦人も同じことです」とある。
この言葉を他でもないペトロが語っていることに、私はとても意味深いものを感じる。イエス様はペトロに「あなたは鶏が鳴く前に私を3度知らないと言うだろう」と予告した。それは、その通りに実現した。イエス様を3度も知らないと言ってしまったペトロは、「異邦人」と言ってもよいのではなかろうか。つまりイエス様を3度も知らないと言ってしまったのだから、もう神様やイエス様とつながることのない者だと誰もが当然に見なすであろう。そのような彼を、復活したイエス様は、ただその恵みによって、神様との結び付きに招き入れて下さり聖霊を与えて心を清めて下さった。自分こそが神様・イエス様にとっては異邦人のようなものであり、この私がイエス様の恵みによって救われたのなら、文字通りの異邦人も同じではないかとペトロは証しすることがでた。8節・9節に「異邦人にも聖霊を与えて彼らをも受け入れられた」「彼らの心を信仰によって清め」とある。それは他でもないペトロ自身の体験だったのである。これが福音の根幹にある原理原則であった。教会とは、ここにこそ依って立つ信仰共同体なのである。恵みによって救われるという福音の原理原則を体験した人がリーダーとなることによって、教会は困難を乗り越えてゆけるのである。
これからの教会も将来、象徴的な意味で、今までの私たちにとっては「異邦人」としか思えないような人々や状況に直面してゆくようになるのだろう私は思っている。それまでの枠を超えて打ち破って広がってゆくとは、「異邦人」としかいいようのない人々や事柄と出会うということではなかろうか。それが具体的にどういうことだとは言うことはできない。たとえば、先日新聞の報道で本当に驚いたのは、特に中南米のカトリック教会が聖職者のなり手がいないという理由から、その独身制の見直しに進むかもしれないということもそうである。独身制が当然のこれまでの人々にとって、神父が結婚しているありさまとはまさに「異邦人」であろう。しかし、たとえそうであっても、福音の核心たるイエス様の恵みよって救われるという原理原則さえ失われていなければよいのである。もしかすれば私たちプロテスタント教会も、今のように教派が別れている状況やひとつの教会がひとつの会堂を構え、ひとりの教職者を招いているという状況も変わってゆくかもしれない。しかし、何が変わってゆこうとも、今の私たちにとって「異邦人」としか言えない状況が訪れても、イエス様の恵みによって救われるという信仰の核心があれば、教会はこの状況を必ずや乗り越えてゆけるのである。イエス様の恵みによって救われるという信仰は、教会をしてそうなさしめる力を持っていると思う。
4.ペトロのスピーチからもうひとつ、原理原則として示される点がある。それは、軛を科してはならないということである。ユダヤ人にとってどれほど大事であった律法の行いも、それを全く知らない外国人に科すことは軛になるということである。イエス様の恵みによって救われると信じるということ以外の何かを、聖職者の独身制とか現時点での教会のありかたを、絶対に必要なものとしてお互いに科してはならないし、また将来の信徒や教会に科してはいけないと教えられる。
もっともイエス様の恵みによって救われるという信仰さえも、軛にならないかと言えば危うい。イエス様をどうしても信じられない人にとっては、イエス様を信じて救われるという福音は軛になるとも言える。しかしこれだけは神様が絶対的に私たちに背負えと命じられた軛なのである。そして、イエス様が「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである(マタイによる福音書11章29~30節)」と言ったように、この世の重荷を背負って苦しんでいる私たちが救われるためには、どうしてもイエス様自身という軛を背負わねばならない。そしてこの軛は軽いのである。イエス様との信仰における人格的なつながりは、たとえば伴侶との関係が時には重荷となることもあるように、軛になることもある。しかしこの軛こそが私たちの荷を軽くする。私たちを救うのである。
20節に、ペトロに代わってエルサレム教会の指導者になっていたヤコブが、異邦人に指導すべきと語ったことが書かれている。これはイエス様を信じる以外の軛を科すことではないかと言える。その後の教会はずっと、福音と律法の行いとの問題で悩んできた。解決はたやすくはなかった。福音の原理原則に依って立つとしても、教会に起きる現実の問題をすっきり明快に解決するということにはなかなかならないのである。しかしそうでありつつも、原理原則に立つことによってのみ問題を乗り越えてゆけるのだと示されるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 11月 17日(日)降誕前第6主日礼拝
13:36シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」 13:37ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」 13:38イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
1.今日与えられた御言葉はイエス様が、後にペトロがイエス様のことを3度知らないと言うことを予告した場面である。このイエス様の予告がその通りに実現したありさまは、4つの福音書すべてに記されている。ヨハネによる福音書では、18章25~27節に書かれている。4つの福音書すべてに書かれている事柄は、十字架と復活を除けばそれほど多くはない。エルサレム神殿で両替や商売をしていた人々を蹴散らしたという「宮清め」、わずか二匹の魚と5つのパンで何千人もの人々を満腹にしたという出来事の他には、このペトロの否認とその成就ということしか思い当たらない。
それほどこの出来事は、最初の頃の当時の信徒たちにとって忘れることのできないものだったのである。今でもカトリック教会では、ローマ法王はペトロの後継者として全教会を代表する存在とされている。4つの福音書が書かれた時代には、ペトロはなおのこと、そのような存在と見なされていたかもしれない。信徒の代表たる者が、よりにもよって十字架につけられようとしていたイエス様を、3度も知らないと言ったなどということは、実に不名誉な恥ずべきことだと思う。普通なら隠蔽され人々の記憶から削除されても当然のことではなかったか。しかし福音書を書いた人々もまたその読者も、そうはしなかったのである。それを望まなかったのである。絶対に省いてはならない出来事として、すべての福音書に記したのである。
その心は何であったか。単に隠蔽したり削除できない事実だったというのではなく、そこに貴い奥深い意義を感じたからだと思うのである。イエス様を3度も否んだペトロが、信徒の代表であり教会の指導者であることに意味を見いだしたからだと思う。そのペトロの姿にこそ、キリスト教信仰の本質があると、そして失われてはいけない特徴があると受け止めていたのではなかろうか。もしこのペトロの出来事がなかったなら、また彼が信徒の代表ではなかったならば、今日のキリスト教という宗教は全く違ったものになっていただろうと思う。
2.それでは、ペトロのありさまにおいて、一体どのようなキリスト教信仰の特質本質というものが現れているのであろうか。それは大きく2つの点で現れているといってよいと思う。イエス様はペトロに「わたしの行くところに、あなたは今ついてくることはできないが、後でついてくることになる」と言った。これに対してペトロは「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と答えた。そのようなイエス様とペトロとの問答の中に、キリスト教信仰の特質というものが如実に現されていると感じるのである。
まず、イエス様が「今はついてくることができない」と言ったところの「今」が指し示している特徴である。イエス様のその言葉に対してペトロは、やっきになって「なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と豪語した。ここに現れているペトロの「今」とは、どのようなものであったか。ペトロは「自分にはついてゆけないなどということはない」と思っていた。自分の信仰には、そのような弱さやもろさやあやふやさなどないと言っていたのである。重ねて「あなたのためなら命を捨てます」と言って、おのれの信仰の覚悟とその強さを誇ったのである。そのようなものが、私たちが普通に考えるところの信仰というものかもしれない。つまり、信仰の中には「ついてゆけない」などという部分がほんの少しでもあってはいけないと私たちは考えてしまう。また信仰とはピュアなものでなければならないと考えてしまう。イエス様・神様のために大きなものを捨てられるような覚悟と強さがなければならないと考えてしまう。それがイエス様を信じて従ってゆく信仰の望ましい姿だと思うのである。
私が高校生から大学生のころであったか、キルケゴールの、確か『キリスト教の修練』という題名ではなかったと思うが、その本を読んで、一時キリスト教から離れようと思ったことがあった。それは、キルケゴールが文字通りすべてを捨てなければキリストに従うことはできないと非常に厳しいことを言っていたからであった。「自分には到底そんなことはできない」と感じた。けれども離れることはできなかった。
先週、関東教区常置委員会で私は、13人の面接を行った。教団の試験に合格し11月30日に按手礼を受け、いよいよ洗礼を授けたり聖餐式を執行できる牧師となるため、彼らは面接をうけた。また3月に神学校を卒業する直前の、この2月末に補教師という教団の試験を受けるために必要なの面接である。私は専ら司会進行役だった。20人近い常置委員や地区長たちからの様々な厳しい質問が飛び交った。質問の対象となったのは「なぜ日本基督教団の教師となるのか」について、それぞれが書いた所信表明の文章を巡ってなされた。だから当然、そこに書かれた内容は、教団の教師・牧師となる上での「私の覚悟」であり、その「強さ」のようなものであり、それが問われることになる。試験をし面接をする側は彼らの今の時点での「わたし」の覚悟・その強さのようなものを問い、その「覚悟の強さ」を持っていることが、牧師・伝道者としてのふさわしさだと判断するしかないのだが、しかし今日の御言葉からしみじみ思わせられるのは、そのときイエス様は誰よりも、そのような強い覚悟を持っていたペトロに「ついてくることができない」「ふさわしくない」と言ったことである。
ここにこそキリスト教信仰の特徴があると思うのである。弱さなど一片たりともないようなイエス様のために命を捨てられる強い覚悟を持っている信仰は、逆にイエス様についてゆけないものとして否定されるのである。その反対に、どこかに「ついてゆけない」というものを抱えているような、覚悟とか強さとは正反対にあるものによって「ついてゆけるようになる」まことに不思議な逆説的な特徴を持っているものなのである。キリスト教とは何と幸いな信仰かと私は思ってしまうのである。
3.第1番目の特徴が「今はついて来ることができない」というイエス様の言葉に現れているとすれば、2番目の特徴はイエス様のペトロに対する「後でついてくることになる」との言葉の、特に「後で」に現れている。
「後で」とは、38節でイエス様が予告されたように、鶏が鳴く前に3度イエス様のことを知らないとペトロが言ってしまった「後で」のことである。具体的には、過日の敬老祝福日の礼拝で耳を傾けたこの福音書の21章15節以下で教えられた事柄である。ペトロは、イエス様を3度も否み、おめおめと生き残っている自分をどれほど恥ずかしく情けなく思っていたか想像にかたくない。そのようなペトロに復活したイエス様は現れて下さって、3度「あなたは私を愛するか・私の羊を飼いなさい」と言ったのである。
イエス様が3度ペトロに「あなたは私を愛するか」と尋ねたのは、決して彼の3度の否みを責め「愛しています」と答えさせて何らかの償いをさせようとしたのではないのである。そうではなく、「愛するのか」と問うたのは、まず「わたしはあなたを今も変わらず愛しているのだ」とのプロポーズであったのである。それが先行してあって、「だからあなたもこの私の思いに応えてくれるだろうか」との問いなのである。この時点ではペトロはまだイエス様の3度の問いの真意をはかりかねていた。「自分を責めているのではないかと思って悲しくなった」とある。しかし徐々にイエス様の真意を悟っていったのであろう。イエス様を3度も否定したようなペトロが、なおもこんなにも愛されていると知ったのである。イエス様を3度も知らないと言ってしまったからこそ、誰よりもそうであった自分をなおも愛し赦して下さるイエス様の愛に感謝できたのである。そうであればこそ、ペトロはイエス様の羊、つまり信者の世話をする者にふさわしいのである。
ここには、先ほどの「ついて行けない」というおのれの弱さを排除してしまう傲慢さはない。あなたのために命を捨てられるのだという覚悟の強さもない。そのようなものは皆、イエス様を3度も否定しまったことで粉々に砕かれてしまった。そのペトロをしてイエス様についてゆけるようにして下さっているのは、もうただただイエス様のみなのである。私たちにはこのような「後」がある。
13人の面接の司会進行をしながら私自身感じていたことがあった。かっての私も今のわたしも、ここで投げかけられる厳しい問いには答えられないだろうと。その私が今、なぜか議長としてその司会進行をしていたのである。面接官として彼らに「これまで」と「今」とを問うていた。しかしそれは、あくまで人間の判断である。イエス様は、今ではなく「後」を見る。私たちには「後」がちゃんとあるのをご存じなのである。復活し永遠に生きたもうイエス様が、私たちに「後」を作り出して下さる。私は文字通りにイエス様を3度否んだということはないが、しかし振り返ってみると到底イエス様に顔向けできないような、イエス様との関係が断たれてしまうような、口が裂けても皆さんにお話しできないような恥ずかしいことが、3度どころか何度もあったのである。それが私にとって「イエス様を3度否んだ」ということに他ならないと思う。そのような私が、こうして牧師をし、なぜか2度にもわたって教区の責任を担う者とされているのである。「過去」や「今」だけではなく、私たち自身には想像もできなかった「後」がある。それをイエス様・神様が作って下さるのである。
キリスト教信仰の本質とは、このような私の覚悟や強さが重要視される「今」というものが砕かれて、その向こうに、ただイエス様によって導かれて従ってゆけるようになる「後」があるというものなのである。私たちの「今」のみによっておのれを測ってはならない。「今」が砕かれてこそやってくる「後」がある。
4.さて、ヨハネによる福音書の21章15~19節には、もうひとつの「後」がイエス様によって語られている。イエス様は「あなたは若い時は、自分で帯を締めて行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると両手を伸ばして他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる(18節以下)」とペトロに言った。このイエス様の言葉について著者のヨハネは「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとしてこう言われたのだ」と説明をつけている。
「後で」とは、私たちがもう自分では行きたいところへは行けなくなって、他の人に帯を引っ張ってもらって老いの道、病の道そして死の道を進んでゆく時のことである。そのような歩みを強いられて、どうして私たちは、ペトロが口にしたように「なぜ進んでゆけないのですか。そんなはずはありません。その歩みにおいて命を捨てることができます」などと言えるであろうか。イエス様についてゆくとは、具体的には年齢を重ね病を負い死へと引っ張ってゆかれることを指している。そこには胸を張って「進んでゆけます。喜んで命を捨てられます」などと言えるようなものは何もない。覚悟だとか私たち自身の強さのようなものは粉々にされてしまうしかないのである。
しかしそこにも「後」がある。砕かれてしまった私たちをイエス様が導いて下さって、私たちを進んでゆけるようにして下さるのである。私たち自身の目に見えるありさま、また看取る者たちに見える姿は、どこにも「栄光」など見えない惨めなものかもしれない。しかし、そこには「死に方で神の栄光・イエス様の栄光を現せる」姿がある。本当に悲惨な姿の「今」の向こうに、必ずや神様の栄光を現せるようになる「後」がある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 11月 10日(日)降誕前第7主日礼拝
13:01イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを四十年間、ペリシテ人の手に渡された。 13:02その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。 13:03主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。 13:04今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。 13:05あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」 13:06女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。 13:07ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚/れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」 13:08そこでマノアは、主に向かってこう祈った。「わたしの主よ。お願いいたします。お遣わしになった神の人をもう一度わたしたちのところに来させ、生まれて来る子をどうすればよいのか教えてください。」 13:09神はマノアの声をお聞き入れになり、神の御使いが、再びその妻のところに現れた。彼女は畑に座っていて、夫マノアは一緒にいなかった。 13:10妻は急いで夫に知らせようとして走り、「この間わたしのところにおいでになった方が、またお見えになっています」と言った。
1.モーセの後継者であったヨシュアが死んだ後の紀元前1200年頃から、サムエルという預言者が登場するまでの約200年間は、パレスチナ先住民が自分たちの既得権内に侵入してきたイスラエル人を何とかして追い出そうとしていた時である。それに対抗して、王様ではなかったがイスラエル人のリーダーとなって活躍した人々のことを士師という。士師記には、イスラエルの12部族に対応してちょうど12人の士師が登場する。その中で一番よく知られているのがギデオン、彼と並んで有名なのが13章から16章まで取り上げられているサムソンである。注解書には、こんなことが書かれている。「その出生の秘密、勇猛さ、個性的な行動様式、女性との関係、壮烈な最期など、イスラエルの伝承の中に強く印象づけられ、絶えず人々の心の中に新鮮な生命の息吹を吹き込んできたに違いない。」
現代の倫理観からすれば、彼の残酷さや女性との奔放な関係などには、眉をひそめざるをえない部分が多くある。しかしこれは、あくまで今から3000年前の出来事が記された物語なのである。私たちもこの物語から、先達たちが吹き入れられてきた新鮮な信仰的息吹をいただけたらと思うのである。
2.この13章に書かれていることは、ひとことで言うと、いわゆる「受胎告知」という内容である。マノアの妻という名前のあげられていない女との間には子がなく、そこに不思議な神様の使いが訪れて子の誕生が告げられた。その子はナジル人という特別なグループに属すべく運命づけられていた。そして決して頭にカミソリを当ててはならないと告げられたのである。また当時イスラエル人を悩ましていたペリシテという人々からイスラエル人を救う使命も授かっていると告げられたのである。18節には、この神様の使いの名前は「不思議」だとある。こうしてこの受胎告知は、そのとおりに実現し、生まれた子は「サムソン」と名付けられた。サムソンは、勇猛果敢なものすごい力持ちとしてその名を知られてゆく。
私はこの物語から、主として3つの点に心を引き付けられた。まず第一の点は、不思議という名前を持っている神様の使いがこの夫婦に訪れ、関与することによって子が授かったという出来事を通して感じさせられることである。聖書の中にはこれと同じような出来事が幾つか記されている。すぐに思い起こすだけでも、アブラハムとサラ夫婦におけるイサクの誕生(創世記18章以下)、エルカナとハンナ夫婦におけるサムエルの誕生(サムエル記上1章)、そしてザカリヤとエリザベト夫婦における洗礼者ヨハネの誕生(ルカによる福音書1章)である。サムエル誕生では神様の使いの訪れは書かれていない。その代わりに祭司エリから言葉が与えられた。子が与えられていなかった夫婦にそのようにして子が授かるという形で神様の不思議な御業が現れていった。
こうした出来事は、お子さんを望んでも与えられないご夫婦にとっては、どこか心に刺さるものがあるかもしれない。しかしこれは、今から3000年も前に書かれた物語なのである。結婚した夫婦に子が授からないことは何よりも辛いことと見られていた当時の時代社会である。それは人間にはいかんともしがたい『欠け』として見なされていたのである。言うまでもなく今日、そのような見方をすることは明らかに差別とされている。私たち夫婦は結婚して7年ほど子が授からない時期があった。それを受け入れて人生を歩もうと話し合い、妻は看護学校に入学した。子供いない寂しさを無理に押し殺していたということもあったかもしれない。しかしそのような人生を決して「欠け」とか「マイナス」などとは思っていなかった。だから、すべて子が授からないことを「欠け」だと見なすのは差別なのである。結婚しない人生もあり、また子が与えられない夫婦のありかたもあり、それもまた神様からの授かりものなのである。
現代ではそのような見方が可能だが、今から3000年前の時代社会ではそうではなかった。子が授からないことは、人間にはいかんともしがたい「欠け」だったのである。その欠けに「不思議」という名前を持った存在がかかわることによって、それが乗り越えられていったのである。その「欠け」が子を生み出すものへと変えられていった。「不思議」という名前をもった神様が、私たちにかかわって下さるとき、このようなことが起きるのである。神様だけに、このような不思議なことができるのである。
3.勿論、神様の不思議な御業の現れは、子が授かるということだけではない。だとしたら、おおよそ結婚していないとか子がいないという人々には、神様の不思議な恵みは与えられていないということになる。しかし決してそうではない。そのような形としては現れなくとも、私たちが自分たちでは決して乗り越えられない「欠け」を、不思議にも神様が越えさせてくれることがある。神様を信じて生きる喜びとは、そのようなことに尽きる。
今聖書研究祈祷会に置いて学んでいるダニエル書において、祖国を滅ぼされてバビロニアの捕虜とされたイスラエルの人々は、自分たちにはどうしようもできない様々な「欠け」の中に置かれていた。捕虜とされ、名前も無理やり変えさせられて、強制的にバビロン王の宮廷に召し抱えられて小姓として仕えることを強要されたのである。その置かれた境遇は、イスラエル人自身には、いかんともしがたいマイナスであった。しかしそこに神様が不思議にもかかわって下さり、不思議としか言いようのないことが現れていったのである。
それはどういう形で現れたのか。、まずはダニエルたちが、捕虜とされることや名前を変えられて宮廷に無理やり召し抱えられることを受け入れたという形で現れた。そのようなことを、受け入れがたい屈辱として、たとえ死んでも拒むという態度を取ることも可能だったであろう。しかしそうしてしまったなら、バビロン捕囚という絶対的にマイナスな状況下で生き延びてゆくことはでなかった。だから、まずこの状況を受け入れるという形で神様の不思議が現れたのである。そのようにして受容できるものは受容したが、どうしても受け入れ難いものはあったのである。譲れない部分、手放し得ないものがあった。それはバビロン王からあてがわれる肉や酒で身を汚すということだった。そこで、ダニエルは自分たちを管理していた侍従長と交渉して10日間だけ野菜だけ食べて健康状態がどうなるか試してほしいと願った。その結果は、普通に王からあてがわれる食べ物を食べた者たちの誰よりも健康や顔色が優れていたというのである。
私はそのようなところにも、信仰者である私たちに神様が現して下さる不思議な御業というものがあることを思わせられる。王様からあてがわれる肉や酒をとらないということは、突き詰めれば内面的な砦を保つということを意味しているのだと思う。難儀な境遇に置かれていた時にこそ、内なる砦をしっかりと築いて内側から崩れないことが大事なのである。ダニエルたちにはそれができた。神様がかかわって、それをなさしめて下さったということであろう。だからそれが健康や顔色の良さとして現れたのである。私たちも同じではなかろうか。神様を信じることで内なる砦を築けるのである。パウロにどうしても治らない肉体のトゲが与えられた時、「その弱さの中に私の恵みや力が十分に現れる」とイエス様から言われパウロは、内なる砦をしっかりと築くことができた。他の人々が崩れてしまうような境遇の中でも、私たちは象徴的な意味で「健康や顔色が良い」のである。喜びをもって生きられるのである。これが神様のなして下さる不思議だと思う。
4.次に感じさせられることは、このような神様の不思議な御業が、不思議な神の使いを通して現れたという点である。最初に神様の使いに会ったマノアの妻はこう言った。「神の人が・・・姿は神の御使いのようで非常に恐ろしく、どこからおいでになったかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした(6節)」と。マノアは「わたしたちは神を見てしまったから死なねばなるまい(22節)」とも言っている。要するに、不思議な神様の御業の訪れというものは、とても恐ろしく死なねばならないと言わざるを得ないような、到底その出会いが何なのかを把握できないような、そういうものとして起きたということである。しかしマノアとその妻は、このような恐ろしい得体の知れない存在との出会いを15節以下に書かれているように歓迎しようとしたのである。アブラハムとサラもそうであった。
ここにこそ、この夫婦やアブラハムとサラ夫婦に、神様の不思議が現れていった理由が示されていると感じるのである。それは彼らがこうした恐怖を覚えさせるような、もしかしたら自分たちを死に陥らせるような存在や出来事との出会いを、このように受け入れ、招き入れたことにこそある。古今東西の昔話によくあるモチーフもそうである。突然に自分たちを訪れたよそ者や旅人や寄留者を歓迎しもてなしたことによるのである。そこに不思議な神様の御業が現れるのである。不思議な幸いがもたらされるのである。ここに私たちをして示唆するものがあるのではなかろうか。文字通りの形でこのような神様の使いとの出会いはないかもしれない。しかし私たちを恐れさせ、それが一体何事なのかを把握することなどできないような、私たちを死に至らせるとしか思えないような出来事は、起こるのである。普通は、誰もがそれを拒んでしまう。しかしそれは実は、私たちに神様の不思議な御業が現れる機会かもしれないのである。それが、私たちが抱えている自分ではいかんともしがたい欠けを乗り越えさせて、思いがけないものを生み出す機会となるのかもしれないのである。
5.お勧めしたい最後の点は、受胎を告げられた子には、ある秘密があったということである。それはナジル人という特別なグループに属する者として神様にささげられた存在であった。だから頭にかみそりをあててはならないと命じられたのである。このサムソンの物語全体を貫く大切な秘密はキーとなってゆく。またペリシテ人からイスラエル人を解き放つ先駆者としての使命を託されたのである。最初紹介した注解書に書かれていたように、サムソンの過剰な残酷さや女性との自由奔放な関係は私たちを困惑させる。両親にとってもそうであり、周囲の人々にとっても、おそらくサムソン自身にとってもそうであったのではなかったか。はっきりとサムソン自身と両親が知っていたのは、頭にカミソリをあててはならないという秘密のみだったようである。常軌を逸したと思われる乱暴者であり自由奔放な彼が、本当にそのような特別なグループには属する者として「神にささげられている」者であったのか、またそのような貴い使命を神様から託されていたのか、私たちにもこの箇所の登場人物たちにさえ分からない。それがわかったのはサムソンの壮絶な人生の最後の時だったのかもしれない。
私たち一人ひとりの人生も、私たち自身にも、生んだ両親にもわからない秘密や使命というものが秘められているのではないかと思う。それはサムソンがまさにそうであったように、目に見える姿からはわからないのである。自分自身や他の人や社会の評価からは全く隔絶しているのである。しかし私たちは、そのような秘密を神様から委ねられているのである。私たち一人ひとりが、神様に委ねられ使命を授かっている。私たちの生涯とは、神様から委ねられた秘密と私たち自身の願いや欲望との戦いのようなものかもしれない。しかしそうした葛藤の末に、神様が私たちに秘めて下さったものはいつかは現れてくる。サムソンがどんなに破天荒な人生を生きたとしても、神様が彼に託した使命は失われることはなかった。彼の人生の最後の最後に、それは現れたのである。私たちも「ああ私に神様が話して下さった役割とはこのようなものだったのか」と悟って人生を閉じるのかもしれない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 11月 3日(日)降誕前第8主日礼拝
37:01主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。 37:02主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。 37:03そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」 37:04そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 37:05これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。 37:06わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」 37:07わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。 37:08わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。 37:09主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」 37:10わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
1.この箇所は、エゼキエル書の中でも一番よく知られていると思う。ここに記されているのは、預言者エゼキエルが見た幻である。エゼキエルは、枯れ果てた骨が一杯横たわっている谷に降ろされた。神様は、エゼキエルに、それらの枯れ果てた骨に神様の言葉を語れと言った。エゼキエルがそのようにすると、骨に筋や肉や皮膚が生じていった。さらには霊が、それらの者に入るようにと語りかけた。すると彼らは、生き返ることができたというのである。
谷底に累々と横たわっていた枯れ果てた骨について、9節に「これらの殺された者に」とあった。紀元前587年から586年にかけて、イスラエル人の国がバビロニアによって滅ぼされた際の悲惨な戦いによって死亡し、埋葬されることもなくそのまま工ルサレム近郊の谷に投げ込まれて骨になった人々のことを指しているとされている。しかし大事な点は、枯れた骨とは文字通りそのような死者の骨を指しているだけではないということである。11節に「彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と」とある。これは同胞や家族や祖国を失って生き残ったものの、捕虜としてバビロニアに連れてこられてしまったイスラエルの人々の嘆きの言葉である。望みを失った彼らは、あたかも自分たちが枯れ果てた骨のようだと嘆いていたのである。このように、エルサレム近郊の谷に投げ込まれて枯れた骨になった死者と、生き残って希望を失い枯れた骨のようになったイスラエルの人々とがオーバーラップしている。なぜ神様が預言者エゼキエルに文字通り枯れ果てた骨となった死者が生き返るありさまを幻で見せたのか。それは実は、生き残った者のためだったのである。生き残った者たちが再び希望を与えられて自分の足で立つことができるようになるためだったのである。
2.私がまず心を動かされたのはその点であった。希望を失って生きながら枯れた骨のようになってしまうのは、実は生きている私たちなのではなかろうか。生きている私たちにこそ希望が必要なのである。
私たちは一年に一度、本日のように天に召された人々を記念する礼拝を守っている。今やクリスマス同様に賑やかなイベントになってしまっいるハロウィンの起源は、古くからの習わしとして10月最後の日が死者を覚えるお祭りとされていたことにあると言われている。それに従って私たち日本基督教団の暦でも11月最初の主日を『聖徒の日』としているのである。その主たる目的は、生き残っている者が死者を記念し、死者を慰めるためのものだと普通は考えられている。しかし慰められ希望を与えられねばならないのはむしろ生きている私たちの方ではないのかと思うのである。私たちは、生きているがゆえに希望を失い、自分の足で立つことができない状況に陥ってしまう。むしろ死者は私たちによって慰められたりする必要などないのかもしれない。それは、この幻のように死者となればこそ、私たち生きている者などよりも、はるかにたやすく神様の言葉を聞き、それに呼応して生き返るチャンスが与えられているからである。
コリントの信徒への手紙(1)の15章には、繰り返しコリントの人々には生活のよりどころが必要だったということが書かれていた。生活のよりどころを得ようとして、大切な人々を失った遺族は死者に代わって洗礼を受けた。遺族として生き残った者にとっての生きるよりどころとは、死者が死の悲惨さ・辛さにいつまでも縛られていないということにこそある。遺族は、死者が病気や事故や災害で命をはじめとして大切なものを奪い取られてしまったその辛さ・無念さにいつまでも縛られていることに耐えることはできないのである。だからあくまで代理にすぎないが、生き残っている自分たちが死者に代わって洗礼を受けることで、願わくは死者が、十字架の悲惨な死から復活して平安や喜びに満たされたイエス様に結ばれ、あやかってほしいと願うのである。それは死者のためのように思えるが、実のところは、生き残っている者のためなのではなかろうか。生き残っている者が、これからを生き続けてゆけるようになるために、よりどころを得んがためのものではなかろうか。
3.しかし、改めて思うは、死んだ者は確かに目に見えるありさまとしては枯れ果てた骨のようになってはいるが、実はその幻が示すように、神様の言葉を聞き霊を吹き入れられて生き返ることのできるものとなっているかもしれないのである。私たちこの世に生きている者などはるかに及びもつかない豊かで可能性のある存在になっているかもしれないのである。死者がいつまでもどこまでも死に閉じ込められ、死んだときの辛さや無念さに支配されているというのは、実は生き残った者の勝手な思い込みなのかもしれない。それを幻において教え示して下さるのが本日与えられたこの御言葉なのである。死んだ者に起きているかもしれない、こうした思いもかけない神様の御業を幻を通して見せられることによって、神様は「我々の骨は枯れた。我々の望みは失せた」と嘆いている生き残ったイスラエルの人々に、生きる希望を与えようとしたのである。
では、枯れた骨にどのような神様の御業が起きてたのか。その細かな様子について、いちいち申し上げる必要はないだろうと思う。そのありさまにおいて最も核心にあるのは何か。それは、枯れ果てた骨が、つまり自分自身においては何一つ生き返るための材料も資源も、そういうものを持たない存在が、ただ神様の言葉によって、また霊を吹き入れられることによって生き返ることができたという点にある。
ここに記されているのは、とても逆説的ではあるが、枯れた骨のようになることの幸いということだと、読むごとにいつも思わせられる。生き残ったイスラエルの人々は祖国を奪われ、家族を枯れた骨にされ、捕虜として連れてこられたとに、ただただ不幸を感じ「望みは失せた」と嘆いていた。しかし神様は、この幻において見せたのは、枯れた骨になったからこそ血や肉があって生きている者よりもはるかに鋭敏に神様の御言葉に反応し、その言葉通りのことが生じてゆき、そうして生き返ってゆける死者の存在の豊かさなのであった。
この箇所を読むたびに、私はヨハネによる福音書の11章に記されたラザロの生き返りの物語を思い起こす。ラザロは死んで墓に葬られ、もう腐敗さえ始まっていたのに、イエス様は遺体の葬られた墓に入り「ラザロ、出てきなさい」と声をかけた。すると「死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた(ヨハネによる福音書11章43節)」のである。新約聖書の中で最も有名なマルタとマリアの兄弟だったラザロが、(おそらく)姉たちのことがしばしば触れられる際に、なぜかこのラザロのことは触れられることがない。これは私の勝手な想像だが、彼は元気で生きている間は姉たちのようにはイエス様を慕ってはいなかったのではないかと思うのである。しかしそのようなラザロが死者となり、今度は姉たちとは対照的─姉たちはラザロが死んでからやってきたイエス様を責めたし、死んでしまった人間になどもう何の可能性もないと嘆いていた─に、イエス様は「出て来なさい」とラザロに言葉をかけた。ラザロはそれに素直に従って、布で体を巻かれたままで墓から出てこれるようになったのである。
枯れた骨になった者だからこそ、死者であるからこそラザロは、自分に一番必要な言葉が、また必要なものは何かを根源的に知っていたのではなかろうか。それが目の前に差し出されたときには、この世で生きている私たちとは全く違って、それを受け入れ、そこに込められている力に従い、言葉の通りになれる存在となったのではなかろうか。それとは逆に、こうして肉と血においてこの世に生きている私たちこその貧しさを、枯れた骨でしかないことを思う。それに対して文字通り死んで枯れた骨になっている者たちの豊かさが示されるのである。
4.このような幻を見せたた神様のその心は、もう言わずもがなであろう。突き詰めて言えば、それは「枯れた骨であれ」ということなのである。すべてを失って枯れた骨のようにされることにある希望の豊かさである。
「我々の骨は枯れた。望みはうせた」と嘆いていたイスラエル人のその希望とは、どこにあったのか。「枯れた骨」とは正反対の境遇にこそあったのである。国を失わず、家族を失わず、家を失わず、田畑を失わず、それらを豊かに持って生きている境遇に置かれていることが希望なのであった。しかし神様は、この幻を通して、私たち人間が根源的に生きるということに秘められている不思議さ奥深さを教えている。私たちが生き、そして自分の足で立てるようになるには、国や家族や家や田畑や財産や・・・そういうものには何ひとつ依ってはいけないのである。そのようなものなど何一つ持たない枯れ果てた骨が、ただ神の言葉によって、また霊によって─霊とは、ヘブル語では「ルアハ」、風という意味もある―私たちは生き、自分の足で立つことができる者なのである。
10節の最後、なぜわざわざ「自分の足で立った」と「自分の足で」という言葉があるのか。それは、私たちが立つためには他の何ものにもよらず自分の足で立つことが不可欠だからである。自分以外のすべてのものは失われてゆき、助けにはならない。自分が立つ支えにはならないのである。国も家族も家も田畑も財産も最後の最後には助けにはならない。自分だけが自分を立たせるのである。しかし、この「自分」とは何なのか。それは、いわゆる「自立」と言われるような類いの、あるいは自分自身の体や心というものが持っている強さや力、それが自分自身を立たせることのできる力であろうか。そのようなものであるならば、枯れ果てた骨のようになってしまう私たちには、それらはない。いつかはそのような力や気力など、どこにもない存在になってしまう。だからこそ、その「自分」とは、神様の言葉を聞き、霊を受け入れることのできる自分なのである。私たちが生きるということに込められている不思議さや奥深さ─枯れ果てた骨になっても大丈夫、何も持たずとも大丈夫─を受け入れられる信仰である。そのような信仰によって立てる者であり続けたいと思う。
この幻が、枯れた骨として示すように生き返らせていただける者になっている死者たちは、望みを失って生きている私たちに語りかけてくれているのであろう。「なぜあなたがたはいつまでもそのような望みにしがみついているのか」と、「私たちのように枯れた骨になればよいではないか」と、「枯れた骨のようになる豊かさに気づけ」と語りかけてくれているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 10月 27日(日)降誕前第9主日礼拝
15:50兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。 15:51わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 15:52最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 15:53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。 15:54この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。 15:55死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」 15:56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 15:57わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。 15:58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
1.パウロがこの15章で繰り返し語りかけてきたことは、イエス様の十字架と復活を伝える福音の言葉がコリント教会の人々にとって、ひいては今日の私たちにとっても「生活のよりどころ(15:1)」であってほしいということだった。しかし残念ながらそうではなくなりつつある人々が現れ、また今日の私たちにとっても十字架と復活を伝える福音の言葉が生活のよりどころではなくなってしまう現実が多くあることをたびたび考えさせられてきた。
なぜそうなるのか。当時の人々にとって生活のよりどころは何であったのか。54節の後半から55節にかけて「死は勝利にのみこまれた。・・・死よ、お前のとげはどこにあるのか」という旧約聖書の御言葉が引用されている(これは、イザヤ書25:8やホセア書13:14からの自由な引用である)ように、何よりも死に対してのものだったのではなかったか。また、死にゆく途上で起きる様々な苦しみや痛みに立ち向かえるようになるための生活のよりどころではなかったであろうか。死に対して勝利できるようなものが生きる支えであり、砦として求め願われたものだったのではなかったか。
イエス様の十字架の死と復活の出来事を言葉で伝えている福音は、そのような人々の願い求めに対して、応え得るものだったのであろうか。それは何よりも言葉で伝えられるものでしかなかったのである。復活したイエス様に、ペトロをはじめとして最後にはパウロは出会うことができたが、クリスチャンたちが弟子たちと同じように復活したイエス様に出会うということはなかったであろう。また、洗礼を受けて死んだ者たちがイエス様と同じように三日目に復活して遺族に現れてくれるということもなかったのである。要は現実としての死への勝利はなかったのである。言葉として伝え聞くしかないことが、一体どうして死に直面し、また大切な人を失って悲しんでいる現実の中にある人々の生活のよりどころになれるであろう。2000年前、死がとても身近だった人々にとっては、このような理由から福音が生活のよりどころとはなりえなくなっていったことが想像できる。
では今日の私たちにとってはどうなのか。先日、ある人に呼び止められた。その人は、ここ数週間、この教会の礼拝に出席されていた。随分遠くから来られているとは聞いていた。詳しいご事情は聞いておらず知らなかった。召天者記念礼拝に、なくなったおつれあいの名前を掲げてほしいと言われた。今年の8月に召されたばかりで、その悲しみは到底癒えず、しかしこのところのコリントの信徒への手紙(1)の15章の御言葉から生活のよりどころをいただいたとのことだった。やはり身近な大切な人をなくした人にとって、イエス様の十字架と復活の言葉による知らせは、生きるよりどころになるのだと教えられた。とても嬉しく思った。しかし大多数の人々にとっては、むしろ礼拝においては死のことは聞きたくないテーマなのではないかと思う。できるだけ触れて欲しくないことであり、生活のよりどころとなるのは、もっと他の事柄だと思っておられるのではなかろうか。例えば水害で被災された人々にとって、果たしてイエス様の十字架と復活の言葉による知らせは何らかの生活のよりどころとなるのであろうか。もっと実際的な、家を修理するためのお金や住む場所を得ることこそが、生きる支えとなるのではなかろうか。
2.確かに、死がそれほど身近ではなく、また切実なことでない人々にとって、イエス様の十字架と復活の知らせは、いったい何のよりどころとなるのかという疑問は、よくわかる。しかし、私たちにとって生活のよりどころが必要となるのは、必ずしも死や直接死に向かう途上で味わう苦しみや痛みに立ち向かうのものとはかぎらないと思うのである。私たちにとって、それに立ち向かい打ち勝つために生活のよりどころを得てゆかねばならない相手というのは、必ずしも死ということだけではないと思うのである。
「肉と血」という言葉が50節にある。肉と血という言葉に込められているのは、つきつめれば、やはり死に向かう存在ということがある。その直後に「朽ちるもの」という言葉がある。しかし、ただ死だけに直結しているとも言えないと感じる。「肉と血」というように、それがワンセットで語られていることが示すように、これは特にケガや病気によって傷つき血を流してしまう私たちの存在の特徴を表していると思う。すぐには死には結び付かなくとも、様々なことによって傷つき穴があきダメージを被って血を流してしまうのが肉なる私たちなのである。
そのような肉なる存在としての私たちは、何を生活のよりどころにしようとするのであろうか。何とかして肉から血が出ないように、血が流れる傷を負わないように、必死になって自分を守ろうとするのではなかろうか。それほどに肉が痛んで血が出るということは、私たちにとっては恐ろしいことであり遠ざけたいことなのである。しかし、今回改めて思わせられたのは、そのようにして肉なる自分を何とか守ろうとすることが、結果的には、まことに皮肉にも、私たちから逆に生きるよりどころを奪ってしまうことになるのではないかとの思いである。たとえば自家中毒という症状がある。自分を守るための免疫システムが、かえって自分の健康な細胞を攻撃してしまう症状である。自分を守ろうとして必要以上に重い鎧カブトを身につけ、他人と競い他人からの高い評価を受けようとして過大な仕事を引き受ける。私たちは自分を守るために多くを積み重ねる。要は、私たちが自分で自分を守ろうとすればするほど、なぜか、そのために身につけた武具は私たち自身を攻撃し、鎧カブトは重荷となって、私たち自身を押し潰すということである。
そのようなことが、56節において「罪」という言葉で言い表されているのではないかと思う。「死のとげは罪である」とある。死を「肉と血」に言い換えてもよいのではないかと思う。最後には死に至る肉と血を持つ者であるがゆえに、それを守ろうとすることが「罪」という刺を生み出すのである。罪とは、決して何か悪いことをするとか悪人であるということではなく、根源的なところが病んでいるということを意味している。自分を守ろうとすることが反対に自分を攻撃してしまうという病いなのである。生きることの根源の部分が調節不可能になってしまっているのである。
3.洪水にあった人々は、今後の生活のよりどころとして、当然のことだが、できるだけ堤防を高く頑丈にしたり、家をますます堅固にしたりする。誰も、そのようにして自分を守ることに、一片の疑問も持たない。しかし私は、そのようにすることが、果たして本当に生活のよりどころとなるのだろうかとふと思ったのである。何度か川が溢れた地域は、古くから度々洪水が起きた場所だと言われている。渡良瀬遊水池がもっとも有名である。そこは、そもそも川を氾濫させて、そこに水を溢れさせることで下流の洪水を避けようとした場所である。本来は、そのような遊水池だったところに、人間は、いつの間にか高い堤防を築いて堅固な家を建て、生活するようになってしまった。しかし、もともとそのような場所なので、どんなに堅固な堤防を建ててもどんなに頑丈な家を建てても洪水を防ぐことは無理なのである。守ろうとすることが、かえって余計な心配な思い患いを抱えることになるのではなかろうか。例えば、水害を受けた場所に再び家を建てるためにさらなるローンを抱えてしまうようなことである。昔の人は、そのようなことはしなかった。そこに住むとしても、そもそも流されてもよいような家を建て、家にはいつも非難用に小舟をつりさげておいた。そもそも守ることなどできないのに、私たちが必死になって守ろうとすることこそが、私たちから生活のよりどころを奪うことになると思うのである。
パウロは50節において、この肉と血について「神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない」と語っているのだと示される。要は、肉と血は朽ちるものとして、そもそも流されてしまうものなのである。どれだけ高い堤防を築こうとも、それを自分たちで守ろうとしても、それは朽ちてゆく。流されてゆくのである。だから、それを自分の力で守ろうとしてはいけないのである。そうすればするほど生活のよりどころを失ってしまう。思い患いが深くなる。大事なことは、肉と血は朽ちてゆくものであるとしっかりと知ることなのである。それを守ろうとするのは愚かなことだと知ることなのである。
植物の種の本来の向かうべきところは、種として地に蒔かれ、発芽し花を咲かせ実をつけてゆくことである。どこまでも種としてのありかたにしがみつき、種としてのあり方を守ろうとしたら、いつまでたっても芽吹き花咲き実をつけることに至らない。それと同じように、私たちが肉と血におけるありかたを守ろうとするのは、私たちが本来向かうべきありかたから私たちを阻害することなのである。
4.では、私たちが本来向かうべきありかたとは何か。それは「神の国を受け継ぐ(50節)」ということなのである。それは、種としてのありかたを失って、すなわち肉と血におけるあり方を失って、神様の永遠の世界でのありかたをいただくことなのである。それがどれほどすばらしいかは、復活したイエス様の姿が教えてくれている。肉と血において被った十字架の痛みや苦しみは、もはや復活したイエス様にはなかった。弟子たちは、イエス様の十字架の死によって引き起こされた恐れや否認や逃亡などによって、引きこもるしかないようにされていた。しかし復活したイエス様は、そのようなことなどものともせずに、復活したイエス様に一杯に溢れていた平安と喜びを弟子たちにも注ぎ尽くして下さった。
イエス様の十字架と復活が、私たちに与えてくれる生活のよりどころとは、ここにこそある。肉と血における私たちのあり方は朽ちてゆく。どんなに守ろうとしても失われてゆく。しかしそれは種としてのあり方が失われて死ぬことでしかない。その向こうには、イエス様の復活が示す平安と喜びがある。もうそこには、肉と血が生じさせる罪はない。痛みも傷も思いも病むこともない。このすばらしい開花や結実に向かうことができるのに、どうして私たちは、どこまでも種としてのありかたにしがみつくのか。種としての自分のありかたを守ることに、生活のよりどころを得ようとするのか。それは、肉と血に支配されることである。罪の刺に苦しめられることである。
私たちが肉と血をもってこの体に生きることは、ただ朽ちるものとしてであり、何の意味もないのであろうか。洪水地帯に建てられた家は、いつかは流される。しかしその家があったことに何の意味もないということではない。その家をいやがおうでも守ろうとするのは意味がないし、かえって思い患いが増す。しかし、かりそめの家であることは受け入れながら、そこでの生活が営まれることにはちゃんとした意味がある。肉と血によってなる私たちの生活も、それを守ろうとするのではなく、その朽ちてゆく本質をわきまえつつ、与えられた働きを果たそうとするなら、まことに貴いものとなるのである。
そのことを、パウロが語りかけている(57節後半)。肉と血によってなる体をなぜ神様は私たちに与えたのか。それは主の業に励み労苦するためなのである。イエス様の肉と血をもつ体での十字架に至る生涯は、どんな主の業をなし、どんな労苦するためだったのか。イザヤ書53章5節最後に「彼の受けた傷によってわたしたちは癒された」とある。弟子たちに喜びを与えた復活のイエス様の体には十字架の傷跡があった。血を流す肉において生きる意味は、流す血によって誰かを癒すためなのである。血を流さなければ誰かを癒すことはできず、労苦とは言えないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 10月 20日(日)聖霊降臨節第20主日礼拝
15:35しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。 15:36愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。 15:37あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 15:38神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 15:39どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 15:40また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 15:41太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。 15:42死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 15:43蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 15:44つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 15:45「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 15:46最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 15:47最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。 15:48土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。 15:49わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。
1.コリント教会の中には、イエス様の十字架と復活を信じても、そのことを生活のよりどころとはできない、また死者の復活などないと主張する人々がいた。そして、そうした主張をする人々の中に―具体的にどんな儀式なのかは定かではないが―「死者のために洗礼を受ける(15章29節)」人がいたのではないかと考えられている。イエス様の十字架と復活を信じても、生活のよりどころとはならないし、また死者の復活などないと言いながら、一体なぜ、死者のために生きている者が洗礼を受けるのかとパウロは問いかけた(29節以下)。
死者のために洗礼を受けるということを想像できるのは、洗礼を受けずに死んでしまった者に代わって生き残った遺族や教会の友が洗礼を受けるということであろう。それは一体どういう気持ちからなされたのか。思い回らしてみると、大切な家族を突然の事故や病気で失ってしまった遺族にとっての最大の気掛かりは、辛く苦しい思いをした死者が、もうそのような状態の中にそのまま置かれてほしくはないということではなかろうか。遺族の目や心には、死んでいった者の辛い姿が、いつまでも焼き尽いている。死んだのだから、もうそのような状態の中にはいないのだと言われても、何の慰めにもならない。何とかして、死者をそのような辛い状態から解き放してあげたい、安らかな状態にいてほしいとの切実な願いから、遺族が死者に代わって洗礼を受けたのではないかと考えられる。
洗礼とは、突き詰めればイエス様に結び付けられることである。遺族が死者に代わって洗礼を受けることで、何とかして死者がイエス様にしっかりと結びつけられてほしいと願ったのであろう。それは、ひとえに十字架の死から復活して、弟子たちに平安と喜びを与えたイエス様にあやかりたいという気持ちからである。弟子たちに現れたイエス様は、十字架の上ですべてをはぎとられ、無残な死にかたをした同じイエスさまとは到底思えなかった。それとはまるで正反対の平安と喜びに満ちあふれた姿だったのである。そのイエス様にあやかりたいとの気持ちなのである。私が神学生時代に通っていた教会で一緒に夜の祈祷会を守っていた夫婦は、教会付属の幼稚園に通っていた娘を交通事故で亡くした。残された夫妻は、おそらく娘に代わってという気持ちもあって夫婦そろって洗礼を受けたのではなかったかと思う。
そのように願い信じて、死者のために洗礼を受けているのだとすれば、それは即ち死者がその悲惨な死によってすべてが終わりになり、その悲惨さの中に閉じ込められてしまうとは考えていないということである。パウロは、何らかの形でその死の向こうに復活のイエス様につながるところの新しいありかたがあると信じているのではないかと問いかけている。またそれを信じることで、残された遺族は、遺族として生きてゆく上での生活のよりどころを得ているのではないかとパウロは語りかけているのだと思う。
2.このようなパウロからの問いかけに対して、その遺族の中からか、あるいは他の人からであったかはわからないが、「それでもなお、死者はどのように復活するのか、どのような体で来るのか(35節)」と問いかえす人々がいたのだろうと思う。このような疑問が呈されたのは、やはりイエス様と同じように復活させていただいて遺族に現れた実際例がなかったということが決定的に大きな理由だったと思うのである。ある人々は「遺族が死者に代わって洗礼を受けたとしても、その願いが本当にかなえられる保証はどこにあるのか、死者が本当に十字架の死から復活したイエス様に結ばれて平安と喜びに満たされている確証がどこにあるのか、もし本当に復活したイエス様と同じような体に変えられるのだとしたら、その確証を見せてほしい」と迫ったのではないかと想像する。そこでパウロは「愚かな人だ」と言って、その問いや疑問に対して答えようとした。そのために全体として用いたのは、種が蒔かれてそれが芽を出し花を咲かせ実をつけるという植物の例えだったのである。
パウロがこのたとえをもって、まず何よりも語ろうとしたのは、「あなたの蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です(37節)」とあるように、蒔かれた種とその種から得られる実というものは全く違うということだと思うのである。種蒔く人は、その種がいずれ麦という実になるということを、当然に知っている。全くそれを知らない人にとっては、実った麦が、そもそも種からなったということは想像もつかない驚きであろう。それは、種の姿と実った麦の姿が全く違うからである。
そういう例をもってパウロは、死者の復活ということを説き明かそうとしたのである。私達は、いわば種から麦がなるということをまだ知らない者なのである。それをまだ見ていない者なのである。だから、死という種から復活という実がなるということがわからずにいる。しかし、種を蒔けば数カ月後には実がなるのと同じように、死者がイエス様と同じように復活するということは、実際に体験することはできない。だから、私達には種である死者から麦という復活の実がなることがわからないのである。種から麦がなるということは、虫メガネで見なければわかないような小さなからし種が、何メートルにもなる大木になるとは想像がつかないのである。それと同じように、死者という種がイエス様に結ばれて平安と喜びに満ちた者となり、また新しい体を与えられた存在へと結実するとは想像もつかないことなのである。それは、私達の理解をはるかに越えた事柄なのである。パウロは、「そのようなことは想像がつかないからありえないことだ」と言って反論するのは「愚か」だと言うのである。私達には想像もつかないことではあっても、神様はそれをなされるのである。
3.種蒔きのたとえを通して、なぜ私達がイエス様と同じように三日目に復活させてはいただけないのかという理由について、完全ではないにしても少しは教えられる点があると思う。種が発芽するためには、あるいくつかの条件が満たされねばならない。条件が満たされないために何万年も遺跡の中で埋もれていた種が、それらの条件が満たされ見事に発芽したということを聞いたことがある。
死者がイエス様と同じような不思議な体をもって復活するというのも同じことではなかろうか。それは、私達にはわからないが、よほど特別な条件が満たされないと起こり得ないことではないかと思うのである。イエス様だからこそ、その条件を満たして、たったひとり復活させられた。その条件とは何かということは、私達にはわからない。神様だけがご存じなのである。パウロは23節で、少しその点にふれていたように思う。「ただ一人びとりにそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いでキリストが来られるときに・・・次いで世の終わりがきます」と。また52節でも、ほんの少しだが、私達が復活させていただける時のことが語られている。なぜ私達はイエス様と同じように三日目に復活させてはいただけないのか、これだけの説明では到底納得はできないかもしれない。パウロでさえも、わずかなことしか語ることができなかった。
しかし大事なことは、私達の復活の時まで、あたかも種のような者としてその条件が整うのを待つ存在なのだということである。復活とは、私達には想像もつかないことである。蒔かれた種─死者として死んだ時の悲惨な状態─からは想像もつかない花や実をつける。神様は、私達には想像もつかない説明が及ばないことをなさる。
4.36節はじめに「あなたの蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」とある。死という出来事が、種が土の中に蒔かれて、あたかも「死ぬ」かのように見えることと重ねられている。発芽するための条件は、種が地面の中に蒔かれてこそ、そこで様々な条件が備わるのを待つのである。そして条件が整って、いざ発芽するという段階になれば、もう種としてのありかた、すなわち固い殻に覆われてそれこそ何万年でも条件が整うのを待てるありさまにおいては死んでいるのである。
私達は、死という土の中に、このように蒔かれる者なのです。死という土の中で復活という条件が整うまでの様々な作用が進む。死とは、こうした意味をもった「良い」働きが進んでいる時なのである。死は、ただ死んだ者を腐らせ、暗い牢獄に閉じ込めるような時ではない。そうではなく、土の中に蒔かれた種が発芽を待つまでに様々な作用がなされ、一つひとつ条件が重ねられてゆく、そういうま貴い時なのである。
42節には、「蒔かれるときには朽ちるものでも・・・蒔かれるときには卑しいものでも・・・蒔かれるときには弱いものでも」と畳み掛けられている。私達がこの体をもって生き、そして死んでゆくということは、ただただ朽ち・卑しく・弱さしかない、ネガティブな意味しかないものと受け取りがちである。しかし、種が土の中に蒔かれて「死ぬ」というたとえから教えられるのは、決してそうではないということなのである。球根が春になって発芽し、やがてよい花を咲かせるためには、冬の間に寒い地面の下で、その寒さを味わうことが不可欠だとよく子どもたちに話す。「球根さんは寒いから、暖かいお布団にいれてあげようね」と私が言うと子供たちは「うんうん」と頷くかもしれない。しかし、「そうしてしまったならば、もう花は咲かないのだよ」と言うと子どもたちは驚くであろう。要は、種が土の中に蒔かれてどのような状態の中で朽ちてゆくかということは、発芽や開花や結実に決定的な影響を及ぼすのである。朽ちる体であるがゆえに味わう卑しさや弱さは、朽ちないもの・輝かしいもの・力強いものに復活するときに決定的な意味を持っているのである。
パウロは、体という言葉を多く使っている。なぜパウロがこれほどまでに体という言葉を使ったのか。それは、体はそれだけ重要なのだと言いたかったからなのである。当時のギリシャ・ローマの人々は「体は墓場」と言って体を蔑視していたのである。体など何の意味もないと言っていたのである。しかし、種として蒔かれる体、その種としての体が担う朽ちること・卑しさ・弱さはとても意味のあるものなのである。それは、発芽し花咲き結実することと深く深くつながっているからである。種として死という土の中で朽ちることがなければ、芽吹くこともない。実は、十字架の死こそがイエス様の復活をもたらしたと言ってもよいのではなかろうか。私達にとっても、それぞれに科せられた十字架の苦しみと死をこの体において背負うことが、死とははるかに違う想像もつかない復活という芽吹きや結実へとつながっているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 10月 13日(日)聖霊降臨節第19主日礼拝
15:29そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。 15:30また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。 15:31兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。 15:32単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、/「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。 15:33思い違いをしてはいけない。「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」のです。 15:34正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。
1.コリントの人々は、イエス様が十字架の上で死んで復活したという出来事を、福音―喜びの知らせ―として信じ、それをもって生活のよりどころ―生きる支え―としてきた。ところが、様々な理由から、福音を喜びや生活のよりどころにできなくなる人々が出てきた。それは繰り返し申し上げてきたように、今日の私たちにもぴったりと重なり合うことではなかろうか。
どうしてそうなるのか。19節に「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」とあった。ここは、もしも私たちがイエス様をキリスト・救い主として信じること、つまりはその十字架と復活を信じること、またそれを通して得ようとする喜びや生活のよりどころというものが、ただ「この世の生活」の尺度だけで測られるものであれば、私たちは最も惨めな者だということになる。なぜかというと、残念ながらそのような望みや喜び・よりどころは得られないからなのである。
私たちが一般的に「この世の生活」という尺度の中で望みや喜びや生きる支えとして願うものは、突き詰めればできるだけ長く、それも、ただ長生きをするのではなく、いわゆる健康長寿と言われるような形で長生きをするということに尽きる。体は墓場であり、墓場に向かうところの体が抱えてしまう様々な問題に縛られないということがある。しかし、たとえ十字架と復活のイエス様を信じたとしても、それは与えられないのである。そもそも、わたしたちが「死なない者」になるわけではないのである。パウロがそうであったように、死に向かう中で、どうしても抜けないトゲがある。コリントの人々だけではなく、今日のわたしたちも、この世の生活の尺度だけでの望みや喜び・生活のよりどころを求めるがゆえに、十字架と復活の福音から離れてしまう。これが特に、日本の多くの人々が福音を生活のよりどころとして受け取れない理由ではなかろうか。
2.パウロは、このようなコリントの人々に、もう一度福音を生活のよりどころとしてほしいと願った。懸命に言葉を尽くして語りかけた(15章)のである。それは「死者のために洗礼を受ける」ということだった。一体これがどのような儀式なのか、また、なぜパウロがこのようなことをした人々について、言及しているのか、それについては昔から幾つもの解釈が出されてきた。しかし、今もって定説というものがない。
私としては以下のように受け止める。パウロがこうしたことをする人々について言及したのは、この人々が「死者の復活などない」と主張し、また福音を生活のよりどころとすることから離れつつあった人々だったからではないかと思う。そうでなければ、わざわざこの文脈でこうした儀式を行う人々に言及する理由はない。「復活などない、福音はもはや生活のよりどころになどならない」と主張しながらも、その人たちは死者のために洗礼を受けるということを行っていた。では、死者のために洗礼を受けるとは、一体どういうことだったのか。これについてはもう何百という解釈が昔から提唱されてきた。私が思う最も自然な解釈は、洗礼を受けようと願っていたのに受けないまま死んでしまった者のために残された遺族や友人、また教会の信徒が死者に代わって洗礼を受けるということである。
一体なぜこんなことをしたのか。古今東西、宗教や信仰は違っても、残された遺族が死者のためにその人が好きだった食べ物を備る等を行うというのはよくあるふるまいである。そのようなことから言えば、死んだ者のために生きている者が「洗礼という供物」を備えてあげるといってよいのではなかろうか。なぜ死者にとって「洗礼という供物」が不可欠なのか。それは死者がイエス様と結ばれて、イエス様を通してなくてはならない『食べ物』をいただくからである。
イエス様は、十字架の上で殺された。すべてのものをはぎとられ、奪われて無残な形で死んでいった。しかし、神様はイエス様をそのような無残な状態の中に捨て置くことはしなかった。逆にイエス様は、弟子たちに平安や喜びを与えることのできる存在として、つまりはイエス様自身が平安と喜びにあふれた存在と変えられた。死者がイエス様と結ばれることによって、そのようなイエス様の平安や喜びにあずかるようになる。死者がそのようなものになれるということが、遺族にとって大事なことなのである。遺族にとっては、自分たちのとって大切な死者が、いつまでも死によってすべてを奪われた者・はぎとられた者・無残な状態の中に置かれた者なのは、本当に辛いのである。
伴侶や子を、重い病や突然の事故や災害などによって亡くしてしまった人々にとっては、切実なことなのである。「死んだ者はもう苦しみなどないのだ、死者となったのだから、死んだときの痛みや苦しみなどもう何も残ってはいないのだ」と、どんなに他の人に言われたとしても、それは残された者にとっては受け入れられないことなのである。死んでいった者たちが見せた苦しみや辛さや無念さが、いつまでも看取った者には残っている。それは極端な場合には、残された者を生き得なくさせるほどのものとなる。まさに「生のよりどころ」を奪うのである。
コリントのある人々も、そうであったのではなかろうか。だから、死者のために、その代わりに洗礼を受けたのである。十字架の上で殺されたけれども復活したイエス様に死者が結びつけられて、平安や喜びに満ちた者となることを願ったのである。だとすればそれは、「イエス様の十字架と復活が、残された者たちの生のよりどころとなっているのではないか」とパウロは問いかけているのである。確かに十字架と復活を信じたとしても、「この世の生活」の中での生活のよりどころを得られはしなであろう。苦しみがなくなる死から遠ざかるということにはならない。しかし、大切な人を失って生きるよろどころを失った者には、まさしく生のよりどころとなっているのでないのかと問いかけているのである。
伴侶や子をなくした後にこそ、イエス様の十字架と復活を生きる支えとして見いだしてクリスチャンになったという話を数多く私は聞いているし知っている。大切な人を失い、その死の悲しい姿がいつまでも焼き付いている遺族にとっては、むしろ一般的な「この世の生活」における喜びや生活のよりどころというものは、何の力にもならないのである。極端に言えば、「もう生きなくともよい、生活のよりどころなどいらない、一日も早く死んだ者の後を追いかけて死にたい」とさえ思っているところに、いつまでも健康で長生きをするなどということは、もはや生きる支えになどならないのである。そのようなものではなく、残された人々にとって何よりも不可欠なのは、自分ではなく死んだ者が平安や喜びに満たされることなのである。彼らがもはや辛い病気や事故や死によって奪われた者やはぎとられた者ではないということなのである。彼らを平安や喜びに満ちた者へと変えてくれるのは、十字架にかかり復活したイエス様とつなげられることなのである。死者がしっかりとイエス様にとらえられ、イエス様が神様から与えられたものにあずからせていただくことなのである。このことが、愛する者を失って生きるよりどころを失った人々の「生のよりどころ」となっているではないかとパウロは語りかけているのである。
3.さらにパウロは、十字架と復活の福音が生きるよりどころとなる論証を自分自身の生き方を通して証ししようとしたのである。それが30節以下に書かれている。
伝道者としてパウロは、いつも危険にさらされていた。エフェソでは、野獣と戦わされた。それは32節にあるように「何の得」もない歩みだった。「人間的な動機」という言葉がある。一般的に「この世の生活」での「よりどころ」や「喜び」や「希み」といえば、それは損得の得になるかならないかなのである。実利という点でプラスになることが、おおよそ私たちの動機となる。
しかし、パウロの伝道者としての生き方は、何の得にもならないものだった。私たちの人生も同じではないか。得があったかと言えば、一体私たちには何の得があったであろうか。得があったかないかで測れば、私たちの人生は何の意味も見いだせないようなものではなかろうか。テモテへの第1の手紙の6章7節に「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができない」とある。多少の地位や名誉、また財産を得たとしても、それらを持って死ぬことはできない。何の得もない人生なのである。むしろ死に至る途上では、本当に辛い痛みや苦しみを被るのである。それ以外にも、生きていて様々に傷を負うことも多い。生きることを総括すれば、むしろマイナスの方が多いかもしれない。得があるかという点を生きるよりどころや生きる喜びとするのであれば、私たちはそれを得ることはできないのである。
だからこそ、イエス様の十字架と復活こそが生きるよりどころとなるのだとパウロは自身の生涯を通して教えようとしたのである。一体このような日々、死にさらされるような何の得もないパウロの歩みを支えてきたものは何だったのであろうか。それはイエス様の十字架と復活の福音であったに違いない。復活して弟子たちに現われたイエス様の体には、十字架の上で付けられた釘やヤリの傷痕があった。それを見た弟子たちが喜んだと、ヨハネによる福音書の20章20節にある。その言葉の意味は、ただ単に傷痕を見て目の前の不思議な存在がイエス様だとわかって嬉しくなったということではなかったと思う。そうではなく、十字架の傷跡そのものが、なぜか弟子たちに平安と喜びをもたらしたということなのである。そこにイエス様が、この世の体で傷を負い、死を苦しんだ意義があったと示される。イエス様がこの世で十字架において苦しんだことは、復活した後に、弟子たちに平安や喜びをもたらしたことで報われたのではなかろうか。イエス様の十字架の死は、この世では報いられることはなかった。しかし復活したイエス様が、その傷を通して弟子たちに平安や喜びをもたらしたという点で報われたのである。それは、イエス様自身が、この世において得られた得ではなかった。弟子たちが与えられた得なのである。弟子たちに平安と喜びを与えるという得なのであった。
パウロは、ここからこそ難儀な生活のよりどころを得たに違いない。日々死にさらされ、何の得もない傷を被るだけの人生は、この世では報われないかもしれないけれども、死の向こうでは報われるものなのである。私たちがひとりびとりに授かった十字架を背負い、それによって何の得にもならない人生を歩むことによって、傷や痛みを被ることこそが報いへとつながるのである。それは、自分自身が得る普通の意味での報いや御利益などではない。そうではなく、恐れや後悔の中に閉じこもるしかなかった弟子たちに復活したイエス様が平安や喜びを与えたようなありさまで与えられる報いなのである。しかしそのような報いこそが、死者となった私たちにとっては、実は最大の最も嬉しいものなのかもしれない。死者には、もはや自分自身のための報いなど必要ではなく、何よりも必要なのはこの世に残された者たちが平安と喜びの中に生き得ることではなかろうか。そういう報いがあるのだと、十字架と復活のイエス様から教え示されることによって、この世では何の得もない人生を生きるよりどころを私たちは得られるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 10月 6日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝
15:12キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 15:13死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 15:14そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。 15:15更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 15:16死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 15:17そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。 15:18そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。 15:19この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
1.「キリストが死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」と12節にある。コリント教会の特定の人々が、「死者の復活などない」と主張していたというのである。それはどのような主張であったのか。またどのような理由によるものだったのか。注解書には、幾つかの解釈がある。しかし、わたし自身が考えるのは次のようなことである。この人達は、決してイエス様の復活自体を否定していたのではないと思う。そうではなく、復活したイエス様と同じように、死んだ者が復活するということが信じられないし、さらに言えば、イエス様の復活を信じても、それが15章1節最後にあるような「生活のよりどころ」すなわち、生きる支えとしての喜びや希望をもたらすものにはならないということだったように思う。
イエス様の復活という出来事があったのは、おおよそ西暦30年より少し後のことであり、このコリントの信徒への手紙(1)が書かれたのは、西暦50年代の後半だったと言われている。その20年の中で、多くの人々がイエス様を信じて洗礼を受けた。洗礼を受ける際には、ローマの信徒への手紙6章3節以下にある言葉を心に刻み、これを信じて受洗したのだろうと思う。そこにはこうある。「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた・・・わたしたちは、洗礼によってキリストと共に葬られ・・・キリストが死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きる」と。つまり、洗礼を受けてイエス様と結ばれたなら、イエス様が復活されたのと同じように私達も復活させていただける。これがそれまで受洗した人々の信じたこと、生きるよりどころとなっていた福音ではなかったのかと思う。
ところが、この20年間というもの、ひとりとしてイエス様と同じように復活して残された者たちに姿を現し、それによってイエス様が弟子たちに与えたような平安や喜びを与えたという出来事は起きてはいなかった。復活が現実に起きて、それによって、死によってもたらされた深い悲しみを克服できたということがなかったのである。そうであるならば、「死者の復活など言わば絵にかいたモチのようなものではないか」「それがどうして私達の、特に死に直面し死別の悲しみを味わった人々の生きるよりどころとなるのか」と人々は主張したのではなかったか。
2.実際に死者が復活しないのなら、イエス様が十字架の上で死に復活したことを信じるにも、それが一体何になるのかという空しさを抱くことへと遅かれ早かれ至ってしまう。またこうも言る。たとえイエス様が死んで復活したとしても、死んだ者が復活しないばかりではなく、そもそも私達が死ぬということもなくなりはしない。死に至る上での体や心が被る苦しみや辛さが決してなくなるわけではない。もしも実際に死者が三日目に復活するのなら、そこで何とか死から被った苦しみや辛さを受け入れられるということもあるかもしれない。しかしそこがわからない。そして信じたとしても、死ぬことそのものがなくなるわけではない。
「体は墓場」だと言って、体が死へと至る上で被るもろもろのものを厭っていたのが当時の人々なのであった。そして2000年後の今日は、それ以上に死に至る体や心の辛さから何とか抜け出したいと願っている私達なのである。それを実際的に得られることこそが、福音であり生きる支えとなる。しかし、イエス様が十字架にかかり復活したことを信じても、同じように復活することは体験できないし、そもそも死ぬということからは解放されない。そのためコリントの教会の人々が福音から離れてしまいつつあったように、私達もまた、そのような危機の中に置かれているのではなかろうか。死に至る途上において、私達の体と心が被る痛手はそれほどに大きい。私達をきつく縛ってしまうのである。
私は先日、ある人を病院に見舞い、とてもショックを受けて帰ってきた。わずか15分位だったが、その人は2度3度と「この病院に入院するにあたっては、宗教のことは一切口にしない、かかわらないと約束をした」と言いった。そして「先生に来てもらっても何もお話しできることはない。そういうことで・・・(もう帰ってほしい)」と言った。決して私の思い過ごしではなく、その人は自分の置かれた状況において、もう宗教・信仰とかかわりたくないと思っているのを感じた。長く信仰生活を歩んできたのに、どうしてこのようになるのか。神様などいるのかという気持ちなのであろう。私達もこの人のようにならないとは限らない。これほどに、死に向かう途上において、それまではできたことができなくなり、ひとつひとついろいろなものを奪われてゆくということは辛いのである。そのような中で、一体私達にとって、どのようにしたらイエス様の十字架と復活の福音が、なお生きるよりどころである続けるのか、福音が私達に喜びや希望を与え得るものとなるのか。
3.はっきりしているのは、福音は私達から死に至る途上でのこのような苦しみや辛さをなくすことは、できないということである。私達にとっての生きるよりどころ、また喜びとなるものには、大別して2つのものがあるように思う。ひとつは、実際に苦しみや辛さがなくなるということにおいての福音であり、もうひとつはそれがなくならないということにおいて「にもかからわず」得られる喜びや支えである。
ラジオ深夜便というラジオ番組をよく聞いている。先日は「たかのてるこ」という、元気なしゃべりかたをする女性のインタビューだった。彼女は、子どもの頃からいじめや劣等感に悩み、自分を必要以上にいじめてきたと、苦しめてきたのだと語っていた。それが全世界60カ国以上も旅をするようになって、大きく生き方が変わってきたという。とにかく今は自分を苦しめないこと、いじめないこと、そしてほめてやろうと考えて、全国を講演などで飛び回っているのだそうである。最近では『逃げろ、生きろ、生き延びろ』というタイトルの本を出版し、まずは自分を必要以上にいじめている苦しみから逃げることが大事だと語っていた。
私は彼女の話に眠るのを忘れて聞き入ってしまった。そして先ほど触れた人のことを思い出していた。逃げろと言われても、その人はもう逃げられない辛さに置かれている。確かに逃げることのできる苦しみ、逃げることで自分をそこから解放できるという場合もある。できるならば、そうしたらよいのだと私も思う。私自身、例えば頭痛の苦しみを薬を飲まずに我慢するということなどできない。しかし私達には、どのようにしても逃げられない苦しみや辛さがある。逃げろ、生きよと言われても、逃げられないし生き延びられない状況に置かれることがある。
4.イエス様の十字架と復活が与える喜びが、私達の生きるよりどころとなってゆくのは、この逃れることのできない苦しみと辛さを与えられた状況においてなのだと思う。この手紙を書いたパウロが、コリントの人々に送った第2の手紙の12章に、とても興味深いことが書かれている。私はこれがパウロにとって、十字架の上で死んだイエス様から福音の喜びを得た原点ではないかと思っている。パウロには、ひとつのとげが与えられていた。それは目の病気であるとか、てんかんであるとか様々な説がある。これをパウロは、離れ去らせて下さるようにと、3度主に願った。3度というのは文字通りの3回ではなく「何度も何度も」という意味である。パウロでさえ、取り除いてほしいと願ったのである。取り除かれるということを福音として求めたのである。しかし取り除かれることはなかった。反対に「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこ十分に発揮される」とのイエス様の言葉が与えられた。願っても願っても取り除かれ得ない病いや苦しみや痛みがある。そうであるにもかからわず、取り去られることを願い続けるならそれは本当に惨めなことである。
17節に、「あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」とある。ここでの罪とは、今言ったようなことだと思う。私達には、どうしても取り除くことのできないトゲがある。それは神様が私達に取り除けないトゲとして与えたものである。抜けるトゲなら抜けばよい。しかし抜けないトゲもある。死がそうであり、死に向かう途上での苦悩がそうであろう。私達ひとりひとりに与えられる十字架が、そういうものであろう。動物も植物もそうした苦悩を静かに受容する。しかし私達人間だけがそうできない。そこに私達の病がある。いつまでもどこまでも、抜けないトゲを抜こうとし、そのトゲによって失ったものや奪われたものだけを数え続けてしまう。
この罪から私達をひっぱり出して下さるのが、イエス様の十字架と復活の福音ではなかろうか。抜けないトゲを与えられたパウロにとっても、そうだったのである。「抜けないトゲのために弱くされたあなたにこそ、私の恵みは十分であり力は発揮される」「今のあなただからこそ、神の恵みというものがわかり、神様とわたしの力というものが現れていくのだ」そうイエス様から告げられてパウロは、抜けないトゲのために、逃げられない苦しみのために自分が失ったものや奪われたものばかりを数えてしまう罪から救われたのである。そうではなく、抜けないトゲが刺さっている中でこそ与えられているものがあるとわかったのである。これがイエス様がパウロにもたらした福音であった。十字架という抜くことのできないトゲを背負う苦しみにおいてこそ与えられる復活の喜びがあり、神様の祝福がある。それをイエス様は私達に教え示し、抜けないトゲを背負うしかない私達に生きるよりどころを与えて下さるのである。
5.19節に触れて終わりたい。「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」とある。少し訳し方を変えると、「わたしたちのキリストへの望みというものが、もしこの世の生活・この世の尺度だけでのものであるとすれば・・・」ということである。この世の生活と尺度だけでの望みというのは、私達のこの世での苦しみや辛さが取り除かれるという次元での望みである。この世の尺度における望みとは、苦しみがなくなるというもののみなのである。しかし、その望みをいつまでもどこまでも求めるなら、またそれを望んで十字架にかかり復活したイエス様をキリストとして救い主として信じるなら、私達は何の福音も得られはしないのである。望んでも決して得られないものを望んで、イエス様を救い主として信じている私達は本当に惨めだということである。
しかし、私達がイエス様から与えられる望みは、そういうものではない。この世の生活の次元での望みとは決定的に違う。それは、「苦しみは取り除かれない」というところでの希望である。取り去られない苦しみの中に見いだされる喜びである。十字架にかけられて復活したイエス様が、私達に与えて下さる福音とは、そういうものなのである。この福音を生きるよりどころとしたいと思う。死に向かう辛さの中で、そのトゲによって奪われたものを失われたものばかりを数える罪から救われてゆきたい。福音を信じる喜びを失わないでいたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 9月 29日(日)聖霊降臨節第17主日礼拝
15:01兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。 15:02どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 15:03最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 15:04葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 15:05ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 15:06次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 15:07次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 15:08そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 15:09わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。 15:10神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 15:11とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。
1.この「福音」とは、喜びの知らせという意味であり、その根本にはすなわち「喜び」がある。だから1節の最後にあるように、この福音はコリントの人々にとって、ひいては私たちにとって「生活のよりどころ」となる。「生活のよりどころ」とは、別の言い方をすれば生きる支えである。喜びがなければ私たちは生きてゆくことはできない。しかし私たちの人生には、喜べないことが多い。喜びを奪うような辛いことが沢山ある。しかしそのような人生にあっても、なお喜べるということこそが、私たちの生きる支えとなる。ただ、福音が私たちに喜びをもたらす手段は何かと言えば、2節最初に「どんな言葉で私が福音を告げ知らせたか」とあるように、言葉によってもたらされるものなのである。ここにこそ、特に、この国の人々に福音がなかなか伝わらない理由があるように感じられる。我が国の人々は、「八百よろずの神々」を御利益という実利を求めて拝む。御利益を求める信仰が、とても強くある。そのような信仰心の人々に、ただ言葉だけをもって喜びがもたらされるという福音は、なかなか受け入れらない。
先日の懇談会で、伝道担当の執事は、ある比喩をもって伝道のことを語っていた。この比喩は、私もよく使う。「伝道とは、あのレストランの食事はおいしいからぜひ一緒に行ってみようと誘うようなものだ」と。人は、自分が心底おいしいと思っているレストランに誘うのである。一緒にそのおいしさを味わってもらえるなら、ごちそうしてあげてもよいとさえ思うのである。ただ、おいしいごちそうを味わうのと福音の告げる喜びを味わうのとは、実は決定的な違いがある。ごちそうのおいしさは食べてすぐにわかる。口に入れた瞬間にそのおいしさがわかる。しかし福音の喜びの「おいしさ」は、そうではない。十字架にかかって死んだイエス様が、キリスト・救い主であるということは、誰にとっても愚かであり躓きなのである。またパウロがアテネで、そのイエス様が復活して弟子たちに現れたと語ると「(人々は)あざ笑った」と使徒言行録17章32節は告げている。ましてこれらの出来事は、私たちにとっては、はるか2000年前に起きたことなのである。私たちは、このことをただ聖書の言葉を通して伝え聞くしかない。目の前にあるごちそうを実際に食べておいしいと感じるようにはいかないのである。福音のもたらす喜びとは、そのようなものである。
2.しかしそれでも福音は私たちに喜びをもたらし、生きるよりどころとなる。その意味では、必ずや私たちの「御利益」になる。
この10年位の間に、キリスト教の学者たちの間で、『物語』ということが、よく語られるようになった(確かナレイティブ・セオロジーと呼ぶようである)。また、新聞などでも、そのような論考が見受けられるようになってきた。私の手元に『生きるとは自分の物語をつくること』というタイトルの文庫本(小説家の小川洋子と心理療法家の河合隼雄の対談)がある。この中で小川さんは、まず以下のようなことを言っていた。「人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしてゆくという作業を必ずやっている」と。小説とは、作家自身が、まずそのような物語を作り、それを読んだ読者が結果として各自そのような物語を作る助けをするものだと小川さんは考えている。そして、臨床心理の仕事も、自分なりの物語を作れない人を作れるように手助けすることではないかと。これに対して河合さんも「おっしゃったことは私の考えていることとすごく一致しています。私は『物語』ということをとても大事にしています。来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような場を提供している、という気持ちがものすごく強いです」と応えておられた。
聖書の伝える言葉は、まさにこの「物語」なのである。小説家の物語は完全に架空のものである。しかし聖書に伝えられている物語は、それがどれほどの躓きであり愚かであり、あざ笑われるようなものであっても、事実に由来する物語なのである。ただそれは、私たちが実際に見聞きすることはできず、食べておいしいとも言えない2000年前の物語なのである。だが、この物語は、聞く私たちをして、小川さんが言われたように「生きてゆくうえで受け入れるのが難しい現実を受け入れさせうる」力を持つのである。人間とは不思議な生き物で、たとえ架空の物語や言葉であっても、それによって生きる支えを得たり、喜びを見いだしたりする存在なのである。
3.では十字架の上で死んだイエス様が復活し、ペトロをはじめとする弟子たち―最後には迫害者だったパウロ―にイエス様が現れたということは、彼らにどのような喜びをもたらし、ひいては私たちにどのような喜びを下さるのか。
5節後半に「また聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと」とある。この「聖書」とは勿論、旧約聖書のことである。たとえば使徒言行録2章でペトロが、人々にはじめて福音を語ったときにイエス様の復活を預言した聖書箇所として引用しているのは、旧約聖書の詩編16編である。使徒言行録の2章31節には「キリストの復活について前もって語り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』」というように詩編の16編10節を引用している。
三日目に復活したイエス様が、ペトロをはじめとした使徒たちに何度も現れたことから、得られた喜びとは何であったか。その喜びは、今の私たちとは違って、実際に復活したイエス様に出会えたことによる喜びであった。十字架の死とは、言うまでもなくとても残酷で、むごたらしい死であった。しかしイエス様は、そのむごたらしい死の中に封じ込められることなく、そしてその死によって内なる部分をずたずたにされてしまうことなく、逆に、出会った弟子たちに平安や喜びを与えるものとして現れたのである。ヨハネによる福音書の20章19節以下にはこうある。「復活されたイエス様は『あなたがたに平和があるように』と言われ、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように』」と。
弟子たちは、むごたらしい死が、劇的に変化させられてしまったのを感じたに違いない。十字架というむごたらしい死は、そこにイエス様が身を横たえ、そこから復活することにおいて、平安や喜びを生み出すものへと変えられたのである。むごたらしい死のただ中から、決して現れ出てはこないような正反対のものが生じてきたのである。そのとき弟子たちは、ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた。十字架の出来事は、ケファ(ペトロ)の3度の否み、弟子たちの恐れ、故郷への逃亡、パウロによる迫害といった状態を引き起こしていた。もし復活と彼らへの現れがなかったら、弟子たちはずっと、いろいろな意味で鍵をかけて引きこもったままだったであろう。もしイエス様が墓の中で腐敗していたなら、弟子たちもまた生きながらある意味で「腐敗」してしまっていたことであろう。これが、十字架がもたらした結果であった。因果であった。
しかし復活したイエス様は、まるで正反対のものを与えて下さった。平安と喜び、そしてヨハネによる福音書の20章21節の後半にあるように、そのような彼らを、福音を宣べ伝える者として選び遣わすと言って下さった。本日の聖書箇所の10節以下でパウロは、この復活して現れたイエス様における平安や喜びを「神の恵み」という言葉で表現している。神の恵みとは、私たち人間の世界での因果と正反対のものである。私たちの世界には、突き詰めると十字架の死しかない。私たちから喜びや平安を奪う辛い苦しみとその結果としての恐れや閉じこもりや逃亡や迫害しかないのである。しかし、神様の恵みの世界には、人間の因果を破るものがある。それをもたらして下さったのはイエス様の復活と弟子たちへの現れだったのである。
このようなイエス様の物語があるからこそ、私たちもそれに自分たちをなぞらえて、私たち一人ひとりに与えられる十字架とも言える苦しみや死という出来事を、恐れや閉じこもりや「腐敗」という因果・結果を生じさせるものではなく、それとは全く正反対の喜びや平安を生じさせるものとして受け止めることができるのではなかろうか。それこそがイエス様の復活と弟子たちへの現れが私たちにもたらしてくれる喜びではないかと思うのである。
4.もうひとつの喜びとして語りたいのは、これは特に私自身がいただく喜びであるが、ヨハネによる福音書が特に強調するところの、「復活されたイエス様の不思議な体には十字架の傷痕があった」ということを通しての喜びである。ヨハネによる福音書の20章20節をもう一度読み直すと「(復活されたイエス様は)そう言って、手を脇腹をお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ」と書かれている。この記述の意味は、傷を見てはじめて目の前にいる不思議な姿が、十字架に付けられたイエス様と同一人物だとわかったということも勿論あるのだが、私はそれだけではないと感じるのである。弟子たちが受けた受けた喜びとは、目の前のいるのがイエス様だとわかった喜びだけではなく、イエス様の体に十字架の傷痕があったことからの喜びだと思うのである。
十字架の傷痕とは、イエス様の命を奪い、殺してしまった原因である。しかしイエス様は、それに打ち勝って、それを打破して、その傷を抱えつつも復活したのである。せっかく新しい体になったのだから、そのような傷など跡形もなく消えた方がよかったのではなかろうか。そのほうが弟子たちの喜びが大きかったのではなかろうかと考えてしまう。しかし、そうではないのである。傷を見てこそ喜べたのである。私はそこに、イエス様の復活の体において、この世の体において被った傷がとても大事な働きをしたことを見たのである。それこそが弟子たちに喜びを与えるという働きをしたのである。
私はここから喜びを得るのである。イエス様は、体が被った傷によって死に至った。私たちもそうである。しかし、イエス様が陰府に捨て置かれることがなかったように、イエス様を信じる私たちも同じなのである。イエス様の命は十字架の死で終わるのではなく、同様に私たちの命もそれで終わるのではない。そして終わりではない命において、イエス様がこの世の体において被った傷が決定的に大事な役割を果たしたように、私たちの傷も、そのような働きをするのだと思うのである。当時の人々は「体は墓場」と言って体を蔑視した。体が被る傷を厭うた。しかし、復活がある限り体は決して墓場に葬られて終わりではなく、故にその体がこの世において被った傷は大切な意義を持つのである。私たちはイエス様と同じようには、三日目に復活させていただくことも不思議な新しい体を与えられることもない。しかし何らかの形で私たちの命は存在しつづける。いつのときにかイエス様と同じような不思議な体を授かる。そういう存在として、私たちがこの世の体で被った傷は大切な意味を持つのである。イエス様の傷が弟子たちに喜びを与えたように、私たちの被った傷は決して無駄にはならず、愛する人々に喜びを与えるものとなる。そこに、深い意味での喜びを見いだし得るのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 9月 22日(日)聖霊降臨節第16主日礼拝
15:01兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。 15:02どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 15:03最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 15:04葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 15:05ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
1.パウロは、書き出しの1節と2節で「兄弟たち・・・無駄になってしまうでしょう」と語っている。ここでまず彼が言わんとしたのは、コリントの人々がパウロの伝えた福音を受け入れ、それをもって生活のより所とし、救われてきたということである。そして、それをしっかりと覚えていないと、せっかくこれまで信じて生きてきたことが無駄になってしまうということ。だから改めて、私があなたがたに伝え、またあなたがたがこれまで生活のより所としてきた福音をもう一度教えたいということであった。次の3節から、その内容が語られてゆく。
パウロがここでわざわざ「しっかりと覚えていれば・・・さもないと無駄になってしまう」と語ったのは、コリント教会の中に、パウロが最初に伝え、彼らがそれを受け入れて生活のより所としてきた福音を忘れ離れてゆく人々が出てきていたことを物語っている。それは一体どういう事情であったのか。
パウロは、この書き出しの2節で「福音」という言葉を4回も使っている。福音とは、ギリシャ語では「ユウアンゲリオン」である。英語で言えば「Good News」、日本語では「良き知らせ」「喜びの知らせ」という意味となる。一体当時のギリシャ・ローマの人々にとって、何が喜びの知らせであったのであろうか。どのような知らせが喜びをもたらすものとなって生活のより所・生きる支えとなったのであろうか。それは、身体の抱える様々な問題からの解放ではなかったかと思うのである。当時のギリシャ語のことわざに「ソーマ・セーマ(体は墓場)」というものがあったことは、何度かお話しした。それほど当時の人々は、様々な問題を抱える体を厭い嫌っていた。何とかして体の抱える問題から解放されたいと願い、それをもたらすものを喜びの知らせとして受け入れ、生きる支えとしたのである。
2.そこで、問題は、このような当時の人々の願い求めに対して、パウロが伝えた福音とは、どのようなものであったかということなのである。一端は、コリントの人々もそれを受け入れ、信じて生活のよりどころとしたものの、彼らが求める体の問題からの解放という願いを満たすものではなかったということではなかろうか。だから徐々に人々はその福音から離れてしまったのであろう。
2節を注意深く読むと、「どんな言葉で」とあり「しっかりと覚えていれば」とあることに気づく。パウロが伝えた福音は、言葉によって伝えられるものであり、またそれをしっかりと覚えている必要のあるものだった。内容そのものの問題もあるが、ただの言葉で伝えられ覚えるていることが重要だとされる「福音」は、残念ながら人々の願いを満たすものではなかったのではなかろうか。私は、2000年の時代を越えて、このようなところにこそ、私たちの周囲の人々に、なかなか聖書が伝えるキリスト教の福音を受け入れてもらえない理由があるように思うのである。先日、私はある方のお見舞いのため筑波大学病院へ行ってきた。さほど遠くないので自転車で行ったが、夕立に遭い、やむまでしばらくロビーにいたときに、患者さんからの声とそれに対する病院からの答えを綴った分厚いファイルが目についたので、しばらくそれを読みながら雨が止むのを待っていた。そこに多くあった患者の声は、待ち時間の長さと、それに対しての診察時間の短さへの苦情だった。これほど多くの人が、体の抱える様々な問題からの解放を求めてこの大学病院に押し寄せているのだと感じた。それは2000年前の人々と何ら変わりがない。今日の多くの人々が求め、それを生きるよりどころとしたいと願っている「福音」とは、要はやはり体の抱える諸問題からの解放なのではなかろうか。
それに対してキリスト教が伝える福音とは、言葉によって伝えられるような、そしてそれを覚えていることが不可欠であるような、そういうものでしかない。ただの言葉によるものが、どうして喜びの知らせであり、生きるより所となどなりえるであろうか。人々が欲しがるのは、言葉ではなく実際上の体の健康の回復なのである。癒しである。痛みがなくなり、歩けるようになることなのである。悪い部分が取り除かれることなのである。聖書の伝える福音が「喜びの知らせ」として周囲の人々にはなかなか伝わらない。今の時代では、とくにそうである。その根源的な原因が、ここにこそある。よくそれは、私たちの伝道方法のまずさや工夫のなさが理由だとされる。しかし私は、決してそれだけの問題ではないと思う。そうではなく、聖書の伝える福音そのものが、そもそも持っている本質・特徴にこそ理由がある。それは言葉によって伝えられるものであり、覚えていることによって救われるものなのである。それに加えて何よりも、3節以下に書かれている福音の内容そのものの特質によるのである。残念ながら、そこには私たちをして、そこから離れさせてしまうものがある。徐々にそれを喜びの知らせとして、また生活のより所とはなしえない何かが、そこにはある。しかしその何かを取り除いてしまったならば、それは聖書の伝える福音ではなくなってしまう。パウロ自身が先達から受け、それをコリント人に伝えた福音ではなくなってしまうのである。
3.それでは、パウロ自身が先達から受けコリント人に伝えた福音とはいかなるものであったのか。それが3節以下に記されている。このどこまでがその部分かについては諸説ある。しかしこれが、新約聖書の中に記された最も早い時期に成立していた信仰告白のようなものだったと言われている。私たちは毎週の礼拝で、使徒信条という信仰告白を告白している。ここにパウロが記したものは、使徒信条よりも100年以上も早く、パウロがこの手紙を書いた西暦50年頃には、もう既に当時の教会で流布していたものだったのである。
最初に告白されているのは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと」である。これは、端的に言えば、十字架の上で死に、墓に葬られたイエス様が、キリストであるということである。そして、それは私たちの罪のためであったということを言い表している。当時のギリシャ・ローマ世界の人々は「体は墓場」だと言って、体が墓場からできるだけ遠ざかることを福音として求めていた。そのような救いを求めていた人々に、「神様はイエス様を十字架の上で殺し、墓に葬ることによって、人々をその罪から救おうとした」と伝えるものだった。この告白の重点を、むしろその後半に、つまり復活を語る部分にこそあると受け取って、だからこそそれが墓場である体からの解放を求める人々にとっての良き知らせになったのだと解釈する人もいる。
しかし、それはパウロの言わんとする主旨からは外れていたと私は思う。この手紙の2章1節で、パウロはコリントを訪れた時を振り返って「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい(語るまい)と心に決めていた」と語っていた。彼がコリントの人々に伝えたのは、専ら十字架につけられたイエス様がキリスト・救い主なのだという福音であった。それは、ギリシャ人には愚かなものでしかなかった(1章23節)。しかしパウロは、それのみを福音として語ったのである。そして、それをコリントの人々は不思議にも受け入れてくれた。そして今に至るまで、生活のより所としてきた。しかし、そこから離れようとしてしまう人々が出てきたのである。
4.大事なのは、一体この愚かな知らせが―残念ながら今は、そこから離れようとしてしまう人々が出てきている知らせなのだが―どうして生活のより所となる福音なのかということである。一端はコリントの人々は、この愚かなる知らせを福音として受け入れた。それを生きるより所としてきたのである。
ここでカギとなるのは「私たちの罪のために」という言葉である。聖書で言う罪とは、私たちが法律的な犯罪を犯したとか、倫理的・道徳的な悪を犯したとか、そのようなことではない。それは、私たちの内側の奥深い部分が病んでいるということなのである。「体が墓場」なのではなく「内なる部分―魂―が墓場」だということなのである。
先週の水曜日、私はの目は朝日新聞1面のコラムに留まった。それは、哲学者の鷲田清一さんの「折々のことば」というコラムであった。はじめに今西錦司さんの次のような言葉が掲げられていた。「生物は、つねに余裕をもった生活をしている。そしてその余裕を惜し気もなく利用したいものに利用させている」と。その後に、鷲田さんの次のような解説が続いていた。「ヒガンバナは、花は咲いても実はならない。繁殖は地下茎でおこなう。だから昆虫に受粉を助けてもらう必要がないのに、立派な花を咲かせ、そこを訪れる蝶に花蜜を差し出す。植物はさまざまな動物に食われ放題。人のように『ガリガリ亡者』ではなく、『のびのびと』動物たちを養っていると生態学者は言う」と。
私たちの魂・内側の奥深い部分が病んでいるというのは、私たちがこのような貪欲さに犯されているということである。この貪欲さとは、私たちが自分の生きていることを自分の思い通り・願い通りのものにしたいということである。鷲田さんが書いているように、同じ神様からの命をいただいている動物や植物たちは、決してそのような貪欲さに支配されてはいない。自分に与えられた命を本当に謙遜して生き、このコラムにあったように惜し気もなく与え尽くして静かに死んでゆける。しかし私たち人間は、そうはできない。貪欲に、おのが思い通りに生きることを喜びとしているのである。私は、大学病院でのお見舞いの帰りに、ロビーで喪服のような服装の家族が涙を流しながら病院のスタッフにお礼をいっている光景を見た。最先端の治療を求めて大学病院にやってきたけれども、願いかなわずに死んでゆかざるを得ない多くの人々がいるのである。そうであるにもかかわらず、私たちがどこまでも死ぬ体からの解放を求め、死にゆく体を思い通りにコントールすることに生きる喜びを見いだそうとするなら、私たちは、なんと惨めであろうか。それが、私たちの抱えている根源的な病なのである。それは体の病ではなく、魂の病である。魂の病を癒さずして、私たちは喜びを得ることはできないのである。
5.この喜びを私たちに得させようとして、神様はイエス様をキリスト・救い主として十字架の上で死に至らせ、墓に葬らせたのである。それは長く旧約聖書で預言されてきた。3節に「聖書に書いてあるとおり」とは、何よりもイザヤ書53章に記された救い主の姿を指していると言われている。その4節には「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が会ったのはわたしたちの痛みであった」とあり、5節最後には「彼の受けた傷によってわたしたちは癒された」とある。神様は私たちの病を癒すのに、私たちの体から痛みや死を取り除くことによってではなく、イエス様がその体において十字架の苦しみを負い、痛みを得て死に、墓に葬られることによってなのであった。イエス様は、自分の人生を自分の意のままにしようとはしなかった。悩みつつも苦しみつつも、すべてを神様に委ねた。それこそが罪なき病なき人の姿なのである。わたしがいつも用いる比喩を使えば、病人である私たちは、この病なきイエス様の命の移植を受けねばならないのである。私たち自身は、なおも病む者であり続けるであろう。しかし移植されたイエス様の命・その十字架上の病なき命は、私たちの中で徐々に徐々にその影響力を現してゆくのである。イザヤ書に預言されている、神様から遣わされた何者かが傷つき痛むことによって私たちの病が癒されるとは、聖書全体を貫いている福音のメッセージである。これを喜びの知らせとして受け入れ、これを生活のより所とできるのは、私たちが体の病ではなく魂の病に深く悩んでいることが前提として不可欠なのかもしれない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 9月 15日(日)聖霊降臨節第15主日礼拝
21:18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 21:19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
1.明日は世の暦では、日本の暦ではでは「敬老の日」である。ここ数年、私たちの教会では、その直前の主日を『敬老祝福日』の礼拝として守ってきている。今日は、復活されたイエス様がペテロと交わした問答の最後の部分が与えられた。イエス様がペトロに「あなたはわたしを愛するか」と3度も問われ、「わたしの羊を飼いなさい」と3度命じた場面は、よく牧師の就任式で読まれ、また説教される箇所である。
さて、17節までの問答が終わってイエス様はペトロに、「あなたは若いときには・・・しかし年をとると・・・行きたくないところへ連れてゆかれる」と告げた。今日の敬老祝福日礼拝では、なぜこの御言葉を取り上げたのか。それは他でもなく、ここでイエス様が「年をとると・・・」と告げたことが、いま、その通りの現実として身の上に起こっている人々が沢山おられるのを思うからである。
私は先週の水曜日に、この教会の会員のSさんを病院に見舞った。8月はじめ位から消息がわからなくなり、心配をしていた。以前在籍していた教会の牧師のつてで、やっと病院に入院されていることがわかった。そしてやっとお見舞いにうかがうことができた。7月末に、私の妻がSさんの自宅を訪ねた。そのときに妻から、Sさんが散歩の途中で転び、家の中をはって移動している状態だったということを聞いた。私は、市の包括支援センターの知人を通して、Sさんの地域担当にも相談をしていた。そうこうしているうちに、私が福島に帰省するなどしている間に、Sさんは結果的には、転んだときに背骨が骨折していたことがわかり、急遽入院をして手術をすることになった。Sさんは、先週末には、リハビリ病院に転院し、その後は介護施設のようなところに入るとのことだった。しばらく話しをした。自分の状態を受け入れがたい状況として思っておられ「こんなことになるとは思いもよらなかった」と何度も涙ぐんで嘆いておられた。足も動かせなくなり、ちょうど私がお見舞いにうかがった時に、看護士さんに体位交換をしてもらっていた。Sさんは、おつれあいを看取った後、東日本大震災で罹災されてからは、ご子息のおられるこのつくばに転居して、ひとりで生活されておられた。この教会の礼拝に欠かさず出席され、朝の礼拝を休んだときには、わざわざタ拝に出席し、祈祷会にも出席されていた。5月であったか、Sさんが私に面談を申し出てこられた。「礼拝の間、座っているのがとても辛いのでもう出席できないことを許してほしい」とのことだった。同様に93歳になる私の母も、同じ姿勢を取っているのがとても辛いと言っているので、本当にそうだろうと思う。85歳を過ぎても、自分で車を運転して宮城県の実家に墓参りに行くようなSさんであった。以前に在籍しておられた教会には、100歳を越えてもかくしゃくとして礼拝に出席する先達がおられたので、きっと自分でもそうなれると思っていたに違いないのである。しかし思いに反して、まさに今日の聖書の言葉が言うとおりに今や「行きたくないところへ連れてゆかれる」状況に身を置かれているのである。
高齢の方々も、今日の礼拝に出席されておられる。その中には「自分がいずれそういう状態になるだろうということなど聞きたくもない」と思う方もおられるであろう。けれども、十字架の死をくぐり抜けて復活したイエス様が、弟子のペトロに、ひいては私たちに、そのような時が訪れると、はっきりと告げた言葉に耳を閉ざすことはできないのである。イエス様は、私たちのそのような歩みにおいてこそ神様の栄光が現れると教えて下さったのだとヨハネは語っている。イエス様は、行きたくないところへ連れてゆかれ、そして死んでゆくというありさまは、神様が私たちをしてその栄光を現させるためには、どうしても必要な歩みだと教えて下さった。私たちが行きたくないとことへ連れてゆかれることには、神様の栄光が現れるというすばらしい喜びがくっついているのである。私たちは、そこに向かうのが、ただただ嫌だ・辛いと思うような目標に向かうことはできないであろう。しかし、イエス様が教えて下さったのは、私たちが行きたくないところへ連れてゆかれるその先には、神様の栄光が私たちをして現れるというすばらしい目標が待っているということである。その喜びを共に味わいたいと願うのである。
2.それでは、肝心な点である。私たちが他の人に帯をしめられ行きたくないところへ連れてゆかれるという歩みにおいて、そして死ぬということにおいて現れるという神様の栄光とは一体どのようなものなのであろうか。
第一は、それは神様の栄光なのだか人間の栄光ではないということである。つまりそれは、私たち人間が望み願うような栄光ではないのである。栄光とは、輝きとかすばらしさとかいう意味を持つ言葉だが、私たち人間が望み誰しもが輝きと考える栄光とは、要は18節前半に書かれているような状態がいくつになっても続いていることを意味しているのではなかろうか。日野原先生のように100歳を越えても現役で仕事をして、自分で帯をしめたい時にしめて行きたいところへ行ける、これが私たちの望む栄光であり輝きなのであろう。「あの人はクリスチャンとして幾つになっても礼拝を守り祈りの生活を全うして死ねた」「すばらしい信仰者だった」と言ってもらえるようなことが、私たちの考える栄光ではなかろうか。しかし、それは人間の考える栄光であって神様の栄光ではないのである。
神様の栄光は私たちが求め考える栄光とは違っている。そこに私たちの躓きもあるが、逆に深い慰めもあるのだと思わせられる。躓きがあるというのは、神様の栄光が現れるあり様は私たちが求め願っているものとは違うので、私たちはそこに躓いてしまうのである。「こんな状況は嫌だ」「こんな状況は悲しい」としか思えないのである。Sさんを見舞って、一体この人のどこに神様の栄光が現れているのかと問わざるを得なかった。しかし、神様の栄光と私たちの求め願う栄光とは違うのだとすれば、私たちがたとえどれほどそのように躓くとしても、そこに実は神様の栄光が現れているということではなかろうか。そこには深い慰めがあるのではなかろうか。
3.18節のイエス様の言葉をヨハネは、「ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示そうとして、こう言われた」と語っている。では、ペトロの死は「さすが弟子の代表の最後だ。クリスチャンの死に方とは実にすばらしいものだ」と言われるようなものだったであろうか。彼の最後については様々な言い伝えが残っている。原典はわかりらないが、山室軍平は『民衆の聖書21ヨハネ伝』の中で次のような言い伝えを紹介している。「伝説によれば、ペトロはローマでしばらく入獄の後逃れて市外に出て去ろうとする途中、たちまちイエスに出会い、驚いて、『主よ、いずこに行きたもうか』と問うと、『今一度十字架にかからんために、ローマへ』と答えたもうのを聞いて、彼は悔恨にたえずすなわちローマに引き返し、最後まで迫害を忍び、その十字架にかけられようとするや、みずから求めてさかさ十字架にかけられた、と言われている」と。
この言い伝えが示しているペトロの姿は、最後まで信仰を全うした立派なクリスチャンの死とは少し違うような印象を抱かせる。ヨハネが「どのような死に方で」と記したとき、ペトロは既に殉教の死を遂げていた。もしかすれば、ペトロがイエス様を3度も否み、また逃げようとしたということが伝わっていて、そんな彼を悪し様にいう人もいたのかもしれない。だからヨハネは、ペトロのその死に方こそが神様の栄光を現しているのではないかと語っているのだと思う。また15節以降、イエス様が3度もペトロに「あなたはわたしを愛するか」と尋ねたのは、言うまでもなく彼が3度もイエス様を否んだこととつながっていて、それと重なることとしてペトロの死に方がほのめかされているのかもしれない。しかしイエス様は、ペトロがイエス様を3度否んだこともまた、逃げながらの死も決して責めてはいないのである。むしろそこにこそ神様の栄光が現れているとイエス様は教えて下ったのだとヨハネは伝えようとしているのではなかろうか。彼が3度もイエス様を否み、また逃げようとしても最後は殉教の死を遂げ得た点にこそ、神様の栄光またイエス様の栄光が現れているのではなかろうか。それは、ペトロという人自身の輝きではなく、神様の輝きでありイエス様の輝きなのである。こんな弱々しいペトロをも最後まで支えて弟子としてその生涯を全うさせて下さったところにこそ、神様・イエス様の栄光は現れている。そのような神様・イエス様の栄光が現れるためには、辛いけれども私たち自身の栄光・輝き・強さ・誇りのようなものは砕かれねばならない。それが砕かれたところで、そんな私たちを、なおも信仰者として支えて下さる神様の栄光が現れるのであろう。
4.改めて「死に方で神の栄光を現す」とは本当に意味深い言葉だと思う。ヨハネが「ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるか」をイエス様が示そうとしたと語ったとき、彼の心の中には、そもそもイエス様自身がどのような死に方で神様の栄光を現されたかということが当然あったのではないかと感じる。
イエス様のどのような死に方で、神様の栄光が現れたか。そもそもそこに神様の栄光などというものがあると私たちには見えたであろうか。パウロが何度も語っているように、十字架につけられたイエス様がキリスト・救い主であるなどというメッセージは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものでしかなかった(第1コリント1:23)。しかしパウロにとっては「隠された神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために・・・定められたもの(コリントの信徒への手紙1 2章7節)」だった。ここに「栄光」という言葉が出てきている。一体神様がイエス様の十字架において現そうした栄光、また私たちに与えようとした栄光とは、どのようなものなのか。それは何よりも、パウロが言うように隠されている。私たちには栄光とか輝きだとはわからないものなのである。しかし、神様はこのイエス様の十字架という愚かさや躓きによってこそ私たちを救おうとした。それが神様の栄光なのであった。十字架というイエス様の弱さによってこそ、私たち人間を壊してしまう弱さから私たちを守り救おうとしたのではなかろうか。私たちは、行きたくないところへ連れてゆかれ死ぬことの中で、この十字架のイエス様を救い主として見いだす。死の中で十字架のイエス様を救い主として信じることができる。そのような悲惨な状況の中で十字架という愚かさを頼る。これが神様が私たちに与える栄光ではなかろうか。私たちの輝きというものではなかろうか。
イエス様が十字架という死に方によって神様の栄光を現したからこそ、ペトロもその死に方で神様の栄光を現したし、そして私たちもそうできるのである。彼の死は決して立派な死に方ではなく、人々を噴かせるようなことのあった死だったかもしない。しかしそのようにペトロが死んでいったことで、彼は同じように弱さの中で死んでゆく人々を飼う者になれたのではなかろうか。「私の羊を飼いなさい」というイエス様の命令を、その死によって果たす者となれたのである。「あなたのためなら命も捨てます」と豪語したペトロだったが、そんな彼は羊飼いとしての務めを果たすことができなかった。自分で帯を締め行きたいところへ行ける境遇においては、なぜか私たちは誰かを支え養う働きができない。その反対に、行きたくないところへ連れてゆかれ死ぬ者となったとき、私たちは神様・イエス様の下さる栄光の輝きを現して、そのことにおいて身近なだれかを養える者となれるのであろう。だからSさんも、その思い通りにならない姿を通して、いよいよ神様を頼り、そのことにおいて私たちを養って下さるのであろうと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 9月 8日(日)聖霊降臨節第14主日礼拝
13:12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。 13:13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。 13:14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。 13:15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。 13:16はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。 13:17このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。 13:18わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。 13:19事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。 13:20はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」 13:21イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 13:22弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。 13:23イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。 13:24シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。 13:25その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、 13:26イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。 13:27ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。 13:28座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。 13:29ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。 13:30ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
1.最後の食事の席でイエス様は、弟子たちに遺言しておきたいことを語ろうとしていた。そのイエス様の心が、1節の「世にいる弟子たちをこの上なく愛し抜かれた」という言葉に込められている。イエス様は「世にいる」弟子たちを愛した。この最後の晩餐において、世に残る弟子たちにとって必要なものを残しておこうとした。「これからは、今までのようには目に見える姿では、あなた方といつも一緒にいて面倒を見るということはできない。私を十字架の上で殺した人々の憎悪を一身に受けることになる。」それは「世にいる弟子たち」が受けねばならない境遇となる。だから、そうした弟子たちのために、どうしても必要となるものをイエス様は、このときに残しておこうとしたのである。
それは、弟子たちの足を洗うというふるまいにおいて現れた。なぜ他のどんな行為ではなく、足を洗うというふるまいだったのか。それを理解するカギが「この上なく」という言葉にあると私は思った。これはギリシャ語の原文では「エイス テロス(ει? τελο?)」という言葉である。確かに慣用句としてはそのような意味だが、私としては、そもそもの直訳上の語感が大事だと感じるのである。直訳すると「目標に向かって/ゴールに向かって」という意味となる。
この世にあってこれから様々な迫害に直面することになる弟子たちにとって、何よりも大事なこととは何か。それは彼らの足が、そうした境遇にもかかわらずしっかりと目標に向かえるということではなかったか。難儀な境遇に置かれたとき、まず私たちは、足が萎える。それは肉体的な意味で足が萎えるということもあるが、何よりも萎えるのは「心の足」「内面的な足」だと私思う。私が糖尿病になったことなど大したことではなかった。しかし、これが牧師としての働きを続けられないというような大きな病気にだったとしたら、私の心の足は萎えてしまったかもしれない。そのような危機の中に置かれた私にとって不可欠なのは、そのような状況が何のために私に与えられたかということである。その困難が私にどのようなゴールをもたらしてくれるかを知ることである。もちろんそのゴールとは、悪いゴールではなく、病気になった私をしてそこに向かうのが嬉しい・喜びだと思わせてくれるようなものである。誰もそこに向かうのが嫌になるような目標に向かっては進むことはできない。大事なことは、そこに向かうのが幸いであり喜びなのだと思えることである。17節には「このことがわかり、その通りに実行するなら幸いである」との言葉がある。イエス様は、この最後の晩餐において、弟子たちをしてそこに向かうことが必ずや彼らの幸せになるような目標を、足を洗うというふるまいを通してはっきりと教え示してくださったのである。世にあってまず真っ先に足が萎えるからこそ、その足を洗い強めて足こそが目標を目指せるようにしてくださったとも言えよう。イエス様によって足を洗われたことを通して、弟子たちの足がどこへ向かえばよいのかを忘れないようにしてくださったのである
2.では、足を洗うというふるまいにおいて、イエス様が教え示してくださった目標とはどのようなものだったのか。イエス様によって足を洗っていただくことが、そもそも何を表していたのか。それは、突き詰めて自分で自分の足を洗うことができない状態だと思うのである。いつか私たちは自分の体を起こすこともできなくなって、自分で自分の足を洗えなくなる時が必ずやってくる。ペトロはイエス様に「私の足など決して洗わないでください(8節)」と言った。それは「自分の足など自分で洗える」という意味でもあった。それに対してイエス様は「今はわたしのしていることはわかるまいが、後で分かるようになる」と答えた。確かにペトロにもそのような時がやってきた。もう自分では自分の足を洗えず、あるいは自分の力ではもう足を動かすことも立たせることもできずに、誰かの力を借りてそうせざるを得ない時がやってきたのである。
一体そのような時が、どういう意味で私たちにとってそこに向かうのが幸せであるような目標なのであろうか。それは普通で言えば、決して向かいたくない、できれば遠ざかっていたいような目標でしかない。自分が今そこに向かっているのだとわかって、まさに心の足が萎えてしまった人々はたくさんいるであろう。わたし自身もそうなるだろうと思う。そうであればこそイエス様は、弟子たちの足を洗って、「あなたがたがいつかこうやって誰かに足を洗ってもらう境遇になったとき、私があなたがたの足を洗ってあげたことを思いだして、そうなった幸いを思いなさい。そこにあなたがたの幸いがあると知りなさい」と教えてくださったのである。
なぜそれが幸いなのであろうか。それは、私たちが文字通り誰かによって足を洗ってもらう者となれたからである。そのことを通して本当にはじめてイエス様によって足を洗ってもらう者となれたからである。これまでは私たちは、突き詰めれば本当にイエス様によって足を洗ってもらう者ではなかった。自分で自分を洗い、立たせていたにすぎなかった。エゼキエル書34章に、「災いだ。自分自身を養う牧者たちは」とあった。自分自身を養う牧者とは誰のことか。それはほかならぬ私たち自身だと思う。だから神様は、そうした偽物の牧者に試練を与えて、「牧者たちが自分自身を養うことはもはやできない(34:10)」ようにした。私たちは、召されるプロセスにおける様々な区難において、自分自身を養うことが出来ないようにされるのである。しかしそうなってはじめて、神様が私たちの牧者となるのである。神様が牧者であってくださることの幸いを知るのである。今のこの時代の幸福観とは、すべからく自分で自分の足を洗えるというところにある。人様に迷惑をかけたくないと誰もが思っている。しかし、私たちが誕生したときには、誰かに迷惑をかけずには生きてゆくことはできなかった。赤ん坊の時にはだれも「人様に迷惑をかけてまで生きていたくない」などとは思わなかった。それなのに、老いて死にゆくときにはそう思ってしまう。だから、その時の中にいかに幸いを見いだすかが、そこにも目指すべき良きゴールがあると見いだせるかが大事なのである。誰かに足を洗ってもらう境遇になったことを幸いと思いなさいとイエス様は教えてくださっているのではなかろうか。
3.イエス様は、このようにまず弟子たちの足を洗って「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と言った。それは、いつのときにか誰かに足を洗ってもらう者となることが本当に幸いであるということがあるからこそ、その幸いなときを誰かにもたらせる者となること、つまり誰かの足を洗ってあげられるということが、どれほど幸いかということなのである。いつかは人の足を洗ってあげたくともそうできなくなる時がやってくる。しかしそうなるまでは、精一杯誰かの足を洗ってあげなさい。それは弟子たちの足を洗ってくださったイエス様にならうことなのである。そこにもまた私たちの人生の向かうべきゴールが、人生の目標というものがある。それは本当に明確な目標である。私たちの人生が何の為にあるのかと言えば、足を洗っていただくことと共に誰かの足を洗うことにある。
イエス様は、「僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら幸いである」と言った。誰かの足を洗うということは、まさしく僕のすることである。好き好んで奴隷のする仕事をできる人はいないのである。だからこそ、それを生きることの目標としなさいとイエス様は言っているのである。簡単に到達できるものならば、一生の目標とする価値などないのである。一生涯をかけて到達するほどの価値があるのが、誰かの足を洗うという生き方なのである。私も少しずつそれができるように成長させていただいているのかもしれない。かってはなすことのできなかったことを今、少しずつではあるが、できる者とさせていただいている。そこに私の幸せがあると感じられるのである。
4.イエス様は、僕として主人に勝る必要はないのだと言っている。私はそれをもっと広い意味で、「勝る必要はどこにもない」との教えだと受け取っている。私たちが幸せになるためには、誰かと比べ、またこの世的な意味での勝利者になる必要はどこにもない。なぜ13章のイエス様が弟子たちの足を洗うこの場面において、それにずっと付随する副旋律のようにイエス様を裏切るイスカリオテのユダのことが書かれているのか。それはつまり、何を幸いとするかにおいてイエス様とは対照的なものを求めていたユダがいて、また彼にサタンが入ったということなのだと思う。ユダが求めていた幸いとは何であったか。直接は何も書かれてはいないが、それは、足を洗ってもらう者となり、また互いに足を洗い合い「勝る」必要などないという幸いとは正反対にものであったにちがいない。どこまでも自分で自分の足を洗えること、自立し自分が自分の主人であること、僕ではなく主人として勝る者となること、それが彼のそして今日多くの人が求めてやまない幸いではなかろうか。しかしそれは、30節に「夜であった」とあるように、夜を彷徨うことでしかないのである。この30節にも「パン切れを受け取ると」とあるが、何度となく「パン切れ」という言葉が繰り返されて出て来ている。ただのパンではなく、わざわざ「パン切れ」と書かれている。それは、イエス様自身が弟子たちを足を洗い、また私たちが互いに足を洗ってもらうようになることが、あたかも「パン切れ」のようなものでしかないからであろう。ユダには、たかが「パン切れ」でしかなかった。ユダは、そのようなものを得ることが、どうして私たちの幸いになるのか。もっともっと大きくて豊かなパンが必要だと考えた。しかし私たちが与えられるものは「パン切れ」なのである。本当に小さなもの・ささやかなものなのである。そこに幸いを見いだすことができなければ「夜」を彷徨うしかないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 9月 1日(日)聖霊降臨節第13主日礼拝
06:05「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 06:06だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 06:07また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 06:08彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
1.私たちの教会では、毎年9月の最初の主日礼拝は、教会学校の子どもたちと一緒の合同礼拝の日としている。子どもたちとの合同礼拝の聖書箇所は、教会学校の教師テキストに従っている。この9月、子どもたちは、イエス様が教えて下さった祈りについて学んでいる。
イエス様が弟子たちに教えた様々な事柄は、あるいは喜びの知らせという意味である「福音」の大きな柱のひとつに、祈りがあったのではなかろうか。8節のすぐ後からは「主の祈り」の言葉である。なぜこの祈りを2000年もの間、私たちが絶えせず祈ってきたのであろうか。それは、そこにイエス様が弟子たちに教えた事柄の柱、福音のエッセンスのようなものが込められているからだと思う。主の祈り以外にも、イエス様に由来していて、今なお私たちが行っているものに聖餐式と洗礼がある。ここにもイエス様が教えた福音の真髄が込められているからこそ、やはり2000年間、連綿として守ってきたということがあるのではなかろうか。
それではイエス様は、祈りを教ることにおいて一体何を弟子たちに伝えようとしたのか。そこにはどのような喜びの知らせが込められていたのか。ルカによる福音書の11章のはじめの部分には、祈り終えたイエス様に弟子たちが「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と願ったことが書かれている。弟子たちがイエス様に祈りを教えてほしいと願ったのは、直接には洗礼者ヨハネがその弟子たちに教えたように自分たちにもという理由からだったとルカは記している。しかし、もっとつきつめると、そこには弟子たちにとって、祈りがとても難しいものだったという事情が横たわっているのではないだろうか。端的に言えば、弟子たちは、どう祈ったらよいのかわからなかったのだと思うのである。それは単に祈りの作法や言葉がわからないという、いわゆるHOWの次元の困難さではなくて、そもそも祈りとは一体誰に対してなされるものなのかというWHOの問題、あるいはなぜそこに向かって祈るのかというWHYの問題、そして祈りによって一体何がもたらされるのかというWHATの問題が、根源的に横たわっていたのだと思う。誰に対してなぜ祈るのか、そしてその結果として何がもたらされるのかということがわからなかったからこそ、どう祈ったらよいのかわからなくなっていたのである。それをイエス様が教えたからこそ、それが福音という喜びの知らせとなったのではなかろうか。
2.さて、これらの点について、イエス様がどのように教えたかを学ぶ上では、逆に当時のユダヤ人社会で信仰のリーダーとされていた人々がどのように祈っていたか、つまり、彼らが神様をどう見ており、なぜ祈っていたか、またどんなことを報いとして考えていたかを知ることがとても大事であろう。そのような事情が背景にあったからこそ、イエス様は弟子たちに、そういうリーダーとは全く違う神様を語り、その神様との接点としての祈りを教えたのである。弟子たちが祈ることができなかったのは、そのようなリーダーたちの祈りを見れば見るほど、「自分たちのような者には祈ることなどできない、祈る資格など到底ないのだ」と思うしかなかったのである。そのような彼らをイエス様は「いやそうではない、神様はあなたがたの祈りをこそ喜んで下さるのだよ、そういうあなたがたの祈りこそ聞き届けられ報いられるのだよ」と励ましたからこそ、それが福音となったのではなかろうか。
では、当時のリーダーたちが祈りの相手方である神様をどのように信じていたのであろうか。「偽善者」の祈りの姿、また「異邦人」の祈りの姿によく現れていたのである。彼らの祈りの特色は「人に見てもらおうと」する祈りであり、また「くどくどと」「言葉数が多」いものだったとある。一体なぜ彼らの祈りがこうだったのかと言えば、まずは彼らにとっての神様が、そのような祈りを求めていると信じられていたからに他ならないのである。この箇所についてのバークレーの解説にこうある。「神に呼びかける時に、あらゆる称号、あらゆる形容詞が使われた。たとえばある有名な祈りは、聖なるものの名は、ほむべきもの、たたうべきもの、栄光を受くべきもの、高くあげられえるべきもの、賞賛すべきもの、栄誉を受くべきもの、あきらかにされるべきもの、歌うべきものであるという言葉で始まっている。あるユダヤの祈りには、神の名に16の形容詞がついている」と。
彼らにとっての神様とは、これほどの形容詞をもって口にしなければならない存在だったのである。それは、敬虔さの現れだとは勿論言える。しかしそれは他方では、それほどの言葉を尽くさなければ口にしてはならない、それほどにはばかられ畏れ多い存在なのであった。もしふさわしい言葉をもって祈らなければ、それこそ罰を下すような存在だったのである。「触らぬ神に祟りなし」とのことわざが言い表しているような存在に他ならなかったのである。そして、その祈りが神を口にする時のふさわしい言葉であると誰が判断するかと言えば、人が判断するのである。神様自身ではなく人が判断するのである。だからどうしても「人に見てもらう形」にならざるを得ないのである。そうして、人が見て聞いて「すばらしい。これなら神もよしとして下さる」と人々が太鼓判を押してくれた祈りだけが、祟りを招かず聞き届けられ報いられる祈りだったのである。彼らにとっての祈りへの報いとは、すばらしい祈りの言葉によって『購入された』商品のようなものだったのかもしれない。祈りがすばらしければすばらしいほど、すばらしい高額な商品を神様から買うことができたのである。それが祈りへの報いである。このような当時の信仰の指導者たちの祈りを見聞きすればするほど、無学な当時のイエス様の弟子たちのような者たちは、祈ることなど到底怖くてできなくなってしまったのである。
執事に選ばれた方々が抱く悩みのひとつに、礼拝司式の中でのお祈りということがあるとしばしば聞く。同じような思いは、教区の責任者として様々なところで祈りを求められる私にもある。数ヵ月前に図書館から借りてきた本の中で、アメリカ大陸にわたってきた頃の教会の礼拝の様子が紹介された文章があった。それによれば、牧師の優劣は、お祈りの長さで決まっていたというのである。「短いお祈りがいいのではないですよ。どれだけ長い祈りができるかが、その牧師さんの優劣を決めるのですよ」と。ある牧師は何と、お祈りだけで1時間も祈ったという。そのような基準から言えば、私などは、全く劣っているろくな信仰のない牧師ということになる。せっかくイエス様が祈りを教えて下さったにもかかわらず、私たちも、またいつのまにか偽善者や異邦人のような祈りをする者になってしまっているのである。
3.このような当時の信仰のリーダーたちの祈りに対して、イエス様はどのような祈りを教えたのか。まず何よりもイエス様は、神様は「父」だと教えた。父とは、イエス様が話していた言葉では「アッバ」というそうである。主の祈りもまたこの「アッバ」から始まるというのである。『新約聖書の中心的使信』という極薄い著作(もともとは講演としてなされた)の中でレミアスは、イエス様自身が神様を『アッバ』と呼び、またそのように呼んで祈ることを弟子たちにも教えたことこそ、新約聖書の中心的使信であり福音そのものだと言っている。アッバとは、言葉をしゃべりはじめたばかりの幼子が、片言でお父さんを呼ぶときの言葉なのだそうである。「おとうたん」とか「パッパ」という発音であろうか。神様とはそのように呼ばれるべきお方であり、私たちは神様をそのようなお方として信じ頼り、時にはおねだりし、祈ってよいのだとイエス様は教えて下さったのである。エレミアスによれば、イエス様以前にもイスラエル人が神様を『父』と呼ぶことはあったとのことである。しかしその呼び方はいわば「お父上」であった。沢山の形容詞を付けてゆめゆめ失礼のないように恐る恐る近づかねばならないような「父」でしかなかったのである。このようないわば厳父としての神様を、イエス様は「おとうたん」にまで「落とした」のである。だから指導者たちの怒りを買い、殺されたのである。イエス様は自分の命をかけて、神様とは「おとうたん」なのだと教えてくださったのである。
これがどうして福音になるのか。いつも子どもたちに話すことだが、親になってよくわかるのは、親というのは子どもが幾つになっても、子どもから何かを願われ、ねだられ、頼られるのが嬉しいのである。イエス様が教えた神様とは、幼子である私たちに頼られ、ねだられ、祈りにおいてお願いされるのを根源的に喜んで下さるのだというメッセージなのである。失礼を顧みずに言えば、親ばかである。そう言ってよいと思う。ルカによる福音書に記された有名なたとえ話に、家を出て放蕩ざんまいをした揚げ句に帰って来た息子のところに走り寄って迎える父とは、文字通り親ばかとしか言いようのない存在である。私たちが幾つになっても、ねだるのを喜ぶ方がいて下さる。それが福音なのだと私は思う。
4.もうひとつ、もたらされる喜びは、私たちのこのような幼い祈りが、かならず聞かれるということにある。「報いられる」と言葉で教えられている。当時の指導者たちは、すぐれた祈りだけが神様によって報いられるのだと考えていた。それは言わば神様に対して信仰的にすばらしい大人でなければならないということであった。すばらしい祈りの言葉で報いという商品を購入する大人であれと。しかしイエス様はそうではないと教えたのである。本当につたない幼子の祈りにもちゃんと報いて下さると教えて下さった。どんなに拙い祈りであっても空しくはならないと教えて下さった。
ただここに、とても大事な点がある。これもまた私たちと神様との関係が、親と子になぞらえられることから導かれるものである。親は子どものおねだりを、すべてそのままかなえることは決してしない。子どもの願いをすべてその通りにかなえるのは決して子どものためにはならないことを、親であるならばわかっているからである。その通りかなえることはしないけれども、しかし、決して無視することはない。それが9節の「あなたがたの父は、願う前からあなたがたに必要なものをご存じなのだ」との言葉に込められている。「願う前から必要なものをご存じ」ならば、なぜ祈り願うのか。赤ん坊だって、泣いて願うからこそ親にその必要が伝わる。神様も同じなのである。祈って願うからこそ神様に私たちの必要を受け止めてくださる。親がそうであるように、私たちの訴える願いに、父である神様は、そのまま応えて下さるとは限らない。願う私たちにはわからずとも、神様には本当に私たちに必要なものが何かはわかっていて、それを必ず与えて下さる。
このような祈りへの報い方が、6節では「隠れたところにおられ」「隠れたことを見ておられる父が報いて下さる」とあるのではなかろうか。父である神様が幼子である私たちの願いを聞き届け報いて下さるありさまは、「隠れて」いる。それは私たちには報われたとはわからないかもしれない。そういう意味で隠れているのである。だから、「私の祈りにこのように報いて下さった」とすぐにはっきりと明かになるものは、本当の報いではないかもしれない。隠れているものこそが、神様からの報いなのである。こうして幼子である私たちの稚拙な祈りは、それにもかかわらず報われてゆくのである。それが福音の喜びなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 8月25日(日)聖霊降臨節第12主日礼拝
01:15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。 01:16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。 01:17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 01:18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
01:15御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。 01:16天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。 01:17御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。 01:18また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
説教要旨の掲載はありません
内田 武士 牧師
2019年 8月18日(日)聖霊降臨節第11主日礼拝
10:25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 10:26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 10:27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 10:28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
説教要旨の掲載はありません
宮島 星子 牧師
2019年 8月11日(日)聖霊降臨節第10主日礼拝
08:04イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、 08:05彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」 08:06裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。 08:07主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。 08:08彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。 08:09今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」 08:10サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。 08:11彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 08:12千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。 08:13また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。 08:14また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。 08:15また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。 08:16あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。 08:17また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。 08:18その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」 08:19民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。 08:20我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」 08:21サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。 08:22主はサムエルに言われた。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい。」サムエルはイスラエルの人々に言った。「それぞれ、自分の町に帰りなさい。」
1.私たち日本基督教団の暦では、8月の第1主日が「平和聖日」と定められている。しかし私たちの教会では1週遅れて、8月第2主日に平和に思いをはせる礼拝を守っている。
2016年に98歳で天に召された父が、郡山教会の月報に残してくれていた短い文章には、このように綴られてあった。「戦時中、南方の第一線に従軍し絶望のどん底にありながら生きる希望を夢見、多くの戦友をなくした悲しみと幾多の苦難に耐えた教訓を忘れることができません」と。南方の小さな島に送られた数百人の中で、生き残ったのは父を含めてわずか数人だったという。それでも父は、生き残った―しかし当時、父は戦死者扱いになっており、戸籍を復帰するのに随分苦労した―が、大多数の人々は、飢えと病いのために死んでゆかねばならなかったのである。こうして、1945年8月に終結した太平洋戦争による日本人の犠牲者は、戦死者が240万人、2度の核爆弾や度重なる空襲、そして戦中戦後の餓死などによってさらに100万人を越える民間人の犠牲者があったとされている。
しかし、加害者としての側面をも見逃すことはできない。統計上の数字の違いは様々なあるようだが、太平洋戦争によるアジアでの犠牲者は2000万人を越えるとも言われている。その加害についての謝罪や保障を巡って、戦後75年近く経った今日でさえ、特に隣国の韓国との間で深刻な軋轢が起き、また日本の国内でも意見の対立が生じている。様々な捉え方があるであろうし、見方もあるであろう。しかし総じて言えば日本が、かって台湾や韓国や中国を武力によって攻撃し、支配して、そこを日本とし、また満州国という国を建てたことは、紛れもない歴史的事実なのである。中国や韓国の人々は、日本を侵略して、日本という国を自国の領土の一部としたことはなかった。慰安婦と呼ばれる人々や、徴用された人々は、日本に占領され、様々な強制を強いられている最中でのことなのであった。
先日名古屋では、ある作品展に対する脅迫や批判が強くなったために、わずか数日で中止に追い込まれるという事態となった。地元の首長は、「このような作品展が開催されることは日本国民としてあるまじき国辱だ」という趣旨の発言をしたと報じられた。太平洋戦争における日本の『加害』という側面に触れると、自虐だとか国辱だとの反応がある。その反面、韓国では、日本による『被害』を少しでも減らすような研究や発言をすることは、同じようにバッシングを受けてしまう。
2.さて、サムエル記8章1節欄外のタイトルには「民、王を求める」とある。書かれているのは、イスラエル人が時の指導者であり預言者であったサムエルに、他の国民と同じように王様を立ててくれと願った様子である。サムエルには、この願いは悪と映った。そこでサムエルは、このことについて神様に伺いを立てた。するとなぜか神様は「彼らの声に従うがよい」と答えたのである。ただし「彼らの上に君臨する王の権能をはっきりと告げておきなさい(9節)」とも告げた。10節から18節までに、その権能が告げられている。その最後には「こうしてあなたたちは王の奴隷となり・・・その日あなたたちは、自分の選んだ王のゆえに泣き叫ぶ」とある。それでも人々は王を立ててほしいとの願いをあきらめることはしなかった。神様は、改めてサムエルに「彼らの声に従い、王を立てなさい(22節)」と告げたのである。こうして、サウルという王が立てられ、以後イスラエル人は王国としての歩みを始めてゆくこととなったのである(9章以降)。
このサムエル記は、いつ頃書かれたものなのであろうか。2000年をはるかに越える昔であることは確かである。そのような大昔に、今日にも十分に通用するほどに、王の権能の本質がこのようにはっきりと記されている点に驚かされる。王の権能として繰り返し出てくるのは、「徴用」とか「徴収」という言葉である。原文では「取る」という意味のヘブル語だそうである。では一体、何のために人々から「取る」のか。それは、最初にはっきりと掲げられているように、戦争をするためである。13節以降の「権能」については、はっきりと戦争のことは書かれてはいないが、最初に掲げられていることは、全体を貫いているのであろう。だから20節に、イスエラル人の「王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかう」との言葉がある。
神様がイスラエル人に、ひいては私たちに告げる「王の権能」についての言葉には、ごまかしというものがない。王とは何をするのかといえば、それは戦争をするのである。そして、そのために私たちから、その命をはじめとして様々なものを取り、最後には、私たちをさらなる王の戦いの奴隷としてしまう。神様は、私たちが愚かにも自分たちが立てた王のために泣き叫ぶことになるのだとはっきりと告げるのである。ここには、王が私たちの幸いのために何かをしてくれるだろうというような甘いことは一切語られていない。これが今日もなお、私たちに告げられている王の本質なのである。
今日の私たちには王という名の存在はいないが、しかし私たちが選んだ為政者はいる。私たちは為政者に、様々な甘い幻想や幻を抱いてしまう。国民の福祉や幸いを増進してくれるための政治をしてくれるであろうと期待を抱く。しかし、2000年前よりもなおはるか昔に語られた神様の言葉は、そのような私たちの王や為政者に対する甘い幻想を見事に打ち砕く。私たちの選んだ為政者たちが、しようとするのは、他でもない戦争なのである。この事実を見誤ってはならない。だからこそ私たちは、為政者たちのすることを絶えずチェックしなければならないのである。わたしたちは、彼らのすることにたがをはめなければならない。そうした必要性の中から、歴史的には王の権能を制限する憲法というものが生まれてきたのであろう。
3.王にたがをはめる役割を果たすのは私たちなのである。しかし、果たして私たちには、それができるのであろうか。聖書には、王を立ててほしいと願うのは、たがをはめる役割をするはずの民だとあった。そして民が王に願うのは、「王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかう(20節)」ことなのである。王様の戦いは、王が勝手にする戦いではなく「我々の戦い」なのである。だから、たとえそのために命までも取られ、王の奴隷となり、泣き叫ぶことになっても、民は王を立ててほしいと願うのである。大事な点は、戦争をするのが王ではなく、むしろその王を選んだ民が戦争を望むのだということである。私たちが戦争を望んでしまうがゆえに、どれほどすばらしい憲法が作られ、王の権能を制限するシステムがあったとしても、繰り返し繰り返し戦争が起きてしまう根本的な理由がここにあるのではなかろうか。
一体「我々の戦い」とは、どのような戦いなのか。「我々もまた、他のすべての国民と同じようになり」と民は言う(20節)。私はここで「国民」という言葉に注目させられる。それは文字のごとく「国」の「民」ということである。国というものが、まずあって、それを基に生きている民のことである。他の国民と同じように、自分たちも、そのようなありかたをするがために「我々の戦い」だと言っているのである。だから「我々の戦い」とは、要は「国」の「民」としてあろうとするがための戦いだということではなかろうか。
「国」の「民」であるがゆえの戦いであるから、それは何よりも国が存立するために不可欠な領土を守るための戦いとなる。しかし実際には、小さな島や川の中洲を巡っての紛争など、その地域がどちらの国のものになっても国の存立には全く無関係のような些細な領土を巡る戦いであることがしばしばである。その領土が文字通りその国の存立に不可欠か否かではない。要は、その小さな領域が失われ犯されてしまうことが、国の民としての誇りやプライドを傷つけるのであろう。だから、それを巡って戦うのである。
幸か不幸か、それまでは、まだイスラエル人には「国の民」という意識が形成されてはいなかったのだと思う。旧約聖書の士師記には、士師はちょうど12人いたと書かれている。彼らはあくまで、12の部族のリーダーなのであった。士師記の時点では、まだ国という段階にはなっていなかった。ところが、士師たちの勝利が積み重ねられていって、イスラエル民族全体としてかなり広い領域を支配するようになり、つまりは国土と言えるものを持つようになると、それを基にパレスチナの先住民に対してイスラエル民族として、まとまった国という意識を持つようになったのである。それを守るための戦いが「我々の戦い」となったのである。
それまでイスラエル人は「他の国民と同じ」民ではなかった。ひとことで言えば、それまでは「国」の「民」ではなく「神の民」であった。神様がイスラエル人の父祖であるアブラハムに「そこから出よ」と言った「生まれ故郷や父の家」というのは、世界史の四大文明に出てくるチグリス・フーフラテス川の流域での「国の民」として生きるありかたではなかったか。神様は、そこからアブラハムを去らせた。アブラハムは「国の民」としての生き方から決別し、神様が示すところへと行き、先を知らずして向かった「神の民」としての歩みを始めた。それこそが彼を祝福し、また私たちを祝福するのだと神様は約束した。イスラエル人は、そのようにして生きてきた。しかし今や、手に入れた土地に縛られ、他の国民と何の違いもない「国の民」として生きてしまっているのである。これが私たちのあり方でもある。
4.だとすれば、一体なぜ神様はこのようなイスラエル人の願いを許したのであろうか。疑問を抱いてしまう。様々な解釈があるだろう。私としては、神様は、私たち人間が領土を持ち、国を建て、そこに王を立て、その国民として生きることを、どうしても止めることはできないものとして考えたのだと感じる。それは私たちにとって、どうしても逃れることのできない現実なのである。その上で神様は、王が何をする存在なのか、国家という存在が私たちに何をもたらすのか、その厳しい真実を余すところなく私たちに警告をしているのである。
私たちは、この神様の言葉を聞くことによって、王や国家や国の民として生きることを、この神様の視点から見ることができるようになると思う。国やその国の民として生きることを、絶対的な価値として声高に主張する人々がいる。国や為政者やその国の民として生きることを少しでも貶めるようなことを行うと、国辱だとか非国民だとか言って批判する。他のすべての国民と同じように、「国の民」として生き、同じ価値観を持ち、同じ戦いをしなければならないと圧力をかける。しかし、聖書を読む私たちは、国や王や国民として生きることに全く別の見方ができるのである。国や国王や国民という生き方しかできなければ、最終的には私たちは国や国王の奴隷になり、泣き叫ぶことへと至るのだと知るのである。私たちの祝福・幸いとは、国の民としてあることにではなく、神の民・信仰の民として生きることにこそある。しかし現実的には、国の民であることから逃れることはできないであろう。勿論そのことを神様も認めている。それ以外の生き方は不可能ではある。しかし、それでもなお私たちは、国の民としてだけではなく神の民として生きることはできるのである。他の人々と一線を画して、神の民として生きることができる。それこそが、こうして毎週毎週の礼拝を献げる者として生きることなのである。それが私たちを祝福し、幸いへと至らせるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 8月4日(日)聖霊降臨節第9主日礼拝
07:01エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。 07:02主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。 07:03それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。 07:04主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない。」 07:05彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。」 07:06水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。 07:07主はギデオンに言われた。「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい。」 07:08その民の糧食と角笛は三百人が受け取った。彼はすべてのイスラエル人をそれぞれ自分の天幕に帰らせたが、その三百人だけは引き留めておいた。ミディアン人の陣営は下に広がる平野にあった。
1.ミディアン人は、今日のアラビア半島一体で遊牧をしていた民であり、アブラハムの子どもの末裔でもあり、またかってエジプト王のお尋ね者となったモーセをかくまった妻の出身部族で、もともとイスラエル人と関係の深い人々だった。エジプトを脱出して難民となったイスラエル人への対処で、敵対する間柄になってしまった。そしてこの時代では、収穫時期に襲ってきてはせっかくの実りを略奪することを繰り返していた。そこでとうとうギデオンは、ミディアン人と一戦を交えることになったのである。ミディアン人の軍勢がどれほどであったかは、具体的には書かれていない。しかし、8章10節によると13万5千人いたことがわかる。これに対して、当初ギデオンのもとに集まったイスラエル人の軍勢は3節によると3万2千人とのことである。何とミディアン人の1/4にも満たない数である。10万人を越す大軍のミディアン人と戦うには、到底足りないと、誰もが思う数である。しかし何と神様は、ギデオンに「あなたの率いる民は多すぎる(2節)」と言い、当初の3万2000人が1万人になり、それでも多いと言って、さらにはたったの300人になってしまったのである。
このミディアン人との戦いは、私たちにとって、様々な意味で直面しなければならない戦いを意味している。教会が、これからぶつからざるを得ないであろう困難な状況を意味していると思う。多くの教会で「これから教会はどうなってしまうのでしょうか。それに対して私たちはどうすればよいのでしょうか」という問いが出される。私たちひとりびとりが直面する戦いがあり、また教会が戦わなければならない敵がある。こうした敵に対して、私たちが持っている『戦力』は、まことに足りないものであろう。しかし神様は驚くなかれ「それでもまだ多すぎる」と言い、さらに減らして1/100にしなさいと言う。こうした語りかけに、多くの先達たちは、尽きることのない励ましをいただき、その信仰が鼓舞されてきたのである。
2.では、「民はまだ多すぎる」と言う神様の御心はどのようなものであろうか。何が多すぎるのであり、逆に、戦うためになくてならない戦力とはどのようなものなのか。ポイントが3つあるように思う。
第一のポイントは、2節最後に「自分の手で勝ち取ったと言うであろう」の神様の言葉である。多すぎるのは、突き詰めると「自分の手で勝ち取った」とイスラエル人をして言わしめるような兵力や戦力なのである。「自分の手で」という言葉には、様々な意味が込められているであろう。それはまず、私たちが自分自身の力や能力を頼りにして戦おうとしているところの戦力という意味だと思う。要は自分を頼りにしているということである。
エゼキエル書の28章に、ティルス(以前の聖書ではツロと訳されていた)という都市国家に対する神様の言葉が書かれていた。ティルスとは、岩という意味で、パレスチナの北方に位置するアジア大陸から地中海にちょっと突き出たところにある。名前が示すように、もともとは岩でできた島だった。それがいつのまにかアジア大陸と地続きになり、そのため天然の港、そして要塞として栄えた都市国家だった。そうした繁栄の中で、ティルスの王はこう自慢していた。「私は神だ。私は海の真ん中にある神々の住処に住まう(28章2節)」と。地中海に浮かぶ天然の港・要塞に住んで富に富を重ねていた自分たちを、神であるかのように誇っていた。そんな彼らに神様はこう告げた。「彼ら(ティルスを攻めてくる人々)は、お前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、・・・海の真ん中で切り倒されて死ぬ(28章7・8節)」と。ティルスの人々が誇りとし、依り所となっていたものこそが、剣を招き滅びる場所となってしまうというのである。「私は神だ」と口にしたために、その誇る「私」が剣を呼び込むものとなる。海の真ん中の島を依り所にしていたので、そこで倒されることになる。
同じことが言えるのではなかろうか。私たちは直接「私は神だ」とは口にしないかもしれない。しかしどこかで、自分の手、ひいては自分をより所として戦おうとしている。そうすると逆に、その自分の手、ひいては自分自身が剣を呼び寄せることになる。神様の「あなたの民は多すぎる」との言葉の根本が、ここにこそある。多すぎる民・兵力とは、要は「私」であり「自分の手」なのである。そこを頼りとして戦おうとする限り、私たちは逆に、そこにおいて剣を呼び込み、そこが倒れてしまう場所となる。だから神様は、それを何とかして少なくしようとするのである。頼りとはさせないように私たちを導くのである。
3.朝日新聞に掲載された淀川キリスト教病院のチャップレンをなさっている藤井理恵さんの文章をおおまかに紹介したい。キリスト教病院とはいっても、勿論入院される患者さんの中には、「宗教なんて必要ない」と言われる方もある。あるとき、定年退職を間近にした59歳の方が、胃ガンの末期で入院をされた。藤井さんが病床を訪ねると「(私は)自分を信じて生きてきて、うまくやってこられた。これからもそれは変わらない。あなたのように信仰を持っている人を否定はしないけれど、私は自分を信じる」と言う。しかしご夫人からの話によると、病状が悪くなったときベッドの上で手を上げて「沈んでいく、沈んでいく。誰か引き上げてくれ」と叫ばれたという。死後、いつも枕元にあった手帳に、聖書の言葉が書き写されていたという。そこで藤井さんはこう確信したと書かれている。「自分を信じてきたけれど、最後の最後、自分をどうにもできなくなった時に、自分を越えるものにすがりたかった、つながりたかった」のだと。
この方のように、私たちは自分の中に信じ頼りにできるものがある時には「私は自分を信じる」と言える。しかしいつか、その自分が頼りにならなくなる時がくる。そうなった時に、なお信じ頼るものが「自分」しかなければ、沈んでゆく自分をどうしようもできないのである。自分の手しか頼りにできなければ、本当に私たちは惨めである。実は「私」という存在こそが、そうなったときの戦力としては、むしろ邪魔なものではなかろうか。自分のプライドや誇りこそが、いろいろなものの邪魔をするのである。「多すぎる」のは「私」であり「自分の手」なのである。それこそ、退けられねばならない。私が退けられて、そこでより所として見いだされるのは、神様なのである。
4.第1のポイントが長くなってしまいました。第2のポイントは、神様が3万2千人を1万人に減らさせるためにギデオンに取らしめた手段である。「恐れおののいている者は皆帰り・・・去れ」と呼びかけるように命じたのである。これは当たり前のことかもしれない。恐れおのの者は、決して戦力にはならない。恐れおののくことを私たちから去らせなければならないということである。だから恐れおののくことは、自分ではなく自分を越えた存在にすがることへの入り口になると言えるかもしれない。
いつまでもどこまでも恐れおののいてばかりいると、当然のこと戦う力が失われる。何よりも問題なのは、恐れおののく心は、とんでもないものを依り頼ませてしまう。私ははじめに、私たちは今、教会の未来を心配していると言った。しかし私たちは、教会の将来を恐れおののいて、そこでどうしようか何をしようかと考えてはならない。恐れおののくゆえに、私たちが手に取ろうとする戦力はとんでもないものになる。数や経済力を頼って教会を造り上げようとしてしまう。数を得ることが教会を維持するための手段となる。恐れおののくことは、時にとんでもない戦力を私たちに選ばせる。だから戦うにあたっては、恐れおののく者は去らせよと神様は言うのである。教会は確かにどんどんその教勢が落ちてゆくであろう。また私たちひとりびとりは、死に向かうものである。しかしそれに恐れおののいてはならないのである。そうではなく、その中に私たちを良きテロス(目標)へと至らせる神様の導きがあると信じることが大事なのである。すべてに感謝し喜ぶことが大事である。死に至ることにも喜びがある。恐れからではなく、ひとりでも多くの人々に神様の愛を伝えたいという熱意から伝道をしなければならない。それが人を造り上げ、慰め励ますのであり、それがまた教会をしっかりと造り上げるのである。
5.第3のポイントは、1万人が、さらに300人へとえり分けられたことから教えられる点である。なぜ水を飲む際に直接水面に口をつけて飲んだ者は退けられ、手ですくって飲んだ者が残されたかについては諸説ある。最も一般的で伝統的な解釈は、膝をついてかがんで直接水面に口をつけて飲んだ者は敵に対して警戒を怠っているのに対し、手ですくって飲んだ者は警戒を怠っていないからというものである。しかし私はどうもこの解釈には納得できないものがあります。警戒を解かず一刻も早く水を飲むのならば、むしろ口をつけて飲んだ方が早いのではないでしょうか。手ですくって飲むというのはまどろっこしくてむしろ手間取るのではないでしょうか。
私は、効率としてはむしろ無駄が多いと思われる飲み方をしたところに、警戒を怠らないというありさまではなく、逆に敵を前にしてもなお失われない余裕や安心感のようなものを感じる。13万を越える敵軍を前にして、たった1万人の味方になったとしても、安心して手ですくって水を飲める。恐れおののきあわてふためいて渇きを癒すのではなく、ゆっくりと落ち着いてささやかなふるまいで水を飲める。「自分」を棄てて神様にすべてを預けて歩めるなら、このようになれるという励ましではないだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 7月28日(日)聖霊降臨節第8主日礼拝
14:01愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 14:02異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。 14:03しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。 14:04異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。 14:05あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
1.欄外のタイトルに「異言と預言」とある。どういうことなのかよくわからないかと思う。また5節までも一読しただけでは何を言っているのかよく理解できないかと思う。
何を言っているのかよくわからないということに関係するので、最初に簡単に「異言」という点に少しふれておきたい。これはギリシャ語の原語では、「舌」という意味の言葉が使われている。舌をぐるぐると動かして、意味不明の言葉をずっと口にするということをさす。段々とそれが熱狂的になっていって、忘我的な状態へと至らせることもあるようだ。コリント教会では、この異言が幅をきかせていたのである。
パウロは、異言自体を否定してはいなかった。2節では「異言を語る人は・・・神に向かって語って」おり「霊によって神秘を語っている」としている。また5節はじめでは「あなたがたが異言を語れるにこしたことはないと思います」とも言っている。しかし5節中程で「異言を語る者がそれを解釈するのでなければ」と語り、それが解釈されなければ要は何が語られているのか他の人にはわからないということを6節以降でもずっと語っている。わからなければ、それは3節にあるように「人を造り上げ、励まし、慰め」るものとはなりえないのである。
私たちは毎週の礼拝で、聖書の言葉からなされるメッセージを聞いている。しかしそれがちゃんとわかるものでなければ、聞く者を造り上げ、励まし慰めるものとはなりえないことを改めて教えられた。聖書の言葉は、書かれた形においては、今日の文章のようには、しばしば何を語っているのかよくわからないような「異言」である場合がよくある。説教する私たちは、注解書を読んだり自分なりの解釈をしたりして、懸命にそれが皆さんにわかるように語る。しかし、申し訳ないことに、ときには説教が「異言」のように聞こえてしまうこともあるかもしれない。本日私の語るお勧めが、皆さんを造り上げ励まし・慰めになれればと願う。
2.さて、1節でパウロはまず「愛を追い求めなさい」と語っている。ここでの「愛」とは、直前の13章でずっと語られていた内容を受けてのものである。13章は「愛の賛歌」とよく呼ばれて、教会式の結婚式でもしばしば読まれる聖書の言葉である。しかし、ここでの愛は、結婚しようとする夫婦の間に満ちている愛をたたえるものではない。神様の愛・イエス様の愛・聖霊の愛を讃えるものである。神様の愛は、すばらしいものである。だから、その愛を追い求め、その愛の中に生きるようにとパウロはまず勧めた。
では、神様の愛とはどのようにすばらしいものなのか。クリスチャン人口が1パーセントにも満たないと言われる私たちの国では、多くの人が神様の愛など知らずとも何の不足も感ぜずに生きている。夫婦や親子や家族親戚や友人知人の愛だの愛情や友情があれば、それで十分と思っている。しかし本当にそうなのか。神の愛と人間の愛の最も根源的な違いは、人間の抱く愛が愛する価値のある者のみを愛するものであるのに対し、神様の愛は私たち人間が価値がないと見なす者をも貴い存在として扱って下さるというものだと思う。ヨハネによる福音書の13章のはじめにあるように、イエス様が弟子たちとする最後の食事において、彼らを「この上なく愛しぬかれた」。イエス様が弟子たちを愛し抜かれる姿は、他のどんなふるまいにではなく、どうして足を洗うこととして表れたのか。
足は私たちを立たせ歩かしめる大切な器官である。しかし私たちは、まず足から弱ってゆく。そして立って歩きたくともままならない時がやってくる。そういう我が身の状態にがっかりして、心もまた萎えてしまって、余計に肉体の足も立たなくなる。年齢を重ねる中で、様々なものを失った自分自身を、私たちは愛せなくなってしまう。「こんな自分はもういらない」と思うと、その心はもう足を立たせなくしてしまう。私たち日本人の多くが「人様に迷惑だけはかけたくない」と言う。他の国の人は、こんな言い方はしないのだそうである。私たちには、人様に迷惑をかけてしまうようになった自分を愛せないという姿がある。それが、私たちが自分や他の人に抱く愛の限界なのである。
だからこそイエス様の愛は足に注がれたのではなかろうか。「たとえあなた自身や誰かが、あなたを価値がないと見たとしても、私はあなたを貴い存在として見ているのだ。他でもない私によって足を洗ってもらわねばならないあなたがたを貴いとして見ているのだ」と言って下さっているのだと思う。人様の世話になり、おしめをあててもらったり、お尻をぬぐってもらったりするようになったら、自分など生きていても仕方がないと思う私たちだが、不思議にも同じようなことをしてもらう赤ん坊は、父母にとって決して生きていても仕方がない存在ではない。むしろ世話をかける子どもがいとおしい。年齢を重ね、人生の晩年で人様から足を洗ってもらうようになる私たちを、イエス様・神様は赤ん坊をいとおしいと思う父母と同じように扱って下さる。そのような神様の愛が、イエス様が足を洗うというふるまいに込められているのではなかろうか。
3.さらにまた足は、私たちをある目標へと向かって歩ませる。どういう目標に向かうのか、どのようなゴールが私たちを待っているのかを知ることが本当に大事である。しかし 私たちは、目標を見失ってしまう。どんどん体が衰え、死という結末しか見ることができなくなる。するともう私たちの足は、私たちを立たせることはできなくなる。だからこそ神様の愛を知って、そのような私たちにも向かうことが嬉しくなるような、私たちの足を力強く立たせ歩かしめてくれるような、そのような目標を教えていただかなくてはならないのである。
先日の京都のアニメーション製作会社が放火された事件が、私たちの心を痛めている。容疑者は、いっとき常総市で生活していたとも聞いた。彼の実の父母の実家は、このつくば市とそう遠くない場所のようである。その彼が、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、「大金持ちになる」ということだと報じられていた。それが彼の思い描くことのできた目標だった。おそらくは、恵まれてはいなかった生い立ちの彼が、唯一周囲から価値ある者と見なされる目標がそれだったのである。しかしそのような目標に到達できる人が、どれほどいるであろうか。目標に到達できなければ、できなかった自分を愛せなくなる。到達させるのを阻んだ社会を許せなくなる。大金持ちになることこそが、典型的に私たち人間が自分自身を愛し、到達させようとする本当に悲しい目標ではないだろうか。
もし彼が、神様の愛を知り、神様が至らせて下さる目標を目指して生きることができていたら・・・としみじみ思う。ヨハネによる福音書の13章にある、イエス様が弟子たちに指し示した目標とは、足を洗われる者になってよいというゴールである。またイエス様は、「わたしがあなたがたの足を洗ってあげたように、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と言った。私たちの目標は、このような者になることなのである。大金持ちになることではない。人様に称賛されるような人間になることでもない。神様によって足を洗っていただき、またそのことにおいてお互いに足を洗い合うという、本当にささやかな働きをする者となれればそれでよいのである。
4.ここまで神様の愛のすばらしさを語ってきた。こうした神様の愛を語るのが、ほんとうの「預言」である。私たちは「よげん」と言うと、「予告」の「予」という文字を使った「予言」を思い浮かべる。それは、ある特殊な能力があってはじめてできる将来の予知である。しかしここでいわれている「預言」とは、そのようなものではなく、決して何か特別な能力がなくてもできるところの、神様の愛・イエス様の愛を人々に伝えることのできる言葉を語ることである。そしてこのことが「人を造り上げ、励まし、慰めます」と3節にある。私たちを励まし慰める様々な手段がある。しかし神様の愛を知ることに勝る励まし・慰めはない。それ以上に私たちをしっかりと造り上げるものはない。なぜらば、人間的な励まし・この世の慰めとは、すべからく人間的な判断・尺度によってなされるものでしかないからである。それは、ときには私たちを慰め励ますどころか、逆の働きをすることもある。
今私たちは、それこそ「異言」としか言いようのないような、エゼキエル書という難しい箇所を、聖書研究祈祷会で学んでいる。しかし、ときおり難しい箇所の中にも、はっとさせられるような忘れ難い神様の語りかけに出会う。エゼキエル書の16章6節において、パレスチナにおいては難民であり厄介者でしかなかったイスラエル人が、嫌われて野に捨てられた赤ん坊にたとえられている。「しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって『生きよ』と言ったのだ」とある。「自分の血の中でもがいている」という言葉に、私は本当にぐっと来るものを感じた。それは、私たちが父母やこの世の中に生まれてきて、先ほどの放火犯人のように、自分ではいかんともしがたい生来の環境の中に産み落とされて、そこだけでしか生きる場所がなくてもがいている姿そのものである。「自分の血の中で」窒息してしまうのである。この世の関係の中でしか生きられないとき、私たちは死んでしまうのである。だから、創世記12章にあるように、あのアブラハムが神様から「父の家、生まれ故郷を離れて」と語りかけられたのである。神様との関係の中に生きることが、自分の血ではなく神様の愛・イエス様の愛という「血の中」で生きることが、私たちを生かすのである。
5.このような神様の愛を語って人々を造り上げ励まし慰めることにおいて、教会は造り上げられてゆくのだとパウロは何度も勧めてきたのである。コリント教会で「異言」が幅をきかせていたのは、恐らくギリシャ・ローマの神々を礼拝してきたことと関係しているのだと思う。13章1節に「どら」とか「シンバル」という楽器が出てきている。ギリシャ・ローマの神々の礼拝では、こうした楽器を使って忘我的な状態を作りだし、いっとき体からの解放を体験した。異言を語る人も、同じような状態を作り出すことができていたのであろう。だからそれがもてはやされ、そのような特別な人がいるということが、コリント教会を造り上げる─つまり教勢的に大きくする─と考えられたのであろう。
現在の教会も、文字通りの異言ということではないが、人々の目を引き、多くの人々の熱狂を生み出すようなことをもって、教会を造り上げようとしてしまう教会が幅をきかせているのかもしれない。しかしパウロは、神様の愛をもって、言葉をもって語り伝え、理解してもらうことこそが、人を造り上げ励まし慰めることだと言う。そうすることが教会をもしっかりと造り上げてゆくことだと勧めている。19節で「異言で1万の言葉を語るより、理性によって5つの言葉を語る方をとる」とパウロは言っている。1万人の人々が異言や、それに類することによって教会に集うよりも、1万人の1/2000でしかないたった5人が、聖書の言葉を聞き神様の愛を知って、その人生がしっかりと造り上げられてゆくことが大事なのである。本当にささやかな営みではあっても、神様の愛を伝える言葉を語って人々を励まし慰める働きをしたいと思うのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 7月21日(日)聖霊降臨節第7主日礼拝
13:01さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 13:02夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。 13:03イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 13:04食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 13:05それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 13:06シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 13:07イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 13:08ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 13:09そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」 13:10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 13:11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
1.13章から17章までは、ヨハネによる福音書における最後の晩餐の様子が記された箇所である。ここで記されているありさまは、私たちがよく知っている最後の晩餐の様子とは随分違っている。マタイによる福音書などに記されている最後の晩餐では、私たちが聖餐式のときにいつも耳にする「これはあなたがたのための私の体である、血である」とのイエス様の言葉が記されているが、13章から17章までの場面にはその言葉がどこにも書かれていないのである。
どうしてヨハネは最後の晩餐における大事なイエス様の言葉やふるまいを書かなかったのか。大事でなかったということでは当然にないだろうと思う。そのひとつの答えが1節のはじめの「過越祭の前のことである」との言葉に込められているのだと思う。ヨハネは、最後の晩餐がなされたのは過越の祭そのものの中ではなくて「前のこと」つまり前日の出来事として記している。ここが、マタイ・マルコ・ルカの福音書や、コリントの信徒への手紙(1)の11章でのパウロの記述と違うところである。マタイたちは、最後の晩餐は過越の祭の中での食事としてなされたと書いている。一体どっちが史実なのかということは、昔から学者たちを悩ませてきた大問題なのである。ヨハネは、最後の晩餐の食事ではなく十字架の出来事そのものが過越の祭における食事なのだと言いたいのだと私は思う。イエス様の「これはあなたがたのためのわたしの体・血」という言葉が成就したのは、最後の晩餐ではなく十字架の上だったのだというのがヨハネの主張である。十字架の出来事こそが彼にとっては本当の過越の祭の食事だったということである。このような理解から、ヨハネは最後の晩餐をあえて過越の祭の食事とはせず、また最後の晩餐の場面で私たちがよく知っている言葉やふるまいを記すことをしなかったのではなかろうか。
2.最後の晩餐でイエス様は、弟子たちに彼らがこれから生きてゆく上でどうしてもなくてはならないものを遺言や遺産として残そうとした。1節後半に「イエスは・・・悟り、世にいる弟子たちを愛して、この植えなく愛し抜かれた」とある。イエス様は、自身がこの世を去って天におられる父のもとへ行く時が近づいていると悟っていた。しかし弟子たちは、イエス様がこれまでのようにはそばにおらず姿も見えない中で「世にいる」だったのである。世に留まる弟子たちを愛して、彼らにとって最も必要なものを残してゆこうとしたのが最後の晩餐だったのである。
ではそれはどのような遺産であり遺言だったのか。そのカギとなるのが「この上なく」と訳された言葉だと思う。これはギリシャ語の原文では「エイス・テロス」という言葉である。「エイス」とは「~に向かって」という意味である。「テロス」とは新約聖書の中にはよく使われるキーワードのひとつ「目標」や「ゴール」という意味である。この二つの言葉が合わさって慣用句としては「最後の最後まで」「とことんまで」という意味に使われたそうである。そこで「この上なく」という訳になったのであろう。
私としては、この言葉がもともと持っている直訳的な意味が大事だと思う。「エイス・テロス」とは直訳をしますと「目標・ゴールに向かって」という意味である。この世に留まる弟子たち、また私たちにとって何よりも必要なものとは、私たちが目標・ゴールに向かって歩めるということではなかろうか。歩くということから、イエス様が弟子たちの足を洗うということにもつながってゆくのだと思う。ゴールに向かうためには、そもそも私たちにはゴールがあると知る必要がある。「この世に留まることがゴールではない、この世の姿だけがゴールなのではなく、それとは違うゴールがあるのだ」と知らなければならない。それを知るのと知らないとでは大違いである。イエス様が弟子たちに注がれた愛とは、彼らにそれを知らしめ、そこへと至らせる愛なのである。
コリントの信徒への手紙(1)の13章でも、神様の愛とは何よりも私たちを幼子から大人へと至らせてくださる愛だと教えられた。私たちがこの世にあるありさまは、たとえどんなにすばらしいものであっても、また反対にどんなに惨めなものであっても、それは幼子における状態に過ぎない。だから、それはおのずと過ぎ行き、廃れて、いつのまにか失われてしまう。だから、いつかは廃れてしまう今の幼子の状態を一喜一憂することはないのである。勿論、幼子としての時期も意味があるのだから、この時を精一杯生きればよいのである。この私たちの歩みをしっかりと導いて、しかるべきゴール・テロスへ至らせてくださる神様がおられるのだから安心なのである。この世に留まる私たちにとって何よりも必要なのは、このような神様の愛なのではないだろうか。
3.ふとアンデルセンの『みにくいアヒルの子』という童話を思い出した。アヒルの子のなかに交じって生まれてしまった白鳥の子は、自分が周囲のアヒルの子と比べて色が黒いのを恥じていた。いじめられてもいた。たまに見かける白鳥のようになれたら、どんなに幸せかと思ってもいた。ところがその醜いアヒルの子が、あるとき水面に写った我が身をみて驚くのである。なぜなら、あこがれていた白鳥の姿に自分が変わっていたからである。まるでこのみにくいアヒルの子のような私たちにとって必要なのは、「あなたは白鳥の子なのだと」は直接は教えられなくても、「あなたは決して今のままではないのだよ、いつかは美しいすばらしい姿になれるのだよ」と励ましてくださる存在なのだと思う。すばらしいテロスへと到達した私たちの姿を知っておられる神様が、そこから私たちを支え励まして下さる愛なのだと思うのである。
なぜ2節で、悪魔やイスカリオテのユダのことが出てくるかも、よくわかる。端的に言えば、悪魔とは私たちをしてこの世にのみ留まらせようとする存在のことである。悪魔は「あなたがたの幸いは、この世に留まりこの世においてのことだけにある」と思わせようとする。イスカリオテとは、一説によれば当時ローマ帝国に対してテロ運動をしていたシカリ党のことを指しているとされている。彼らの求めるものの中心は、この世にあるものであった。この世の幸い、この世での自由、この世の改革がすべてであった。なぜイエス様がそのような者を、よりにもよって12人の弟子のひとりに選んだかはわからない。イエス様・神様の愛によってテロスへと向かう私たちのただ中に、ユダのように悪魔に捕らえられてしまう部分があることを、イエス様は教えようとされたのかもしれない。世にいる私たちは、どうしてもユダのように考えてしまう。悪魔のささやきに捕らえられてしまう。だから私たちになくてならないのは、悪魔を退けて「『わが国籍は天にあり』、私の向かうべきゴールはこの世ではなく天にある」と言えるようになることなのである。
4.そこで、この世に留まる弟子たちにとって、なくてはならないものを残そうとするイエス様の愛は、弟子たちの足を洗うという行為として現れたのである。他のどのような行為としてでもなく、足を洗うという行為としてである。その心は、足こそが私たちをテロスへと向かわしめるものだからである。足が大事なのである。9節でペトロが「足だけではなく・・・」と言ったのに対して、イエス様が「既に体を・・・」と答た。この箇所には、昔からいろいろな解釈がある。しかし、洗うべき最も大事なところは足なのだということである。私たちをテロスへと向かわしめるのは、足であって頭や手ではないのである。足を洗っていただくことこそが大事なのだというイエス様の心なのである。
ペトロの番になったとき、彼は「あなたがわたしの・・・」と言った。イエス様は「わたしのしていることは今あなたにはわかるまいが、後でわかるようになる」と応えた。これに対してペトロが、なおも遠慮して「わたしの足など・・・」と言うと、イエス様ははっきりと「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と告げた。このペトロとの問答の中に、ヨハネの心にあったイエス様に足を洗っていただくことへの思いが滲み出ているとしみじみ感じる。
なぜこのときは、イエス様によって足を洗っていただく必然性や意味がわからなかったのか。またなぜイエス様によって足を洗っていただくことが、私たちのイエス様との関係の核心なか。何よりも思うのは、いずれ私たちは自分の足では立てず歩けなくなる時が来るということである。そうなってはじめてイエス様が私たちの足を洗って下さったことのありがたさがわかるということなのである。私たちの体の上で、必ずそういう時が来る。心の面でもそうなる。最後の最後まで自分の足で歩きたいものだと願うが、それがかなえられるのはごくわずかな人ばかりであろう。多くは立ちたくても立てず歩きたくとも歩けない状況に置かれる。心もまたそういう状況に意気消沈し、すっかり萎えてしまう。ペテロにもそういう時が来たのだと思う。
そのような時、「イエス様がこのような私の足を洗ってくださったのだ」ということを思い起こす。それは、私の足を励ましてくださったということでもある。私の足に祈りを込めて自分の足の力・歩む力を注ぎいれてくださったということである。私たち自身の肉体の力や心の力がなくなってしまい、私たちの足が力を失ってしまったとき、イエス様が与えてくださった力が現れる。イエス様の力が私たちの足の・心の力となり、私たちをイエス様が向かわれた天というテロスへと至らせてくださるのである。
5.ペトロは、「汚い自分の足をイエス様に洗っていただくなどとんでもない」と遠慮した。しかし、私たちの最も汚いところをこそ洗っていただくのがイエス様と私たちとの関係ではなかろうか。また、それこそが私たちの目指すべきゴールなのだとイエス様は教えて下さったのだと改めて思った。私たちには、汚いところ、弱いところを丁寧に扱い、手当をし、貴い存在として扱ってくださる存在が不可欠なのである。「あなたがたにはそういう存在がちゃんといるのだ」とイエス様は言い残して下さったのである。イエス様が足を洗ってくださったのは、私たちに「そのような存在になってよいのだよ、神様・イエス様の前にそういう存在としてあってよいのだよ」という遺言なのである。そのような者になることこそが私たちのテロスなのである。この世にいつまでも留まって、誰にも足など洗ってもらわず、むしろ足を洗う側にいつまでも立つことが私たちのテロスではないのである。そうではなく、「誰かに足を洗ってもらう者になること、それがテロスなのだよ」とイエス様は最後の晩餐で教えて下さったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 7月14日(日)聖霊降臨節第6主日礼拝
06:11さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。これはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。 06:12主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」 06:13ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」 06:14主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 06:15彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」 06:16主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」 06:17彼は言った。「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。 06:18どうか、わたしが戻って来るまでここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから。」主は、「あなたが帰って来るまでここにいる」と言われた。 06:19ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。 06:20神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。 06:21主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。 06:22ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」 06:23主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」 06:24ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。
1.注解書によれば、士師記とは、ヘブル語で「ショーフェリーム」と言うとのことである。「治める」「裁く」といった意味の「シャファス」という言葉に由来するという。年代的には、非常に大ざっぱに言って、ヨシュアが死んだ後の紀元前の1200年頃から預言者サムエルが登場するまでのおよそ200年間、それはイスラエル人が数と力でははるかに勝るパレスチナ先住民の中に入っていって定住してゆく、まことに難儀な時代に当たる。今日でもアフリカや中近東からの難民をどう受け入れるかで、ヨーロッパ全体が大きく揺れ動かざる得ない状況である。まして今から3000年前の時代に、多くの難民が自分たちの生活圏内に入り込んでくるということは、先住民にとっては迷惑至極のことでしかなかったであろう。先住民は、様々な手を尽くしてイスラエル人を追い出し、なき者にしようとしたであろう。これに苦しんだイスラエル人が神様に訴えると、神様は士師と呼ばれる人々を遣わしてイスラエル人を助けたのである。
士師記に登場する士師たちを数えると12人、ちょうどイスラエルの部族が12あるのと対応している。12人の中には、ほんの数行だけで、その記述が終わる人もあれば、ギデオンやサムソンのように数章にわたって詳しくその出来事が記される人もいる。もともとは部族ごとにいて苦難な時代を救ってくれた英雄のような人物だったのであろう。それが長く伝承として言い伝えられていたのである。そして、イスラエル人が歴史的に最も難儀な時代に置かれたバビロン捕囚の最中に、現在のような形に文章化されたのではないかと考えられる。バビロン捕囚の中に置かれたイスラエル人にとってこそ、神様が苦難の中に置かれた先祖を士師を通して助けて下さったという歴史が大きな励ましとなったのである。難民として迫害されていたイスラエル人のあり様は、バビロン捕囚だけではなく、幾多の難儀に直面したイスラエル人にとって、本当に身につまされるものだった。そのイスラエル人を、神様が助け人を送って助けて下さったということは、大いに励ましとなり、そのため、この士師記は、イスラエル人に読みつがれてきたのである。
2.さて、ギデオンがどのようにして神様の使いと出会い、言葉をかけられて、士師として選ばれていったのか。11節の神様の使いと最初に出会った場面には、彼が「ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた」時だったとある。これは本当に印象的で、また、とても象徴的な場面だと思う。ミディアン人は、かってモーセがエジプトから逃亡したときにかくまってくれて、その一族の中からモーセが妻を迎えた人々である。アブラハムの子どもの末裔でもあり、イスラエル人とは、とてもつながりの深い民族だったのである。しかし、エジプトから逃げ出した難民であったイスラエル人を、どう受け入れるかで敵対することとなってしまったのである。現在のアラビア砂漠のあたりから、ヨルダン川を乗り越えてやってきては、パレスチナに定住しはじめたイスラエル人から、ちょうど収穫時期の作物を奪っていた。ギデオンは、これを避けるため、酒ぶねの中にこっそりと隠れて小麦を脱穀していた。酒ぶねとは、そこにぶどうや果実を入れて足で踏んで下の溝から果実を流し出すための大きな容器である。ちょうど人が隠れるほどの大きさがあった。ここに隠れていた人を、よりにもよって神様は士師として選び出したのである。
私が感じるのは、士師として神様に選ばれるのには、もっとふさわしい人や場面というものがあったのではないかということである。直前の8節から10節には、ひとりの預言者が描かれている。このような人こそが、士師として選ばれるのにむしろふさわしいのではなかろうか。酒ぶねの中に身を隠している時ではなく、祈っている時や礼拝を捧げている時がふさわしいのではなかろうか。ところが神様は、このようなギデオンを選んだのである。モーセもまた、40年間羊を飼う者として歩み、羊を飼う仕事の最中で神様と出会った。ペトロたちもガリラヤ湖で漁をし、網を繕っている最中に、イエス様と出会った。聖書に記されたこうした一連の物語は、私達に対する大きな慰めと励ましに満ちている語りかけといえよう。
私達の日常生活は、まさにこのギデオンのようなものである。私達の思いは、ミディアン人の攻撃をいかに逃れるかに似ている。私達から大切なものを奪おうとする様々なミディアン人がいる。そして私達は、ひたすら彼らから小麦を守ろうとして酒ぶねの中に身を隠すのである。私達の生活は、神様と切り離されて、神様のことではなく、ミディアン人から逃れ、小麦を守ることにのみ向かっている。しかし、それでも神様の方からギデオンに近づいて、声をかけて下さる。神様は、そのような者を遠ざけずに出会って下さる。「だから安心しなさい」という語りかけなのである。世俗の真っ只中にいても、神様は出会って下さる。また同時に、次ような語りかけも込められていると思う。「あなたがたのありさまは、ひたすらミディアン人を避け、小麦を守り、酒ぶねの中に身を隠している。しかし、それが本当にあなたがたを生かすものなのか。小麦だけがあなたを生かす糧なのか。酒ぶねがあなたにとって身を隠すのにふさわしい場所なのか。そうではないだろう。」申命記8章3節にあったように「人はパンだけで生きるのではなく、主の口からでるすべての言葉によって生きる」のである。神様との出会いが、神様から声をかけていただくことこそが、「あなたをミディアン人から守り身を隠し必要な食べ物となるのではないか」と。
3.神の使いが開口一番、ギデオンに語りかけた言葉は「勇者よ、主はあなたと共におられます」であった。天使ガブリエルがマリアに「恵まれた女よ、おめでとう」と声をかけたのを思い起こす。ヨセフとは、まだ婚約したばかりの、うら若い乙女が、突如として身ごもった。その子はいずれ十字架にかかって殺され、母としてその死の場面を目の当たりにせねばならない。そのどこが「恵まれた」ことなのか。ギデオンの一体どこが「勇者」なのか。15節で「わたしの一族は・・・年下の者です」と彼自身が言うように、どこにも普通の意味では勇者とはいえない。しかし神様は、彼を「勇者」だと言った。それはただひたすら「主があなたと共におらえる」ことにおいてであった。彼自身の持っている力によるのではない。数と力でははるかに勝るパレスチナ先住民に対して、人間の持っている数や力で勝つことはできない。そのことによって勇者となることはできない。最も貧弱な者・いちばん年下の者であっても、しかし神様が共にいて下さるということにおいて私達は勇者となるのである。14節で神様は「あなたのその力をもって行くがよい。・・・わたしがあなたを遣わすのではないか」と言っている。ギデオンには力があった。神様によって遣わされている点において力があったのである。
私達には、このような語りかけをして下さる神様との出会いが、本当に必要だと思う。私達が自分自身を見る見方は徹底的にこの世的でしかない。15節でギデオンが口にしている「最も貧弱な者・いちばん年下の者です」という見方である。人との関係・比較だけでしか自分を見ることができない。確かにわたしたちは、体の面でも、心の面でも、経済的にも弱さを抱えており、そういう意味で貧弱であり、いちばん年下な者である。わたしたちは、いつもそのような言葉を口にしている。しかしそのような私達に神様は「だからこそあなたには力があるのだ。勇者なのだ」と言って下さる。私達自身にはわからない私達の力があり、勇者であるとの姿があり、使命がある。神様との出会いだけが、私達にそのようなことを気づかせて下さるのである。
4.12節から15節までの神様の使いとギデオンとの問答の中で、はっとさせられる点があった。神様の使いから「主はあなたと共におられます」と言われたギデオンは、「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜ・・・。主はわたしたちを見放し・・・」と訴えた。これに対して神様の使いは「あなたのその力をもって・・・わたしがあなたを遣わす・・・」と答えた。注目させられるのは、ギデオンの訴えや問いが終始「わたしたち」であるのに対し、神様の使いからのギデオンへの語りかけは終始一貫して「あなた」である点である。
ギデオンにしても私達にしても、社会の問題や神様のことを、いつも「わたしたち」という次元で考える。しかし神様は、そのような問いには直接答えることはしない。神様は「わたしはあなたと共にいる」「あなたには力がある」「わたしはあなたを遣わす」と言う。それは「わたしたち」というところで神様の存在や働きを問うとき、その疑問には答えはないということではなかろうか。それはむしろ神様を見失うことへと至るからではなかろうか。ギデオンは、まさに今そのような危機の中にいたのかもしれない。だから酒ぶねの中に身を隠していたのかもしれない。そして「なぜ神様はわたしたちを」とばかり問うていた。そのギデオンに、神様は徹底的に「あなた」と語りかけた。ギデオンがその存在や働きを見失いつつあった神様は、たったひとりの彼に言葉をかけることにおいて、神様が確かにおられるということを示したのである。
そして神様は16節では「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」と言っている。この言葉の直接の意味は、どんなに沢山のミディアン人であっても、あたかも一人の人のように倒せるということである。しかし、私としては、神様が共にいて下さるときの力の現れとは、あくまでひとりひとりまたひとつひとつ、一日一日の問題と戦い打ち勝ってゆくものとして現れるということとして受けとりたいと思う。ひとりひとり、またひとつひとつではなく「ミディアン人」という敵の全体を見てしまうと、その大きさ・強さに打ちひしがれ、おのれの弱さばかりが目に付いてしまう。しかし神様は私達に、「立ち向かう問題をひとりひとり・ひとつひとつ・一日一日のものとして見よ」と言う。イエス様の「明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で十分である」との言葉と同じである。立ち向かう敵をひとりとして・一日として向かうならば、私達はそれを倒すことができるのである。
5.最後に、ギデオンがしるしを求めたという点に短くふれたい。彼は、神様が自分を遣わすことのしるし、つまり何らかの目に見える奇跡を求めた。そしてそれを与えられた。モーセも同じことを願い、しるしを与えられた。それは、神様がしるしを求めることをよしとしておられたということである。私達はもっともっとしるし・奇跡を求め願ってもよいのではなかろうか。神様が言葉をかけて下さり、神様が最も貧弱な者と共におられ、その者に力を与え遣わして下さると言う。ミディアン人という現実の敵に対して立ち向かってゆかねばならない。だとすれば目に見えるしるし・頼りになる奇跡は不可欠である。そのしるしは、19節以下に書かれている。岩の上においた肉とパンが焼き尽くされてしまうという奇跡である。いわゆる御利益というような奇跡ではない。この世の中で何か役に立つようなものではない。しかし、そこに神様がおられなければ決して起こり得ないような出来事である。神様が私達に言葉をかけて下さり、私達を遣わして下さるとき、そこには何らかの奇跡が起こる。神様がわたしたと共にあり、遣わしてくださるがゆえに、そこに当然に現れる励ましに満ちたしるしが与えられる。私自身も、そのようなしるしによって支えられてきたということを、しみじみ思い起こすのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 7月7日(日)聖霊降臨節第5主日礼拝
わたしはあなたがたに最高の道を教えます。 13:01たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 13:02たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 13:03全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。 13:04愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 13:05礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 13:06不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 13:07すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 13:08愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 13:09わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 13:10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。 13:11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。 13:12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 13:13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
1.よく結婚式で読まれ『愛の賛歌』と呼ばれる箇所である。一般の多くの人が、結婚式場のチャペルで聞いたことがある聖書の中では最も有名な言葉かもしれない。
ここで語られている愛とは、新郎新婦がお互いに抱く愛を讃えるようなものではない。ここで愛と訳されているギリシャ語は、アガペーという言葉である。新約聖書で使われていて、日本語で愛と訳されるギリシャ語は3つある。ひとつはこのアガペーであり、後の2つはエロースとフィレオーである。後の2つが専ら人間同士の愛情や友愛を表現するのに使われるのに対し、アガペーは専ら神様の愛のみを表現するということは新約聖書上の最も基本的な知識のひとつである。アガペーが人間の抱く愛情に使われることもあるが、それは常に背後には神様の愛があり、それを受けて私達が人々を愛する場合にのみ用いられる。
2.さて、一体パウロは、どのような流れから、このような神の愛について語ろうとしたのか。12章最後の31節には「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるように熱心に努めなさい」とある。そこから13章1節へと続く言葉として「そこで、私はあなたがたに最高の道を教えます」と言って、パウロは、神の愛について語りはじめている。「もっと大きな賜物」とあるが、12章1節の書きはじめに「霊的な賜物については」とあった。12章から15章までの長い箇所は、実は全体がこの「霊的な賜物」について勧められている箇所と言ってもよい。
なぜパウロがそれについて、これほど長々と勧めているのか。それはコリント教会の中で「霊的な賜物」についての、はなはだしい誤解があって、深刻な問題が起きていたからだった。コリントの人々だけではなく、広くギリシャ・ローマ世界全体の人々が、熱烈にこの霊的な賜物を求めていた。人々は、どのようなものとして、これを求めていたのだろうか。それは、要は、体が抱えている様々な問題から自由になれるようなものとして求めていたのである。12章12節から27節までの箇所でも、20回弱も、体という言葉が多用されていた。それはコリント教会の人々が、つきつめれば体を蔑視していたからである。そのためにコリント教会では、弱さや見劣りのする部分を抱えた体を「お前なんか要らない」と言ってしまっていたのである。
これは、2000年前のコリントやギリシャ・ローマ世界だけではなく、今日の私達の世界でも広くゆきわたっていて、私達を最も強く縛っている考え方・生き方ではないだろうか。弱い自分・他の人と比べて見劣りのする自分、また家族の中のだれかなど「要らない」と無言のうちに言ってしまっている私達である。いつぞやの新聞記事に、日本人の多くが「人様の世話にだけはなりたくない。子どもに迷惑はかけたくない」と異口同音に言うと書かれていた。それは言い方を変えれば、人様の世話になるだけの弱い自分、世話をされるだけの見劣りのする自分は「もう要らない」と言っているのと同じなのである。
3.1節から3節まで、異言を語るとか、預言する賜物、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていること、山を動かすほどの完全な信仰、全財産を貧しい人に施し、我が身を死に引き渡すというようなことが列記されている。おそらくこれらは、当時のギリシャ・ローマ世界やコリントの町、また教会で、「霊的な賜物」を受けている状態のありさまとして称賛されていたものだと思う。それはどれもが、体に弱さなど抱えておらず、人と比べて何ら見劣りのする部分のない状態なのであろう。むしろ人と比べて見劣りするどころか、それとは全く正反対に、とても優れ勝っている状態のありさまである。しかしそうした状態が、霊的な賜物を受けているすばらしいありさまだと称賛され熱望されればされるほど、コリント教会には、なぜか分裂や争いがひどくなっていったのである。弱い部分が「お前は要らない」と切り捨てられていったのである。そのためにパウロは、もっと大きな「霊的な賜物」について教えねばならなかったのである。
それが要は、聖霊を通して神様の愛をいただくということになる。しかし一体、今触れたようなことのどこが問題なのであろうか。聖霊の賜物として神様の愛をいただくということと、1節から3節に列記されているような状態との最大の違いは何であろうか。3節後半に「誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとしても、(神の)愛がなければ、私には何の益もない」とある点に改めて注目させられる。パウロがここで列記している人々の様子は、このような「霊的な賜物」を主張している人々が口にしている言葉を受けてのものではないかと感じる。「誇ろうとして」とあるのは、彼らが実際に誇っていたのであろう。「愛がなければ私に何の益もない」と言っているのは、この人達が口々に「私には益がある」と自慢していたことが背景にある。パウロからすると、ここにあげられている人々が主張していた「霊的な賜物」とは、要はそれを得ている者を誇らせ「私は益がある」と声高に主張せしめるようなものなのである。確かに彼らは、すばらしい能力や完全な信仰や慈善ができていた。しかし、それによって彼らは、益々自慢するようになり、「私は有益だ」と言うようになっていった。要は、益々「私」というものが大きくなっていったのである。このことこそが、彼らの主張する「霊的な賜物」の何よりもの問題点なのだと感じるのである。そのために教会に対立や争いが生まれた。目に見えて有益であるということだけが重んじられたからこそ、益がないと見える弱さや見劣りのするものを抱えている人々は「お前は要らない」と言われてしまう。
4.こうしたことと正反対のものが、聖霊の賜物として神の愛をいただくということなのではなかろうか。聖霊によって神様の愛を注がれることは、突き詰めれば「私」というものを小さくして下さる。私のことはどうでもよいことなのだと思わせて下さる。なぜ神様の愛は、そのような働きをして下さるのであろうか。
それが、9節以下に書かれている。すぐには8節までの愛のことと9節以下の「完全なもの」と「一部分」との対比、また幼子と大人との対比ということが一体どのようにつながるのかがよくわからないと思う。パウロが言おうとしたのは、神様の愛は、あたかも私達を幼子から大人へと、また一部分しか知らない者からすべてを知る者へと成長させて下さるようなものだということである。だからこそ、私達は幼子でしかない自分の今を、また一部分しか知らない自分の今を誇ろうなどとは思わなくなるのである。今の私などどうでもよいと思えるようになるのである。
コリント教会の人々は「私」を誇っていた。しかしパウロから言わせれば、それは幼子がとても稚拙な自分を自慢しているようなものである。小さな子どもたちは、まことにほほえましいような自慢をする。たとえば、じゃらじゃらとしたお金、またビンのふたのようなものさえたくさん持っていることが自慢なのである。少し高く飛べたり、少し早く走れたりすることを自慢する。彼らには、大人になって、今の自分には計り知れないようなお金を手にしたり、今の自分には途方もないようなことができるようになったりすることなど全く予想ができない。だから、そのようなことを自慢するのである。それが11節で、「幼子だったとき・・・考えていた」ということであろう。
しかしパウロは、そのすぐ後で「成人した今、幼子のことを棄てた」と言っている。大人になったなら当然のごとく廃れてしまい、棄てられてしまうような幼子の状態がある。パウロから言わせれば、それが3節までに列記されている事柄なのである。どんなにすばらしい異言や預言を語ろうと、どんなにすばらしい知識を持っていようと、どんなに完全と思われる信仰があろうと、どんなにすばらしい行いをしようとも、それらは所詮、幼子時代のものでしかない。自慢していたことを恥ずかしいと思えるようなことである。大人になっても、まだじゃらじゃら小銭を貯めているのを自慢したり、ほんのちょっと高跳びができるのを自慢したりしたら、いい物笑いであろう。それらは、いずれ神様と顔と顔とを合わせて、すべてのことを完全に知り、また知られるときがやってきたら、おのずと消えてゆく。廃れてゆく。神様と顔と顔とを合わせたとき、自分を自慢する必要など、もうどこにもないのである。そもそも「私」などという存在もなくなるのであろう。そしてもはや信仰も希望も必要なくなるのである。神様と顔と顔とを合わせていれば、目の前におられる神様を「信じる」必要はないのである。また神様が与えて下さるゴールを「希望する」必要は、もうないのである。それらはなくなるのではなく、もう与えられているのである。しかし愛は、信仰や希望とは違う。神様と顔と顔とを合わせているときには、神様の愛のただ中に私達は置かれている。13節で言われているのは、そういうことだと思う。
5.このように私達は、神様の愛の中に置かれるからこそ、幼子としての弱く不完全な自分自身や周りの人々や世界を忍び、信じ、望み、耐えることができるのである。それは即ち神様がそのようにして下さっているからに他ならない。神様は私達が幼子から大人へと成長してゆくのを知っておられる。私達が決していつまでも幼子のままではいないことをよくご存じなのである。幼子の私達の状態をもって、私達を責めたり罰したり棄てたりはなさらないのである。この神様の愛を、聖霊において与えられたとき、私達ははじめて自分自身の今を、また周りの人々や世界の今を責めたり悲観したり絶望しないようになれるのである。
そのための幼子時代でもある。幼子の時代があることは、決して無駄にはならないと思う。神様が、私達に幼子としての稚拙な時を備えて下さったのには意味がある。弱さや見劣りのする部分を下さったのにも意味がある。そういう状態での心配があるからこそ、私達は神様を頼り信じ祈り希望するようになる。信仰と希望を抱き、神様の愛を求め、そしてそのすばらしさを少しずつ知るようになるのである。そうした幼子の時代があってこそ、大人となる時がやってくるのではないだろうか。聖霊の賜物として、神様の愛を知ることは、他のなにものにも変えがたいものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 6月30日(日)聖霊降臨節第4主日礼拝
12:27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。 12:28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」 12:29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。 12:30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。 12:31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 12:32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 12:33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 12:34すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」 12:35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。 12:36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
1.イエス様の言葉「私は地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう(32節)」を中心に心を向けてゆきたい。私自身、とてもこのイエス様の言葉に心を引き寄せられる。なぜだろうかと思い巡らした。だれであったか全く定かではない。もしかしたら私が勝手に作ってしまった記憶かもしれない。ある人が「すべての人をわがもとに引き寄せん」とのイエス様の言葉を自分の墓に刻んだという。このことがずっと頭の片隅にある。その人の気持ちが本当によくわかるのである。私たちは死に行くとき、そして死んだ後に、様々の邪悪なものに引き寄せられ捕らえられてしまう危機に置かれると思う。勿論、私自身は、まだそのような境遇に身を置いてはいない。だからこれは、あくまで想像に過ぎない。しかし、私の父をはじめとして、多くの教会員を見送った経験から言うと、死に行く私たち、また死んだ私たちは、そういうものに捕らえられてしまう危険の中に置かれるに違いないと思うのである。
その代表的なものは、35節・36節で言うところの、「暗闇」だと思うのである。死にゆく私たちを、また死んでしまった私たちを取り巻く闇というものが、どれほどのものかは想像がつかない。しかし、それは、本当に深いものだと思う。だからこそ、そのときの私たちには、光が必要なのである。今年の9月の地区大会の講師には、カトリックのシスターの鈴木秀子さんをお招きする。彼女は修道院にいたときに、夜中に階段から落ちたことをきっかけにして、いわゆる臨死体験というものを経験されたそうである。臨死体験とは、あくまで臨死であり、そこから生き返って来た人の体験である。正確には、死んだ人の味わうものではないかもしれない。それは、単に危機の中に置かれた脳が、それを回避するために作りだした幻影のようなものでしかないと言う学者もあるようだ。正確なことは何もわからない。しかし、とにかく臨死体験をしたと主張する人々に共通するのは、光との出会いだという。鈴木秀子さんも、何とも言えない暖かで心地よい光に包まれたと語っている。そのような光と皆が出会っているということは、逆から言えば、死に瀕した者にとっては、光ほど必要なものはないということを物語っているのではなかろうか。死に行くとき、私たちは闇に置かれている。だから、その時は、様々な邪悪なものや偽物の光に引き寄せられる危険が満ちている時なのである。だから、私たちは真の光に出会い、それに引き寄せられてゆかねばならないのである。偽物の光に吸い寄せられて行きそうになる私たちに対してイエス様が、まことの光として姿を現し、私たちを引き寄せて下さることが励ましになる。
2.そういうことから、有名な「光ある間に歩め」という御言葉が語られた35節と36節を味わってみたいと思う。ここでイエス様が言わんとされたこと、またヨハネが語ろうとしたことは、要は「光のあるうちに光の中を歩め」ということである。「光のあるうち」とは、文脈から普通に読めば、イエス様がこの地上に生きておられるときのことを言っているという理解になる。「光は、いましばらくは、あなたがたの間にある」とは、いずれ光があなたがたの間になくなる時が来るということであろう。それは、イエス様が十字架の上で殺されてしまうことを指していると読める。とにかく、イエス様が殺されてしまっては、もう光がなくなるから、今のうちにイエス様を光として信じて歩めということが、ここでは言われていると理解するのが普通であろう。私自身も、これまでそのように読んできまたし、私の手元にある注解書や説教も、そのように解釈している。
しかし、今回改めてこの御言葉に接して、こうした理解が果たして本当にイエス様や著者のヨハネが言おうとしていることなのかと感じさせられたのである。イエス様が光であるのは、この世で生きている間だけのことだということになると、十字架の上で殺されてしまったら、もう光ではないことになる。そうだとすれば、この世におられないイエス様は、どうして、死にゆく者や死人にとっての光となりうるのであろうか。むしろイエス様が言おうとされたのは、先ほど来の読み方とは正反対のことではなかったかと感じるのである。イエス様が光として私たちに現れ、暗闇の中にいる私たちを御許へと引き寄せて下さるのは、「私は地上から上げられるとき」即ち十字架につけられたときなのである。もう光としては目に見えず、光とは到底思えなくなったところの十字架の上で殺されてしまったイエス様こそが光だということである。そのイエス様によって、死に行く私たちや死んだ私たちは引き寄せられてゆくのである。私たちは、暗闇の中に置かれるからこそ、このイエス様を光として見いだすようになるのである。
35節の「光はいましばらくはあたがたの間にある」の「光」とは、実はイエス様のことではなく、この世の光、私たちがこの世において、それまで光として仰いできたものを言っているのではなかろうか。そういう光が、いましばらくはある。私たちは、そうした光を頼り引き寄せられてしまう。しかし、そうした光が、いずれなくなるときが来る。それが死に行く時であり、死の時である。「それでも安心せよ」とイエス様は言う。そのときこそ、つまり暗闇のただ中に置かれたときにこそ、私たちは十字架の上で死なれたイエス様が、まことの光だとわかるのである。そして、この光に引き寄せられてゆくのである。この世の光がなくなるときこそ、イエス様という真の光に出会うときなのである。暗闇の中に置かれたときこそ、イエス様という光を見いだせるときなのである。暗闇の中にあるからこそ、たった一本のろうそくやマッチ1本の光でも、光輝いて私達を引き寄せてくれるものとなる。「光は暗闇の中で輝いている(ヨハネ1:5)から、暗闇の中に置かれても安心しなさい。その時こそ、イエス様という光に引き寄せられてゆくから・・・」というヨハネの励ましの言葉なのである。
3.さて、では一番大事な点、なぜイエス様は、このような光なのか。32節には、「私は地上から上げられるとき」すべての人を自分のもとへ引き寄せるとある。地上から上げられるときが、イエス様がまことの光としてイエス様自身を現して、私達すべてを御許に引き寄せる時となるのである。そして、この「地上から上げられるとき」とは、「自分がどのような死を遂げるかを示そうとしてこう言われた」とヨハネが解説を付けているように、他でもなく、イエス様が十字架の上で上げられて殺される時を示している。一体、なぜこのようなイエス様が、死にゆく私たち、また死んだ私たちの光なのであろうか。これについては、私などが到底汲みつくし得ないものがある。
イエス様は、他でもない十字架の時を「地上から上げられるとき」だと言っているのである。「地上から上げられるとき」を、復活や昇天のときだと理解した人もいた。しかし、ヨハネは、「それはイエス様の教えたこととは違う」と念を押したいがために、この33節の解説をわざわざ書いているのであろう。十字架の時こそが「地上から上げられるとき」なのである。確かに、それは十字架という高いところにはりつけにされるという意味で「上げられる」時ではある。しかし、それは普通の意味で「上げられる」ときではない。それは、むしろ十字架の死という、人間にとって最も悲惨で苦しみの極みに突き落とされる時である。しかし、イエス様は、それを「上げられるとき」だと言っているのである。28節には、神様が「私は既に栄光を現した。再び栄光を現そう」と天から声をかけたとあり、十字架にはこの神様の栄光が現れているとの意味が込められている。十字架には神様の栄光が現れているがゆえに「上に上げられている時」なのである。
死にゆく私たち。そして死者となって何の光もない闇の中にいる私たち─邪悪なものどもによってなおも偽りの光に引き寄せられようとする私たち─にとっては、このイエス様こそが、光として見えるのではないだろうか。私たちが体験するどのような死よりも、苦しみの深い死に突き落とされたイエス様がおられた。その低さは、私たちすべてが見ることのできる姿である。この低さを見るのに、いかなる障害物もない。もしイエス様が、ブッダのように天寿をまっとうして大樹のもとで安らかに大往生を遂げた人であったならば、またムハンマッドのように剣とコーランを両手にもって破竹の勢いでこの世の成功を収めた人であったならば、その高さや安らかさを、死者となった私達は仰ぐことができないのである。闇の中に置かれている私達には、余りにもまぶしい光であり、見ることのできない光なのかもしれない。しかし、十字架の上に殺されたイエス様のその低さ・その暗さは、死に行き、死者となった私達が見上げ仰ぐことのできる光なのである。そして、そこに私たちは神様の栄光を見せていただけるのである。低さの中にこそ、高さがあり光があり希望があるのを見るのである。
こうして私達は悟る。「私たちが死にゆくことにおいての低さへとたたき落とされるなら、それは神様によって高く上げられることへとつながっているのだ」と。「死における低さは神における高さへと結び付いているのだ」と。
4.最後に27節・28節前半にふれたい。この箇所は、専門家の間では、ヨハネによる福音書におけるゲッセマネの祈り、と言われている箇所である。マタイ、マルコ、ルカによる3つの福音書には、イエス様が最後の晩餐の後で「御心ならこの杯を私から取りのけて下さい。しかし私の願いではなく、御心のままに行って下さい(たとえばルカ22:42)」とのイエス様の祈りが書かれている。しかし、ヨハネによる福音書には、その場面がない。それに相当するのがこの27節だとされているのである。
26節までにも、死は一粒の麦が地に蒔かれて豊かに実を結ぶことであるとイエス様が語ったとある。イエス様は、麦が地面に蒔かれて死んでゆくのを厭うたならば、豊かに実を結ぶことはできないと教えたのである。そうであるならば、「今私は心騒ぐ」などと弱音めいたことを口にするのはおかしい。「『父よ、私をこのときから救って下さい』と言おうか」などと、一瞬でも十字架を避けるようなことを思うのは、おかしい。しかし、これもまた、イエス様が私たちの光となるためのものであった。イエス様でさえ十字架を前にして心を騒がせた。「『私をこの時から救ってください』と言おうか」と思った。ましてや、私達はそうなのである。そのようなためらいや心騒ぐことを通して、イエス様は「私はまさにこの時のために来たのだ」と悟り、「父よ、御名の栄光を現して下さい」と祈り、それに神様は天から答えて下さったのである。このように神様が天から声をかけて下さったのは、私達のためなのだとイエス様は言っているのである。イエス様でさえ「この時のために来た」はずのその時を避けて、「私をこの時から救って下さい」と思う瞬間があったのである。ましてや私達は・・・である。このようなイエス様だからこそ「この時」を避けようとしてしまう私達にとっての、なくてはならない光なのである。このイエス様が私達を、御許へと引き寄せて下さるのである。だから私たちは、安心して死の時を迎えられるのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 6月23日(日)聖霊降臨節第3主日礼拝
24:01ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、 24:02ヨシュアは民全員に告げた。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。 24:03しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。彼にイサクを与え、 24:04イサクにはヤコブとエサウを与えた。エサウにはセイルの山地を与えたので、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。 24:05わたしはモーセとアロンを遣わし、エジプトに災いをくだしたが、それはわたしが彼らの中にくだしたことである。その後、わたしはあなたたちを導き出した。 24:06わたしがあなたたちの先祖をエジプトから導き出し、彼らが葦の海に着くころ、エジプト軍は戦車と騎兵を差し向け、後を追って来た。 24:07彼らが主に助けを求めて叫ぶと、主はエジプト軍との間を暗闇で隔て、海を彼らに襲いかからせて彼らを覆われた。わたしがエジプトに対して行ったことは、あなたたちがその目で見たとおりである。その後、長い間荒れ野に住んでいた 24:08あなたたちを、わたしは、ヨルダン川の向こう側の住民アモリ人の国に導き入れた。彼らは戦ったが、わたしが彼らをあなたたちの手に渡し、あなたたちのために彼らを滅ぼしたので、あなたたちは彼らの国を得た。 24:09その後、モアブの王、ツィポルの子バラクが立ち上がりイスラエルに戦いを挑んだ。彼は使いを送って、ベオルの子バラムを呼び寄せ、あなたたちに呪いをかけようとしたが、 24:10わたしがバラムに聞こうとしなかったので、彼はあなたたちを祝福することとなった。わたしはこうして、あなたたちを彼の手から救い出した。 24:11あなたたちがヨルダン川を渡り、エリコに達したとき、エリコの人々をはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたたちに戦いを挑んだが、わたしは彼らをあなたたちの手に渡した。 24:12わたしは、恐怖をあなたたちに先立たせ、剣にもよらず、弓にもよらず、彼らと二人のアモリ人の王をあなたたちのために追い払った。 24:13わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。』 24:14あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。 24:15もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」 24:16民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。 24:17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。 24:18主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」
1.ヨシュアが、いよいよその生涯を終えるにあたって、イスラエルの人々に、主なる神様が先祖も含めて、自分たちに対して、どのようなかかわりをして下さったかを、神様自身の言葉をもって振り返り、それをもとにして、この主なる神様に仕えるのか、それとも他の神々に仕えるかを強く迫り、それに対してイスラエル人が応答をした。死に臨んでいる者だけが語ることのできる確信や、言葉の強さというものを感じさせられる。このヨシュアの遺言とも言っていい言葉から、私たちに語りかけられているメッセージを受け取ってゆきたい。
ヨシュアは、この遺言で、先祖も含めて、自分たちに対して主なる神様が、どのようにかかわって下さったかを述懐している。そして、それをもとにして、「あなたがたはこの神様を信じるのか、それとも他の神々を信じるのか、どちらかを選択せよ」と強く迫っている。このような選択を迫っているのだから、ヨシュアの言葉そのものには、直接にはないが、その語りかけの背後には、暗に主なる神様と他の神々とを比べようとする思いが強くあったのではなかろうか。このような主なる神様を、強く語ることは、反対に、他の神々とは全く違っているのだという思いがある。「だからこそ私は、主なる神様に仕えるが、あなたがたはどうするのか」という語りかけになっているのだと思う。
2.まず、ヨシュアが主なる神様をどのように語っているか、またその反面において、他の神々をどのような存在として見ているのかという点を見てゆきたいと思う。ヨシュアの言葉を聞いて、それに応答して、イスラエル人が16節から18節で語っていることは、ヨシュアが語った主なる神様のことをうまくまとめているように思う。「主を捨ててほかの神々に仕えることなどするはずがありません」と言った後で、彼らなりの言葉でヨシュアの語ったことをまとめているのである。
そこで、第一に口にされるのは「わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り」ということである。ここでは専ら「奴隷にされていたエジプトの国から導き上り(つまりは出エジプトの出来事)」ということだけが取り上げられているが、24章2節以下でヨシュアが口にしている主なる神様の御業はこれだけではない。ただ「導き上り」という言葉で言い表されていることが、全体を貫いているひとつの柱である点には着目したいと思う。3節には、アブラハムについて「連れ出して」とある。4節には、文字通りには神様のなされたことではないが「工ジプトに下っていった」とある。また5節最後には「導き出した」と、8節にも「導き入れた」とあり、11節には「ヨルダン川を渡り」とある。これらの表現に共通しているのは、主なる神様は、イスラエル人を今いるところから連れ出し導き出すということである。その主なる神様に連れ出されて、先祖アブラハム以来、イスラエル人は、ずっとエジプトに下っていったり、ヨルダン川を渡ったりしていた。要は旅人であり寄留者(ヘブル人への手紙11章13節、口語訳から)であったということである。主なる神様は、私たちを常に旅人・寄留者として歩ましめるという点に何よりものポイントがあるの。
3.2節3節で、先祖アブラハムのことがまず語られている。「あなたたちの先祖は・・・拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた」と。アブラハムが、ユーフラテス川の向こうに住んで、そこで拝んでいた他の神々とはどのような存在だったかについては、何も書かれてはいない。しかし、「わたし」である主なる神様が、アブラハムを川向こうから連れ出したということにこそ、根本的に、主なる神様と川向こうで拝んでいた神々との決定的な違いが現れているのではないだろうか。
創世記の12章1節と2節は、このときのことを次のように描いている。「主はアブラムに言われた。あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福のみなもととなるように」と。突き詰めて言えば、ユーフラテス川の向こう、生まれ故郷・父の家で拝まれていた神々とは、この地に留まって、生まれ故郷・父の家に住む限りにおいて、私たちを祝福する存在なのだと思う。チグリス・ユーフラテス川と言えば、世界の4大文明の1つが生まれた地域である。エジプトもしかり。川のもたらす豊かさが、当然、そこには深くかかわっている。そこで長く住みついていろいろなものを多く蓄積し、一族郎党と共に、がっちりと既得権益のようなものを握り続けていたのである。そういうことと、この地の神々を拝むことは、分かち難く結び付いていたに違いない。アブラハムは、なぜこのようなありかたと決別しようとしたのか、その事情は全くわからない。もしかしたら、こうした土地や血縁関係の支配するところで生きることに、何らかの限界を感じていたからではなかろうか。
そこに主なる神様からの呼びかけが聞こえてきた。私は、ノアの場合もそうだと思う。主なる神様は、決してノアだけ、アブラハムだけに箱舟を作れとか、生まれ故郷・父の家を離れて私の示す地に行けとか、そのようなことを言われたのではないと思う。すべての人に対して神様は、このように語りかけておられるのである。神様の呼びかけは根源的に、いつも同じだと思う。ただ、これに応答する者は少ない。しかし、この呼びかけに応答し、行き先を知らずして生まれ故郷・父の家、長く留まった地を旅立ってゆける者は幸いなのである。なぜなら、そのことにおいてこそ、主なる神様の祝福を受けられるからである。主なる神様とは、神様からの呼びかけに応じて、生まれ故郷・父の家を離れて行く先を知らずして出て行ける者を祝福して下さる。そこが決定的に、川の向こうやエジプトで人々が信じていた神々との違いではないだろうか。
4.なぜ私たちは、生まれ故郷・父の家、長く留まった地を離れることにおいて、主なる神様からの祝福をいただけるのか。過日NHKの番組で、レジリエンスという初めて聞く言葉を耳にした。このレジリエンスという言葉は、ねじれた物がもとに戻ろうとする際の様子を語る言葉なのだそうである。この番組では、そのように逆境にあった人々が、そのねじれを撥ね除けて、もとに戻ってゆくありさまを描いていた。印象に残ったのは、福島原発事故のために飯舘村で自然農法を営んでいた家族が、すべてを捨てて四国に移り住んで、そこで再び農業を始めている姿であった。登場した男性は、「失ったものを振り返ることはもうない」とはっきりと断言しておられた。彼をしてそのように言わしめたものは何であろうか。彼の父親はクリスチャンで、彼は小さいころから聖書に親しんでおり、舘岩村から逃げるときに思い出したのがソドムとゴモラが滅びるとき、アブラハムの甥であるロトが後ろを振り返らずに逃げたという御言葉だったそうである。ロトの妻は、振り返ったために塩の柱になってしまった。彼はこの聖書箇所からこう悟ったと言う。「振り返ってはいけない」ではなくて「振り返らなくてもよい」と。すばらしい聖書の受け止め方だと感動した。彼は「もう振り返らずともよいのだ」と思ったというのである。彼は、振り返えらずとも生きてゆけるのだという神様の祝福を感じた。すべてのものを捨てても、私たちは生きてゆけるのだとのメッセージを彼は受け取っていたのである。
私たちは、舘岩村の彼のように、いつかはすべてのものを手放し、そういう意味で、それまで住み慣れ、多くのものを積み重ねた「ユーフラテス川の向こう、生まれ故郷・父の家」を離れざるを得ないときが来る。どれほどそこに留まりたいと願ってもだめなのである。いやがおうでも旅人・寄留者とならざるを得ないのである。そうなったときに、そこに留まることにおいてのみ、私たちを祝福する神々を拝み頼っていては、幸いを見いだすことはできないのである。いつまでも失ったものだけ、手放したものだけを振り返ることになるであろう。このような私たちの、この世に生きる人間としてのありさまを、よくわかっておられるからこそ、主なる神様は「生まれ故郷・父の家を離れて、見ず知らずのわたしの示す地に行け」と言って下さるのである。生まれ故郷・父の家を離れ、無一物になって行く先を知らないで出てゆく身のうえになっても、そこに神様の祝福があると信じることができるなら幸いなのだとの神様の励ましがそこにある。
5.さて、第二の点は、17節後半からの「わたしたちの目の前で数々の奇跡を行い・・・」という言葉に言い表されている。ヨシュアの語ったこととしては、5節から13節まで語られている部分がすべてここでまとめられていると理解してよいと思う。ヨシュアの語ったこと、そしてそれを聞いてイスラエル人が応答していることの中心には、何よりも「奇跡を行い」というところにあるのではなかろうか。それは恵みと言ってもよいし、難しい言葉で言えば恩寵と言ってもよい。要は、イスラエル人のなしたことによらず、そのようなものをはるかに越えた驚くべき主なる神様の恵みが与えられたということである。ヨシュアの語りかけの中で、柱となっている言葉のひとつに「連れ出す」や「導き出す」がある。それと並んで、もうひとつの柱は「与える」という言葉ではなかろうか。また、神様が一方的にイスラエルの人々のためになされた御業が、ずっと列記されている。それを象徴的に表現しているのが、13節の神様の言葉ではないだろうか。「わたしは更に、あなたがたが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。・・・自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている」と神様はおっしゃっている。これは勿論、パレスチナ先住民の人々にとっては、とんでもないことではあるのだが、神様の言わんとされるのは、神様は私たちが労せず建てず植えたのではない恵みをお与えになるという点にある。神様は「ここが決定的に、川の向こう側やエジプトやパレスチナで拝まれている神々と違うところなのだ」と言われているのではないだろうか。
私たちが、すべてのものを手放して、行き先を知らずして、旅人・寄留者となったとき、その私たちが労し、建て、植えることのできるものは、本当にわずかである。私たちがその歩みにおいて建て得るものと言えば、ただただ主なる神様を信じ、頼って生きてきたという信仰の積み重ねしかないかもしれない。しかし神様は、そのわずかさに豊かに報いて下さる。はるかに勝るものを与えて下さる。それが13節の「労せずして得た」という御言葉の持つ意味である。これに対し、川の向こうの神々・エジプトの神々・数と力ではパーフェクトであるパレスチナの人々の拝む神々は、ただ私たちが労し建て植えたもののみに応じてしか報いてくれない存在ではなだろうか。私たちもヨシュアと同じように、信仰者としての生涯を終えようとする時に、このように力強く主なる神様を選べと子どもたちに証しができる者となりたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 6月16日(日)聖霊降臨節第2主日礼拝
12:12体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 12:13つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 12:14体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 12:15足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 12:16耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 12:17もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 12:18そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 12:19すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 12:20だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 12:21目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 12:22それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 12:23わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 12:24見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 12:25それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 12:26一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 12:27あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
1.読んですぐに気づくのは「体」という言葉が、何度も何度も用いられていることだと思う。数えてみると、18回も出てきている。これほどまでにパウロが「体」ということを語るのには、それも体の持つ貴さや意義を語るのは、それなりの理由があってのことではないだろうか。当時のギリシャ・ローマ世界に広く行き渡っていた思想として、ソーマ・セーマという語呂合わせで言い表されるものがあった。ソーマは、今日の御言葉で18回も出てくる「体」のギリシャ語原語であり、セーマは墓場という意味である。当時の人々は、体は墓場のようなものだと、とてもネガティブに考えていた。そして、その体から内なる部分が自由にされるのを切に求め願っていた。ギリシャ・ローマの人々と民族的に根っこが同じだと言われるインドの人々も、同じような考え方を抱き、それが仏教でいうところの「解脱」というものにもなってゆくのではないかと、私なりに理解している。12章1節以下の欄外タイトルに、『霊的な賜物』とあった。コリントの人々にとって、体から内側の部分を解放してくれるものこそが霊的な賜物だと考えられていた。
ともかくこのように、「体」を厭い蔑視する考え方がコリント教会を覆っていたのである。だから、パウロはこれほどまでに何度も体という言葉を多用して、その貴さや意義を勧める必要性があったのである。特にパウロは、体が弱さや見劣りするものを抱えることの貴さを語り勧めたのである。それは今日の私たちにとっても、またとても慰め深いものだと感じる。
私たちの教会では、最年長とも言ってもよいほど年齢を重ねられた方から、次のような問いかけをいただいた。「皆さんがよくご存じの日野原先生は、ハイジャックにあわれた後『もうこれからは自分のために生きるのは、やめよう。ひたすら人のために生きよう』と思い、100歳をはるかに越える年齢まで現役の医師としてお働きになりました。しかし私たちは、一体どうやって人のために生きられるでしょうか」と。そして「これからは、人のためになるどころか、どんどん人の世話になるしかない人生がやってくるではないか。佐藤愛子という小説家が『90歳何がめでたい』という本を書かれたが、自分の気持ちとしては正直そういう気持ちである。私も何とかして人のために生きたいと願うけれども、人様の世話になり迷惑をかけるだけの人生において、どのようにして人のために生きることができるでしょうか。先生のお考えを聞きたい」と。
この方と比べれば63歳の私の答えなど、まことに幼いものでしかないかもしれない。その時は私なりの思いを答えた。しかし、今日のパウロの言葉こそがその方の問いへ答えになるのではないかと思う。体が、それも弱さを持ち見劣りのするような体が、かえって必要だとパウロは言う。今日のパウロの言葉というのは、文字通りには、私たちひとり一人を単位としたその人生における弱さや見劣りのする部分の必要性ということではなく、教会という共同体の中での弱い部分の必要性を語るものである。しかし、私は、それはまずは、ひとり一人の人生においての、そうした部分の必要性として受け取りたい。これまでの人生からして、最も見劣りするような弱くなっ体が、かえって必要だともパウロは語っていると思う。
2.そこでまずパウロは、体が弱さや見劣りのする部分を持つことの意義を語る前提として、そもそも私たちが体というものを持つことの意義を語っていると思う。それを語るべくパウロは、「イエス様は体を持っておられたではないか、イエス様がまず体において生きて下さったではないか」ということを考えているのではなかろうか。今日の御言葉では、直接イエス様が体を持っておられたことが縷々語られているわけではない。しかし27節においてパウロが「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」と言ったとき、その前提にはイエス様が体を持っておられたということが、なくてならないものとして考えられていると思う。イエス様がまず体をもっておられたからこそ、「あなたがたはキリストの体であり」との言葉が出てくるのではないだろうか。
さて、イエス様が体において生きて下さったことの意義を何よりも指し示すのは、イエス様自身が、その遺言として最後の晩餐の席で、体について言い残したことである。私たちは、そのイエス様の遺言を2000年後の今でも、聖餐式において聞き続けている。その言葉は、それほどまでに私たちにとって大事な言葉である。そこにはイエス様が、自分の体が果たす役割について、はっきりと確信しておられたことが述べられている。11章24節に、その言葉が書かれていた。イエス様は「これはあなたがたのための私の体である」と言われた。イエス様は、過越の祭で犠牲とされた小羊にイエス様自身を重ねておられた。犠牲とされた小羊の血が、イスラエル人の家々の入り口の門や鴨居に塗られることによって、「滅ぼすもの」が過ぎ越していった。この出来事をもって、そのように私の体の犠牲・私の体から流される血・痛み・苦しみを塗り、それを自分にとってなくてはならないものとして受け入れる者は「滅ぼすもの」から救われるだと、イエス様は私たちに遺言として残したのである。洗礼とは、突き詰めれば、イエス様の体の犠牲を私たちが体に塗ることである。聖餐式とは、それを繰り返し、また必要な食べ物として食べ続けることである。
このように、もしもイエス様に体がなければ、その犠牲も痛みも苦しみもない。もしもイエス様に体がなければ、私たちは、私たちの救いになくてはならないものとしてイエス様の体の犠牲をいただくことはできない。そして、イエス様が私たちに与えようとする体における犠牲の根源には、十字架の出来事におけるイエス様においての弱さというものがあり、この世において最も見劣りのする姿があるのではなかろうか。
3.このように、イエス様が体を持ち、特にその体における弱さが私たちのためになくてはならない働きをしたということをもって、そうであるからこそ、私たちにとっても体がなくてはならないのだとパウロは語っているのだと思うのである。特に、体における弱さや見劣りのする部分がなくてはならないということをヨハネは語っている。どのような意味で、なくてはならないのであろうか。それは「これはあなたがたのための私の体」というイエス様の言葉がいみじくも現しているように、体の必要性は自分のためではないのである。そうではなく、だれかのためなのである。だれかのために与えられるという点においてのみ、体の持つ弱さや見劣りのする部分の意義が生じてくるのである。イエス様の体が「あなたがたのための」ものとなられたように、私たちの体もイエス様を信じ、イエス様と結び付けられていることにおいて、イエス様の体と同じ働きをすることになる。教会という集まりにおいて、また夫婦や家族というつながりにおいて、私たちの体の弱さや見劣りのする部分こそが、だれかのためのものとなるのである。
そのようなことが、果たしてあるのか。イエス様の体はそのような働きをしたが、私たちの体の弱さや見劣りのする部分が、どうして「あなたがたのため」になどなるのか。むしろ最初に紹介したある方の思いのように、それはだれのためにもならないのではないか。自分のためにも配偶者のためにも家族のためにも、教会の仲間のためにもならず、かえって負担をかけるだけではないのか。いいえ決してそうではないのである。27節、「あなたがたはキリストの体です」とパウロは勧めている。私たちの体はキリストの体につなげられている。キリストの聖霊が宿っている体なのである。どうしてこの体が「あなたがたのための」働きをしないことがあるのか。十字架におけるイエス様の体、その犠牲・痛みが計り知れない神様の働きをして私たちを『滅ぼすもの』から守るように、私たちの体の痛みや弱さも、私たちには知り得ない形でだれかのためになるのである。
4.11日の夜に西堂兄のおつれあいの静子さんが召天された。明日、葬儀が、守谷の葬祭会館で行われる。一体、西堂兄にとって静子さんのこの1年間における体と心における弱さ─それは静子さんにとって人間的な見方からすれば、その生涯において最も「見劣りのする」期間だったはずである─が、はたして西堂兄のためにならないものだったであろうか。迷惑であり負担であったであろうか。いいえ、そうではなかったと私は思う。
22節に「体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要』とあり、また23節以下には、そのような部分があるからこそ体全体はその部分のために配慮をするのだとある。ここで「配慮する」と訳されたギリシャ語は、「メリムナオー」という言葉である。「メリムナオー」という言葉は、新約聖書の他の多くの箇所では「思い患う」というあまりよくない意味で使われている。わざわざパウロは、このような言葉を使って、その思い煩いこそが良き働きをするのだと勧めているのである。思い煩いによってこそ、夫婦や家族や教会という共同体は、逆にしっかりと組み立てられてゆくことになる。体に弱さをもった者の存在だけが、夫婦や家族や教会にそのようなものを与える。思い煩いこそが、よきものを私たちにもたらすのである。
はじめに紹介したある方からの問いに、私がお答えしたことのひとつに、たかだか我が家の飼い犬のことで、まことに恐縮ではあるが、わが家の犬が、その体において弱さや見劣りのするものを抱えて死んでいったときのことをお話した。残念ながら私は、私の父のそばにいて看取ることをすることができなかった。父を看取るかわりに我が家の犬は、人よりも何倍も早く進む最後の時の中で、私に看取る体験をさせてくれたと思う。その弱ってゆく姿と死にゆくありさまを、すべて私に見せてくれた。その姿は今もなお、私に本当に貴いものを残してくれてる。私をして何かから守ってくれていると思う。そのように、ただ弱り死んでゆく姿をただ見せることもまた「あなたがたのための私の体」となることではないだろうか。人は、こうして病み死んでゆくのだと、その姿を家族に見せてゆくことも「あなたがたのための」ものなのではないだろうか。そのように私は先ほどの方に答えた。
あまりにも私たちは、目に見える形で「ためになる」ことを考えてしまっている。しかし「ためになる」ということは、目に見える形においてだけではないと思える。むしろ傍らの者をして思い煩わせることさえも「ためになる」のではないだろうか。ただ人間的な判断や尺度だけで「ためになる」を願い求め、私たちはおのれの弱い部分、見劣りのする部分を「必要ない」として切り捨ててしまおうとする。そうした考え方・生き方・価値観こそが、今日の私たちを最も「滅ぼすもの」となるのではないかと感じる。「8050問題(80歳代の親と、50歳代の子の親子関係での問題、2010年代以降の日本に発生している長期化した引きこもりに関する社会問題)」ということが社会問題となっている。弱い部分・見劣りのする部分─それを抱えた家族─を、どこかで邪魔物として切り捨ててしまうのが、私たちの社会なのである。それに対して、「弱い部分がかえって必要」であると教え諭して、私たちを「滅ぼすもの」から守って下さるのが、十字架のイエス様なのである。十字架のイエス様の体につなげられた者として、私たちの弱さもまた、だれかのためになるのであれば、これほど幸いなことはない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 6月9日(日)ペンテコステ礼拝
02:01五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 02:02突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 02:03そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 02:04すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 02:05さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 02:06この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 02:07人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 02:08どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
1.ペンテコステと呼ばれている礼拝の日は、聖霊降臨日とも呼ばれている。ペンテコステは、クリスマスやイースターと並んで、私たちキリスト教会の3つの大きなお祭りの日とされてきた。また、6月第2の主日は、日本キリスト教団の暦では、「花の日・子どもの日」とされている。私たちの教会では、毎年この日は、教会学校の子どもたちと一緒に礼拝を守ることとしている。そして、この日には、教会学校の先生たちが使っておられるテキストに従って聖書箇所を選ばせていただいている。
礼拝に出席してまだ日の浅い人たちにとっては、ペンテコステや聖霊降臨日は、ほとんどなじみのない言葉だと思う。ペンテコステとは、ギリシャ語で50番目という意味である。1節に、「五旬」という言葉がある。これがギリシャ語では、そのままペンテコステを意味している。イスラエル人は、過越の祭から数えて50日目に五旬祭というお祭りを守っていた。それが、そのままペンテコステと呼ばれてきた。出エジプト記では、「七週祭(34章22節)」や「刈り入れの祭(23章16節)」とも呼ばれている。元来は小麦の収穫の祭だったとされている。
このお祭りのために、イエス様の弟子たちもエルサレムに、おそらくは最後の晩餐を守った家に集まっていたのであろう。するとそのときに、2節以下に書かれているような出来事が起こり、14節以下に記されているような説教を弟子たちがするようになって、人々がイエス様を救い主として信じ、あちこちに教会がたてられるようになっていったのである。世々の教会は、この日を教会の誕生日と位置付けて、「ペンテコステ」・「聖霊降臨日」として礼拝を守るようになったのである。
聖霊が弟子たちに注がれたことを、このように記すのは、実はこの使徒言行録の著者であるルカだけなのである。マタイによる福音書とマルコによる福音書には、このことは何も触れられてはいない。ヨハネによる福音書には、20章22節に「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい・・・』」とあって、「イエス様が復活した直後に、弟子たちに聖霊を与えて下さった」とヨハネは書いている。ちなみにこのヨハネによる福音書で「息」とあるのが、ここで「霊」と訳されているのと同じ「プニュウマ」というギリシャ語である。
果たして、事実がどうだったのかということは定かではない。しかし、「聖霊が弟子たちに与えられた」とルカが記したのには、彼なりの理解や意図とがあったのではないかと改めて思う。ルカは、ペンテコステ・五旬祭というお祭りが元来小麦の収穫の祭りであったということに、大切なメッセージを込めたのではなかろうか。五旬祭を守っていたユダヤ人、またユダヤ人ではないけれどもこの祭りに心引かれていたギリシャ・ローマの人々に対して「あなたがたにとって本当に必要な小麦とは、聖霊という食べ物ではないか」、「聖霊の賜物こそがなくてはならない糧なのだ」と語りかけていたようである。今日の私たちにも、聖霊の賜物こそが不可欠な食べ物であり、また、それが私たちに豊かに与えられているのだということをお勧めできればと願う。
2.まずルカは、聖霊がなぜ私たちにとって、なくてはならない食べ物かを語るために、それがどのような働きをする存在なのかを語ろうとした。そのことを語ろうとして、とても苦心したように感じる。2節はじめでは「激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ」と記している。ここで「風」と訳されているギリシャ語は、「プノエース」である。この言葉も、「プニュウマ」という言葉と同じ由来を持っている。ルカは、「天から吹いてくる風(プノエース)のようなものとして、聖霊(プニュウマ)は与えられるのだ」と語りたかったのである。
いったい風というものは、どのような働きをしているのであろうか。私たちは普段、あまり風の持つ働きについて考えたことはない。考えるのは、せいぜい、暑いときに凉風が吹くと、涼しさをもたらしてくれるといった程度のことである。むしろ、台風のような強い風によってもたらされる害悪の方が、私たちには印象が強いのではなかろうか。もし地球規模で風が吹かなければ、地球の環境はとんでもないことになってしまうのではないかということは想像がつく。おそらくは、日本の上に偏西風という強い風が吹いていることによってこそ、季節の移り変わりが生じ、雨や雪が降って農耕ができるのではないであろうか。偏西風は、しばしば大陸から有害な物質をもたらすこともある。しかし、目には見えないけれども、はるかに有益な何かを運んでくれるということもあるように思う。
風がそのように有益な何かを運んでくれることを、水と比べて考えてみたい。水も、さまざまな有益なものをもたらしてくれる。水の場合は、基本的に水の流れる水路というものが必要である。もし地面がなければ、どのような激流も生じない。ところが風は全く違う。何もない空間でも、何万キロの隔てをものともせずに、風は何かを私たちに運んでくれる。「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ」というとき、ルカは、風こそが天から、即ち神様また天に昇られたイエス様から、素晴らしい良いものを、天からはるかに隔てられた地上にいる私たちのところにもたらしてくださるということを語ろうとしていたのではなかろうか。
水は、ごく小さなすき間にさえ入り込んでくる。しかし風は、それ以上なのである。風についたてを立てることは無駄である。風を妨げることはできないのである。そのように聖霊は、天からの良いものを私たちの側に、どんなついたてがあっても、私たちにもたらして下さるのである。ヨハネによる福音書の3章8節に、イエス様はニコデモという人に「風は思いのままに吹く」と言ったとある。この「風」もギリシャ語の原文では「プニュウマ」である。イエス様の意図は、私たちの側にどんな妨げがあっても、それをものともしないで「プニュウマ」は思いのままに吹いて、望むところに自身からの良きものを届けて下さるということにある。
3.それでは、「プニュウマ」が私たちに与えてくださる良きもの・賜物とは何であろうか。3節に「炎のような」という形容がある。「プニュウマ」が私たちに下さる賜物とは、まず何よりも、私たちの心が、その炎をもって励まされ熱くされるということなのだと思う。
聖書においてギリシャ語の「プニュウマ」に当たるヘブル語の言葉は「ルアハ」である。ルアハの働き・賜物として、私たちが一番よく知っているのは、創世記2章7節「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息(これがルアハです)を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」である。「ルアハ」がもたらされなければ、私たちは、ぱさぱさに乾いた土の塵でしかない。神様からの「プニュウマ」を吹き入れられてこそ、私たちは生きる者となれる。それは単に肉体をもって生物として生きているだけではなく、内なる炎と言えるような生きる情熱や喜びや使命感がなければならないのである。
もう一つの有名な御言葉をあげるなら、エゼキエル書の37章である。神様は、エゼキエルを通して、谷に投げ捨てられて累々と積み重なっている枯れ果てた骨に対して「見よ、わたしはお前たちの中に霊 ─「ルアハ」─を吹き込む。するとお前たちは生き返る」と言ったとある。神様はエゼキエルをして、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と言わしめて、それを通して「ルアハ」を吹き入れられたのである。すると神様が言った通りのことが生じていったのである。
谷に積み重なっていた枯れ果てた骨とは、バビロニアよってイスラエルの国が滅亡させられたときの戦争の犠牲者の、エルサレム郊外の谷に投げ捨てられた死者の骨である。それが、まさに象徴している。私たちは、この世の様々な戦いの犠牲者となる。枯れ果てた骨のようになって谷底に捨てられているのである。私たち自身には、この骨を生き返らせる手段はない。私たちを枯れた骨にしてしまうこの世の戦いは、幾重にも私たちを取り囲んでいる。だからこそ、天からの「ルハア」・「プニュウマ」が、この障害物をものともしないで、私たちに神様からのよきものを与えて下さらねばならないのである。生きた者として枯れた骨から脱け出させ、内に何か燃えるものを与えられねばならないのである。その必要を感じない人が、いったい何処にいるであろうか。私は、先週の木曜日に、ガンのために緩和ケア病棟に入院しておられる姉妹を見舞ってきた。元気な頃のような様子は、病気のために、どこにも残っていなかった。けれども、私が「何か心配なことはありませんか」と訪ねると、「何もありません。幸せでしたし、今も幸せです」と私に応えてくださった。私たちすべてが、最後は、枯れた骨のようになって行かざるを得ない。だからこそ、障害物をものともせず、神様から良きものを与えてくださる「ルアハ」・「プニュウマ」がなくてはならないのだと思う。この姉妹の「何も不安なことはありません。幸せでしたし、今も幸せです」という言葉は、私には、それこそが聖霊の働き、ルアハの働きであると感じさせた。勿論、痩せて、いろいろな痛みも抱えておられた。しかし、内側は燃えており、「幸せだった」と私に言葉を発することができるほどに活き活きと生きておられた。私は、そこにこそ聖霊の働きがあるということを思わされた。枯れた骨のようにされてしまう私たちだからこそ、無くてならない小麦の収穫として、ルアハが、プニューマが不可欠なのだということを思うのである。
4.そこで最後の問題は、このような「ルアハ」・「プニュウマ」が、どのようにして私たちに与えられるのかということである。この使徒言行録を読むとき、いつも私たちが感じるのは、ここに書かれているような、途方もない不思議な現象は、私たちには実際には起きていないということである。だとすれば、聖霊は私たちに与えられないのであろうか。いや、そうではないと思うのである。3節から4節以下、ルカは「炎のような舌・・・がひとりひとりの上にとどまり、プニュウマが語らせるままに、ほかの国々の言葉で語りだした」と語っている。5節以下でも、「プニュウマ」を与えられた人々が、いろいろな国々の言葉で語っていたことに強調点が置かれているのがわかる。
エゼキエル書の37章で、神様が枯れた骨に「ルアハ」を注がれるとき、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」とエゼキエルに言わしめた。そのように、ルカがここで言わんとしているのは、神様の御言葉を聞くことによってこそ、私たちには「ルアハ」・「プニュウマ」が注がれるということではなかろうか。ルカは、「神様の御言葉を象徴する『舌』が、私たちに臨み、私たちがその御言葉を人々に語れるほどになることにおいて、私たちの心は燃やされ、土の塵や枯れた骨ではなく、生きた者となれるのだ」と言うのである。
一体、なぜ神様の御言葉を聞くことが、私たちに聖霊を注いでくれることになるのであろうか。ルカは「十字架の上で殺され、復活し天に昇ったイエス様が、復活後50日経って聖霊を弟子たちに注いで下さった」と書いている。ヨハネも、「十字架の死から復活したイエス様が聖霊を与えられた」と語った。弟子たちが聞く言葉、そして人々に語る言葉とは、他でもなくイエス様の十字架の死と復活の言葉なのであった。それを自ら体験したイエス様からの言葉を通して、私たちは十字架と復活の意義を教えていただくのである。それによって私たちは、自身に与えられる苦しみと、その向こうにある復活について悟るのである。苦しみと死の向こうにある永遠の命についての言葉は、この世の中には決して存在しない言葉ではなかろうか。それは、私たちの持つ経験や知識では、決して与えられないものだと思う。神様だけがイエス様の出来事を通して、私たちに語って下さる言葉ではなかろうか。その言葉を、私たちはこうして礼拝で聞くのである。
コリントの信徒への手紙(一)の12章3節に「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」とあった。十字架の上で苦しんだイエス様は、神様から呪われたのではなく祝福されたのだと信じることができ、またこのイエス様を自分の救い主として信じることができるなら、それこそ聖霊をいただいていることなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 6月2日(日)復活節第7主日礼拝
12:20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 12:21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。 12:22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 12:23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 12:24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 12:25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 12:26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
1.20節から22節、過越の祭りのとき、礼拝するためにエルサレムに上ってきていた全世界から数百万にのぼる人々の中の何人かのギリシャ人が、どうしてもイエス様に会いたいと願ったという。そこでこの願いをピリポとアンデレが取り次ぎ、イエス様に伝えた。これに対してイエス様が語ったのが23節以下の有名な言葉である。
このエピソードは、4つの福音書の中で、このヨハネによる福音書にしか書かれていない。ヨハネだけがこの出来事を記したのには、何らかの理由があっただろうことがうかがわれる。このヨハネによる福音書は、西暦100年頃の小アジアに住んでいたギリシャ語を話すユダヤ人、またユダヤ人ではないけれどもユダヤ教に心引かれているギリシャ人に、イエス様が救い主であると宣べ伝えようとして書かれたものだとされている。だから、この何人かのギリシャ人とは、ヨハネが福音を宣べ伝えようとしていた対象の人々とぴったりと合致するのである。これはあくまで私の勝手な想像だが、もしかしたらこの人々は、イエス様を救い主として信じるようになったギリシャ人の初穂なのかもしれない。当時のこの福音書の読者は、詳しいことが書かれていなくとも、すぐにこれは誰のことかがわかったのかもしれない。ヨハネは、ギリシャ人がイエス様を信じるようになったのはどういう経緯からだったのかを最初に語ることを通して、読者たちに、この地においてどのようにイエス様を宣べ伝えてゆけばよいかをアドバイスしようとしていたのかもしれない。
2.これらのギリシャ人が、何を求めてイエス様に会いたいと願ったのか、ここには何も書かれてはいない。しかし前の段落に、それが示唆されている。直前の19節に、ファリサイ派の人々の言葉として「世をあげてあの男(イエス様のこと)について行ったではないか」とある。ではなぜ、世をあげて人々は、イエス様についていったのか。17節には「イエスがラザロを・・・死者の中からよみがえらせたとき、一緒にいた群衆はその証しをしていた」とあった。このギリシャ人たちも、イエス様がラザロを生き返らせたことを聞いて、何とかして会いたいと願ったのではないかと推測できる。もしかしたら家族や友人の中に、生き返らせてほしいとか、病気を癒してほしいと願う者がいたのかもしれない。彼らは、そのような思いから、イエス様に会いたいと願ったのであろう。
こうした願いは、12弟子のピリポやアンデレを通してイエス様に伝えられた。イエス様は、彼らに会ったかというと、そうではなかったのである。イエス様は、彼らの切なる願いに応えることはしなかった。イエス様から直接このギリシャ人たちに語られることはなかったのである。間接的にピリポを通して伝えられたイエス様の答えも、ギリシャ人の願いに応えるものではなかった。むしろ願いとは正反対のものであった。しかし、もしかしたら、それであっても、彼らはイエス様を救い主として信じるようになったのかもしれないのである。「あなたがたも、そのようにイエス様を宣べ伝えたらよいのだ」とヨハネは勧めているのではないかと感じる。
今日の私たちも、それぞれ切なる願いを抱いて礼拝に集う。重荷を抱えた人々は、イエス様がラザロを生き返らせたように、奇跡的にその重荷を取り除いていただけたら・・・と願っている。しかしその願いは、直接イエス様に届くことはないのである。ピリポからアンデレを介してイエス様に伝えられたように、2000年の時代の隔てが、私たちとイエス様との間に横たわっている。そして何よりも、イエス様が私たちの願いに直接的にかなう形で応えて下さるということはありえないのである。伝道者としての私は、そこにもどかしさを覚える。「このようなことではどのようにしてイエス様を信じる者が起こされてゆくだろうか・・・」と思い悩む。しかしヨハネは、悩む必要はないのだと励ましてくれているのである。願いがたとえかなえられなくとも、福音書に記されたイエス様の言葉そのものが語られてゆくなら、それはイエス様に会いたいと願った人々の心をとらえ、信仰が授けられてゆくのだと励ましてくれているのである。私たちは、福音書に記されたイエス様の言葉の力を信じて、そのままを語ってゆけばよいのではなかろうか。イエス様の言葉が、今日の私たちの抱いてる切なる願いに応じるものではないということに思い悩む必要はないと思えるのである。
3.このようなことから、なぜイエス様が真っ先に「栄光」という言葉を口にしたかがわかってくる。端的に言えば、それが何人かのギリシャ人の求め願っていたものだったからである。勿論それは、普通の意味で私たちが栄光と考えるものである。それはイエス様が、死んだラザロを生き返らせたことに端的に現れている。しかし、イエス様が口にされた栄光は、それとは正反対のものだったのである。まず、このことを教えようと、イエス様は栄光ということを口にしたのである。
またイエス様は、「人の子」という言葉も、あえて使ったのである。この言葉は、様々な意味での使われ方がされている。詩編8編5節に、次のような有名な御言葉がある。「あなたが御心にとめて下さるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」と。この言葉は、人間全般を言い表す表現なのである。ただ「人の子」と「人」にわざわざ「子」を付けることに現れているように、またこの詩編にも、そのニュアンスが表現されているように、人間の小ささ・卑小さを特に言い表すための表現なのである。イエス様は、まず自身をこのような「人の子」だと言い表した。それだけではなく、人間全般をも、そのように言っているのだと感じる。そしてそのような人の子が、神様の栄光を受ける時がやってきたのだと言うのである。イエス様自身が栄光を受けるだけではなく、その出来事を通して人間全体も、神様の栄光を受ける時がやってきているとイエス様は語っているのである。ただしその栄光とは、ギリシャ人や私たちが考えるのとは全く対照的なものなのである。
4.では、どのような形で、人の子であるイエス様が、ひいては私たちすべてが、神様の栄光を受けるのであろうか。それは、一粒の麦であるような私たちが、死んで豊かに実を結ぶことによってだとイエス様は言うのである。何よりも死ぬことが栄光を受けるときだと。私たちにとっては、他のいかなる時よりも栄光とはかけ離れているとしか見えない死の時が、神様からの栄光をいただく時だとイエス様は言うのである。
イエス様は、しばしば小さな種が蒔かれて、それが成長するたとえの話をした。種は大地に蒔かれてはじめて、土の中で固い殻が破られ、地中の様々な栄養素と反応し、また空気や水や光の影響を受けて、何十倍もの豊かな実りをつける。「死ぬということは、そういうことなのだよ」とイエス様は教えているのである。それは、決して悲しみや辛さや暗い死の出来事に埋められることではなく、死によってのみ受けるところの神様の栄光がある。死ななければ受けられない神様の栄光がある。
そのようなことが、25節の「自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」という逆説的な言葉で言いあらわされている。自分の命を愛するとは、一粒の麦の比喩で言えば、種蒔く人がいつまでもどこまでも一粒の麦を惜しみ、それが自分の手を離れ地に落ち、その中で腐ってゆくのを不憫に思って、自分の手中に留めてしまうことなのである。そうすれば勿論、一粒のままなのである。一粒の種は、土に導かれて何倍もの豊かな実を結ぶ可能性を秘めているというのに、みすみすそのチャンスを奪われて、いつまでも一粒のままにされるのであろう。私たちが自分の命をいつまでもこの地上で長く留まらせ、この地上でのみの幸いや栄光を求めることは、それと同じなのである。それゆえのマイナスは、その他にもある。一粒の麦であることに不安や葛藤を抱く。自分で一粒の麦であるおのれに栄光を与えようとして、無理を重ね、思い患う。一粒の麦であるその固さ・小さな・狭さに支配されていまう。考えることや、その生き方が一粒の麦であることから自由になれないのである。
私たちはそのマイナスに気づいて、それを悲しむ。自分の命を憎むとは、そういう意味だと思う。誰も文字通りの意味で、自分の命を憎める者などいない。しかし、自分の思い煩いや、心配の原因が、一粒の麦としてのこだわり、すなわちその小ささや頑なさからなかなか抜け出せないことにあると気づくなら、そのことに悩むのである。何とかしてそこから解き放たれたいと望むのである。それが自分の命を憎むということではなかろうか。自らの命の営みが、一粒の麦という狭さ・小ささから抜け出れないことを憎み厭う。このような私たちが、やっとこの固い殻から抜け出れるときが、地に蒔かれる時なのである。
5.私は、このイエス様の言葉から、死ぬことについてだけではなく、この世において一粒の麦として生きることへの励ましもいただく。一粒の麦として生きるがゆえのマイナスを、私たちは抱えている。しかし神様は、私たちにこの地上の生涯においては、その小さな固い殻を与えて生きるようにして下さった。そのことには、それなりの意味もあるはずである。一粒の麦としての時期があるがゆえに、その小さな殻の中に様々な栄養を蓄えるということもある。地に蒔かれるまでは、小さな一粒の麦の種のようなあり方をしていてもよいのではなかろうか。
地に蒔かれるときまでは、どのように一粒の麦の種として歩んだらよいのであろうか。25節と26節に、イエス様は「仕える」ということを語いるように思う。そこでイエス様は「わたしに仕えよ」と言っている。具体的にイエス様に仕えるとは、文字通りにはイエス様は目に見える姿ではないのだから、私たちがそれぞれのところで何かに「仕える」というあり方を取ることだと示される。それは、自分の思い通りにはゆかない状況に置かれるということだと思う。この福音書の最後、イエス様がペトロに「あなたは、若いときは自分で帯を締めて行きたいところへ行っていた。しかし年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ行きたくないところへ連れてゆかれる」と言ったことが記されている。このイエス様の言葉についてヨハネは、「ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示そうとして言われた」と解説している。私たちは、他の人に帯を締められ行きたくないところへ連れてゆかれることの中でこそ、神様の栄光を現せるのである。死ぬことにおいて神様の栄光を現せるのである。それは自分考える栄光ではなく、イエス様が、神様が与えて下さる栄光なのである。そのために、それぞれに仕える時が与えられている。病や、思い通りにならない状況や、死の時がそれなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 5月26日(日)復活節第6主日礼拝
20:01主はヨシュアに仰せになった。 20:02イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、 20:03意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。 20:04これらの町のいずれかに逃げ込む場合、その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。 20:05たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない。彼がその隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでもなかったからである。 20:06彼は、共同体の前に出て裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。殺害者はその後、自分の家、自分が逃げ出して来た町に帰ることができる。 20:07彼らは、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライム山地のシケム、ユダの山地ではキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。 20:08エリコの東、ヨルダン川の向こう側では、ルベン族に属する台地の荒れ野にあるベツェル、ガド族に属するギレアドのラモト、マナセ族に属するバシャンのゴランをそれに当てた。 20:09以上は、すべてのイスラエルの人々および彼らのもとに寄留する者のために設けられた町であり、過って人を殺した者がだれでも逃げ込み、共同体の前に立つ前に血の復讐をする者の手にかかって死ぬことがないようにしたのである。
1.8章から19章までには、端的に言えば、イスラエル人がパレスチナ先住民から武力によって土地を奪い取り、それをくじで分けて居住地を決めたというありさまが書かれている。イスラエル人はこれを神様の命令として行った。私たちは、このことをどのように受け止めたらよいのか悩むところである。
ある人々は、これを文字通りに受け止め、今日もなお、イスラエルがパレスチナに対して行うべきであるし行ってよいことだと理解している。しかし私は、どうしてもそのように読むことはできない。聖書の文言としては、例えばエリコを滅ぼすにあたっても、神様は「町とその中にあるものはことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」と言った(6章17節)と書かれている。その後も、同様の命令が繰り返し語られた。これは、その通り読むべきではないかとの問いが、当然、生じざるを得ない。けれども何と言われても、私はこれを、文字通りには読むことはできない。
今から90年以上前に書かれた内村鑑三の文章に、私は心を強くさせられた。内村は「敵に対してヨシュアとイスラエル人が取った道を取ることはできない。そうしようとしても決してすることができない。しかし人生は戦争である。刀をもってする戦争は終わっても、霊をもってする戦争は終わらない」と言うのである。内村は、ヨシュア記が私たちに勧めるのは、文字通りの戦争や土地を奪うことではないと受け止めたのである。信仰の戦いがあり、それは信仰という『領土』を奪い取り守らねばならないためのものだと考えたのである。
私もそのように読みたいと思う。私たちがこの地上の生涯において、信仰者として生きてゆくということは、絶えざる戦争ではなかろうか。それは決して容易なものではない。なぜならば、パレスチナ先住民が数と力で完全な7つの民なのに対し、イスラエル人はどの民族よりも最も貧弱な民だったが、神様の宝物として選ばれたのである。ここに根源的な対立軸がある。私たちがこの世に生きるのは、数と力に頼って生きようとする人々と交じって生きざるを得ないということである。「お前達も俺たちと同じように生きよ」との声が絶えず聞こえてくる。「信仰などというものは、数や力に比べて何と頼りにならないものだ、本当に『貧弱な』より所ではないか」との攻撃が絶えずなされる。その攻撃に対して私たちは、神様の宝物として選ばれたことに頼って生きてゆかねばならない。そこに戦いがある。戦わなければ信仰生活という『領土』を獲得し守ることはできないのである。
2.本日与えられたこの箇所には、「イスラエル人が占領した町々の中に『逃れの町』を作れ」と神様から命じられて、それを実行した様子が書かれている。実は、あちらこちらに、この逃れの町のことは出てきていた。最も詳しくそれが書かれていたのは民数記の35章であろうか。
どのような目的でこの町が作られたのであろうか。3節に「過って人を殺した者が、そこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる」とある。要は、故意によってではなく過失によって人を殺め加害者となってしまった人が、被害者一族からの復讐を逃れるための場所だということである。なお、7節と8節には、具体的にどのような場所に逃れの町が作られたかが書かれている。数えてみると6つす。民数記などの記述によれば、レビ人には、他のイスラエル諸部族に居住地が与えられたのとは違った形で住む場所が与えられていた。他の11族がくじ引きで与えられた土地の中からレビ人に譲るような形で、全部で48の町が与えられた。その48の町の中から6つの町が逃れの町として設定されたのである。
逃れの町が持っていた意義を考えさせられる。文字通りには、ここに書かれているように過失によって人を殺めた加害者が被害者一族からの復讐を逃れるということである。私たちにとっても、過失によって人を殺め加害者となってしまうことは他人ことでは決してない。その一番の可能性は自動車運転によるものであろうか。先日、87歳の高齢者が若いお母さんとそのお嬢さんをひき殺してしまったという事故の報道があった。被害者家族の男性は、「加害者に対して厳罰を望む」と言っておられたとのことである。そうであろうと思う。民事上も刑事上もそれなりの賠償やペナルティを科されることは確かであろう。もしも被害者からの復讐というものが許されるのなら、それがなされてしまうということもないとは言えないだろうとも思う。
しかし、突き詰めての問いは、果たしてこの場合の加害者はそこまでの責めを負わねばならないのかということである。確かに残された遺族にとっては、血の復讐をする以外には、また加害者が厳罰を科される以外には、無念さをはらす方法はない。しかし、そこまでの責めを背負わされるのはどうなのかという問いが残るのである。一昔前であれば、高齢となった者が操ることのできる移動手段と言えば馬車か、あるいは自転車のみであった。しかし今日では、様々な意味で動作機能や認知機能が衰えた者が、まかりまちがえば容易く人を殺してしまう機械を動かしているのである。そのようなちょっと気を抜けば大きな危険をともなうような機械を操らねば生活ができない社会になってしまった。そのような中で、このような事故が、やむなく起きてしまうのである。被害者と加害者という抜き差しならない人間関係の中で、血の復讐という言葉にいみじくも現れているような、本来は背負わされるべきではない責めや責任をとことんまで科されてしまうということがあるのではなかろうか。
これは自動車運転に限らないと私は思う。人対人との人間関係において、意図せずに加害者となることがある。牧師として、知らず知らずのうちに教会員の心を傷つけてしまったことが、幾度もあった。その責めを問われることも多い。人間関係とは、こういうものだと思う。被害を受けた者は血の復讐をしたいと願う。加害者は責任を感じ、必要以上にその責めを負わねばならないと思ってしまう。だから、逃れの町が不可欠なのではなかろうか。それはつきつめれば、人対人という関係が、どうしようもないところにぶち当たってしまったことから離れて、神様との間柄に立つ所だと言ってよいと思うのである。神様との間柄に立って、「もうあなたはその責めを負う必要はないのだ、重荷を下ろしてよいのだ」と言っていただける場所なのだと思う。私自身、そのような逃れの場所を与えていただいたことがある。
3.私たちには逃れの町が本当に必要なのだと思う。それは、私たちがこの世の歩みにおいて背負っている重荷から逃れる場所である。
礼拝に出席している皆さんの中にも、そのような重荷を背負っている方が沢山おられることをいつも思う。先週、ある方のご伴侶が、緩和ケアのために入院されたことを知った。またある方は、礼拝や祈祷会に出席したくとも、それがかなわない状況に置かれている。礼拝に出席している多くの方が、なかなか好転しない症状に悩んでいる。私たちには、何かしら重荷を背負わせている状況がある。そのような私たちに神様は、逃れる場所が必要だと語って下さっているように感じる。「逃げる場所がなくてはやっていけないんだよ」と語りかけて下さっているように感じる。私はそこに慰めを感じるのである。私たちが、もしその重荷や責めをとことん背負ってしまうと、殺され、つぶされてしまうというような、まさに血の復讐を受けてしまうような重荷がある。この世の人間関係や、この世の中での見方しかないところで生きるならば、重荷を降ろすことはできないのである。イエス様は、「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(マタイ11:28)」とおっしゃった。このイエス様との結び付き、また神様との関係の中に生きることが、私たちにとっての逃れの町となるのである。
4.では、具体的にどのようにして逃れの町は設けられたのであろうか。まず、これは何よりもレビ人が住む町の中に設けられた。ここに、とても大きな意味があると改めて思う。レビ人とは、どのような人々であったか。彼らは専ら、礼拝やその儀式を司り奉仕し、また、そのための様々な道具を管理したり修理したりする人々なのであった。その生活は、他の部族からの献げ物に依存していた。勿論、レビ人といえども、この世の中で、人間関係の中で生きてはいたのである。しかし、他のイスラエル人と比べれば、圧倒的に神様との関係の中に生きる時間が大きいのであった。その多くの時間は、些細な小さな日々の神様への奉仕に費やされていた。こうした生き方をしていたレビ人の住む町だからこそ、そこでは人対人の関係において、負うべきでない責めや重荷を背負った人々が、それを降ろして神様との間柄に生きることが可能になったのではないかと思うのである。
牧師に限らず、おおよそ宗教者と呼ばれる者とは、このような生き方をしている者だとしみじみ思う。信仰を持たない人々、この世の関係の中でしか生き得ない人々、また信徒の人々と比べて、私たちは圧倒的に長く神様との関係に生きている。修道院で暮らす者ではないが、しかし、それゆえの特別なあり方が、自ずとあるはずであり、またなければならない。私はどうであろうか。そういうものが、皆さんに感じ取れているであろうか。
そして、皆さんのひとり一人も、レビ人だと言ってよい。このようにして日曜日になると、貴重な休みの時間を裂いて、目に見える形では何ら役に立たないと思われるような礼拝を献げるのである。生涯全体から言えば膨大な時間とお金を教会に捧げることになる。そのような生き方が、私たち自身には感じ取られなくとも、何らをかもし出すことがあるはずである。そのような生き方をする人がおり、またそのような人々が集まる共同体としての教会があるということは、周囲の人々をして重荷を下ろさせ逃れの町となるはずなのである。
そして、突き詰めると『レビ人』とは、イエス様に行き着くのである。イエス様が、先程のマタイによる福音書の中で、なぜ「重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と言ったのか。その理由は、イエス様こそが、逃れの町だからなのである。イエス様がレビ人として生きて下さるからなのである。イエス様にこそ、神様との間柄に生きたがゆえの特別な何かを持っておられるのである。その特別な何かとは、何よりも十字架の出来事にこそ現れていると思う。十字架は、人対人の次元から言えば、またこの世の見方からすれば、まさに血の復讐であり、命を奪われる重荷を背負うことであった。しかしイエス様は、それを神様との間柄において、良きものとして背負い、その点において重荷を下ろすことができたのである。十字架という重荷そのものはなくならなかった。十字架を科されるという人間関係からも自由にはなれなかった。しかし、神様との関係においては、そこから解き放たれ、重荷を下ろしたのである。だから私たちは、イエス様のもとに行くと重荷を下ろせるのである。人対人、またこの世だけに生きることから解かれて、イエス様を通して、神様とのつながりに生きることができるのである。
7節・8節に、とても興味深いことが書かれている。6つの逃れの町のうちの3つが「山地」にあり、一つが「台地の荒れ野にある」と書かれている。最後の「ゴラン」は、よく報道で「ゴラン高原」として聞く場所である。逃れの町とは、山地であり荒れ野であり高原なのである。それは、イエス様の十字架を示すものではないだろうか。人間関係における責めや、この世における重荷から逃れる場所は、暮らしやすい場所や肥沃な土地ではない。イエス様の十字架という荒れ野であり、また私たちひとり一人が科せられる十字架だと思うのである。しかし、そこにこそ逃れの町があるのである。山地や荒れ野に逃れの場所があるとは、何とすばらしい慰めであろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 5月19日(日)復活節第5主日礼拝
03:18子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。 03:19これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、 03:20心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。 03:21愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、 03:22神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。 03:23その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。 03:24神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。
奨励要旨の掲載はいたしません。
神学生 坂井 悠佳
2019年 5月12日(日)復活節第4主日礼拝
12:01兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。 12:02あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。 12:03ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 12:04賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 12:05務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 12:06働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 12:07一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 12:08ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 12:09ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 12:10ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 12:11これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
1.1節の欄外に「霊的な賜物」といタイトルが付けられている。この12章だけでなく、最後の16章を除く15章までのすべての個所が、内容としては、この霊的な賜物について教え勧められている箇所だと言ってもよいだろうと思う。「霊的な賜物」と訳されたギリシャ語のもとの言葉は、「プニューマティコス」という言葉である。「プニューマ」は、霊という意味である。特にこれに「聖なる」という意味の「ハギオス」という言葉がつくと、「ハギオスプニューマ」となり、聖霊という意味になる。「プニューマティコス」とは、プニューマが一杯に満ちている状態、プニューマに満たされている状態を指している。
なぜパウロが12章から15章までの4章も費やして、これについて教えているのか。それは、それほどに「プニューマティコス」ということが、コリント教会の人々にとって大きな関心事であり、また問題を引き起こしていた事柄であったからだと思う。
10章からの流れを少し振り返ってみたい。偶像の神々に備えられた肉を食べてもよいかどうかという問題から派生して、礼拝の中で一緒に食事をする機会であった愛餐会のことが11章で取り上げられていた。パウロは、この11章からの流れから、ごく自然な筆の運びとして、この12章で霊的な賜物のことを取り上げた。私たちには、すぐにはその自然な流れがわからない。しかし書き手であるパウロにとっては、愛餐会のことと霊的な賜物のことは深く結び付いている事柄だと気付いていたのであろう。
愛餐会を巡る問題は、要は食べ物を巡っての問題であった。具体的には、11章21節に「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」とあった。これと根本的に似たような状況が霊的な賜物を巡っても起きていたのだと思う。霊的な賜物をいただくとは、つきつめれば神様からの霊的な食べ物をいただいて霊的な部分でおなかを満たすということに他ならない。霊的な食べ物を食べて、おなかを満たすということについて、愛餐会で起きていたのと、まるで似たような問題が生じていたのであろう。愛餐会で、ある人が勝手に自分の分を食べてしまうように、自分は霊的な食べ物をいただいたのだと自称して勝手にひとりで満足してしまう人がいたのであろう。酔っている者もいたのと同じように、霊的な賜物をいただいたと称してまるで酔っ払っているかのような状態になる人々がいたのであろう。物質的な食べ物を食べることでの問題と、霊的な食べ物を食べることでの問題に、必然的なつながりがあるのを感じ取ったパウロは、ごく自然な筆の流れとして「プニューマティコス」という事柄への記述へと移っていったのだと理解できる。
2.そこで、まずパウロは、「あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れてゆかれたことを覚えているでしょう」と言った。ここでパウロが人々思い出させようとしたのは、コリント教会の人々が、まだクリスチャンになる前に、ギリシャ・ローマの伝統的な神々のところに連れてゆかれて、そこで霊的な賜物を与えられると信じていたことだと思う。6章16節には「娼婦と交わる」ということが書かれている。それは、おそらくギリシャの神々を祭った神殿にいた女性たちとの性的な行為を意味している。そのような行為や、酒を飲むことや、(もしかすればある種の薬物のようなものを使って)エクスタティックな陶酔状態が引き起こされていたのである。まさに11章21節に言われている「酔っている者もいる」のと同じ状態である。そういう状態になることこそが、霊的な賜物をいただいている状態だと考えられていたのである。
ギリシャ・ローマの人々は、長くそうした受け止め方をしてきた。だから、そのような考え方が、クリスチャンになっても抜けなかったのである。ギリシャ・ローマの人々が、なぜ「プニューマティコス」ということを熱烈に求めたかという点は、この手紙全体をずっと貫くテーマとして教えられてきたソーマからの自由ということが深く関係していると思うのである。ソーマとは、体のことである。彼らは「ソーマ・セーマ(体は墓場)」と言って体を忌み嫌った。彼らには、霊肉二元論という考え方が深くあり、肉─ソーマ・体と同義として考えてもよい─が霊を縛って墓場へと引ずりこむので、なんとかしてこの肉・体から自由になることを彼らは切に求めていたのである。肉・体から霊を自由にするのが霊的な賜物なのであった。だから、熱烈に霊的な賜物が求められることになった。だから、特別な状態になって、体の束縛を解かれたように感じられるのが「プニューマティコス」だと受け止めていたのである。
しかし、果たしてそのような状態が本当に私たちをして体の抱えている様々な問題から解放してくれるであろうか。またそのような特別な状態が「プニューマティコス」だと言えるであろうか。私は普段は全く酒を飲まな。糖尿病になってからは、お付き合いの場でさえ酒を飲むことはしなくなった。また、若いときはそうではなかったが、頭痛がひどくなってからは、アルコールを飲んだ後の感じがとても辛い。一時的には、お酒や薬物で体の束縛を解かれたような気持ちになれるかもしれない。しかしその後の副作用はひどいものなのである。そして依存症や中毒へと陥ってしまう。だから、エクスタティックな陶酔状態になることは決して私たちを体の束縛から解放することにはならないのである。
いろいろな問題を抱えている体からの自由ということは、私たちにとっても本当に切なる問題である。体からの自由という切望は、今日の私たちのほうが、2000年前の人々よりももっと強い願いになっているのではなかろうか。人生の様々な場面が思い通りになるようになったのだから、ますます体やそれと連動する心や精神を思い通りにコントロールしたいとの切望は強くなっている。しかしだからこそ、そうできなくなったときの私たちの悩みは深いのである。だから、今日の私たちにとってこそ、霊的な賜物をいただくということは、とても大事な事柄だと思うのである。それはどういうことなのか。体と心において様々な問題を抱える私たちに、霊的な賜物はいかなる支えや力を与えてくれるのか。
3.そこでパウロは、はっきりと「霊的な賜物を与えられるとはどのような状態か」ということを教えた。「ここであなたがたに言っておきたい。・・・とは言えないのです(3節)」とある。神様からの霊的な賜物を与えられている人は、「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないとある。また、「イエスは主である」とは言えないとある。「イエスは神から見捨てられよ」とは、ある種の呪いの言葉だと解釈されよう。これがどのような状況で口にされた言葉なのかは様々な解釈がある。しかし要は、十字架に付けられて殺されたイエス様が、神様から見捨てられ、呪われた存在だと言うということを指している。聖霊の賜物を与えられている人は、そうは言わないというのだから、むしろその反対に十字架の上で殺されたようなイエス様が、神様からの祝福を受けていると言える人が、そう信じることができて、イエス様を自分の主人であると言える人が「プニューマティコス」なのだとパウロは教えたのである。
このことにどれほどの深い慰めと励ましがあるかと改めて思う。私たちは、十字架につけられたイエス様が、神様から祝福された存在であると信じることができている。そして、イエス様を主として信じることができている。それを信じられるということは、私たちにエクスタティックな陶酔するような特別な状態を生じさせるということはない。体が抱えている様々な問題を忘れさせてくれるような効果ももたらさない。文字通りの意味で、私たちを体から自由にさせてくれることではないのである。イエス様の十字架を信じることはできていても、体の辛さから解放されることはない。しかし、たとえそうであっても、イエス様の十字架を神様から祝福された状態であると信じ、イエス様が私の主だと信じられるなら、神様はそこに霊的な賜物を一杯に下さっているのだとパウロははっきりと勧めているのである。ここが大事なのである。
どのような霊的な賜物なのか。イエス様の十字架を、神様から呪われた状態ではなく、神様から祝福されている状態だと信じられることによって、私たち自身がそれぞれ「十字架につけられる」ような境遇に置かれる時を「これは神様の祝福を受けている時なのだ」と受け止められるようになるのである。「祝福を受けている」とは、なかなか思えないかもしれない。しかし、少なくとも苦しみに置かれた時を「神様に見捨てられている」とは思わないようにさせてくれるのである。イエス様も十字架がなくならないようにはできなかった。救い主としての使命を果たすためには、十字架の犠牲が不可欠だった。だから、私たちにも十字架はなくならないのである。神様は、十字架を背負わせたまうことを通して私たちにも大切な使命をなさしめようとするのである。それは苦しみの意味を悟るということである。体が抱える苦しみから自由になることはできない。しかし、苦しみを背負うことの中に意義を見いだすことはできるのである。それこそが聖霊の賜物なのだと思う。
そして、十字架に付けられたイエス様を主人として信頼することができる。自分が主人ではないこと、自分の人生を自分でコントロールすることができなくなったことを受容できる。自分が自分の主人であることに聖霊の賜物を見いだすのではなく、自分が自分の主人でありえなくなった事態にこそ、神様・イエス様からの一杯の贈り物があると受け止めることができるのである。私自身が今そうなのだが、自分の体を自分の思うようにできないことは本当に辛い。食べたい物も自由に食べられない。しかし、そのように私たちが、自分自身が主人である状態を手放さざるを得ない状況こそ、実は神様から祝福されている時ではなかろうか。そう思えるようになるのが聖霊の賜物なのである。
4.もう一点、パウロが「プニューマティコス」な状態として教えているのが4節から7節にかる。ここを読んで気が付かされるのは、聖霊の賜物が与えられたことの現れとして「務め」「働き」ということが語られている点である。7節には「霊の働き」とある。「全体の益となる」こととして現れるとある。
11章21節には、「勝手に自分の分を食べる」とか「酔っている」とある。コリント教会の人々にとって「プニューマティコス」とは、自分ひとりが満ちたり満足し高揚している状態として受け取られてしまっていた。しかしパウロは、「それは違うよ」と教えたのである。むしろ「プニューマティコス」とは、自分自身の満足や高揚から離れて、自分はどうあっても他者に向かうあり方として現れる。その状態は、ソーマが、様々な問題を抱えているのだから、私たち自身にとっては不利益で辛い状態かもしれない。しかし、そこに与えられた神様からの霊の賜物は、全体のための利益となる。皆のために、なくてはならない働きをするのである。イエス様に神様が課した十字架の苦しみは、私たちのためになくてはならない働きをした。務めがあった。そのように、私たちに与えられた苦しみは、だれかのために、また教会のためになくてはならぬ働きや務めを果たすのである。私の苦しみが、一体だれかのために、また教会のためにどんな働きをし、利益となるのであろうか。22節には「体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要なのです」とある。私たちひとりひとりの生涯全体にとって、弱さや苦しみを背負う部分が不可欠であり、家族や教会という共同体にとっても様々な問題を抱えた体が不可欠なのである。そのように受け止められることこそが「プニューマティコス」な状態なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 5月5日(日)復活節第3主日礼拝
12:01過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。 12:02イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 12:03そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 12:04弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。 12:05「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 12:06彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 12:07イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。 12:08貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
1.讃美歌391番の『ナルドの壷ならねど』は、この聖書箇所がもとになって作られた。このナルドとは、聖書辞典によれば、ヒマラヤ山脈の3,000~5,000メートルの高地に生息する「甘松香」という樹木の根から作られる香油とのことである。また、ナルドという語は、サンスクリット語のナラダー(芳しい)に由来しているとのことである。そしてこの香油は、専ら死体の腐臭を消すために用いられていたものだとも言われている。なるほど7節に「わたしの葬りの日のために取っておいた」とある。マリアはこの香油1リトラをイエス様の足に塗り自分の髪でその足をぬぐったとある。1リトラとは、聖書巻末の度量衡表によると約326グラムだとある。イスカリオテのユダの言葉によれば、300デナリオン(当時の1日の労働賃金が1デナリオン)で売れるほどの価値があったとのことである。1リトラのナルドの香油は、300日分の賃金、すなわちほぼ1年分の賃金に相当するほどの高価なものだった。現在の価値で言うと、1グラムが1万円にも値するものだった。
マリアがこの香油をイエス様の足に注ぎかけたとき、「家は香油の香りでいっぱいになった」と3節にある。この場面を記したマタイによる福音書とマルコによる福音書には、この女性のしたことに対してイエス様が「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃったと記されている。ヨハネによる福音書には、このイエス様の言葉は書かれていないが、「世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この香油の香りが香る」と言ってもよいかもしれない。福音が宣べ伝えられるところとは、教会という家、また福音を信じて生きる私たちの人生という家である。そこには、この香油の香りが香っているのである。私たちの生涯が閉じられたとき、漂ってしまう腐臭・嫌な臭いを避けることはできない。しかしそれに勝りそれを打ち消してこのナルドの香油の香りが香ってくれるのだと思う。
2.さて一体私たちは、どのような生き方においてナルドの香油のような香りを放つことができるのであろうか。
同様の場面を記したマタイによる福音書・マルコによる福音書の箇所、それとこのヨハネによる福音書のそれとを読み比べると、ヨハネが特に強調している点が浮き彫りになる(ルカによる福音書にも、ひとりの女性が高価な香油をすべてイエス様に注ぎ尽くしたという記述がある)。最も大きな違いは2点、第一には、マタイとマルコはイエス様に香油を注いだ女性を無名の人としている。しかしヨハネはマルタの姉妹であるマリア、11章に登場したラザロの姉妹のマリアだと記している。そしてその場に、ラザロも一緒にいた。第二には、マタイとマルコは、その場にいた人々や弟子たちがマリアのしたことを非難したとあるが、ヨハネは、はっきりと12弟子の一人であり後にイエス様を裏切ることとなるイスカリオテのユダだと特定している点である。ヨハネはユダについて6節に「彼がこう言ったのは・・・ごまかしていたからである」と厳しい非難を加えている。
このヨハネの記述から、彼はマリアがラザロやマルタと一緒にいたということをとても強調しているように感じる。特に1節と2節に、2回にわたってラザロのことが言及されている。マリアがこのような行為ができたのは、もしかすれば、そこにラザロやマルタが共にいてくれたからではなかろうか。「マリアが注いだ香油は、3人の共有財産ではなかったか」との考察がされている。しかしそれだけではなく、マリアのふるまいは、他の2人がいてくれた故の行為なのだと思う。ラザロとマルタの支援や支えがあったからこそできた行為だったのである。マリアが注いだ香油から香った香りには、実はラザロやマルタの生き方も含まれていた。ヨハネはそういう意図をもって、この1節と2節の記述を記したのではなかろうか。
3.そこで、ラザロが果たした役割に思いを回らしたい。彼については、1節にわざわざ「イエスが死者の中からよみがえらせたラザロ」と書かれている。そこには、大切な意義を持たせているように読み取れる。彼は、イエス様によって死者からよみがえることができた。「そのような経験をした者が、そこにいたのだということから香る香りがあるのだ」とヨハネは語ろうとしたように感じるのである。
死者の中からよみがえることができたという体験は、何を意味しているのか。救世軍の山室軍平の『民衆の聖書』シリーズの解説に、興味深いことが書かれている。ラザロについての伝説を紹介した後に、ブラウニングの詩が引用されている。「ラザロは死んで永遠の世界をいちべつして来て後、その見るもの聞く物が、ことごとく前とは軽重大小を転倒した。すなわち先には非常に大切だと思ったこの世の事物が、今はさほど重要ではなくなり、さきには余計なことのように思われた永遠の事物が、今は何よりも大切なことと認められるに至った」と。これは果たしてブラウニングが創作したものなのか、それともその前に引用されていたように、ラザロに関しての伝説を引用した文章なのか。はっきりしないが、もしかしたらそういう伝説がラザロに関して伝わっていたのかもしれない。死者からよみがえったという経験は、そういう洞察をラザロに与えたということなのかもしれない。
元気なときには姉たちとは全く違ってイエス様に何の関心もいだかなかったラザロだったかもしれない。ところが死んでしまい、イエス様の呼びかけが腐敗してゆく自分にとってなくてはならない声だったと知ったのではなかったか。肉体における死が人間の存在は終わりではない。肉体を失っても、何らかの形で人間の存在は続くのである。もしもその永遠に続く長い時を、ただ腐ってゆくだけの存在として墓の中に閉じ込められてしまうとすれば、それは本当に哀れである。ラザロは、ひしひしとそれを感じたであろう。しかしそこに「出てきなさい」というイエス様の声が聞こえてきた。彼は死者となってはじめて救い主の声を聞けたのである。その声に素直に応じることができたのである。死者となるということが、どれほど人間にとって貴いことか。肉体をもって生きている時には全くわからない貴いものに気づける時か。この世だけの見方・価値判断からすれば、死ぬということほど何の価値もなくまた不幸であると思われる時はない。しかしラザロは、そうではないと知ることができた。そこにこそブラウニングが言うところの『軽重大小の転倒』がある。そこから発するところの香りがある。
4.「マルタは給仕をしていた」とある。「給仕」とは、原文のギリシャ語では「ディアコニア」である。「執事」もまたギリシャ語で「ディアコニア」なのである(ただし新約聖書では、執事だけではなく牧師にあたる語もこう呼ばれる場合がある)。食事の世話をするために、一体どれだけの時間が費やされるものか。1回の準備に平均1時間として1日3回、1年300日として900時間、これを50年間続けると4万5000時間になる。実に1875日分、1年365日に換算すれば何と5年強にあたる。それだけの時間を費やしてディアコニアには何が残るのか。準備には1時間以上かかっても、食べるのに要する時間はほんの15分である。作った料理は、どこにも残らない。すべては食べた者のおなかに消えてしまう。これが給仕・ディアコニアの本質なのである。1年に50数回、聖書研究会の奨励を含めれば100回以上の説教の準備をすることも全く同じディアコニアだとしみじみ感じる。
「マルタとマリア」の物語はルカによる福音書にのみ記されている。そこでマルタは、自分ばかりが食事の用意をしてマリアは何もしないと怒っていた。しかしここでのマルタは、もうそうではない。喜々として食事の用意をしている様子が伝わってくる。彼女をしてそうさせたのは、ラザロではなかったか。永遠の世界をいちべつしてきたラザロは、この世で軽んじられているところの給仕のように、何も残らないことこそが大事だとわかった。それをマルタやマリアに教えることができたのではなかろうか。
こうしたラザロとマルタに押し出されてこそ、マリアのふるまいがあったのである。彼女のしたことは、マルタのなした給仕にもまして無駄で何も残らないふるまいだった。給仕であれば、食事を食べた人のおなかを満たすことはできる。しかし、数日後に十字架の上で殺されてしまうたったひとりの人間に、300万円以上もする高価な香油を注ぎ尽くした。その行為は、何か目に見える効果や結果を生み出すであろうか。しかしイエス様はその行為を喜んだ。イエス様の葬りの日のために取って置いてくれた香油を、先取りして注いでくれたのである。自分ひとりのために、それほどの無駄使いをしてくれたことをイエス様はどれほど喜んでおられたか。12弟子のひとりが自分を裏切ることに勝って、マリアの行為は十字架の上で葬られてゆくイエス様を支え、励ましたのではなかったか。この世の尺度からすれば、何ら評価されもしない無駄な浪費がある。しかしそれがこれから死んでゆく者にとって支えとなり励ましとなることを、一度死者となったラザロは知ったのではなかろうか。葬られる者へ献げられる無駄使いは、決して死にゆく者にとっても生き残る者にとっても無駄になることはないとラザロは教えたのである。
5.ユダは、この家にいっぱいに満ちていた香油の香りに怒った。ヨハネは「彼がこう言ったのは・・・ごまかしていたからだ」と手厳しい批判をしている。しかし私は、ユダが本心から貧しい人々のことを気にかけていなかったとは思わない。また彼が、イエス様から預かったお金を私的に流用していたとも思わない。彼が「イスカリオテ」のユダと言われているのは、ローマ帝国に対する武力闘争をしていたグループであった「シカリ党」の一員であったからだと言われている。彼は、本当は貧しい人々のことを気にかけていた。しかしそのよ行為は、自分たちの運動にひとりでも多くの人々を引き入れるためだったのではなかろうか。そのことのために、イエス様から預かったお金を勝手に流用していたかもしれない。彼の考え方や価値観は、突き詰めると、この一家とは正反対なのであった。人間の幸不幸を、ただこの世の中だけで考えていた。だからこの世の災いを何とかしなければと考え、できるだけ多くの貧しい人々からそれを目に見える形で取り除くことを、目に見える結果を残すことだけを意義ありと考えていたのである。
しかし、このような価値観は、根源的に人間から何か大事なものを奪い、盗むのではなかろうか。彼自身、最後には自らの命を奪った。イエス様が12人の弟子として選んだ者の中に、このような者がいたということは、私たち自身の中にも、このような価値観や考え方があることを示している。だからこそ、家には香油の香りがいっぱいに満ちたということが大事なのである。それは、どんなに私たち自身の中にユダ的な価値観が強くても、信仰者としての私たちの家の中に、この香油の香りが満ちるのをなくすことはできないとのメッセージなのである。私たちはマリアと全く同じように、何百万円をも一度に献げることはできないかもしれない。しかし信仰者として一生涯をかけて献げるものを総計すれば、はるかにそれを越える。それぞれがそれぞれのありかたで教会に仕え、イエス様の十字架と復活の出来事を通して、ラザロのような見方を教えられている。この世における軽重大小の判断とは、私たちのそれとは異なっている。この世的には無駄使いであると見られることこそが、私たちを生かすのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 4月28日(日)復活節第2主日礼拝
07:01イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、更にゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。 07:02ヨシュアはエリコからアイへ数人の人を遣わし、「上って行って、あの土地を探れ」と命じた。アイはベテルの東、ベト・アベンの近くにあった。彼らは上って行ってアイを探り、 07:03ヨシュアのもとに帰って来て言った。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」 07:04そこで、民のうちから約三千の兵がアイに攻め上ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退した。 07:05アイの兵士は、城門を出て石切り場まで追跡し、下り坂のところで彼らを撃ち、おおよそ三十六人を殺した。民の心は挫け、水のようになった。 07:06ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。 07:07ヨシュアは神に言った。「ああ、わが神、主よ。なぜ、あなたはこの民にヨルダン川を渡らせたのですか。わたしたちをアモリ人の手に渡して滅ぼすおつもりだったのですか。わたしたちはヨルダン川の向こうにとどまることで満足していたのです。 07:08主よ、イスラエルが敵に背を向けて逃げ帰った今となって、わたしは何と言えばいいのでしょう。 07:09カナン人やこの土地の住民は、このことを聞いたなら、わたしたちを攻め囲んで皆殺しにし、わたしたちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、御自分の偉大な御名のゆえに、何をしてくださるのですか。」 07:10主はヨシュアに言われた。「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。 07:11イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。 07:12だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。もし、あなたたちの間から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちと共にいない。 07:13立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。
1.エリコを攻め滅ぼすにあたって神様は、「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」と言ったのだった。少なくともヨシュアはそう聞いたのである。恐ろしいことに、これをヨシュアは実行したのである。ところが、滅ぼし尽くして神様に献げるべきものの一部を盗み取った者がいたのである。それはアカンであった。神学校の入学試験に聖書の人物や出来事を答える科目があった。『アカンはあかん』と語呂合わせで記憶したのを思い出した。このアカンのやったことだけが理由ではなかったが、それが一つの理由となってイスラエル人は、アイという町の攻略に失敗し戦死者も出してしまったのである。一気に気力を喪失してしまったヨシュアたちに、神様は「あなたがたがこうなったのは、滅ぼし尽くせという私の命令に従わなかった者がいたからだ。それを一掃しなさい。」と言った。そこでどのような方法かは定かではないが、アカンが命令に背いたということがわかってしまった。アカン一族は、その財産もろともアコルという谷に引き出されて石を投げられて殺されてしまった。
以上が書かれていることの概略である。一体これが今日の私たちに対して何を語りかけてくれているのであろうか。私の手元には、ヨシュア記の解説や注解書が多くあるわけではない。神様にすべて献げるべきとは具体的には1/10献金だと解釈している人もいる。私たちの中にアカンのように惜しむ心があってはならないと勧めるのである。ある解説書では、最もはっきりとこのヨシュア記に書かれていることは文字通りに受け取るべきものではないと勧めている。それは内村鑑三が書いている。1927年の『聖書之研究』の中で彼は、次のように言っている。「以上は、今より3000年前の野蛮時代にあったことである。われら今日のキリスト信者は、敵に対し罪人に対し、ヨシュアやイスラエル人が取った道を取ることはできない。敵をほふるとか、罪人を石にて撃ち殺すとかいうことは、われらがなさんと欲してあたわざるところである。しかしながら人生は戦争である。刀をもってする戦争はやんでも、霊をもってする戦争はやまない。我らにはわれらのエリコがあり、アイがあり・・・」と。なるほどと思う。私も同じように受け取った。やはり私たちにも戦いがあり、戦うべき敵がいるのである。しかしその敵とは、ヨシュア記や次の士師記が描くように、パレスチナ先住民ではない。まして、戦いとは彼らからその土地を取り上げ征服することではない。今日の私たちこそが直面している敵があり戦いというものがある。
2.その戦いとは何かを申命記は教えている。数と力において完全な人々であったパレスチナ先住民の中に、幾多の民の中で最も貧弱であったけれども神様の宝とされたイスラエル人が入ってゆかねばならなかった。神様が繰り返しパレスチナ先住民を滅ぼし尽くせと言ったのは、決して文字通りの意味ではなく、パレスチナ先住民の数と力に頼って生きる生き方に呑み込まれず滅ぼされないように、内面的にしっかりと対決して生きるということである。数と力では全くかなわないけれども、神様の宝ものであるという点によりどころをおいてパレスチナで生きのびてゆくということなのである。その意味での戦いだと言ってよいのである。
けれども、数と力では完璧なパレスチナ先住民の中で一緒に暮らしてゆくうちに、いつの間にかイスラエル人も数と力に頼って勝利してゆくという生き方に汚染されていったのである。実は、それこそがアカンのしたことの根本であり、またアイとの戦い方の間違いの根っこにあることではなかったかと思うのである。そして、今日の私たちが最も戦わなければならない敵も、数と力に頼って生きて行こうとすることではないかと思うのである。そのようにして勝とうとすること、成功しようとすること、勝利し成功することに幸福を見いだそうとする生き方ではないかと思うのである。私自身のこととしても、そのように思うのである。
『認知症カフェ』というラジオ番組の内容を私なりの言葉も付け加えて紹介したい。今や6人に1人が認知症になる時代だというのに、あいもからわず私たちの認知症への受け止め方は「そうなったら人生は終わりだ、生きている意味はない」というような考え方だと、その番組のコメンテイターが嘆いていた。「6人に1人が認知症になるということは、これが決して一部の人だけに起きることではなく、私たちの多くに起きることなのである。それだけ多くの人がそうなるということは、私たちの社会のあり方が大きく問われているし、変わってゆけるチャンスではないか」と。健やかなこと、何の欠陥もないこと、強いことだけが幸福だと思われている社会だが、しかし本当にそうなのか。6人に1人はそうではありえず、4人に1人は糖尿病になり、2人に1人はガンになり、そして1人に1人、つまりすべての人は死ぬのである。そういう時代にあって、いつまでもどこまでも健康であり、何の病気も欠陥もないところにのみ幸福や生きる意義を見いだすのはおかしいのではないか。そういう価値観は破綻せざるを得ないのである。
私自身が最近、糖尿病だとわかり、また何となく頻尿の感じがあるのにも悩まされている。このような状態で、果たしてこれまでのように教区の仕事ができるのかと不安になる。私自身の中に、これまでのように何の心配もなく好きなものを食べ思い通りに仕事に当たりたいという思いがある。病いのない健やかな体で生きることにのみ価値を見いだし、そこにのみ幸福があるという思いからなかなか抜け出すことができない。これが、私自身戦ってゆかねばならない敵なのである。なぜこれが敵なのかと言えば、いつまでもどこまでも欠けのない者でなどあり得ず、幾多の思い通りにならないことを背負ってゆかざるを得ないからなのである。それを受け入れることが私たちの戦いだと思う。どのようにしたら、この戦いに勝ってゆけるのか。どのようにしたら、思い通りにいかない人生を受け入れることができるのか。
3.イスラエル人にとっての、また今日の私たちにとっての戦いとは、このようなものだということがわかった。すると、アカンのしたことの意味、またアイとの戦いに敗北した理由もよく理解できるのではなかろうか。
まずアカンが懐に入れたものは、美しい上着と金銀であった(21節)。それはつまり、金銀や上着に象徴的に示されているようなものに頼って生きようとすることである。そうしたものを持つことに幸いを見いだす価値観である。アカンだけがこのようなことをしてしまったと捉え、アカン一家だけが石で殺して取り除かれた。しかし、アカンだけを責めることができるであろうか。その一家を石で殺してこと足りるのか。そうではないと私は思う。確かに神様に献げるべきものから盗んだのはアカンのみだった。しかし金銀や上着ではないが、パレスチナ先住民から武力によって土地を取り上げ、武力や土地・財産という数や力に頼って生きようとしていたのはイスラエル人全体だった。イスラエル人皆が、パレスチナ先住民から土地を奪い、土地を所有する生き方に幸いを見いだそうとしていたのだから、そこからアカンのような者が生じたのは当然だと言わざるを得ない。
アイとの戦いに見えてくるものも同じである。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。2・3千人が行けばいいでしょう。取るに足りない相手なのですから」と偵察隊が報告し、ヨシュアもこれを受け入れた。数や力を測り、それに頼って勝利しようと考えていた。もっと言えば、勝つということのみを考えていた。ヨシュア記の御言葉そのものは決してそのような書き方はされていないが、私はその記述の背後から、金銀に頼り数や力によってのみ勝とうとすること、そもそも勝つということのみを考えて戦い、生きようとすることそれ自体が敗北をもたらすのだとのメッセージが私には聞こえてくるのである。5節に「民の心は挫け、水のようになった」とある。そもそも勝つということだけを求めて生きるなら、私たちもそうなるのだとのメッセージを聞くのである。
4、だからこそ神様の御心として、アイの戦いにおいて敗北をさせられたのではないかと思うのである。しかしヨシュア記は決して敗北したことをよしとはしていない。イスラエル人は、ただただ勝利することをよしとし、敗北の原因を捜してアカンを犯人として突き止めた。しかし実は、神様の深い御心は、敗北させることにこそあったのではなかろうか。
残念ながらヨシュアをはじめイスラエル人は、そのような神様の深い御心を悟ることはできなかったのである。ただひたすら勝利することだけを求め、敗北した原因を作った犯人捜しをし、アカンを捜し当てて一族を処刑して、それによって取り除くべきものを取り除いたという記述になっているのである。神様もそれをよしとされたというように書かれている。しかし、そのようなことで取り除けるようなものではない。そもそも根源的に取り除くべきものとは、金銀や武力に頼ってパレスチナ先住民から土地を取り上げようという生き方であり価値観なのである。数や力に頼って勝利しようとする生き方そのものが取り除くべきものなのである。
これを取り除くことは容易ではない。この敵との戦いに勝利するのは至難の業である。私たち自身の中に取り除くべき敵が深く深く巣くっているのである。これを石で除去することはできないのである。私はここにこそ、イエス様の十字架の死の意味があると示されるのである。突き詰めて言えば、イエス様は十字架の死によって敗北を引き受けて下さった。私たちのこの世の人生が敗北によって終わることをはっきりと突き付けて下さったのである。敗北に終わる人生を逃れることはできない。しかし、敗北に終わるところにこそ復活がある。敗北がなければ復活はない。敗北の象徴である墓がなければ復活はない。私たちの中にある取り除くべきものとは、滅ぼすべき敵を撃つ石とは、イエス様の十字架と復活という出来事なのである。それは確かに私たちの敵を撃つ石だが、私たちを殺してしまう石ではない。私たちを生かす石なのである。私たちをして、それぞれに与えられた十字架を引き受けることができるようにさせ、金銀や武力によってではなく、イエス様の十字架と復活に頼って生きるようにさせて下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 4月21日(日)イースター礼拝
16:01安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:02そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:03彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:04ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:05墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:06若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 16:07さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:08婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 4月14日(日)棕櫚の主日礼拝
11:27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。 11:28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。 11:29主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。 11:30そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。 11:31わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。 11:32裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。 11:33わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。 11:34空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。
1.棕櫚の主日は特別な礼拝の日である。イエス様が、過越の祭が始まろうとしていたエルサレムに入ったとき、人々が棕櫚の葉っぱを持って出迎えた(ヨハネによる福音書 12:12、なお新共同訳には「なつめやしの枝を持って」)とあることから、昔から棕櫚の主日と呼ばれてきた。イエス様は、この週の木曜日の夜に弟子たちとの最後の食事(最後の晩餐)をし、その後に逮捕され、裁判にかけられ、金曜日の昼頃に十字架にかけられた。そして日曜日の朝早く、遺体の葬られた墓に行った女性たちが、復活を伝えたのである。このようなことから、棕櫚の主日から始まる1週間は、受難週と呼ばれている。
コリントの信徒への手紙(1)の11章27節から29節に「従って・・・飲み食いしているのです」とある。この27節と29節の聖句は、よく耳にする箇所だと思う。日本キリスト教団の式文として、聖餐式の「序詞」の中で読み上げるべき聖句としてあげられている。「・・・その測ることのできない愛と恵みとを私たちの心に刻み付けるために主は聖餐を制定されました」の後に、新共同訳とは少し違うが「ふさわしくないままでパンを食し、主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。また、主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分に裁きを招くと勧められています。」と続いている。
私は、郡山教会で牧会していたときから、そしてこの教会での聖餐式においても、29節の御言葉を意図的に省いている。27節の「ふさわしくないままで」という言葉も、しばしば誤解されて受け取られることが多い。ましてや「裁きを招く」という言葉は「愛と恵みとを私たちの心に刻み付けるために」制定された聖餐式において口にするには、それこそ「ふさわしくない」と思う。もし朗読するならば、十分な説き明かしが不可欠だと思う。それがないままでこの御言葉だけが読まれたならば、聖餐式が裁きを招く機会として受け取られかねない。
「ふさわしさ」は、全く本来の意味とは違って受け取られてきた。実際に私は、郡山教会の信徒の言葉として耳にしたことがある。その信徒は、聖餐を受ける朝に、夫婦ゲンカをしたという。それでその日の聖餐を受けるにふさわしくないと思って、実際に受けなかったという。ここでの「ふさわしさ」とは、それは言葉としては確かにそのような受け止め方で間違いはなかろう。しかしそれは、パウロが意図していた意味とは、全く違うのである。この信徒は、単に主観的にしか、単に気持ちの問題としてしか捉えていなかったのである。「ふさわしさ」を、そのように捉えたがゆえに、洗礼を受けていなくても、その日の礼拝に出席して、ぜひとも聖餐を受けたいと思うなら聖餐を受けてよいとする教会が、日本基督教団だけではなく全世界においても、そのような教会が増えてきたと聞く。この「ふさわしさ」もまた、極めて主観的な・気分的なものと思わざるを得ない。
2.そもそもパウロは「ふさわしさ」とは一体どのようなものだと言ったのであろうか。28節に「自分をよく確かめて」とある。自分のどのようなことをよく確かめればよいのであろうか。私たちのどのような状態が、聖餐を受けるにふさわしい状態なのであろうか。23節から26節をもう一度振り返ってみると、よくわかってくると思う。23節から26節に書かれているのは、パウロ自身が先達者から伝え聞いてきたところの最後の晩餐のありさまである。そのれが元になって聖餐式という儀式が、その時代から2000年後の今においても、ずっと守られてきているのである。この最後の晩餐に込められた意義を知ると、聖餐を受けるふさわしさが、どのようなことかが、よくわかってくる。
はっきりとしたイエス様自身の意図により最後の晩餐の食事は、過越の祭の食事として守られたのである。イエス様は最後の晩餐を、わざわざ過越の祭の食事として守ることに、とても大事な意味を持たせようとしたのである。過越の祭とは、今から3500年近い大昔に、エジプトで奴隷だったイスラエル人が、とても不思議な形で、そこを脱出した出来事を記念して、彼らの正月として、長い間守ってきた。過越の祭の食事で決定的に大事なものは、小羊が犠牲とされることであった。それは、イスラエル人がエジプトから脱出したときに、小羊の犠牲が決定的な役割を果たしたことに由来している。犠牲として殺された小羊の血をイスラエル人の家々の入り口の柱や鴨居に目に見えるように塗ったことにより、『滅ぼすもの』という存在が過ぎ越していった。小羊の犠牲の血を塗らない家々には『滅ぼすもの』が入り込み、災いをもたらした。しかし、それを塗ったイスラエル人の家々は『滅ぼすもの』が過ぎ越していったのである(出エジプト記12章)。イエス様が最後の晩餐で、パンと杯を取り「これはあなたがたのための私の体である」と言い、「私の血によって立てられる新しい契約である」と言ったのは、過越の出来事に基づいて、はっきりと自分自身をこの小羊に重ね合わせて、「自分の体や血という犠牲が、弟子たちや、後々の者を『滅ぼすもの』から救うのだ」とのイエス様の意図が伝わってくる。
ここにこそ、私たちが聖餐を受けるときの『ふさわしさ』がある。それは、私たちが『滅ぼすもの』から救われてゆくためには、イエス様の犠牲がなくてはならないという重大な思いである。「思い」という点では、確かに、「今日は夫婦ゲンカをしてきたからふさわしくない」とか「今はぜひ受けたい」とか、そのような「思い」と、主観的なものとしては同じだと言えよう。しかし、「私が救われるためには、イエス様の犠牲がなくてはならない」という思いは、もっともっと重大なレベルのものではなかろうか。私は医者嫌いで、頭痛のための薬をもらう以外は、ほとんど病院には行かない。しかし今度ばかりは観念して、医者のところへ行った。それは単なる気分の問題ではない。病院に行き、医師の診察を受け、必要な治療を施されるという客観的な行為として現れてくるものを含んでいる。
3.私は、私たちがイエス様の犠牲をいただくということを、ドナーの骨髄や臓器の移植を受けることにたとえて理解している。私たちは、心も体も病んでいる。そのままでは『滅ぼすもの』に滅ぼされてしまう。だから、そのような意味できわめて健康なイエス様から、病いも汚れもない骨髄や臓器の提供を受けねばならないのである。しかしそれは、単に私たちの勝手な気分でなされるものであろうか。「今日は受けたい」、「今日は受けなくともよい」などと言えるものであろうか。ひとりだけではなく、何人もの医者によって客観的な診断を受け、移植の必要があると認められた上ではじめて臓器移植はなされる。そこには、ドナーとなる人の命の犠牲がかかっている。だから移植手術を受ける側にも、それなりの客観的なふさわしさというものが必要なのである。だからそれと同じように、イエス様の犠牲をいただくことにふさわしい客観的なふさわしさというものが必要なのではなかろうか。
私たちの信仰の歴史において伝統的に、それが洗礼なのだと理解されてきた。受洗準備会では、「洗礼とは、出エジプトのときに小羊の犠牲の血が、入り口や鴨居に、誰の目にもつくように塗られたように、イエス様の犠牲が、多くの人々の前で塗られるということです。だから洗礼は、原則こうして礼拝に集まった人々の前でなされます。」と必ず伝えている。洗礼の水は、イエス様の犠牲の血をあらわしており、それを注がれることは、言わばドナーとしてのイエス様の犠牲が移植されたことの現れなのである。洗礼を授けられたということは、客観的に、皆の前で、「私は生涯にわたってイエス様の命を犠牲として与えられねばならない病人です」と言い表し、その後の生涯を臓器移植を受けた患者として生きてゆくことを表している。臓器移植を受けた者は、生涯にわたって免疫抑制剤を飲み続けなければならないという。聖餐を受けるということも、そうである。洗礼においてイエス様の命を犠牲の移植を受けたという決定的な事実に立って、生涯に何度もイエス様の犠牲をいただくことが繰り返され、深められてゆき、ますますイエス様の犠牲をいただかねばならない者としてのありかたを強めてゆくのが聖餐なのである。移植を受けた者にふわさしいケアや治療を、生涯にわたって受けてゆくことになる。これが聖餐なのである。洗礼という生涯でたった1回きりの、イエス様の命を犠牲としていただくという大手術があって、それを受けたという体や心の前提があってはじめて、その後に聖餐においていただく犠牲が意味を持ち、体や心に有効に作用するのである。このように洗礼と聖餐とは、分かち難く深くつながっているのである。これを切り離すことはできないのである。「ふさわしさ」とはこのようなことなのである。
4.だから28節の「自分をよく確かめて」の意味は分かっていただけたと思う。それでは、29節の「裁き」という言葉はどのように理解したらよいのか。また30節はどう捉えたらよいのであろうか。伝統的には、式文の序詞として27節と並んで朗読されるべき聖句として掲げられていることからわかるように、この言葉も聖餐式についてのものとして理解され、ふさわしくないままで聖餐を受ける者は裁きを招くのだと読まれてきた。もし30節をそれにつなげれば、その裁きは「弱い者や病人」を生みだし、多くの者を死なせることにもなろう。果たしてふさわしくないままで聖餐を受けるなら、こういう裁きが生じるのだとパウロは勧めているのであろうか。
コリント教会では、聖餐式と一般の食事である愛餐が混然一体としてなされていたので、パウロの勧めが一体どちらを対象として教えられたものなのか、区別がつかない。17節欄外のタイトルに『主の晩餐についての指示』とある。しかし17節から22節までに語られているのは、主の晩餐、すなわち聖餐式のことではなく、愛餐のことなのである。新共同訳の編集者でさえ17節から22節を、聖餐式と愛餐をまぜこぜにして読んでしまったようなのである。27節と28節には「パン・杯」という言葉があることから、これは聖餐式についてのことだと読んでいいと思う。しかし29節は「主の体のことをわきまえないで飲み食い」とあることから、これは愛餐のことを言っているものとして読むべきなのである。
聖餐式と愛餐とは密接につながっている。聖餐式においてイエス様の命を犠牲としていただいた者同士は、いわばひとりのドナーの命や臓器を一緒にいただいて生かされている、まさにイエス様の血を分けた兄弟と言えよう。そうであるならば、自ずとその体の状態、経済的な状況、この世における生活状況にも当然心配りがなされてしかるべきできないかとパウロは勧めていたのである。そのようなことが29節でも勧めてられているのである。「聖餐において主の体をいただいている者同士として(「主の体をわきまえる」者同士として)、愛餐において飲み食いしなさい。お互いの体や生活状況に対して兄弟姉妹としての配慮を欠いているがゆえに、あなたがたの共同体に弱い者や病人や死んでゆく者が大勢出るのです。それは、聖餐共同体と愛餐共同体がばらばらになっているあなたがたへの神様の裁き・ペナルティだということです。しかし、裁きを受けるからこそ、真剣にその問題に立ち向かうことができるようになるのです。」と。私も糖尿病との診断を受けて、これまでの早食いや炭水化物盛りだくさんの食事のことをやっと改めることができた。同様に、教会の中に、もしも弱い者や病人が沢山いて、その人たちが、何の助けもいただけずに死んでしまうという状況があるなら、それは教会が重大な問題を抱えているとの裁き・ペナルティなのである。しかしそれを通して教会は、その問題に気づき、それこそ医師である神様とイエス様の診察を受け、ふさわしい治療を受けられるようになるのであろう。裁きとは、そのような恵み深い意味を持っているものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 4月7日(日)受難節第5主日礼拝
11:17次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。 11:18まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。 11:19あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。 11:20それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。 11:21なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。 11:22あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。 11:23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 11:24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 11:25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 11:26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
1.11章17節欄外のタイトルに『主の晩餐についての指示』とある。22節までに取り上げられている問題は、直接には『主の晩餐』─私たちが今は聖餐式と呼んでいるもの─についてではなく、愛餐と呼ばれる食事に関してのことである。それと深くつながることとして、23節以下に聖餐式のことが書かれている。初代教会の礼拝では一緒に食事をすること、すなわち愛餐会と呼ばれることが、とても大事にされていたようである。どのような形であったかはわからない。もしかすれば礼拝そのものが、人々が一緒に食事をする中で守られていたのかもしれない。そして、それと混然一体とした形で、儀式としの聖餐式も守られていたようである。この愛餐会のあり方に、大きな問題が生じていた。21節に「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」と書かれている。このような形で、自由が行使されていた。「自分が持ってきた物を自由に食べて何が悪いか」という主張がされていたのであろう。このために、「あなたがたの集まりが、良い結果よりはむしろ悪い結果を招いている(17節)」といった状態になってしまっていた。礼拝に集うことが、かえって互いの溝を深くし、対立をあおるような結果を招いていたのである。
2.このことからまず大いに考えさせられた点があった。集まることが、かえって良い結果ではなく、悪い結果を生み出してしまっているということが、古今東西、私たちの教会でも、ずっと繰り返されてきた。私自身、そうした現実を数多く見聞きしてきた。私の父は秋田の教会で、長く役員をしてきた。その教会の移転問題を巡って、牧師や他の役員と対立し、私が郡山教会の牧師となり秋田県から郡山に転居してくるまで15年近くにわたって、教会を離れてしまっていた。また、私が神学生として教会生活を送っていた東京のTという教会でも、あるいは東北教区のHという教会でも、牧師に辞任を求める人々と、それに反対をする人々で教会は激しく争っていた。そんなありさまを見るにつけ、私は「一体なぜ教会は、争ってまで集まるのか」という疑問を抱いた。17節にあるように、集まることが、かえって良い結果よりも悪い結果を生じさせている教会が余りにも多いのである。そんな教会の現実に辟易し、また大きな失望を抱えて、教会生活から離れてしまう人々も多い。一人静かに聖書を読み、祈り、礼拝のインターネット中継で見て、それで良いではないかという人々もいる。気の合った者同士だけで集まって礼拝のようにしている人々もいる。そんな疑問から、私の神学大学での修士論文は『教会はなぜ集まるのか』を探求しようとしたものであった。ここまで悪い結果を生じさせても、なお信仰者は集まるべきなのであろうか。集まることが信仰生活の本質なのであろうか。私なりに得た答えはイエス、すなわち「集まるべきである」だった。
3.今私が掲げた問いに、ここでパウロは直接答えているものではない。しかし、間接的にではあるが、「なぜ私たちは集まらねばならないのか」ということに答えてくれていると思うのである。23節から26節まで記されている聖餐式の由来となっている最後の晩餐の様子が、それである。
ここに書かれているのは言うまでもなく、今日の私たちが聖餐式を守るときに必ず『制定語』として牧師が読み上げるものである。イエス様は、自身の受難の時を、過越の祭の中に求めた。それはイエス様自身の明確な意図であった。だからイエス様が、弟子たちとなされた最後の食事は、過越の祭において守られた。イエス様は、そこに決定的に大事な意味を持たせた。パンについてイエス様は、「これは、あなたがたのための私の体である」と言った。ぶどう酒の入った杯についてイエス様は、「この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である」と言った。このイエス様の言葉から、ひしひしと伝わってくるのは、これから十字架の上で裂かれるイエス様の体が、過越の祭の食事で裂かれるパンであり、また犠牲として屠られた小羊の肉なのだという思いである。また、ぶどう酒は、その小羊の血であり、その血がイスラエルの人々の家々の入り口の柱や鴨居に塗られることによって『滅ぼすもの』が過ぎ越していったことを、イエス様は明らかに思い起こしておられた。イエス様は「小羊たる私の流す血によって、私が犠牲となることによって、あなたがたは滅ぼす者から救い出され神様との新しい間柄、つまり契約関係に入れていただけるのだよ」と考ておられたのである。
ここに、私たちの信仰の最も根幹となる部分があると私は思うのである。まずここにこそ、私たちが集まる必然性が含まれていると改めて感じるのである。最後の晩餐には、私たちがイエス様の犠牲をいただく者なのだという根源的な関係が示されていた。私たちはイエス様の犠牲をいただく者でなければならない。それを抜きにしては、私たちの信仰は成り立ち得ないのである。では、私たちが具体的にイエス様の犠牲をいただくということは、一体どこで成立するのであろうか。私たちは具体的に、どのような場で、イエス様の犠牲をいただくのであろうか。それは私たちがたった一人で聖書を読み祈ることで可能であろうか。インターネットで礼拝を見ることで可能であろうか。
なぜ私たちは集まらねばならないかを教えるイエス様の最も大事な言葉のひとつは、マタイによる福音書の18章20の言葉である。イエス様は「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」と、私たちに教えた。なぜ最小でも二人の人間が集まることが必要なのであろうか。なぜそこにしかイエス様はおられないのであろうか。それは、目には見えないイエス様に代わって、誰かが私たちに、イエス様の犠牲のしるしであるパンや杯を与えることが絶対に必要だからなのである。聖書の御言葉を説き明かし、神様の恵みを与えてくれる存在が不可欠だからなのである。ひとりでは、自分が自分に与えることしかできない。しかしそれでは、「これはあなたがたのための」と言って、自分を犠牲として与えて下さったイエス様を記念することにはならない。教会とは、私たちが他者から『与えられる』共同体なのである。与えてくれる他者を通して、イエス様を記念し、思い起こす共同体なのである。だからこそ集まらねばならないのである。最小でも二人、与える者と与えられる者との関係が不可欠なのである。もし集まらないなら、それは「私には、もはや与えられる必要はない」という態度を表していることになる。「自分はひとりで足りているのであって、誰からも与えられる必要などないのだ」との態度の表明である。しかしそれは、私たちのために犠牲となって下さったイエス様を不用とする態度である。それは「これは、あなたがたのための」と言って命をかけて下さったイエス様を拒む態度なのである。それは信仰者の有り様ではない。
4.私はしばしば、イエス様の貴い犠牲をいただいて救われ癒される者となった私たちを、イエス様からの命をかけた臓器提供を受けた移植患者にたとえる。私たちは、イエス様の臓器移植を受けた患者同士なのではなかろうか。そこには何とも言えない結び付きが生じている。なぜなら私たちは同じひとりの人の命の犠牲をいただいて生かされている者同士なのである。その結び付きは、たとえば、ある人の移植を受けた部分が不具合を起こしたようなときには、今度は私がドナーとなるようなことを意味している。骨髄移植を受けた人の血液型が変わることがあると聞いたことがある。ドナーとなった人の血液型に変わるのだという。だとすれば遺伝子レベルでも変化し、同じドナーから移植を受けた者同士が万一の時には互いに移植しやすいことも生じるのではなかろうか。そのようにして、移植を受けた者同士が助け合うのである。
最後の晩餐の制定語においてイエス様は、「あなたがたのための」と言っている。それは文字通りには、弟子たちが複数いたことによる言葉である。しかしそれ以上に「あなたがたは私の犠牲を、複数で、『あなたがた』と呼ばれる者として、同じ仲間として受けなさい」との心が込められているように思えてならない。それによって、同じく移植を受けた者が、もし不具合を抱えるなら、今度はあなたがドナーとなりなさいとの心が示されているのである。受洗準備会の時に「なぜ私たちが集まるか」を学ぶ上で必ずふれるイエス様の言葉は、ルカによる福音書の22章32節の言葉である。イエス様は、ペトロがイエス様を知らないと言ってしまうことを予告しながらも、彼は必ず立ち直ることも告げた。そしてイエス様は「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言った。ペトロが立ち直るのは、ただイエス様によってであった。ペトロは自分で自分をそうすることはできなかった。そしてイエス様から与えられたものによって立ち直ることができたなら、今度はそれをもって兄弟たちを力づけることができる。与えられたものをもって、今度は自分が与えるものとなるのである。イエス様から与えられた者との根源的関係が、今度は与える者となるという有り様へとつながってゆく。だから集まることが不可欠なのである。
5.パウロは、このように聖餐式の制定語を教えて、それを土台にして一緒に食事をする愛餐会のありかたをただしたのである。教会はあくまで聖餐共同体なのであって、それは愛餐会を守ることとは何の関係もないとよく言われる。たとえば、「教会の中に経済的な格差があって、礼拝に集う者の中のある人が、たとえ空腹を抱えていたとしても、それは教会が礼拝共同体であり聖餐共同体であることと何の関係もない」と言われることがある。しかし、パウロが聖餐式と深く結びついたものとして愛餐会のありかたを取り上げ、礼拝に空腹を抱えたままで放置されている人のことを聖餐式と深くつながっていることとして取り上げているということをよく考えていただきたいのである。パウロは「どんなに聖餐式をりっぱに守っていても、それと分かち難く結び付いている愛餐会で貧しい人が空腹を抱えているのを放置している教会をほめるわけにはいきません」と叱っているのである。
私たちが集まるのは、何よりもイエス様が私たちに与えて下さったことを記念するためである。誰かが与える者となって、イエス様を想起する。そして、与えられた私たちは、今度はお互いに与える者同士になる。与える者同士になり、互いに力づける者となるためには、この世の食べ物によって養われる健やかな体であることも、当然に含まれているのではなかろうか。だれかを信仰において力づけてゆけるには、体の面でも元気でなければできない。聖餐共同体であるということは、この世の食事を共に食べるということと分かち難く深くつながっているのである。その点への配慮を欠く教会であることはできないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 3月31日(日)受難節第4主日礼拝
06:01エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった。 06:02そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。 06:03あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。 06:04七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。 06:05彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」
1.ヨシュア記6章に書かれているこの出来事は、旧約聖書の中でも、とてもよく知られた有名なエピソードである。エリコの町の城壁が崩れ、イスエラル人がこの町を占領することができたという。かつてこの町に、イスラエル人の斥候2人が遣わされた際、彼らをかばった女性ラハブの一家は難を逃れた(2章)ということも、22節以降に書かれている。1930年代に行われた考古学調査によればエリコの町は、紀元前1400年頃に、恐らく地震によって崩落し、その後には大火にみまわれたようである。ヨルダン川がせき止められたという不思議な現象も、上流の崖の崩落によって引き起こされた歴史的事実がわかっているという。
ヨシュアが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ(17節)」と命じ、それが実行された。「男も女も、若者も老人も、また・・・剣にかけて滅ぼし尽くした」と書かれている(21節)。これを一体どう受け取ったらよいのか。申命記7章2節にも、モーセが伝えた神様の言葉として、「パレスチナ先住民を滅ぼし尽くさねばならない」とあった。「パレスチナ先住民を滅ぼし尽くせ」と、神様もしくは指導者が語る場面は、ヨシュア記の中に何度も出てくる。
福音派(聖書を、書かれた文字の通りそのまま神様の御心として読もうとする教派の人々)による旧約聖書注解全集(いのちのことば社刊)には、この箇所について次のように書かれている。「(この戦いは主の戦いであって)主の戦いにおいては、敵の人民、所有物は、すべて主に帰するものとして滅ぼし尽くさねばならない。そこには、人間的な同情心とか、貴重品をこわすのは惜しいという愛着心は許されない」と。そして、この絶滅のことを『聖絶』と表現している。ここには「はたして、神様自身が、このような命令を下すであろうか」といった問いは一切ない。人間的な同情心によるものとして退けられている。私には、このような理解は、到底受け入れられない。今から3千数百年前の虐殺が聖なる絶滅として大いに称賛されるのであれば、今もまたこれからも、同じような絶滅や虐殺が、神の命じる聖なることとして称賛されることとなるであろう。「私たちの信じる神様が命じることならば良くて、他の神々が命じることならばテロや虐殺として許されない」ということでよいのか。
2.もし仮に、神様自身が「滅ぼし尽くせ(申命記7章)」と言ったのならば、その御心は決して文字通りに剣にかけて本当に殺すことを意味しているものでは決してないと、私は理解する。神様の御心の根底には、エリコの町やパレスチナ先住民の生き方や価値観というものが、イスラエルの人々を呑み込んでしまうということがあったのだと思う。滅ぼし尽くされるのは、むしろイスラエルの人々の側だったのである。その価値観とは、申命記7章の言葉で言えば、「あなたに勝る数と力を持つ7つの民」という表現で言い表されている。エジプトを脱出し、その後アラビア砂漠を40年間も彷徨った難民としてのイスラエル人であった。彼らは、巨人のようだと描かれていたパレスチナ先住民と比べれば、圧倒的に少数者であった。むしろ滅ぼされ尽くされてしまうとしたら、それはイスラエル人のほうであった。だから、そうならないように厳しく対峙し(実際は滅ぼし尽くすことなどできないのだから)、内的な意味で、また精神的な意味で、エリコやパレスチナ先住民の生き方や価値観を「滅ぼす」ということなのである。つまり、それは彼らの生き方や価値観に呑み込まれないようにしっかりと否定してゆくということを、意味しているのだと思う。
では、エリコの人々やパレスチナ先住民の生き方や価値観とは、どういうものだったのか。それは、1節の「城門を堅く閉ざす」という言葉や、2節の「エリコとその王と勇士たち」という言葉に言い表されているのだと思う。それは、自分たちの生活を、城門を堅く築いて武器を持った勇士によって守ろうとする生き方である。すなわち、自分たちがこれまで築いてきた生活が守られることが幸いだという価値観である。このような生き方や価値観は、旧約聖書において絶えず神様によって批判されている。イザヤ書45章1節後半から2節にかけてに、こうある。「(神様が油を注いだキュロスという人によって)扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える」と。「私たち自身が王様となり武具を備えた勇士となって城門を築いて自分を守ろうとする生き方は、必ず神様によって破られる。しかし、破られることによってこそ、実はそれまでは私たちにはわからなかった宝や富を発見する機会となる」とイザヤは語っている。
こうしたことから、城門を築き武装した勇士によって生活を守ろうとするのは、何もエリコやパレスチナ先住民の人々だけではなく、イスラエル人もそうなのであり、ひいては私たちすべてがそうなのだと気づく。もし、これを文字通り「滅ぼし尽くさねばならない」としたら、私たち人間すべてが滅ぼし尽くされてしまわなければならないことになる。滅ぼされねばならない生き方は、私たちすべての中に深くふかく存在している。決してエリコの人々だけがそうだったとは言えない。私たち自身は滅ぼされる側にはいなくて、ただエリコやパレスチナの人々だけが滅ぼされる側の者だという解釈をしてはならない。私たち自身の内奥に、滅ぼされねばならないものが存在しているのである。
3.この聖書箇所が「私たちがどんなに城門を堅く閉ざして自分自身が王や勇士になって侵入者から身を守ろうとしても、神様はそれを打ち破る」ということを教えようとしていると受け止めることができる。また、エリコの町は城門を堅く閉ざして、王や勇士を配置して神様の御業の侵入に刃向かった。だからこそ、被害も甚大だったのである。城壁は崩れ、ほとんどの人が犠牲になってしまった。そのように、私たちも城門を堅く閉ざし、王や勇士を配置して神様がなさろうとする御業に抵抗してしまうなら、むしろかえって被害は甚大になってしまう。悲惨さが増してしまう。どんなに城壁を堅くしても、それを破る神様の御業がある。神様はどのような城門をも壊してしまう。そうであるならば、神様の御業を受け入れたいと思う。むしろ、そこに幸いがあると信じて受け入れたいと思う。
私たちの周囲の至るところで、城門を堅く築き勇士となって戦おうとするがゆえに甚大な被害を被っている人々がいるように思う。イザヤ書65章17節から25節までの中に「神様に選ばれた私たちの一生は木の一生のようになる」という、不思議な御言葉があった。文字通りの意味は、木のように長生きをするということであろう。樹木がなぜ500年も1000年も長生きするのか。そこには、木の多くの部分が死んでいるからだと書かれていた。とても驚いて記憶に残っている。死んだ部分は固くなって木を支え、あるいは管の役目を果たして水や栄養分を送る働きをする。木には死んでいる部分があってはじめて、長生きができるのである。神様の御業とは、比喩的な意味で私たちにも様々な意味での『死』というものを生じさせ、それがあるからこそ、私たちは花を咲かせたり実を付けるということがあるのではなかろうか。私たちがどんなに城門を堅く築いても『死』は入り込んでくる。私たちはみな、若いまま健康なままではいられない。しかし、そのことことにこそ、木の一生のように「生きる」ということがあるのではなかろうか。それが神様の御業ではなかろうか。
4.エリコの城壁を崩す神様の御業は、イスラエル人が7人の祭司に先導されて契約の箱を担ぎながら、1日に城壁を一周し、7日目には7周した。そのことをきっかけに起きたとの御言葉から示されることである。聖書には7という数字が何度も出てくる。ヨハネによる福音書にも、イエス様の奇跡が7回記されている。7という数字はとても幸運な、祝福された神様の御業の訪れを告げる数字である。確かに目に見える現実としては、エリコの城壁が崩れ、人々は災難にあった。私たちも、様々な試練にあい、多くのものが失われ崩壊してゆく。しかし、それはすべて7という数字のもとになされるところの、私たちに幸いをもたらす神様の御業なのである。イエス様が7度の奇跡をなされて、私たちを救い癒されたように、私たちを祝福して下さる神様の御業なのである。
7日目に7周するということが、堅く閉ざされていたエリコの城壁を崩したというところに、わたしはとても深い意味を感じる。7日目の7周とは、明らかに安息日を象徴的に指している。創世記2章1節には、神様は創造の7日目に、「ご自分の仕事を完成され・・・安息なさった」とある。契約の箱を担ぎながら7日目の7周をゴールとして歩むということは、神様の創造の7日目の『安息における完成』という、ある意味では、大いに矛盾するようなことを担ぐことを意味している。それこそが、エリコの町の人々にしても私たちにしても、城壁を堅くして自分を守ろうとする生き方を崩してゆくのである。崩すことで入り込んでくるのは、決して破壊ではなく、創造の御業なのである。私たちを7という数字で祝福して下さる神様の創造の御業なのである。
城門を崩す神様の御業を、このように私たちを祝福する幸いの訪れと受け取れることが、とても大事ではなかろうか。そのために大切なのは、私たちも、7日目に7周というリズムによって生きる、すなわち7日目毎に礼拝を献げる歩みをすることが、とても大事だと思うのである。私たちが7日目毎に礼拝を守るということは、神様の創造のリズムと連動し呼応して生きるということである。こうして、たとえ城壁が崩れようとも、それはまことに幸いな神様の御業として受け入れるようになれるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 3月24日(日)受難節第3主日礼拝
11:38イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 11:39イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 11:40イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 11:41人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 11:42わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 11:43こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 11:44すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
1.11章にはこのようなことが記されている。ベタニヤ村に、マルタとマリヤという姉妹(この二人は新約聖書に登場する女性たちの中では名の知れた人々である)がいた。ラザロとは、その姉妹の兄弟であった。ラザロは、おそらくは、マルタとマリヤの兄ではなく弟ではなかったかと私は想像する。そのラザロが、重病になってしまった。そこで二人の姉は、他所にいたイエス様のもとに使いを送って「あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えた。「早く見舞いに来て下さい。できることなら彼の病気を治してください。」と願ったのであろう。11章5節には、念を押すかのように「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」とある。そうであるならば当然、病気の知らせを聞いたイエス様は、ラザロのもとに駆けつけるであろう。しかし、イエス様は「この病気は死で終わるものではない」と言い、ラザロのもとへすぐに行かずに二日間も、そこに滞在した。そうこうしている内に、ラザロは死んで埋葬されてしまった。そこにやっと、イエス様が来た。マルタとマリヤはいろいろな嘆きや恨み節を口にした。そのあと、この38章に続いてゆくのである。
ヨハネによる福音書には、イエス様が行った不思議な働き─奇跡─が全部で7回書かれている。ラザロが生き返ったことを伝えるこの出来事は、その一連の最後、すなわち7番目にあたる。私たちにとっても7という数字は、ラッキーナンバーとされている。それはもともと聖書に由来する感覚なのかもしれない。聖書においては、7という数字は完全数である。この福音書を書いたヨハネにとって、このラザロの生き返りの出来事は、イエス様がこれまでなさってきた奇跡の完全版のような意味をもっていたのかもしれない。ヨハネは、福音書の総まとめのような意味を持つエピソードとして、これを記したに違いない。それではこの出来事は、どのような意味で7つの奇跡の総まとめなのであろうか。
2.読んでみると、7つの奇跡には幾つかの共通点があることに気づかされる。その共通点が最も強くはっきりとした形で出ているのが、このラザロの出来事なのではなかろうか。このラザロの出来事に最もはっきりと表れている共通点は、3つある。
第一の共通点は、イエス様が不思議な働きをするにあたって、その当然の前提として、困ったことや難儀さを抱えた登場人物が描かれている点である。最初のカナの結婚式では、ぶどう酒が足りなくなったという困ったことから始まって、その難儀さは徐々に深まっていった。そして7番目の出来事に至っては、とうとうラザロは死んでしまい、あまつさえ生きている人間にはいかなる手出しもできない状況として、墓に葬られ腐敗さえ始まった状況であった。
この状況をとても象徴的に表しているのが、38節から41節で3度にわたって言及される「石」という言葉だと強く感る。ラザロが葬られた洞穴の墓の入り口は、石でふさがれていた(38節)。イエス様が「その石を取りのけなさい」との言葉に、マルタは「主よ、4日もたっていますからもう臭います」と答えた。「いまさら何をしてももう無駄なのです」という思いが、ひしひしと伝わってくる。これに対しイエス様は、「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」と言った。そこで人々はやっと石を取りのけたのである。墓穴の入り口を石でふさぐのは、ごく当たり前のことだった。私はそこに、大事な人を失ってしまった私たちが、そのことに対して抱く、いかんともしがたい重々しい悲しさのようなものを感じる。私たちは、最愛の者の死を、どうすることもできない。最愛のものを失った人の心には、動かし得ようもない重い石が置かれてしまうのである。私たちには、その石を取りのけることはできない。7つの奇跡に登場する人々は、皆がこのような重い石を置かれてしまっていた。生きて行く上で、そのような石が覆いかぶさっている・・・私たちは皆そういう者ではなかろうか。自分の力ではどうしようもできない重い石をのせられている者なのである。
3.二番目の共通点は、このような石でふさがれている私たちのもとにイエス様が来て「それを取りのけよ」と言ってくださることである。「主よ、4日もたっていますからもう臭います」「何をしても無駄です」「この重い石を取りのけることなどできません」と言っても、「信じるなら神の栄光を見ることができる」と励まし、石を動かせて下さる。人々が石を動かし、41節にあるようにイエス様が祈りを捧げ、「ラザロよ出て来なさい」と声をかけて下さったことで、ラザロは生き返ったのである。
私がここで特に心を動かされた点は、勿論全体の主人公はあくまでイエス様であるのだが、そこに私たち人間の果たす役割も、大事なものとしてあるということなのである。驚くべき奇跡が始まってゆくのは、イエス様が墓場に来て、腐ってゆく死体に「出て来なさい」と声をかけて下さったことによる。しかし、イエス様の驚くべき奇跡が表れてゆくためには、私たちの側の行いも決定的に大事なのである。「信じるなら神の栄光が見られると言っておいたではないか」とのイエス様からの励ましを受けて、大きな石を動かすことが大事なのである。
最初の奇跡であるカナの結婚式においても、同様のことがあった。あるときのイブ礼拝で、そのことに心を動かされたと、ある人が私のメッセージへの感想を下さった。足りなくなったぶどう酒を与えられようとしたとき、イエス様は、わざわざ召し使いに空の器にただの水を汲ませた。そのただの水がおいしいぶどう酒に変わった。人々にやらせなくとも、イエス様なら自分の力で石を動かすこともできたはずである。しかしイエス様はそうはしなかった。「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」というイエス様の言葉を信じた人々が石を動かしたのである。そのことがイエス様の祈りを呼び起こし、ラザロへのイエス様の声かけへとつながっていったのである。
私が心を動かされたのと同じようなことを感じた人がいた。救世軍の指導者であった山室軍平の聖書注解全集『民衆の聖書』の『ヨハネ伝』において、彼はこんな解説をしている。「『天はみずから助ける者を助ける』。わたくしどもが何事にもその人事を尽くして天命をまつ覚悟が大切である。イエスはラザロの墓のかたわらに立ち、彼をよみがえらせようとするにあたり、まず『石をのけよ』と傍人に命じたもうた。これはどこまでも、人間にできるだけのことはさせた上で、その及ばぬところのみを、神のみ力にまかせようとのおぼしめしであったようにみえる。」と。そして彼は、その後にやはりカナの婚礼の出来事を記しているのである。
奇跡を起こす主人公は、あくまでもイエス様である。イエス様がいなかったならば、私たちが何をしようと何も生み出すことはできないのである。しかし、信じて水を汲み、石を動かそうとするなら、それは起こるのである。私たちにどんなに重い石がおおいかぶさっていたとしても、それは動かされてゆくのである。この奇跡物語が私たちに語りかけてくれることは、私たちに最も強く明確に促して下さることは、「あなたがたにも石を動かすことができるのだよ」という励ましであると感じるのである。さまざまな重い石を前にして、私たちはマルタのように「もう4日もたっていますから臭います。何をしても無駄です」と言ってしまう。しかし私たちにも、その石を動かすことはできるのである。そして、私たちがそうすれば、イエス様は、今はもう目に見える形でその姿を見ることはできないが、天におられるイエス様は、天から私たちのために祈って下さり、ラザロの墓の石が取りのけられていったように、私たちにも何かが起きてゆくのである。
4.イエス様が「出てきなさい」と声をかけると、その声に応じて「死んだ人が、手と足を布で巻かれたまた出てきた」というのである。これが、7つの奇跡物語に共通するそしてラザロの物語に最も完全にはっきりと表れている3番目のことである。イエス様の関与と祈り、そしてそこに私たちのささやかな働きが加わることによって、もはやただ腐敗していくだけの存在だったはずの死人がイエス様の言葉を聞き、応答することのできる者とされるのである。
私は「ラザロ型」という信仰のタイプがあるのではないかと昔から思ってきている。女性は、聖書のマルタとマリヤを通して、誰々はマルタ型だとか誰々はマリヤ型だとかということを耳にしたことがあるのではなかろうか。信仰者として、どちらかと言うと行動的に奉仕することに喜びを見いだすマルタのようなタイプと、マリヤのようにただじっと礼拝を守り祈ることに喜びを見いだすタイプがあるとよく言われる。しかし、私はもうひとつ、彼女たちの兄弟であるラザロ型というものもあるのではないかと思うのである。新約聖書に登場する女性たちの中で、マルタとマリヤは良く知られている姉妹である。それなのに、なぜかその兄弟のラザロのことは、ここだけにしか出てこない。マルタとマリヤが何度もイエス様をその家に迎えたのに、その時ラザロは一体どうしていたのであろうか。これは私の勝手な想像だが、もしかしたらラザロは、姉たちに反発しイエス様の話など聞こうとしなかったのではなかったか。ラザロは、生きていて元気なうちはイエス様を信じることができなかったのではなかったか。しかし、死んで腐り始めてゆく者となったとき、はじめて自分を呼んで下さるイエス様の声に素直に従うことができたのではなかろうか。死んでこそイエス様の声を聞き、それに応答し、イエス様を救い主として信じる・・・それが私の思うラザロ型である。
「死んで腐ってゆく者になど、もう何の価値があるか」と世の多くの人々は思っている。墓に葬って、重い石を乗せて、封をしておくしかない存在だと思っている。しかし決してそうではないと、この出来事は語りかけてくれるのである。むしろ、死んだ者こそが、誰よりもイエス様の声を聞き分け、腐ってゆく自分に絶対に不可欠な声と、そうでない声を聞き分けることができるのである。この世で生きている時には、様々な声や思いが邪魔をしてイエス様の声を救い主の声として聞き得ない私たちである。しかし死んでこそ、腐敗してゆくだけの者となったときにこそ、はじめてその自分になくてはならない声としてのイエス様の呼びかけを受け止めることができるようになる。この福音書の5章25節に「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。その声を聞いた者は生きる。」とある通りである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 3月17日(日)受難節第2主日礼拝
16:09人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。
29:18幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。
1.私たちの筑波学園教会の創立は1978年3月21日である。創立記念日礼拝ではいつも、その年度の年間主題聖句を読む。今年度の聖句は、旧約聖書の箴言から2箇所。私たちは、これら二つの聖句を合わせて『幻を抱いて一歩一歩を』という標語を掲げて歩んできた。なぜ聖書のひとつではなく、わざわざ二つの言葉を掲げたかという点に大きなポイントがある。
まず、29章18節に「幻がなければ民は堕落する」とある。一体なぜ幻がなければ民は堕落すると言うのであろうか。ここでいう幻という言葉は、しばしば誤解される。幻とは、私たち人間が勝手に抱く見果てぬ夢のようなものとして受け取られてきた。そのため、幻を抱くことが、かえって私たちや教会を滅ぼしてしまったという歴史がある。しかし注解書によれば、ここで幻と訳された原文の言葉の本来の意味は、預言者に神様が与えたメッセージや将来のビジョンを指すというのである。別の言葉で言うと「啓示」であると解説されている。54年版の口語訳聖書では「預言がなければ」と訳されていた。これが、どういう意図なのか、この新共同訳では「幻」と訳されている。一体どこに、そのような訳があるのか、未だに不明であるが「幻なき民は滅びる」とも翻訳されているという。
2.さて、ここで語られていることが、本来は神様が示して下さる将来のビジョンなのだということがわかった。そこから、それがなければ私たちが滅びてしまうということ、堕落してしまうということは、よく理解できると思う。神様が示して下さる将来のビジョンが「ない」という状態は、たとえて言えば、真っ暗闇の海の上を、目当てとする星も灯台も何にもない状態で進むようなものであろう。一体自分たちがどこを目指して進んでいるのかということが、全くわからない。自分たちがどこへ向かうべきかということが、しっかりとわからなければ、ただただ、自分たちを取り巻いている現状に左右され、とんでもない方向へと舵を取ってしまうかもしれないのである。
私の勝手な想像であるが、この箴言の御言葉が語られたのは、バビロン捕囚の最中であったかもしれないと思うのである。半世紀以上、バビロンに捕虜として抑留されていたの状況が、一体どういう未来につながっているものなのか、この苦難を通して自分たちにどんな将来が与えられているのかがわからなければ、ただただ捕虜として抑留されている現実だけに左右されてしまう。目の前の現実にのみ左右されてしまうことは、結果的にはイスラエル人を滅ぼしてしまうことになったであろう。祖国を滅ぼした憎きバビロニアの人々への復讐心に翻弄されてしまったかもしれない。そのような彼らに必要だったのが、神様から示される将来のビジョンだったのである。
エレミヤ書29章10節以下には、「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。・・・わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」とあった。幸い現在の向こうに、希望あふれる将来があるとの幻とあいまって、10節の前の段落では、バビロンに連れてゆかれたら、そこに家を建て、妻をめとって子をもうけ、平和に過ごしなさいと語られている。決してバビロニアの人々を憎んだりテロを企てたりしてはならないと語られている。このような神様からの語りかけがあったからこそ、イスラエル人は半世紀以上の抑留生活を耐え得たのではなかったか。どれほど神様自身が示して下さる幻というものが不可欠であったかが、よくわかる。
私は今日の教会にとって、どれほどこのような幻が不可欠かとしみじみ感じるのである。先日、教区の主事に、関東教区全体として、この10年間教勢がどのように推移しているかを調べていただいた。現住陪餐会員も、経常収入も、いずれも約1割弱減少しているとのことだった。私たちの教会も、おそらく同じことが言える。今後ますますその傾向は強まってゆくであろう。その先にどういうことが待っているのか。よく言われるように、もしこのまま教会が消滅してしまうというような将来のビジョンしか抱けないならば、私たちはこの現状に右往左往し、すぐ後に述べるような目の前の事態への対策に走ってしまうことになる。この現状にのみ支配されてしまう。そうであればこそ、不可欠になるのは、神様自身が示して下さる将来のビジョンなのである。神様が私たちに抱いておられるのは、たとえ教勢が右肩下がりのものであったとしても、災いの計画ではなく、平和の計画なのであり、将来に希望を与えるものなのだと、しっかりと示されねばならない。
これは、教会にとってだけではなく、私たち一人ひとりの人生にとってもそうなのである。私自身、先日、糖尿病の宣告を受けた。皆さんは「何をおおげさに」と言われるかもしれない。しかしこのようにして、ひとつひとついろいろな辛い宣告を受け、これまで持っていた健やかさやプラスをひとつひとつ失ってゆくのである。私たちの人生そのものが、右肩下がりなのである。そうであればこそ、その将来に希望があり神様が私たちに計画して下さっているのは、災いではなく平和の計画なのだと知ることが不可欠なのである。ひとつひとつ失ってゆくことの中にも、神様の良き計画があると知ることが不可欠なのである。そういう意味での幻がなければ、私たちは滅びてしまうのである。
3.幻がなければ民は堕落するとは、もともとはこのような意味なのである。しかし、最初にも申し上げたように、この言葉は、しばしば曲解されて読まれることが多かったのである。
私の前任地である郡山教会では、クリスチャンで精神科医師の工藤信夫先生を、特別伝道集会の講師として三度ほど招いた。最近では、あまり工藤先生のお名前をお聞きすることがない。先生は、10数年前までは、とても積極的に教会のありかたに対して、非常に鋭い批判を口にされておられた。いのちのことば社発行の21世紀ブックレットのシリーズに、工藤先生の『これからのキリスト教- 一精神科医の視点-』という著書がある。その第2章に『信徒の苦しみ』と題されたた箇所があった。工藤先生主宰の学びの会に出席したある信徒のレポートが紹介されていた。かなり長い文章なので、ごく部分的に引用して紹介したい。それは「30年余り続いた教会生活に終止符を打つことを決意した終止符を打つことを決意した」という文章から始まっている。なぜそのような決意に至ったかというと「私の求める、神を知り神と共に歩もうとする姿勢が、教会生活を続けることによってかえって妨げられ、神を見えないものにしてしまう」からだという。「牧師は企業経営者のようになってしまい、人数の増加を願い、また不思議に思うくらい献金のアピールに力が注がれる。集まってくるひとりひとりが大切にされず、教会を建て上げるための手段として酷使される。そして会衆に向かって語られることばは、『幻のない民は滅びる』といったもので、偏った聖書解釈がなされてゆく。」というのである。箴言29章18節の御言葉がこのような形で用いられてきた実際がわかる。その幻とは、神様自身が示して下さったものではなく、企業経営者のようになってしまった牧師が抱く野望のようなものなのである。このような幻は、それが抱かれることで、かえって教会や信徒を滅ぼしてしまうものなのである。だから、本当の意味で神様が示して下さる将来ビジョンを抱くということがとても大切なのである。
4.それはどのようなものなのか。年間聖句としてもうひとつ掲げた箴言16章9節の御言葉が、それを示してくれている。、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」とある。明らかに対句となっている。「人間の心は・・・」とは、まさに幻を抱いてしまう私たちのことではなかろうか。それに対して神様が私たちに備えて下さる道とは、一歩一歩のものだと言うのである。これは、直接的には神様が与えて下さる将来というものを示すビジョンではなく、将来へと向かうプロセスのありかた示して下さったものである。しかし私は、一歩一歩というのは、プロセスだけではなく、教会の将来像の根源をも指し示して下さるビジョンではないかと強く感じるのである。一歩一歩とは、ひとりひとりということにも通じる。また、ささやかさとか、小ささにも通じる言葉だと思う。教会がどこへ向かえばよいのかとの問いに、神様は、ひとりひとりが、あるいは小さなささいなことが大事にされてゆくありかたであると教えて下さるのである。
確かにこの先、教会は右肩下がりが続き、どんどん小さくなってゆくことは否めないかもしれない。しかしそれは逆に、牧師がひとりひとりの信徒に向かい合える機会を増やしてゆくことになるのではないだろうか。先々週の牧師相談日、教会でおひとりの方と面談をいたしました。その定められた時間が終わってから「ぜひ訪ねてほしい」とお電話があった方を訪問しました。そのようにして、ひとりの人と向かい合い、その方のお話しに耳を傾けることによって、牧師は励まされ慰められるものだと改めて感じることができた。個別にお訪ねをするとなると、勿論、そのために時間を裂かねばならない。お話を聞いた後、その足で専門家を訪ねてアドバイスを受けた。家に帰ってきたのは、もう夜の8時近くだった。しかし、これが牧師の務めだと喜びを深くしたのである。
新年度の総会には、懇談会でも素案を示したように『支援基金』制度を始めることを提案したい。前任地の郡山教会で、同じような制度をつくったときにも、何か教会全体というようなことを考えての制度とか、ましてや教勢拡大という目的のために始めた制度では決してなかった。具体的に、ひとりの会員の困難に、どのように教会が応えてゆけるかを模索して始めた。今回の支援基金制度も同じである。執事や私の頭の中には、具体的に、ある何人かの会員のことがある。普段はあまり助けは必要ではないが、2年か3年に一度、どうしても急な出費が生じることがあり、それを賄うことができないという。何とかそれを援助してゆきたいと思う。先週の水曜日から急遽、聖書研究祈祷会を教育会館の1階ではなく、礼拝堂の玄関ホールにしている。それもまた、電動車椅子で来られるたったひとりの人の利便に応えようとしたからである。もちろん、誰の反対もなかった。
教会が将来どのような方向に向かうのか、この先どうなってゆくのかについて、神様がはっきりと示して下さるビジョンは、教会がこのように一歩一歩、一人ひとりを大事にする信仰共同体としてある限り、決して廃れることなどないということである。過日の聖書研究祈祷会で、新聞の書評で見かけて読んで心を打たれた『しょぼい起業で生きてゆく』という書名の本を紹介した。その本は、しょぼい生き方こそが私たちを生き延びさせてゆくことだというメッセージにあふれていた。著者は、慶応大学を卒業し、自分は周囲の人と同じように会社に入って働くことはできないと思って、50万円ほどの手持ちのお金で、自分の住んでいる家でリサイクルショップを始めたという。そこに集まってきた人達が、自分たちでご飯を持ちよって食べ始めたところから喫茶店がはじまり、それが何店舗かに増えていったという。人が集まるのは、何をもってかと言うと「何となく楽しそう」という感じが漂っているからだという。最後に、同じような起業をした人との対談の様子の記載があった。そこでまとめとして「丁寧に草むしりをする」ということが書かれていた。この教会も、草むしりのような小さなことを大切にする教会でありたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 3月10日(日)受難節第1主日礼拝
10:23「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 10:24だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。 10:25市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:26「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。 10:27あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:28しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。 10:29わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。 10:30わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。 10:31だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 10:32ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。 10:33わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。
1.「これは偶像に供えられた肉です(28節)」という言葉がある。パウロが語ろうとしていたのは、コリントにあった偶像の神々に供えられた肉を食べることを巡って、コリント教会に起きていた問題についてである。8章でも同じ問題が扱われていた。当時コリントの市中で売られていた食肉の中には、神々への犠牲として捧げられた動物の肉を食肉業者に払い下げたものがかなりあったようである。おそらくユダヤ人からクリスチャンになったであろう人たちは、そうした肉を食べることについて大きな良心の呵責を感じていたのである。他方、それに何の抵抗も感じない人たちもいた。彼らは「すべてのことが許されている」すなわち「もはや自分たちには、あれこれ食べてはいけないというタブーや禁忌はない」と声高に主張し、堂々と胸を張って神々に供えられた肉を食べていた。そして、食べることに良心の呵責を感じていた人々を信仰の弱い人だとみなし見下していた(8章7節以下に何度も「弱い人」という表現が出てくる)。見下された人々は、そうした肉を平気で食べる人を憎々しく思っていたに違いない。こうしたことから、コリント教会の中で、両者は対立し溝が大きく深くなっていた。
パウロは、それを何とか解決したかった。25節から30節までの部分は、偶像に供えられた肉を食べてもよいのか食べない方がよいのか、パウロの本意がどっちなのか、解釈に迷う文章である。ただパウロの思いとしてはっきりしていたのは「すべてのことが許されている」とは言っても、しかし「すべてのことが(教会にとって)益とはならないし、私たちを(教会を)造り上げるわけではない」ということだった。すべてのタブーや禁忌から解き放たれたということをもって、「ユダヤ人にも、ギリシャ人にも、神の教会にも・・・惑わす原因にならないようにしなさい(32節)」とパウロは語りかけたのである。
2.パウロは「すべてのことが許されている」という主張を引用しつつ、「しかし」という言葉をこれにつなげている。彼は「すべてのことが許されている」という主張を否定的に受け取っている感じが否めない。私がまず感じさせられたのは、クリスチャンとなった人々が「すべてのことが許されている」と言えるようになったのは、どれほどすばらしいことであったかという点である。今から2000年前の時代にあっては、どれほど希有なことだったかという点なのである。そのすばらしい恩恵を、今も私たちは受けているということをまず感じるのである。
クリスチャンとなる前のユダヤ人が、どれほど数多くのタブーに取り囲まれていたかは言うまでもないことだと思う。とくにレビ記から申命記の中には、沢山の食べ物や生活習慣に関するタブーが、これでもかこれでもかと書かれている。今日なお、刑務所の中の受刑者のためにさえも配慮せざるを得ないほどイスラムの人々は厳格に守っている。それは、レビ記11章などに記されている食べ物に関するタブーである。11章3節に「地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ完全に割れており、しかも反すうするものである」とある。9節には「水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものは・・・食べてもよい。しかし、ひれやうろこのないものは・・・すべて汚らわしいものである」とある。12章には、出産した女性の汚れについて規定されている。
クリスチャンたちは、このようにユダヤ人が先祖代々大事にしてきたタブーを守らなくなってしまった。その後、7世紀に生まれたイスラム教は、ユダヤ人以上に厳格に守るようになった。私たちからすれば「何と不自由なことか、強制された生き方であろうか」と思うが、ユダヤ人やイスラムの人々は、決して不自由だとか強制されているなどとは言わないだろう。彼らにとっては、タブーを日常生活の中で守ることは喜びなのである。バビロンに捕囚とされたユダヤ人にとって、たとえ自分たちがバビロニア王の捕虜であったとしても、日常生活において神様の言葉に従ってタブーを守って生きてゆけることに神様との結び付きを見いだしたのである。今のイスラムの人々も、そうなのだろうと想像できる。ますます神様以外の者が、私たちを支配し動かしている時代なのである。そのような社会にあるからこそ、わずかなことを守ることで神様と切っても切れないつながりを得られるなら、それこそが喜びなのである。断食を守り、ハラルという食べ物を食べ、ベールを被り、様々なタブーを守っている人々を、決して軽蔑などしてはならないのである。
3.しかし、私たちクリスチャンは、タブーを守るユダヤ人と袂を分かち、イスラムの人々とは違う道を歩んでいる。私たちは、あのようなタブーから解き放たれた者なのである。タブーを守り、律法の行いをすることに神様とのかけがいのないつながりを見いだすということは、ある意味で理解できる。しかしそれは、イエス様の時代のファリサイ人のように、もしタブーを踏みにじってしまった場合には、神様から見捨てられ罰を受けるという信仰にならざるを得ないのである。私が役員をしているFVIという団体「『声なき者の友』の輪」の主宰者である神田英輔牧師のエチオピアでのエピソードにあった。干ばつで苦しむイスラムの村長に灌漑設備を作ろうと声をかけたところ「自分たちは神様から呪われてこうなったのだから、何をしても無駄だ」との答えが返ってきたそうである。ここに神様との関係を、タブーを守るということに見いだす信仰の側面を見てしまう。おそらくギリシャ・ローマの人々にも、伝統的な神々との関係において、このようなタブーがあったはずである。それを守れればよいけれども、守れなければ神罰を受けるという信仰である。
こういう信仰からクリスチャンは解き放たれたのである。解き放たれたのは、言うまでもなくタブーを守ることや律法の行いをすることに神様とのつながりがあるのではなく、ただイエス様との信仰におけるつながりにおいて、すなわち人格的な結び付きにおいて、私たちは神様とつなげられていると信じられたからである。もしイエス様が私たちにそれを示してくれていなかったならば、私たちは未だに様々なタブーのとりこになっていたであろう。2000年前の人々を捕らえていたタブーとは違う極めて現代的なタブーのようなものが今日あると改めて思わせられる。2000年前の人々は、それぞれの信仰において、その信じる神様との間にこうしたタブーがあった。今日の私たちにも、私たちが信じ頼る『神々』との間柄においてこうした強いタブーがあるのではなかろうか。「こうでなければならない」という強固な縛りがあるのではなかろうか。
過日、朝日新聞のコラムに、認知症になったからこそ、老いたからこそできるようになることがあるとの記述があった。しかし今の時代を支配しているタブーは「認知症になるのは不幸だ。老い、病気になるには不幸だ」という縛りである。いつまでもどこまでも健康でなければならないという縛りである。あたかも健康や長生きという『神々』を礼拝し頼っているようである。
先々週久しぶりに病院で診察を受けた。医師から感じたのはその「ねばならない」だった。健康診断もろくに受けていない私を、あきれるような目で見ていた。しかし、どれほど頻繁に健康診断を受けていても、半年に一度人間ドックに入って全身くまなく調べるような人でも、ガンになってしまうという現実がある。病むときは病み、認知症になるときにはなってしまう。何よりも大事なことは、そうしたマイナスを与えられても、そうなってこそでき、わかる幸いがあると思えることである。健康でなければ、豊かでなければ、仕事をちゃんとしていなければ不幸だという縛りから解き放たれていることなのである。2000年前、イエス様が来て下さって、私たちがイエス様を信じ頼れるようになって解き放たれたのは、まさにこのような縛りからなのだと思う。
4.パウロは「せっかくイエス様によって様々なタブーや縛りから解放されたというのに、その生き方が、あなたがたや教会を益するものとなっていないではないか。あなたがたを造り上げることになっていないではないか」と言っているのである。「せっかくタブーから解き放たれたのだから、その生き方をあなたがたや教会にとって益となり造りあげるようなものにしなさい」とパウロは勧めている。では具体的にどういう生き方が、私たちの益となるのか。24節にあるように「だれでも自分の利益ではなく他人の利益を求め」るのである。また33節にあるように「自分の益ではなく多くの人の益を求めて、全ての点ですべての人を喜ばそうと」することによってである。ここに勧められているのは、決して特別な生き方ではないし、難しいものでもないと私は感じる。
イザヤ書61章1~11節に教えられたことがある。バビロン捕囚から故郷に帰ってきたイスラエルの人々は、遅々として廃墟となった故郷の再建が進まないことに悩んでいた。そのような彼らに、神様は61章の4節で「彼らはとこしえの廃墟を建て直し、古い廃墟の後を興す」と言った。廃墟を建て直すということは、「造りあげる」ということであろう。では一体イスラエル人が何をすることが廃墟の再建となるのか。お金や再建物資を集め、人を動員することであったか。しかし神様はそういうことは全く言わなかった。ではどういうことか。イスラエル人が遣わされていって貧しい人や困っている人を助け喜ばしてやることによってだと言うのである。遣わされるということは、再建に悩む自分たちの目の前の問題から一旦離れるということであろう。そして、自分の問題ではなく他の人が抱えている問題にかかわるということである。捕虜だったバビロニアから帰ってきて、やっと生きているような自分たちに、どうして他人を助ける余裕があるのかと思ったかもしれない。しかし、遣わされてそうすることが、なぜか結果的には廃墟の再建につながるのである。そのことが「あなたがたをしっかりと造り上げることになってゆくのだ」と神様は言うのである。ないない尽くしの私のようなものが、誰かを助けることのできる者とされる。その内面的な喜びや生きがいが、ハード面における廃墟の再建へと結果的にはつながってゆくのだと思う。私たちに益となるものを与え、人生をしっかりと造り上げられるようにして下さるのである。
私たちの周囲には、私たちのような者であっても、このような私たちの来訪によって助けられ、慰められる誰かが必ずいる。それが私たちの益となり、私たちを造り上げることとなるとのだと、パウロは勧めているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 3月3日(日)降誕節第10主日礼拝
05:13ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると、 05:14彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、 05:15主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。
1.神様の使いが、抜き身の剣を持ってヨシュアに出会ったという。神様は、一体どのような御心から、このようなことをヨシュアにしたのであろうか。旧約聖書には、この他に2カ所、神様の使いが抜き身の剣を持った姿で現れたということが書かれている。3度もあるというのは、神様がそういう姿をもって人々に接したことが、比較的よくあったということではないかと思う。
神様は、一体どのような意図をもってヨシュアに、このような姿で現れたのか。それを考える上でヒントになったのは、「ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて見ると」と13節にある。エリコのそばにいたヨシュアが一体どんな思いでそこに滞在し、目を上げて何を見ていたのだろうかと想像する。考古学的な調査によれば、エリコという町は、紀元前7000年にはすでに町が作られていたという。壊されてはまた新たに作られ、そうした歴史を積み重ねてパレスチナの中でも最も大きく堅固な要塞都市のような町がつくられていったのではなかろうか。6章1節には「エリコは、・・・城門を堅く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった」とある。このような大きくて堅固な要塞のような町を、ヨシュアは目を上げて毎日見ていた。その気持ちは暗澹たるものではなかったか。「一体どのようにして、この高くそびえ立つ堅固な城塞都市を攻めることができようか」と。町を見上げれば見上げるほど、それとはまるで対照的な自分の小さな・無力さばかりに気づかされる。私たちにも、しばしばそういうときがある。余りにも大きくて難儀なものを見上げてしまうとき、私たちは自分の無力さばかりを思って意気消沈してしまう。
2.このようなヨシュアを、この状態から抜け出させるためにこそ、神様は抜き身の剣を持った男という姿をもって彼に現れたのである。ヨシュアは、いつも、そびえ立つエリコの城壁ばかりを見上げていた。しかしこの時目に入ったのは、さやから剣を抜いて、今にも自分に切りかかってこようとしているような不気味な男の姿なのであった。もし逃げたとしたら背後から切りつけられてしまうかもしれない。だから逃げることは絶対にできなかったのである。ヨシュアは、相手に真正面から歩み寄って「あなたは味方か、敵か」と尋ねた。とにかく、いやがおうでも対峙するしかなかったのである。神様は、ヨシュアをそうさせることで、今の彼に活路を開かせようとしたのではなかろうかか。
私たちは、余りにも大きな困難を見上げたとき、それと比べての自分自身の余りの小ささや無力さばかりに落胆してしまいがちである。しかしこのとき、ヨシュアの目の前に現れたのは、抜き身の剣を振りかざした一人の男だった。もちろん、とても危険な相手ではあったが、エリコの城壁と比べれば戦うことができるであろう相手であった。いや今戦うしかない相手だったのである。戦わずに背中を見せれば殺されてしまうかもしれないような状況だった。神様は、このような敵に直面させることを通して、途方もなく大きな壁であるエリコを見上げて意気消沈することからヨシュアを引き離し、目の前に立つ一つの困難に今対峙するようにとヨシュアを導いたのである。私たちの人生の歩みとは、途方もない大きな壁を見上げて、それを突き崩すことによって形造られるものではない。そのようなことを考えてしまうと、意気消沈するしかない。そうではなく、目の前に現れた小さな困難と、ひとつひとつ真正面から向かい合い、対峙することによって、そうしたことの積み重ねによって、ふと気が付いてみると、エリコのような途方もない困難を乗り越えてきたというものなのではなかろうか。
だから私たちも、決して逃げることが許されない抜き身の剣を持ったような姿で現れてくる困難や難儀が目の前に訪れたときには、それは神様の遣わして下さった使いだと受け取るべきではなかろうか。私自身、ここ2週間ほど、朝食を食べた後、口の渇きを尋常ではなく感じていた。聖書研究祈祷会で、血糖値を計るキットをお借りして計ったところ、その数値は、明らかに糖尿病の領域に入っていた。母も糖尿病である。早速、土曜日に専門病院を受診した。本当にタイムリーに、これが今の私にとっての抜き身の剣を手にして現れてくださった神様の姿かと示された。病院嫌いの私だが、さすがの私も、これからは逃れられられない。もしこれに背を向けて逃げるなら、私は切り倒されてしまうであろう。ヨシュアは「あなたは味方か、敵か」と尋ねた。神様の使いが答えているように、それは「主の軍の将軍」なのである。どんなに恐ろしい姿をもった出来事でも、それは私たちの味方なのである。しかし、それから逃げてしまえば敵になってしまう。
3.イザヤ書の60章1節からの「起きよ。光を放て」の箇所は、クリスマス礼拝の招詞としてよく読まれる。特に心に残ったのは5節の「そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる」である。私たちを畏れさせ、おののかせる神様の御業があった。それは、私たちをして逃げることを許さない抜き身の剣を持って、私たちに対峙する神様の使いの姿である。それと向かい合ったとき、私たちは畏れおののく。しかし、この5節の御言葉は、何と不思議なことに、そこにこそ喜びに輝くことがあり、心が晴れやかになることがあると告げるている。畏れおののくことと、喜び心が晴れやかになることとは、相矛盾するように思える。しかし神様にとっては、そうではないのである。抜き身の剣を持った神様の使いに向かいあうことに、私たちにとっての喜びがあり、心を晴れやかにするものがある。畏れおののくしかない出来事において、私たちは神様に出会わせていただくのである。そして、このイザヤ書の1節・2節にあるように、神様の光が私たちを照らし私たちを輝かせ、私たちを起こして下さるのである。
4.ヨシュアは、出会った相手が神様の使いであるとわかると、地にひれ伏して「わが主はこの僕(しもべ)に何をお言いつけになるのですか」と口にした。私は、このヨシュアの態度の変化というものに、強く心を打たれた。それまでは、大きくて堅固なエリコの城壁を見上げては、自分の小さな・無力さに打ちひしがれていた。おのれの小ささ・無力さをどうしても受け入れることができないでいた。しかしここでのヨシュアの姿はどうであったか。地にひれ伏して、もうエリコなど見上げてなどいなかった。自分を「僕」と言って、進んで主人である神様に対しての自分の小ささを喜んで受容することができていた。もはや大きな者であろうとはしていなかった。ただ主人である神様が、僕である自分になさしめようとされることをやれればよいと思っていた。
「心の晴れやかさ」とはまさにこのようなものなのである。畏れおののきつつ、抜き身の剣を持った神様に出会うことを通して、私たちはただ、この神様の前に小さな者としてひれ伏し、「あなたがわたしになさしめようとしておられることは何ですか」と尋ねることができるようにしていただいたのである。極端に言えば、もうエリコを攻略することなどどうでもよくなっていたのである。それまでずっと、そのことから思いが離れなかったところから解き放たれたのである。小さな自分を受容することができた。神様と出会わせていただく喜びとは、ここにこそあるのだと思う。それは抜き身の剣を持った者と、畏れおののきつつ出会うことによってしか与えられないものなのである。
かつて郡山教会での、1995年の5月の奨励原稿が残っていた。そこには、郡山市に同じ日本基督教団の教会としてあった安積伝道所の三浦栄先生のことが書かれていた。三浦先生とは、教会学校の夏のキャンプに一緒に出かけるような親しい付き合いをしていた。先生の前任者は、確か東京高等裁判所の事務官を長くされ、その後に牧師になられた。牧会者としても説教者としても、とても優れておられた。三浦先生は前任の先生と比較されて、とても悩み傷ついておられた。私は、その悩みをよく聞いていた。ある年の夏のキャンプの最中に、三浦先生は体調不良を覚え、受診したところ、末期の肝臓ガンで手術のしようがないとの宣告を受けた。わずかな入院をされた後、すぐに退院され、召される2週間ほど前まで講壇に立って説教されておられた。もうその先生のお姿には、前任の先生と自分を比べて悩むという様子は一切なかった。このヨシュアのように、自分の小ささを受け入れ、神様が自分になさしめようとする牧師の務めを精一杯行おうとする姿のみがあった。その姿は今も、私の心に輝いて残っている。
5.「僕に何をお言いつけになるのですか」と問うたヨシュアに、神様は「あなたの足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる所である」と言った。これは神様が、燃えても燃えてもなくらない不思議な柴の木を見ようと近づこうとしたモーセに語りかけた言葉とまるで同じである。まさにその時、奴隷である同胞を率いてエジプト王に対峙しなければならなかったモーセに対して、また巨大で堅固な要塞都市エリコに向かってゆかねばならないヨシュアに対して、神様が全く同じ言葉を語ったということは、本当に心に染み入るものである。神様は、その二人にエジプト王と対峙し、またエリコを攻略するための策略や方策のようなものを伝授することなどはしなかった。そうではなく、神様が告げたのは、もっともっと根源的なことであった。これからどういう困難に立ち向かってゆくか否かに関わらず、私たちにとって最も大事なことは、今私たちの立たされている場所が聖なるところなのだという感覚なのである。このときヨシュアは、エリコを前にして呆然と立ち尽くしていた。しかし、その場所こそが貴いというのである。「今立たされている場所が、たとえ抜き身の剣を手にして立っている不気味な存在を前にしているところだとしても、足から履物をぬいで、その場所の貴さに触れてゆきなさい。足先から貴さを吸い上げなさい」との神様からの語りかけなのである。今置かれている場所の聖なることに気づく者だけが、いずれエリコをも乗り越えてゆけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 2月24日(日)降誕節第9主日礼拝
10:22そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。 10:23イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。 10:24すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」 10:25イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。 10:26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 10:27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 10:28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 10:29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 10:30わたしと父とは一つである。」 10:31ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。 10:32すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」 10:33ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」 10:34そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。 10:35神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。 10:36それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。 10:37もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。 10:38しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」 10:39そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
1.神殿奉献記念祭は、54年版の口語訳聖書では「宮清めの祭」と呼ばれていた。ユダヤ人とイエス様との対立がいよいよ深まり、決定的になっていった様子が描かれている。対立の一番のポイントは、イエス様が「人間なのに自分を神として」神様を冒涜しているということだった(33節)。この場面は、イエス様とユダヤ人との対立として描かれている。このような対立は、この福音書が書かれた西暦100年頃の小アジアで、また著者ヨハネがそれまでクリスチャンとして生きてきた50年以上の歩みにおいて、ユダヤ人との間に常に起こり続けてきたのであろう。
この神殿奉献記念祭とはどのようなお祭りであったのか。アレキサンダー大王が死んだ後、その大帝国は幾つかに分裂した。その中で、シリアが長くパレスチナ地方を支配することとなった。紀元前175年に、アンティオコス4世が治世を始めた。彼は自分に「エピファネス」という名前を付けた。ギリシャ語で「エピファニー」とは特別な意味を持った言葉である。「神様が自分をはっきりと顕す」という意味がある。アンティオコスは、自分自身が神なのだということを人々に示そうと、わざわざこのような名前を自分に付けた。そして自分だけではなく、ギリシャの神々を、イスラエル人にも強制的に信じさせようとした。当然、人々はこれに激しく抵抗した。とうとうアンティオコスは、紀元前170年にエルサレムを攻撃した。バークレーの注解によれば、8万人以上のユダヤ人が殺され、多くの人が奴隷とされたそうである。アンティオコスは、子どもに割礼を施すことを禁じた。禁を破った母親は、わが子を首に吊るしたままで、十字架にはりつけにされたそうである。さらに、エルサレム神殿をゼウスの神殿に変え、祭壇にはイスラエル人がもっとも忌み嫌ったブタの生け贄が捧げられたそうである。これに怒ったイスラエル人は、当時の大祭司だったマカベア家の5人の兄弟たちを中心に、3年間ほどにわたって激しく抵抗し、とうとう紀元前164年にシリア軍に勝利して、エルサレム神殿を聖なる場所に回復したのだそうである。それを記念して、イスラエル人の暦では、キスレウと呼ばれる月の25日から8日間(私たちの暦では、ちょうど12月の25日からお正月にかけての頃)神殿奉献記念祭、または宮清めの祭として守られるようになったのである。
さらには、この祭りは別名「光の祭り」とも呼ばれるのだそうである。神殿をシリアから取り戻した時に、まだ封が切られていない油の小瓶が見つかったのだそうである。普通なら1日位しか持たないはずの油が8日間も明かりを灯し続けたというので、お祭りの間中、一日に1本ずつ蝋燭が灯されていったそうである。今でもユダヤ人の人々は、ハヌカーといって、このお祭りを守っているとのことである。8章12節に「私は世の光」とのイエス様の言葉があった。おそらくはハヌカーのお祭りが始まって最初の蝋燭が灯された頃に、このイエス様の言葉が発せられたのかもしれない。
2.このお祭りの起源や意味がわかると、どうしてユダヤ人とイエス様との間、ひいてはクリスチャンとの間に、ここに記されているような問答がなされたのかが、何となくわかってくる。何よりもこのお祭りは、かつて先祖が何万人もの血を流して3年もの困難な戦いを打ち勝って、神ではない者を神として信じさせ拝ませようとした王に勝利したことを記念するものであった。だから、この時こそ人々は、神ならぬ者を神として信じさせようとすることにとても敏感になり、神殿の中にそうした兆しが少しでも入ってきてはいないかとチェックしようとしたのである。だから、毎年この祭りの時期になると、人であるイエス様を神として信じていたクリスチャンとの間で激しい論争が繰り返されたのではなかろうか。
22節の最後に「冬であった」とある。何かヨハネの心境が吐露されている象徴的な言葉のような思いがする。ヨハネとて、250年近く前の先達たちが多くの犠牲をはらって、神ならぬ者を神として信じさせようとした王様に勝利した歴史を、誇らしく思わないはずがなかろう。同じヨハネという名の著者によるヨハネの黙示録が、新約聖書の最後にある。その著者ヨハネは、時のローマ皇帝ドミティアヌスによって迫害されパトモスという島に幽閉された。この福音書が書かれたのは、その時代とぴったりと重なる。この福音書の著者ヨハネにとっても、先祖がそのような王と戦って勝利したことが支えにならなかったはずはなかろう。しかし、そのようなユダヤ人であればこそ、人であるイエス様が神様であり救い主・キリスト(メシア)であると信じるのは難しかったであろうし、激しく拒まざるを得なかったであろう。それは、ユダヤ人であるヨハネにとっては、本当に心痛むことであった。同胞と心を同じくして、そのお祭りをお祝いしたいと願っていたのに、残念ながら激しい論争を戦わせるしかない現実に、辛い「冬」を感じていたのではなかろうか。
また、このような祭りの時であったからこそ、24節にあるように「いつまでわたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と、ユダヤ人がイエス様に迫ったのだと思う。この祭りこそ、大祭司の子どもたちであったマカベア家の者たちが指導者となって、この世の王を打ち負かした時を記念するものなのであった。この世の王を打ち負かせるリーダーこそが、ユダヤ人にとっては、いつの時代でもメシア・キリスト・救い主なのであろう。最初にエピファニーという言葉に触れた。アンティオコス・エピファネスという王様を神殿から追い出した時こそが、神様の遣わすメシアがその姿をはっきりと顕すエピファニーの時なのであった。だから人々は、イエス様に「この祭りの時こそ、あなたが本当にメシアならそれを顕して下さる時なのだ」と迫ったのである。
3.以上のようなことを通して、現在の私たちに語りかけられているメッセージは、どのようなものか。私はまず、当時のイスラエル人にとっても、イエス様がキリストであり、ましてや神様であると信じることは難しいことであったのと同じように、特に日本人である私たちにとっては、これを信じるのは難しいことなのだと改めて感じさせられた。
再び24節に目を留めたい。ユダヤ人はイエス様に「いつまで・・・はっきりとそう言え」と迫った。これに対してイエス様は、「わたしは言ったがあなたがは信じない。」と言い、さらにその後では「業を信じてくれればよいが、それも信じない」と答えている。この問答は何を言い表しているのであろうか。要は、イエス様がキリスト・救い主であるということは、私たちをして気をもませることなのであり、イエス様がなさった働きを見ても、なかなかはっきりとは信じられないことなのである。イエス様が地上に肉体をもって生きておられた間は、9章に書かれていたように、生まれつき目の見えない人が癒されたり、次の11章に記されているように、死んだラザロが生き返るといった奇跡がなされた。しかし、ヨハネがこの福音書を書いた時には、もうそのようなはっきりとしたイエス様の奇跡的な業は体験できなくなっていたし、ましてや私たちはなおさらなのである。「イエス様を信じたら奇跡がおきます」「御利益がいただけます」と言えたなら、どんなにかイエス様がキリストであると周囲の人々に伝えるのが楽になったであろうか。
祈祷会で、いつもいろいろな話題を提供して下さる方がいる。「先日、ガンになって髪が抜け落ちてしまった友人から『あなたは神様を信じてるからガンにならないからうらやましい。わたしだけがどうしてこんな辛い目にあわなくてはならないのか』と泣かれて、言葉のかけようがなかった」と言っておられた。日本人の私たちには、このような信仰観が根強い。今日のユダヤ人とは違うが、ある面ではそういった奇跡や、はっきりとした救いというものが劇的に現れる ―エピファニーする― 形で、いつの時代でも私たちは救い主を求めるのである。しかし、イエス様にそのような求めをすると、私たちは「いつまでも気をもませ」られるしかないのである。はっきりとそう言ってくれとイエス様に求めても、決して答えが与えられることはないのである。
4.はっきりとした救い主であることのエピファニーがないという点が、特に日本人である私たちにとって、イエス様を救い主として信じる妨げなのである。それ以上にイエス様を信じる困難として告げるのが、イエス様が人間である自分を神と見なしていたという点であった。イエス様は「わたしと父とは一つである(29節)」と明言している。これがユダヤ人にとっての最大の問題点であった。私たちにとっても同じではないかと思うのである。
すばらしい奇跡を起こす人が救い主であり神であるというならまだしも、イエス様にはそういうエピファニーはない。イエス様は、十字架の上で殺されてしまうような人間なのである。王様に勝利する救い主ではなく、それとは正反対に、十字架の上で無残にもこの世の王様によって殺されてしまうような人間なのであった。そのような人間を、メシアとして、ましてや神として信じることなどできないのである。おそらく、私たちの周囲にいる人々にとっても、そこが大きなポイントなのである。
私たち日本人は、ユダヤ人とは違って、石や木でも、また動物や人間でさえも、何でもかんでも神として拝めてしまう。しかし、そのような私たちにとっても、十字架の上で殺された人間を救い主とし、神と信じ、何か御利益が与えられるなどと信じることはできないのである。「十字架の上で殺された人間から、一体どんな御利益が期待できようか」と思うのである。増谷なにがしという、すぐれた高名な仏教学者でさえ、「クリスチャンとは、どうして十字架の上で殺されたおぞましい存在を、神として、救い主として信じるのか気が知れない」と書いていたように思う。宗教や信仰に対してとても優れたセンスを持っていても、十字架のイエス様に対しては、この程度の理解しか持てないのかと愕然としたのを今でも覚えている。
ユダヤ人は今でも、人でしかないイエス様が救い主であるとは、ましてや神であるとは、決して受け入れない。イスラムの人々は、もっともっとはっきりしている。隣のYMCAの認可保育園にはイスラムの何家族かが、お子さんを預けていると聞く。もちろん昨年のクリスマス会はお休みしたし、確かクリスマス会の練習の時も教会のロビーで待機していた。それほど厳格なのである。人である者が神であるとは、決して受け入れることはできないのである。では、私たちはなぜこれを信じるのか。イエス様の弟子たちが、ユダヤ人に対抗し、何か理論的に人であるイエス様が神だと主張し、私たちがそれを受け入れたというのではない。理論では、人が神であるとか十字架の上で殺されてしまった存在が救い主であるとか、そういうことは到底主張しがたいものなのである。しかし、たとえ理論では説明できなくとも、ユダヤ人やイスラムの人々とどれほど対立をしても、そう宣べ伝えざるを得ないし、そう信じるしかないものがあったのである。
29節に「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものよりも偉大であり」とある。ここに、ヨハネがイエス様、特に十字架の上で死をとげたイエス様に感じ取ったことの核心が語られているように思う。十字架の上で殺されたイエス様は、外見からすれば偉大さとは正反対の存在にしか見えなかったであろう。しかしヨハネは、そこにこそイエス様の偉大さを見たのである。偉大な存在である神様が、また神様が遣わしたメシアが、私たち人間を救うためにこそ、偉大さとは正反対な卑小な存在になって下さったのである。26節には、10章7節以下に続いて、羊である私たちは良い羊飼いであるイエス様の声をちゃんと聞き分けるとある。死の陰の谷を歩んで難儀する私たちを迷うことなく導くために、イエス様には十字架の死の陰の谷を歩む必然性があったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 2月17日(日)降誕節第8主日礼拝
10:01兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、 10:02皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、 10:03皆、同じ霊的な食物を食べ、 10:04皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。 10:05しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。 10:06これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。 10:07彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。 10:08彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。 10:09また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。 10:10彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。 10:11これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。 10:12だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 10:13あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
1.先週の半ばに、現在日本で最も実力があるとされる若い水泳選手が、自身が白血病と診断されたことを公表した。水曜日に発表された彼女のコメントの中には、「神様は乗り越えられない試練をお与えにはならないと思っている」とあった。それを聞いて、もしかしたら彼女は、この13節の言葉を引用したのではないかと思い、はっとさせられた人も少なくないに違いない。それほどに13節の御言葉は、よく知られている聖書の言葉である。
まず何よりも考えさえられたのは、この御言葉が、それ以前に書かれている1節から12節までの箇所と、一体どのようにつながっているのかということだった。さらには、この10章全体が、9章までと、どのようにつながっているのかという点だった。私は、説教の準備を始めるときには、先ずその聖書の言葉が文章として何を言わんとしているかを理解しようとするようにしている。理解するためには、文脈を読み取るのがとても大事なのである。
10章欄外のタイトルには、『偶像への礼拝に対する警告』とある。このタイトル通りに10章全体を偶像礼拝への警告を記したものと解すると、直接的には8章とつながる部分だと理解される。しかし私としては、どうもそういう理解は腑に落ちない。今日の御言葉全体は、果たしてタイトルにあるように偶像礼拝を戒めたものなのであろうか。13節に試練のことが書かれているのだから、10章1節からの部分でパウロは、試練に関することを言いたかったのではないかと感じるのである。では、パウロの言わんとした試練は、どのように9章とつながってくるのであろうか。
当時のコリントの人々を含むギリシャ・ローマの人々が切実な願いとして抱いていたのは、いろいろな不具合を抱えてしまう体からの自由ということであった。しかし、それを求めれば求めるほど、逆に、体に縛られ不自由になってしまうという現実があった。そこでパウロは、自由とは、不具合を抱える体から解き放たれるということにあるのではなく、ある目的へと向かうことの中にある、と教えたのだった。ユダヤ人社会心理学者のE・フロムは、その著書『自由からの逃走』で、「自由には『~からの自由』と、『~への自由』の二つがある。『~からの自由』は、しばしば私たちをかえって不自由にする。却って私たちを自由から逃走させる。」と言っている。私はパウロも、このフロムと同じことを教えていたのだと思うのである。パウロは、いろいろな不自由さを抱えた体から自由になろうとするのではなく、ある目標へと向かうことで、不自由さを抱えた体であっても自由でありうると教えたのであろう。
そして、その目的とは、ひとりでも多くの人に福音という御馳走のおいしさを味わってもらうということである。その目的を果たすために何よりも大事なことは、まず伝える者自身が、福音の美味しさを味わうことである。イエス様が人として生まれ、十字架の苦しみを味わい、復活して下さったという喜びを、まず私たちが深く味わうことである。そのために何より大事なことは、私たち自身が苦しみを体験することなのであろう。私たち自身が苦しみの中に置かれてこそ、イエス様の十字架と復活という福音の美味しさがわかるのであろう。そういう意味で試練は、私たちにとってなくてはならないものなのである。試練を拒否し嫌ってはならないのだとパウロは言いたかったのだと思うのである。
2.パウロは、このよう意味から10章では、「試練の不可欠さ」を語ろうとしたのではなかろうか。10章1節は「兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい」と始まっている。もしここに、もう少しわかりやすく文章を補うならば、「兄弟たち、そういうわけで、もし自由を欲するなら、試練の必要性をぜひとも知ってほしい。その実例として、私たちの信仰の先達であるイスラエル人のことを思い起こしてほしい」となるであろうか。
そこで1節の後半から、イスラエル人が奴隷であったエジプトを脱出した後、荒れ野で試練を受けたときの様子が描かれていったのである。出エジプト記、エジプトから最短距離でパレスチナへと行こうとするとき、地中海沿いのペリシテ街道とよばれる道を通れば、直線距離だと、せいぜい200キロ程度である。1週間もあれば十分に到達することができよう。ところが神様は、40年間も荒れ野を迷走させたのである。その間に、エジプトを脱出した第1世代の人々のほとんどは死んでしまった(5節)。なぜ神様は、わざわざエジプトから脱出させて、また再び荒れ野で40年間も不自由な状態へとイスラエル人を押し込められたのであろうか。なぜ、このような試練をお与えになったのであろうか。どうして、すぐにパレスチナへ入らせて自由な状態に身を置かせて下さらなかったのであろうか。そこには、本当に深い、神様の御心があったのである。
それについてパウロは、こう言っている。「私たちの先祖は・・・霊的な岩からでした(1節後半から3節)」と。ここに書かれているのは、イスラエル人がモーセを指導者として、二つに分かれた海を渡り、マナという不思議な食べ物によって養われ、岩からほとばしり出た水によって渇きを癒したということである。エジプトを脱出し、わずか1週間でパレスチナへ入ったならば、これらの奇跡的体験は、すべて味わうことができなかったのである。目の前には海があり後ろからエジプト軍の追っ手が迫る状況や、荒れ野の中で食べ物や水が無くなるという試練がなければ、このような神様のすばらしい御業を体験することはできなかったのである。
申命記8章2節以下は、イエス様が荒れ野で40日間試練にあったときに引用していた有名な御言葉である。イエス様は、次のように荒れ野の歩みを教えた。「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、・・・主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」と。
荒れ野に40年間置かれたことによって彼らは、そして私たちは知るのである。私たちが生きるのには、この世のパン─それは私たちが自分の手で稼いで手に入れる生活の糧を指す─や、着物─それは私たちが自分で自分を守ろうとする鎧のようなものを意味する─だけでは足りないということを、私たちは知るのである。「マナ」とは、「これは一体何」というヘブル語そのままの言葉だという。私たちが生きてゆくためには、神様が体験させて下さる「マナ(これは一体何)」という、驚きの体験が不可欠なのである。私自身、もし神様の恵みというものがなかったならば、私は本当にふしだらで、定職にもつかず、それでいてプライドだけは高い、鼻持ちならない人間であったかもしれない。しかし、様々な試練を通して私はいくつもの「マナ」を授かり、岩から水をいただく体験をさせていただいた。私を生かすのは、この世のパン─自分が稼いで手に入れるパン─などではない。神様が下さるパンや水が不可欠なのである。
3.このように私たちの人生の目的は、試練を通して神様が下さるパンや水のすばらしさや不可欠さを知ることにある。しかし私たちは、しばしばその目的を見誤るのである。5節以下に記されているのは、それを見誤ったイスラエル人の様子なのだと思う。彼らは、エジプトを脱出したらすぐにも、自由で何の心配もない生活が与えられるものと期待していたのであろう。フロムが言っていたように、まさしく彼らはエジプトでの奴隷生活からの自由、また荒れ野からの自由を求めたのである。ところが、彼らを待っていたのは荒れ野をさ迷う試練続きの生活であった。だから、悪をむさぼったり偶像を拝んだりみだらなことをしたり不平を言ったりしたのである(5節以下)。しかし、どれほど不平を言っても嘆いても、神様が彼らに与えようとしたのは、単に自由であり試練のない生活を送ることにはなかったのである。むしろ、試練を与えて、荒れ野でマナや岩からの水を飲むことにあったのである。だから、試練の中に置かれて、いつまでもどこまでも不平不満を言い続けていると、おのずとそのような歩みは、そのような生き方は滅んでゆくしかないのである。5節以下に、「多くの者が滅ぼされていった」とあるのは、こういう意味だと思う。
「滅ぼされた」と言っても神様は、40年間の歩みを通してイスラエル人すべてを滅ぼすことはしなかった。確かにエジプトを脱出した第一世代の男性は、ヨシュアとカレブしか生き残ることができなかった。しかし、第2世代の者が起こされて、人口はそれほど変わらなかったのである。要は、40年間の中で「人はパンだけで生きられるのだ、私たちが自分で自分に着せる着物があれば良いのだ、エジプトにいた時のように肉ナベをほおばり、目に見える物を神として頼ればよいのだ」という私たちの部分は、どんどん滅ぼされて行くということだと思う。私たちの人生をむさぼったりみだらなことをしたり、それがかなえられないと不平不満を口にするようなものとして考えたりする生き方は、神様によってどんどん滅ぼされてゆくのである。
4.こうして13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」へと続く。このように訳されているが、これはギリシャ語の原文からは、かなりの意訳である。原文どおりの語順で直訳すると、次のようになる。「試練はあなたがたを取らなかった。もし、それが人間的なものでないならば」と。どう訳したらよいかとても悩む文章と感じる。これまでの文脈から言えば、まずパウロが何よりも言わんとしていたのは、試練というものを「人間的」なところからのみ受け取ってはならないということなのだと思う。もし試練を、ただ人間的な次元からのみ受け取るなら、それは「あなたがたを取る」となる。取るというのは、単に襲うというだけの意味ではなく、滅ぼしてしまうとか、だめにしてしまうとか、そういったニュアンスまで含まれているのではなかろうか。
試練をただ人間的に受け取ると、それは私たちから自由を奪い、私たちを荒れ野にぶち込み飢えさせ、喉を干上がらせ、多くのものを滅ぼしてしまうものとしか考えられない。しかし試練には「神的」な意義が必ずある。2節・3節に書かれているような、また申命記8章に書かれているようなすばらしい体験を、私たちにさせて下さるものなのである。「神様は真実な方です」から、必ずや私たちにも生きることの真実の喜びや意義を味わえるように取り計らって下さる。嘘の喜びや偽りの意義を味わわせることは、なさらない。こうして、試練のただ中にこそ、不思議なマナや水をいただくことができるのである。真実の生きる喜びを味わうことができるのである。それが、「試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていて下さいます。」という御言葉の言わんとすることなのである。この「逃れの道」は、「試練と共に」与えられるものであるから、試練がなくなったところでの逃れの道ではない。海の真ん中に備えられる道、岩からの水、ヨルダン川の激流の真っ只中に備えられる道なのである。十字架の真っ只中に永遠の命の道を見いだしたイエス様が道先案内人なのだから、安心して恐れずに歩んでゆけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 2月10日(日)降誕節第7主日礼拝
04:01民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。 04:02「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、 04:03彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」 04:04ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねて決めておいた十二人を呼び寄せて、 04:05言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。 04:06それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、 04:07こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」 04:08イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた。 04:09ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。
1.イスラエル人たちは、すぐにもエリコを攻略できるだろうとの期待を抱いてヨルダン川の川岸にやってきた。しかしはからずも、ちょうど春先の頃のヨルダン川は、激流逆巻く状態で、到底渡河できるようなものではなかった。恐らくイスラエル人は、普通の方法ではもはや渡る手段を見いだすことはできなかったであろう。万策尽きてしまった。しかし、ここにこそ神様の御心があった。人間の考える方法では渡る手段が見いだせなかったからこそ、彼らは神様が教え示してくださる方法を待った。そして示された方法に素直に従った。その方法とは、実に驚くべきものであった。契約の箱と呼ばれる箱に十戒が刻まれた2枚の石の板が収められていた。その箱を担いだ祭司がまず、ヨルダン川に足を踏み入れた。すると不思議にも激流が上流でせき止められて川底が見えるようになり、そこを民が渡ってゆくことができた。
注解書によれば、歴史的な事実として、1267年12月7日の夜半から8日にかけて約16時間にわたってヨルダン川の流れが止まったことが知られているとのことである。また、1927年7月11日に起きた大地震によって、高さ45メートルの断崖が崩れ落ちたために、流れがせき止められ、21時間にわたって川底が干上がったようである。一体何が起きたのかは定かではない。しかし、とにかくこのような不思議なことが起きた。
イスラエル人のすべてがヨルダン川を渡り終えると、神様は12の部族の指導者たちに、干上がった川底から12の石を取ってその夜の野営地に据えるようにと命じた。それは何のためだったのか。、6節には「それはあなたたちの間でしるしとなるであろう」とある。後日、子どもたちがこれらの石は何を意味するのかと尋ねるときには「ヨルダン川の流れは・・・せき止められた」と教えて、神様の不思議な御業を永久に記念するため(7節)であった。何よりも私の心が引き付けられたのは、この神様の言葉であある。
2.この神様の言葉から私たちが語りかけられることの第一は、私たちには神様の驚くべき御業をいつまでも語り継ぎ、記念するモニュメントが絶対に必要だということである。神様は、イスラエル人、また私たちにとって、このような記念のしるしが必要だと考え、12の石を据えるようにと命じたのである。私たちは、結婚記念日だとか、はじめてのデートの記念日だとか、様々な記念日を覚え、また記念のモニュメントを作る。しかしそれは大抵、私たちが結婚したとか人間がこれこれのことを成し遂げたとかを記念するものでしかない。しかし私たちにとってなくてならないのは、私たちがこれこれのことをなしとげたことの記念碑ではなく、神様が驚くべき不思議な御業をしてくださったことの記念碑でである。それがあることによって私たちは、人間として、いかんともしがたい状況に直面した時にも、それを乗り越えてゆけるとの希望を抱けるのである。
イスラエルの人々は、幸いにもこのような記念碑を幾つも受け継いでいた民であった。そこにこそ、彼らが幾多の困難をも生き延びてゆけた秘訣がある。リファレンス付きの聖書には、6節の「後日・・・」という聖句の関連箇所として、幾つかの聖句があげられている。参照聖句としてあげられているのは、イスラエル人の正月にあたる「過越の祭り」という祭りでの儀式に関するものである。この祭りには、いろいろな要素がある。記念となるもののひとつに、小羊の血を家の入り口の鴨居と2本の柱に塗る儀式があげられる。それについては、出エジプト記12章26節に「あなたたちの子供が『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときにはこう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」とある。過越の祭におけるもうひとつの記念のモニュメントは、酵母を入れないパンを食べる儀式である。これについては出エジプト記13章8節に「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき主がわたしのために行われたことのゆえである』と。」とある。過越の祭りという記念の儀式を正月としてずっと守り続けることにおいて、イスラエル人は苦難に際しての神様の驚くべき御業を常に思い起こしてきた。彼らは、神様の奇跡を想起することによって、目の前の苦難の現実を乗り越えてきた。実際の出来事としては、出エジプトやヨルダン川渡河と同じような奇跡は起こらなかったかもしれない。しかし、過去の神様の御業を思い起こすことは、決して無駄にはならず、確実にイスラエル人の助けや希望となってきたのである。
3.第二に、私たちクリスチャンはイスラエル人から、こうしたモニュメントを受け継いでいる幸いな民だということがあげられる。「いや私たちは、もはや過越の祭を守ってはおらず、またヨルダン川を奇跡的に渡った記念である12の石など、どこにもないではないか」と思えるかもしれない。確かに目に見えることとしてはそうである。しかし私たちは、イエス様を通してしっかりと、こうした記念碑を受け継いでいる者なのである。
イエス様は自身の十字架の時を、他のどんな時ではなく、わざわざ過越の祭りの時を選んだ。イエス様は明確な意図をもって、この時を選んでエルサレムに入り、最後の晩餐の食事を、はっきりと過越の祭りの食事として守ったという事実を、福音書もパウロの言葉(聖餐式の際に必ず朗読する第1コリント11章23節以下)も伝えている。だから、私たちが今もなお聖餐式を守っているということは、イエス様が弟子たちと守った過越の祭の食事を守っているということなのである。ひいては、イスラエル人が長い間守ってきた過越の祭の儀式を受け継いでいることになるのである。
聖餐式のときに朗読されるコリントの信徒への手紙(1)11章23節以下を思い起こしたい。イエス様は、過越の祭の食事でふるまわれるパンを取って「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしを記念するためこのように行いなさい」と言ったとある。また、ぶどう酒の入った杯についても「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言ったとある。イエス様は、「これからあなたがたが食べるパン、また飲む杯は、十字架の上で裂かれ流されるであろう私の体であり血なのだ」と言っているのである。「記念」という言葉が、まさしくここにある。その意味するところは、「十字架の上で裂かれる私の体、また流される血こそが、過越の祭で食べられる酵母の入っていないパンを記念しているし、また犠牲となってその血が家の入り口の鴨居や2本の柱に塗られる小羊を記念している」ということであろう。イスラエルの人々が過越の祭りを通して、ずっと記念してきた出エジプトという神様の御業は、今やイエス様の十字架の犠牲によって記念されてゆくことになった。私たちクリスチャンは、餐式を守ることによって、イスラエル人がずっと記念してきた出エジプトという神様の御業を記念するようになったのである。
4.なぜイエス様の十字架の犠牲が、過越の出来事における小羊の犠牲なのか。家の入り口に塗られる小羊の血が「滅ぼすもの」を過ぎ越させた。私たちを滅ぼすものとは一体だれのことなのか。先週の礼拝では、「サピエンス全史」、「ホモデウス」という著書の内容を解説したテレビ番組を紹介した。著者のノア・ハラリは、「今や人間(ホモ)は、神(デウス)となりつつある」と言っていた。しかしそこで、神になりつつある人間がやろうとしていることは、ひたすら弱さや欠陥の除去なのである。このTV番組では、中国で、ついに遺伝子を操作して、あるマイナス部分を取り除いた双子が誕生したことも扱われていた。しかし、果たして私たち人間が弱さや欠陥だと考えるものを、遺伝子操作によって除去することが、私たちを幸いにするであろうか。もしかしたら、弱さや欠陥を作り出す遺伝子にこそ、逆に私たちをして何らかの逆境を生き延びさせる秘密が秘められているかもしれないのである。私たちにとっての「滅ぼすもの」とは、実に私たち自身ではなかろうか。浅はかな尺度によって、弱さや欠陥を排除しようとする心が、実は私たちを「滅ぼすものなのである。だからこそ、この「滅ぼすもの」から私たちを守るものとして、イエス様の十字架の犠牲があるのではなかろうか。私たちが排除しようとする苦しみや痛みを、イエス様は十字架の上で背負って下さったのである。このイエス様の小羊としての犠牲を、私たちは公然と誰の目にも見えるように家の入り口や鴨居に塗る。それが公然と洗礼を受けることであり、また聖餐にあずかることに他ならない。それによって私たちは、滅ぼすものから救われ、ヨルダン川という激流を乗り越えてゆけるのである。
5.さて、最後に注目すべきことは、出エジプト記12章や13章においても、この記念のモニュメントや儀式の意味を、後日、子どもたちが尋ねるようになると語られている点である。なぜ子どもたちが、このように尋ねるようになるのか。それは外見から見れば、何のことかわからないからだと思う。外見からすれば、据えられた石はせいぜい、つけもの石よりもちょっと大きい12の石が並べられているに過ぎなかったであろう。イエス様の十字架の上での死は、多くの人々にとって愚かで躓きでしかないものだった。その犠牲を私たちに塗るという意味の私たちの聖餐式においていただくパンやぶどう酒は、私たちの教会の近所の店から買ってきたパンやぶどうジュースである。また、洗礼式で注がれる水も、水道から汲んだただの水である。神様の驚くべき奇跡を記念するしるしとは、すべからくこのようなものなのだということが教えられているのだと思う。「そのようなものは、全く無意味だ」と断じる人もいよう。しかし神様は、その無意味な石や十字架の犠牲や、ただのパンやぶどうジュースや水道の水に、神様の偉大な御業を想起する者は幸いだとおっしゃっているのである。ただの石にしかすぎないものに神様の奇跡を想起できる者は、苦難を乗り越えてゆけるのである。
先ほどの本の著者ノア・ハラリも、他の人類学者も、以下のようなことを言っている。「現生人類と絶滅してしまった幾多の人類とを比べての決定的な違いは、もしかすれば象徴的な事柄を想起できる能力ではないか」と。絶滅してしまった人類は、石からは石しか思い浮かべることができないか、せいぜいそれを使って刃物や武器を作ることしか思い浮かべることができなかったのではないかと言うのである。ところが私たちは、石からは全くかけ離れた目には見えない神様という存在やその奇跡を想起することができる。それが、もしかしたら私たちをして幾多の危機を乗り越えさせたものなのかもしれないのである。イスラエル人は、その典型であり、私たちクリスチャンは幸いにもイエス様を通してそれを受け継いでいる者なのである。想起するということの一番の中心に、信仰がある。
さて、子どもたちや周囲の人々は、私たちに問うであろう。「12の石やイエス様の十字架の死や洗礼や聖餐式に一体どんな意味が込められているのか」と。そう問われたら私たちは、ちゃんとそれに対する答えを持っていなければならないと神様は言っているのである。それを伝えてゆかなければ、石は何の意味も持たない何も記念しないただの石になってしまうのである。勿論、ただのオウムがえしのような説明ではなく、語る私たち自身にとっての意味を込めて「わたしにとっての12の石には、こういう意味があるのだよ。イエス様という方の犠牲をいただくことはこういう意味があるのだよ。このような神様のすばらしい御業をいただくことなんだよ。」と語ってゆかねばならない。私たちも、後に続く子どもたちのために、石を据えるものでありたいと思う。りっぱなモニュメントである必要などない。ただの石に過ぎないではないかと言われるものでよい。イエス様の犠牲という石を据え続けたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 2月3日(日)降誕節第6主日礼拝
10:07イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 10:08わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 10:09わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10:10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 10:11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10:12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 10:13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10:14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10:15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10:16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 10:17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 10:18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」
1.ヨハネによる福音書の10章10節から18節の中の、11節の「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」は、かつて私が牧会をしていた郡山教会の付属の石川幼稚園(所在地は郡山市から少し離れた磐城石川町)の聖句である。礼拝のたび、園児たちが元気な声で暗唱していたのを思い出すとなつかしい。
さて、イエス様が自分を「わたしは良い羊飼いである」とかたった言葉は、このヨハネによる福音書にしか記されていない。迷子の羊を探しにゆく羊飼いのたとえ話は、ルカによる福音書とマタイによる福音書にある(ルカ15:1-7/マタイ18:12-14)。イエス様のもとに押し寄せてきた人々を「飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れ(マルコ6:34)」まれたともある。おりにふれてイエス様は、自身を羊飼いにたとえて語っていたのかもしれない。
なぜこの福音書の著者ヨハネが、イエス様のこの言葉をここに置いたのであろうか。10節には、羊を盗んだり屠ったり滅ぼしたりする盗人のことが書かれている。また12節には、狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げてしまう雇い人でしかない羊飼いのことが書かれている。これらは具体的には、誰のことを指しているのであろう。前後の流れから、それはファリサイ派と呼ばれる人々のことを指しているとわかる。10章6節には「イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話したが、彼らはこの話が何のことか分からなかった」とある。9章には、イエス様が生まれつき目の見えなかった人を見えるようにしたのが安息日だったことをきっかけに、ファリサイ派とイエス様との間に激しい論争が起きたことが記されていた。10章21節には、「ユダヤ人たちはイエスを石で打ち殺そうとしそうした」ともある。こうした前後の文脈から言えば、盗人とか雇い人でしかない悪い羊飼いとかは、明らかにファリサイ派を指していることがわかる。
2.ヨハネは、主に西暦100年頃小アジアに住んでいたユダヤ人に、イエス様が救い主であると信じてほしくて、この福音書を書いたとされている。当時のユダヤ人社会の信仰的な指導者、他でもないファリサイ派だったのである。9章や10章に描かれているイエス様とファリサイ派の人々の対立や論争は、西暦100年頃の小アジアで、クリスチャンとファリサイ派の人々との間に生じていたものを描いたのだと言われている。そうした対立を描く中でヨハネは、人々に問うているのだと思う。「ファリサイ派とイエス様とでは、一体どちらがまことの羊飼いなのか」と。「どちらが羊である私たちを養ってくれる良き羊飼いなのか」と。
1月、岩波新書の新刊として『ユダヤ人とユダヤ教』という著書が出版された。早速買い求めて読んだ。その冒頭で、著者の市川裕先生(東京大学 大学院 人文社会系・文学部 宗教学 教授)は、このように書いている。「(紀元70年に起きた)戦いは無残にも、多くの人々の死、神殿崩壊、国土の荒廃、首都の崩壊で終わった。ユダヤ社会でラビが出現したのはまさにこの時期からである。ラビは聖職者ではなく、神の教えに関して専門知識を持つ律法学者である。彼らは、祖国を失ったユダヤの人々に新たな生き方を示す賢者であった。ラビは時代によって職務内容に変遷はあるが、今日に至るまでユダヤ社会を指導する重要な身分であり続けている。ユダヤの人々は、親、兄弟、友人でも解決できない問題はラビに頼り、時にはラビに付き添い、教えを請うことで解決してきた(同書12ページから)」と。この書物全体を通して市川先生は、ラビと呼ばれる律法学者たちを高く評価しておられる。市川先生が紀元70年のエルサレム崩壊のただ中から出現したと言っているラビこそが、9章や10章において登場するファリサイ派に他ならない。彼らこそエルサレム崩壊後の紀元100年頃のユダヤ人社会を牧会する羊飼いであったのである。しかし、それをよくわかった上で、なおヨハネは人々に問わざるを得なかったのだろうと思うのである。一体イエス様と彼らとどちらが真の羊飼いなのかと。
3.ヨハネは、ファリサイ派の人たちを、「羊を盗み滅ぼす悪しき羊飼いであり、また狼が来るとさっさと羊を見捨てて逃げる雇い人のような羊飼いだ」と評した。しかし先ほどの市川先生の文章からすれば、それは余りにも一面的すぎる見方ではないだろうかと思うのである。律法の専門家たる彼らが、ちゃんとした羊飼いであるとの側面がなければ、流浪の民となって全世界をさすらって苦悩したユダヤ人を牧会する羊飼いとして今日あるを得ることはなかったはずである。しかしながらヨハネは、西暦100年頃の彼の周りにある状況からして、どうしてもファリサイ派の人々を盗人のような悪しき羊飼いとしか言いようがなかったのだと思う。その具体的事実こそが8章の姦淫の現場を取り押さえられた女性の出来事であり、9章の生まれつき目が見えない人の出来事ではなかったか。
羊飼いと言えばすぐに思い出される聖書箇所は、詩編23編であろう。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて下さる」と詩人は歌っている。9章に登場したのは、生まれつき目が見えず、それゆえに両親からも縁切られ物乞いをしてしか生き得ない人であった。彼こそは、羊飼いによって青草の原へと導かれ、憩いに水場へと誘われ、魂を生き返らせていただかねばならない羊ではなかったか。ところがこの羊に対して、ファリサイ派の人々はどのように接したか。「お前は全く罪の中に生まれたのに(9章34節)」と彼に言い放った。イエス様の弟子たちさえ、イエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、本人が、あるいは両親が罪を犯したからですか」と尋ねた。それと全く同じ見方をファリサイ派の人々はしていたのである。「罪の中に生まれたことの現れが、生まれつきの盲目という障がいなのだ」と彼らは見ていた。彼らにとっての神様とは、つきつめれば私たちの罪を責め、怒り、それに対してこうした罰を下す存在だった。
生まれつきの盲目というハンディが、象徴的に示すのは、私たち人間にはどうしても取り除くことができない病いやハンディである。私たちの誰しもが、いつかはそのようなマイナスを背負う。ファリサイ派の信仰とは、それを私たちへの神の怒り・責め・罰としてしか見ることのできない信仰なのである。本当に神様がそういう存在だとすれば、そのような病いや苦悩を背負った私たちに立つ瀬はない。自分では取り除くことができないマイナスを背負った私たちには、だからこそ食べなければならない青草や水や魂の生き返りが不可欠なのである。死の陰の谷を行くときの導き、苦しみを前にしてこその食卓が不可欠なのである。9章に描かれているファリサイ派の人々は、生まれつき目の見えない人に、そのような食べ物・水を与えることができたであろうか。できなかった。むしろ食べ物を奪ったのである。「お前などどうしようもない罪人なのだ」とレッテルを張って滅ぼした。狼の餌食にしたのである。狼とは、私たちから生きる希望や喜びを奪おうとする存在ある。
4.このようなファリサイ派は、私たちにとって決して無縁な者ではないと、改めて示される。確かに文字通りの意味でのファリサイ派は、私たちの前にはいない。しかし私たちひとりびとりの中に、ファリサイ派のような存在がいるように思う。
今、私たちは聖書研究祈祷会で、イザヤ書の56章以降の箇所を学んでいる。通説としては、イザヤ書の40章から55章までは、バビロン捕囚因の中にあったイスラエル人に語られた部分であり、56章から66章までは、紀元前538年にペルシャ王キュロスによって故郷への帰還が許された後の部分だとされている。帰還後にイスラエル人の羊飼いとなった人々(エズラやネヘミヤといった人々)の後に、ファリサイ派やラビ・律法学者となる人々が生まれた。彼らには、瓦礫の山になった信仰共同体を再建するにあたって、ある原則があった。それはバビロン捕囚やその後帰還した後に結婚した異邦人を排除するという原則であった。また、バビロン捕囚の間にバビロニア王宮の大奥のようなところに仕えるために強制的に「去勢」された人々がいた。このような人々も汚れた者とされて排除された。ファリサイの語源は「分離・排除」という意味である。このような再建の仕方に対して神様は、はっきりと「主のもとに集ってきた異邦人は言うな『主はご自分の民とわたしを区別(ファリス)される』と言った。『わたしは枯れ木にすぎない』と(イザヤ書56章3節)」。神様は区別や排除などしないのに、人間の側が勝手にそれを神様の御心だと言って区別したり排除したりするのである。生まれつき目の見えない人を、全く罪の中に生まれたからそうなったのだと言って排除するのである。このようにマイナスを排除してゆくのである。
こういったファリサイ派的なものが私たちの中にあるのではなかろうか。羊に対して盗人であり雇い人でしかない悪しき羊飼いとは、他でもない私たち自身なのである。生まれつき目が見えないという病気に象徴されるような重いハンディやマイナスを背負った自分自身を私たちは見捨てるのである。それが自分を飼う羊飼いとしての私たちなのである。私は先日、録画していた『サピエンス全史』『ホモデウス』という著書(著者はイスラエル在住のユダヤ人であるユヴァル・ノア・ハラリ)の内容を解説した番組を観た。今や人間(ホモ)は、デウスつまり神になろうとしていると著者は言うのである。AIと人間の脳や体が直接に接続されて、ある意味において人間は不死と全能を手に入れるだろうと。しかし、そこで神となった羊飼いたる私たちがやることと言えば、つきつめれば排除であり分離ではなかろうか。自分たちにとって嫌な弱さや欠陥や病いを、例えば遺伝子の操作をして常に排除し続けるのである。しかし、そのような羊飼いは、羊を滅ぼすことしかできな。狼から羊を守ることはできない。死の陰の谷に置かれた自分に青草や水を与えることは決してできない羊飼いなのである。
5.だからこそ、羊のために命を捨てるイエス様こそが良き羊飼いなのだとヨハネは語るのである。16節には、イエス様に飼われてこそ「羊は一つの群れとなる」とある。また「囲いに入っていないほかの羊をも導けるのだ」とイエス様は語っている。私は新たに、このイエス様の言葉の意味を味わうことができた。イエス様が羊のために命を捨てたということは、ただ単に羊飼いが羊のために命を犠牲にしたから良い羊飼いだという意味ではないと。そうではなく、イエス様という羊飼いだけが、十字架の死を─普通の人間ならば当然に排除し分離してしまうものを─受け入れたということにおいて良い羊飼いなのである。イエス様自身が、十字架の死の陰の谷を行く中で神様からの青草や水や魂の生き返りを見出した。苦しめるものである十字架を前にして、そこにこそ神様の与えて下さる食卓があるとわかった。その姿をもってこその良い羊飼いなのである。苦しみや死が、私たちにとって貴い歩みであることを、決して私たちの人生から分離や排除してはならないものであることを、イエス様は身をもって示して下さった。囲いに入っていない羊とは、私たち自身は悪しき羊飼いとなって排除してきたものを意味している。イエス様は、これをもなくてはならない人生の一部として導こうとされるのである。「こうして・・・一つの群れ」となるとは、私たちが分離し排除してきたものが、このイエス様によってやっとひとつになるという意味なのである。命をどこまでも手放そうとしない私たちである。このような私たちが、自分自身の羊飼いになるとき、羊である私たちは狼の餌食になる。盗人に殺されてゆくのである。命を手放すことができたイエス様が、私たちの羊飼いになって下さるとき、私たちは守られてゆくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 1月27日(日)降誕節第5主日礼拝
09:19わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 09:20ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 09:21また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 09:22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 09:23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 09:24あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 09:25競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 09:26だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。 09:27むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。
1.19節前半に「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」とある。この言葉は、私達プロテスタント教会のはじまりを作った宗教改革者ルターの著書『キリスト者の自由』において、最初に引用されている聖句である。ルターはこの書を、次のような問いを掲げることから書き始めている。「キリスト者とは何であるか。またキリストがキリスト者のために確保し与えてくださった自由とはどんなものであるか」。ルターがクリスチャンであるということの核心を、イエス様から自由を与えられている点にあると考えていたのがよくわかる。そして、この問いに答えるべく19節前半の聖句を引用したのである。
この19節の御言葉が語っていることが、本当に不思議なものだと改めて思う。というのは、端的に言って自由な者であるということと奴隷になるということは全く矛盾することだからである。普通に考えれば、自由な者であることと奴隷になるということは、同時にはあり得ない。しかしパウロは、「わたしは誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」と語っている。おそらく、この言葉を語ったパウロ自身、自由であることと奴隷になることは矛盾し両立しえないことだとよくわかっていたのだと思う。それを承知で、すぐ後に述べるような背景があって、このように語ったのである。
いったい自由な者であるということと奴隷になるということは、どのように関係しているのであろうか。自由な者であることを一旦は捨てて、奴隷になるということなのであろうか。パウロが言わんとしたのは、そうではないと思うのである。これは私の読み過ぎかもしれないが、私はここから、自由であるからこそ奴隷になったというニュアンス、あるいは奴隷状態の中にこそ実は自由さがあるのではないかということを読み取るのである。
私がなぜこの言葉にそのようなニュアンスを読み取るのかと言うと、先週の聖書研究所祷会で、ある方がこんなお話をして下さったことを思い起こしたからである。その人は若かりし頃、ミッションスクールで学んでおられた。当時、ミッションスクールで共に学んだ同級生たちから届く年賀状は皆、不思議と明るさや生きる喜びにあふれていたという。その中には、クリスチャンである人もない人もいたが、皆共通してそうだったと言うのである。ところが、ミッションスクールに通っていなかった人々からの年賀状は、「どこそこが痛い、どこそこが悪い、もう人生は闇でしかない、何の希望もない」といった繰り言ばかりだったと言うのである。そのような年賀状を読んで、自分が若い時にキリスト教に出会い、こうしてクリスチャンとして生きていられていることが本当に感謝だと言っておられた。その祈祷会の場所でも皆で話したことだが、奴隷という言葉を使えば、私達は、いつかかならず老いや病気や死の奴隷にならねばならない。そうなることからは、残念ながら逃れることはできないのである。だからこそ大事なことは、そうした奴隷状態に置かれてもなお、いやそれだからこそ、そこでも自由でありうることだと、しみじみ思うのである。老いや病や死の奴隷になったときに、なくなってしまうような自由では、何の支えにもならないのである。
こうしたことから私は、このパウロの言葉には、奴隷状態の中におかれても、それとは矛盾しない形で見いだされる自由があるのだというメッセージを感じ取るのである。もっと突き詰めてゆくと、「私達の自由とは、限りなく奴隷的な状態の中にこそ発見されるものではないのか、そのような自由こそが、イエス様が十字架の上で死や苦難の奴隷となることにおいて私達に授けてくださったものではないのか」と示されるのである。
2.パウロがあえて、まるで相反するような自由と奴隷のことを、ここで語った背景を考えてみたい。コリントの人々に限らず、当時のギリシャ・ローマの人々は、広く自由というものを、それも特に体からの自由というものを切実に求めていた。「ソーマ(体)は、セーマ(墓場)」と言って、人々は自分たちを墓場へと引きずりこむ体から、何とかして自由になろうとしていた。それは、一方では、体の求めを極端に無視し、抑圧するようなこととして現れ、コリント教会では、結婚を避けたり、異性に触れないふるまいとして現れていたのである。他方で、体の求めることは何でも満たしてやろうとすることとして現れ、これもまたコリント教会では、義理の母と結婚したり、様々なみだらなことをしたりするさまとして現れていたのである。総じて言えば、体からの自由を求めるがあまり、結果的には、皮肉にも体の奴隷にならされていたのである。だからこそパウロは、「むしろ私は自ら進んで奴隷になったのだ、そこにこそ私にとっての自由があるのだ」と語ったのだと思う。パウロが、今述べたようなコリントの人々のありさまに感じていたのは、あることから逃れよう・自由になろうとすればするほど逆に不自由になり、逃れたいと思っているものの奴隷にされてしまう皮肉さなのであった。自由を得る方向性が違うのだとパウロは感じていたのだと思う。「~から」逃れようとするところに自由はないのである。
ここでふと、学生時代に授業で読んだE.フロム(ユダヤ人の社会心理学者として有名)の『自由からの逃走』という本の記述を思い起こした。この本は、もう今は手元にはない。しかし、はっきりと覚えているのは、「自由には二つあって、ひとつは『~からの自由』であり、もうひとつは『~への自由』である」というフロムの記述である。そして「~からの自由」は、しばしば私達を、その逃れたいと思う対象から自由にしないだけではなく、もっと悪しきものに捕らわれてしまう結果を引き起こすと教えていた。だからこそ私達を本当に自由にするのは、目的に向かう「~への自由」だというのである。これは、パウロが今日の御言葉で繰り返し語っているのと、まさに同じである。パウロが何度も「ため・ため」と語っているのは、目的に向かうということである。パウロもまた「~から」逃れようとするところに自由はなく、その反対に「~へ」向かおうとするところにこそ、たとえ奴隷的な境遇であっても、自由があるのだと教えているのだと思う。
3.このような自由さが果たして実際どこにあるかという疑問に対して、パウロは24節以下の競技場を走るランナーのありさまをもって答えようとしている。パウロは、フィリピの信徒への手紙の3章でも「目標を目指して走る」ランナーの姿に自身をなぞらえている。この時代には、あちらこちらで、そうした競技会が開催されていた。パウロは彼らの有り様を見て、そこに信仰者の生き方を教えられたのではなかろうか。一体ランナーたちは、何が楽しくてあのような辛い走りをするのであろうか。毎日毎日が練習づけ、まさしく25節にあるように日々節制し、また27節にあるように「自分の体を打ちたたいて服従させる」ような毎日である。その練習の毎日や、本番で走る姿は、奴隷というのは言い過ぎかもしれないが、辛いことに捕らえられ縛られているような生活ではないか。
そこにどんな楽しみがあるのか。24節・25節に、「賞を受ける」「朽ちる冠を得る」ことだと書かれている。しかし、おそらく、それだけではないのだろうと思う。賞を取って優勝することだけではなく、勝っても負けても、ある目標を掲げ、それを目指して一心不乱に精進するという営みが楽しいのだろうと思う。目標を目指して、ひたすら走るという生き方が、ある種の自由さをもたらすのだと思う。マラソンランナーも、100メートル走者も、ゴールを目指して走るのに邪魔なものは一切身に付けない。仮に走っている途中に心臓麻痺を起こして倒れ、死んでしまったとしても、それで本望なのである。そこに自由さがあるではないかとパウロは言っているのだと思う。墓場である体「から」逃げようとするところに自由を求めるのではなく、目標「へ」とひたすら向かうことに、たとえいろいろな大変さがあっても自由があるのではないかと言っているのである。
4.それでは、その目標とは何であるか。パウロは「できるだけ多くの人を得るため」「何とかして何人かでも救うため」「福音に共にあずかる者となるため」と畳み掛けている。それは、ひとりでも多くの人に福音の喜びを味わってほしいという目標である。たとえて言えば、福音というおいしい料理を、ひとりでも多くの人に味わってほしいという気持ちであると表現してもよいのではなかろうか。そのためには、まず自分自身が福音という料理のおいしさを味わっていなければならない。「こんなおいしいものならば、できるだけ多くの人に食べさせてあげたい」と心から思うようにならねばならない。そして、それを、どのようにして様々な人に届けたらよいのか。それは、届ける私達が、届けたいと思う人々のいる場所に行けばよいのである。赴いて、お腹をすかせている人々に福音という御馳走をおすそ分けすればよいのである。
このような目標を果たさせるために、神様はパウロを、すべての人の奴隷のような者としたのである。最後には、彼はローマ帝国の未決囚となって、牢獄に幽閉されながらも福音を宣べ伝えたと使徒言行録の最後28章30節に書かれている。22節で「福音のためならわたしはどんなことでもします」とパウロは言っている。しかし、これは神様・イエス様が私達にさせようとなさることだと思うのである。神様は、私達が福音という御馳走を一人でも多くの人におすそわけできるためには、何でもさせようとなさる。パウロを奴隷のような境遇に置き、最後には牢獄に置いたように、神様は私達をも不自由で奴隷的な状況に置くのである。しかしそれは「福音のためならどんなことでもする」神様の御心の現れなのである。これが、神様が私達の人生に対して抱く目的であり、私達もこの神様の目標を受け入れて、それを私自身の目標として受け入れるのである。そうと知れば、もう何ら奴隷的な境遇に置かれることを恐れる必要はないのである。私たちは、そのような境遇の中でこそ、いよいよ福音のおいしさをより深く味わい知ることとなる。そして、パウロが牢獄でそうしたように、普段は決して福音のごちそうをおすそわけできないような人々と出会って、共にそれを味わうようになれるのである。
郡山教会で出会ったYさんのことを思い出した。私がアキレス腱を切って入院している時に出会ったのがYさんであった。Yさんは、入院中の私がベッドの上で書き物をしていたのを不思議がっておられた。私が牧師をしていると知って、彼は教会の礼拝に通うようになった。彼は、お酒や賭けごとで、借金を重ねていた。ある時には「これから死ぬから」と私に電話をかけてきたこともあった。彼は弁護士の世話になって、自己破産の手続きを取り、その状態から脱することができた。残念ながら、諸般の事情から洗礼を受けることなく、ガンのため召されてしまった。彼は神様を信じ、安らかな最後を迎えたと思う。私が入院したことがきっかけになって、私はYさんと福音を共に味わうことになった。私達に与えられた不如意な境遇、あることに捕らえられてしまったような状況こそ、私達が福音を深く味わい、困難な境遇に置かれた人々に福音をおすそわけする機会に必ずや出会うのである。その目的を果たすことに私達の自由があり、生きる喜びがある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 1月20日(日)降誕節第4主日礼拝
03:01ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。 03:02三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、 03:03民に命じた。「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。 03:04契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」 03:05ヨシュアは民に言った。「自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」 03:06ヨシュアが祭司たちに、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。 03:07主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。 03:08あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」 03:09ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、 03:10こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。 03:11見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。 03:12今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。 03:13全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」 03:14ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、 03:15ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、 03:16川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。 03:17主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。
1.ヨシュア記の中でも、とてもよく知られたエピソードではなかろうか。第一のポイントは、イスラエル人はヨルダン川を渡るにあたって大きな壁にぶつかり、しかし壁にぶつかったことを通して、神様から不思議な渡河手段を示していただいたということである。2章の最後に、エリコを探った二人の斥候がもたらした報告が書かれている。「主は、・・・おじけづいています」とある。この報告を聞いてイスラエル人は、すぐにでもヨルダン川を渡り、エリコを攻略できると勇み立ったのではなかったか。3章1節のはじめある「ヨシュアは朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し」というのは、その勇んだ気持ちが滲み出ているような言葉だと感じる。シティムからヨルダン川岸辺はせいぜい10数キロしかなく2、3時間もあれば到着できる距離である。ところが岸辺については、時は、ちょうど「春の刈り入れの時機で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた(15節)」とある。場所によって川幅の広い狭いはあろうが、聖書辞典の写真で見る限りでは、この川はせいぜい日本の大きな河川に流れ込む支流程度の川である。しかし春先の頃の水流はとても激しく、到底渡ることはできなかった。1節の最後から2節には、ここに三日間野営しなければならなかったとある。3とは象徴的な数字である。もしかしたら、それ以上の野営を強いられたのかもしれない。浅瀬を渡れないかとか、橋がないかとか、様々な渡河方法を必死になって模索したのではなかったか。しかし、たやすく渡れるような場所があっても、そこではイスラエル人の侵入を恐れたパレスチナ側の人々の警戒が行われていたかもしれない。だから、もう普通の方法では渡る手段はないというところに追い込まれていた。そのような中で、3節以下に書かれているような渡河手段を神様が示して下さったのである。
その神様の言葉の真意をどう受け取るかはともかくとして、神様はイスラエル人に、パレスチナの地を与え、住まわせると言ってくださった。また、パレスチナの人々は、イスラエル人やその背後におられる神様のことを恐れていた。そうであるならば、パレスチナに入る道筋は、まことにたやすいはずではなかったか。何ら障壁などなかったように思う。しかしそうではなかったのである。その道には、ヨルダン川の激流が立ちはだかっていたのである。その御心は何かと考えさせられるのである。もしもその道がた易いものであれば、それは他の人々が普通に川を渡るのと何の違いもないものとなろう。しかしそれは神様の御心ではなかった。神様は、信仰者であるイスラエル人ならではの渡河手段を取ってほしかったのである。それは、人間が普通に考え出す渡河手段が不可能となり、万策尽きたという事態になったときにこそ、見いだされるものなのである。神様が教え示して下さる渡河方法を三日間待って、そこで示されたものに忠実に従うということになってゆくのである。これは私達にとっても、そのままあてはまることだと思う。神様の御心は、私達がクリスチャンとしてふさわしく川を渡ってゆくというところにある。信仰者ではない人々と同じような渡河の姿を取らせることはなさらない。そうであればこそ、ことのほか私共の歩みには激流が立ちはだかるのである。それによって人間的なこの世的な手段を断って、神様の示して下さる方法を待ち、それに頼らせるようになさるのである。
2.二番目に示されるポイントは、神様が示した方法が、どのようなものであったかということであり、それが私達に語りかけているのは、どういうことかという点である。神様が示した方法は、まことに驚くべきものであった。契約の箱─十戒が刻まれた2枚の石の板が収められた箱─を、レビ人の祭司が担いで先頭を行き、これにイスラエル人が従った。祭司は、激流逆巻くヨルダン川に足を踏み入れ、そこに止った。すると水がせき止められ、イスラエル人は水の干上がったヨルダン川の川底を渡ってゆくことができた。かつてイスラエル人がエジプトを脱出するとき、海が割れてそこを渡ることができた(出エジプト記14章19節以下)。それよりは規模が小さいものの、出エジプトの出来事を彷彿とさせるような不思議なことが起きたのである。このような方法を、神様が示したことについて、4節最後から5節までの御言葉がとても私の心に響たのであるい。「これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの進むべき道は分かる。・・・自分自身を聖別しなさい。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる」とある。激流の川を渡るというのは、これまでだれも通ったことのない道を行くことである。だから、それを行くためには、普通の人のままでは渡ることはできない。特別な人に変えられなければならない。それが「自分自身を聖別しなさい」という言葉に込められているのだと思う。聖別されるとは、何かピュアなものになるとか、ホーリーな者になるということではない。そうではなく、聖なる神様との特別な間柄に入れていただくということなのである。それはまず、契約の箱を担ぐ祭司の後に従うということなのである。それによって、ヨルダン川で、神様がなさる驚くべきことを体験するのである。そのようなことを通して、聖なる者とされるのである。普通の人とは違う者とされてゆくのだと思う。
ヨルダン川を渡るということは、信仰者として、ぶつかるさまざまな壁を越えてゆくということを意味している。「これまで一度も通ったことのない道」という御言葉から特に示されるのは、私達がまだ一度も通ったことのない老いや病や死の川を渡ってゆくということである。それは、すべての人々が渡ってきた、また渡ってゆく道ではあるが、生きている私達にとっては当たり前だが、まだ一度も渡ったことのない道なのである。昔からヨルダン川を渡るということは、死を越えてゆくこととして受け止められてきた。それは生きている私達にとっては「これまで一度も渡ったことのない道」であり、激流逆巻く道なのである。イスラエル人がそうであったように、そこにはいかなる人間的な渡河方法はないのである。大切なのは、神様が示して下さる方法を与えられることである。聖なる者とされることである。祭司の後に従い、神様が体験させて下さる奇跡に浴するしかないのである。
3.先日、朝日新聞の投書欄に載った投書のことを思い出した。それは、秋田県に住むクリスチャンの投稿だった。義理の母を看取った経験の投書であった。「義母は、体の痛みもさることながら魂の痛み・恐れが大きく、怖い・寂しいと訴えていた」とのこと。そして、おそらくは投書した方を通して彼女は、キリスト教の信仰を病床にて得られ、安らかに召されたとのことであった。どれほど多くの人々が、老いや病むことや、死の川波を聖別されることなく─つまり従うべき祭司もおらず、また神様という存在が見せて下さる奇跡を体験することもなく─たったひとりで越えてゆかねばならず、そのために激流にのみこまれてしまうことであろうか。
4.最後のポイントは、私達は一体どのようにしてイスラエルの人々が体験させられたようなことを味わえるのかということである。私達が契約の箱を担いだ祭司の後に続くとは、どういうことであろうか。祭司がヨルダン川に足を踏み入れている間、その激流がせき止められたということは、私達にとってどういうことなのであろうか。
イスラエルの人々には、それを先頭にしてついてゆける契約の箱というものがあった。また、それを担ぐ祭司がいた。そのことは、本当に幸いだったと思うのである。そのあとに続こうにも、そうできる対象がないとしたら、ヨルダン川を渡るすべがなく、聖別される手段もなかった。契約の箱とは、神様がイスラエル人に与えた十の戒めの言葉が刻まれた2枚の石の板を収めた箱である。戒めと聞くと、私達はすぐに何か無理強いされるようなことを感じてしまう。しかし、本質は決してそういうものではないのである。荒れ野をさ迷うイスラエル人には、それを支えるしっかりとした支柱のようなものが不可欠であった。これに頼っていれば、荒れ野を生き延びてゆけるというシェルターのようなものだと言ってもよい。神様はそれを、石に刻まれたたった10の原理原則として教えた。それは、神様の私達に対する配慮や守りを意味している。私達がどういうところに置かれても、その私達を生かし、支え、守るシェルターがあるということを、契約の箱は示している。この契約の箱を、レビ人である祭司が担いで、激流逆巻くヨルダン川の中で立ち止まるということは、神様の守りの力を、そこで実証するということを意味している。この激流の中でも、神様の私達への配慮は、決して失われないことを証しするものである。そのような祭司がいてくれたことは、何とイスラエル人にとって幸いなことだったであろうか。
私達の前には、もはや契約の箱はなく、それを担ぐ祭司もいない。しかし、幸いにもイエス様が、私達に与えられた神様からの守りでありシェルターなのである。私達は、もはや冷たい石の板に刻まれた戒めに従うことによってではなく、人となったイエス様を、ただひらすら慕い、イエス様を愛することによって、神様の守りと配慮の中に置かれる幸いを得たのである。さらには、イエス様が祭司となって、私達がこれから越えてゆかねばならない苦しみや死の川波のただ中に足を踏み入れて下さったのである。苦しみや死の激流は、イエス様を押し流すことはできず、その中に道ができた。イエス様という祭司がヨルダン川の中に作った道を通って私達は、安心してこの激流を越えてゆけるのである。私達一人ひとりが、イエス様を担ぐ祭司であると言ってもよい。イエス様を担ぐと、激流に足を踏み入れても流されることはない。そしてその後には、続く人々のための道ができる。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 1月13日(日)降誕節第3主日礼拝
09:24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 09:25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 09:26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」 09:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 09:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 09:29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 09:30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 09:31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 09:32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 09:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 09:34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 09:35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 09:36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 09:37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 09:38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 09:39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 09:40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 09:41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
1.ヨハネによる福音書の9章13節から書かれているのは、9章1節以下に描かれていた出来事から生じた波紋の様子である。生まれつき目の見えない人が、イエス様によって目が見えるようになった。これをイエス様がなさったのは安息日だった(14節)。当時、安息日については、細かな規定があった。放っておくと命の危険を招くような緊急事態でなければ、安息日での治療が許されていなかったようだ。盲人であったこの人は、当時のイスラエルの宗教的リーダーであったファリサイ派の人々のもとに呼ばれ、事情をただされた。彼の言葉を聞いたファリサイ派の人々中で、イエス様をどう見るかで意見が分かれたようである。「安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない(16節)」と言う人と「どうして罪のある者がこんなしるしを行うことができるだろうか」と言う人に分かれた。盲人だったこの人は「お前はあの人をどう思うか」と聞かれて「あの方は預言者です」と答えた。
さらに、この盲人だった人の両親が呼ばれた。そして「彼が、生まれつき目が見えなかったのは本当か」と尋問された。22節には「両親はユダヤ人たちを恐れていた」とある。なぜなら、この時には、もう「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。先ほどの16節では、まだファリサイ派の中でも、イエス様をどう見るかの判断は割れていた段階だった。しかし、両親が尋問された段階では、ユダヤ人としての判断は決まっていた。会堂から追放されるというのは、単に会堂から追い出されるということではなく、ユダヤ人としての交わりから断たれる─いわゆる村八分にされる─ことを意味していた。ユダヤ人は、長い間のギリシャ・ローマ世界における独自の歩みによって、様々な独特の権利のようなものを獲得していた。ユダヤ人社会から村八分にされるということは、そうした権利を失ってしまうということを意味したのである。両親はそれを恐れたのである。
その後、再び本人が呼ばれ尋問された。ユダヤ人の指導者たちが彼に要求したのは、「イエス様を安息日を守らない罪人だと認めよ」ということだった。しかし、彼は「イエス様がどういう人なのか、罪人なのかどうかはわからない。しかしイエス様が神様のもとから来のでなければ、私にして下さったようなことができるはずはない。」と答えたのである。すると彼は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか(34節)」と言われて、会堂の外に追い出されてしまった。これは単に会堂の外へ出されたということではなく、ユダヤ人社会から村八分にされたということを意味している。このことを聞いたイエス様は、彼のもとを訪れた。彼によるイエス様への信仰告白がなされ、イエス様は彼に「こうして見えない者が見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言った。私は今日の説教題を「見えることと見えないこと」とつけた。逆説的に、生まれつき目の見えない人が見えるようになり、にだれよりも見えると言い張っていたファリサイ人の人達が見えない者とされるということが、この9章を通して著者ヨハネが最も伝えたいことであったのだろうと思う。
以上のような波紋のありさまというのは、実はこの福音書の著者であるヨハネ─この福音書を書いた当時100歳前後になっていたとさる─が、その周囲で実際に見聞きしていたことを、あるいはもう50年以上もずっと体験してきたユダヤ教とクリスチャンとの間で起こっていた軋轢を記したものだろうと理解されている。ユダヤ教の中のファリサイ派の人々は、特に西暦70年にエルサレムがローマ軍によって破壊された後、ユダヤ人の信仰生活を支えるリーダーとなっていった。信仰生活のより所だった神殿を失ってしまった彼らの信仰のよりどころは、ますます律法を守ってゆくことに置かれていった。だから、神殿を冒涜し、律法をちゃんと守らなかったイエス様をどう扱うか、またそのイエス様を救い主として信じるクリスチャンたちをどう扱うかが大きな問題となっていったのである。最初はファリサイ人の中でも、イエス様をどう見るかで意見が分かれていた。しかし最終的にはイエス様をメシア(キリスト)・救い主として公言する者は、ユダヤ人社会から排除するとの決定が下されたのである。はっきりとキリストだとは公言しなくても、イエス様が神様のもとから来たとするだけでも村八分にされたのである。そのように公言する者たちは、両親や家族とも袂を分かたざるを得なくなっていったのである。ヨハネは、専ら小アジア周辺にいたユダヤ人にイエス様をキリストとして宣べ伝えたいがためにこの福音書を書いたとされている。ヨハネは、イエス様をキリストとして信じれば、特にユダヤ人には、このような結果が起こるという厳しい現実を書いている。それでもイエス様によって「目が見える」ようにしていただくすばらしさを手放すことはできないのだとヨハネは告げているのだと思う。
2.一体、ファリサイ人とは、いったい何が見えていない人達であったのか。だれよりも「見える」と言い張ることにおいて、どのようなことが見えなくなっていた人々だったのか。逆に生まれつき目の見えなかったこの人は、イエス様によって何を見えるようにしていただいたのか。
ファリサイ人は、この生まれつき目の見えなかった人について「お前は全く罪の中に生まれた」と言った(34節)。それは何を意味しているのか。彼が生まれつき目が見えないという障がいを負っていたのは「罪の中に生まれた」ゆえだと、ファリサイ人は言った。弟子たちがイエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか(9章のはじめ)」と尋ねたのと同じ考え方である。ここには、当時の人々が広く抱いていた神様の見方、また神様が人間にどのように関わるかという見方の根本がよくよく現れていると思う。要は、神様が人間の罪に対して罰を下し、それに報いて、生まれつきの障がいや病気を与えるのだという見方なのであった。「神様は常に人間のあら捜しをしていて、少しでも責める点が見つかれば、そこに天罰を下す。だからこそ、神様から天罰を下されないように、人間は律法の行いを一点のくもりないように懸命にしなければならない」とファリサイ派の人々は信じ、教えていたのである。もしある人に、生まれつきの病や障がいなどがあれば、それはその人自身や両親などが罪を犯し、それに対して神様が罰を下した故だというのである。そこから解放していただくためには、律法の行いを積み重ね、何とかして神様の怒りをなだめるしかないというのである。これが、ファリサイ派の人々が、自分たちこそ「見える」と言っていた神様の姿なのであり、神様と人間との関係である。自分たちが、自分ではどうしようもできない病気や災いに襲われたときの見方だったのである。
これがどれほど悲惨な見方であったか。私は、「『声なき者の友』の輪(FVI)」という小さな団体の役員をしている。この団体の代表の神田英輔牧師は、もとは『日本国際飢餓対策機構』というNGOの理事長をしておられた。神田先生からお聞きしたエピソードがある。エチオピアで、干ばつがとてもひどかったとき、神田先生はある村を訪れて灌漑設備を作り、土地の人に「作物を植えよう」と声をかけたそうである。するとその村の村長が無気力な様子で「そんなことをしても無駄ですよ。なぜなら村がこうなったのは神様の罰だから。人間が何をしても無駄だ」と答えたという。この村人が信じていたのはイスラム教であった。イスラム教の始祖であるムハンマドは、もとは商人であったから、その信仰の根本には商売人の考えがとても強くあったようである。神様に、なにものかを支払って何かを買うという考え方による信仰は、わかりやすいといえば確かにわかりやすい。決められた幾つかの行い─それもそれほど難しい行いではない─をやっていれば、神様は喜んで良いものを下さる。こういうわかりやすさが、今でもイスラム教を信じる人々を増やしている理由だと言われている。しかしこのような信仰は、悪いものや災いが降りかかったときには、当然それを買ったのも自分たちのせいだと受け止めさせてしまう。神様からの天罰として受け止めさせてしまうのである。それが先ほどの村長の言葉に現れていた。このような人々に、神田牧師は「いやそのようなことは決してない。どのようななときにも神様は、私たちを愛して、私たちに良いものをくださろうとしておられる。だから井戸を掘って作物を植えてみよう。神様はそれを祝福して下さる。」と励ましたという。
私たちFVIは、インドでもささやかな援助をしている。インドでは、言うまでもなくヒンズー教が人々を支配している。その教えは、弟子たちがイエス様に質問した考え方(9章のはじめ)と同じようなものである。その教えは、本人や親が犯した罪・因果によって、その子孫は最下層のカースト、あるいはカーストにも属さないそれよりももっと下の人間に生まれたりすると教える。女性に生まれること自体も因果応報の結果としている。イスラム教は、ごくごく簡単な日々の行いをすれば神様から良いものをいただけるという教えである。さらにヒンズー教では、この因果応報から抜け出す方法はないとの教えだと思う。このように今でも、常に人間の罪に目をこらし、そこを責めて罰を下す恐ろしい神様を信仰するという考え方が彼らを支配している。ファリサイ派の信仰も同じである。神様のことがだれよりも分かり「見える」と言っても、それは見えれば見えるほど人間であることが辛くなるような見方である。しかしそれは果たして神様の本当の姿なのであろうか。もっとも大事な本当の神様の姿が見えていないのではなかろうか。
3.このようなファリサイ派の人々に対して、この生まれつき目が見えない人は、イエス様を通してどんな神様を見たのか。彼は25節で「目の見えなかったわたしが今は見える」と言い、32節では「生まれつき目の見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、聞いたことがありません」と言っている。イエス様が自分にそのようにして下さったことにおいて彼が見たのは、自分のような者に、何の代金も求めずにすばらしい御業を無料でなして下さる神様の姿であった。彼は、両親からも見放され、物乞いをして生きるしかなく、本人や親の因果がこのような病気として現れるのだと、まるで見世物のように扱われてきた。そんな自分をイエス様は、ただただ何の条件もなく見えるようにして下さった。見えるようになるために彼が払った代価は、びた一文もなかった。払ったものと言えば、イエス様が自分の目に塗ったドロを池の水で洗っただけであった。生まれつき目が見えないという障がいを償うとすれば、どれほどとほうもない程の律法の行いを重ねなければならなかったであろうか。しかし彼には、そのようなことは何一つできなかった。ただイエス様に目に泥を塗っていただき、それをシロアムの池の水で洗っただけなのであった。それなのにイエス様を通して神様は、彼の目を見えるようにして下さった。神様はこのような方なのだと、彼ははじめて知ったのだった。神様は自分たちに、そのように接して下さるとわかった。何が原因で生まれつき目が見えないのかなどわからない。それは私たち人間にはどうしようもない。しかし、それは神様が、その私たちに何かすばらしいことをなして下さるための機会なのである。イエス様が塗った泥を水で洗い流すというような、律法の行いに比べればまるで馬鹿げたようなことを通して、神様の御業は現れてくるのである。それは、私たちにとっては、十字架の上で殺され復活したとされるイエス様を信じ、こうして礼拝に集うことなのである。粗末な紙に書かれた聖書の言葉を味わうことなのである。これはまさしく泥を塗ってもらい、それを水で洗うような愚かしいことではなかろうか。しかし神様は、そのようなことを通して、私たちに、すばらしい働きを現して下さるのである。
生まれつき目が見えなかった彼にとって、このような神様を見ることができるようになったすばらしさは、たとえ両親との縁を切られ、ユダヤ人社会から村八分にされようとも、手放すことができないものであった。生まれつき目が見えないというハンディを抱えた人こそが、逆説的に、見ることができるようになったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2019年 1月6日(日)降誕節第2主日礼拝
しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。 09:13あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。 09:14同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。 09:15しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。 09:16もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 09:17自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 09:18では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。
1.9章1節から18節までに、繰り返し使われている言葉がある。それは「権利」という言葉である。8回も使われている。何の権利なのか。14節に「主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されました」とある。これは弟子たちを派遣するにあたってイエス様が語った言葉である。たとえば、ルカによる福音書の10章7節には「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」とある。これは、福音を宣べ伝える者が、その働きによって生まれた実である信徒の献げものによって生活の糧を得るという権利を指している。
このような権利は、イエス様が弟子たちを派遣するにあたって用いるようにと言っただけではなく、13節でパウロが語っているように、イスラエルにおいて、礼拝や儀式を司る役割を神様からゆだねられていた祭司やレビ人たちにも、与えられていた権利であった。誕生したばかりの初代教会においても、こうした伝統やイエス様の言葉に従って、ごく自然に、伝道者たちは信徒たちが献げるものによって生計を立てていた。
ところがパウロは、この権利を用いなかったというのである。使徒言行録の18章3節に、コリントでのパウロの伝道の様子として、「パウロはこの二人(プリスキラとアキラという夫妻)を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」とある。パウロは、その設立したすべての教会において、このように生計を立てていたわけではなかったようである。コリントでパウロは、テント造りの仕事をしながら伝道をしていた。なぜコリントでパウロがそうしたのか。その理由をここには詳しく書かれてはいない。しかし、12節には「キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」とだけ記されている。
コリントで信徒になった人々は、奴隷階級の者が多かった。そのような人々は、だでさえ大変な生活のうえに、さらなる負担をかけるのを、パウロが避けようとしたのかもしれない。当時の社会には、様々な宗教を布教する巡回説教者のような人々が多くいた。彼らは、説教を聞いた人々からお金を取っていたということもあり、そうした説教者と同じに思われることを避けようとしたのではないかとも注解書には説明されていた。
このようにパウロが、コリントで伝道者が当然に用いるべき権利を用いなかったことが、いろいろな点で、パウロと対立していた他の伝道者たちにとって、彼を攻撃する格好の材料となった。パウロ自身が認めていたように、この権利は、祭司やレビ人が、神様からそうするようにと命じられ、イエス様も弟子たちにそうするようにと言った権利であった。そのような大事な権利を、パウロはなぜ用いなかったのか。それはある意味、当然の批判であったとも言えよう。ここには、パウロを非難した人々の具体的な言葉は何も書かれてはいない。しかし、たとえば、そのように信徒たちに負担をかけないことで信徒たちのご機嫌を取り、他の伝道者よりも歓迎されようとしたのではないかという批判もあったであろう。また、そのようなパウロの伝道のスタイルが当たり前になってゆくことへの危惧もあったに違いない。
最大の批判は、パウロがこの権利を正々堂々と用いなかったのは、そうすることに、どこか後ろめたい気持ちがあったからではないかという邪推であった。パウロは、もともとクリスチャンを迫害していたファリサイ人だった。そのことで、パウロを偽使徒だと言った人々もいた。そのことの現れが、この権利を用いないことなのだと批判したのである。このようなパウロへの非難に対して、パウロは精一杯答えようとしたのである。
2.次に考えたいのは、一体どういう文脈からパウロは、このようなことを書くに至ったのかという点である。9章1節は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。私たちの主イエスを見たものではないか」と始まっている。明らかに、この文章は「パウロは偽使徒ではないか」との批判を受けてのものだとわかる。
しかし、そういう批判に対して、復活したイエス様と直接会い、使徒として選ばれた者として「自由な者ではないのか」と声を大にして叫んでいるパウロの様子が伝わってくる。「確かに福音を宣べ伝える伝道者・使徒が、福音によって生活の資を得るというのは、イエス様ご自身がお命じになったことではあるけれども、自分もまた、イエス様によって直接使徒として選ばれた者として、どのように生計を立てつつ伝道するかということは自由であってよいのではないか。使徒として福音を宣べ伝えるという務めを十分に果たすなら、どのようにその生計を立てるかということは自由であってよいのではないか。臨機応変であってよいのではないか。そこまで一律に“伝道者ならこうあるべき”と枠にはめる必要はないのではないか。」とパウロは言いたいのだと思うのである。
この点こそが、前の8章までの文脈とつながるように思う。ポイントは「自由」である。これまでにコリント教会に生じていた様々な問題が扱われてきた。しかし、そのどれもが自由ということと深くかかわっていると思うのである。7章22節・23節に「主によって自由の身にされた者・・・主によって召された自由な身分の者は・・・人の奴隷となってはいけません」とあった。「体は墓場だ(ソーマ・セーマ)」とギリシャ・ローマの人々は考えて、何とかして体の不自由さから解放されることを切実に求めていた。コリント教会の人々も、クリスチャンになってもなお、そのことを願い求め、たとえば体の求めることを必要以上に抑圧して、極端な禁欲や独身主義に走ったり、奴隷である体の状態から何とかして自由にならねばと悩んだり、世俗の世界に体を置くことで、そこに流通していた偶像の神々に捧げられた食肉を食べてもよいかと悩んでしまっていた。
それは、ひとことで言えば、自由を求めるが余りに、逆に不自由になってしまっている姿だと言ってよいと思う。その結果として、教会全体が「こうであらねばならない」との縛りが、とても強い雰囲気になってしまっていたのではなかろうか。パウロは、8章までを書いてきて、このようなコリント教会の問題性を強く感じたがゆえに、自分に対して「使徒であるならばこうであらねばならぬ」と批判をする人々への反論を語ることに、自然に筆が動いていったのではなかろうか。
3.ここにきて「わたしは自由な者ではないか」とのパウロの心が読み取れたように思う。
この自由さとは、そもそもいかなるものか。決して普通の意味で、私たちが好き勝手なことをしてよいという自由ではない。「使徒ではないか。主イエスを見たではないか」とある。これはパウロが、ダマスコに行く途中で、復活のイエス様と出会い、クリスチャンを迫害していたファリサイ人であったにもかかわらず、使徒・伝道者として選ばれたことを物語る言葉である。神様・イエス様は、パウロが迫害者であったことなどはものともせずに、いや迫害者であったればこそ、彼を使徒として選んだのである。それは、私たち人間の考えをはるかに越えたイエス様・神様の選びの「自由」である。そのようにして選ばれたことにおいて、私たちの「自由」がある。パウロは、自分が迫害者だったという過去に縛られることがない。私たちは、それぞれが抱えている様々なマイナスに縛られないのである。
私たちと神様・イエス様との間柄は、根源的に神様・イエス様の側がイニシアティブを取っている関係である。その自由さは、私たち人間の側の様々な欠陥やマイナスをものともしない。むしろ、それをこそ用いて神様の御業を現すのである。イエス様は、生まれつき目が見えないという、私たちにはどうしようもできないハンディについて「それは神の御業が現れるためのものだ」と言った。このような神様・イエス様の御業の自由さにおいて、私たちの自由さがある。それなのに私たちは、「自分たちはこうでなければならない、教会はこうでなければならない」と型にはめて考えてしまう。イエス様自身がパウロを使徒として選んだのに、人々は彼を「偽使徒ではないか」と言った。その選びにおいて示された福音を、パウロは彼なりのやり方で伝えようとしたのに─確かに他の伝道者たちが生計を立てるありさまとは異なってはいたが─、人々は、その福音を偽物だと、彼の生活の資を得るあり様は間違っていると批判した。
最も大事なのは、神様・イエス様の御業の自由さである。その自由さにおいて、私たちは自由な者ではなかろうか。しかし私たちは、この自由さを大事にしているであろうか。私はこの2月に、神学校の同級生から依頼され、彼が地区長を務める中部教区富山地区の役員研修会で話をすることになっている。彼は、先日電話で私に「お前ほど自由な者はいないよ」と言ってくれた。それが、はたして誉め言葉だったのか、それともあきれたゆえの言葉だったのかはわからない。しかし、私は誉め言葉だと思っている。神様・イエス様の御業の自由さが、私という人間からも「香り」として放たれているということではなかろうか。この2019年も、わたしたちそれぞれに、自分ではいかんともしがたい不自由さ・マイナスが科されるだろうと思う。しかしそれをこそ用いて、神様は福音の喜びを私たちに味わわせて、証しさせて下さる。この神様の自由さにおいて私たちは自由なのだから、「こうであるべきだ」と型にはめてはならないのである。
4.神様・イエス様が与えて下さったこの自由さに生きることにおいて、パウロが得ていた様々な賜物があった。15節・16節には、「誇り」という言葉が繰り返し出てくる。また17節・18節には、「報酬」という言葉が度々使われている。それはパウロが、その伝道者としての生き方をすることにおいて、伝道者としてのプライドをいただき、また大きな報酬をもいただいてきたという思いを語っている。他の人からどう言われても、周囲の人々とはどんなに違っていても、私は神様・イエス様によって選ばれた者であり、福音を示され、それを自分なりのやり方で告げ、知らせているということが、パウロの誇りであり報酬なのである。
なお、パウロがここで報酬という言葉を度々使うのは、イエス様が弟子たちを派遣したときの言葉に「働く者が報酬を受けるのは当然である」とあったからではないかと思う。パウロを悪し様に非難した人々は、「お前はイエス様が受けるのが 当然とおっしゃった報酬を受けていないのではないか。報酬をちゃんと受けていないということは、おまえの伝道がちゃんとしたものではないことの現れだ」と批判したのではないかと思う。これに対してパウロは、「いや自分はちゃんと報酬を受けているのだ」と応えたのであろう。確かに、信徒から献げ物を受け、それによって生活の資を得ることをしていないということだけをとれば、報酬を受けていなかったかもしれない。しかし、17節には「自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう」とある。また、18節には「わたしの報酬とは・・・福音を告げ知らせるときに、それを無報酬で伝え」ることだとある。文字通りには「無報酬」に見えるかもしれないが、誇りをもって福音を宣べ伝えられること、それ自体に報酬があると言っているのである。
皆さんは、パウロや私たち牧師のように直接伝道者として選ばれているわけではない。しかし、一人ひとりに神様の選びというものがあるはずなのである。イエス様の選びによって与えられた密かな働きがあるはずなのである。それは周囲の人々からは、なかなか理解されないものかもしれない。しかし、それをなすことに誇りが与えられ、豊かな報酬が与えられ、何よりも自由を与えられるということを、パウロは教えてくれているのだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
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