2018年 12月30日(日)降誕節第1主日礼拝
02:01ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。 02:02ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、 02:03王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」 02:04女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。「確かに、その人たちはわたしのところに来ましたが、わたしはその人たちがどこから来たのか知りませんでした。 02:05日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」 02:06彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、 02:07追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。 02:08二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、 02:09言った。「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。 02:10あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。 02:11それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。 02:12わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 12月24日(月)19:00 クリスマス・イヴ礼拝
14:03イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 14:04そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。 14:05この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。 14:06イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 14:07貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 14:08この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 14:09はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
1.「ナルドの香油」のエピソードは新約聖書の中でも特に有名な箇所である。また「ナルドの壺ならねど」という歌詞ではじまる美しいメロディを持った讃美歌は、讃美歌百選の中に必ず選ばれる。
ある女性が、かなり高額な香油を、すべてイエス様に注ぎかけた。同様の場面を記したヨハネによる福音書の12章3節には「家は香油の香りでいっぱいになった」と書かれている。そのような香油の香りが皆さんの心の中に、いっぱいに広がって下さればと願う。
この聖書箇所の最後に「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とイエス様の言葉が書かれている。「福音」とは、喜びの知らせ、喜びをもたらすメッセージという意味である。この人のしたことが、福音の宣べ伝えられるところでは、どこでも語り伝えられるだろうというイエス様の言葉は、この女性のしたこと、またそれだけではなくこの出来事全体が語り伝えられるときには、それを聞く人々に福音、すなわち喜びが伝わるという意味ではないだろうか。家に香油の香りが一杯に満ちたように、この出来事を聞く人の心は、喜びでいっぱいになる。生きる喜びが伝わってくる。
私は、生まれたときから、父に連れられて教会に通ってきた。62歳になり、その半分以上の32年間、福音を宣べ伝える牧師として歩んできた。今思うのは、福音とは、その言葉の通り、喜びこそが核心にあるということである。福音は、喜びを私たちにもたらす。私たちの人生には、喜べないことやつらいことが多い。私たちから喜びを奪ってしまう出来事が、たくさんある。そのような私たちに、福音は喜びをもたらしてくれる。あるいは、どのようにして喜べばよいのかを教え諭してくれる。何を喜ばず、また何を喜ぶべきかを教えてくれる。皆さんの心の中に、生きる喜びが、香油の香りのようにいっぱいになればと願う。
2.この聖書の言葉から伝わってくる最大の喜びは、この女性が、このようなふるまいをすることについての喜びである。彼女が、イエス様に注いだ香油は、300デナリオン以上の金額で売ることができた。1デナリオンとは、当時の労働者の一日分の賃金だとされる。何とこの女性は、おおむね年収に相当する高価な香油をすべて、一度にイエス様に注いでしまった。そこに、彼女の喜びがあった。
この人がどのような素性の人であり、どのようにしてこのような高価な香油を用意したのか、どのような気持ちから、このようなことをしたのか、それらは定かではない。あくまで私の勝手な想像だが、自分の全財産を、すなわち自分のすべてを、死んでゆこうとするイエス様のために捧げようと思ったのかもしれない。遺体に香油を注ぐのではなく、何とかして、生きているうちに、心から慕う人に、ある意味で、自分のすべてを献げ尽くしたいと願ったのかもしれない。
彼女のそのような行為は、周囲にいた人々から「無駄使いだ」と憤慨された。「お金に変えればたくさんの貧しい人々に施すことができるのに」と非難された。しかし、彼女は心から慕うイエス様のために、すべてを捧げたかったのである。無駄使いだと言われようとも、それが彼女の喜びだったのである。そして、その、たった一回きりの喜びを糧に、これからの人生を生きてゆけると思ったのではなかろうか。
この女性のような喜びを、ほんとうの喜びとしなさいと、イエス様は教えているように思う。それは、ひとことで言うなら、無駄を献げるということであろう。私は、牧師としての自分の歩みを、」無駄の多い生涯だと、しばしば感じる。私たちの生涯は、たとえば300人以上の人々に何かを施して大きな成果を上げるようなものではない。礼拝にくる人が多くても少なくても、毎日曜日の礼拝のメッセージのために、来る日も来る日も、何時間もかけて準備をするのである。このわずか15分程のメッセージの準備でさえ、丸二日間費やしてしまった。それが聞いてくれる皆さんにとって、どれほどの糧となるのか。そんなことをするよりも、同じだけの時間を働いてそこで得たお金を貧しい人々に施した方が、よほど有意義であり、実際的な助けになるのではなかろうか。そのような無駄や空しさを感じて、やめてしまう牧師も多い。しかし、この聖書の言葉から私は、私たちの人生の喜びには無駄がつきものだと教えられる。無駄がなければ喜びはないのではなかろうか。無駄を費やす人生にこそ、喜びがいっぱいに満ちのではなかろうか。それがまず、イエス様の教える福音なのだと思う。
3.この女性が、このようなふるまいに及んだのは、言うまでもなくイエス様への愛情からであった。愛するからこそ、無駄を喜べるのかもしれない。無駄の伴わない愛情は、ないのかもしれない。愛情を注ぐことができる人生であれば、喜びは尽きないのだと教えられたように思う。
今年のクリスマスは、私にとって悲しみの深い思い出となるであろう。一昨日の土曜日、14年弱一緒に暮らしてきた飼い犬を天におくった。私の腕に抱かれての最期だった。このことを通して、愛犬が私にくれたプレゼントは何か、また神様が下さった喜びは何かと考えた。このように悲しみが深いほどに、私はその犬を愛していた。愛するがゆえの悲しみがあった。しかし、だからこそ、そこにはまた喜びも尽きないのだということがわかった。
この女性も、イエス様を失ことに、どれほどの深い悲しみがあったであろうか。それゆえの香油であった。しかし、悲しみが伴う愛ほど、喜びとなるものはないのである。悲しみが伴う愛ほど、私たちの心いっぱいに満ちる喜びとなるのである。
4.最後にもうひとつ、浮かびあがってくる喜びがある。それは、これほどの香油を注ぎかけられたイエス様の喜びである。
この箇所の前後には、どういうことが書かれているか。この直前には、イエス様を殺す計画が進行していたことが書かれている。この直後には、イエス様の直弟子のひとりであったユダが、イエス様を裏切ろうとしていたことが記されている。この二日後には、イエス様は十字架につけられて悲惨な死を遂げてゆかねばならない。そのような中に挟まれるようにして、間もなく殺されゆくであろう自分を迎えて一緒に食事をしてくれたシモン、またほぼ全財産とも言ってよいほどの高価な香油を死んでゆく自分のために費やしてくれた女性のふるまいがあった。イエス様はそれをどれほど喜んでおられたであろうか。最後のイエス様の言葉には。その喜びがありありと感じられる。
私たちの喜びは、こうしてもたらされるものなのだとイエス様は教えて下さるのである。多くの人からは歓迎もされず感謝もされない。殺害の計画がなされ、直弟子にさえ裏切られ、十字架の上で殺されるような人生である。しかし、たったひとりでも食事を共にしてくれる人がいれば、また、たったひとりでも感謝を捧げてくれる人がいるのなら、その人生は喜ぶべきものなのである。そのような些細なこと、小さなことに豊かな喜びを見いだす者でありたいと願う。また、愛しつつ無駄を費やす人生でありたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 12月23日(日)クリスマス礼拝
09:01さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 09:02弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 09:03イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 09:04わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。 09:05わたしは、世にいる間、世の光である。」 09:06こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。 09:07そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 09:08近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 09:09「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 09:10そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、 09:11彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」 09:12人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
1.ヨハネによる福音書の8章12節に「私は世の光である」というイエス様の言葉があった。9章5節にも「私は世にいる間世の光である」というイエス様の言葉がある。イエス様は、私たちを照らす真の光として、神様からの光として、この世に来て下さった。光には、それが当てられた対照物の色や形を浮かび上がらせるという働きがある。太陽の光に照らされたときの色や形を本来のものとすれば、夜に蛍光灯などの人工照明の下では物は随分違って見える。そのように、神様からの光に照らし出されたときと私たち人間が考え作り出す光に照らし出された時とでは、私たち自身の姿や、この世のこと物が随分違って見えるのだろうと思う。8章にも、そのようなことが書かれていたが、5章においても、そのことがくっきりと浮かび上がっている。
1節に「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた」とある。8節によれば、この人は物乞いをしていたとのことである。18節以下には、この人の両親も登場している。両親が近くにいたのに、その息子であるこの人は物乞いをして生活してゆかねばならない境遇に置かれていたのである。このような人に、どのような光が当てられてゆくのかがこの箇所の主題である。イエス様が、通りすがりにこの人を見かけらたというのは、イエス様のまなざしを通して神様の光が当てられたことを意味している。これに対して、弟子たちがイエス様に2節にあるような質問をしたことは、弟子たちをはじめとした当時の人々や社会が、この人にどのような光を当てていたのかを物語っている。まず、弟子たちや当時の人々がこの人に当てていた光がどのようなものであったかを考えてみたい。
2.弟子たちは、イエス様に「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか」と尋ねた。古くから日本に「親の因果が子に報い」という言葉がある。どうしても治らない病気を「業病」と呼んでいたこともあった。自分自身や親などの近しい者が犯した悪や業(ごう)というものの因果応報から、こうした病気や障がいを背負うことになると考えたのは、古今東西広く行き渡った受け止め方であった。これが、生まれつき目が見えない人に対して、人々やこの世が当てた光だったのである。
だれかが罪を犯したからこうなったのかとの問いには、単に犯人捜しをしようとの動機ではなく、何とかしてこのような障がいが生じた理由・原因を突き止めて、できることならそれを取り除きたいとの思いからのことだと私は受け止める。誰かが罪を犯したためにこうなったのであれば、それは他の人に対しての罪を犯さないようにとの警告にもなろう。また犯した罪から解放される手立てを見いだすことに資することにもなろう。それはちょうど、私たちが病気になったとき、必死になって私たち自身も医者もその原因を探るのと同じことである。病因を突き止めてそれを取り除くことで病気を治療しようとするのである。
しかしどう原因を探り、それを除去したいと思っても。そうできないことがある。生まれつき目が見えないという障がいは、そういうことを指していると私は思う。ある病気や障がいは、特定の遺伝子が欠けていたり反対に多いことが原因で起こるとわかっている。しかし、それが原因でそうなるとわかっていても、障がいを発症させた遺伝子そのものを取り除くことはできない。それなのに、何が原因かと問い詰め、それを何とかし取り除こうとするのは、できないことであるがゆえに辛い。この盲人と両親との間柄は、この家族が抱えてきたそのような辛さを物語っているように思えてならない。
この教会では「弱さを誇ろう会」というものをしばしば開催している。そこに集まる方々は皆、長い間、何らかのハンディを負ってきている。彼らは「そうなった原因は、あなた自身にあるのだ」と周囲の人々から指摘されたことがあったかもしれない。本人も、自分のせいでこうなったのだと思い、その弱さの原因を取り除こうとしても、それができない自分にどれだけ歯痒い思いをされてきたであろうかと思う。私自身が背負っている弱さと言えばおそらく頭痛であろうが、それはだれのせいなのか。「お前が原因ではないか、原因を取り除け」と責められても、普段から不摂生をしているわけではないし、パソコンもスマホもやらず、本を長時間読むというわけでもないので、どうしようもない。もし何かをやめるとしたら、現職を退くということしか思いつかない。このように、だれかに原因があって背負うのではない病や障がいというものがあり、またたとえ原因がわかっても取り除くことのできないものもある。それに対して「誰かが罪を犯したからかだ」と問い詰めるのは、本当に酷である。生まれつき目が見えない人に、弟子たちや当時の社会が当てていた光とは、そのようなものであった。当てることで逆にその人をどうしようもない暗さへと落ち込ませるしかない光だったのである。
3.このようなところにイエス様がこの人を見かけ、またかかわることによって、神様の光が差し込んできたのである。弟子たちの問いに対してイエス様は、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と答えた。このイエス様の言葉によって、どれだけの、数え切れない人々が救われて来ただろうか。実際には、目が見えるようにならなくとも、障がいを負っている多くの人々は、このイエス様の言葉によって救われてきた。それは、その光を当てられることでかえって深い闇へと突き落とされてしまうようなこの世の光・人間から出てくる光とはまるで対照的な神様からの光が、このイエス様の言葉から差し込んでくるからなのである。実際に目が見えるようになったり病や障がいが癒されたりすることはなくとも、それを背負って生きてゆかねばならない人生に、明るい光が当てられているからなのである。
イエス様は、生まれつき目の見えなかったこの人の障がいを、神様のすばらしい働きが現れるためのものだと言った。結果としてイエス様はこの人の盲目という病を取り除いたので、病そのものをすばらしいものとは決して考えになってはいなかったと思う。もしそのように考えでいたのであれば、目が見えるようにはしなかったであろう。盲目という病そのものがすばらしいのではなく、そのことを通して神様の働きが現れることがすばらしいのである。
病気や、何らかのマイナスを背負ったとき、私たちは必死になってその原因を探り、そのマイナス状態を除去しようする。取り除くことができれば幸いだと私たちは思う。しかし、人間の手によって除去してしまえば、もうそこには神様の御業が現れる余地はなくなる。生まれつき目が見えないという障がいは、私たち人間には、いかんともしがたいマイナスである。しかし、私たちではどうしようもないマイナスを背負うことを通してはじめて、神様のすばらしい働きが現れるようになるのだとイエス様は言っておられるのである。このようにして、私たちにはいかんともしがたいマイナスを背負うことに神様からの光が当てられるのである。それによって、背負っているマイナスを全く違う視点で見る目─内的な目─が与えられる。だからこそ、これまで多くの人々がこのイエス様の言葉によって救われてきたのである。それは、実際に目が見えるようにはならなくとも、全く新しい視点が与えられたからなのである。
4.イエス様は、どのようにして、この人の上に神様の御業を現して下さったのか。そのためにイエス様がなさった手段に、私の心は引き付けられた。イエス様がなさったのは、何と地面に唾を吐き、その唾で土をこねてその人の目に塗るということであった。どうしてイエス様は、わざわざこのような方法をとったのであろうか。マタイ・マルコ・ルカによる福音書には、イエス様はバルティマイという盲人に対しては、何にもなさらずにただ「何をしてほしいのか」と尋ね、その盲人が「目が見えるようになりたいのです」と答えると、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」という言葉のみで目が見えるようになったと書かれている(例えばマルコによる福音書10章40節以下)。また、これはマルコだけが書いている出来事であるが(マルコによる福音書8章22~26節)、ベトサイダという村では、盲人の目に唾を塗って両手をその人の上に置いたところ、その盲人の目が見えるようになったと書かれている。だから、何もわざわざ土に唾を入れてドロのようにして目に塗らなくてもよかったのではなかろうか。この記載については、創世記の2章6・7節で、地下からわき出た水で潤っていた土から神様が人を造ったとの出来事が横たわっているのではないかとも考えられてきた。
イエス様が、なぜわざわざこのような手段を取ったのかは定かではないが、私がここから感じるのは、イエス様は、目が見えるようになることとは、一見すると全く無関係なことを、また愚かしくばかげて見えるようなことを神様の御業を現すために行なったのではないかと思うのである。ヨハネが最初に記したイエス様の奇跡が、足りなくなったブドウ酒を補うためには全く無関係と思われる水を瓶に汲むことを通して現されたこととだぶっているように感じるのである。私たちではどうしようもない病や、障がいや、マイナスを通して、神様の御業が現されるのには、何か特別な手段や道具立てが必要なわけではないとの教えではなかろうか。イエス様の唾や、土や、ドロを目に塗る、あるいは水で洗うというような、ごく身近で粗末なことを通して、神様の御業が現されてゆくのである。それは、具体的にどういうことを指しているのかと思い回らすと、たとえばイエス様の唾そのものでは勿論ないが、その唾が象徴的に込められていると言ってよいのは、イエス様の言葉だと思うのである。それは、紙切れでできた─粗末な土のような─聖書の中にある。イエス様の言葉を泥のように粗末な礼拝の中で聞くことが、私たちにとってはここに書かれていることなのかもしれない。シロアムの池の水で洗えというのは、水とはヨハネによれば、常にイエス様が十字架の上で流されたの犠牲の血を現しているので、それを信じ、その流れの中に身を浸しなさいということかもしれない。洗礼式では、わずかな水を頭に注ぎかけるというまことに粗末な儀式にすぎない。しかし、そのようなことを通して不思議にも神様の御業は私たちの上に現れてゆくのである。生まれつき目が見えないという障がいに現されているように、私たちは自分で背負ったのでないのに、取り除くことのできない様々なハンディを負う者である。その辛さはいかばかりであろうか。しかし、そこにこそ神様の御業が現れるのである。そのために必要なのは、本当に粗末にしかみえないようなことなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 12月16日(日)待降節第3主日礼拝
08:01偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 08:02自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 08:03しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。 08:04そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。 08:05現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、 08:06わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。 08:07しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。 08:08わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。 08:09ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。 08:10知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。 08:11そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。
1.ここで取り上げられている事柄は、偶像の神々に備えられた肉を食べることを巡っての問題である。コリントの町には、古くからギリシャ・ローマの神々を祭った神殿があった。その神々に供物として捧げられた動物の肉が、食肉として市中に出回っていた。10節には「知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いている」とある。このことから、もしかしたら神殿の境内で、こうした肉を料理した食べ物が提供されていたのかもしれない。この10節にも、このような肉を食べることについて「知識を持っているあなた」と書かれている。しかし、コリント教会のある人々は、何ら問題を感じることはなかったのである。ところが、ある人々─一この聖書箇所では貫して「弱い人々」と表現されている─は、「今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に備えられた肉だということが念頭から去らず、良心の阿責にかられてしまったのです。そういう人々を、平気で肉を食べる人々は信仰の弱い者として非難したのでしょう。非難をされた人々は、自分たちを擁護するためにも、「偶像の神々に備えられた肉を平気で食べるとは何たることか(7節)」と応酬をした。
2.コリント教会で、こうした問題が起きていたことを読み、私はコリント教会にこれまでに生じた様々な問題を思い起こした。それらの問題は、いずれもコリント教会の人々がクリスチャンにならなければ直面することのなかった問題ではないかと感じるのである。それは、クリスチャンになったがために抱えるようになった問題ではないかということである。彼らが今まで通りに、ゼウスとかアポロンとか、ギリシャ神話でよく知られた神々を拝んでいたのなら、その神々への供物として捧げられた動物の肉を喜んで食べたであろう。ところがクリスチャンになったがゆえに、6節に記されている父なる神様またイエス様を信じる信仰と、7節にある今までなじんできた偶像礼拝との狭間に立たされて、葛藤を抱えてしまうことになったのである。
それを、ある人々は「信仰が弱いからだ」と非難したのである。父なる神様とイエス様を強く信じる信仰があれば、偶像の神々に備えられた肉であることなどは、何ら動じることがないだろうという批判は、確かにその通りである。しかし、先祖代々長く奉じられてきた信仰であった。いまだ多くの家族親戚や友人・知人たちが、そうした神々を信じて生活している中で、少数者としてクリスチャンは生きてゆかねばならなかった。偶像に備えられた肉を食べるにしても食べないにしても、葛藤を抱えてしまったことは致し方のないことではなかったか。それは、クリスチャンになったがゆえに直面してしまった問題なのであ。このようなことが、2000年前の時代社会には往々にしてあったし、同様のことが今日でも大いにあることではないかと感じさせられるのである。こうした葛藤を抱えつつも、クリスチャンたちは精一杯信仰を守ってきたのだと感じる。そのしんどさゆえに、信仰から離れてしまった人々もいたであろう。しかし、悩みつつも懸命に信仰を守ってきたのだと思う。
3.それでは、そもそも、どうしてクリスチャンになったがために、こうした偶像の神々を信じることや、その肉を食べることとぶつかってしまうようになるのであろうか。先日、世界遺産になった長崎の隠れ切支丹の歴史を扱った番組を途中から観た。明治になって、やっと禁教が解かれるまで、一体どれだけの人々が迫害を受け、殉教の死をとげていったであろうか。五島列島に隠れ切支丹が多いのは、迫害を逃れて、そうした離れ孤島に逃れたからだと言われていた。なぜそこまでして信仰を守ったのかについて、それはどうしても譲れないし捨てることのできないものだからだとの説明がなされていた。その捨てたり譲ったりできないものというのが2000年前、イエス様からの、それまでの私たちの世界にはなかった貴い贈り物だったのだと思うのである。イエス様が私たちに贈ってくださったクリスマスプレゼントは、たとえ迫害されても捨てたり譲ったりすることのできないものなのである。それは、様々な葛藤を抱えることになっても譲歩できないものなのである。イエス様によってもたらされた贈り物は、ギリシャ・ローマの人々や江戸幕府の人々が奉じていた信仰や価値観とは決定的に違うのである。だからどうしても、あい入れないのである。「相いれないものなら、さっさと捨ててしまえばいいではないか」と言われても、その人達は、ギリシャ・ローマ世界や江戸幕府が支配する時代の中で生活していたのだから、そう簡単ではなかった。両方の場に足を置いているだから、どうしても葛藤を抱えてしまわざるを得ない。しかし悩みつつも、捨てることはできない。そこが大事なのではなかろうか。
4.イエス様が2000年前に、私たちにもたらした贈り物とは何か。6節に記されているのが、まさにそれだと言ってよいと思う。「私たちにとっては・・・存在しているのです」とある。どこからどこまでがそうであるかは定かではない。しかし、この文章は、私たちが今毎週告白している使徒信条のように、すでに当時の時代に流布していた信仰告白のようなものだとされている。この信仰告白によれば、偶像の神々を信じる信仰と全く相いれないものとして、イエス様が私たちにもたらしてくださった贈り物とは、神様が父であり私たちは神様の言わば子供として生まれ、また神様のもとへと帰ってゆける存在なのだと信じることのできることなのである。神様が父であり、私たちがその父から生まれ、父のもとへ帰る子どものような存在だと信じることは、偶像の神々を信じることと何が違うのか。何が私たちにもたらされたのであろうか。
新約聖書学者のエレミアスは、『新約聖書の中心的使信』という有名な講演の中で、「イエス様のメッセージの核心にあるのは、神様が父─それも厳格な父ではなく幼子が『お父ちゃん・パパ』と呼びかけるような存在としての父─であり、私たちがその子供であってよいとの点にあると語った。それが如実に現れているのが、イエス様が弟子たちに教えた主の祈りだという。その祈りのはじめで、イエス様は神様を『アッバ』と呼べと教えた。アッバとは、言葉を口にし始めたばかりの幼子が、父を呼ぶ言葉「オトウタン」である。イスラエルの人々も、神様を父と呼んだことは確かにあったそうである。しかしそれは決して幼子がお父さんを呼ぶような関係ではなかった。もしそのように呼んだならば、それは神様を冒売することになった。けれどもイエス様は、私たちと神様とは幼子とオトウタンとの間柄なのだと教えて下さった。だから私たちは、神様の前で弱く小さな者であってよいのである。そこにこそ、私たちの幸いがある。
これこそが偶像の神々を信じることと決定的に違う点なのである。なぜ神々に供物を献げるかというと、それによって神々のご機嫌を取るためなのである。神々は気まぐれで、いつも供物によって機嫌をとり、なだめすかしていなければ何をするかわからない存在なのである。だから人間は、いつも神々を恐れ、戦々恐々としていなければならない。何か不幸があると、神々の怒りをかったのかと思い、そしてその怒りをなだめるために、また供物を捧げなければならない。これが2000年前の信仰世界である。どれほど、この信仰世界が、当時の人々をがんじがらめに縛っていたか。そしてこれは2000年後の現代でも何ら変わることはない。何か不幸があると、目に見えない存在によって起こったものと考え、法外なお金を払って、占いやお祓いの類いに頼る人は後を絶たないのである。
こうした世界に、イエス様は全く違う神様との関係をもたらしたのである。神様は私たちを、あたかもお父さんが幼子を慈しみ、だっこし、守るかのように育んで下さる。どんなことが起きても、それは、その慈愛の中で起きることなのである。もしかしたら、目に見えない悪しき存在に出会うことがあるかもしれない。しかし、そうした存在が、お父さんである神様の私たちへの愛情に勝って悪さをすることはできないのである。すべてのことは、父なる神様の良き心から出たことであり、そこに行きつくのである。イエス様を信じ、何よりも洗礼を受けてイエス様に結び付けられた私たちは、私たちに先だって父から出て父のもとへ帰ったイエス様から離されることがなく、この道を決してそれることはないのである。ここには安心がある。幼子のように小さな者・弱々しい者として生きることの逆説的な幸いがある。「幸いなるかな、汝貧しきもの」とイエス様が山上の説教の冒頭で語ったように、それまでの幸福観とは全く逆転した価値観がイエス様から私たちに贈られたのである。
5.このようなことから「イエス様がもたらして下さった信仰にしっかりと立つのなら、もはや偶像の神々に供えられた肉を食べることなど何ら問題にはならないではないか」という結論になりそうである。ところがパウロは、7節で「しかし」と言って、「この知識がだれにでもあるわけではありません」と語っているのである。イエス様から贈り物として与えられた信仰におけるすばらしい知識が私たちにはある。しかし、だれしもが完璧に、この信仰に立って世俗の世界を生きられるわけではないのである。イエス様から贈られたこの信仰のすばらしさを手放すことはしないし、捨てるのでもないが、信仰の弱さ・貧しさゆえに完全に立脚することができないでいる。パウロは、それを何度も「弱さ」と言った。信仰の弱さであることを否定はしない。しかしだからと言って、そういう人々を「弱い」と言って全面的に切り捨てていいとは言わないのである。彼らの信仰や神様を知る知識が弱いのは確かだが、イエス様から贈られたものを捨てようとはしていないのである。大事なものだと守ろうとしているのである。その貴さをわかっているのである。だからこそ現実の世界の中で葛藤し悩んでいるのではなかろうか。「そのような人々を、ただ信仰の弱い者として切り捨てるのではなく、大事にしてほしい。そういう人々のためにも、キリストが死んで下さったのです」とパウロは語るのである。
このようなパウロの語りかけの土台にも、イエス様がもたらして下さった贈り物があるように感じる。私たちは、父なる神様にとっては幼子でしかない。幼子は、父の考えや思いのすべてをわかるわけはないのである。だから、私たちには神様が父であり万物が父なる神様から出て神に帰するということのすべてはわからないのである。幼子である私たちには、わからないことだらけ、信じきれないことばかりである。しかし、言ってみれば、神様がお父さんであり、私たちがその幼子であってよいというイエス様の贈り物には、心引かれるのである。この贈り物を手放したいとは思わないのである。全面的にわかるということはないけれども、しかしそこを頼りにしたいとは思うのである。
受洗準備会で、受洗志願者の女性がこように言っておられた。「イエス様の十字架の意義や復活のことがすべてわかるとか、信じられるとか、そういうことはありません。あるのは、12年間長血を患った女性がイエス様の衣の房にすがったように、わたしもこの方にすがりたいという思いです」と。それでよいと私は申し上げた。「この方にすがりたい」と思うのは、イエス様が彼女に贈って下さった贈り物にとらえられているからなのである。それを大事なものと受け取っておられるからなのである。3節に「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです」とあった。私たちは幼子であるから、父なる神様のすべてを知ることはできない。しかし私たちは、わかなくとも愛しているのである。受洗を志願した女性にしても、すがりたいと思っているのは愛する心ゆえであろう。神様を愛している私たちがすべてをわからずとも、すべてを信じきれなくとも、神様はすべてを知って下さっているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 12月9日(日)待降節第2主日礼拝
08:12イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 08:13それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」 08:14イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
1.仏教の始祖ブッダが、死に際に弟子たちに残したという遺言の言葉をふと思いだした。若い頃に読んだその本は、以前は書棚にあったはずだったのに、引っ越しにまぎれて、行方不明になってしまったようだ。したがって、はっきりとした出典を示すことができない。しかしおそらく、日本語で『法句経』と呼ばれているものの中にある言葉だと思う。皆さんも、もしかしたら『自燈明・法燈明』という言葉を聞いたことがあるかもしれない。その言葉とは、ブッダが死に際に弟子たちに対して遺言した「たとえ師匠である自分でさえも光にしてはならず、ただ自分の中だけにあるものを光とせよ」である。それが『自燈明』という言葉に込められている意味である。
私はこの言葉を読んだときに、ここに仏教とキリスト教の根源的な違いがあることがわかった。仏教は、自分の中に光があると信じて、その光を様々な修行をして取り出そうとする。しかし私たちのキリスト教という宗教は、イエス様が「私が世の光である」と言ったように、世にとっての光、また私たちにとっての光は世の内にはないと、また私たち自身の内側にはないとする宗教なのである。私たち自身の中にあるのは、つきつめれば闇のみなのである。光はないのである。「人間の中にあるのは闇なのだ」とするところが、キリスト教が、この国の人々に嫌われてしまう大きな理由のひとつなのかもしれない。しかし、仏教とキリスト教のどちらが私たちの実情を反映しているかと問われれば、キリスト教の方ではないかと私は確信して答えるのである。
2.そこで、私たちにとっての光は、内からではなく外から差し込んでくるということを、まず生物としての次元で考えてみたい。私たちが生き物として、命を維持するための光は、太陽からもたらされる。過日「ラジオ深夜便」というNHKラジオにおいて「動物と植物の区別は何だと思いますか?」と専門家が司会者に尋ねていた。司会者は「植物は動けないが動物はその名のごとく動く存在だ」と答えた。専門家は「なかなかすばらしい答えです」と言って、さらに補足した。「植物は動かなくとも自分で光合成をして栄養を作り出せますが、動物は絶対的に他者に食べ物を依存している存在なのです」と。植物ではない動物である私たちは、絶対的に他者に依存している存在なのだと改めて教えられた。しかし植物であっても、その光合成のエネルギーはどこから来るかといえば、太陽の光から来るのである。「命の光」という言葉が12節最後にある。地球上にいるすべての生物の命の光は太陽から来ている。まずその点において、命の光は自分自身の内にはないのである。外から与えられるしかないのである。
生物としての命の光についてはそうだが、私たちが生きているのは、単に生き物としての命が支えられているからだけではない。生物としての命のもっと深いところで、霊的な命が支えられてはじめて、とくに私たち人間という存在は生きてゆくことができ、命を保てるのだと思うのである。私たちは、毎日、ふんだんに太陽に当たっていても、食べ物を満足に得ていても、生物としての命を維持する上では何ら足りないものはなくとも、多くの人がなぜか自ら命を断っている現実がある。なぜ命を断つのかといえば、生物としての命が維持されていても、もっとその根源的な部分での命を支える光がないからなのである。霊的な命の光がないからなのである。
創世記1章のはじめには、私たちの世界には二つの光があるということが記されている。太陽の光と、それ以前にあった光がしっかりとと区別されている。創世記1章2節には、神様の「光あれ」との言葉によって存在するようになった光のことが記されている。その後で、創造の4日目に「天の大空に光る物があって・・・」との言葉によって造られた光が太陽の光なのである。私たちが生きてゆく上で必要な光とは、太陽からの光は勿論だが、それ以前に、神様が「光あれ」との言葉によって創造したそれ以前の光が不可欠なのだと思う。
一体それはどういう光なのか。神様の「光あれ」との言葉の直前には、「地は混沌であって闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とある。この言葉をどう理解するかは難しい。しかし、読んで素直に感じることは、混沌や闇というものと神様の霊の存在とは、矛盾するものではないということである。そして、混沌や闇があっても─否、もしかすると、混沌や闇があるからこそ、そこから─「光あれ」と言って光を作り出すことのできる神様の存在があるということである。このような神様の存在からの光が、私たちの霊的な命にとっては、なくてはならない光なのではないかと思う。混沌や闇が覆っている世界であっても、神様は光を創造できる。もっと言えば、神様は、混沌や閣からさえも光を創造できるのである。神様は、混沌や闇があってこそ、そこから光を生み出せるとさえ言ってもよいのかもしれない。このような神様の存在そのものが、私たちにとっての光であり、この神様から差し込んでくる光が、人間である私たちの命を根源から支えるのである。なぜなら、その光によってこそ、私たちは闇や混沌をも受け入れることができるようになるからなのである。
先日、Sさんが証しをして下さった。その証しで彼女は「これまでの人生を振り返って見ると、節目々々に、闇や混沌が覆っている中でこそ神様の光を見た」と言っておられた。闇にも、いや闇の中にこそ光があるのだと信じられるのではないかと思う。イエス様が世の光・命の光だということの意味は、突き詰めると、こういうことに行き着くのではないかと思った。
3.このような神様からの光とは全く対照的なのが、一般的に「世の光」とされるものであり、人間の中から出てくる光なのである。ここに、その光がいかなるものかが如実に描かれている。姦通とは、今ふうに言えば不倫ということあろう。その現場を取り押さえられて、この女性は律法学者やファリサイ派の人々によって群衆とイエス様の前に引き出されてきた。普通ならば、このようなへまなことはしないだろうと思う。彼女は捕まえられるのを覚悟の上で、もしかしたら不倫の相手も一緒に道連れにしてやりたいとの思いで、こういうことをしたのではないかと、私は想像するのである。そこには、彼女自身に、自分を照らしていた彼女の内側からの光というものがあり、また世の光というものがあるように思うのである。どのような生い立ちや経歴の女性であったのかは全くわからない。彼女には、自分のような存在は不倫でもして皆から石を投げつけられて死んだ方がよいのだと思わせてきた彼女の内側からの光があった。また、彼女にそのような思いを抱かせるように、長い間、彼女を照らしてきたこの世の光というものもあったのである。そのような光をずっと自分にあててきた世への復讐の意味も込めて彼女は、不倫相手を道連れにしてやろうと思ったのかもしれない。
光には、照らされた対象の色や形を明らかにする性質がある。しかし、光の種類によっては、照らされたものの色や形を、本来のそれとは違ったものに見せてしまう場合がある。日中、太陽光に照らされたときの色や形が本来のものだとすれば、夜に蛍光灯や色のついた照明の下では、本来の色とは別の色に見えたり、単なる段差が深い穴のように見えたりすることもある。この女性の内側から照り出す光、また、この世が彼女を照らす光とは、本来の彼女の姿を照らし出すものではなかったのである。それは、ただ彼女が不倫をするような人間だという面のみを明らかにするだけの光であった。彼女には、それ以外の面はなかったのか。それ以外の色や形はなかったのか。彼女自身の中からの光、また世からの光は、ただそれを浮き彫りにすることしかできない。
このような女性にイエス様は、神様からの光をあてたのである。イエス様は「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」と彼女に言った。イエス様があてて下さった光は、「これからは、あなたは罪に閉じ込められずに新しく生きることができるのだ」という面を明らかにしたのである。確かに彼女は、これからも闇や混沌の中を生きてゆかなくてはならない。そのことに何ら変わりはない。しかし、闇や混沌があるからと言って、神の霊の動きがそこに全くないということには、ならないのである。もしかすると闇や混沌があるからこそ、そこから光が創造されるのかもしれない。イエス様は「あなたは闇の中を生きてきたけれども、だからこそ、これから光の中を生きることができるのだよ」と彼女に言ったのである。神様は「そのようなあなただからこそ光をふんだんにあてよう」と言っているのである。彼女は、おそらく、このようなまなざしを向けられたのは、はじめてではなかったか。イエス様があてて下さった光の中を、彼女は生きていったに違いないのである。イエス様があてて下さった光の明るさ・暖かさというものを、彼女は忘れることができなかったであろう。自分という人間が、そのような存在なのだと知らされた喜びを忘れることができなかったであろう。もはや二度とイエス様のまなざしの光のないところを生きることはできないと、暗闇の中を歩むことはできないと確信したに違いない。
4.一体なぜ、イエス様はこのような光をあてて下さることができるのか。14節に、イエス様の「自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、私は知っている」との言葉が書かれている。これは、ヨハネによる福音書に度々、イエス様が自身のこととして語った言葉として書かれている。この言葉が、イエス様がまことの光であることと深くからんでいるのだと思う。
イエス様は自分のこととして、人間という存在が、どこから来てどこへ行く者なのかをよく知っていたのだと思う。つまり、それは、神様のもとから来て、神様のもとへ帰ってゆくということに他ならないのである。これが本来の私たちの姿であり、まことの光に照らされた私たちの姿なのだとイエス様は知っておられたのである。ところが私たちは、しばしば偽りの光に照らされる。私たち自身から出てくる光、そしてこの世の光に照らされるのである。その光は私たちを、この世の中だけに縛りつけておこうする。「この世にあって、お前たちは、闇や混沌や様々な辛さ・困難に縛りつけられている存在なのだ」と私たちを照らすのである。それによって私たちは、自分はそれだけの者だと思わせられる。8章1節以下に登場した女性は、そのような存在ではなかろうか。そのうような私たちにイエス様は、まことの光をあてて下さる。「あなたがたはこの世の闇に閉じ込められてしまう存在などではないのだ、神様から来て神様のもとへ帰る存在なのだ。この世のどんなこともあなたがたのそういう歩みを縛ることはできない」と。
このような光に照らされますと、闇の中に置かれた私たちのありさまも全く違ったものに見えてくるのではありませんか。この女性はなぜこのような境遇に置かれたのでしょうか。なぜ私たちはこの世の中で闇や混沌の中を歩まねばならないのでしょうか。その根源に聞こえてくるのは、闇や混沌の中で「光あれ」と言われる神様の言葉です。闇や混沌や辛い境遇の中に置かれる理由は、そこで神様が創造される光を見るためなのです。この光に出会う喜びを味わうためなのです。神様のみもとに留まっている限りは闇を見ることはありません。そこはただ光があふれている世界です。だから逆に光のありがたさがわからないのでしょう。だからこそ神様は私たちをこの世へと生まれさせられたのではないでしょうか。そしてこの世の闇を、また人となった自分の闇を味わうのです。そしてそこで神様が下さる光のすばらしさを体験します。その体験を携えて私たちは神様のもとにまた帰ってゆくのではないでしょうか。そして、「闇の中で見たあなたの光はこんなにもすばらしかった」と喜びの報告をするのです。闇の中に辛さの中に置かれた私たちに、神様の光を味わわせて下さるために生まれてくださったのがイエス様でした。私たちが何のために闇の中に生まれたかを身をもって教え論して下さいます。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 12月2日(日)待降節第1主日礼拝
34:01モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、 34:02ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、 34:03ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。 34:04主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」 34:05主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。 34:06主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。 34:07モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。 34:08イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。 34:09ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。 34:10イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、 34:11彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、 34:12また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。
1.モーセの地上における最後の姿を描いた箇所である。1節から4節までには、長い間、そこに入ることを目指してきたパレスチナの地を一望できるネボ山またはピスガの山頂に登り、「これがあなたの子孫に与えると私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。私はあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」と神様から告げられた場面が描かれている。5節・6節には、死んだモーセがベト・ペオルという所の近くの谷に葬られたが、だれもその墓を知らないと書かれている。
このようなモーセの死の様子を知り「何とその最後は無念だったか、神様はモーセに対して余りにも冷たいではないか」と感じる人は多いであろう。それまでの40年間、そこを目指して苦心惨憺してきた場所をわざわざ見させておいて、「そこにおまえは入ることはできない」と告げるというのは余りにも酷だろうと、誰しもが思うであろう。しかし、私は全く別のことを感じさせられるのである。私が特に心を引き付けられたのは、7節の御言葉である。「モーセは死んだとき120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」とある。流行りの言葉を使えば、このモーセの死は「ぴんぴんころり」ではなかったか。残された人々は、30日間喪に服したが、墓を建てる心配さえしなくてよかった。
現在、60歳を越えた私には、このようなモーセの死が、うらやましいと感じられる。私たちは、死を恐れるよりも、むしろ気力や活力がうせ、何の生きがいもなくなって寝たきりになり、永らえることを恐れている。少々目がかすんだり、耳が遠くなったり、手足が不自由になったりすることは仕方がないことである。しかし、生きがいを失って何の活力もなくなり、抜け殻のようになって、ただ永らえたくはない。モーセはどうだったか。確かに目指してきた場所には、到達することはできなかった。しかしモーセは、120歳になっていたのに、目もかすまず、活力もうせてはいなかった。
2.それは一体なぜなだったのか。私はそこにこそ、神様がモーセの生涯の最後に目標とすべき場所を見せて下さったということと決定的につながっていると示されのである。モーセの目は、神様が「これがあなたの子孫に与えると私が誓った土地である」と言った場所を見ることができた。だからその目は、かすむことがなかったのである。神様が目標として与えて下さる場所を見ることができる目は、かすむことがないのだと思う。そしてその見たものに向かって、足は歩みだす。その活力・気力は衰えることがない。
神様は「あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」と言った。その直接の理由はここには書かれていない。「120歳になった肉体では、そこに到達することはできない」という意味でもあったようにも思う。しかし別の形では、必ずやそこに入ることができるのではなかろうか。神様が与えると約束して下さった場所である。きっと何らかの形で、入ることはできるのである。だからこそ、いまわのきわに見せて下さったのではなかろうか。たとえ肉体において死んだとしても、その目標を目指す存在としては生き続けるのである。葬られた谷の場所がわからないということも、「決してモーセは死んではいない」ということを象徴的に示すものではなかろうか。モーセは、確かに肉体においては死んでしまった。しかし、神様の示した目標を目指して歩んでいるという点では、いまだ死んではいないのである。福音書に記されている出来事(たとえばマタイ17章1節以下)に、ある山の上でイエス様とモーセ、そしてエリヤという預言者が何事かを語り合っていたという場面がある。このようにモーセは死んではいないのである。いつまでも目はかすまず、活力はうせてはいないのである。
私たちも、そのように死んでゆけたらと、しみじみ思う。そのために大事なことは、神様の与えて下さる目標を、晩年にこそ見るということではなかろうか。なぜこれほど多くの人が、晩年において活力を失ってしまうのか。そのわけは、神様が見せて下さる目標を見ることができていないからだと思う。生涯を終えようとするときに、そのような目標を一望できる山に登ることができないからだと思うのである。私たちは、死にゆくときにさえ「平地」に留まったままである。私たちの目は、これまで平地で目指してきたもの、手に入れたいと願ってきたものに相変わらず注がれている。それは、体の健康・強さ、また財産や能力、家族と共にいつまでもいることなどである。残念ながら、それらはすべて神様のもとに召されてゆく私たちが持ち続けることのできないものである。そういうものしか見ることができなければ、その目はかすんでしまう。それを目標とするのでは、生きる活力はうせるばかりなのである。
3.では、神様が私たちに肉体における生死を越えて、目標の地・約束の地として与えて下さるものとは何であろうか。4節に「これが・・・土地である」とある。それは土地だという。しかし、これが本当に神様が死に行くモーセに見せた約束の場所だったとは、私には到底思えない。これから死んで、肉体を離れてしまうモーセにとって、この世の土地を所有することなど、もはや何の意味も持たなかったはずである。またモーセは、神様から約束の場所を見せられて、そのまま死んでいったのだから、彼が最後に見せられたものが土地だとの記述は、モーセ本人のものではなかろう。誰かが想像をもってそう書いたのである。申命記が編纂されたのは、イスラエル人がバビロニアに捕虜として抑留されていた時代であった。申命記を編纂した人々にとっては、神様が自分たちに到達させて下さる目標とは、失った領土を再び取り戻すこと以外考えられなかったのである。しかし、それは神様のもとに召されたモーセが目標としたものではありえないのである。
肉体において生きることとは何か、死ぬことを越えて神様が私たちに約束の地として与えて下さるものは何か。それは、はっきりとはわからないのである。ただイエス様の言葉や復活した姿を通して、おぼろげではあるが、教えられていると感じる。「私はブドウの木、あなたがたはその枝である」というイエス様の言葉は、イエス様自身がぶどうの幹であり、ブドウの実を実ら、おいしいブドウ酒を作ったのだと教えられた。それを象徴する出来事だからこそ、ヨハネによる福音書の著者ヨハネは、最初の奇跡としてカナの村での結婚式の出来事を書いたのではないかと思った。祝いごとにはなくてはならなかったブドウ酒がなくなったときイエス様は、ただの水を最上のブドウ酒にかえてくださった。最上のブドウ酒とは何か、よいブドウの実とは何か。それは「私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」とヨハネによる福音書の15章11節にあるように、喜びということだと思う。それも「私の喜びがあなたがたの内にあり」とのイエス様の言葉から、「私の喜びが、だれかの喜びとなる」ということなのだと、改めて教えられた。ぶどうの実は、ぶどう自身が食べておいしいと言えるものではなく、だれか他の人が食べておいしいと言ってくれるものなのである。十字架の死から復活したイエス様が─神様が目標として与えてくださった所に到達したイエス様が─いの一番になさったことは、弟子たちを喜びで満たすことであった。
そのイエス様の姿、またその言葉からすれば、神様が天において私たちに約束として与えるのは、喜びが満ちることであり、またその私たちの喜びが地上に残された大事な人々に分け与えられてゆくことではなかろうか。これが天の国において神様が私たちに与えて下さる約束の目標だとすれば、私たちはこの地上の肉体における歩みにおいても、これを目指せばよいのである。特に晩年においてこそ一歩ずつ山に登って、この目標を目指せばよいのである。それは自分の喜びがだれかの喜びとなることである。たとえそれがひとりであっても、人を生きる喜びに満たすことである。喜びを奪うことではなく、また自分の喜びだけを満たすことでもなく、他の人の喜びを増し加えることである。それを目標として晩年において山を登ってゆくなら、120歳になっても、目はかすまず活力はうせないのである。
4.長くピアノ教師をしていたある女性が認知症になり、彼女の世話をする夫と共に歩む姿を描いたNHKのドキュメンタリー番組の内容を紹介したい。夫人が弾ける曲は、もうアベ・マリアだけになってしまっていた。夫は一緒にチェロを弾く。その夫妻は、認知症を発症した人や、その家族と共に一年に何回か食事会を開く。その食事会の名前が「注文を間違う料理店」であった。注文を聞き、料理を出すのは認知症の方々であるから、ほぼ注文した通りの料理は出て来ない。それでも、料理を待つ人たちは本当に楽しそうなのである。夫妻は、そういう場でアベ・マリアの演奏をする。間違いながらの演奏ではあるが、聴いていただく喜びで一杯になる。たとえ認知症になっても音楽を喜び、またその喜びを誰かに伝えたいという思いはなくなることがないのである。
先日礼拝堂でジャズのワークショップ(コンサート)を主催したのは、茨城YMCAでピアノを教えるSさんだった。そのSさんの母も認知症とのことである。教会で開かれるうたごえ広場には、大抵出席して下さっている。家に帰って、「今日はどこに行ってきたの?」と聞いても「わからない」という答えしか返ってこないという。それでも「とても楽しい時間だった、癒された」と言ってくれるのだそうである。
晩年になって様々な点において「注文を間違う」私たちである。正確に注文を聞き、求められたものを出すことのできる人生ではなくなるのである。しかし、間違いつつも喜ぶこと、そして喜びを他の人と分かち合いたいという思いは、決してなくなることはないのである。いずれ召される神様のみもと、天の国では、そうした喜びが一杯なのであろう。そこを目指して山に登ってゆきたい。神様の与えて下さる目標を目指して山に登り、目もかすまず活力もうせない者でありたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 11月25日(日)降誕前第5主日礼拝
15:01「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:02わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15:03わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15:04わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15:05わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 15:06わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 15:07あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15:08あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 15:09父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 15:10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
1.「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。」私は、生まれた時から教会学校に通っていた。もしかしたら最初に暗唱した聖句は、この御言葉かもしれない。牧師として教会学校の子どもたちの誕生日カードに書く聖句も、しばしばこの言葉を選ぶ。
もしかしたならば、過去にも、この御言葉から説教したことがあるのではないかと思う。今回、改めてこの御言葉に向かい合って、新たに示されたことがいくつかある。まず、この言葉は、イエス様が弟子たちに遺された遺言の一節として語られたものだという点を強く意識させられたことである。13章から17章までに、その遺言が記されている。遺言とは、いうまでもなく死にゆく者が、残される者たちに、最も必要だと考えた言葉を残すためのものである。イエス様は、この世に残される弟子たちのために、最も必要な言葉のひとつとして、この「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」という言葉を残した。他にも沢山樹木はあるのに、どうしてぶどうの木なのか。
15章18節の欄外に「迫害の予告」というタイトルが付けられている。ヨハネによってこの福音書が書かれた西暦100年頃には、ローマ帝国全土に及ぶ規模でなされたクリスチャンの迫害は、まだ始まってはいなかった。しかし、ちょうどこの頃、ローマ皇帝だったドミティアヌス(西暦81年から96年まで在位)によって、クリスチャン迫害がなされた。同じヨハネという名前の著者による「ヨハネの黙示録」という書物が新約聖書の最後にある。その著者のヨハネを、パトモス島に幽閉したのは、このドミティアヌス皇帝であろうといわれている。ドミティアヌスは、皇帝である自分を神として礼拝することを強制し、自分のいとこであるフラディウスを処刑したと聖書辞典に書かれている。ヨハネによる福音書の著者ヨハネとヨハネの黙示録の著者が同一人物かどうかは定かではない。近しい人であったことは確かなようである。この福音書の著者ヨハネは、自分自身や仲間がローマ皇帝によって迫害される体験を目の当たりにして、おそらくこれから長く続いてゆくであろう迫害の時代を予感したのだと思う。そのような時代を忍耐して生き延びてゆかねばならないクリスチャンのために、ヨハネはイエス様の遺言を記したのではなかろうか。その大切な言葉のひとつが、この「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」であった。他の樹木ではなく、ぶどうの木でなければならなかったのだと改めて感じさせられた。
2.そこで、ぶどうの木の特徴、すなわち繁茂する力の強さが「生き延びる」ということとからんでくるのである。ぶどうの木の繁茂する力、とくにつるが伸びる力はすさまじどこまでも伸びてゆこうとするのである。
15章の御言葉を読む限りでは、イエス様の言葉の主旨はもっぱら良い実を実らせるというところにあると感じられる。良い実を実らせない枝は剪定されるのだと。しかしイエス様は、単に葉っぱを繁らせることのすばらしさを言っておられるのではない。イエス様が、わざわざぶどうの木を大切な遺言の中で引用されたのは、実を実らせるということの前に、そもそもぶどうの木が他のどんな植物にも勝って旺盛な繁茂する力を持っていることがあるのではなかろうか。旧約聖書の中には、しばしば神様がイスラエル人をぶどうの木にたとえた御言葉が出てくる(たとえば、イザヤ書の5章)。パレスチナには他にも沢山、たとえるのにふさわしい樹木があるのに、なぜぶどうの木なのかと言えば、やはりその繁茂する力にあるのだと思うのである。そこにこそ、神様もイエス様も目を留められたのである。「私という幹につながっているなら、あなたがたはどんな厳しい冬の季節を経たとしても、もう生きていないかのように見えたとしても、やがてふさわしい時が来たら旺盛に繁ってゆけるのだよ。実を実らせることができるのだよ。これからの厳しい迫害の時代を生き延びてゆけるのだ。安心しなさい。」とイエス様は語ったのだと思うのである。
3.ぶどうの枝が旺盛に繁り、実を実らせてゆくために大事なことがいくつかある。この15章では、私たちがイエス様という幹につながっているということが大事な点として言われている。さらに2節には、つながっていても実を結ばない枝もあることが書かれている。実を結ぶかどうかは別にして、繁ってゆくためには、とにかく枝が幹につながっていなくてはならない。イエス様の言葉は、それをとても強調しているのである。
私たちがぶどうの枝として繁り、実を実らせるために、何よりも大事なことは、ぶどうの幹が地面にちゃんと根を張って生きているということなのだと思う。それがまずあって、その次に、私たちが枝としてその幹につながっているということができるのだと思う。
私たちの世界は、イエス様というぶどうの幹を、何度も何度も切り倒そうとしてきたということである。ローマ帝国がイエス様を十字架につけ、クリスチャンたちを迫害してきたのもそのためだった。しかし、イエス様は十字架から復活し、今も生きておられる。教会の礼拝に出席する人は、今では随分少なくはなったかもしれないが、イエス様に引き寄せられる人は、なくなることはないのである。なぜイエス様は、この世界から抹殺されてしまわないのか。なぜイエス様というぶどうの幹は、この世によって切り倒されてしまうことがないのか。それはイエス様に、ぶどうの木が持っているすばらしい性質が満ちているからだと思うのである。この世からぶどうの木を無くそうとする人などいないだろうとは思うが、どんなにイエス様を抹殺しようとしても、イエス様にはぶどうの木が持っている特質が満ち満ちているゆえに、それは不可能なのだと思うのである。
では、そのぶどうの木の性質─人々を魅了する特徴─とは何か。それは、枯れて死んだようになっている木から旺盛につるが伸びて、信じられないようなおいしい実をつけ、そしてまたその実からぶどう酒という人間にとっては決して手放すことのできないものができるという点にある。こういうことから私は、ぶどうの木とは、奇跡の木だとしみじみ思うのである。ぶどうの木は、松や杉や桧のように建築材料として役に立つことはない。裂けやすく、また曲がりやすく、ふしくれだっているために、ごく小さな木工製品の原料としてさえ役に立たない。しかしぶどうの木の価値は、まるで奇跡のように、おいしいぶどうの実を実らせる点にある。その実からは、ぶどうを収穫して発酵させるという作業がなお必要ではあるが、ぶどう酒を作ることができる。しかしそもそもぶどう酒は、人間が何も手を加えなくとも自然にできるものなのではなかろうか。ぶどうの実が実った段階で、ぶどう酒ができるということの8割や9割は終わっていると言ってもよいのではないであろうか。ぶどうの木は、このすばらしい奇跡のような働きをしているのである。
4.著者ヨハネが、この福音書に記した最初のイエス様の奇跡として、カナの結婚式の出来事を書いたことを改めて思い起こす。結婚式を祝い、喜ぶのになくてはならないぶどう酒がなくなったとき、イエス様は人々にただの水を汲ませて、それを最上のぶどう酒に変えた。なぜヨハネが、これを最初の奇跡として記したのか。それがイエス様そのものを象徴しているとヨハネは感じたからだと思うのである。ローマ帝国によって、またヘロデ・アンティパスという領主によって支配されていた暗い時代、さらにはユダヤ教による厳しい締め付けが張り巡らされている社会であった。それは生きることを喜ぶぶどう酒など、どこにもない時代社会だったのではなかったか。そのような時代のただ中でイエス様は、自身をぶどうの木として働かせ、水をぶどう酒に変えたのである。ヨハネは、そのように捉えたのではなかったかと思うのである。
11節に「私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」とある。イエス様が自身をぶどうの木として、そこから作り出してくださったぶどう酒とは、人として生きる喜びではなかったか。その喜びは、互いに大事にしあい、助け合うということにあったのだと思うのである。当たり前だが、ぶどうがつける実の味を、ぶどう自身が味わうことはできない。ぶどう以外の誰かがそれを食べておいしいと言ってくれるものなのである。イエス様は、このように生きたのである。一体何が、私たちが実らせる実なのか人生の喜びなのかを、イエス様は身をもって教えてくださった。それこそがぶどうの木が示していることなのである。だからぶどうは、松や杉のように大木に成長する必要はないのである。本当にみすぼらしい木でもよいのである。毎年秋になって葉を落とした姿は、春先と何ら変わりがない。少しも成長の跡が見えない木である。それはその全ての力を、つるを延ばし、葉を茂らせ、実を実らせることにつぎ込むからである。その姿は、この世の生涯においては、十字架の死しか残すことのできなかったイエス様の姿に重なる。この姿を通してイエス様は、私たちに教えてくださるのである。「私のようなものでよいではないか。だれかがあなたを食べておいしいと言ってくれたらそれでよいではないか。大きく成長などしなくてもよいではないか。みすぼらしいぶどうの木でよいではないか」と。
5.このようなぶどうの幹であるイエス様がまずおられて、私たちはそこにつながってゆくのである。つながるということは、それは私たちが必死になってしがみついているということではない。ぶどうの幹と枝の関係は、枝が幹に必死になってしがみついているという関係ではなく、ごく自然に枝は幹に結び付いている。私たちもそうだと思う。私たちは、イエス様に引き寄せられたのではなかろうか。それは私たちが、おのずと喜びを求めるからである。ぶどう酒を求めるからである。私たちは、喜びが満ちている存在に引き寄せられる。だからイエス様に引き寄せられ、ごく自然に、イエス様にくっついたというのが真実ではなかろうか。あるいはイエス様に接ぎ木をされたと言ってもよいのではなかろうか。「私もそのように生きたいものだ、おいしいぶどう酒を作り出したいものだ」と思うのが信仰である。しかし私たちは、ただそう思うだけでは、時には揺らいでしまうことがある。だから私たちは、洗礼を受けることで切っても切れない間柄にしていただくのである。そうなればもう、私たちはイエス様と混然一体である。切り離そうとしても切り離すことなどはできないのである。そのようにぶどうの幹であるイエス様とつながって、私たちもおいしい実をつけ、ぶどう酒を作り出したい。私たちを食べて飲んで、喜びを満たしてもらいたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 11月18日(日)降誕前第6主日礼拝
07:17おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。 07:18割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。 07:19割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。 07:20おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。 07:21召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。 07:22というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。 07:23あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。 07:24兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。
1 5章あたりから、ずっと主題とされてきたのは「体」についてである。今から2000年前のギリシャ・ローマ世界に広まっていた語呂合わせのことわざのようなものとして「ソーマ・セーマ」という言葉があった。ソーマは体、セーマは墓場という意味である。体は墓場だという。様々な病気やマイナスを抱える体によって心や魂が縛られて、墓場のようなところへと引きずられてしまうのだと人々は感じていた。どのようにして、この体から自由になれるかが、切実な問題であった。この思いは2000年の隔てを越えて、今日の私たちにとっても同じように切実なものだと私は強く感じる。
私は、頭痛持ちで、特に秋の時期はそれがひどくなる。先月の第4週に、教団総会があった。都合9回ほども行われた議長・副議長・27人の常議員(教会でいえば役員・執事にあたる人々)を選ぶ選挙の投票委員長をさせられた。特に常議員は、教職・信徒合わせて27人を、議員約400名が連記して投票する。1000を越える投票用紙を、わずか12人ほどの作業者で開票しなければならなかった。1票でも合わなければ、合うまで何度も数え直さなければならない。その常議員選挙の投票が終わったのが、総会の終了する最終日の午前11時だった。普段の総会ならば、二日目の夜に投票を終えて、夜の間に開票作業に当たることができた。しかし今年は、様々な事情から、それができなかった。結局、開票作業が間に合わず、総会が閉会してから旧常議員が居残り、彼らに結果を発表し了承していただくことになった。そうしたストレスから、総会が終わって薬を飲んでも、なかなか頭痛がとれない日々が続いていた。たかが頭痛、されど頭痛である。ひどい時には、いっそのこと頭を切り取って、どこかへ投げてしまいたいと思うことがある。体の痛みは、気力をなえさせ、ひどい場合には、生きる希望も奪ってしまうことがある。関節の痛みやガンによる痛みを抱えておられる方もいるであろう。思うように手足が動かないとか、車椅子でしか生活ができないことで辛い思いをしておられる方もあるであろう。私たちは、痛みや不自由な体によって縛られ、辛い思いを余儀なくされている。何とかして、こんな体から自由になりたいと切実に願っている私たちなのである。
2 問題は、一体どうやって自由になれるかだと思う。パウロは、18節以下で割礼と奴隷のことに触れて、割礼については「割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません」と勧め、奴隷であることについては、21節で「召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい」と勧めている。54年版の口語訳では、21節後半のところは、「もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい」となっていて、新共同訳とは正反対の意味に訳されている。パウロがなぜ割礼や奴隷のことを取り上げているかと言うと、要はコリント教会の人々にとって、割礼や奴隷の身分であることが体の抱えている不自由さの大きなものであったからである。奴隷であるということは、単に体だけの問題だけではなく、生きることそのものの不自由さにかかわることであった。割礼のことは、私たちには、余りピンとこないことだが、コリント教会の人々にとっては、体のあり方として決して無視できない問題だったのだろう。教会が、ユダヤ人と、そうでない異邦人との板挟みなって揺れ動いていた。ある人からは、どうして割礼を受けないのかと言われ、またある人からは割礼など受けてと非難されていた。体に割礼のあるなしで本当に悩まされていたのである。どのように、奴隷である体、また割礼のあるなしという体の問題から自由になったらよいかのと悩んでいたのである。
どのようにしたら自由になれるのか。奴隷である人々は、何とかして奴隷の身分から解放されて自由の身になろうとした。また割礼の跡を消そうとし、あるいは反対に割礼を受けようとした。しかしそれには途方もない苦労や痛みが伴った。奴隷である者が自由の身になるなるためには、借金を返さなければならない。あるいは誰か第三者に身受けしてもらわなければならない。23節で言われている「身代金を払って買い取られた」というのはそのことである。しかしそのようなことをしてくれる人はまずいなかったであろう。また当時の医学技術では、割礼の跡を消すことは不可能だったであろう。成人した男性が割礼を受けることは、大きな痛みを伴ったはずである。だからパウロは、体の制約から自由になるために、そのようなことをしようとしてはならないと勧めたのである。決して奴隷の身分であることをよしとしたのではない。21節の言葉をもって、パウロは奴隷制を支持しているとの批判がよくなされるが、口語訳聖書では「自由の身になれるならそうしなさい」とも勧めたのである。パウロの思いは、無理なことや、できないことをして体の問題から自由になろうとしてはならないということであった。
3 今日の私たちに対しても、このパウロの勧めは当てはまるように思う。テレビで健康に関する番組が放映されない日はない。体がもたらす様々な制約から私たちを解放しようとする努力は惜しみ無く続けられているのである。医学や科学技術の進歩はそれを後押ししている。割礼とは、私たちにとっては病気のことかもしれない。奴隷であるということは、死という主人によって支配されていることかもしれない。私たちは、これらを取り除き、そこから自由になろうと必死である。しかし、どんなに医学や科学技術が発達しても、それは不可能なのである。私から頭痛を取り除くことは不可能であろう。そして死という主人から解放されることも不可能なのである。不可能なことを願って、体からの自由を得ようとしてはいけないとパウロは言っているのである。
できないことを望んで自由になろうとすると、どのようなことが起きるのであろうか。23節の後半に「人の奴隷になってはならない」とある。「人」というところには、様々な意味が込められていると思う。それは、私たちを指しているのではなかろうか。体について、できないことを願ってしまう私たち「人」がいる。それゆえに、私たちはできないことを願ってしまう自分自身の奴隷になる。私たちは、神様の似姿に造られ、また、土の塵から造られた。材料の点では全く他の動植物とは同じなのに、性質では神様と似た者なのである。根源的な矛盾・亀裂のようなものを抱えている存在なのである。このような矛盾からこそ、私たちは、何とかして土の塵からなる体の問題を解決したいと望むのである。しかしそれはできないのである。
先日、夜のラジオで、ある歌人がこんな話をしていた。自分はとてつもない怖がりだと。思い煩ってしまうと。家に地域ネコのようにかわいがられている野良猫が来るので、よくえさを与えるとのことである。その猫は、たまにえさを残す。すると、「おいおいお前はそんな身分なのか。明日をも知れぬ身なのにえさを残せるのか」と思うのだそうである。えさを残せる野良猫の姿は立派だと思う。ひるがえって自分は、いわば飼い猫であり、えさについて何の心配もないのに、それにもかかわらず明日のためにえさを残そうとし、残したえさをどこかへ持っていって隠そうとしているような者だと感じるとのことである。動植物は明日を思い煩うことをしないのに、人間だけが思い煩う。それは私たちが神様の似姿に創造されたゆえである。人間だけが土の塵として造られたことを思い煩い、その体に問題を見いだすのである。そして何とかして体の問題から解放されようと望むのである。しかしそれはできない。できないことを求め願って、私たちは「人の奴隷」になってしまう。体からの自由を求めるのに、かえって奴隷になってしまうとパウロは語っているのである。
4 それでは、私たちはどのようにして体の問題に対処することができるのか。パウロが勧めるのは、体の問題を取り除くことによってではないということである。そうではなく、問題を抱えた体・存在にこそ神様が与えて下さる分、つまり贈り物・プレゼントがあるのではないかというのである。また問題を抱えた体である私たちを、イエス様そのものを「身代金」として神様がとても値高い存在として「買い取って下さった」ということである。体が抱えている問題そのものをなくすることはできないが、問題を抱えた私たちにこそ神様がイエス様を通して与えて下さる分があるではないか、問題を抱えて生きることにも貴い意義があるではないかとパウロは勧めているだと思う。それに気が付いて、体の問題を乗り越えてゆくのである。
私は、頭痛を抱えることに一体どんな意義があるのかと思った。しかし、もし頭痛で苦しむということがなかったら、教会員の抱える痛みの大変さということは私にはわからなかったであろう。牧師として30数年が経つが、日常的にいただく贈り物の他に、これまで2回ほど忘れることのできない大きな分をいただいたことがあった。その時は、体においてではなかったが、私が大きな問題を抱えていたときであった。シラカバの根元に座っていたときに、イエス様の声を聞いた。会堂建築の最中に問題を抱えた時には、前科をいくつも抱えたある人からの手紙を通して本当に忘れることのできない分をいただいた。その手紙は、いつも机の前の掲示板に貼って宝物としている。問題を抱えたときにこそ、神様からの贈り物を私たちはいただくのである。
それは、この世の贈り物や報酬とは全く違う贈り物である。私たちが、この世界で与えられる分け前・報酬・報いは、すべて私たちが生じさせた何らかのプラスに対して与えられる分といえる。ところが、神様の与えて下さる分は、なぜか私たちが抱えるマイナス・負債・体の問題などに対して与えられる。そのような私たちだからこそ、十字架にかかり、復活して下さったイエス様のありがたみがわかるのである。それがわかることが、イエス様という身代金を払って買い取られたということの意味だと思う。十字架に付けられたイエス様が救い主であるという福音は、当時のギリシャ・ローマ人にとってもユダヤ人にとっても、馬鹿げたことであり躓きであり、福音─喜びの使信─どころではなかった。ところがコリントの人々は、これを福音として受け入れ信じてくれた。それは一体なぜだったのか。それは、コリントの人々の多くが、十字架に付けられたイエス様の立場に近いようなところに置かれていたからである。神様がイエス様という最も大切な存在を、よりにもよって、十字架という蔑まれ忌み嫌われる所に置き、そこに復活という驚くべき出来事を生じさせたということに、コリントの人々は似たような立場に置かれた自分たちへの神様からの恵み・プレゼントを見いだしたのである。コリントの人々は、奴隷という立場に置かれていたからこそ、他の人々が信じることのできなかった福音を受け取ることができたのである。それこそが神様から与えられた分なのである。イエス様を信じることができるようになったということこそが、神様からいただくプレゼントなのである。果たして何の問題も抱えていなかったときにイエス様のありがたさがわかるようになったというような人が、みなさんの中に、どれほどおられるだろう。問題を抱えたからこそ、神様からの分をいただけたのではなかろうか。神様からのすばらしい贈り物をいただくということを覚えて、体に限らず、私たちが抱える様々な問題を乗り越えてゆきたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 11月11日(日)降誕前第7主日礼拝
32:45モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、 32:46こう言った。「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。 32:47それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」 32:48その同じ日に、主はモーセに仰せになった。 32:49「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。 32:50あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。 32:51あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。 32:52あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」
1 モーセが神様に、これまで40年間にわたってそこに入ることを目標としてきたパレスチナの地を見渡すネボ山に登るように命じられ、「あなたはそこに入ることはできない」と告げられた場面が描かれている。
モーセが、パレスチナの地を一望する山に登りつつ、神様から「あなたはそこに入ることはできない」と告げられ、その理由はこうこうであると言われる場面は、何回も登場している。申命記34章のモーセの死の場面もそうである。また、31章2節にも、山に登るということは書かれてはいないが、「主は私に対して『あなたはヨルダン川を渡ることはできない』と言われた」ことが書かれている。申命記3章の後半にも、このことが記されている。また、民数記27章12節から14節にも語られている。このように、ざっと数えても5箇所、このことに触れられている。一体なぜ旧約聖書を記した人々は、これほどまでに、何度も、この場面を描いたのであろうか。彼らがそこから示されたことは、どんな神様の御心だったのであろうか。
しつこいと思われるほどに、このことが記されていることから、私たちは、モーセに対する神様の容赦のない厳しさや、いじめのようなものさえ感じ取ってしまうかもしれない。40年間、そこに入ることを目指してきたパレスチナを見渡せる山に、神様はモーセをわざわざ登らせた。そして、「ご苦労様。でも、あなたはそこには入れませんよ。それはあなたが、かつて私に背いたからです。入れなくなったのは自業自得なのですよ。」と何度も、厳しく冷たく言い放ったように神様を感じてしまう人々も多いであろう。しかし私は、そのようには感じないのである。もしそのようなことを感じたとしたら、民数記27章や31章、そして今日の箇所を、こうしてお勧めすることはできなかった。私は、なぜか深い安堵や慰めのようなものを感じないではいられない。「そこに入ることはできない」とのネガティブな宣告から、逆説的に、私は大きな励ましを感じ取る。私が感じているものを、まだまだ、うまく言葉にして伝えることができないかもしれない。もどかしさを覚える。しかし何とかそれを皆さんに伝えたいと願う。
2 私が受け取る安堵感や慰めの第一は、モーセでさえ、目標の地に入ることのできなかったこと、モーセの生涯さえが未完のものであったということを通していただくものである。申命記34章10節に「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出された・・」とある。モーセは神様と出会い、幾度も顔と顔をつき合わせて、誰よりも近しく御言葉を与えられた人物なのであった。そのような人であれば、誰よりも、言わば神様からの御褒美として、彼が望み願った目標のものを手に入れて当然ではないであろうか。しかし、そのような人であっても、願ったゴールに到達することはできなかったのである。未完のままでこの世の人生を終えたのである。そのような未完の人を、兄アロンをはじめとした先祖の人々の列が迎えた50節にある。私たちを迎える先祖たちも、実は皆、未完の人々なのである。目標の地に入ることのできた人などいないのである。だれもが失意の人であり、挫折した人々なのである。私たちの生涯とは、すべからくそのようなものだと、そのようなものであってよいのではないかと神様は語りかけてくださっているのである。
私たちは、しばしば、人生の意義を「設定した目標をどれほどクリアーしたか」にあると思ってしまう。自分自身や周囲の人々に、ひたすら目標に到達することを科してしまう。目標に到達できない人生を責めてしまう。
私は「『声なき者の友』の輪(FVI)」という小さな団体の役員をしている。去る10月29日、年に一度の総会に出席し、スタッフのJさんの発題を聞いた。タイトルは「なぜFVIは年間計画や予算を立てないか」であった。興味深いこのタイトルは、彼のこれまでの歩みと深いつながりがあったのだという。彼は獣医として務めていた公務員をわざわざ辞めてこの働きに身を置いた。2008年の同窓会で、彼は友人たちに「10年後の自分はこうなっている」を語ったという。彼は、この団体でいつも、「ビジョンを持って目標に到達する」ということを誰よりも熱く語って来た。ところがその彼が、2011年の震災後に重い鬱病になった。残念ながらFVIという団体の働きも、そこでの彼の働きも、掲げた目標を達成できるものではなかった。それが鬱病を発生させたとも言えよう。私は「常に目標を達成しビジョンを掲げて生きる」という彼の生き方が鬱病になった原因のひとつにあったのではないかと感じた。3年ほどの間、彼は休職を余儀なくされた。一昨年あたりから、やっと仕事に戻ることができたという。そのような体験の中から彼は、「私たちの団体がなぜ年間予算や目標を立てないか」ということを語った。「今や、現在の私たちの社会は、5年後や10年後を語ることのできる社会ではない。私たちひとり一人も、そうなのである。」と彼は語った。では、目標を立てずに、私たちになせるのはどういうことなのか。それは神様が何千年も昔から、私たちに「こうしなさい」と勧めてきた流れの中にある。置かれた現実において、ゆきあたりばったりでもよいし、失敗してもよいし、だめだったらすぐに引っ込んでもよいから「やってみる」ということである。出席していた人たちは、それぞれの教派の全国組織で重要な役割を負っている役員たちであった。この彼の発題を聞いて、彼らは皆、異口同音に、5カ年計画とか10年計画を掲げて、それをどうクリアーしたかということばかりを問題にしている自らの教会や教団のありかたを考えさせられたと言っていた。Jさんは、自分が重い鬱病に陥ったことで、目標に到達できない人生というものを受け入れるようになったのである。また、その体験から大切なことを見いだされたのではないかと感じた。イスラエルの人々も、モーセの生涯を何度も思い起こすことで、目標に到達できない人生を受け入れるということを教えられたのではなかろうか。
3 第二の点は、神様がモーセの生涯の最後の最後のときにおいて、目標とするものを見せて下さったということから教えらる。モーセは、その見せられた目標に入ることを許されなかった。それは、受け止め方によっては、むごい仕打ちだとも思えてしまう。しかし、捉え方を変えると、入ることができない目標だからこそ真実のゴールだとも言えると思うのである。この世の歩みでは、獲得できず到達できない目標こそが、私たちが目指すべきゴールだとも言えるのである。神様はモーセに、人生の最後にこそ、このような目標があることを教え示して下さったのではかろうか。人生最後の時だからこそ、神様が私たちたちに、そのようなゴールを備えていて下さったのだということがわかる。召されてゆくときはじめて、「ああこれが目指すべきゴールだったのか、いかに私のこれまでの人生は目指すべきでないものを手に入れようとあくせくし思い煩ってきた歩みであったか」と知らされるのである。それは何とすばらしい慰めであろうか。
ヘブライ人への手紙の11章13節以下には、「この人達は皆・・・約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜び・・・彼らはさらにまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」とある。50節に、目標とするものは「私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地」だと書かれている。残念ながら、記した人々には、神様がこの世の人生を終えようとしていたモーセに目標として与えたものが、なおこの世の土地であったとしか受け止めることができなかった。しかしそれは違うと私はいつも思う。神様が私たちに最後の最後のゴールとして与えるものが、どうしてそれを巡って幾度も血を流すようなこの世の土地所有であろうか。モーセが見させていただいたものは、決してそのようなゴールではなかったと私は思う。むしろ今まで、それを手に入れることを目指して歩んできたけれども、それは間違いだったとわかったのである。天にある故郷を目指していたのだとわかったのである。だからこそ、この世の人生では、そこに入ることはできないのである。手に入れることはできないのである。それを宣告されるということは、実にすばらしいことなのである。
4 第三の慰め・励ましは、モーセが約束の地に入れなかった理由として、「・・・私に背き、・・・私の聖なることを示さなかったからである(51節)」とあることを通して与えられる。受け止め方によっては、神様がこのようにモーセに告げたことは、どこまでも容赦なくモーセの牧会者としての責任・背任を問い責める神様の厳しさとして理解されがちであろう。しかし、」決してそうではないと私は思うのである。
申命記34章にあったように、モーセの後にも先にも、彼のように神様と近しく出会い深いつながりに置かれた者はいなかったのである。しかしそうであればこそ、彼が神様に背かざるを得なかった部分が出てくるのだと思うのである。それは、神様との間柄の中に生きるがゆえに問われる責任であり、厳しさであって、人間関係の中で問われるものとは決定的に違う。51節で、モーセが問われたのは、民数記20章に書かれている出来事である。結果だけを見ると、モーセは、水を欲しがっていた民に岩から水を出してやった。人々の期待に大いに応えた。しかし人々には見えなかったが、人々の拍手喝采には応えたが、神様しか分からなかった部分では、神様に背いていたのである。神様は、そこをご覧になったのである。神様は、そこを問うのである。私は、それは神様の容赦のない厳しさだとは思わない。そうではなく、人間はそのことを問題にしないかもしれないけれども、神様は問題にすることがあるという点に、本当に深い恵みや慰めを感じるのである。それは、逆に言えば、人は、全く評価してくれなくても、神様が評価して下さることがあることも示している。私たちの人生の最後の最後のときに、私たちはそこを神様から問われ、光をあてられる。神様から光を当てられることで、今までは暗闇でしかなかったものが、俄然輝き出すこともあるのである。反対に、この世の生涯では人々に称賛され、大いに輝いていたものが、実は深い闇であったと気付されることにもなる。こうした時が、人生の最後に待っているというのは、本当に慰めである。
このように人生最後の時において、神様が教え示すことがあって、モーセは人々に、生きることにおいて何が最も肝要かを、しっかりと言い残すことができた。それは47節以下にあるように、神様の言葉に従って生きることが、私たちの命だとの語りかけである。何があなたがたを生き残らせ、命になるかを、確信をもって子どもたちや孫たちに言い残せるとは何とすばらしいことであろうか。それを遺言として、しっかりと伝えられたということが、たとえ40年間目標としてしてきた地に入れないというようなことがあったとしても、彼の人生が意義あるものだったことを示しているのである。私自身も、父が死んで父が書き残した文章を初めて読んで、信仰が戦地から帰ってきた父を支えたものであったことを知った。信仰が命であると確信をもって伝えられたなら、私たちの人生は意義あるものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 11月4日(日)降誕前第8主日礼拝
11:01ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。 11:02このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。 11:03姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。 11:04イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」 11:05イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。 11:06ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
1 イエス様は、不思議な働き―奇跡―をなさった。そのことが、この福音書にも、何度か書かれている。それを数えてみると、ちょうど7回であった。最初は、ガリラヤのカナという村での結婚式でのこと。ブドウ酒が足りなくなってしまったときに、イエス様は空の瓶に水を汲ませ、その水が最上のブドウ酒に変わったという出来事であった。それからはじまって、このラザロの出来事で7度目である。聖書において「7」という数字は、完全数、聖なる数字とされている。ヨハネがこの出来事を聖なる数字である7番目の奇跡として記したというには深い意図が込められているに違いない。
これら7つの奇跡には、共通性が存在する。7つのうち4つは、病気で苦しんでいた人が癒されるといエピソードであった。他の3つは、ブドウ酒の不足や、食べ物の不足、ガリラヤ湖での嵐といった、直接病気に関係したエピソードではなかった。しかし、登場人物が何らかの困窮・窮状の中に置かれていた時の奇跡であった。これら7つの奇跡は、すべて人間ではいかんともしがたい困った状態の中に置かれたときに、イエス様によってなされた働きなのであった。そして、このラザロの出来事は、7つの奇跡の中で、最も深刻なものであった。4章46節以下に書かれている役人の息子も、まだ死には至っていなかったが、かなり重篤な状況であった。しかしラザロは死んで墓に葬られ、腐敗が始まっていたのである。さらにまた、ラザロの2人の姉たちは、イエス様と特別な深い結び付きの中にあった。5節にあるように、イエス様はこの3人を愛しておられた。そのような特別な関係の人々のうちのひとりが病にかかり、やがてその病は、彼を死に至らせた。ヨハネは、聖なる数字である7番目の出来事にもっとも重く厳しい状況に陥った家族を取り上げたのである。そして、そのもっとも酷い状況の中で、イエス様を通して、すばらしい神様の御業-『神の栄光』-が現れたことを記したのである。
2 この箇所は「ある病人がいた」で始まっている。ヨハネは、これまでも6回にわたって私たち人間が陥る難儀な状況を、これでもかこれでもかと描いてきた。「病人がいる」という状況、自分自身が病気になり、また家族に病人を抱え、その人が死に向かうという状況が、どれほど辛いものかというは、召天者遺族の皆さんが、つぶさに味わってきたことと感じる。7番目には、とうとう死が訪れた。しかしヨハネは、そのひとつひとつに、イエス様のすばらしい働きが現れたこと記したのである。7番目の、もっとも辛い出来事に、もっともすばらしい神様の栄光が現れたと記したのである。このこと思い起こすとき、イエス様が、また神様が、私たち人間の困窮を、そして病人となり、死んでゆくことを、どれほど貴いものとして扱っていて下さるかがわかる。
7という数字は、申命記の御言葉を思い起こさせる。申命記とは、エジプトを脱出して以後40年間も荒れ野をさまよって、これからやっとパレスチナと呼ばれる地に入ろうとしているイスラエル人に、モーセが、その遺言として、どうすればパレスチナに入って滅びずに生き延びて行けるかを教えた書物である。なぜ滅びないためのアドバイスが不可欠だったのか。パレスチナに住んでいた先住民は「数と力では決してかなわない7つの民」だったからである。数と力では決してかなわない7つの民が、いつも自分たちを滅ぼそうとしていた。ヨハネが記した7つの困難は、それに当たるのではなかろうか。「病人がいる」ということ、その人が死に至ってしまうこと、そうした辛さは、私たちを打ちのめしてしまう。いった私たちは、次から次と私たちを襲う困難に立ち向かってゆけるであろうか。それはただひとつ、その難儀の中にこそ現れる神様の栄光の御業に浴することによってのみなのである。数と力では完全に敗北してしまっている私たちである。しかし、そこにこそ、イエス様によって神様のすばらしい栄光の御業が現れるのである。そのことによって、病人がおり、その人が死んでゆくといったような困難に、私たちは向かいあってゆけるのではなかろうか。
3 さて、この物語の最初で、ヨハネが強調して書いたのは、イエス様と、この3人の家族との特別に親密な間柄のことであった。ラザロの、おそらく姉たちであったマルタとマリヤについては、ルカによる福音書10章38節以下に、この2人の対照的な姿が描かれている。またヨハネは、わざわざ「このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である」と書いている。このことは、次の12章1節以下に書かれている。また、他の3つの福音書では、名前をはっきりとマリヤとはしていないが、ほぼ似たような出来事として描かれている。このように、このラザロの家族は、福音書の中で、最も良く知られた家族であり、イエス様ともっとも近しい間柄にあった人々なのである。そこが、これまでの6つの奇跡物語との最大の違いと言ってもよいであろう。
ヨハネが何よりも描きたかったのは、このような家族にさえ、深い悲しみが襲いかかったということなのだと思う。なぜこのような家族に、このようなことがなぜ起きたのかという、この福音書の読者すべてが抱く疑問がそこには込められていると私は思う。それは突き詰めると、なぜ信仰者である私たちに辛いことが起きるのかという疑問につながっている。そのような思いが滲み出ているのが、3節の姉たちからのイエス様への言葉である。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」とある。「主よ、一体なぜあなたと誰よりも深い結び付きの中にあり、あなたの愛しておられる者にこのようなことが起きるのですか。あなたの愛は、それを防ぐことはできないのですか」との問いである。これに対してヨハネは「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」とはっきりと明言している。姉妹たちが言うように、確かにイエス様は、この家族を愛しておられたのである。しかし、その愛は、この家族に、このような試練が入り込むことをさまたげることはできなかった。いや、このような試練をさまたげることはなさらないのである。もっと言えば、さまたげないことこそが、イエス様の愛だったのである。だからこそ、イエス様は、危篤だと聞いて、なお2日もそこに留まったのである。原文の5節と6節の間には「だから」とも訳される接続詞が書かれている。「愛しておられた。だからこそなお2日も滞在された」とも訳すことができる。「自分自身が病気になったとき、私たちは自分を責める。家族がそうなったとき「なぜ、何が悪かったのか、何が原因だったのか」と問う。そのような私たちに対して、ヨハネは語りかけている。「病気になったことを責める必要はないのだ。それはイエス様が、神様があなたを愛するがゆえに与えられたものなのだ。イエス様はあなたを愛しておられるのだ」と。注解書の多くは、3節の「主よ、あなたの愛しておられる」の「愛する」と5節の「愛しておられた」の「愛する」が、原文のギリシャ語では「フィレオー」と「アガパオー」という言葉で使い分けられている点に触れている。姉たちがイエス様に「あなたの愛しておられる」という時の「愛する」は、友人同士の友愛を示す言葉である。つきつめれば人間の次元の愛だと言ってもよいと思う。しかし、イエス様がこの家族を愛した愛は、神様の愛を現すアガパオー/アガペーなのであった。それは、人間の愛とは違う。人間の愛は、病気を排除してしまう愛である。病や死をも含んで愛せるものではない。しかし、神様の愛/アガペーは病人をも、死をも愛せる愛なのである。愛する私たち人間にとって、病むことや死ぬことも、なくてはならないものだとわかっておられるうえでの愛なのである。病むことや死ぬことを通して栄光を私たちに味わわせようとされる愛なのである。
4 すでに腐りはじめていたはずのラザロは、「出て来なさい」とのイエス様の呼びかけに応えて墓から出てきた。ラザロの病気は死では終わらずに、このような驚くべき出来事へとつながった。私は、イエス様のなさった奇跡物語を読むとき、いつも同じ問いを抱く。この福音書に記されている人々は、イエス様のそばにいて奇跡を、文字通り神様の栄光を見ることができた。しかし今、私たちはどのようにして神様の栄光を見ることができるのか。召天者のみなさんの、病気や事故で生涯を終えたということの向こうに、いったいどのようなすばらしいものが待っていたのかということを考えざるを得ないのである。
私たちには、残念ながら、ラザロの生き返りのような劇的な神様の栄光は見えない。しかし、そのように劇的なものではないにしても、私たちの中に病や死が入り込んで来なければ、決して生じなかったような小さな奇跡といってよいものがあるのではなかろうか。それらを通して、神様・イエス様だけが見せて下さる栄光と言ってよいものがあるのではなかろうか。私は、死に関することを語るときに、必ず手に取って読むものに、カトリック信者の若松英輔の『死者との対話』という本がある。若松さん自身2010年7月におつれあいをなくされ、またその翌年にあった東日本大震災をきっかけに、精力的に死者について書くようになっていった。アランの『幸福論』のすばらしい一文を、この本を通してはじめて知った。若松さんによる『死者との対話』の第1章は、『死者がひらく、生者の生き方』という表題である。若松さん自身が、亡くなられたおつれあいによって、その新たな生き方が開かれていったのだと思う。私自身、父の死後、創世記25章11節の「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された」という御言葉が、とても強く迫ってきた。この若松さんの著書の中に、矢内原忠雄がその妻の死について書いた詩の一節が紹介されている。「わが愛する者の召されたのは、我を力強く生かせるためであった」とこの詩ははじまっている。若松さんはこの詩を紹介し、次のように書いている。「2010年に私は妻を喪いました。矢内原さんの言葉には強い実感があります。誤解を恐れずにいえば、先立つというのは、もっとも深き愛の営みだと、今は思います。なぜならば、遺された者は死への恐怖から解放され、孤独になることはないからです。伴侶を喪う、悲しみのあまり身が壊れそうになったことは何度もありました。しかし、振り返ってみると、本当の意味で孤独ではなかったのではないか。いつも、不可視な死者をどこかで感じていたのではないか」と。
3年ほど前の脳梗塞が、最近少しずつ癒えてきたという姉妹が、こんなを言っておられた。「昔、あれほどに好きで28年間も講師をしていた手芸の道具を、見るのが嫌になってしまった。ところがあるとき、母の遺品の扇子を入れていた袋が目についた。どのように作られているのかと興味がわき、手に取った。それ以来、再び手芸をするようになった。」と。
死者が劇的に生き返るということを、私たちが見ることはできない。しかし、身近に病いを得た者がいて、また死んだ者があればこそ、それを通して体験する神様の栄光というものがあるのではなかろうか。死者の存在によってこそ、生き残った私たちが、その「生を開かれてゆく」というが起こるのではなかろうか。このようなことが遺された者に起きてゆくのは、死者が生きていることの現れと受け取ってもよいのではなかろうか。死で終わらず、神の栄光を見る。これは大きな慰めとなるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 10月28日(日)降誕前第9主日礼拝
17:17真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 17:18わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。 17:19彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。 17:20また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 17:21父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。 17:22あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 17:23わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
要旨の掲載はありません。
坂井 悠佳 神学生(東京神学大学4年 日本キリスト教団橋本教会)
2018年 10月21日(日)聖霊降臨節第23主日礼拝
08:01イエスはオリーブ山へ行かれた。 08:02朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 08:03そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 08:04イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 08:05こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 08:06イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 08:07しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 08:08そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 08:09これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 08:10イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 08:11女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
1 このエピソードについては、聖書学者たちの間では、もともとのヨハネによる福音書にはなかったとされている。7章53節のはじめと8章11節の終わりについているカッコは、そのことを示している。現在、旧約聖書も新約聖書も、その原本を手に取ることはできない。何人もの人々によって書き写された写本の中でも、基準となるような有力な写本が幾つかあり、今日の聖書として編纂されたのである。その基本になった写本には、どれにもこの箇所が記載されていなかった。
しかし、この出来事は、実際にあったこととして、広く人々に言い伝えられ、流布していたこともわかっている。バークレーの注解書によれば、このエピソードにつて、西暦100年より少し後、パピアスが言及したとのことである。4世紀、ヒエロニムスによって編纂されたヴルガタという有名なラテン語訳の聖書には、この物語が入っている。アウグスチヌスも、はっきりとこの物語の存在を知っていたという。
では、なぜそれほどよく知られた出来事が、福音書に入れられなかったのであろうか。バークレーによれば、アウグスチヌスが「信仰の弱い人々の躓きになるのを避けたのではないか」と述べたとのことである。この物語は、読みようによっては、イエスが、この女性のなしたことを不問に付し、軽微なものとして扱ったと理解されてしまう危険があるように思う。ヨハネによる福音書は、西暦100年頃の小アジアに住んでいたユダヤ人の中でも、特にギリシャ語を話すユダヤ人に対して、イエス様こそが救い主であると伝えようとしたものである。彼らにとっては、先祖代々守られてきた律法に従うことは信仰生活の根幹であった。この女性のしたことを律法に照らせば、決して見過ごすことのできないものであることは明らかであった。それなのに、彼女のしたことをイエス様は、何も処罰しなかったのである。この出来事が、この福音書に入れられてしまうことによって、ユダヤ人やユダヤ教徒からクリスチャンになった人々に与えるかもしれない躓きがあったであろうし、またクリスチャンとは、このようなことを何も罰することなく赦してしまうふしだらなやからだという評判が立つかもしれないと考えられた。
2 イエス様は、果たしてこの女性の行為を軽々しく扱ったのであろうかか。そうではなかったということは、読めばすぐにわかる。むしろイエス様は、彼女のしたことをはっきりと罪として見なし、とても重大なものと扱ったのだと思う。イエス様は、この女性に「あなたには罪がない」とは言わなかった。そうではなく「わたしもあなたを罪に定めない」とおっしゃった。54年版の口語訳では「わたしもあなたを罰しない」となっていた。姦通の現場を取り押さえられ、イエス様のもとに連れ来られた女を、律法学者やファリサイ派の人々は、彼女の犯した罪に対して、石を投げて殺し、そのような形で最終的な判決と処罰を下すのをよしとしていた。彼らは、彼女の犯した罪によるマイナスをどこまでも背負い、マイナスの中に閉じ込められることを求めていたのだと思う。それが「罪に定める」という意味であろう。しかしイエス様は、「わたしはそうはしないし、また誰もあなたにそんなことをできる者はいない」と言った。イエス様が罪を私たちにとって本当に重大なものとして考えていたのは、弟子たちに教えた主の祈りの中で、私たちが神様に日々祈り求めるべきものとして「日毎の糧」と共に「罪の赦し」をあげたことからもよくわる。イエス様は、私たちを、罪を犯す者とし、だからこそ、その罪からの赦しが毎日の食事と同じほどに不可欠なのだと考えていたのである。罪の赦しとは何であろうか。それは、その罪がなかったことにするとか帳消しになるとかではない。赦しのもともとの意味は「解き放ち」である。一度犯した罪をなかったことにすることは不可能だが、罪から生じたマイナスから解き放ち、そのマイナスがプラスに転じてゆくような生き方ができるようになることが罪の赦しなのである。イエス様が、この女性に与えようとされたのは、まさしくこの罪の赦しなのであった。
3 キリスト教は、すぐに罪、罪と言うと嫌っている人々がいる。私たちがこうして礼拝にやってくるのは、罪を指摘されるためではなく、生きる力や励ましをいただくためである。確かにそうである。しかし、もし私たちが生きる力や励ましをいただくために、どうしても必要であるならば、罪を指摘されマイナスを抱えていることを知らされることは、大事なことではなかろうか。
私は、あまり罪という言葉を使いたくないので、しばしば罪を病気にたとえて話すことがよくある。私たちは、体に不調や痛みを抱えたとき、何とかその不調や痛みを取ってもらって元気になりたいがために、医者のところへ行く。もしその不調や痛みの原因が病気にあるなら、医師はそのことを私たちに告げる―それが私たちにとって嫌なことであったとしても―であろう。せっかく元気になりたいがために医者のところに行ったのに、「あなたは病気であり、このような問題を抱えている」と告げられるのは本当に嫌なことである。しかし私たちは、そのことを告げられなければ、健康を取り戻すことはできないのである。
礼拝に来て、罪を知らされるということも、それと同じだと思うのである。罪は病気と同じである。放置するとガンと同じように、どんどん増殖して、私たちを内的な死に追いやる。やっかいなのは、罪は、ガン以上に発見するのが難しいということだと思う。それは、私たちが法律的な意味で悪いことをしているとか、倫理的・道徳的に不適切なことをしているということではない。ここに登場した女性のように、あからさまに実際の行為として出てくるものではない。だからこそやっかいなのである。普通の見方からすれば、むしろ罪は何ら病気などではないように見える。ごく普通のあり方のように見えるのである。
聖書に、最初に罪という言葉が出てくるのは、創世記のカインとアベルの物語においてである(創世記4章7節)。言葉としては出てこなくとも、罪の本質がはっきりと現れているのは、アダムとエバが、禁じられた木の実を食べる場面(創世記3章)である。「それを食べると、目が開けて神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。(3章5節)」とある。私はここを読むたびに、この唆しの言葉が、アダムとエバのお互いが良き助け手として一体となった直後に聞こえてきたということに、いつもはっとさせられる。二人はなぜ神様のように善悪を知る者となりたいと願ったのであろうか。知るとは、司るとか支配するとか、そういう意味がある。助けるべき相手ができたからこそ、私たちはその立場から「善悪」というものを司りたいと思ったのである。「これこそ、これこそわたしの骨の骨・肉の肉」と叫んだ相手を助けるためには、いつまでも元気で長生きをしたいと思う。自分の血や肉を分けた子どもを、いつまでも生きさせたいと願う。それが私たちにとっての善である。そのような意味で善悪を支配したいと願うことは、決して普通の意味で罪や病気と言われることはなかろう。むしろ人間として当然の姿であろう。しかし、聖書によれば、それは罪であり病気だということになる。この罪は、私たちの中で徐々に広がってゆく。そして気が付いた時には、もう手の施しようがないほど私たちを支配しているのである。
4 イザヤ書の46章3節の後半から4節にかけて、「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで背負ってゆこう」と書かれている。老いて白髪になった時こそ、その時を安らかに過ごすためには、生まれたときに神様によって背負われた存在であったのと同じようであらねばならないということだと思う。しかし私たちは、老いて白髪になったときには、もう生まれた時のことなど忘れてしまっている。大人になって以来ずっと、私たちは自分で自分を背負い、自分の思い通りに生きてきた。先ほどの創世記の言葉で言えば、善悪を司ってきた。自分が神となって生きてきた。それは私たちの中でガンのように広がっていて、白髪になった私たちから平安を奪うのである。赤ちゃんのように安らかに生きることを奪うのである。私たちは、自分で自分を飼い主にしようとする。これが罪なのである。病気なのである。
ここに描かれた女性が、あのような行為に及んだのも、つきつめれば罪ゆえなのだと思う。かつてコリントの信徒への手紙(1)の学びで「みだらさとは、自分の体を意のままにすることだ」と教えられた。この女性は、自分の体を自分の意のままに使って何が悪いのかと思っていたのではなかったか。それを許さない社会へのプロテストもあったのかもしれない。そうでなければ、わざわざその現場を押さえられるようなことにはならなかった、しなかったのではなかったか。
5 こうして、この女性は罪を犯した。律法の専門家やファリサイ派と呼ばれる人々は、彼女が罪を犯したと断罪することはでた。しかしそれはあくまで断罪だけであり、それも実にうわべだけの断罪だった。モーセが教えた律法に照らしてだけの罪であり、私たち人間すべてに深く巣食っている病いとしての罪ではなかった。石を投げて、病んでいる人を、その病と共に殺してしまうような処置しかできなかった。これこそが、私たち人間が罪を考え、それを処理しようとするときの限界なのである。
しかし、イエス様がこの女性の罪に目を向け、それを処理しようとしたやり方は全く違っていた。イエス様は、彼女にしたのは、罪の赦しであった。罪からの解き放ちであった。犯したことは、帳消しにはならない。しかしそのマイナスは、なぜか彼女にとってプラスとなっていったのである。その後、この女性がどのように生きたのかは、どこにも記されていない。しかし、新約聖書の中に数多く登場するところの、イエス様によって罪を赦された女性たちと同じように、おそらくこの女性も、その生き方を変えていったはずである。もはや自分の体を、ただ自分の意のままに使うみだらな生き方はできなくなったに違いないのである。彼女をそうさせたものは何だったのか。それはイエス様との出会だったのである。イエス様は、明らかに彼女とこのような形で関わることにおいて、命をかけた。当時のユダヤ人社会を支配していた律法学者やファリサイ派に刃向かい、モーセの律法を踏み越えたのである。これほどまでに命をかけて自分にかかわってくれたイエス様との出会いは、二度と彼女をしてその体や命を自分の意のままに用いることを許しはしなかったであろう。こうして不思議にも、彼女の犯した罪は、彼女によきものを与える器となっていったのである。マイナスが、なぜかプラスの働きをするものに変えられていったのである。罪ゆえに掘られた深い溝に、イエス様の命の犠牲が注がれた。これこそ神様が私たちの罪に対してなさることなのである。イエス様との出会いにおいて、罪という溝が深ければ深いほど、そこに神様は豊かな水を流して下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 10月14日(日)聖霊降臨節第22主日礼拝
31:01モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、 31:02こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。 31:03あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。 31:04主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。 31:05主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。 31:06強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」 31:07モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。 31:08主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
1 2節に2度にわたって「できない」という言葉が繰り返されている。最初の「できない」は、2節はじめにある「私は今日、既に120歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない」という言葉である。「自分の務めを・・・」を原文に忠実に訳すと「出たり入ったりができない」となる。申命記の最後の34章に、モーセの死の様子を描いた場面がある。その7節には「モーセは死んだとき120歳であったが、目はかすまず活力もうせてはいなかった」とある。足腰が弱るというような意味で「出たり入ったり」が辛くなり、指導者・牧会者としての働きができなくなっていたということかもしれない。
もう一つの「できない」は2節後半に書かれている。それは「主は私に対して『あなたはこのヨルダン川を渡ることはできない』と言われた」である。このことに関連して、民数記20章を紹介したい。イスラエル人がエジプトを脱出して、ほぼ40年近く経った頃、パレスチナを目と鼻の先に臨む地、かつてエジプトを脱出して2年目に、12人の偵察隊を遣わしたカデシュという地にたどり着いた。注解書によれば、この地にはオアシスがあったとのことである。しかし、たどり着いてみると、なぜか水が枯れてしまっていた。それを見たイスラエル人は、モーセをなじり、罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけた。神様は、モーセに対して「岩から水を出して民に与えよ」と命じた。しかしモーセは、神様に対しても民に対しても怒って、神様が命じていないこと(杖で岩を2度打つ)をして岩から水を出した。これを見た神様は、モーセに「あなたたち(モーセとアロン)は、この会衆を、私が彼らに与える地に導き入れることはできない」と言ったのである(民数記 20章12節)。
2 申命記の3章25節以下にも、このことが触れられている。そこではモーセは「ヨルダン川の向こうの地・・・を見せてください」と祈っていた。しかし神様は、その祈りを聞こうとせず「もうよい。このことを二度と口にしてはならない。・・・お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから」と言ったとある。申命記の3章から、今日の場面まで、どれほどの時間が経っていたかわからない。しかし、3章では、自分が約束の地に入れないことを素直には受容できなかったモーセが、もうこのことを受容している様子がうかがわれる。モーセにそうさせたのは、3章には書かれていなかった「もはや自分が与えられた務めを果たすことができない」という体の現実だったのかもしれない。そのような現実に直面する中で、自分が、もうヨルダン川を渡ってはゆけないのだという神様の御心を自然に受け入れることができたということかもしれない。
私たちは、なかなか自分が「できない」者となったということを受け入れることができない。今の時代は、とても浅はかな意味でのポジティブな考え方がはびこっていて、「できる・できる」と常に自分に言い聞かせることだけが推奨されている。過日、女子テニスのシングルスで日本人ではじめて世界4大大会で優勝した選手のマネージャーも、つねに「君はできる」と励まし続けた点が、とても評価されていた。「できない」と言うこと、できない自分を受け入れることなど、到底ほめられたことではないのである。けれども、本当は、もう体の面で「出たり入ったりできない」自分がいた。そして、神様の御心もまた「あなたはこの川を渡ることはできない」というところにあった。それなのに、私たちは、いつまでもどこまでも「私はできる。あなたはできる」と言い続け、それがよいことと推奨されるのである。しかし、それが逆に、私たちから希望を奪うこともある。「できない」状況に置かれた私たちが、本当の意味でポジティブに生きる道を断ってしまうこともある。神様の私たちへの御心は、私たちの願いに反して「あなたはできない」と厳命されるところにもある。
40年前、80歳の時のモーセは、神様からの申し出に対して、「できない」と何度も拒んだ。そのモーセに、神様は「あなたはできる」と語りかけた。しかしそれから40年経って、120歳になった彼に対しては、「できない」と言うのが神様の御心なのであった。それがモーセの体の現実においても現れていた。「できない」という事実と、その背後にある神様の御心を受け入れることが、どれほど私たちにとって大事なことであろうか。
3 イザヤ書の46章1節から10節には、紀元前539年にバビロニアを滅ぼして捕虜となっていたイスラエル人を故国へと帰還させたペルシャ王のキュロスのことが書かれている。驚くなかれ、彼は「油注がれた人」と呼ばれている。これはヘブル語ではメシアであり、ギリシャ語に翻訳されると、これがキリストとなる。神様を信じていたわけでもなかった一介の政治的な王様が、なぜメシアと呼ばれることとなったのか。46章1節以下に書かれいるのは、「彼は、国々の武装を解き、その城門にある青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折る」である。それによって、どのようなことが起きるかというと、3節はじめに、「暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える」と書かれている。私は、この御言葉にとても心をとらえられた。国々の武装とか城門の青銅の扉・鉄のかんぬきとかは、私たちにとって、何を意味しているかは、すぐに感じ取れる。それは、私たちにとっての砦・より所とするもの・かんぬきをかけて守りたいと願っているものを指している。それこそ、「できる」自分のことである。かんぬきをかけて「できない」自分が入り込んでくるのを阻止しようと私たちは必死になる。しかし神様は、キュロスという王様を破竹の勢いで登場させて、私たちの武装を解き、城門を壊すのである。「できる」自分が破られ「できない」自分が襲いかかってくる。神様に油を注がれたものは、私たちをできる者からできない者にする。それは私たちにとって本当に辛いことだが、それが神様の御業なのである。神様は言う。「しかし、そうなってはじめて「暗闇に置かれた宝、隠されていた富をあなたに与える」と。「できる」自分が壊され「できない」私にされてはじめて、それまで自分でもわからなかった宝や富があることに気づかされる。できない私たちにならなければ、見いだし得ない宝や富があるのだと思う。
4 モーセが「できない」自分を受け入れることで、はじめて神様から与えられた宝や富を記している箇所と理解してよいのかもしれない。
モーセが、ヨシュアを後継者として任じるに際し、繰り返し繰り返し口にしている言葉が、たとえば「あなたの神、主ご自身があなたに先だって渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させて下さる(3節)」がある。「主が」という言葉が何度も繰り返されているのに気づかされる。イスラエル人を導いてパレスチナの地に入らせ、そこに住まわせて下さるのは、モーセの働きによるのでもなく、後継者となるヨシュアのそれによるのでもなく、ただ神様自身がそうされることによって成し遂げられることだとモーセは何度も語った。国々を得させるとか先住民を滅ぼすとか、そのような文言を決して文字通りに受け取ってはならない。モーセは、それは神様自身がそうされることであるからこそ、安心してその神様の御業に参与しなさいとヨシュアに告げたのである。「神様が成し遂げて下さることなのだから恐れることはないし、おののくこともない」と。「自分の力のなさや、できないことを心配する必要はない」と。
「できない」自分を受容して、モーセが見いだした宝や富とは、ここにこそあると示される。これまでは、指導者として「できる」彼だった。できる自分だからこそ、この務めをやれると思ってきたのではなかったか。しかし、だからこそ、イスラエル人を導き、約束の地に入らせて下さるのは神様自身なのだという一番大事なことがわからなかったのである。しかし、できない自分になった。そうなってはじめて、これは神様自身が成就されようとしていることだとわかったのである。だから指導者としての務めを、安心してヨシュアに任せられるようになったのである。それまではそうできなかった。「ヨシュアで大丈夫か、やれるのか」と、とても心配だったのである。
ヨシュアは、約40年前カデシュから12人の偵察隊をパレスチナに遣わした時のメンバーのひとりだった。カレブと共にパレスチナに進んでゆこうと人々を鼓舞した一人だった。モーセとカレブと共に荒れ野の40年を生き延びた、たった3人のひとりだったのである。それでもモーセは、ヨシュアを後継者に任じるのに躊躇したのではなかろうか。それはモーセ自身が「できる」ということに頼っていたからであろう。「できる」者しか後継者になれないと思い込んでいたのである。しかし「できない」者になれたとき、イスラエル人がパレスチナに入るのは神様が成し遂げようとしている御業だとわかった。だから安心してヨシュアをその神様の御業に参画させてよいのだと悟ったのである。ゆえに「恐れることはない。おののくことはない」と励ますことができたのである。
5 私たちも「できない」ということを受容したとき、私たち人間のできるできないにかかわらず神様が成し遂げようとしておられる大きな御業があるとわかって、それを基に家族や後に続く人々を励ませるということがあるのかもしれない。
先住民を滅ぼすとか国々を得させるとかということを、決して文字通りに受け取ってはならない。それは申命記を学ぶことにより教えられたことである。残念ながら、あるクリスチャンたちは、これを文字通りに受け取って、今日イスラエルがパレスチナの人々を追いやり、その地を武力で占領していることを良しとしている。そもそもパレスチナ先住民たちは、数と力でははるかにイスラエル人に勝る完全な人々であった。歴史的な事実としても、先住民を滅ぼすことなどできなかったのである。神様がおっしゃったのは「先住民に滅ぼされないようにしなさい」ということなのであった。それは数と力に勝って文字通りの意味で先住民を滅ぼし、その土地を手に入れるということではなく、イスラエル人として先住民に滅ぼされずに、彼らとははっきりと一線を画した生き方をするようにということであった。だからこそ9節以下には、律法が人々に与えられる様子が書かれているのだと思う。パレスチナの地でイスラエル人は、数や力に勝って生きようとする先住民とは違って、神様の言葉に従って生きる者となったのである。そのような生き方をする点において、国々に打ち勝っていったのである。私たちも、様々な点で「できない」者とされるのである。しかし、そのようなことを越えて、私たちに対する神様の大きな御業が成就してゆくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 10月7日(日)聖霊降臨節第21主日礼拝
07:01そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。 07:02しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。 07:03夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。 07:04妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。 07:05互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。 07:06もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。 07:07わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。 07:08未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。 07:09しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。 07:10更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。 07:11――既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。――また、夫は妻を離縁してはいけない。 07:12その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。 07:13また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。 07:14なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。 07:15しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。 07:16妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。
1 7章前半、結婚の意義について、またそれとは反対に独身でいることについて、そして未信者の配偶者との結婚生活について、パウロが具体的に教えている。パウロがどのような流れの中で、このような事柄について語ったかを考えてみたいと思う。直接的には、6章最後20節の「自分の体で神の栄光を現しなさい」につながりがある。このパウロの言葉は、当時のコリントの人々にとって、まことに驚くべきものだったろうと想像できる。というのは、当時のギリシャ・ローマの世界では、広く「体は墓場(ソーマ、セーマ)」という語呂合わせのことわざが行き渡っていたからである。霊肉二元論という考え方が根底にあり、人間にとって大事なのは、霊とか魂とか呼ばれる内面の部分のみであって、その大事な内面を体は縛ると考えられていたのである。病気になったりケガをしたり、最後には死んで墓場に行くことによって、体は魂や霊をあたかも鎖に縛るかのように墓場へと道連れにしてしまうと捉えられていたのである。だから当時の人々は、体をとても蔑視し、さげすんでいたのである。どのようにして体から魂や霊の自由さを守るかということが、当時の人々にとっての切実な思いだったのである。
このようなギリシャ・ローマの人々に、パウロは、「体こそ神様の栄光を現せるすばらしい器だ」と語ったのである。そのように語り得たのは、他でもなくイエス様が、体をもって生きて下さり、体が置かれ示す最も悲惨なありかたの十字架の死が、神様の栄光を現すところとなったということがあったからである。イエス様を救い主として信じるようになったクリスチャンは、体について周りの人々とは全く違う捉え方ができるようになったのである。だからパウロは、体こそが神様の栄光を現せる貴い器だとコリントの人々に教えたのである。
そのように書いたとき、パウロの脳裏に、コリント教会の人々から寄せられていた具体的な幾つかの問題が思い浮かんできたのかもしれない。「男性は女性に触れない方がよいのではないか、ひいては結婚せずに独身を通した方が良いのではないか。また未信者の伴侶は離婚すべきではないか」という疑問である。そうしたことは突き詰めると、すべて体のあり方の問題ということもできる。そうした事柄は、体で神の栄光を現すということと深くつながっているとパウロは感じたのである。そこで、体で神の栄光を現せと勧めた直後で、幾つかの具体的な問題が取り上げられることとなった。
2 さて、こうした問題に対するコリント教会の人々の態度が、おのずと浮かび上がってくる。まず、1節に「そちらが書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい」とある。コリント教会の人々は、とにかく男や女に触れない方がよい、従って結婚はせずに独身でいた方がよいと考えていたことが浮かび上がってくる。また10節以下を読むと、未信者の配偶者は、離婚した方がよい・そうすべきだと考えていたことも浮かび上がってくる。ここには、クリスチャンにはなったものの、当時のギリシャ・ローマ世界の人々の心を広くとらえていた「体は墓場」「体は蔑視すべきもの」という考え方に強く影響されていた様子がうかがわれる。体からできるだけ自由になることが大事であるということは、おおよそ体の要求することは、できるだけ無視すべしという考えが強くあったということである。そこからは、禁欲、断食、また結婚生活の断念という生き方が導き出されることになる。だから、とにかく男性は女性に触れない方がよいということになったのである。男性が女性に触れるだけではなく、おおよそ私たちの体が異性に対して抱く思いというものは抑圧し無視すべきだとされたのである。また、信者が未信者に触れるのも避けた方がよいということになった。そのようにしてこそ霊や魂という内面の自由さや清さ・聖性が保たれると考えたのである。パウロも「男や女に触れない方がよい」のではないかというコリント教会の人々の主張を肯定していたように読める。また7節や9節には「皆がわたしのように独りでいてほしい、独りでいるのがよいでしょう」とある。このパウロの勧めを、どう読むかは、なかなか難しい。注目すべきなのは、パウロが、はっきりと神様・イエス様からの絶対的な命令の部分と、あくまで彼個人の勧めとを、しっかりと分けている点である。10節には「既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく主です」とあるのに対し、12節では」「主ではなくわたしが言うのですが」とある。また7節には「わたしとしては・・・しかし、人はそれぞれ神から賜物を・・・生き方が違います」とのパウロの言葉があり、独身でいることが決して神様からの絶対的な、すべての人に当てはまる命令ではないと、きちんと勧めているのである。確かにパウロ自身は、どちらかというと独身でいた方がよいと思っていたのである。しかし、独身でなければ体が神様の栄光を現すことにならないとか、私たちが異性に触れること・ひいては結婚することが神様の栄光を現す妨げになるとか、そのようなことは、パウロは決して考えてはいなかったのである。むしろその反対に、2節以下には、結婚は大いに体で神様の栄光を現す機会となるのだと、パウロが勧めていることが書かれている。それほどまでに神様は、結婚という私たちの体のありかたに、すばらしいものを与えて下さったとパウロは考えていたのである。
3 では、結婚において私たちの体はどのような神様の栄光を現せるとパウロは勧めていたのか。2節に「みだらな行いを避けるために・・・自分の夫・妻を持ちなさい」とある。この文章を素直に読むだけでは、パウロが結婚の意義を単に「みだらな行いを避けるため」程度にしか考えていなかったのかと受け取ってしまう。しかし4節の言葉を読むと、パウロには、そのような浅はかな結婚観はなかったことがよくわかる。パウロは「妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を・・・妻がそれを持っています」と言っている。今から2000年前の時代、男尊女卑が当たり前で、妻は夫の所有物として扱われていた当時にあって、妻も夫の体を意のままにできる権利があると彼が語ったことは、実に驚くべきことである。結婚において私たちは、自分の体を、また人生を、意のままにできることを配偶者に譲り渡してしまっているのだとパウロは語ったのである。これは2000年前の世界において、どれほど驚くべきことであったか。ここにこそ神様の栄光が現れていると、パウロはとらえていたのである。パウロが言うところの「みだらさ」とは、突き詰めて言えば自分の体にしても、人生にしても、自分の意のままに支配し、コントールしようとするところにある。そのみだらさが、結婚において、打ち破られている。決して強制されてではなく、私たちは喜んで配偶者に自分の体も、働いて得た収入も、人生のすべてを譲り渡している。結婚こそが私たちをして「みだらさ」から解き放ってくれているのである。私たちの体が、みだらさに支配されることから救ってくれている。霊や魂を清めてくれている。
なぜ結婚において、そのようなすばらしいことがおきるのか。それは、創世記2章18節以下に書かれているように、神様が結婚に深い意義を込めて下さったからなのである。神様は、アダムのために良き助け手を造ろうと、いろいろな動物を彼の前に連れてきたが、良き助け手は見つからなかった。そこで神様は、アダムを深く眠らせ、彼のあばら骨の一部を取ってエバを造った。自分の体の一部を取って造られた彼女を見て、アダムは「これこそわたしの骨の骨・肉の肉」と喜びの叫びをあげた。こうしてふたりは一体となり、互いに丸裸ではあったけれども、恥ずかしいとは思わなかったとある。突き詰めると、同じ体であることこそが、良き助け手の土台であることがわかる。私たちの体は、相互に相手の体の一部から成り立っているのである。だからこそ私たちは、結婚において、自分の体を自分の意のままにすることが許されないのである。しかし、そのことこそが、私たちの助けになっているのである。私の体が、相手の体の一部より成っているということが、どれほど私たちの助けになっているか。そこには、私たちには想像もつかない奥義が秘められているのである。こうしてお互いが、お互いの助け手となる。ここにこそ、私たちの体が現す神様の栄光というものがあるのではなかろうか。神様が神様であることの本質、その栄光の核心というものを「助ける」ということに置いてもよいのではなかろうか。だから、神様が私たち人間だけに刻んで下さった神の似姿とは「助ける」という点にこそあるのではなかろうか。いつもいつもイエス様から教えられるように、体であるからこそ、体が痛みを感じ、血を流すような形でこそ、犠牲がそこに伴うからこそ、それは助けになってゆくのである。マザーテレサは、血を流さないものは助けにはならないとよく言っていた。アダムが自分の体の一部を裂いたからこそ、エバは彼の助け手となっていったのであろう。
4 結婚の意義について語ることに、随分時間を取ってしまった。しかし、体でこそ神様の栄光を現すということで、パウロが勧めたことは、まだあと二つある。それは、結婚することと矛盾するようだが、独身であることによってであり、また未信者の配偶者を離婚しないというありかたによってである。なぜ独身であることによっても神様の栄光を現せるのか。結婚が、神様の栄光を現すすばらしい器であるならば、どうして結婚すべきではないのか。結婚しなければ神様の栄光を現すとは言えないということにならないのか。
これに対してパウロは、「皆がわたしのように独りでいてほしい」とわざわざ語っている。その真意はこういう点にあるのではなかろうか。どうしても当時の社会というのは、体は墓場であるがゆえに、体に対して無理やり、ある決まったありかたを強制するという傾向が強かったように思う。一方では、それは独身の強制となり、他方では、逆に結婚の強制になる。「結婚しなければ体の抱く情欲を抑制できないだろう。だから絶対に結婚しなければ」という考え方になる。また未信者の配偶者は離婚せねばという強制にもなる。こういう体についての「ねばらない」式の考え方に対して、否と勧めているのである。結婚は、大いに神様の栄光を現せるありかたではある。しかし7節にあるように、人それぞれには、神様からの違った賜物がある。結婚という賜物が与えられず、独りでいることによって、その体で神様の栄光を現すこともできるのである。5節には、夫婦であっても、一時「専ら祈りに時を過ごす」ためにしばらく別々になることもあると書かれている。ある人は、独身であることにおいて、祈りに専心することで、誰かの良き助け手となることがある。神父や修道士は、私たち結婚している教職者とは違って、専心して信者や周囲の人々のために時間を使えるということもあるのではなかろうか。パウロも、そういうことから、独りでいることで神様の栄光を現せる人もいるのだと言っているのではなかろうか。
最後に、未信者の配偶者を、離婚しないということで、体が神の栄光を現すという点に触れたい。14節に「信者でない夫・妻は、信者である妻・夫によって聖なる者とされている」という驚くべき語りかけがなされている。未信者の配偶者がおられる人にとっては、本当に慰め深い御言葉ではなかろうか。なぜパウロがこういうことを語ったかというと、「未信者の配偶者と結婚生活を続けることによって、信者が汚される」という思いが、人々に根強くあったからだと思う。体が汚れたものに触れることで汚れに染まる、内なる魂や霊が汚れるという考え方があった。ところがパウロは、それとは全く逆のことを勧めたのである。「汚れるのではなく、反対に聖なる者とされるのだ」と。信者である者とそうでない者が、結婚という神様の与えたもうた器において一つとされるとき、そういうことが起きる。それが神様の栄光が現れることに他ならないのである。このパウロの捉え方の根源にも、イエス様の出来事があったことを思うのである。聖なるイエス様が、汚れた者に触れて下さったことで、汚れた者は聖なる者にされたのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 9月30日(日)聖霊降臨節第20主日礼拝
07:37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 07:38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 07:39イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。
1 38節に、「聖書に書いてある通り」とある。この箇所が、聖書のどこなのかについては、様々な解釈がある。そのひとつとして、旧約聖書のエゼキエル書の47章1節以下がある。それは「水が神殿の敷居の下から湧き上がって東の方へ流れていた」という文ではじまっている。この水とは、最初はか細い流れだが、段々に太くなって、汚れた海に流れ込む。するとその水はきれいになり、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」と9節にある。
7章10節のタイトルに「仮庵祭でのイエス」とある。仮庵祭というお祭りの中での出来事の記述である。この祭りが最高潮に達した最終日に、イエス様が皆の前で語った。この7章全体が、仮庵祭との密接なつながりがあることがうかがえる。6章は、その4節に「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」とあり、6章全体の出来事もまた過越の祭と密接なつながりの中で語られたものである。過越の祭は、犠牲とされた小羊の肉を食べたり、酵母を入れないパンを食べたりすることが大事な要素だった。また、荒れ野を40年間もさまよった時に、マナという不思議な食べ物によって支えられたことをも思い起こすお祭りである。そのようなことで、このお祭りは食べ物と密接にからんでいることもわかる。これを受けて6章に、食べ物をめぐってのエピソードや問答が、ずっと記されたのである。おそらくそれは、この福音書を書いたヨハネの、編集意図によるものであろう。この福音書が書かれた西暦100年頃の小アジアのユダヤ人たちは、熱心に過越の祭を守っていた。そのようなユダヤ人に、「あながたが食べるべき食べ物とは、イエス様なのだ」と伝えたいがために、ヨハネは6章を書いたと言えるのである。
同じことが、この7章にも言える。ユダヤ人にとっては、過越のお祭りと並んで、この仮庵祭も、とても大事なお祭りであった。それにもうひとつ、ペンテコステと呼ばれる五旬祭を加えた3つが、ユダヤ人の三大祝祭日であった。だから、この福音書が書かれた時代でも、ユダヤ人は熱心に仮庵祭を守っていたであろうことがうかがえる。人々は、何かを願い求めてエルサレムへと仮庵祭を守るために上ってゆくのである。そのような人々にヨハネは、「あなたがたが求めているもの─それはつきつめれば「水」なのだが─は、エルサレムでのお祭りで得られるものではなく、イエス様によって得られるものだ」と語りかけたのである。
2 では一体、仮庵祭とは、どのようなお祭りだったのだろうか。仮庵祭については、出エジプト記やレビ記や申命記のあちらこちらに書かれている。その中からレビ記23章39節以下を見てみよう。「なお第七の月の15日・・・主である」とある。第七の月というのは、私たちの暦で言えば、ちょうど9月から10月の時期になる。「農作物を収穫するときは」とあったように、これはまず何よりも、秋の収穫のお祭りだったのである。しかもただ収穫のお祭りではなく、仮庵をつくって七日間、そこで生活するということが加わっていた。その意味は43節にあるように、エジプトを脱出して荒れ野をさまよっていたときの、仮庵に住んでいたことを思い起こすためであった。仮庵にしか住めなかったような者が、こうしてパレスチナに定住し、田畑を得て、沢山の収穫を与えられるようになったことを神様に感謝するお祭りだったのである。
その肝心の水については、どこに書かれているのか。このレビ記も、仮庵祭のことが書かれているあちこちの聖書箇所を読んでも、直接水については何も言及されてはいない。おそらくは、お祭りを続けてゆく中で、自然に水を求めるということが儀式として加わっていったのではないかと思う。古い聖書辞典の解説には、「祭の7日目(最終日)には、特別に雨乞いの祈りをささげる。ルーラブ(祭りの間中使う木々の束のこと。その木々のことはレビ記23章の40節に書かれている。)の中から、特に柳(40節には川柳とある。)の枝を取り(柳は必ず水のある場所に生えるので、豊かな水の象徴とされた。)、会衆は歌と共に「ホサナ、ホサナ」と唱える。ちなみに、この祭りの間中祭司は毎日シロアムの池から水を汲んで神殿の祭壇にこれを注ぐ儀式を行った」とある。なお、この祭りにおいて、このように水が祈り求められるのは、出エジプト記17章の、モーセが岩から水をほとばしり出させた出来事に由来するとも言われているそうである。
とにかく豊かな収穫を与えられるためには、水が不可欠だということから、収穫のお祭りである仮庵祭には、水を乞い願うことがなされたのであろう。イエス様が「立ち上がって大声で言われた」のは、祭りの最終日に、人々が大声で「ホサナ、ホサナ」と叫んで、水乞いの祈りをしている最中だった様子が、ありありと伝わってくる。イスラエルの人々が、仮庵祭で求め願っていたものは、要は豊かな収穫であった。荒れ野をさまよい仮庵を立ていた頃のことを思い起こしはすれど、願っていたのは、再び仮庵を立てる荒れ野の生活ではなかったのである。むしろそれとは正反対の生活であった。求めていた水とは、豊かな収穫や、仮庵とは正反対の生活を与えてくれる象徴ではなかったかと思うのである。
3 このような水を求めていた人々に、イエス様は大声で語った。その心は、次のようなものではなかったかと私は想像する。「あなたがたは、豊かな収穫を感謝し、またそれを求めて水を乞い願っている。しかし、その水はあなたがたの抱えている渇きを本当に癒すものなのだろうか。シロアムの池から汲まれた水、またこの祭りや儀式を通して与えられる水が、私たち人間が抱えている深い渇きを潤し得るものなのだろうか」という問いかけだったと思うのである。
私たち人間が抱えている深い渇きとはどのようなものであろうか。どれほど物質的に豊かな収穫が与えられても、またそれを可能とする水が豊富に与えられたとしても、それによっては決して潤され得ない渇きというものが私たちには、ある。それは人として生きているがゆえの哀しさ、辛さのようなものではないかと感じる。私たちは、年齢を重ねると共に、体も心も思うようにならない辛さを抱える。そうしたことからの渇きは、どれほどに豊かな収穫を得ても、この世の水をどれほどに飲んでも、癒される渇きではない。私たちには、神様の言葉を聞くことによってしか癒されない渇きがある。土の器として造られたゆえに病み苦しむ私たちは、そのことへの神様からの慰めが必要なのである。天からの水というべきものをいただいて、その痛みや苦しみを癒していただきたいのである。痛み苦しみを避けることはできないが、でもそこに、神様からの水をいただいて、その苦しみを和らげていただきたいのである。病み苦しむことにも貴い意義があると教えていただきたいのである。私たちには、そのことがわからない。どのように豊かな収穫も、この世の水も、病み苦しみごとに対しては、何の慰めにもならない。
この箇所の前後を読んでも、イエス様が人々と実に不思議な問答を交わしておられたことに気づかされる。33節には「今しばらくは・・・お遣わしになった方のもとへ帰る」とあり、29節には「わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである」とある。なぜこのような問答が、何度も交わされているのか。それは要は、イエス様が、私たちの知らないことを知っておられるということを私たちに伝えるメッセージではなかろうか。私たちの深い渇きに、イエス様は、答えて下さることができる。神様の世界から来て、またそこに帰ってゆくイエス様は、私たち人間というものが、どこから来てどこへ行くのかを知っておられる。イエス様は、私たちの死や苦しみや病むことについて教えて下さることがおできになる。だから、「そのイエス様のもとに行って渇きを潤す水をいただきなさい」とヨハネは勧めたのではなかろうか。
4 イエス様は、私たちの渇きに対して、どのような水を与えて下さるのでか。はじめて気づかされたことがあった。「渇いている人」の「渇く」は、十字架の上でイエス様が口にされたイエス様の言葉としてヨハネが記した4つのもののひとつだということである。19章28節に「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。」とある。「すべてのことが成し遂げられたことを知る」ということと「渇く」ということは、一見すると全く矛盾するように思える。何も成し遂げられなかったからこそ渇くように思う。ところが、十字架のイエス様にとっては、渇くことと、すべてが成し遂げられたことがつながっていたのである。渇くことの中に、イエス様自身の使命が成就することがあったのである。イエス様が、身をもって教えて下さったのは、私たちが、人間として渇いてしまうことの中に、神様の御心の成就があるということである。イエス様には、それをわかっておられた。だからイエス様のもとに行くと、渇きを癒していただけるのである。
私の中に、ひとつのイメージが浮かび上がってきた。私たちが渇くのは、私たちが土の塵から造られたゆえなのではなかろうか。それゆえに私たちはひび割れ、深い穴があいてしまうのではないか。それが生きる渇きを生じさせるのではないか。しかし、もしもこのひび割れや深い穴が、砂漠のオアシスがそうであるように、枯れることなく脈々と流れる地下水脈へとつながるものであったらどうであろうか。ひび割れて、深い穴があくことによって、逆に、地下水脈に通じることになる。地下水脈につながることがなければ、私たちのひび割れや穴は、死に至るものでしかない。しかし、またひび割れなければ地下水脈に結び付くこともないのである。イエス様が、十字架にかかり、「渇く」とおっしゃったことにおいて成し遂げられたことというのは、まさにこういうことではなかったか。土の塵から造られて、渇いて渇いてひび割れてしまう私たちだからこそ、神様の枯れることのない永遠の命の水脈につながれるのだということを、イエス様は身をもって教え示して下さったのである。その証拠として、復活があったのである。深い深い渇きの奥底にこそ、神様の命の水の流れがある。
溝が深ければ深いほど、水は豊かに流れる。イエス様を通して、神様から私たちに流れている命の水が、また私たちの渇きや苦しみや痛みや死を通して、周りの人々をも潤してゆくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 9月23日(日)聖霊降臨節第19主日礼拝
30:11わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。 30:12それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 30:13海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 30:14御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。 30:15見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。 30:16わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。 30:17もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、 30:18わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない。 30:19わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、 30:20あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。
1 書き出しの11節以下に、「私が今日、あなたに命じる戒めは、難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは天にあるものではない・・・海のかなたにあるものでもない」と書かれている。「私が今日あなたに命じる戒め」とは、ひとことでそれを言い表すとすれば、20節にある「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい」ということが、この戒めであると言ってもよいであろう。
この戒めをモーセが、「難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもなく、天にあるものでも海のかなたにあるものでもない」と、勧めているということは、逆から言えば、この言葉を聞いていた当時の人々にとっては難しすぎる・遠く及ばない・あたかも天や海のかなたにあるようなものと受け取られていたという現実をほのめかしているのではなかろうか。12節から13節に、2度にわたってカギ括弧に入れられて引用されている言葉がある。これは当時の人々がこの戒めに対して抱いていた思いを吐露しているものなのである。神様を主として愛し、その御声を聞き、神様を主として従うということは、人々にとってはとんでもなく難しいことだったのである。
2 紀元前の12世紀前後エジプトで、奴隷であったイスラエル人が、モーセに率いられてエジプトを脱出し、荒れ野を40年間もさまよったあげく、今やっとパレスチナと呼ばれる地に入ってゆこうとしていた時に、モーセが、どうすればそのパレスチナの地でイスラエル人が先住民に呑み込まれずに生き残ってゆけるかを、その遺言として教えたのが、この申命記であるとされる。しかし研究者によれば、これが実際に書かれ編纂をされた時代は、ずっとずっと時代が下って、紀元前6世紀の、イスラエル人がその祖国をバビロニアによって滅ぼされ、捕虜としてバビロンに50年近くも抑留されていた時代であろうと言われている。30章のはじめに「あなたが、あなたの神、主によって追いやられた」、「たとえ天の果てに追いやられたとしても」といった御言葉がある。実はこれは、もしものことではなくて、現実にイスラエル人がそういう境遇に置かれていたことを現しているのである。神様が、自分たちの国を滅ぼし、バビロニアに捕虜として追いやったとしか言えない辛い体験をしていたのである。そういう体験をした人々が、果たして神様を愛するということが簡単にできたであろうか。その境遇の中で、人々はどのような神様の声を聞けたであろうか。
今から2600年前の時代社会では、宗教・信仰と言えば、御利益宗教というものに尽きるのではなかったか。自分たちの国を守り、領土を守り、平安な生活を保障してくれるのが神様であると、誰もが信じていた時代だったのではないか。イスラエル人も、そうであったに違いないのである。ところが、イスラエル人の神様は、よりにもよって愛する僕であるはずの者たちの国を滅ぼし、親が死んだわが子の肉を食べて生き残らねばならぬような辛い出来事を体験させ、生き残っったとしても、なお故郷をはるか離れたバビロンで、日々捕虜として強制的な仕事をさせていたのである。それが50年近くも続いたのである。そのような境遇の中で、一体どのようにして、自分たちにこのような辛い体験をさせた存在を、自分たちの神として愛することができたであろうか。そのような神様の、どのような言葉を聞けというのであったか。私たちも、それと似たような境遇に置かれるということについては、多くを語る必要はないと思う。
3 このようなイスラエル人に、また私たちに、神様はモーセを通して、このような境遇においても神様を主として愛し、その言葉を聞くことは、決して難しいことではないと語るのである。「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」と語って下さるのである。
バビロン捕囚の最中に置かれていたイスラエル人に、どのような神様の言葉が聞こえてきたであろうか。イザヤ書の40章以降の箇所にも、そのような神様の言葉が書かれている。最初に聞こえてきたのは、「慰めよ、慰めよ、我が民を慰めよ」との御言葉だった。どのような慰めか。それは「あなたがたが受けた苦しみは良い報いである」だった。おそらく当時のイスラエルの人々は、自分たちの受けた苦しみは、自分たちが犯したことへの神様からの罰なのだと受け取っていただろうと思う。これに対して神様は、全く逆のことを語ったのである。「この苦しみは、私からの良い報いなのだ」と。苦しみが良い報いだなどということを、当時のいったい誰が語り得たであろうか。これは神様自身から出た言葉としか言えないのではなかろうか。
「あなたがたのごく近くに、口や心にある」という語りかけの言わんとするところを、改めて思う。このような驚くべき言葉が、突如として預言者を通してイスラエル人の耳に聞こえてきた。しかしイスラエルの人々の側には、神様の言葉を聞ける状態というものはなかった。ラジオでたとえると、もう電波を受信するラジオ自体が壊れてしまっているような状態であった。神様を信じて、その言葉を受け止めようとする信仰が壊れてしまっていたのである。ところが、「慰めよ、慰めよ」との神様の言葉は、受信機が壊れていたにもかかわらず聞こえてきたようなものなのである。壊れているはずのラジオが、突然なり出したようなものである。神様とイスラエル人との間に設けられた途方もなく高い壁を乗り越えて、聞こえてきたのである。神様の声とは、そのようにして私たちに聞こえてくるものではなかろうか。私たちの側の、あらゆる隔てや壊れてしまった状態をものともせずに、私たちの心に直接飛び込んできて、私たちの心をわしずかみにして、私たちの口にのぼり、そして私たちの行動を左右するものとなるのである。
こうして礼拝にやってくる皆さんは、皆多かれ少なかれこのようにして神様の言葉を聞いたことがあるのではなかろうか。一度神様の言葉を聞いてしまうと、もうそこから離れることはできなくなる。私自身にも、そのようなことがあった。自分にはその資格はないのではないか、もう牧師をやめなければいけないのではないか・・・そのように思って牧師館の前庭に植えられたシラカバの木の根元に座っていたときに、「あなただから良いのだ」というイエス様の言葉が突如として聞こえてきた。その時の私も、受信機としては壊れてしまっていた。しかし神様の語りかけというのは、それをものともしないのである。その語りかけの内容は、神様だけが語り得るものである。そしてその神様の言葉は、人間のどのような言葉とも違っていて、聞いた者を生かしてくれる。人間の言葉・この世の言葉は、私たちを殺すことがあるが、神様の言葉は必ず私たちを慰める。それを聞いた私たちは、神様を愛さないではいられなくなるのである。そして、それが20節にあるように、「それがまさしくあなたの命である」ということなのである。
3 42章の18節から25節を開いて読むことはしないが、その19節に「私の僕ほど目の見えない者があろうか」とある。「目が見えない」とか「耳が聞こえない」とは、バビロン捕囚によってイスラエル人は、ある意味で「耳が聞こえず目が見えない」障がい者のようになってしまったということである。なぜそうなってしまったのか。申命記の30章のはじめにもあったが、神様が愛する民である自分たちを悲惨な目に合わせたからなのである。神様は自分たちを決してそのような目に遭わせるはずがないと信じ切っていた人々は、神様のことが信じられなくなったであろう。その意味で、今まで見えていた神様のことが見えなくなったのである。今まで聞こえていた神様の声が聞こえなくなったのである。信仰の上での重い障害を負ってしまったのである。
ところが神様は、この障がい者となったイスラエル人に、とても不思議なことを語った。「私の僕ほど目が見えない者はいない」と。「今までのように私を見られなくなり、その言葉を聞けなくなくなったあなたがただからこそ、はじめて見る私がある、はじめて聞く私の言葉があり、そのようなあなたがたこそが私の僕にふさわしい」と。このようなことは、私たちの身近にもあるのではないか。視覚障がい者や聴覚障がい者には、健常者である私たちには察知できない何かを感じ取る能力があるように思う。私が昔、郡山でお世話になっていた鍼灸師の先生も、そうであった。目の見える鍼灸師の先生にもお世話になったことがあったが、断然視覚障害の先生の方が、よかったように思うのである。捕囚を体験したイスラエル人は、普通の人が見聞きできる神様の存在を失ってしまった。そういう意味では、目が見えず耳が聞こえない者とされたのである。しかし、だからこそ、イザヤ書40章以降に記されているような神様の言葉を聞ける者とされた。それは、神様だけが語って下さる慰めの言葉だったので、イスラエル人をとらえ、その言葉によって歩ましめて、滅亡の危機に瀕していたイスラエル人を生かしたのである。
4 この「御言葉の近さ」の成就として、私たちクリスチャンは、イエス様を信じてきた。パウロは、この申命記の言葉を、ローマの信徒への手紙の10章6節以下で引用し、これこそイエス様だと語っている。自分たちを救ってくれる救い主として信じていたイエス様が、十字架の上で殺されてしまったことは、弟子たちにとっては、神様が見えなくなり聞こえなくなる出来事だったに違いない。また、そのイエス様を、たった一人、十字架の上に見捨ててしまったことも、自分たちと神様との距離を途方もないものとしてしまったように感じたであろう。弟子たちの側からは、もう決して神様を愛することはできず、その声など聞ける状態ではなかった。完全にラジオとしては壊れてしまっていた。しかし、そこに復活されたイエス様が入ってきて下さった。壊れた受信機などものともせず、イエス様を通しての神様の言葉が聞こえてきたのである。復活したイエス様は「安かれ」と、「私を見捨てたあなた方だからこそ、神の赦しという福音を伝えるにふさわしい」と言って下さった。イエス様の十字架の出来事がなかったなら、また十字架の前にそれまで信じてきた神様を見聞きできなくなるという弟子たちの状況がなかったなら、イエス様が救い主であるとの福音は、私たちに伝えられることがなかっただろうと思うのである。イエス様が救い主であるとの神様の言葉は、目が見えず耳が聞こえなくなったような弟子たちが見聞きできた本当の神様の言葉なのであった。だから、私たちのごく近くにあり、私たちを生かす命となるのである。
最後に、15節以下「命を幸い、死と災い」という二者択一の選択肢がおかれている点に短くふれたい。ある方々は、この二者択一を「さあ、おまえたちはどちらを選ぶのか」との問いかけだと理解している。しかし私は、神様の真意は、そういうものではないと思うのである。捕囚のただ中に置かれていたイスラエル人の前には、もう現実として、死と災いの道が置かれていた。見に見える現実としては、死と災いの道を行く選択しかなかったように思える。しかし、神様は「そうではない。あなたがたは、なおも命と幸いへと至る道を行けるのだ」とおっしゃって下ったのである。私たちの神様はいつも「私の言葉は、今のあなたがたに必ず聞こえる。その言葉を聞くことにより、あなたがたをして必ず命と幸いへと至る選択をさせる。だから安心しなさい。」と語って下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 9月16日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝
46:01ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ
お前たちの担いでいたものは重荷となって
疲れた動物に負わされる。
46:02彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず
彼ら自身も捕らわれて行く。
46:03わたしに聞け、ヤコブの家よ
イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
46:04同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
1 この世の暦では、明日は「敬老の日」となっている。例年教会でも、この日を敬老祝福日の礼拝としてきた。イザヤ書46章の前半では、私たちの側が、あるものをかつぐということが語られ、後半では逆に、私たちが神様によってかつがれ、背負われるということが対比されて語られている。まず、前半の私たちの側がかつぐということに込められているのはいかなることなのか。1節から2節はじめには「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ臥す。彼らの像は・・負わされ、お前達の担いでいたものが重荷となって・・・倒れ臥す」とある。注解書によれば、「ベル」というのは、当時のバビロニアで信仰されていた神様のことで、旧約聖書の中にしばしば出てくる「バアル」という神様の名前に由来するとのことである。確かに「バアル」と「ベル」は語感が似ている。バアルとは「所有」という意味である。信じる人に豊かさを与えてくれる神様として信じられていた。「ネボ」とは、このベルの子ども、あるいは使いとして信じられていた神様とのことである。ユダの国を滅ぼした王様は、ネブカデネザルという名前であった。名前の最初の「ネブ」とは、この神様の名前を取って付けられたものである。バビロニアに捕虜とされて50年近く経つ中で、イスラエル人も、だんだんとバビロニアのこうした神々を信じる人々が多くなっていったのだった。
では、この「ベル」や「ネボ」が、かがみ込み倒れ臥して、それを担いでいた動物や人々の重荷となり倒れさせてしまったとは、どういうことであったか。この御言葉が語られた当時、ペルシャにクロスという王様が破竹の勢いで近隣諸国を征服し、いよいよその矛先をバビロニアに向けようとしていた時期だったとされている。預言者イザヤは、そのクロス王が、いずれバビロニアに攻めてきて、その攻撃の前に、ベルやネボという神々の偶像が倒れるだろうということを預言していたのである。また、その像を動物に背負わせて逃げようとすると、それが重荷となって背負わされている動物だけではなく、逃げてゆくイスラエル人も、いずれは倒れ臥してしまうという様子を預言していたのである。
2 私は、この御言葉に改めて深く感じさせられるものがあった。先週、ある人が、とても辛いことがあってもう死んだ方がいいとさえ思ったと私に語った。普段はとても元気なのに、そんな弱音をはくとは、一体何があったのかと尋ねた。体と心の疲れから、洗濯物を干しに2階にあがる力もなくなって、洗濯物をずるずると引っ張ってやっと干したという。どうしてこんなに情けない状態になったのか、こんなことがどんどんひどくなってゆくのなら死んだ方がよいと思ったというのである。普段、人一倍元気な人ほど、これまで頼りにしてきた元気さというものがなくなったとき、逆に落ち込み、元気さがなくなった自分の状態を受け入れがたくなるのではなかろうか。私自身も同じだとしみじみ思ったのである。
私たちは、直接的には、ベルやネボという神々を拝んでいるわけでは勿論ない。しかし、こういう時代社会の中で生きていると、「ベル」が豊かなものを持つという意味の神様だったように、私たちは、健康とか、いろいろなことをできる能力とか、要はプラスの価値を沢山持つということを頼りにし、それを担いで生きているのではなかろうか。ルターは、私たちが頼りにしている存在が、私たちの偶像の神々だと言った。そのように私たちもまた、ベルやネボを担いできたのである。年齢を重ねても、白髪になっても、なお、いやそうなったからこそ、今まで頼ってきたプラスの何かを担ぐのをやめることができない。そのことが、老いて白髪になり、多くのマイナスのものを背負わざるを得なくなったときに、重荷となるのである。これまで頼り担いできたことが、今度は反対に重荷となって私たちを倒れさせてしまうのである。「死んだ方がいい」という言葉には、重荷を背負わされている様子が滲み出ていた。
3 このことは教会にとってもあてはまると思うのである。先週の礼拝後に、10年後の教会創立50周年に向かって、夢やビジョンを語り合う懇談会を持った。そのようにして夢やビジョンを抱くことが、しばしば私たちに、逆に重荷を背負わせてしまうのを、私は見聞きしてきた。戦後の、いわゆるキリスト教がブームとなり、その時代に信者となった私の父の世代の人々が召され、そしてその子どもである私たちの世代も60歳台となった。その世代が召されてしまったなら教会は一体どうなるかと皆、心配をしている。そんな中、抱かれるビジョンは、しばしばどうやって人を増やすか、どうやって教会を存続させるかの話になってしまうのである。しかしそれは、これまでの人数・これまで通りの教会のありかたをどこまでも担ごうとすることである。これまで頼りにし、担いできたものをこれからも担ぎ続けようとすると、それは、今までのあり方とは違って、激変してゆかざるを得ない時代では、重荷を背負うこと・ベルやネボを担ぐことになってしまうのである。私たちを倒れ伏させてしまう重荷となるのである。ペルシャ王のクロスが破竹の勢いで襲ってきて、あたり一帯が政治的にも社会的にも激変した状況というのは、教会に今襲い来つつある大きな激変と同じではないかと思うのである。齢を重ね、白髪となり、今までできたことができなくなるという身体的変化も同じである。そのような時に、これまでと同じように頼りにしてきたことを担ごうとしてはならないのである。ベルやネボを担いで乗り越えようとしてはいけないのである。ベルやネボを担ぐことによってではなく、この激変を乗り越えてゆかねばならないのである。
教会はどのようにして、この激変期を乗り越えてゆけるであろうか。それは、神様が私たちの教会に旧約聖書の昔から与えて下さったありかた、すなわち何千年にもわたって激動期を生き延びてきたありかたを取ることによってなのだと思う。そういう意味からも、私はいつも、代々の教会が何によって立ってきたか・生き延びてきたかをお話ししてきたのである。それは、教会が礼拝共同体であり、また弱い人々への配慮をする共同体であるということである。それは、神様自身・イエス様自身が、最初から教会に与えて下さった原理的なありかたであって、私たちが勝手に作りだしたベルやネボではないのである。だから、それを担ぐことは、決して私たちを倒れさせるような重荷とはならないのである。
4 少し脱線したようである。しかし、これまで頼りにしてきたものに、なおも頼ろうとして、かえって重荷を背負って倒れようとしているイスラエル人に、神様が語りかけて下さったのは、どういう言葉であったか。3節後半から4節に「あなたは生まれた時から負われ・・・救い出す」とある。
今、教会の最初からのありかたに立ち続けなさいと教えられたが、ここでも神様がまず語るのは、私たちの存在の原初的なありかたはどういう姿かということだと思う。「あなたは生まれた時から・・・担われてきた」とある。これはただ単に、生まれたときにこうであったということを言うものではなく、私たちが生まれた時にこうであったということは死ぬときに至るまで根源的にずっとこういう者だということではないだろうか。だから「同じように」と4節はじめにある。年老いても、白髪になっても、生まれたときと同じように私たちは神様によって背負われている存在であり続けているということなのである。
生まれたとき、私たちはごく自然にこれを受け入れ、このことに頼った。赤ん坊だった私たちには、何も担ぐことなどできなかった。何かを担げるような強さも能力もなかったので、背負われることが当たり前だった。今日の御言葉では、神様が担いで下さったとのことだが、具体的には母や父が世話をしてくれたのである。ところが大人になるにつれて、私たちは、いろいろなものを手に入れ、それを拠り所とし担いできた。当然のことだが、両親も召されてしまい、自分が親になって、家族を担がねばならない立場になった。そのことが私たちから、「あなたがたは幾つになっても神様によって、また誰かによって背負ってもらわなけばならない存在だ」という根本的な姿を忘れさせてしまったのではなかろうか。そして、重荷を背負わねばならないという、私が担がねばならないという思いばかりが強くなった。別の言い方をすれば、誰かに担いでなどもらう必要を感じなくなったのである。もっと言えば、誰かを担ぎ重荷を背負う側にいつも身を置けたのである。重荷を背負える強さというものがあった。だからこそ、神様によって、また誰かによって背負ってもらうということを、すっかり忘れ去ってしまったのである。背負われる側にまわるのが辛いのである。
最近、誰にも迷惑をかけないで死にたいと言う人がとても多いと聞く。それは突き詰めると、誰かに迷惑をかけ、背負ってもらわねばならなくなったマイナスの状態になった自分を受け入れたくないという思いではなかろうか。プラスである自分しか存在意義を認められない私たちなのである。私自身、」そのような思いが強いのではないかと感じている。しかし、だれかを担げる自分というありかたを、いつまでもどこまでも担ごうとすると、それは重荷となる。私たちを倒れさせる。だから神様は、老いてこそ白髪になってこそ、具体的に誰かによって、すなわちそれは、伴侶かもしれず、子どもかもしれず、また別の援助者かもしれないが、背負ってもらうことを受け入れなさいと言っているのである。それを神様は、神様自身によってなされることとして喜んで受け入れなさいと言っているのである。神様が背負って下さるとは、そういった具体的な形で現れるのだから、それを神様の御業として受け入れなさいということなのである。
洗濯物をひきずって、はって階段を上った人のように、齢を重ね白髪になった私たちの『重さ』はいかほどのものであろうか。それは心理的な重さなのである。そういう弱さを抱えてしまった自分自身の重さ・辛さなのである。その重さを、到底私たちはひとりでは担ぎ切れない。赤ん坊の時と同じように、誰かに背負ってもらうしかないのである。喜んでそれをしてもらえる者になりたいと私は思う。世話をしてもらう人から、かわいがってもらえる者になりたいと思うのである。背負ってもらうことを神様の御業として感謝したいと思うのである。
5 私たちが神様によって、赤ん坊のようなものとして背負っていただく存在であるのなら、たとえ白髪になっても、ただ誰かに世話をしていただくだけのものになろうとも、神様は私たちに成長というものを授けて下さるのである。4節最後からの2行目に「私はあなたたちを造った」とあった。これは決して文字通りに過去のことだけを言う言葉ではない。むしろその反対に「私はあなたたちを造ったゆえに、いつまでも造り続ける。創造の業はいつまでもどこまでも続いてゆくのだよ」との意味を含むものである。コリントの信徒への手紙(2)の4章16節に、パウロの言葉が書かれている。「だから私たちは落胆しません。たとえ私たちの『外なる人』は衰えてゆくとしても、私たちの『内なる人』は日々新たにされていきます」と。私たちは神様によって造られ続け、ゆえに常に背負われ続ける大切な子どもなのである。そのことにある平安、軽やかさ、慰め深さをしみじみと感じるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 9月9日(日)聖霊降臨節第17主日礼拝
06:12「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 06:13食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。 06:14神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。 06:15あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。 06:16娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。 06:17しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。 06:18みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。 06:19知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 06:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
1 ここでは「体」という言葉が、10回も使われている。そのことから、この箇所の主題が「体」ということがわかる。「体」とは、原文のギリシャ語では、ソーマと発音する。当時のギリシャ・ローマの人々は、ソーマに対してある共通した思いを抱いていたそうである。一方、「セーマ」とは墓場のことである。ギリシャ・ローマの人々は、人間を墓場へと引きずり込む最も嫌なものとして、「体」を蔑視していたのだそうである。バークレーの注解書によれば、かの有名な哲学者のエピクテトスは、「私は惨めな魂(ソウル)だ。なぜなら死体へと鎖につながれているからだ」と言ったとのことである。人間を魂と肉体とに分けることを、霊肉二元論と言うが、魂のみを重視し、その魂を鎖で死体に縛って墓場へと引きずり込むのがソーマなのである。そのように考えていたのである。
このような当時の人々の思いを知ると、ここでパウロが、例えば17節で「主に結び付く」ということを語っている理由が感じ取れる。当時の人々が、ソーマをもっぱら墓場や死に縛られていたものと考えていたからこそ、それに対応してパウロは、「いやそれだけではない。確かに死や墓場につながれてはいるが、復活されたイエス様ともつながれているのだ。私たちのソーマは墓場に引きずりこまれてそれで終わりではなく、その向こうに復活があるのだ」と語ろうとしてたのである。
2 そういうわけで、当時の人々にとっては、どのようにしたらこの惨めなソーマによって支配されずに自由になれるかが、切実な問題だったのである。12節に2度、カギ括弧にくくられて「私にはすべてのことが許されている」という言葉が引用されている。この言葉は、コリント教会のある人々、もしくはソーマからの自由・解放ということを求め願っていた人々が、「自分たちにはそれが実現できている」と吹聴していた宣伝文句であったろうと理解されている。「すべてが許されている」と訳されているが、原文のニュアンスは「すべてから解き放たれている」という意味だろうと思う。「すべて」の中心には、ソーマの束縛がある。そのような人々の謳い文句に対してパウロは、すかさず問いを投げかけたのだった。「すべてのことが益になるわけではない」というのは、「そうは言っても、あなたがたのやっていることが、本当にあなたがたにとって益のあることなのか」との問いかけだったのである。「私は何事にも支配されはしない」とは、「あなたがたは、ソーマにはもう支配されていないと言うが、果たして本当だろうか。むしろ、それができているのは私たちなのだ」とパウロは問いかけたのである。
なぜパウロが、「すべてが益になるわけではない」とか、「私たちこそが支配されていないのだ」とか、そのようい問いかけたのか。それには、次のような実情があったからなのである。バークレーによると、当時の人々の、何とかしてソーマから自由になりたいという思いは、二つの対照的な生きかたへと至らせることになったとのことである。ひとつはソーマを蔑視し、無視し、抑圧するふるまいである。例えば、それは極端な禁欲や断食などによってソーマの必要をできるだけ無視し、抑圧することとして現れた。実は、インドで生まれた仏教の教えの根本には、それと同じことがあると私はずっと思っている。インドに渡って仏教を生み出したのは、ギリシャ・ローマの人々と同じインド・アーリア民族だった。仏教でいうところの解脱、そしてそこに至るための修行は、まさにソーマからの自由・解放と一緒だと仏教になじみが深い私たちには、すぐにわかる。
これとは対照的な、もうひとつの帰結は、ソーマの求めることを、すべて満たしてやるという生きかたである。コリントの人々に、特に大きな影響を及ぼしたのは、そのような生きかたであった。当時の言葉で「コリントする」とは、みだらなことをする、あるいは不品行をするといった意味だった。コリントの町には大きな神殿があった。そこには娼婦がいて、彼女たちと交わることが、あたかも神々と交わることであるかのように推奨されてもいたのである。パウロは、このような彼らの生きかたを見て、「はたしてそれがソーマから自由にされた者の有り様なのか。それが本当にあなたがたの益になっているのか」と問いかけたのである。「それは、ソーマから自由になっている姿ではなく、むしろそれに捕らわれている有り様ではないのか」と問いかけたのである。「ソーマから自由になろうとするがゆえの、この2つの全く正反対の生きざまの根本にあったのは、ソーマを自分の思うままに支配しコントロールしようとした態度だったと思う。「自分の思うがままにコントロールできることが、即ち自由であり、支配されないことだ」と考えたのである。「支配することが支配されないことだ」と考えられていたのである。思うがままにコントロールしようとする態度は、一方では禁欲として、他方ではみだらさとして現れてくるのである。
ソーマからの自由ということは、2000年前の人々以上に、今日の私たちにとっても、切実な問題だと思うのである。現代の私たちには、2000年前の人々よりも、はるかに強く、すべてを思いのままにコントロールしたいという欲求がある。それを文明が、特に医学の発達が後押ししてきた。しかし残念ながら、どんなに医学技術が進歩しても、体を思うがままにコントロールすることはできない。支配することにソーマからの自由を実現しようとすればするほど、逆に私たちはソーマからの逆襲を受けるのではないだろうか。ソーマによって支配されてしまうしかないのである。
3 そこで、ここでのパウロの勧めは、突き詰めていえば、ソーマをわがものとしてコントロールすることに自由を見いだすのではなく、ソーマを神様のために用いるということなのである。13節最後に「体は主のためにあり」とある。また、20節では「自分の体で神の栄光を現しなさい」とある。パウロが何よりも言わんとしたのは、「ソーマは何のためのものか、何のために私たちに与えられたものか」ということだと思うのである。
例えば、様々な道具や製品には、それに相応しい使用目的がある。それに沿って、それぞれ材料や仕様に特徴がある。金づちは固いものを打ち付けるために金属で作られている。柔らかい材料ではその目的にあわない。一方、タオルは体をふくために柔らかで水を吸い取りやすい材料で作られている。固い金属のタオルでは目的にかなわない。本来の使用目的に反して使おうとしてしまうと、「これはだめだ。役に立たない」となってしまうのである。同じように、私たちがセーマに至るソーマとして作られたのには、造り手である神様の『製造目的』というものにふさわしくということがある。それを全く無視し、全く知らずしてソーマを使おうとすれば、「こんなものはだめだ、役に立たない」となってしまうのである。ソーマのだめな部分・役に立たない部分に、左右され縛られてしまうのである。
そもそも私たちは、いつ・どういう材料で生まれるのかをコントロールすることはできない。私たちは、造り手とはなりえないのである。そのような私たちが、一体どうして、自分のすべてをわがものにできるであろうか。私たちの造り手は神様である。神様という製造者は、私たちを、ある目的にふさわしく造ったからこそ、ソーマという材料を用いたのである。ときに病み、ときに傷つき、ときに血を流し、そして墓場へと至るような、惨めな存在という特徴を備えているのである。この特徴は、製造者である神様の製造意図・目的を知るならば、何ら不思議なことではない。私たちの思いにはかなわないかもしれないが、神様の目的にはかなっているのである。だから、ソーマとして造られた私たちを、勝手な使用目的のために使おうとしてはならないのである。そのようにしようとすれば、「ソーマなどだめだ」と蔑視することになり、逆に支配されてしまうことになるのである。
4 それでは、製造者である神様が、私たちをセーマに至るソーマとして造った目的は何であったか。それが20節の最後の「自分の体で神の栄光を現しなさい」という御言葉に込められている。このソーマで一体どんな神様の栄光を現すことができるのか。多くの欲望や不安に突き動かされ、醜いことさえしてしまう、病み傷つき最後には死へと至る・・・そのような粗末な体が、果たして神様の栄光を現すことなどできるのであろうか。しかし神様は「できる。そのためにこそソーマを与えたのだ」と言うのである。
私たちのソーマが、神様の栄光を現す手本は、イエス様が十字架というセーマに至るソーマとして生きてくださったことによって教えられている。ヨハネによる福音書の1章14節の御言葉で言えば、「イエス様は肉またソーマとなって私たちの内に宿られた」のである。イエス様が、神様の作品のサンプルなのである。イエス様が、ソーマとして、何よりも私たちに示して下さった神様の栄光とは何か。それは十字架の出来事にこそ現れているのである。イエス様は最後の晩餐の席で、十字架の上で流す血や裂かれる体が「あなたがたのための」ものだと言い遺してくださった。十字架の時をわざわざ過越の祭の最中に設定されたのは、イエス様自身の命の犠牲が、過越の出来事のときに『滅ぼすもの』を過ぎ越させた小羊の犠牲であるということも言い遺してくださった。イエス様のソーマとしての犠牲が、私たちを滅ぼすものから守ってくださる。それが私たちの『ため』となる。血を流すこと、犠牲となること、それはソーマでなければなしえないことなのである。金属でもダイヤモンドでも、それはできない。「あなたがたも、このイエス様のようにソーマとして誰かのために血を流し、体を用いなさい」これが、神様が私たちに託した私たちの製造の目的なのである。
16節に、創世記2章24節に記された「二人は一体となる」との御言葉が引用されている。その創世記2章18節以下に、神様がアダムのために、この一体となる者を創造したときの言葉は、「人が独りでいるのは良くない。彼のために助ける者を造ろう」であった。そして神様は、アダムのソーマを取ってイブを造った。ここにこそ、神様が私たちをソーマとして造った目的がある。互いがそのソーマをもって助け合うためなのである。助け合うためにこそ、ソーマなのである。血を流し、痛み、最後には墓場へと至る存在であるからこそ、助けが不可欠なのではなかろうか。助け助けられることに神様の栄光が現れるのである。このようなソーマとして墓場に至った私たちを、神様は、復活のイエス様に結び付けて、同じように復活させてくださるのである。墓場・セーマへと至る私たちが、そのソーマで現せる神様の栄光とは、この復活なのである。墓場へと至る私たちだからこそ、その体が新しい不思議な体に変えられるのである。墓場へと至るソーマが、復活を盛っていただく器となる。それもまた神様の栄光なのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 9月2日(日)聖霊降臨節第16主日礼拝
01:14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1 聖書注解者のバークレーは、その著書において、「ヨハネがこの福音書を書いたのは、この14節のことを言いたいがためだったのだ」と書いている。それほどに、この14節の御言葉は、この福音書の真髄部分、核心だといってもよいところなのである。
2 ますヨハネは、「言は肉となって」と書いている。最初に「言」ということを取り上げた。「言」と訳されたギリシャ語のもとの言葉は「ロゴス」という言葉である。このロゴスについてヨハネは、言うまでもなく、この福音書の書き出しの1節から5節のところで、何とも深遠なことを書いている。「初めに言あった。・・・理解しなかった」と。
ここにヨハネが書いた事柄について、私は、到底汲み尽くすことはできな。しかし、とにかく読んで、私にわかったことは、ヨハネは、ロゴスに極めて大きな重みを置いていたということである。「ロゴスは神であった」とは、ロゴス=神、神=ロゴスという誤解さえ生じかねない。ヨハネがここで言わんとしているのは、ロゴス=神ということではなく、「神様の性質の最も核心部分にロゴスがある」、「ロゴスというものなくして神様を語ることはできない」ということだと思う。言い方を変えれば、「神とは語る方なのだ」、「ロゴスをもって私たちにお語りになって下さるお方なのだ」、「神の語るロゴスこそが私たちに命の光をもたらしてくれるのだ」といったことなのだと思う。
なぜヨハネが、これほどまでにロゴスを重要視したかについて、先述のバークレーによれば、ヨハネがこの福音書を書いた紀元100年頃のエペソにおいて、そこに住んでいたユダヤ人やギリシャ・ローマの人々にイエス様が救い主であると宣べ伝えるためには、最もこのロゴスという用語・概念が有効なものだったからだというのである。しかし本日は、それと同じことをお勧めしようとは思ってはいない。「今の私が捕らえられているのは、何よりも神様が、ロゴスをもって語って下さるお方なのだ」という点である。
3 ある日の明け方前に、私はふと目が覚めてしまい、いつものように、枕元に置いているラジオをつた。うつらうつらしている間に、ラジオ番組は4時からはじまる「明日へのことば」というプログラムになっていた。その日の対談の相手の名は、エム・ナマエさんという男性だった。彼は、35歳の時に若い時から患っていた糖尿病のために失明したとのことだった。彼は、もともとは、イラストレーターをしておられたが、間もなく目が見えなくなることを宣告されたとき、絶望のどん底に突き落とされ、ずっと泣きじゃくり、「どうして私だけがこんな目に・・・」と神様に訴えていたとのことである。彼が「神様に訴えた」と語っておられたし、またカトリックシスターの鈴木秀子さんとの対談記事がネット上に掲載されておりましたので、もしかすればこのエムさんは、クリスチャンなのかもしれない。そのように泣きじゃくり訴えていたところ、突然目の前に光がバーンと現れ、世界のすみずみにあるものが光り輝く光景が現れ、その中から声が聞こえたという。どんな声かというと「世界はあまねく愛されている」という声だったという。鈴木シスターは、「これは私が体験した臨死体験と全く同じです」と言っておられた。この光景と声を聞いたとき、エムさんは悟ったのだという。「自分の失明も神様にあまねく愛されていることの中で与えられるものなのだ」と。「そうであるならば、これもまたよいものとして受け入れよう」と。それ以後は、イラストの仕事から文章を書く方向に転じ、しかし今では、またイラストも描けるようになり、ラジオ深夜便の本の表紙のイラストも描いているとのことであった。
この彼の体験を通しても、1章5節にある「暗闇」という言葉が迫ってくる。私たちは、しばしば暗闇に引きずり込まれるような辛い境遇に置かれる。このエムさんも、イラストを描いて生計を立てていたのに、失明を宣告された。まさに肉体的にも精神的にも暗闇に引っ張り込まれる体験をした。そういう彼に、生きる希望と命をもたらす光を与えて下さったのは、この不思議な光景と言葉だったのである。それは光があふれた光景だけでもよかったかもしれない。しかし言葉がそこに伴ったのは決定的に大事だったと思うのである。「世界はあまねく愛されているのだ」というロゴスを聞いたとき、彼は暗闇へと引きずり込まれることから救われ、希望をもって生きられるところの命をもたらす光へと進んでゆけるようになったのである。
聖書には、至るところにロゴスをもって語って下さる神様の姿が描かれている。イザヤ書の40章以降は、イスラエルの人々がバビロニアによって祖国を滅ぼされ、50年以上バビロンでの捕虜生活が続く中で語られた箇所だというのが定説である。当然、人々は暗闇の中に引きずりこまれているような生活をしていた。しかし、そこに突如として預言者の耳に聞こえてきたのが「慰めよ、わが民を慰めよ」との神のロゴスなのであった。それがどのような慰めかというと、「これまでの辛い体験は、あなたがたの犯した罪に対しての何倍もの良い報いとして与えられたものだ」との声であった。辛い体験は、犯した罪に対する悪い報いや罰ではないのだというものであった。その反対に、良い報いなのだと神様は語ってくださったのである。「ああ、自分たちの味わった辛さは良いものだったのか」と、それを聞いて捕因の中にあったイスラエル人は、本当に慰められたのである。こういうロゴスを語って下さるのは、もう神様しかおられないと私は思うのである。人間には決して語れないロゴスだと思うのである。神様の語って下さるロゴスを聞くと私たちは、暗闇から引っ張り出されて生きる希望をもたらす光へと進んでゆけるのである。
4 次にヨハネは、このロゴスが「肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書いている。これもバークレーが注解している。たとえば、かの有名なアウグスチヌスという神学者をはじめとして、あまたの研究者が調べたけれども、「ロゴスが肉となった」と語ったのは、このヨハネの文章しかないと。なぜ誰も、そのようなことを書かなかったのか。
肉は、ギリシャ語では、サルクスである。このサルクスと、ほぼ同義語と言ってもよいのがソーマ(体・肉体)という言葉である。ギリシャ・ローマの人々は、このソーマやサルクスを忌み嫌っていた。ギリシャ語の辞典に、当時「ソーマ・セーマ」という、とても覚えやすいごろあわせのことわざがあった。「体は墓場」という意味である。肉体であるソーマを墓場へと引きずりこむ正体こそがサルクスということなのであろう。サルクスの本質は「朽ちてゆく」ことである。私たちの心や精神やソーマを支配して、私たちを食欲や思い患いや不安によって引き回し、墓場すなわち暗闇へと引きずり込むのが、このサルクスなのである。このようなサルクスに、ほんの一片でも関わりを持たないのがロゴスであると、当時の人々は思っていた。ところがヨハネは、このサルクスにロゴスがなったというのである。それはイエス様が人として生まれたこと、特に十字架の死の悲惨さに身を置かれたことをさしている。
なぜイエス様において、神様のロゴスが、サルクスとならねばならなかったのか。それはまさしく、サルクスに支配された私たちを救うためなのである。神様がロゴスをもって語りかけて下さることだけでは、サルクスによって支配され暗闇に捕らわれている私たちは救われないのである。だから、ロゴスはイエス様という人間にならねばならなかったのである。それも、ただ人間になるだけではなく、「私たちの間に宿られた」とヨハネは言うのである。宿るという言葉は、原文からするとかなりの意訳だとは思うが、私は本当にすばらしい訳だと改めて思うのである。それはあたかも胎児が母胎に宿るのと同じなのだと思うのである。胎児が母胎に宿ると母胎はどうなるか。あくまで胎児と母胎とは違う生物である。しかし、切っても切れない深い相関関係の中に置かれるのである。胎児が出すいろいろなホルモンによる影響を母胎が受ける。その影響で、母胎自身も様々なホルモンを出し、胎児を育み、出産へと向かうのである。体・ソーマへと母胎を劇的に作り替えてゆくのである。これと同じようなことが、私たちがイエス様を信じ、それによってサルクスとなられたイエス様が私たちに宿ることで、私たちの内にも起こってゆくのではないだろうか。神様のロゴスが、私たちの内に働いて、私たちのソーマもサルクスも作り変えられてゆくのである。サルクスは朽ちるという本質を失ってはいないが、しかし単にソーマを墓場へと引きずってゆくものではなく、喜びをもってソーマとしての私たちを生かしめるような正反対のものへと劇的に変化するのである。
イエス様のサルクスが、私たちの内に宿ることで、何よりも起こる変化とはどんなことであろうか。それは、私たちが自分のソーマが何のためのものかを悟るということではないかと思う。イエス様がサルクスとして、十字架の上でソーマから血を流して弟子たちのために生きたように、私たちのソーマも、誰かのための血を流すためのものだと悟らねばならない。イエス様を通してソーマとして生きていることは、本当に貴いものだと分かるのである。ソーマというものを、単に私たちを墓場へと引っ張ってゆくものではなく、私たちを喜びをもって生かす貴いものだと悟らせてくれるのである。
5 「宿られた」の後の御言葉は、「わたしたちは・・父の独り子としての栄光を見た。・・・恵みと真理が満ちていた」と続いている。ここでヨハネが何よりも言いたかったのは、サルクスとなられたイエス様には、神様の独り子としてのすばらしさが満ちていたということなのだと感じる。サルクスとなった存在を神様の独り子であると言い、そこに栄光があると言うことも、当時の人々にとっては全く驚くべきメッセージだったのではなかろうか。
サルクスとなられたイエス様が神の独り子であったということは、神様がサルクスとなられたイエス様をそれほど深く愛しておられたということである。サルクスの中にある独り子のイエス様の痛みを、父である神様はどれほど辛く味わわれたことであろうか。そのように、神様はサルクスの中にある私たちをも愛しておられるのである。私たちの味わう痛みや辛さを神様は、神様自身のものとしておられるのである。サルクスとしてのイエス様の悲惨さ・苦しみの中には、神様の栄光が満ちているのである。ソーマ・サルクスとしての私たちの悲惨さには、栄光が満ちているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 8月26日(日)聖霊降臨節第15主日礼拝
12:27あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 12:28神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。 12:29皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。 12:30皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。 12:31あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。 13:01たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 13:02たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 13:03全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。 13:04愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 13:05礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 13:06不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 13:07すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 13:08愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 13:09わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 13:10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。 13:11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。 13:12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 13:13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
キリスト教の教会は、世界中に存在しています。外国に旅行した際に、あるいは日本のどこかに旅行した際に、現地の教会の礼拝に参加したことがある方も多いと思います。それぞれの国において、それぞれの言語で、それぞれの文化的背景の中で、教会の礼拝は持たれています。しかし、私はどんな場所で礼拝に出ても、そこに同じ主イエス・キリストが立っておられることを感じます。主において、世界中の教会は一つであると私は言うことができます。
この世界中の教会が、主において一つであるという真理に対して、この地上で、教会は多様性を持っているというのも事実です。同じ日本キリスト教団に属していても、それぞれの教会には、各々違った礼拝があります。そして、そこに集う人々も、実にバリエーションに富んでいます。
水戸中央教会には、日本人だけでなく、インドネシアの方や、フィリピンの方もおられます。筑波学園教会は、もっと多くの国から来られた方々が共に集っておられることと思います。たとえ外国の方々のいない、日本人だけの教会でも、そこに集う人々は、社会の様々なところから、神によって教会に召し出された人々です。このことから教会は本来、多様性を内包していると言うことができます。
コリントの教会も、多様性に満ちた教会でした。コリント教会は、パウロが第2回の伝道旅行において建てた教会でした。コリントは、当時の交通・通商の重要地点であり、国際商業都市として栄えていました。したがって、そこにはユダヤ人だけでなく、ギリシア人、そしてローマ帝国の各地からきた人々が住んでいました。その結果、コリント教会にも、様々な人種、文化や言語の人々が共に集っていました。
このコリント教会に対する手紙において、パウロはまず、教会内の分裂を慎み、一致するように勧めました。コリント教会は、最初パウロによって建てられましたが、その後、アポロやケファ(使徒ペトロ)などが、指導者としてやってきました。そこで、それぞれの指導者に重きを置く人々が、グループを作り、それぞれパウロ派、アポロ派、ケファ(ペトロ)派を名乗りました。そしてついには、キリスト派というグループまでできて、それらが教会内で相争っていました。(1:10~13)
このようなコリント教会の状況を憂えたパウロは、「わたし(パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。(3:6)」と書き送りました。パウロは、神によって一致することを強く勧めたのでした。コリント教会では、このような教会内の争いとともに、自分には知恵や知識があるといって誇ったり、また異言を語ることを重要視して礼拝を混乱させたりする人々もいたようです。そこで、パウロは、この手紙を通し、コリント教会に対して、霊的な賜物についての正しい理解や、秩序だった礼拝の在り方について教えようとしていたのでした。
13章は、新約聖書の中で最も有名な箇所の一つ、愛についての教えを含んでいます。この13章は、キリスト教式の結婚式においてよく読まれる御言葉です。そのせいか、私たちもこの聖書箇所を読むと「結婚生活における夫婦の愛」をまずイメージしてしまいがちです。しかし良く読んでみると13章は、12章から14章にかけての「霊的な賜物」の教えの一部なのだということがわかります。12章の前半部分も、霊的な賜物について多く教えています。したがってまず、12章4節からご一緒に紐解いてみたいと思います。
12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
12:7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。パウロはここで、賜物や務めは多様であっても、それがすべて同じ御霊なる神様から与えられたものなのだということを強調しています。そして様々な賜物を用いた各々の働きが、教会全体の益となっていくのだということを教えています。
12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
12:9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
12:11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。聖霊によって与えられる賜物は、各人様々であることが分かります。これらの様々な力の源が、すべて同じ唯一の“霊”、聖霊なる神様であることが語られています。
12:12 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様です。
12:13 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと、自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
12:14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
12:15 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
12:16 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
12:17 もし、体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
12:18 そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
12:19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
12:20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
12:21 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
ここでは、教会がキリストの体にたとえられています。そして、各々別々の賜物をいただいた体の各器官が、それぞれの働きをして初めて、体全体が正しく機能すること、そして、体のどんな器官も不要な器官はひとつとしてないのだということが教えられています。神様が与えたどの賜物も、教会には不可欠なのだということが強調されています。パウロが手紙でこのように教えたのは、コリント教会では、自分の賜物を誇ったり、他の人の賜物や働きを見下げたり、排除をしたりする人々がいたからだと思われます。しかし、教会は様々な器官が合わさって、一つの身体を構成するように、ちがう賜物を与えられた人々が、ともに一つのキリストの体として建て上げられていくものなのです。
12:27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
12:28 神は、教会の中にいろいろな人を立てました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
12:29 皆が使徒でありましょうか。皆が預言者でありましょうか。皆が教師でありましょうか。皆が奇跡を行う者でありましょうか。
12:30 皆が病気をいやす賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がそれを解釈するでしょうか。
12:31 あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
ここでも、神様から違った霊的賜物を与えられた働き人が、教会で、各々の働きをすることが記されています。皆が同じ働きをするのではないのです。かえって違う働きをすることこそが、キリストの体において大切なのだということを教えています。その中で、使徒や預言者、教師など御言葉を解釈し、教える働きがまず挙げられています。そして次に、奇跡を行う人、また病気を癒す賜物を持つ者、弱い人や貧しい人を助ける働きをする人が挙げられています。その後の、管理する人とは、教会を正しい方向にかじ取りする働きを指します。そして、最後に、異言を語る者が挙げられています。コリント教会の礼拝においては、異言の賜物を過度に重要視し、無秩序な異言により礼拝が混乱していた状況がありました。そこでパウロは、異言の賜物を、あえて最後に取り扱ったのでした。これらの賜物は、今日のクリスチャンである私たちには、どれも素晴らしい霊的な賜物に思えます。しかしパウロは、もっと大きな賜物を求めるようにと勧めています。そしてそれは「最高の道」であると語られています。
13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバルです。
13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しいのです。
13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしには何の益もありません。
ここでパウロは、たとえ素晴らしい賜物を持っていても、愛がなければ、無に等しいと語っています。コリント教会の人々は、異言の賜物を特に重要視していました。しかし、人々の異言も、天使たちの特別な異言も、愛がなければ、騒がしいどらややかましいシンバルのように何の意味も持たないと断言しています。また、パウロは異言よりも預言の賜物を求めることを勧めています(14章)。しかし預言の賜物も、愛がなければ無に等しいのです。そして、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じても、愛がなければ無に等しいと続けています。これは、コリント教会のある人々が、自分たちには知識があると高ぶっていたことに対する警告です。そして、山を動かすほどの完全な信仰でさえ、愛が動機としてなければやはり無に等しいのです。全財産を施したり、自分の命を身代わりにささげたりするほどの業でさえ、愛がなければ何の益にもならないと厳しく語られています。
実際、人間は、どのような素晴らしい働きをしていても、「自分が認められるため、自分が栄誉を得るため」という自己中心的な動機でしていることが、よくあるのではないでしょうか。ですからパウロは、私たちがどのような働きをしたかではなく、それがどのような動機でなされたかを吟味する必要があると語っているのです。もしその動機が「愛」でなければ、すべてはむなしい、無に帰してしまうというのです。それでは、その「愛」とはどんなものなのでしょうか。そのことが続いて記されています。
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛について語るとき、ここで先ず、初めに「忍耐強い」と教えています。これは、寛容とか、怒りを先に延ばすとか、そういった意味もあります。つまり、忍耐強い愛とは、怒って当然のような状況が起こっても、怒りを発せず、相手に対して寛容な態度を取り続けることを意味します。
次に、愛は「情け深い」と書かれています。これは、親切で思いやりがあること、他人のことを自分のことのように感じることを表しています。これは、自分自身ではなく、相手の目線に立ち続けることを意味しています。
次に、愛は「ねたまない」と書かれています。これは嫉妬や恨みで、心が燃えることがないという意味です。私達の愛は、しばしば自己中心的です。立場や状況が変わると、途端に愛が妬みに変わってしまうようなことが起こりうるのです。ですから、「ねたまない」愛とは、自分ではなく、あくまで愛する対象を中心とした愛だと言うことができます。
次に「自慢せず、高ぶらない」とは、他人を見下して、えらそうに振る舞うことや、自分自身を見せびらかすことがない、慢心することがないということです。本当の愛は、自分の業を誇ったりしません。しかし偽りの愛は、自己満足に陥り、自分の行いを人に見せびらかしたり、自分が何か偉大な者のように振る舞う危険性があるのです。
次の「礼を失せず」とは、不作法をしないことです。これは、相手が例え無礼であったとしても、そういうときこそ、自分は礼儀正しくするのが本当の愛だということです。
次の「自分の利益を求めず」とは、自分の持っている当然の権利を、他の人のために放棄することをも意味しています。これは、十字架でイエス様が示された愛に通じる自己犠牲の愛の生き方です。
次の「いらだたず」とは、例え人からの刺激や挑発があっても怒らないし憤らないという意味です。
次の「恨みを抱かない」とは、これは相手のした悪を数え上げ、悪の統計を積み上げることをしないという意味です。これは、神様はいったん人の罪を赦すと、その人の罪をすべて忘れてしまわれるのに対して、私達人間は人のした善はすぐ忘れてしまうのに、悪は忘れずいつまでも覚えていることを表しています。夫婦げんかの時、「あのときあなたはこうだった」と何年も何十年も昔のことを、つい昨日のことのように繰り返し持ち出して相手を責めるのは、正に「恨みを抱いている」証拠です。
次の「不義を喜ばず」「真実を喜ぶ」とは、他の人のした悪を是認せず、その逆に真理を大いに喜ぶという意味です。
次の「すべてを忍び」とは、屋根のように覆うという意味から転じ、屋根のように上から降ってくるものを受け止めて耐える、忍耐するという意味になりました。
次の「すべてを信じ」「すべてを望み」とは、どんな状況の中にも信仰を失わず、神の御言葉の約束と恵みに希望を置いて生きることを意味します。
次の「すべてに耐える」とは、自分の場に固く踏みとどまる、堪え忍ぶという意味です。人生には、もうこんな状況はまっぴらだと、全てを投げ出してしまいたい衝動に駆られることがあります。そのようなときにも、自分の場に忍耐して踏みとどまるのが、愛の人の姿なのです。
愛について教えている先程の御言葉の『愛』のところに自分の名前を入れて読んでご覧なさい」という勧めを聞いたことがある方も多いと思います。実際に自分の名前を入れて読んでみると、どうでしょうか。自分の内側に愛がないと、本当に恥ずかしくなってきます。自分の名前の代わりに、「神様」あるいは「イエス様」を入れて読んでみると、どうでしょう、今度は、すっきり納得できるのではないでしょうか。本当の愛を持っておられるのは、神様以外におられないと言うことがよく分かります。
13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
13:9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
13:10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
13:11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
私たちに与えられている霊的な賜物は、どれも本当に素晴らしいものです。しかしそれは、この地上においては完全なものではないし、やがて廃れてしまうのだと警告がなされています。預言も異言も知識も、やがて廃れてしまうのです。なぜならば、今私たちが知っている預言や知識は、一部分にしかすぎません。やがて再臨の時に完全な知識を得れば、部分的なものは廃れてしまうからです。
しかし、信仰と希望と愛は、決して滅びることなく、永遠に残るのだと教えています。そしてその3つの中で、愛は、信仰よりも、希望よりも、大いなるものであると語られています。私たちが、神の愛に応答して、神を信頼することが信仰であり、その信仰により私たちは永遠の命への希望を与えられます。ですから、信仰や希望よりも愛が先行していることがわかります。
14:1 愛を追い求めなさい。・・・。14章の始めに、最高の霊的な賜物として、愛を熱心に追い求めるようにと勧めています。愛こそが私たちの不完全さを覆い、私たちを永遠の世界へと導いてくれます。私たちの目指すべき「最高の道」は愛なのです。
先に、世界の教会は一つであるとともに、多様性を内包するものであると、お話しをました。別の言い方をすれば、教会が一つであるというのは、同じ一人の神の愛に包まれているからと言うことができます。そして、多様な賜物や働きを結び付けて、一つのキリストの体に形作っていく原動力も、同じ神の愛であるということができます。
私たちが、違った言語や文化、賜物を持っていたとしても、共通して持っていなければならない一つの賜物があるのです。それが愛です。愛は、様々な壁を越え、違った賜物の私たち一人一人を生かしながらも、私たちを一つに結びつけてくれる接着剤のようなものなのです。
コロサイの信徒への手紙 3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
口語訳では、「愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」と訳されています。この愛の賜物を、私たちはどのようにしたら自分のものとすることができるのでしょうか。
最後にひとつの証(あかし)を紹介します。それは外国のある牧師が見た夢の話です。その牧師は、ある夜、自分がイエス様の前に出る夢を見ました。イエス様の前に立った時に、自分にいかに愛がなかったかを示され、思わず悔い改めの言葉を口にしたのだそうです。「イエス様、私はもっと妻を心から愛し、いたわるべきでした。」するとイエス様は「それはとても大事なことだけれど、一番大切なことではないね。」と答えました。「イエス様、私はもっと家族を大切にし、子供たちを慈しんで育てるべきでした。」すると再びイエス様は「それもとても大事なことだけれど、一番大切なことではないね。」「それでは、教会員にもっと心を配るべきだったのでしょうか。それとも貧しい人や弱っている人々にもっと仕えるべきだったでしょうか。」思いつく限り、自分の愛が足りなかったことを悔い改めて申し上げました。しかしイエス様はそのすべてに「それは一番大切なことではない」と答えたのでした。ついに彼は音をあげて叫びました。「主よ、教えてください。私に一体何が足りなかったのでしょうか。一番大切なこととは一体何なのでしょうか。」するとイエス様は、静かに答えました。「私の愛を受け取ることを学びなさい。それ以上に大切なことはありません。」
この夢の話が何を教えているかお分かりになったでしょうか。私たちの内側には、もともと愛がないのです。神様の完全な愛を受け取って初めて、私たちは愛することができるのです。「愛する」よりも「主から愛を受け取ることを学ぶ」ことの方が、より重要なのです。
ご一緒にお祈りいたしましょう。神様、私たちの内側に愛はありません。あなたの愛を受け取ることを日々学ばせてください。主イエス・キリストのお名前により祈ります。アーメン
日本キリスト教団 水戸中央教会 山本 英美子 牧師
2018年 8月19日(日)聖霊降臨節第14主日礼拝
08:29イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 08:30イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 08:31そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
日本キリスト教団 宮島 星子 牧師
説教要旨の掲載はありません
2018年 8月12日(日)聖霊降臨節第13主日礼拝
05:01わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。
05:02よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
05:03さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
05:04わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
05:05さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
05:06わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
05:07イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。
05:08災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに
この地を独り占めにしている。
05:09万軍の主はわたしの耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は
必ず荒れ果てて住む者がなくなる。
05:10十ツェメドのぶどう畑に一バトの収穫
一ホメルの種に一エファの実りしかない。
05:11災いだ、朝早くから濃い酒をあおり
夜更けまで酒に身を焼かれる者は。
05:12酒宴には琴と竪琴、太鼓と笛をそろえている。だが、主の働きに目を留めず
御手の業を見ようともしない。
05:13それゆえ、わたしの民はなすすべも
知らぬまま捕らわれて行く。貴族らも飢え、群衆は渇きで干上がる。
05:14それゆえ、陰府は喉を広げ
その口をどこまでも開く。高貴な者も群衆も
騒ぎの音も喜びの声も、そこに落ち込む。
05:15人間が卑しめられ、人はだれも低くされる。高ぶる者の目は低くされる。
05:16万軍の主は正義のゆえに高くされ
聖なる神は恵みの御業のゆえにあがめられる。
05:17小羊は牧場にいるように草をはみ
肥えた家畜は廃虚で餌を得る。
1 日本基督教団の暦では、8月の第1主日を「平和聖日」と定めている。ここ何年かは必ずしも第1主日ではないが、8月中の礼拝後に、平和に関する学びの機会を設けてきた。本日も、礼拝後に、そのような時を持つ。この説教においても、平和について、思いをはせる機会とさせていただきたい。
7節に「流血」や「叫喚」といった言葉があった。今年は、明治維新から150年を記念するおめでたい年だとされている。しかしそのことを、私は到底、素直に喜ぶ気持ちにはなれないのである。というのは、私たちの国が明治以降、1945年の8月15日まで、どれほど多くの人々の血を流し、阿鼻叫喚を引き越してきたかを思うからなのである。その記念の日である8月15日が、間もなくやってくる。
今放映中のNHKの日曜夜の大河ドラマ「西郷どん」の主人公は、言うまでもなく明治維新の立役者だった西郷隆盛である。先日、このドラマの原作者の出演番組を観る機会があった。これまでに、多くの原作者が、西郷隆盛にスポットライトを当てて物語を書いてきた。しかし、今回の原作者は、これまでの原作者とは随分違った視点から西郷隆盛の生涯を取り上げているとのことだった。この中で紹介された主人公のセリフが、なかなか素晴らしいものであった。私は再放送で、このセリフが語られるシーンを観ることができた。西郷隆盛は、長州藩を征伐するようにと徳川義宣から命じられた。しかし西郷は、戦うことなく長州藩を説得して恭順させたのだった。それに怒った徳川義宣は、西郷を裏切り者とし、西郷に切腹を命じたのだった。そのとき西郷のセリフがこうであった。「国というものは、生きたいと願う者の集まりだと思う。そして国のまつりごととは、この生きたいと願う人々の願いをかなえることにあると思う。ところがあなたは、ただ徳川家の存続のためだけに、生きたいと願う人々を血祭りにあげよと言うのか」というのであった。こう語った西郷は、徳川家との決別を宣言したのだった。以後、彼の思いは、明確に討幕に向かうこととなった。こうして西郷は、徳川幕府を倒し、新しい政府を立ち上げる中心人物になったのである。しかし、その政府が何をしていったか。江戸時代には決してできなかった全国的な税金を人々に科した。そして、徴兵をして「生きたいと願う人々のその願いをかなえる」とは正反対のことを次々としていったのだった。西郷が、なぜ早々に明治政府を離れ、西南戦争を引き越してしまったのかについては未だによくわかっていない部分もあるようだが、新政府に対するこうした失望もあったのではなかろうか。こうして明治以降の政府は、1945年8月15日に至るまで、多くの人々の血を流し、阿鼻叫喚を引き越してきたのである。
一昨年、98歳で召された私の父が、郡山教会の月報に残した「私の好きな讃美歌」という短い文章を紹介したい。そこには「戦時中、南方の第一線に従軍し、絶望のどん底にありながら生きる希望を夢見、多くの戦友を亡くした悲しみと、幾多の困難に絶えた教訓を忘れることができません」と綴られていた。南方の小さな孤島に送られた数百人の中で、生き残ったのは父を含めたわずか数人だったそうである。このようにして戦死していった人々が、200万人以上もおられた。この日本が引きおこした戦禍に巻き込まれて死んでいったアジア諸国の犠牲者の数は(様々な統計により違いがあるようだが)、中国の1000万人をはじめとして、何と2000万人を超える数だったのである。私が昨年訪れたインドネシアのこの戦争による犠牲者の数は400万人であった。日本国内では、2度の核爆弾を含む度重なる空襲により、あるいは戦後の飢餓による死や、戦災孤児となった子供たちの死などで、民間人が100万人近く犠牲になった。本日の平和聖日の礼拝で、まず何よりも私たちがしなければならないのは、そのようにして死んでいった方々を思い、慰め、祈ることであろう。その上で、なぜ私たち人間は、このようにお互いの流血を次々と引き越すのかを、今日の御言葉を通して学び教えられ、またイエス様が山上で言った「平和を作り出す人」に少しでもなれるように心することではなかろうか。
2 そこで今日の御言葉は、まずこう語る。「神様は、私たちの世界を流血や叫喚が生じるようなものにはお造りにはならなかった」と。「それとは正反対の良いものが実るようにと造られたのだ」と。具体的には、私たちを良いぶどうの実がなる木として植え、必要な手入れはすべてなして下さったと語っているのである。そこから生じるはずのものは、「裁き(ミシュパト)であって、流血(ミズパハ)ではなかった」、「正義(ツェダカ)であって叫喚(ツェアカ)ではなかった」と(7節)。この御言葉を読むとき、神様がなぜ、私たちを他の樹木ではなく、ぶどうの木として植えたと言うのかをいつも考えさせられる。イエス様も、イエス様と私たちとの間柄を「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言って、私たちを他の樹木ではなくぶどうの木にたとえた。なぜ、私たちをぶどうの木として植えたのであろうか。それは、単にぶどうの木が、当時のイスラエルで、とてもポピュラーな木であったからではなかったと思うのである。そうではなく、ぶどうの木には、他の樹木にはない決定的な特徴というものがあるからだと思うのである。
杉や松やヒノキやケヤキは、まっすぐな大木に育って、建築材料として有用なものとなるが、ぶどうの木はそのようにはならない。大木にならない柿の木などは、小ぶりな家具や木工品の良い材料になると聞く。しかし、ぶどうの木は、まったくそうしたものにも不向きなのである。松や杉が、毎年毎年、見事な年輪を加えて徐々に成長して、建築材料としてふさわしい木材になってゆくのとは大違いで、ぶどうの木には少しも成長というものが見られないのである。夏には、ものすごい勢いで葉っぱを繁らせてくれて日避けになってくれても、秋冬には全くこの1年、何の成長もしていなかったかのような姿に戻ってゆくのである。
このようなぶどうの木に、良い点がどこにあるのか。それは言うまでもなく、ぶどうの実という本当においしい実を実らせる点にある。小学生の頃、通学路のすぐ脇に、ぶどう園があった。ぶどうのあの甘い香りには抗しがたく、引き寄せられ、2・3粒のつまみ食いをしたものである。神様は、私たち人間を、他のどんな樹木ではなく、このような特徴をもったぶどうの木として植えたのである。実ったぶどうの実は、ぶどうの木自身が食べるのではない。他の誰かに食べられてしまう。そしてその誰かに「おいしい」と言ってもらうのである。そして、シーズンが終わると、また来年、良い実を実らせるため、何の成長もなかったかのような状態にまで刈り込まれてしまうのではなかろうか。それが、神様によって植えられた私たちの姿なのである。私たちは、大木として成長してゆく樹木のように生きなくてもよいのである。大木になるような成長など全くなくとも、与えられた栄養をすべて使って、他の人が食べておいしいと言ってくれる実を実らせることができればそれでよいのである。イエス様も、そのような思いを込めて「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言ったのだと思う。「十字架の上で殺されてゆく私はまるでぶどうの木のようなものだ」とイエス様は言ったのだった。「あなたがたも、このような私につながって、人に食べてもらって、おいしいと言ってもらえるような者になればよいのです」と言って下さるのである。
3 しかし私たちは、そのような生き方を幸いだとは思えないのである。どうしても杉や松やケヤキのようになりたいと、ならねばと思ってしまうのである。それが幸いだと判断してしまうのである。7節にあった「裁き」と「流血」という言葉が、また「正義」と「叫喚」という言葉が、それぞれ語呂合わせのように用いられていることに、はっとさせられた。これは単に言葉の発音が似ているからという理由だけで用いられているのではないと気付いたのである。ここには、私たちが、流血や叫喚を生み出してしまうような生き方を、幸いな生き方だ、正しいあり方だと裁き、判断してしまうという理由が書かれているように思う。私たちが、これは良いことだ、これが正しいのだと判断することから、しばしば、それとは似て非なる正反対の流血や叫喚が生まれる。その根源にあるのは、私たちが神様によって、ぶどうの木として植えられたことを忘れ、杉やケヤキのような立派な大木になろうとするからなのである。8節にある「家に家を連ね、畑に畑を加えて」「余地を残さぬまでにこの地を独り占めにしようとする」のもまた、それが良いことだ、正しい人生だ、私たちにとっての幸いだと思うからではないであろうか。
これによって「人間が卑しめられ、人はだれでも低くされる」と15節はじめの御言葉は語っている。「人間」と訳された原語は、「アダマ」すなわち「土の塵」を意味する。ぶどうの木のような存在として植えられた私たちが「アダマ」である人間なのである。人間の価値や貴さは、家に家を連ね畑に畑を加えて大木のようになることにはない。ぶどうの木のようなものであってよいのである。そのようなものとしてなら、私たちは十分に価値がある。貴いのである。しかし大木のようにならねばとされるとき、アダマである私たちは貶められる。価値のないものとされるのである。ある政党の女性議員が、「LGBTと呼ばれる人々は子供を生まないので生産性がない。そのような者たちに税金をつぎ込むのはいかがなものか。」と雑誌に書いたことが話題になっている。この人が言う『生産性』とは、要はこの国のために役に立つことなのだとの評論が紹介されていた。国が少しでも家に家を連ね畑に畑を加えて余地を残さぬまでに地を独り占めすることをよしとして、そのために国民は、貢献することを求められてきたのではなかろうか。それが国民の幸いだとされてきたのではなかろうか。それに役立たない者は、価値のない者とされるのである。このようして人間が卑しめられてゆくのである。
4 流血や阿鼻叫喚を引き起こしてきた私たち人間の病は、本当に根深いと思わざるを得ない。一体どこに私たちの希望はあるのかと思ってしまう。しかし希望はある。それは、神様がこのような私たち人間の流血や叫喚を引き起こすありかたに、はっきりと否をつきつけて下さるところに、である。それが、5節以下に記されている。私たちが「幸いだ」と思ってしまうありかたを、神様ははっきりと「災いだ」と断言する。そして、家に家を連ねるあり方が必ず荒れ果てて不毛に終わることを告げる。10節に「ツェメド」とか「パト」とか「ホメル」とか「エファ」とかの単位が書かれている。聖書巻末にある度量衡表によれば、まず1ツェメドとは「くびきでつないだ1組の牛が1日に耕作する土地の広さ。約2500m」とある。だから10ツェメドとはその10倍、相当の広さの土地と言える。この広いぶどう畑から、たった1パトのぶどうしか取れないというのである。それは約230、つまりバケツ1杯分にしかすぎない。1ホメルとは約230リットルの種だが、それを蒔いても同じく1エファ(23リットル)の収穫しかないというのである。こうした収穫の少なさのために、13節の最後には「貴族らも飢え、群衆は渇きで干上がる。陰府は喉を広げ・・・そこに落ち込む」とある。
このような神様の御業は、私たちの目には平和ではなく、災いと見えるであろう。私たちにとっての幸いを破壊してしまうような出来事として映るであろう。しかし、実はここにこそ私たちから流血や叫喚を取り去って平和を与えて下さる神様の御業というものがあるのだと思う。12節に「主の働きに目を留めず・・・」とある。それは、逆から言えば、私たちに災いを与えると思われる御業にも神様の良き働きを見ることができるなら、それは私たちにとっての幸いなのだということなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 8月5日(日)聖霊降臨節第12主日礼拝
06:52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。 06:53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 06:54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 06:55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 06:56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 06:57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。 06:58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」 06:59これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。 06:60ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 06:61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 06:62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 06:63命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 06:64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 06:65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 06:66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 06:67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 06:68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 06:69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
1 6章1節以下に5000人への供食と呼ばれる不思議な出来事のことが書かれていた。なぜヨハネが、これほど長々と食べ物を巡って記さねばならなかったのか、その背景にある事情が滲み出ているように感じる。
イエス様は、わずか5つのパンと二匹の魚で、多くの人々の空腹を満たした。その奇跡を見て、群衆は、イエス様を追いかけてガリラヤ湖の対岸までやってきた。イエス様は彼らに「あなたがたが私を捜しているのは、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物を求めよ。」と言った。そしてイエス様は、「その食べ物とは私のことだ」と言ったのだった。季節はちょうど、イスラエル人にとってのお正月、過越の祭が近づいていた頃であった。したがって、何百万もの人々がエルサレムに押し寄せていたと言われる。人々は、この祭りの起源の「出エジプト」の出来事において、神様がモーセを遣わしイスラエル人をエジプトから脱出させ、また荒れ野で不思議な食べ物・マンナを食べさせて下さったことに思いをはせた。だからこそ、「もしかすればイエス様は、モーセの再来ではないか、この人が再び不思議なマンナを食べさせてくれるのではないか」という期待が高まっていた。この人々にイエス様は、自分自身がこのマンナである、神様が与える天からのパンだと言ったのだった。
イエス様のこうした言葉を、人々はどのように聞いたのか。52節以下には、イエス様が、ただ「私は天からのパンである」と言っただけではなく、さらに踏み込んで「私の肉を食べ、私の血を飲みなさい」と言ったと記されている。このイエス様の言葉は、聖餐式を彷彿とさせる。これを聞いて、群衆からではなく、イエス様の側にいた弟子たちの中から、「実にひどい話だ。だれがこんな話を聞いていられようか。(60節)」と、つぶやくものが出た。そうして66節には「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」とある。
2 このような人々や弟子たちの反応、そして弟子たちの中からも離反者が出てしまったということこそが、実は、この福音書が書かれた紀元100年頃に、ヨハネの教会やその周囲で起きていたことではなかったかと想像できるのである。ヨハネは、その時代のエフェソを中心とする小アジアにいたユダヤ人を、特にターゲットにしてイエス様が救い主であると宣べ伝えようとしていた。ここには、ヨハネによるこの宣べ伝えが、ユダヤ人から受けた反発のようなものが書かれているのである。
当時の人々がイエス様に期待していたのは、ヨハネがイエス様自身の言葉として記した「パンを食べて満腹する」ことであった。それは、ただ食べ物としてのパンを食べて満腹するということだけではなく、政治的な意味でも経済的な意味でも、要は、この世において生きてゆく上での『満腹』をいうことを意味していたのであろう。時はちょうど出エジプトの出来事を思い起こす過越の祭が近づく頃であった。ユダヤ人は、ローマ帝国による苛酷な支配のただ中に置かれていた。クリスチャンは、なおのことであった。この福音書と前後して、同じくこのヨハネによって書かれたとされているヨハネ黙示録という新約聖書の書物がある。定かではないが、これは西暦95年に起きた時のローマ皇帝ドミティアヌスによるクリスチャン迫害のただ中で書かれたとも言われている。このような境遇の下に置かれていたユダヤ人やクリスチャンたちが、イエス様に求め願っていたものが文字通りの食べ物であるパンによる満腹だけではなく、政治的経済的社会的な満腹だったということがよくわかる。出エジプトの再現、またモーセの再来をイエス様に願ったということは本当によくわかる。
3 ところが、このような人々に対しヨハネが救い主であるとして宣べ伝えたイエス様とは、この世のパンによる満腹を与える方ではなかった。当然だが、西暦100年頃のユダヤ人やクリスチャンたちは、目に見える姿形をもってイエス様に会うということは、もはやできなかった。ただ福音書や伝えられている手紙、また言い伝えをもって、言葉によってイエス様に会うだけなのであった。68節に「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」とペトロはイエス様に答えている。なぜヨハネは、ペトロにわざわざ「言葉を持っている」と言わせたのであろうか。それは、ヨハネの時代において信者となった者たちが信仰の歩みにおいてイエス様からいただけるパンとは、ただ言葉を通してのものでしかなかったからである。それもイエス様自身から直接語られた言葉ではなく、礼拝の中で福音書や数々の手紙や言い伝えを通してしか聞くことのできない言葉なのであった。言葉というパンをどんなにいただいたとしても、人々が願い求めていた肉体的・政治的・経済的な満腹は得ることはできなかったであろう。「そんなパンを食べて一体何になるのか」というのが当時の人々の反応だったのである。
52節以下に、聖餐式を彷彿とさせるような形でイエス様の言葉が記されていることも、当時の人々、特にユダヤ人からの反発や失望というものが背景に横たわっていることが考えられる。言葉を通してイエス様に会い、イエス様というパンをいただくという意味で、私たちが初代教会から今日まで連綿として大事にしてきたのが「最後の晩餐」に由来するところの聖餐式である。「これは私の肉である。これは私の血である」という言葉をいただいて、文字通りのイエス様の肉であり血ではないけれども、私たちはイエス様をパンとしていただく。それが、私たちが生きてゆく上で不可欠な食べ物なのである。しかし、このことは当時の人々、特にユダヤ人にとっては、躓きだったのである。聖餐式のいったいどこが彼らの躓きとなったのか。それは、血を飲むということだった。イスラエルの人々が守るべき戒めの中に、血を飲んではいけないということが繰り返し命じられていた。それは戒めであった(例えばレビ記17章10節以下)。「クリスチャンというのは、聖餐式という儀式において、こともあろうに血を飲んでいる邪教のやからだ」とは、ギリシャやローマの人々から浴びせかけられていた評判であった。ユダヤ人は勿論クリスチャンが本当に血を飲んではいないということは、わかっていたであろう。しかし、たとえ象徴的なふるまいだったとしても、十字架の上で死刑にされた人間の血や肉を、最も大事な食べ物として食べるというクリスチャンのふるまいは、「実にひどい話だ」としかいい得ないものだったのである。「これが何になるのか」とクリスチャンの中にも躓く者が出ていたのであった。
4 では、ただの言葉を通しての、あるいは聖餐式で象徴的なものとしていただくイエス様の肉や血という食べ物が、一体私たちにとってどのような、なくてはならない命のパンなのか。
6章16節以下に記されていた湖上の出来事を通して教えられたことのかなめは、「私たちは向こう岸、即ち彼岸と呼ばれるところへと至る存在である」ということだった。彼岸へと至る私たちの歩みというものは、こちら岸での肉体における歩みから離れて、イエス様が水の上を歩いて弟子たちに近づいて来た姿が示すような、新しい体─霊の体─をいただいて、新たな生き方をする歩みなのである。私たちがもし、いつまでもこの世にあって、肉体の求める食べ物を必要とする存在であるのなら、そういう満腹も大事だということになるであろう。しかし、私たちは、いつまでもこちら岸に留まれる者ではない。それはあたかも母親の母胎にいる胎児がいつまでも胎内に留まれないのと同じなのである。胎児はたとえ胎内にあっても、十月十日が過ぎて誕生する備えをしている。時が来れば自分の肺で呼吸を始め、自分の口から食べ物を食べる備えをちゃんとしているのである。胎児は、誕生後の世界に適応できる体を、胎内で着々と準備している。
それと同じように、私たちも、この世にありながらも、実は彼岸に着いたときに新しい体・霊の体をもって生きるための備えをしているのではなかろうか。この世における私たちの存在にも、実は向こう岸における体というものがちゃんと備えられつつあるのではなかろうか。突き詰めていえば、私たちの今の体にも、この世における部分と向こう岸における霊的な部分というものが混在して存在しているのである。しかしながら私たちは、そのことにまったく気付いていない。肉体の体、政治的経済的な満腹を求める体にしか思いがゆかないのである。日々の食べ物にもこと欠くという貧困にあえいでいる人々も確かにいる。しかし、多くは肉体が求める食べ物においては満腹していても、なおどうしても満たされない飢えに悩んでいる。その飢えとは、もしかしたら私たちが自らの存在に中にある霊的な部分というものに何ら必要な糧を与えることができていないからではなかろうか。
62節から63節に、実に不思議なイエス様の言葉が書かれている。「人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・。命を与えるのは霊である。肉は何の役に立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と。イエス様自身が、「もといた所」というものがあると言っていた。それは霊の体を持った人々がいる世界であろう。そこではもはや、肉は何の役にも立たないとイエス様は言っているのである。勿論私たちは、今はこの世にあり肉の体において生きており、ここでは肉体や経済的な食べ物が不可欠である。しかし、それだけでは足りないのである。それは、今の肉体の体の中にも霊なる部分というものがあるからなのである。それを日々成長させて、いつかは向こう岸の世界へゆかねばならない。じつは、向こう岸へ行く時のためだけに霊の体に滋養を与えるのではなく、今の肉の体の健やかさのためにも霊の体に必要な栄養を与えなくてはいけないのだと思うのである。そういう意味でも、私たちには今も霊の体を養う食べ物が不可欠なのである。それを与えて下さるのがイエス様の言葉であり、信仰においてイエス様の血や肉を食べることなのである。
5 イエス様を信じ、その言葉をいただくこと、また特に聖餐において象徴的なイエス様の血や肉を食べるということが、どのように私たちの霊的な体にとって不可欠な食べ物となってゆくのか。私たちの肉体の命を維持するということで言うならば、人間にとっての必須アミノ酸と呼ばれるような栄養素に例えられるかもしれない。私たちの体は、それらを作り出すことができない。だから外から、食べ物として必ず取り入れなければならない。私たちが食べる食べ物の中から、どのように必須アミノ酸というような物質が取り出され、それが体に吸収されるのかというメカニズムのことは、私にはよくわからない。しかし、私たちはその食物を食べているのである。そのように、メカニズムはわからないが、私たちの霊の体にとっての必須アミノ酸をとるために、天からのパンであるイエス様を食べなければならないのだと、まずは言えるのである。
それでは、イエス様という食べ物に含まれている必須アミノ酸とは何であろうか。52節以下に記されている聖餐式を彷彿とさせる言葉が、それを示していると改めて思う。この食べ物に何よりも込められているのは犠牲ということではなかろうか。私たちのためにイエス様は自分を犠牲にしてくださった。そこには、つきつめてイエス様の聖なる姿があると私は感じる。イエス様は「あなたがたも離れてゆきたいか」と言った(67節)。その言葉に対してペトロは、その答えの最後で「あなたこそ神の聖者です」と告白した。これこそ、ペトロの答えであると共に、この福音書の著者ヨハネの告白ではなかったか。イエス様の十字架の犠牲に込められた聖なる姿、それこそが私たちの霊的な体にとっての必須アミノ酸だと言ってよいのである。食べ物には、つきつめてすべて犠牲という本質があると思う。命の犠牲こそが食べ物となる。天からのパンであるイエス様の犠牲こそが、私たちに不可欠な食べ物なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 7月29日(日)聖霊降臨節第11主日礼拝
28:01もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。 28:02あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。 28:03あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。 28:04あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子や羊の子も祝福され、 28:05籠もこね鉢も祝福される。 28:06あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。 28:07主は、あなたに立ち向かう敵を目の前で撃ち破られる。敵は一つの道から攻めて来るが、あなたの前に敗れて七つの道に逃げ去る。 28:08主は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される。 28:09もし、あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道に従って歩むならば、主はお誓いになったとおり、あなたを聖なる民とされる。 28:10地上のすべての民は、あなたに主の御名が付けられるのを見て、あなたに畏れを抱く。 28:11主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かに増し加え、 28:12恵みの倉である天を開いて、季節ごとにあなたの土地に雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたはそれゆえ、多くの国民に貸すようになるが、あなたが貸してもらうことはないであろう。 28:13わたしが今日、忠実に守るように命じるあなたの神、主の戒めにあなたが聞き従うならば、主はあなたを頭とし、決して尾とはされない。あなたは常に上に立ち、決して下になることはないであろう。 28:14あなたは、今日わたしが命じるすべての言葉から離れて左右にそれ、他の神々に従い仕えてはならない。 28:15しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。 28:16あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。 28:17籠もこね鉢も呪われ、 28:18あなたの身から生まれる子も土地の実りも、牛の子も羊の子も呪われる。 28:19あなたは入るときも呪われ、出て行くときも呪われる。 28:20あなたが悪い行いを重ねて、わたしを捨てるならば、あなたの行う手の働きすべてに対して、主は呪いと混乱と懲らしめを送り、あなたは速やかに滅ぼされ、消えうせるであろう。 28:21主は、疫病をあなたにまといつかせ、あなたが得ようと入って行く土地であなたを絶やされる。 28:22主は、肺病、熱病、高熱病、悪性熱病、干ばつ、黒穂病、赤さび病をもってあなたを打ち、それらはあなたを追い、あなたを滅ぼすであろう。 28:23頭上の天は赤銅となり、あなたの下の地は鉄となる。 28:24主はあなたの地の雨を埃とされ、天から砂粒を降らせて、あなたを滅ぼされる。 28:25主は敵の前であなたを撃ち破らせられる。あなたは一つの道から敵を攻めるが、その前に敗れて七つの道に逃げ去る。あなたは地上のすべての王国にとって恐るべき見せしめとなる。 28:26あなたの死体は、すべての空の鳥、地の獣の餌食となり、それを脅して追い払う者もいない。 28:27主は、エジプトのはれ物、潰瘍、できもの、皮癬などであなたを打たれ、あなたはいやされることはない。 28:28主はまた、あなたを打って、気を狂わせ、盲目にし、精神を錯乱させられる。 28:29盲人が暗闇で手探りするように、あなたは真昼に手探りするようになる。あなたは何をしても成功せず、常に蹂躙され、かすめ取られてだれ一人助ける者はない。 28:30あなたは婚約しても、他の男がその女性と寝る。あなたは家を建てても、住むことはできない。ぶどう畑を作っても、その実の初物を味うことはできない。 28:31あなたの牛が目の前で屠られても、あなたは食べることができず、ろばが目の前で奪い取られても、返してはもらえない。羊の群れが敵に連れ去られても、だれ一人あなたを助ける者はない。 28:32あなたの息子や娘が他国の民に連れ去られるのを見て、その目は終日彼らを慕って衰えるが、なすすべはない。 28:33あなたの土地の実りも労苦の作もすべて、あなたの知らない民が食べ、あなたはただ蹂躙され、常に踏み砕かれるだけである。 28:34あなたはそのような有様を目の当たりにして、気が狂う。 28:35主は悪いはれ物を両膝や腿に生じさせ、あなたはいやされることはない。それはあなたの足の裏から頭のてっぺんまで増え広がる。 28:36主は、あなたをあなたの立てた王と共に、あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々に仕えるようになる。 28:37主があなたを追いやられるすべての民の間で、あなたは驚き、物笑いの種、嘲りの的となる。 28:38畑に多くの種を携え出ても、いなごに食い尽くされて、わずかの収穫しか得られない。 28:39ぶどう畑を作って手を入れても、虫に実を食われてしまい、収穫はなく、ぶどう酒を飲むことはできない。 28:40オリーブの木があなたの領地の至るところにあっても、実は落ちてしまい、体に塗る油は採れない。 28:41あなたに息子や娘が生まれても、捕らわれて行き、あなたのものではなくなる。 28:42あなたのどの木も土地の実りも、害虫に取り上げられる。 28:43あなたの中に寄留する者は徐々にあなたをしのぐようになり、あなたは次第に低落する。 28:44彼があなたに貸すことはあっても、あなたが彼に貸すことはない。彼はあなたの頭となり、あなたはその尾となる。 28:45これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにあなたを滅びに至らせる。あなたの神、主の御声に聞き従わず、命じられた戒めと掟とを守らなかったからである。 28:46これらのことは、あなたとあなたの子孫に対していつまでもしるしとなり、警告となるであろう。 28:47あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので、 28:48あなたは主の差し向けられる敵に仕え、飢えと渇きに悩まされ、裸にされて、すべてに事欠くようになる。敵はあなたに鉄の首枷をはめ、ついに滅びに至らせる。 28:49主は遠く地の果てから一つの国民を、その言葉を聞いたこともない国民を、鷲が飛びかかるようにあなたに差し向けられる。 28:50その民は尊大で、老人を顧みず、幼い子を憐れまず、 28:51家畜の産むものや土地の実りを食い尽くし、ついにあなたは死に絶える。あなたのために穀物も新しいぶどう酒もオリーブ油も、牛の子も羊の子も、何一つ残さず、ついにあなたを滅ぼす。 28:52彼らはすべての町であなたを攻め囲み、あなたが全土に築いて頼みとしてきた高くて堅固な城壁をついには崩してしまう。彼らは、あなたの神、主があなたに与えられた全土のすべての町を攻め囲む。 28:53あなたは敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえに、あなたの神、主が与えられた、あなたの身から生まれた子、息子、娘らの肉をさえ食べるようになる。 28:54あなたのうちで実に大切に扱われ、ぜいたくに過ごしてきた男が、自分の兄弟、愛する妻、生き残った子らに対して物惜しみをし、 28:55その中のだれにも自分の子の肉を与えず、残らず食べてしまう。あなたのすべての町が敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえである。 28:56あなたのうちで大切に扱われ、ぜいたくに過ごしてきた淑女で、あまりぜいたくに過ごし、大切に扱われたため、足の裏を地に付けようともしなかった者でさえ、愛する夫や息子、娘に対して物惜しみをし、 28:57自分の足の間から出る後産や自分の産んだ子供を、欠乏の極みにひそかに食べる。あなたの町が敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえである。 28:58もし、この書に記されているこの律法の言葉をすべて忠実に守らず、この尊く畏るべき御名、あなたの神、主を畏れないならば、 28:59主はあなたとあなたの子孫に激しい災害をくだされる。災害は大きく、久しく続き、病気も重く、久しく続く。 28:60主はまた、あなたが恐れていたエジプトのあらゆる病気を再びあなたにうつされる。それはあなたにまといつくであろう。 28:61主は更に、この律法の書に記されていない病気や災害をことごとくあなたに臨ませ、あなたを滅びに至らせる。 28:62あなたたちは空の星のように多かったが、あなたの神、主の御声に聞き従わなかったから、わずかな者しか生き残らない。 28:63主は、かつてあなたたちを幸いにして、人数を増やすことを喜ばれたように、今は滅ぼし絶やすことを喜ばれる。あなたたちは、あなたが入って行って得る土地から引き抜かれる。 28:64主は地の果てから果てに至るまで、すべての民の間にあなたを散らされる。あなたも先祖も知らなかった、木や石で造られた他の神々に仕えるようになり、 28:65これら諸国民の間にあって一息つくことも、足の裏を休めることもできない。主は、その所であなたの心を揺れ動かし、目を衰えさせ気力を失わせられる。 28:66あなたの命は危険にさらされ、夜も昼もおびえて、明日の命も信じられなくなる。 28:67あなたは心に恐怖を抱き、その有様を目の当たりにして、朝には、「夕になればよいのに」と願い、夕には、「朝になればよいのに」と願う。 28:68「あなたは二度と見ることはない」とかつてわたしが言った道を通って、主はあなたを船でエジプトに送り返される。そこでは、あなたたちが自分の身を男女の奴隷として敵に売ろうとしても、買ってくれる者はいない。
1 1節から14節までには、神様が与えて下さる祝福について書かれている。そして15節から68節までは、神様から下される呪いについて書かれている。祝福と比べるて呪いの方が3倍もある。これほど呪いの方が長くなってしまった理由については、この申命記が実際に編纂された時代には、ここに書かれている呪いが、目の前にあった現実だったということが反映されて、こうなったのだと説明できそうである。それはバビロン捕囚と呼ばれる出来事であった。イスラエル人は、バビロニアによって祖国を滅ぼされ、捕虜として連れてこられた。その中で、ここに書かれている事柄が、すべてが現実として起きた。この申命記を記した人々は、自分たちがこうなった理由は何だったのかと考えた。それが28章1節からはじまり、何度も繰り返されているように、神様の御声に聞き従わず、戒めを忠実に守らなかったからだという痛切な反省にいたったのであった。その反省に立って歴史を、これからパレスチナの地に入って行こうとしていた時点にまで遡らせて、イスラエル人は、もう二度と自分たちのように神様から呪われるような者にはなってほしくないと、ただ祝福のみを受ける者になってほしいとの切実な願いを込めて、このような御言葉が記されたと理解できるのである。
とは言っても、神様が人を呪うということは、どのようなことなのか。1節は、「もし・・・ならば」と始まっている。もし・・・すれば祝福を受け、反対にもし・・・しなければ呪いを受けるという二者択一が目の前に置かれたということは、イスラエル人にとって、とても重いプレッシャーになったのではなかったかと思うのである。一体どのようにすることが「神様の御声に聞き従う」ことなのか。そのすぐ後には、「私が命じる戒めをことごとく忠実に守るならば」とある。果たして「神様が命じられることをことごとく忠実に守る」ことが、私たちにできるのかという根源的な疑問も出てこよう。「もし・・・ならば」との条件を、はたしてクリアーできるのか、神様からの呪いを受けてしまうのではないかとの恐れで一杯になったのである。
福音書から、イエス様の時代の人々が、そのような恐れに満たされていた様子がありありと伝わってくる。イエス様やパウロの時代には、「主の御声に従い、戒めを守る」とは、他でもなく律法を守ることだった。律法を守らない人は、神様の呪いを受けるとされ、したがって律法は神様の怒りを招き(ローマの信徒への手紙4:15)、「文字は人を殺す(コリントの信徒への手紙二3:6)」とパウロは言わざるを得なかったのである。律法を守ることは、徐々に徐々に、人々にとっての神様からの祝福をいただくものではなく、まるで正反対のものになっていってしまっただった。おそらく時代が下るにつれて、到底福音とはいい得ないものとなっていったのだろうと思う。人々は、神様からの祝福をいただくのではなく、呪いを受け取ってしまったかもしれない。しかし、私としては、ここから福音が見いだされるのである。この世から、いろいろな呪いを受けてしまう私たちが、それに勝る神様からの祝福を受けられるという幸いを教え示して下さるとして受け取りたいと思う。
2 第一の福音として示されるのは、私たちが神様からの祝福をいただく条件が、この28章で何度も何度も繰り返されているように─1節では「もし、あなたがあなたの神・主の御声によく聞き従い・・・守る」だった─、ただ1点であるということなのである。勿論、ここには主の御声に聞き従うとはどういうことか、戒めにことごとく忠実に従うことなどできるかという問題を抜きにすることはできない。しかし、とにかく祝福を受けるか呪いを受けるかの分かれ目は、ただこのことにしかないのである。神様は、これ以外の条件をイスラエル人や私たちに求めることはないのである。そこに福音があると私には受け止られる。パレスチナ先住民が長く生活を築いてきたところに、イスラエル人がこれから入っていって住み着くというときに、どれほどパレスチナの人々から呪われ恨まれたか想像に難くない。1節後半に「あらゆる国民に、はるかにまさったものとしてくださる」とあある。エジプトで何百年と奴隷でいて、着の身着のまま逃げて、やっとパレスチナに入ってきたイスラエル人は、どの国民よりも劣った存在として蔑まれたに違いないのである。その反対に、パレスチナで祝された者として見なされるためには、その場所が、数と力で勝る人々が住んでいた地域だったのだから、それに勝る数と力を得ることだったはずである。しかし神様は、イスラエル人に、神様からの祝福を受ける条件として数と力を求めなかったのである。神様からの祝福を受ける条件は、ただひとつ神様の声に従い、戒めを守ることであった。ただそれだけができれば、パレスチナの人々からどんなに呪われても蔑まれてもいじめられても、それをはねのけて神様からの祝福がいただけるということだったのである。これがどれほどの、イスラエル人にとっての福音があったであろうか。
これは、今日の私たちにとっても同様なのである。今日の私たちも、どう見ても、この世的には祝福を受けてなどいないという境遇に置かれている。呪われているのではないかとさえ思えるような状況に置かれている。病気になること、すなわち肉体的な困難に陥ることや精神的な困難に陥ること、また経済的な困難に陥ることは、祝福を受けているとは到底いい難い状況である。しかし、そのような私たちに、神様は「そのような境遇に置かれたあなたがたも、私からの祝福を受けるすべがある。それは決して難しい条件ではない。多くの条件を満たさねばならないのではない。クリアーすべき条件はただひとつ。それは私の声に従いその戒めに従うことのみ。これが、あなたがたがこの世から受けている呪いを打ち破って、私からの祝福があたがたに与えられるすべである。」本当にこれはすばらしい福音だと思う。
3 この福音は、次のように言い換えることもできる。私たちがたとえ呪われているとしかいい得ない境遇に置かれていたとしても、私たちの側がただ1点「神様の御声に従う」という行動・生き方をすることによって、神様の祝福を手に入れることができるということにもなる。私たちは、神様の声に従うという行動によって、呪いをはねのけ、祝福を手に入れることができる存在なのである。そうであれば私たちは、呪いを受けるしかない環境・状況の奴隷ではない。自分で祝福を得る者としてのありかたを選び取ることができるのである。私はここに、V・フランクルというユダヤ人精神科医のメッセージの根源にあるものを見るように思った。
私の書斎の、机から一番近い書棚には、「夜と霧」、「宿命を超えて・自己を超えて」、「生きる意味を求めて」、「それでも人生にイエスと言う」といった題名のフランクルの本が何冊も置かれている。彼のメッセージの根本には、私たち人間には自分ではどうしようもない宿命のような境遇の中に置かれても、人間は決してその奴隷ではないのだということがある。彼自身は、いかんともしがたい境遇として、ヒトラーの強制収容所に収容された。その後、精神科医として、自分がかつて置かれたのと同じような境遇に置かれた人々に幾人も出会った。自分では選ぶことのできない宿命、すなわち死に至る病や愛する人の死、自分では選べない親や家庭の環境などなどがそれである。フランクルは、そうした宿命的境遇に置かれた人々が、あたかもその奴隷であるかのような考えに、最も強く否を言ったのだった。そうした境遇に置かれても、自ら生き方を選び取ることができ、そこに生きる意味が見いだせると言ったのだった。彼のこのメッセージの根源には、神様がエジプトで奴隷だったイスラエル人をそこから脱出させられたという出来事が横たわっていると強く感じた。また、申命記のこの御言葉があると感じるのである。宿命というしかない境遇においても、自ら生き方を選び取り、生きる意味を見いだせるということは、けっして呪いではなく祝福を得るということになると思う。そして、そのすべは、たったひとつなのである。神様の御声を聞いてそれに従うことのみなのである。宿命的境遇に置かれても、神様の御声は、私たちに届いてくる。神様の声とは、そうなのである。なぜ申命記は、祝福と呪いの分け目として、ただ神様の御声に聞き従うということを語るのか。それは、神の御声を聞くことができるからなのである。そして、それに従うこともできるからなのである。ただそれだけは可能だからなのである。
フランクルは医者だったので、直接的に「神の声」とは言わなかった。それに代えて彼は、「人生からの問いかけ」と言った。「あなたがその人生に意義を見いだすのではなく、その人生があなたに意義を与えようとしているのだから、あなたは必ずそれを見いだせる」と。それを彼は「人生のコペルニクス的転換」と言った。彼自身、強制収容所の体験を人々に伝えることに生きる意味を見いだした。伴侶に先立たれた人には、先だっていった人に代わってあなたがその辛さを肩代わりしたことに意義があったのではないかと伝えた。65節以下に記されているのは、私たちがいつか必ず置かれるであろう宿命的境遇において、私たちに生じるありさまである。それは私たちの心を揺り動かし、気力を失わせ、命を危険にさらし、夜も昼もおびえさせ、明日の命も信じられなくなくなるような状況に追い込む。しかし、このような私たちにも神様の声は聞こえてくるのである。必ず届くのである。そして私たちは、これに応ずることができるのである。ただその一点が、私たちを呪いから祝福へと転じさせるのである。
4 ここにきて、最初から掲げてきた根本的な問いに至るのである。一体このような境遇の中で、どのようにして神の声を聞くことができるのかと。またそこに込められた神様の戒めを、ことごとく忠実に守ることなど私たちには可能なのかと。この申命記を記した人々にとっては、1節に「主の御声によく聞き従い」の後に「・・・戒めをことごとく忠実に守るならば」と結び付けたように、神の声に聞き従うことは、イコール律法を守ることにほかならなかった。それもよくわかることである。祖国がなくなり、神殿も喪失し、捕囚だったバビロニアで、どれほどの礼拝生活が許されたことか。そのような中では、日常生活において律法を守る生活をすることが最も具体的に神様の御声に聞き従うことだったのはよくわかるのである。けれども、そもそも神様の声に聞き従うとは、最初からイコール律法の行いであったのであろうか。
30章14節には、「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」とある。また、少し前の11節には、「私が今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない」とも書かれている。この11節から14節は、パウロがローマの信徒への手紙の10章6節以下で引用している。パウロはなぜ、律法の行いをすることではなく、イエス様を信じることが神様に義とされるかを説明する文脈の中で、この申命記の箇所を引用したのか。それは、パウロにとっては、律法ではなくイエス様という存在そのものが「ごく近くにあり、口と心にある」神の言葉であったからなのである。イエス様という存在そのものを通して、私たちには、神様の言葉が聞こえてくる。そして、このイエス様を慕い、共に生きて行くことこそが、申命記の言う「戒めをことごとく忠実に守る」ことに他ならないのである。
私たちは、イエス様において、どのような神様の御声を聞くのであろうか。特に、宿命的な、呪われているとしかいい得ないような境遇に置かれた私たちを祝福へと転じさせて下さる神様の御声を、私たちは聞けるのであろうか。それは、イエス様自身が十字架という呪われた境遇に身を置いて下さったことを通して聞こえてくるものなのである。イエス様にとっても十字架はとても重い苦難であった。しかしそれを担うことの中に、イエス様は神様からの祝福を見出し、イエス様自身の救い主としての役目を見出したのだった。呪われたとしか見えない人生に神様の祝福を見たイエス様において、私たちは神の御声を聞くのである。そしてこのイエス様を慕い、このイエス様と共に生きてゆくことこそが、神の御声に聞き従うことなのである。そのことが、私たちに神の祝福をもたらすのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 7月22日(日)聖霊降臨節第10主日礼拝
06:22その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。 06:23ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。 06:24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。 06:25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。 06:26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。 06:27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」 06:28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 06:29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 06:30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。 06:31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」 06:32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。 06:33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」 06:34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、 06:35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
1 ヨハネによる福音書には、ある具体的なエピソ─ドに引き続いて、長々とイエス様と弟子たち、あるいはイエス様と人々との対話や問答、説話が記されている箇所がよくある(5章1節以下のベテスダ池のほとりでの出来事の後の箇所もそうだった)。ヨハネによる福音書を読む難しさは、このような長い対話や説話部分にあるように思う。
まず22節から27節あたりまでに、弟子たちと一緒に舟に乗り込んでガリラヤ湖の対岸カファルナウムに行ったイエス様を、多くの群衆が追いかけてきた様子が記されている。この人々にイエス様は、「あなたがたが私を捜しているのはしるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言った(26節)。パンを食べて云々とは、言うまでもなく6章1節から15節に記されていた5000人への供食の出来事を指している。イエス様は、人々が自分を追いかけて来たのは、しるしを見たからではなく、ただパンを食べて満腹したからだと言ったのだった。「しるし」とは、30節にもその言葉があるが、単に何か不思議な出来事、つまり奇跡を意味する場合と、その奇跡に込められた象徴的な意味のようなものを指す場合がある。30節のしるしは、単に奇跡を指している。26節のしるしは、奇跡に秘められている意味を指している。では、イエス様は、男性だけでも5000人もいた人々の空腹を満たす奇跡を通して、そこにどんな「しるし」を見てほしかったのだろうか。それは、少年が差し出したわずかな食べ物─5つのパンと2匹の魚─を感謝して用いるなら、神様はこれを豊かに使って下さるということなのだと思う。私たちは、5000人の人々の空腹ということに現れたように、それぞれが、とても大きな問題を抱えている。それを経済的に、また物質的に解決しようとすると、二人の弟子がイエス様に言ったように、「これでは足りないでしょう」「こんなものでは何の役にも立たないでしょう」と言うしかない。おのれの無力さをひしひしと感じてしまう。しかしイエス様は、そのわずかなものを感謝して用いた。すると、それはとても大きな結果を生むこととなった。イエス様が見てほしいと願った「しるし」とは、ここなのである。ところが人々が見たのは、満腹したという点のみだった。私たちに神様が託したわずかなものを感謝して用いるということではなく、ただ自分の満足・満腹を手に入れることにしか関心がいかなかった。そうして、満腹を与えたイエス様を追いかけてきたのだった。
2 そのような人々にイエス様は、「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と言った(27節)とある。この言葉に込められたイエス様の心は、直前の16から21節までに書かれた出来事を通してよく知ることができる。同じ場面を記したマタイとマルコによる福音書には、イエス様が、弟子たちを「強いて」舟に乗せたことが書かれていた。しかし、なぜイエス様は弟子たちに無理やり舟を出させて、わざわざ夜のガリラヤ湖の対岸に行かせたのか。日本にも『彼岸』という言葉がある。向こう岸に向かうということに、私は改めて深い意味を感じる。それは、私たちがこの世の肉体という器の中での命を失って、霊なる体をいただくということではなかろうか。イエス様が「永遠の命に至る」と言ったのは、まさにこのような意味なのである。向こう岸に行き着く際には、私たちは嵐に遭遇しなければならない。それは、この世の肉体における命という器─それは言わば舟─を失って、霊なる体・新しい存在という舟に乗り換えねばならないゆえの嵐なのである。「永遠の命に至る食べ物」とは、新しい舟に乗って向こう岸へ行き着くためになくてはならない何かなのである。それこそが、湖の上を歩いて舟に近づき、舟に乗り込んで下さったイエス様という存在なのではなかろうか。湖上の上を歩くイエス様そのものが、言わば新しい舟だと言ってもよいと思う。湖の上を歩くイエス様という舟に乗り換えねばならない。
イエス様が強いて弟子たちを舟に乗せて対岸へ行かせたように、私たちはどんなにこちら岸に留まりたいと思っても、それは、できなくなるのである。強いられて向こう岸へと旅立たねばならない存在なのである。それにもかかわらず、私たちが、どこまでもこちら岸に留まろうとして、こちら岸での満腹を求めて、パンやご飯をたらふく食べたとしても、また、お金を稼ごうとして働いたとしても、それは「朽ちる食べ物のために働く」にすぎない。こちらの岸に留まる私たちの肉体という器は、いずれは朽ちなければならない。朽ちる器を満たすだけの食べ物は、朽ちる食べ物でしかない。なくてならないのは、私たちをちゃんと対岸へと着かせてくださる食べ物なのである。助けなのである。私たちを暗い水の中に飲み込まれないようにして下さる救いなのである。
3 私たちが向こう岸へと至る歩みというものは、「第2の誕生」とでも言うことができるのではないかと、私は今回改めて感じた。第一の誕生は、母の胎内から生まれる誕生である。それまでは、すべての食べ物や酸素を母親の臍の緒からいただいていた。しかし第一の誕生の際には、臍の緒を断ち切って自分の肺で呼吸を始め、自分の口で食べ物を得るようになる。どんなに母の胎内にいたくても、そこで臍の緒からすべてを得て満腹していたとしても、それは、いずれは朽ちてゆかねばならないありかたなのである。いつまでも胎児が、母親の胎内に留まって、そこでの食べ物を食べているということは、母体と胎児の両方の死を意味するのである。朽ちるところに留まることはできない。第2の誕生も同じなのである。私たちは、どんなにこの世の肉体の器に留まりたいと思っても、そうはできないのである。胎児がいつまでも母親の胎内に留まることが死を意味するのと同じなのである。だから、私たちはこの世という胎内を去り、この世とつながって、そこから食べ物を得てきた「臍の緒」を断ち切って、今度は新しいありかたにふさわしい神様からの食べ物を得なければならないのである。そのためには、新しい臍の緒が不可欠となる。新しい世界で成長して自立して生きられるようになったなら、もしかするともう臍の緒は不要かもしれない。しかしそうなるまでは、新しい臍の緒が不可欠なのである。それこそが、湖の上を歩いたイエス様ではなかったであろうか。そのイエス様を舟に迎え入れたということが臍の緒を意味しているのではなかろうか。湖の上を歩いたイエス様の姿は、本当に象徴的だと思う。水の上を歩けること、水の中に引き込まれることがないということ、それこそが新しいからだをいただいた私たちのありかたなのである。そのようなイエス様を迎えるということが、永遠の命という向こう岸へ向かう私たちの食べ物なのである。
先日、しばらくぶりに家庭集会があった。そこでリクエストがあったのは、『終活』についてであった。ふと思い出したのは、クリスチャンである96歳の義母の介護をしている女性のことだった。彼女は、自分自身はクリスチャンではないけれども、病気や死というものに呑み込まれない何かに深いあこがれがあると言っていた。向こう岸に渡るために不可欠な何かを切望しているのだと感じた。『終活』についてのリクエストにも、こういう心があるのではないかと思う。私たちはどこかで、自分がいつかは向こう岸へと向かわねばならない存在だとわかっている。その時には、これまでこちら岸で必死に求め食べていた食べ物など役に立たないということもわかっている。だからこそ、向こう岸へと向かう歩みが安らかなものでありたいと願い、そのために不可欠な食べ物を手に入れたいという深い渇望が、誰にでもあるのではなかろうか。けれども、多くの人々には、そういう食べ物をいただく機会がない。永遠の命に至る食べ物への深い渇望を抱えながらも、朽ちる食べ物ばかりを求めている。しかし私たちは、信仰生活において、またこうして礼拝をささげる中で、少しずつではあるが永遠の命に至る食べ物をいただけているのではなかろうか。この世と臍の緒がつながって、この世からの食べ物を食べながらも、第2の誕生へと向かう備えを少しずつさせていただいているのだと思うのである。
4 27節のイエス様のこのような言葉に対して、人々は「神の業を行うためには何をしたらよいでしょうか」と聞き返した(28節)。「永遠の命に至る食べ物のために働け」とイエス様がこたえたことへの応答が、どうしてこのような問いになるのかは、一読しただけでは分からない。ルカによる福音書の18章18節以下の、ある金持ちの議員がイエス様に「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができますか」と尋ね、さらに彼が律法の行いはすべて守ってきたとイエス様に答えたという箇所を思いおこす。そこから理解できるのではないかと思う。当時のイスラエルの人々にとっては、永遠の命に至るためには、律法の行いを、神様が求める業をしなければならないとうのが普通の捉え方だった。これに対してイエス様は、「神がお遣わしになった者を信じることこそ神の業だ」と答えた。このイエス様の答えの心も、湖上の出来事からよくわかる。舟にいて、夜の湖の上で嵐にあった弟子たちには、一体その舟の中でどんな行いができたであろうか。「神がお遣わしになったものを信じる」ということでいえば、彼らは湖上を歩いて近づいてきたイエス様が、そうとはわからずに幽霊だとさえ思い恐れたのだった。しかし「私だ。恐れることはない」との声を聞き、舟に迎え入れたのだった。恐れの中で、湖上を歩くイエス様を、ただ舟の中に招きいれることしかできなかったのである。肉体の器を離れて向こう岸へと渡る嵐の中で、私たちはいかなる行いもできない者なのである。信じるということさえもあやふやかもしれない。しかし「私だ」と言って湖上を歩いて近づいて来て下さるイエス様を迎え入れることは、不思議なことにできるのである。それが向こう岸へ行き着くためになくてはならない天からのパンとして、神様が私たちに与えて下さる食べ物なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 7月15日(日)聖霊降臨節第9主日礼拝
05:01現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。 05:02それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。 05:03わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者を既に裁いてしまっています。 05:04つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、 05:05このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。 05:06あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。 05:07いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。 05:08だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。
1 コリントの信徒への手紙は、なかなか受け止め方が難しい。一読しただけでは一体ここからどんな喜びのメッセージを、福音を受け取ることができるのかと悩んでしまう。特に、2節の「こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか」という言葉や、5節の「このような者をその肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡した」という言葉には、ぎょっとする思いや、躓きを感じてしまうのではなかろうか。
一体どのような背景と事情のもとで語られたものかということを考えてみたい。1節から2節に、「あなたがたの間にみだらな行いがあり・・・高ぶっている」とあった。「ある人が父の妻をわがものとしている」ということである。おそらく実の母親が死んだ後、父がいわゆる後妻をもらい、その継母と義理の息子が関係を持ったということではないかと考えられる。父が死んだ後に
未亡人となった継母と義理の息子がそういう関係になったということなのかもしれない。コリント教会では、こうした行為が悲しまれるのではなく、むしろ逆に関係者たちは高ぶっていたようなのである。
コリント教会になぜこういうことが起きていたのか。それは、これまで教えられてきたことと深くつながっているのではないかと改めて感じさせられた。前の4章で教えられたのは、コリント教会の創設者のパウロが、ある伝道者たちと比べられて、愚か者だとか滓や屑のように扱われていたことであった。その原因は、おそらくはコリント教会の数的・量的な成長にかかわっていたのではないかと私は考えてきた。創設者だったパウロは頑固なまでに、ただ十字架につけられたイエス様が救い主だということだけを福音として語ったのだった。先週、オウム真理教の幹部たち数人に死刑が執行された。イエス様も、ローマ帝国の犯罪人として死刑に処せられた人だったのである。そういう人が救い主だと語ったのだから、多くの人が、それを福音として信じたわけではなかった。だからパウロが、コリント教会にいた間は、教会はごく小さな集まりに過ぎなかったのではなかろうか。ところが、その後にやってきた伝道者たちによって教会は大きくなっていった。その一番の理由は、十字架につけられたイエス様を語ることを表舞台から下げて、いわゆる御利益的なメッセージを語ったからではないかと私は想像するのである。4章8節に、「あなたがたは大金持ちや王様になっている」との痛烈な皮肉があった。大金持ちや王様になるというのはまさに、ある伝道者たちが福音として語っていたメッセージではなかったか。そして、そのメッセージの中にこそ、1節2節にあるような「みだらな行い」「父の妻をわがものにする」といったようなことを許容し、それどころか、そういうことをした人々を高ぶらせるようなものがあったのではないか。次の6章12節には、パウロがまさに問題にしていたある人々が教え口にしていたメッセージが、カギカッコに入れられて引用されており、「わたしはすべてのことが許されている」とある。彼らは、イエス様を信じれば、巷の世界では道徳的・倫理的に問題ありとされていたことでも何ら問題なしとされ、むしろ大手を振ってできるのだと教えたのだった。
当時の言葉で「コリントする」と言えば、みだらなことをする、不品行なことをするという意味になったほど、コリントの町はみだらな行いが横行していたところだったのである。そういう町の人々を、どのようにして教会に招き入れるかということは、難問題だったに違いない。そこである人々は「イエス様を信じれば、そうした行いさえも許される。すべてが許される」と教えた。こういうメッセージに引き寄せられてコリント教会は大きくなっていったのだった。
2 いつの時代でも共通して、教会が数や量の上で大きくなることを求めるがゆえに陥ってしまう姿というものが、ここに現れているのだと思う。それを求めるがゆえに、本来は悲しみ嘆くべきことを悲しまず、また教会の中に入ってきてはいけない「みだらさ」を、逆に喜び高ぶってしまうようになったのであ。6節以下に、パン種という比喩が語られている。教会という「パン」であればこそ、そこに入ってはいけないパン種というものがあるとパウロは言っていたのだと思う。そのパン種が入ることで、確かに教会というパンが大きく、おいしそうにふくらむということがあるかもしれない。しかし、たとえそうであっても、教会というパンには、入っていてはいけないパン種というものがある。巷では何ら問題はないし、むしろ、巷の組織では、そういうパン種が入って膨らむことが称賛されているとしても、教会にだけは入っていてはいけないパン種というものがある。また逆に、巷ではどんなに除外されるべきパン種であっても、あるいはまずいパンの状態であろうとも、教会というパンは、むしろそれでよいこともある。そうでなくてはならない状態ということもある。
では、一体どのようなパン種が、教会というパンから除外されるべきものなのか。それが、1節と2節にあるみだらさや不品行であり、またそれを高ぶるということである。なぜそれが除外されるべきパン種かということを、パウロは教えた(6節以下)。7節には「キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたからです」とある。パウロがここで語っている事柄は、これまで出エジプト記や申命記などで繰り返し教えられた出エジプトの祭りの出来事である(出エジプト記12章など)。それは、今から3100年前位のことだとされている。イスラエルの人々はエジプトで奴隷として苦しめられていた。神様は指導者モーセをエジプト王のもとに遣わした。そして、何度も何度もイスラエル人をエジプトから去らせるようにとモーセに言わせた。しかしエジプト王は何度も約束を反故にして、そうしなかった。そこでとうとう神様は、「滅ぼすもの」という存在を、エジプト王はじめエジプトの人々に送って、彼らの大切な子どもたちを死に至らせる決断をしたのだった。そのとき神様は、モーセに言った。「小羊を犠牲にしてその血を家の入り口の柱と鴨居に塗るならば、その家は『滅ぼすもの』が『過ぎ越し』てゆく」と。このことから、この出来事を記念する祭りは「過越の祭」と呼ばれるようになった。これを機に、イスラエルの人々は、着の身着のままでエジプトを脱出した。酵母、即ちパン種を入れてパンを焼く暇もなかったので、この祭りではパン種をすべて取り除くということがなされたのである。この、イスラエルの人々のお正月にもなった過越の祭を引いて、パウロは、「キリストが私たちの過越の小羊だ」と言ったのだった。「イエス様の名によって集まる私たちというのは、このイエス様という小羊の犠牲の血を塗られたものではないか、その生命の犠牲をいただいて滅ぼすものから守られている者ではないか、それを祝う集まりが教会という共同体ではないか。そうであるならば、自ずとこの共同体から除外しなければならないパン種があるのではないか」とパウロは言ったのだった。イエス様という小羊の犠牲にそぐわないパン種が何かということは、直感的にわかる。みだらさがそれであるということが直感的にわかる。
3 「滅ぼすもの」を過ぎ越させていった小羊の犠牲の血が、象徴的に示すものは何だろうかと改めて思う。たとえ小羊であっても奴隷だったイスラエル人にとっては、とても高価な犠牲だったと思う。それを殺して、いくらかは肉を食べたかもしれないが、あわただしく脱出しなければならなかったのだから、ほとんどは無駄にしたであろう。そういう無駄を神様に向かって献げるということこそが、『滅ぼすもの』を過ぎ越させるゆえんだったのではないかと私は思う。エジプトの王様のもとで、肉ナベをたらふく食べて満足する生活から私たちは決別するのだ、神様に向かって無駄を献げてゆくのだという信仰の宣言をするのが、小羊の血を入り口の柱や鴨居に塗るという行為なのであった。イエス様は、自分が十字架につけられる時を、わざわざこの過越の祭の中に設定した。それは、自分の死が過越の祭りの中で犠牲として屠られる小羊の犠牲なのだとのイエス様の意志表示であった。「私の命の犠牲を塗られるということが、あなたがたをして『滅ぼすもの』を過ぎ越させてゆくのだ」とのイエス様の御心の現れであった。クリスチャンとは、このイエス様の貴い生命の犠牲、その高価な無駄を塗っていただている者であり、その集まりが教会なのである。
ここでちょっと脱線になるが、洗礼についてお話しをしたいと思う。水を注がれるということを通してイエス様の命の犠性を塗っていただくということが、洗礼ということになった。洗礼は、生涯でたった1回きりのことである。パンを食べ、杯から飲むということで象徴的にイエス様の命の犠牲をいただくというのが聖餐式なのである。おりに触れてお話しすることだが、私たち日本基督教団には、洗礼を受けていない人たちにも聖餐式のパンと杯を受けていただく教会が少なからずある。それが、ここ10年位の大きな問題になっている。なぜ洗礼を受けている人のみが聖餐にあずかるのか。それは、洗礼と聖餐が、分かち難く結び付いているからなのである。洗礼を受けて『わたしにはこの一生を通してイエス様の命の犠牲が不可欠です』との信仰を言い表した者が、その命の犠牲の現れであるパンと杯をいただくのが聖餐なのである。聖餐は、「私の一生には、あなたの命の犠牲が不可欠です」との信仰なのである。洗礼をまだいただいていない人が、犠牲の象徴であるパンと杯を受けても、毒にはならないけれども、その人を「滅ぼすもの」からガードすることにはならない。家の入り口の柱と戸口に、はっきりとだれにもわかるように小羊の血を塗った者のみ、聖餐を受けることの意義が生ずるのである。
4 洗礼のことから元に戻って、イエス様の命の犠牲・その貴い無駄をいただくのが私たちでありまた教会であるとすれば、そこにあってはいけないパン種とは、このイエス様の犠牲や貴い無駄と相反するものなのである。それこそが、1・2節がいうみだらな行いではなかったか。みだらさとは性的なことだけを言うものではないと思う。自分にちゃんとした妻がいながら継母と関係を持つように、すべてのみだらさの根本には貪欲というものがあるのではなかろうか。コリント教会は、教会の数や量の上での貪欲さを抱えることによって、性的なみだらさを招き入れてしまった。私たちは根源的に貪欲というパン種を抱えている存在である。したがって、教会という集まりだとしても、これが入ってくることを避けることはできないのだと思う。教会の成長ということを名目にして、巧みにこのパン種は教会を膨らませる。しかし、私たちにはそれがイエス様にふさわしくないパン種だということがわかるのではないか。十字架の上で、貪欲さとは全く正反対に、自分の命を犠牲にされたイエス様に、みだらさはそぐわないということが直感的にわかるのではなかろうか。これを悲しむことができる私たちのはずである。「悲しんだ上で除外してゆかねばならないのが本来なのである。しかしコリント教会がそうであったように、私たちには、なかなかそれができない。それができない私たちではあっても、「霊」というところで、それがなされていると語っているのが、3節から5節の御言葉ではなかろうか。ここでパウロが語ったことが具体的にどういうことかはよくわからない。しかし、教会に属する私たちは「霊」という深いところで、ちゃんとこうしたふさわしくないパン種を除外することができるのだと語っているのだと思う。私たちの「霊」が、主イエスの名により、イエス様の力をもって、つまりはイエス様や神様の霊と共同して、十字架のイエス様にそぐわないパン種を教会は除外してきたのだとパウロは語っているのだと思う。何よりも教会の主であるイエス様は、それをお許しにはならないのである。
以上のことから逆に、イエス様のその犠牲を塗られた者の集まりである教会であるからこそ、巷の集まりとは決定的に違うパンの姿があるのではないかとも思うのである。巷の集まりは、おいしくふくらむパンをよしとするが、私たちは、イエス様の十字架の犠牲を、また無駄を喜ぶがゆえに、それぞれに科せられた十字架を背負い、犠牲や無駄を献げることを喜べるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 7月8日(日)聖霊降臨節第8主日礼拝
06:16夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。 06:17そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。 06:18強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。 06:19二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。 06:20イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 06:21そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。
1 ヨハネによる福音書の中には、イエス様が行った不思議な働き、すなわち奇跡が7つ書かれている。そのうちの5番目の出来事が記された箇所である。同じような出来事が記された箇所は、マタイによる福音書とマルコによる福音書にもある。マタイによる福音書とマルコによる福音書とルカによる福音書は、とても共通点が多いので『共観福音書』と呼ばれている。ルカによる福音書には、どうしてこのエピソードが記されていないのか不思議である。マタイによる福音書とマルコによる福音書、そしてこのヨハネによる福音書を読み比べると、幾つかの相違点、共通している点に気づく。ここで何よりも注目させられる共通点は、『5000人への供食』と呼ばれる出来事のすぐ後に置かれているという点である。
ヨハネによる福音書では、直前の15節に「イエスは、人々が・・・山に退かれた」とある。その後16節に「夕方になったので、弟子たちは・・・舟に乗り湖の向こう岸に行こうとした」とある。前のエピソードとの密接なつながりは感じられない。弟子たちが舟を出してガリラヤ湖の向こう岸へ行こうとしたのは、彼ら自身の思いであって「そうした」というニュアンスである。しかし、マタイによる福音書とマルコによる福音書では、そうはなっていない。例えばマルコによる福音書の6章44節から45節には「パンを食べた人は男が5千人であった」との記述の直後に「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のべトサイダへ先に行かせ、その間にご自分は群衆を解散させられた」とある。イエス様が5000人への供食の出来事の後すぐに、弟子たちを無理やり舟に乗せて湖の対岸へと行かせたとあり、5000人への供食の出来事と密接につながっていたことが読み取れる。
2 そこでまず思い回らしたいのは、なぜイエス様は、弟子たちに無理やり舟を出させて、湖の対岸へと行かせようとしたのかということである。それを最もはっきりと記したのは、ヨハネによる福音書の記述であろう。直前の15節では、人々がイエス様を王にしようとしていたとある。26節には、イエス様が「あなたがたがわたしを探しているのは、・・パンを食べて満腹したからだ」と人々に言っている。人々は、とにかくこれだけ沢山の人々が満腹になったという点に、すっかり心を奪われてしまい、「こんな人が王様になってくれればよい」と思っていたのである。イエス様をどのような存在として求めたのかというと、満腹を与えてくれる存在ということになる。自分たちの欲望を満たすということが、とにかく第一なのであった。満腹状態にいつまでも留まりたいと願い、そのためにイエス様を王様として利用したいと考えていたのである。そのうような群衆の思いに弟子たちも同調させられていたのではなかったか。だからイエス様は、群衆と弟子たちを切り離し、自身と弟子たちとの間柄がどういうものなのかを、自身が弟子たちに与えるものがどういうものなのかを、舟が向こう岸へ着く中で起こる出来事において教えようとしたのであろう。
こうしてイエス様は、弟子たちに強いて舟を出させ、夜の湖を対岸へと漕ぎ出させた。しかし、イエス様が弟子たちに無理強いしたこの状況というのは、何と青草の生えた地面の上に座って不思議な形で満腹にさせていただくということとは対照的ではないかと思うのである。弟子たちは、おなかも心も一杯になったし、もう暗くなったので、いい気持ちで休みたいと思っていたに違いない。そういう弟子たちに、イエス様は強いて向こう岸へ渡るように言ったのだった。それは、今いるこちら岸─おなかも一杯になり、すやすやと眠りにつける安住の地─をわざわざ離れなさいということあった。満たされた状況をわざわざ捨てて、何が起こるかわからない境遇へと、あえて進んでゆくように無理強いしたということなのである。ガリラヤ湖のことは自分たちの庭のように知っていた弟子たちでさえも、夜の湖を対岸へと向かうというのは決してやりたいことではなかっただろう。案の定、途中で強風のために湖は荒れ出した。その多くがガリラヤ湖の漁師だった弟子たちにさえも、どうしょうもない状況に陥ってしまったのであった。
イエス様は、この出来事を通して弟子たちに教えようとした。そして私たちにも教えようとしている。「私とあなたがたとの間柄は、決して青草の上に安閑と座り、おなかがすいたら私からパンを与えられて満腹するというようなものではないのだ」と。そうではなく、むしろ「そのような満ち足りた状況から無理やりでも離れさせられて、夜の湖を向こう岸へと向かって出発させられ、その間に嵐に遭遇するようなものなのだ」と。青草の上に座って、おなかがすいたらパンをいただいて満腹するような人生をイエス様に求めるのはお門違いだということだったのである。
3 申命記26章、イスラエル人が折に触れて口にした信仰告白の言葉において彼らは、自分たちがどういう民族であり、その自分たちに神様がどうかかわってくださったかを告白した。その信仰告自は「わたしたちの先祖は滅びゆくいちアラム人であり、・・・エジプトに下り、そこに寄留した」と始まるものであった。「滅び行く」とは以前の54年版口語訳聖書では「さすらいの」となっていた。私たちの信仰の先祖のイスラエル人は、そもそもさすらいの民・流浪の民・寄留の民だったのである。安住の地を持ちたくとも持てない民であり、常に旅立つことを余儀なくされていた民だったのである。エジプトに留まれば奴隷ではあっても満腹することはできた。それなのに、そこから強いて船出をさせられ、荒れ野を40年間も彷徨わねばならなかった民なのである。自分たちがそのような民であると告白できることこそが、その後、幾度もさすらわねばならなくなる境遇に置かれたイスラエル人を生き延びさせてきたものなのではなかろうか。私たちにも、いつまでもここに留まりたい、おなかが一杯で青草の上で満ち足りて眠りたいという思いがある。神様・イエス様との間柄が、それをかなえていただけるものであってほしいと願う。しかし、もしわたしたちがそういう境遇にいつまでも留まろうとしたなら、逆に私たちは生き延びることはできないのではなかろうか。だからイエス様は、「生き延びるためには向こう岸へ渡れ」、「向こう岸へ渡ろうとすることを止めてはならない」とおっしゃったのだと思う。その時々で、いつまでも留まっていたいと思うこちら岸がある。しかしイエス様は、それをお許しにはならない。強いて向こう岸へと行けと船出を迫るのである。「夜の湖の上で嵐にあいなさい」と。「そこでこそ神様や私との奥深い出会いがある」と、「青草の上でおなかが一杯になることとは比べものにならない私との出会いがある」と。
4 さてそれでは、嵐のただ中で弟子たちは、どんなイエス様との出会いがあったのか。それは、イエス様が荒れている湖の上を歩いて舟に近づいてくる姿を目の当たりにすることだった。これを見て「彼らは恐れた」とある。マルコによる福音書には、「幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである」とあった(6章49~50節)。改めて読んでみて、心を寄せられた。嵐にあい、身の危険を感じていた弟子たちであった。そこにイエス様が、たとえ湖の上を歩いてでも近づいてきて下さったのだから、彼らはイエス様だと気づき大喜びですぐさま舟に迎え入れてもよかったのではなかったか。ところが、記されているのは、まるで正反対のありさまである。弟子たちには、湖の上を歩いて近づいて来る姿がイエス様だとは、わからなかったのである。それほど彼らにとって、イエス様がそのような形で自分たちを助けて下さるとは、意外なことだったのである。彼らの考えには、全くなかったことだったのである。ルカによる福音書の24章37節に、復活したイエス様に会った弟子たちが「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」とあるのと共通するものを感じる。
嵐にあったときに、私たちを助けようとしてくださるイエス様も、私たちには全く思いがけない姿形で─もしかしたら私たちも恐れるしかないような姿をもって─私たちに近づいてくるかもしれないのである。それは、私たちが青草の上に安閑として座っていて、私たちのほしがるパンを下さるイエス様だとすぐにわかるような救い手の接近ではない。私たちの欲望を満たして下さるイエス様の接近でもない。それは私たちを恐れさせるような接近なのである。大声で叫ばせるような助けなのである。イエス様の助けというものが、本当に私たちにとって思いがけないものであることを示している。「このようなことが私の助けになるのか」、「このようなことが私の救いになるのか」と思うような接近なのかもしれない。むしろ、「私を滅ぼすのか!」と思わせるような接近かもしれないのである。
水の上をイエス様が歩いたということを、本当に象徴的な姿だと改めて感じる。それは、根源的に私たち人間にとって、普通は決して両立しえないような事柄を示しているのではなかろうか。生身の肉体を持った人間が生きていることと、その姿が水の上を歩くということとは普通は決して両立しえないことである。そのように、私たち普通の人間にとって、例えば苦しみや辛さと喜びや幸いが両立しているとは見えない。湖の上を歩くイエス様の姿は、つきつめれば十字架の死の中に神様からの祝福や復活へとつながる幸いがあったことを示しているように感じる。それは、私たちには決して両立しえない事柄だが、イエス様の中には両立しているのである。それが、湖の上を歩いて私たちに近づくイエス様なのである。強いて向こう岸へ行かせられる私たちは、幾つもの嵐に遭遇し、その苦しみや試練は、ただただ私たちを滅ぼすものにしか思えない。私たちは、ただ嵐だけしか見ることができず、恐れて叫ぶのである。しかし、その嵐の中に、実はイエス様がおられるのではなかろうか。助け手であるイエス様の接近があるのではなかろうか。
恐れる弟子たちに、イエス様は「私だ。恐れることはない」と言ったとある。そして、弟子たちがイエス様を舟に迎え入れて間もなく、舟は目指した地に着いたとある。「私だ」という言葉の中に、本当に大きな慰めがある。「私がいるではないか。湖の上を歩いてきた私がいるではないか。十字架の死という嵐に呑み込まれなかった私がいるではないか。」と。最も悲慘な十字架の苦しみの時に、神様からの豊かな祝福があったことを示す「私がいるではないか」という言葉は、本当に力強い。そのイエス様を人生の舟の中に迎え入れると、舟は目指す地に着けるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 7月1日(日)聖霊降臨節第7主日礼拝
26:05あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。 26:06エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。 26:07わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、 26:08力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、 26:09この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。 26:10わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏し、 26:11あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。
1 申命記という書物は、数と力では決して勝てないパレスチナ先住民がいる地域に今まさに入って行き、住み着こうとしていたイスラエル人に対し、神様が、どのようにしたらパレスチナ先住民に呑み込まれずにそこで生き延びてゆけるかを、モーセの遣言として教えたものである。それはイスラエル民族が、自分たちがどういう存在であったか、胸を張って言えるものを持っていたということである。
コリントの信徒への手紙1から私たちは、パウロがコリント教会を大きくした他の伝道者と比べられて、滓だとか屑だとか言われていたことを、またそれでもパウロには、どこか胸を張れるものがあったということを教えられた。それは、自分には他の人にはないこのような特徴があり、故に自分にはこのような使命があるのだと思えることであった。そういうものがあれば、たとえどんなに周りの人からボロクソに言われるような状況であっても生き延びてゆける。神様は申命記において、イスラエルの民が他の民にはない特徴を持った民であり、そのことによって特別な使命を果たすということによって、パレスチナ先住民の中で生き延びさせてゆこうとなさったのだと思う。
2 26章のタイトルには『信仰の告白』とあった。5節には「あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい」とある。毎年、初物をもって神殿に詣でた際には、必ずこのことを告白しなさいと言われていた。勿論、これは文字通り1年に1回きりの告白ではなかったのだと思う。申命記に書かれていた3つの大きな祝祭日の際にも、この告白はなされたのではなかろうか。私たちが毎週の礼拝で『使徒信条』という信仰告白を告白するように、イスラエル人も機会ある毎に、この告白を口にしたのではなかったか。その信仰告白をすることが、イスラエル人をしてパレスチナ先住民の中で生き延びさせて行くすべなのだと神様はアドバイスされたのである。
そもそも信仰告自とは、いったい何なのか。私たちが毎週告白している『使従信条』を思い浮かべてみると、それがいったい何なのか、またどういう意味を持っているものなのかが、よくわかってくる。使徒信条は、まず何よりも言葉である。私たちによって口にされる言葉なのだが、それは私たちが、めいめい勝手に口にしているものではない。使従信条と言うように、これはその起源をイエス様の使徒におくと言われるところの、すでに西暦1世紀の後半頃には成立していたとされるキリスト教会において最も古い信仰の告白である。それは確かに使徒たちが作った言葉ではあったが、しかしそれは彼らが勝手に作ったものではなかったのである。使従信条は、神様とイエス様と聖霊について告白する3つの部分に分かれている。それぞれは聖書に基づいて、突き詰めれば神様・イエス様・聖霊によって教えられ与えられた言葉なのである。使徒といえども神様・イエス様・聖霊に教えていただかなくては、彼らだけで作ることができた言葉ではなかったのである。それは神様によって与えられた聖なる言葉であったと言ってもよい。
今日の告白の言葉も同様である。5節はじめに「あなたは・・・次のように告白しなさい」とあり、これは明らかに神様がイスラエル人に、このように口にせよと言って与えて下さった言葉だということを表している。このような言葉を、機会あるごとに口にすることこそが、イスラエルの人々を神様の聖なる言葉の中に置くことになった。神様による聖なる言葉の中に置かれることによって、イスラエル人が周囲の人々からあびせかけられていた人間の言葉から守られることになっていたと私は思うのである。神様の言葉の守りの中に日々置かれることが、私たちを生き延びさせることとなる。神様の与えて下さった言葉を口にし、これを聞くことにおいて、最初に示されたように、イスラエル人は自分たちが何者であり、その点においていかなる使命を神様から託されている存在であるかを知った。それによって胸を張れるようになったのである。
先週、21歳の若者が起こした凄慘な事件が報道された。つい先日も、新幹線での同じような事件があったばかりである。なぜ若者が次々とこのような事件を起こすのか。先週のパウロの言葉を借りるなら、彼らは皆、今の社会の中で自分は屑や滓のようにしか扱われていないと感じているのではないかとしみじみ思う。彼らには、自分の貴さ・存在意義というものがわからないのである。いつの時代でも、そういうことがあったのかしれない。特に今の日本では、ちゃんとした仕事につき、ある程度の収入を得ていることが胸を張れる条件なのである。男性にとってはそれが結婚できる最大の条件なのである。しかし、それが可能な若者は一体どれだけいるであろうか。仕事がなく収入がなければ、親からさえもまさに屑や滓のように扱われる時代である。そのような人生を、これから40年も50年も歩まねばならないとは、どれほど辛いことか。
今の時代だけではなく、いつの時代であっても、私たちが周囲の人間から浴びせかけられる言葉というものは辛いものである。エジプトで難民だったイスラエル人がパレスチナに入って行って、そこで先住民の人々から浴びせかけられた言葉は、まことに厳しいものがあったであろう。滓や屑どころではなかったはずである。滓や屑であれば、まだそこに転がっていても大して害はない。しかし自分たちのテリトリーを犯すやっかいな難民が、どれ位かはわからないが、かなりの人数で入ってきたのだった。厄介者・邪魔者として扱われたことであろう。そのようなイスラエル人に不可欠だったのが、神様からの言葉なのであった。君たちは何者であり、故にどのような役目を担っている存在なのかと、折に触れて聞かされ、また彼らも口にしたのだった。パレスチナの人々から厄介者とされても、貴く無くてはならぬ存在だと語りかけられ、それを自分たちの言葉で口にして胸を張ってゆくこと、それこそが彼らの信仰告白の意義なのであった。
3 さてそこで、信仰告白の内容にふれてゆきたいと思う。かぎかっこに入れられた言葉は10節の前半までである。内容としては11節まで、あるいは13節から再度かきがっこに入れられているところが終わる15節最後までも信仰告白として理解してよいであろう。11節までに告白されている内容には、3つの大きな柱があると思う。ちなみに使徒信条も3つの柱によって成り立っている。
まず、第1の柱は6節まで。ここでは、そもそもイスラエル人がどのような存在であるかということが語られている。「私の先祖は・・・重労働を科しました」とある。パレスチナ先住民は、イスラエル人をボロクソに言ったであろうと、先ほど言った。しかし、この信仰告白では、他人から言われる前に神様からの言葉として「お前達はこんなふうにボロクソだったのだ」と口にしたような感じである。自分たちで自分たちをボロクソに言っていたのである。他から言われるのと、神様からの言葉として自分で自分をそのように言うのは全く違う。それは、自分たちが滓や屑であることを正々堂々と認めることだからである。俺たちはそういう存在なのだ、それでもよいのだと言うことなのである。自分たちをそういう存在として認めることができるということは、本当に意味あることだと思う。
この告白は、自分たちの先祖がそうであったと言っているものであるが、先祖がそうであったということは、つまりイスラエル民族の起点・原点がそうであったということである。起点・原点がそうであったということは、未来永劫根源的には、この世にあって自分たちはそういう民なのだということなのである。だとすれば、またいつか将来もそうなるときが必ずやってくるということでもある。滅び行く危機に陥り、寄留者として他所に逃れ、そこで蛇蝎のごとく忌み嫌われる存在になっても、それは当然なのだと、何の不思議もないと思えたのであった。自分たちを神様からの言葉によって、そのように自己理解し、定義できたことが、イスラエルの民を生き延びさせてきたのだと思う。自分たちをこのように胸を張ってボロクソに言える民がどこにいるであろうか。ここには、例えば自分たちは国土を最初から持っていたとか、高貴な出自を誇るとかいうことは皆無である。私は子どものころのある時期、古事記物語が好きで、読み耽っていた。おぼろげな記憶ではあるが、私たちに日本人は自分たちをこのように言うということは決してなかったと思う。神代の昔から私たちは、この島国に住んでいる民である。そこに胸を張っている民族である。だから、どうしても私たち日本人は、大きくは領土に類するような、小さくは自分たちの存立の足場になるような確固としたものを持っていないと胸を張れないというところがあるのではなかろうか。イスラエル人が、神様から胸を張れと与えられた自己認識は、日本人とは全く正反対だと思う。ここにこそ、彼らが私たち日本人とはまるで正反対の歴史を歩んできながらも、生き延びてきた理由があるのだと示されるのである。
4 信仰告白の2本日の柱は7節から9節までにある。ここで告白せよと命じられている内容は、要はこのようなボロクソ状態のイスラエル人に神様は目をかけ、その叫びを聞き「力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって私たちをエジプトから導きだし・・・この土地を与えられ」たということである。
この信仰告白の2本目の柱が何よりも言わんとしているのは、1本目の柱で告白されたようなイスラエル人に対して、神様がどのようにかかわってくださったかという点である。信仰告白の言葉というものは、ただ私たちがどういう存在かを語って終わりではない。そうではなく大事なのは、その私たちに神様がどうかかわってくださるかである。使徒信条を思い起こしてみると、この信仰告白には、むしろ私たちがどういう存在かという告白の言葉はほとんどない。ただただ神様が、イエス様が、聖霊がどういう存在であり、私たちに何をして下さるかを語っていっている。1本目の柱では、エジプトに寄留した厄介者のイスラエル人を、エジプト王をはじめとしたエジプト人は「私たちを虐げ、苦しめ、重労働を科した」と語っている。しかし、神様はそのように扱われた私たちに対して、エジプト人とは正反対のかかわりかたをして下さった。これをイスラエル人に常に思い起こさせ、口にさせてきたのが、この信仰告白の2本目の柱なのである。イスラエル人が周囲の人々から、たとえどのようなひどい扱いを受けても、神様はそれとは正反対の扱いを必ずして下さるとの希望を抱かせてきたのである。
イスラエル人は、自分たちが特に神様からこのように扱われたと言う点に胸を張れるものを感じたに違いない。また、だからこそ、そのように虐げられ苦しみを受ける人間にかかわって下さる神様という存在を人々に証しする使命も感じ取ったのではなかったか。なぜ神様は自分たちのような何のとりえもない民族に、あのようにかかわって下さったのか。それは、この神様を人々に宣べ伝えるためなのであった。自分たちイスラエル人には、このような特別な役割が与えられている。もしまた将来同じような辛い境遇に置かれるとしても、それはまたその状況から助け出して下さる神様を証しするためである。それがわかってイスラエル人は大いに胸を張れたのではなかろうか。
第3の柱が10節・11節で語られている。ここで告白されていることは、神様が与えて下さった土地における産物をどう用いるかに尽きる。神様が下さった賜物をどう用いるか。11節後半では「レビ人およびあなたの中の寄留者と共に喜び祝いなさい」とあり、12節・13節では2度にわたって「レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し」とある。神様からイスラエル人が特別に与えられていた役割・生き方の特殊性はここにこそある。それは地の実りを神様から与えられた物として、ここにあげられた人々のために積極的に用いてゆくということであった。それができたという点において、イスラエル人は胸を張れたのだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 6月24日(日)聖霊降臨節第6主日礼拝
04:07あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。 04:08あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。 04:09考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。 04:10わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。 04:11今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、 04:12苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、 04:13ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
1 この聖書箇所は、伝道者パウロからのコリント教会の、ある人々に対するとても激しい憤りや嘆き、また痛烈な皮肉が吐露された箇所である。パウロがあちらこちらの教会に書き送った多くの手紙の中でも、その口調の激しさにおいては一、二を争うような箇所だとされている。そこから私たちはどのような励ましや慰めを受け取ることができるのであろうか。その点では難しいものが感じられる箇所である。まずはパウロがどのような背景と事情のもとで、このような激しい言葉を語らざるを得なかったのかということに思いを向けてゆきたい。
3章18節には「もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら」とあった。このように自分を考えていた人がコリント教会にいたことが示唆されていた。どのような人々であったのかについては様々な解釈がある。しかし、おそらくそれは、コリント教会の創立者であったパウロが教会を離れた後に、指導者としてやってきてコリント教会をぐっと大きく成長させた伝道者たちのことではないかと私は想像している。3章4節に「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」と言い合っていた様子が書かれている。その直後の6節と7節には「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださった神です」とのパウロの言葉がある。しかし、54年版の口語訳聖書には、「取るに足りない」と書かれていた。このパウロの文章から、コリント教会の争いには、教会の成長をめぐっての対立があったことがうかがわれる。教会を大きくさせた人々が、自分たちのことを、「取るに足りない」という言葉とは正反対の言い方をして自慢していたのではなかろうか。
コリント教会を大きくした伝道者たちに対し、創立者だったパウロは何をしたのか。おそらくパウロは、教会を小さな群れに留まり続けさせることしかできなかったのであろう。それは彼が、当時のローマ帝国では、多くの人々にとって愚かである躓きでしかなったメッセージ、つまりローマ帝国の犯罪人として十字架刑に処せられたイエス様が救い主だということを福音─喜びのメッセージ─として語り続けたからであった。わずかに奴隷階級の人々は信じてくれた。しかし、それ以外の人々は、そのようなメッセージを受け入れることはできなかったであろう。パウロがコリント教会を去った後、アポロがやってきた。そしてその後、私たちには名前も知ることのできない伝道者たちがやってきて、おそらくは十字架の上で処刑されたイエス様が救い主だという福音は、表舞台からは後退させられたのではなかろうか。その反対に、この人を信じれば病気が治るとか、お金持ちになれるとか、いわば御利益的なメッセージによって多くの人々が引き付けられ、教会が大きく成長していったのではなかろうか。8節にある「満足し」という言葉、また大金持ちになっているとか王様になっているとか、そういったパウロの皮肉の言葉は、もしかすれば彼ら伝道者たちが人々を引き付けていたメッセージのことなのかもしれない。こうして教会を大きく成長させた伝道者たちは、彼らの語った福音通りに、多くの信者たちから献げ物を受け尊敬されて、大金持ちや王様のように崇められていった。それに引きかえ、創立者ではあっても教会を小さな群れに留まらせたパウロは、愚か者として見下され、教会にとっては二度とかかわってもらっては困る「屑」や「浮」のように見なされていたのだった。
2 以上のことから、私たちが語りかけられることとは、何なのか。それはまず、教会が誕生した当初から伝道者や信従の人々が数的量的な成長を追い求め、それを成し遂げたことにおいて喜んだり誇ったりしてきたということである。逆に、そうできなかったときには、その自分や他者を卑下したり見下したりしてきたということであった。私自身、32年間の牧師の歩みの中でどれほど、このことに心を奪われてきたことかと思う。今でもなお、数的量的な成長を成し遂げることに満足を見いだそうとしている自分がある。信従であっても、そうした伝道者を評価し、尊敬しようとしているのではなかろうか。そのような価値観が、教会が誕生したときから根強く存在してきている。
私は、教団の教師委員として先日、50人ほどの今年度新たに教団の補教師となられた人たちのためのオリエンテーションに関わった。参加した教師たちの2/3は、若い20歳代、彼らにとっては教団の教会の今が、当たり前の姿だとのことであった。私たちの世代では、教会学校に沢山の子供たちが集い、多くの青壮年が教会を支えて下さっていた時代を知っている。さらに上の世代の先輩たちは、なおさらそうであった。そのような世代の私たちは、教会の未来を心配し、「このままでは教会が消滅する」と言って、「人を増やさねば」「伝道せねば」と言ってきた。ところが、今の若い世代にとっては、この現状が当たり前の姿なので、私たちのような将来への不安など全くなく、淡々と伝道者としてやってゆけるのではないかと思っているようなのである。なるほどと思った。他方、しかしとも思ったのである。確かに教勢を増やさねばというプレッシャーは、彼らにはないかもしれない。では伝道者として、どこに満足を見いだし、喜びを見いだすのか。文字通りの意味で王様や大金持ちになど、だれもなれるはずがないであろうし、そういうことで、伝道者としての誇りを見いだしてゆこうとは思わないであろう。しかし10節に「あなたがたは尊敬されていますが」とあったように、伝道者して信従の皆さんからの尊敬されたいという思いはあると思う。では何によって尊敬されるのか。そこには、どうしても、2000年前の教会や伝道者をとらえていたところの数的量的成長を成し遂げようとする思いが入り込んでこざるを得ないのである。
いつの時代社会においても、十字架の上で殺されたイエス様が救い主であるというメッセージは、愚かで躓きであることは何ら変わりがないのだと思う。教会に集う人が減ってゆけば、おのずと11節に描かれているような困難が現実として迫ってくる。牧師が自分の手で稼がねばならない事態にもなる。先ほどのオリェンテーションでは、以下のような話題が出た。参加者を何人かのグループに分け、7人の教師委員がそのグループ内の司会進行役をした。私の担当したグループでは、何と1/3が牧師の子息であった。彼らによれば、今の若い人にとっては、牧師になるということは、魅力的な『職業』のひとつとして見られているという。もしかしたら、いい職業のひとつと考えて牧師になったかもしれない若き伝道者たちが、11節に書かれているような難儀なありさまが現実となったときに、なお誇りをもってやってゆけるのかどうか。そもそも今、私たちのような牧師も11節のような現実があっても、なお伝道者を続けてゆけるのかのかどうかとも考えさせられた。
3 さて、これまで申し上げてきたことは専ら教会においてのことであった。特に私たち伝道者についての事柄である。これらのことは、一般信徒にとってどのように重なることであろうか。信従にとっては、おそらく私たち牧師が、これほど気にかけている教会の数的成長など、たいしたことではないのかもしれない。「どうして牧師さんというのは、そこまで気にするのか」と。
しかし、信徒にとっても、ある意味における数や量の多さ・大きさというものが、やはりなくてはならない価値なのではなかろうか。それは文字通りの意味で、王様や大金持ちになることで誇るとか、他の人からの尊敬を得たいとかということではない。しかし、尊敬してもらいたいとは思っているはずである。それは、私たちが存在することが貴いことだと、意味があることだと思ってもらいたいということである。誰も塵や滓だとは思われたくはない。では、どこで尊敬を得られるのか。それは、家族や属している共同体の中で、やはり役に立つということにおいてではなかろうか。役に立つというのは、経済的な点で、また肉体的な点での数の多さや量の多さ・豊かさによる。幾つになっても親として少しは子や孫の援助ができるという点において必要だと言ってもらいたい。経済的・肉体的な点でのプラスの豊さを失ってしまったら、子や孫に、ただ迷惑をかけるだけの存在になるのではないかと思う。そうなった自分は、もはや滓や屑でしかないと思ってしまう。残念ながら、今言ったような意味では、私たちすべてが滓や屑としてしか見なされない時が必ずやってくる。尊敬されるところが、何もなくなってしまう時がやってくる。そのような私たちにとって、今日のパウロの言葉は、とても大きな励ましとなるのだと思う。
それはどのような励ましなのか。今日の御言葉において、確かにパウロといえども自分が尊敬されず屑や滓のように扱われることを激しい口調で嘆き、憤ってはいた。けれども嘆きつつ、憤りつつも、そのように扱われることにパウロは少しも動じてはおらず、むしろそれを誇りにさえ思って、胸を張っていた感じが伝わってくる。16節では「わたしに倣う者になりなさい」と語っていたほどである。尊敬もされず、塵芥のように扱われることに、しっかりと対峙して、パウロをして堂々と胸を張らせるような何かがあったのである。たとえコリント教会の、ある人々から、そのように扱われても、それに対抗して、パウロに「わたしの存在は貴いのだ。役に立つのだ。」と思わせた何かがあった。信仰の歩み、また教会には、このような部分もしっかりあるのだと励まされるのである。先ほど申し上げたように、教会も伝道者も2000年前の誕生時から、数的量的成長を追い求め、そこに価値を見出して自慢したり誰かを見下したりというような残念な姿もある。けれども、その一方で、そのようなあり方に立ち向かい、数や量の上では滓や屑のように見なされても、胸を張れるようにしてくれるものも信仰生活、また教会には、しっかりとあったのである。
そのようにして胸を張らせてくれる根源は、イエス様に他ならないのだと示される。10節の始めでパウロは「わたしたちはキリストのために愚か者となっている」と言っている。クリスチャンであるということは、イエス様ゆえに胸を張って愚か者になれるということである。あるとき私は、母校の東京神学大学から『献身のすすめ』つまり神学校に入る勧めの文章を書いてくれと頼まれた。私たちの時代に流行った「三無主義(それは確か無関心・無感動・無責任というような内容だった)」をもじって、『牧師とは無益・無駄・無報酬に生きる者だ』というようなことを書いたように思う。それがその当時20数年、牧師として歩んできた私の実感だった。懸命に説教や聖書研究祈祷会の準備をしても、その結果として何か目に見える数的量的な教会の成長が与えられるわけではなかった。教会員にはおそらくなってくれないような人々のために生活保護受給の世話をしたり、身元引受人になったり、障害者のボランティア団体の会長にもなった。それらもまた、何か目に見える報いがあるわけではなかった。そういう意味では、無益・無駄・無報酬であり、この世的には全く愚かしい馬鹿げた生き方だと言わざるを得ない。でも私は、それが「キリストのために(この『ために』とは、『ゆえに』の意味だと思う)」、キリストを信じるゆえに私たちがいただいた貴い生き方だと思う。プラスの利益だけを追い求める社会にあって、また私たち自身もそういう価値観に深く染まっていながらも、イエス様は、私たちにそれとは正反対に愚かな者として生きることを、胸を張ってさせて下さるのである。
12節の後半には「侮辱されては祝福し、迫害されても耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています」とある。十字架に付けられたイエス様ゆえに、パウロは、侮辱されたり迫害されたりする自分の境遇にイエス様が与えて下さる幸いを見いだすことができていた。だから、侮辱されながらも誰かを祝福し、優しい言葉をかけることができた。たとえ数的量的なプラスなど持っていなくとも、パウロという存在が持つプラスというものがあった。屑や滓と見なされている人だけが、イエス様ゆえに与えられているプラスというものがあるのではなかろうか。もしあなたが今、自分を屑や滓のように思っておられるのなら、そのようなあなたを貴いと、必要だと言って下さるイエス様がおられることを知っていただきたいと思うのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 6月17日(日)聖霊降臨節第5主日礼拝
08:27イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。 08:28弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 08:29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」 08:30するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。 08:31それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 08:32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 08:33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 08:34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 08:35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。 08:36人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 08:37自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 08:38神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
説教の配信はありません
説教要旨の掲載はありません
神の愛キリスト伝道所(稲敷市) 小池 与之佑 牧師
2018年 6月10日(日)聖霊降臨節第4主日礼拝
18:15イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。 18:16しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 18:17はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
1 16節以下には、イエス様が乳飲み子たちを呼び寄せて「神の国はこのような者たちのものである。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言ったとある。「神の国」とは、原文の言葉には「神の支配」という意味がある。私たちが、死んだ後に行くとされる「天国」という意味ではない。端的に言えば、「神様との結び付き」を指している言葉である。イエス様は、私たちの神様との結び付きを、幼子とその親との間柄にたとえたのだった。
だから、「子どものように神の国を受け入れる人でなければ・・・」というのは、文字通りの幼子でなければ神様との結び付きをいただけないという意味ではなく、あたかも自分を幼子のように思って神様を母や父のように慕う人が、神様とのつながりに招き入れられるということを意味しているのである。神様と自分との間柄を乳飲み子と親との間柄のようなものとして捉えることができてはじめて、神の国の必要性や、すばらしさというものがわかるのである。そうでなければ、神の国の不可欠性というものがわからない。その必要性を他人から、どれほど強く教えられたとしても、自分自身でそのすばらしさや必要性を感じることがなければ神様との結び付きを求めることも、そこに入ってゆくこともできないのである。「決してそこに入ることができない」とイエス様が言ったのは、そのような意味なのである。
2 教会に集う人々は、すでに大人になっていても、どこかで自身を乳飲み子のような者として感じ、幼子が親を慕うような思いをもって教会にに集っているのではなかろうか。しかし現在、そのような思いを持つ大人は本当に少ないのである。日本では、クリスチャン人口は、わずか1パーセントにも満たない。99パーセント以上の人々は、神様とのつながりなど必要としてはいないのかもしれない。自らを乳飲み子のように思い、神様を親として慕う必要など感じていないのかもしれない。それはなんと、日本だけのことではないようなである。ヨーロッパの、特にプロテスタント教会の惨憺たる実情を耳にする。礼拝堂が歴史的遺産になるようなりっぱな教会であっても、そこではもはや礼拝は捧げられてはおらず、市や町の管理のもとで、世俗的な用途に提供されているとのことである。なぜこのようにしまったのか。そのひとつの原因は、人々が「成人してしまった」からではなかろうか。文字通りの意味で乳飲み子であったときには、誰でも親を絶対的に必要としていた。しかし、成長し大人になり自活できるようになると、親は、絶対的に必要な存在ではなくなる。むしろそうならなければ、親が死んだ後、子は生きてゆけなくなるのだから、生物としては、成長したら親を必要としなくなるのは必然と言える。また、そうでなければならないのであろい。そのように、今日の私たちは、神様との間柄においても成人した大人になってしまったのである。もはや幼子のように神様に頼らなければ生きてゆけない存在などではないのである。人々は、いつまでも親に頼るという姿を、成長しきっていない情けない姿の現れでしかないと思っている。神という存在からの干渉など、もう、うんざりだと言うことかもしれない。
しかし、成人した私たちには、もはや神様という親などは必要ないのであろうか。思い起こすことがある。妻の父は晩年、福島県船引町の特別養護老人ホームに世話になっていた。妻は2週間に一度、その老人ホームに出かけていた。私は一緒に行っても、いつも妻が老人ホームの中から出て来るのを玄関ロビーの椅子に座って待っていた。もう80歳をはるかに超えたと思われる小柄なひとりの婦人が、私の隣に座っておられた。彼女は見知らぬ私に「私のお母さんはどこにいるの?お母さんに会いたい・・・」と言って泣きはじめた。「お母さんはどうしましたか?」と尋ねると「小さい頃に生き別れました」との返事だった。私たちはいくつになっても、いや年を取れば取るほど、母や父を必要とする存在なのではなかろうかと、しみじみ感じたものである。
私たちは、ある程度の年齢になれば、子どもや家族には、絶対的に必要とされている存在ではなくなる。それは、むしろそうでなければ、困ったことでもある。いつまでも私たちが子どもや家族にとって絶対的に不可欠な存在であるということであれば、私たちが死んだ後、その家族は成り立たなくなってしまう。だから不必要な存在になるということは、摂理でもある。しかしそうなるということは、本当に辛いことなのである。伴侶がなくなって、さらに自分が子どもたちからも、もはや絶対的には必要とはされない存在になるということは、実に寂しいことであろう。先程も老婦人も、そのような寂しさを感じておられたと思うのである。ホームの職員たちは、彼女を手厚く世話してくれていたようである。おそらく家族も訪ねてきてくれていたであろう。しかし根源的には、必要とはされていない存在なのである。だから、乳飲み子であった頃の私たちが、その親に絶対的に不可欠な存在とされていたことを思い出すと懐かしいのであろう。もう一度、母親から慈しんでもらいたい、絶対的に自分を大切な存在だと思ってほしいのである。けれどもこの世には、もう実の父母はいない。だからこそ、天の父また母が不可欠なのである。私たちが神様を信じる根源には、こうした切なる思いがある。難しいことなど、どこにもない。
3 イエス様は、神様と私たちとの結び付きを親と幼子のようなものだと教えて下さった。私たちは、これをイエス様の教えとして受け取っている。しかし実は、当時のユダヤ人の世界では、決して当たり前の教えではなかったのである。むしろ人々を躓かせ、驚かせるような、また神様を冒涜すると非難されるような教えだったのである。そのことが、前後を読むとわかってくる。同じような出来事を記したマタイによる福音書とマルコによる福音書でも、直後には、ある金持ちの議員との有名なイエス様との問答が書かれている。ルカだけは、直前の9節から14節まで「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」を記している。
金持ちの議員は「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができますか」とイエス様に尋ねた。「永遠の命を受け継ぐ」とは、要は神の国に入るということと同じ意味であろう。神の国に入るには「何をすれば」と彼は尋ねたのだった。その後のイエス様の質間に対して彼は「子どものときからすべて守るべき律法は守ってきた」と答えた。この人は、当時のイスラエル人の社会において、社会的にも信仰の面でも指導者であり、手本となっていた。そのようだった人にとって、神様と結び付けていただくうえで絶対に不可欠なこと・条件は「何をするか」だったのである。人間の側で、神様が喜んで下さると考えた行いをすることが、そのことだったのである。彼がそう答えたからこそ、イエス様は「そう思うなら全財産をすべて売り払ってみよ」と、わざとできそうもないことを投げかけたのだった。
ルカだけが直前に置いたたとえも、当時のイスラエルにおいて、すべての面で手本とされていたファリサイ人が、神様の喜ぶと思われる行いを列挙して祈る姿を描いている。これが、当時のイスラエルの人々の間で、神様との結び付きを得るために不可欠なこと・必要な条件として普通に信じられていたことだったのである。それは乳飲み子や幼子の姿ではなく、神様が喜ばれるであろうと人間の側が考えたようなことを、自分でできるほどに成長し成人した姿なのであった。神様に結び付きをいただく私たちも当然それにふさわしい者でなければならないと誰しもが考えたのだった。
4 ところがイエス様は、神様と結び付けていただくのに、私たちは乳飲み子・幼子のようなものでよいのだと教えたのだった。これこそがイエス様が語った福音─喜ばしい知らせ─に他ならなかった。新約聖書神学者のエレミアスは、『新約聖書の中心的使信』という講演の最初に、イエス様自身が神様のことを「アッバ」と呼び、また同様に弟子たちにも神様をそのように呼ぶことを『主の祈り』で教えたと述べている。エレミアスは、このことを「新約聖書の中心的使信」の冒頭で語るべきものだと考えたのだった。「アッバ」とは、幼子が父親のことを、たどたどしい舌で呼ぶような言葉である。旧約聖書における神様への呼びかけを詳しく研究した結果、神様のことをそのように呼んでよいと教えた人は、未だかつて誰もいなかったとエレミアスは結論付けた。
イエス様が十字架に付けられた最大の理由が、ここにこそあるのかもしれない。「神様をアッバと呼ぶなどとんでもない、それは神様を冒読することではないか」と人々は思った。それは、神様と結び付く上で長い間、先達たちが不可欠と信じてきた大人としての律法の行いをないがしろにする教えだったのである。神様との結び付きをいいかげんなもの・甘えのようなものにおとしめてしまうと受け取ったのだった。私たちにも常に、そのような思いが入り込んでくる。人々が乳飲み子をイエス様のもとに連れてきたのを見て、イエス様の弟子たちが叱ったと書かれている。これが私たちにも入り込んでくる姿なのである。神様との関係・信仰者としてのあり方において、乳飲み子であることを「叱る」態度が、私たちにはある。
勿論、教会という組織・共同体を維持してゆく上で、どうしても大人であることは不可欠である。しかしそれでも、「私は神様との間柄においては幼子なのだ、乳飲み子であってよいのだ」という根源的な思いを失ってはならないのである。それは、このことが福音の根幹だからである。これが私たちに喜びと慰めをもたらす源だからである。ここにイエス様が命をかけて教えた福音の中心的部分がある。「あなたは大人であらねばならない、あなたは社会の求める行いを果さねばならい、そうしてこそあなたは生きる価値があるのだ」とする社会にあって、どれほどの人々が立つ瀬を失っているでしょうか。そのような人々にイエス様は、「あなたは乳飲み子・幼子であってよいのだよ」と言って下さる神様がいることを語って下さったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 6月3日(日)聖霊降臨節第3主日礼拝
06:01その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。 06:02大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 06:03イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 06:04ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。 06:05イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、 06:06こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 06:07フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。 06:08弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 06:09「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 06:10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 06:11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 06:12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 06:13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 06:14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。 06:15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 5月27日(日)聖霊降臨節第2主日礼拝
16:01アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。 16:02あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主に屠りなさい。 16:03その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない。 16:04七日間、国中どこにも酵母があってはならない。祭りの初日の夕方屠った肉を、翌朝まで残してはならない。 16:05過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、 16:06ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。夕方、太陽の沈むころ、あなたがエジプトを出た時刻に過越のいけにえを屠りなさい。 16:07それをあなたの神、主が選ばれる場所で煮て食べ、翌朝自分の天幕に帰りなさい。 16:08六日間酵母を入れないパンを食べ、七日目にはあなたの神、主のために聖なる集まりを行い、いかなる仕事もしてはならない。 16:09あなたは七週を数えねばならない。穀物に鎌を入れる時から始めて七週を数える。 16:10そして、あなたの神、主のために七週祭を行い、あなたの神、主より受けた祝福に応じて、十分に、あなたがささげうるだけの収穫の献げ物をしなさい。 16:11こうしてあなたは、あなたの神、主の御前で、すなわちあなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、息子、娘、男女の奴隷、町にいるレビ人、また、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦などと共に喜び祝いなさい。 16:12あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい。 16:13麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだとき、あなたは七日間、仮庵祭を行いなさい。 16:14息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい。 16:15七日間、主の選ばれる場所であなたの神、主のために祭りを行いなさい。あなたの神、主があなたの収穫と手の業をすべて祝福される。あなたはただそれを喜び祝うのである。 16:16男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。 16:17あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。
1 申命記とは神様が、パレスチナに入って、そこで住み始めようとしていたイスラエル人に、モーセの遺言という形をとって、どうすればパレスチナの地で生き延びることができるかを教えたことが書かれている。なぜ神様が「生き延びる」というようなアドバイスをしなければならなかったか。それは、パレスチナに住んでいた先住民に対してイスラエル人は、数と力では絶対に勝てないという状況があったからだった。漫然と暮らしてゆけば、必ずや彼らに呑み込まれ、いずれ減ぼされてしまう。だから神様は、生き残りのすべをモーセの遺言という形で教えねばならなかった。
モーセを通して神様は、何を与えて下さったのか。それは、一年のうちの「3つの祝祭日を守り続けてゆきなさい」ということだった。この3つの祝祭日のことは、出エジプト記23章14節以下(132ページ)に記されている。「過越祭」とあり、出エジプト記では「除酵祭」と呼ばれていた。それは、イスラエル人にとっての正月に当たる。その由来は、1節後半に「(この)月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出された。」と書かれているように、出エジプトという出来事にある。言うまでもなく、イエス様が十字架につけられたのは、この祭りのさ中であった。2番目の祝祭日は、七週祭である。出エジプト記23章26節には「畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭り」とあった。ペンテコステが、この七週の祭りである。3番目の祭りは、出エジプトでは「年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない」とされていた。それは「仮庵祭」と呼ばれている。
2 さて、3つの祭りの中で最も大事なものは、一年の最初にやって来る過越の祭(除酵祭)であった。この祭りを守り祝うとは。一体どのような意義があったのであろうか。なぜこの祭りを守ることが、イスラエル人をしてパレスチナで生き延びさせることになったのであろうか。
まず、3節最後に「こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない」とあるように、この祭りを守るということは、「出エジプトの出来事を決して忘れずに常に想起し続けよう」という意味があった。出エジプトの出来事を決して忘れないようにということは、自分たちイスラエル民族の原点・起点である事柄を決して忘れないということだったのであろう。別の言い方をすれば、自分たちの固有性・特殊性というものを見失わないようにということであった。固有性を見失わない限り、数と力でどんなに勝る人々の間にあっても、滅ぼされてしまうことはないのだとの神様のアドバイスなのであった。日本の中では、圧倒的な少数者である私たちクリスチャン、そして教会が、数と力では決して勝つことのできないこの日本の中で、どうやって生き延びてゆけるかが、ここでもまた教えられているように思う。それは、クリスチャン、そして教会の固有性・特徴を失わないということによってなのである。
では、出エジプトという出来事に、イスラエル人の原点・起点があるとはどういう意味であろうか。出エジプトの出来事が、彼らにどういう固有性・特徴を与えていたのであろうか。1節に、「アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出された」とある。3節最後には「あなたはエジプトの国から出た日を」とある。イスラエル人としての最大の原点・起点とは、神様によってエジプトから導き出されたということにある。エジプトを出た民であるという点に、彼らの何よりもの固有性があったのである。
イスラエル人が神様によってエジプトを出たということは、他の民族と比べて、どのような違いがあったかを改めて思い巡らしたい。それはどういう固有性をイスラエル人に与えることになったのか。何万年というような時間を溯れば、パレスチナ先住民も私たち日本人も、それまで住んでいた場所を出てパレスチナや日本に住み着いた民族なのだと言えよう。しかし、パレスチナ先住民や日本人というのは、自分たちの原点・起点を、どこかを『出た』民、神という存在によって『導き出された』民族というところには置いていないのだろうと思う。むしろその反対に、例えば日本人の固有性や特徴は何かと尋ねられれば、保守的な立場の人々ほど、はるか太古から、自分たちはこの国に住んでいたと誇りを持って答えるのではなかろうか。この国は、そのような私たち民族のものなのだと、そこに日本人の固有性というものがあるのだと自慢し、祝うと言ってもよいのではなかろうか。
しかし、過越の祭で祝われたのは、決定的に違っていた。彼らは、そもそもエジプトを出た民であった。彼らの自らの力だけではエジプトを出ることができない奴隷だった。だから、神様の力によって出ることができた。だからそれを、三大祝祭日の最初に祝っていたのである。その後に続く七週の祭や仮庵の祭は、要は収穫のお祭りだから、何を祝うのかと言えば、エジプトを脱出して、荒れ野を40年間も彷徨って、やっとパレスチナの地にたどりついて、この地においては新参者だったのに、この地に住み着くことができて、エジプトや荒れ野の生活では考えられもしなかったところの、田畑を持って収穫することができるような民になったことを喜んだ祭だったのである。しかし、三大祝祭日の根源には、まず何よりも神様によってエジプトを脱出させていただいたということがあった。『出た』というところに起点・原点が置かれていた。パレスチナに土地を『得て』『住んで』『収穫できた』ということには置かれていなかった。ましてや、先住民を追い払って、この地を我が物としたとか、神様がそうさせて下さったとか、そういうことを言って、それを祝い・喜んだ祭ではなかったのである。
出エジプトを自分たち民族の原点・起点として常に思い起こし祝うというのは何か。それは、自分たち民族の弱さや恥ずかしい姿と、それを助け導いて下さった神様の恵みを忘れないということなのであった。申命記7章6節以下には、神様がイスラエル人を自身の宝物とされたのは、彼らが他のどの民よりも貧弱だったからだとあった。他の民族が、自分たちの優秀性や先祖代々この地に住んできたことを誇り祝うのとは、決定的に違っていたのである。
3 もう1点、イスラエル人が出エジプトの出来事を自分たちの起点・原点として想起し続け、祝ってきたことの意義として示される点がある。それは神様が、イスラエル人をエジプトから導き出したという出来事を想起し続けることが、それを単に過去のこととしてではなく、もしかすれば、それ以後も同じようなことが起き得るのではないかということをイスラエル人に考えさせることとなったのではなかろうか。どんなにそこに住み続けたいと願っても、神様から、そこから出て行きなさいと命じられることがある。3節に「酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである」とある。想像できるのは、イスラエル人にとってエジプトを出ることは決して無条件に嬉しいことではなかったのではないかということが、多くのものを捨てて急いで苦しみつつしなければならなかったのではなかったかということが伝わってくる。
出エジプト記や民数記には、エジプトを脱出したイスラエル人が、荒れ野での辛い生活の中で、何度も何度も不平不満を漏らし、「エジプトにいた方がよかった」「肉ナべも食べ放題だった」とつぶやいたことが何度も書かれていた。創世記13章に、アブラハムが甥のロトと袂を分かつ場面があった。ロトの目にはヨルダン川低地一帯が「主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた」とあった(創世記13、10)。エジプトとは、そのような場所だった。奴隷ではあったけれども、主の園のように、よく潤い、飲み水にも食べる物にもこと欠かない場所だったのである。神様は、イスラエル人をそのような場所から導きだし、わざわざ荒れ野の40年へといざなった。彼らは、その40年を生き延びた。そしてパレスチナへと導き入れられた。過越の祭を祝うということは、そういう意味があったのである。だから、出エジプトを想起し続けることで、自分たちが再び神様によって、今住んでいる地から導き出させられることも有り得ると覚悟できたのである。そうした出来事を、辛いけれども受容する余地を作った。自分たちの思いに反しても、神様の力によって、自分たちが今住んでいる場所から導き出されることもあると思えた。今いる場所を失うことを受容できた。それこそが、イスラエル人を苛酷な状況の中でも生き延びさせた秘訣となったのではなかろうか。
とにかく、「出る」ということを受容できるかどうかではなかったか。これまで我がものとして住み慣れてきた環境を捨てて、手放して荒れ野へと入ってゆけるかである。それを神様という存在との関係の中で、良いこととして受け止め、進んでゆけるかなのであった。そうできる者だけが生き延びてゆけるのではなかろうか。
イエス様がなぜ、十字架にかけられるのを、わざわざ過越の祭の時を選んだのか。この福音書から、最後の晩餐の際に弟子たちの足を洗って下さったこと、そしてこの祭りの余韻がまださめやらぬ中で復活して下さったことを改めて教えられるのである。イエス様が十字架の死を受け入れられたということは、つまりイエス様が『エジプトを出た』ということではなかったか。酵母を入れない苦しみのパンを食べたのではなかろうか。イエス様のそのような姿を、自ら私たちに示すことによって、エジプトを出ることにこそ私たちに生き延びる道があることを、身をもって教えて下さろうとしたのではなかろうか。私たちは毎週毎週の礼拝で、イエス様の十字架と復活を思い起こすのだから、そのことにおいては、過越の祭を毎週守っていることになる。今、私たちクリスチャンは、仮庵の祭りは守ってはいない。しかし、1年の終わりであるクリスマスこそが、イエス様が私たちにもたらして下さった1年間の収穫を最も喜ぶときなのかもしれない。いろいろ辛いことがある生涯ではあるが、私たちには3つも祝い喜べる祭りが与えられている。私たちクリスチャンは、日曜ごとの礼拝で、毎週毎週喜び祝うことができる存在なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 5月20日(日)聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝
14:15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 14:16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 14:18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 14:19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
1 キリスト教会にとってペンテコステ(聖霊降臨日)は、特別な礼拝の日である。クリスチャンでない人々には、ペンテコステという言葉は、おそらく聞き馴れない言葉であろう。ペンテコステという言葉はギリシャ語で、50番目という意味がある。過越の祭(イスラエルの人々にとっての正月にあたる祭日で、この祭の中でイエス様は十字架につけられた)から数えて7週目に『七週の祭』あるいは『五旬祭』という祭を行なっていた。小麦の収穫を祝う祭だったようである。過越の祭から数えて7週目なので、ほぼ50日目にあたる。五旬といえば50日を意味している。そこでこの祭はペンテコステと呼ばれていたのである。イエス様の弟子たちも、このペンテコステの祭りのさ中、エルサレムにいたのであろいう。使徒言行録2章のはじめに書かれているような不思議な現象を伴って、聖霊が弟子たちに注がれたという。それを機に、彼らは恐れることなく大胆に、イエス様が救い主であると人々に宣べ伝えるようになってゆき、次々と教会が誕生していったのである。そこで代々の教会は、この日をペンテコステと呼んで、特別な礼拝の日として守るようになった。
ただ、過越の祭から数えて50日目に聖霊が注がれたということは、ルカによる福音書も書かれており、同様に使従言行録にもそのように書いたルカの捉え方なのである。彼によれば、復活したイエス様は、40日間にわたって弟子たちに度々現れ(使徒言行録1章3節)、一緒に食事をしたり、様々なことを教えたりしていたとのことである。そして40日が過ぎると天に昇り、それから10日目に、聖霊を注いで下さったと書かれている。けれども、このヨハネによる福音書を書いたヨハネの理解は、そうではなかった。20章22節に「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」とあるように、復活したイエス様は、すぐに聖霊を与えて下さったというのがヨハネの理解であった。このように聖霊がいつ、どのような形で与えられたかについての理解は様々である。しかし復活したイエス様が弟子たちにとって、なくてはならない存在として聖霊を下さったということは一致している。注がれた聖霊が、その後の弟子たちの歩みにおいて、なくてはならない神様そのものとしての働きをしたので、神様とイエス様と並んで、この聖霊をも、神様として信じる『三位一体の信仰』というものが成立していったのである。このペンテコステ礼拝を通し、聖霊なる存在が、いかに私たちにとってなくてはならないものであるかを覚えてゆきたい。
2 これはイエス様が最後の晩餐の席で弟子たちへの遺言として語った長い言葉の一部が記されたところである。イエス様は、聖霊を『別の弁護者』と呼んでいたことがわかる。『別の』という言葉については、「聖霊がまず弁護者だ」とのイエス様の言葉なのであった。これは原文のギリシャ語では、「パラクレイトス」という。直訳をすれば、誰かを側に呼び寄せて、あるいは、ある人の側に寄り添って(パラ)語る(クレオー)という意味になる。聖書の注解書を記したバークレーは、このパラクレイトスを、次のような存在として説明している。「パラクレイトスは、法廷で誰かのために証言するために招き入れられた人である。重い刑罰が予想される場合、その人の言い分を弁護するために招き入れられた弁護人である。・・・彼は、たとえば軍隊が意気消沈し落胆しているときに、彼らの胸に新しい勇気を沸き立たせるために招き入れられた人である。パラクレイトスは常に、困難や苦悩や疑惑あるいは当惑のもとにある人々を助けるために招き入れられる者である」と。イエス様は、弟子たちにとって、また私たちにとって、このようなパラクレイトスが不可欠だと考え、そういうものとしての聖霊を、父なる神様に願って遺わそうと遺言して下さったのだった。
ではなぜ弟子たちにとって、そのような存在が不可欠だったのであろうか。それは、それまでの弟子たちにとっての弁護者がいなくなってしまうということからであった。今までの弁護者がいなくなってしまうので、わざわざ『別の』弁護者を遣わすとイエス様は語ったとある(16節)。
それでは今までの弁護者とは誰か。それは言うまでもなくイエス様のことである。しかし生身の体をもった弁護者であったイエス様は、これから十字架の上で殺されてしまう。そのイエス様は、復活し、ルカの記述では、40日にわたって弟子たちにたびたび現れてくださった。しかし、その復活されたイエス様も、いずれは天に昇ってしまうのである。弟子たちの側にいて、いろいろなことを教え、励まして下さっていたパラクレイトスが、いなくなってしまうのであった。それで、彼らには別の弁護者が不可欠となったのであった。その弁護者が、16節にあるように「永遠にあなたがたと一結に」いてくださるというのである。
どうして復活したイエス様が、いつまでも私たちのパラクレイトスであって下さらないのだろうか。いっも疑問を抱くことである。イエス様が生身の体では、永遠に私たちのそばにいられないのはわかる。しかし復活したイエス様ならば、いつまででも不思議な形(福音書に書かれているような)で、私たちに現れて下さってもよかったのではないか。そうすれば、今頃全世界の人々は皆、イエス様を、神様の存在を信じていたのではなかろうか。しかし神様といえども、そうはできなかった。その理由は、私たちにはわからない。その私なりの理解は次のようになる。復活したイエス様が、あのように何度も弟子たちに姿を示し、一結に食事をしたり直接いろいろなことを教えたりしたのは、特別なことだったのではなかろうか。それは、弟子たちにイエス様という存在が決して十字架で殺されて終わりとなるのではなく、その後の存在もあるということを神様が示す必要性があったからだと思うのである。しかし、それも、ある期間以上は無理だったのではなかろうか。復活した特別の体をもってパラクレイトスであり続けることはできなかったのであろう。だから、復活したイエス様とは『別の』弁護者を遺す必要があったという理解である。別の弁護者は、聖なる霊である存在であるがゆえに、もはや時間の制約など関係なく、永違にパラクレイトスとして私たちの側にあって下さるようになったということである。
3 それでは、この存在がパラクレイトスであるのは、一体そのどのような働きにおいてなのか。それを、端的に17節で「この方は真理の霊である」と教えているのだと思う。パラクレイトスなる存在が「真理の霊」として、つまり真理を弟子たちに教えて下さる霊であるということは、そもそも弁護者であったイエス様、また復活されたイエス様が弟子たちに真理を教えて下さったということだと思うのである。弟子たちが真理を教えられたことが、何よりもの励ましや慰めになった。逆に言えば、嘘や偽りを教えられてしまうことによっては、落ち込んでしまう。真理を教える霊がいるのであれば、偽りを教える霊もいる。そういう存在に対抗して、復活したイエス様は、弟子たちに真理を教えて下さったのであろう。復活したイエス様が天に昇った以後、聖霊なる存在が真理を弟子たちや私たちに教えて、パラクレイトスとしての働きをなして下さっているのである。
復活したイエス様が、弟子たちに教えた真理は様々あったと思う。しかし、いつも思い起こすように、復活したイエス様の弟子たちへの最初の言葉が「安かれ」であったということから、まず教えられる点がある(20章19節以下)。弟子たちは、イエス様を見捨てて3度も否み裏切った。彼らは、もう絶対に自分たちは許されないと、立つ瀬がないと思っていたに違いない。そういうささやきこそが真理の霊ではない『偽りの霊』からのものではなかったか。ところが復活したイエス様は、カギをかけて閉じこもっていた弟子たちのところへ入って来て─それはなおも彼らを見捨てず彼らとのつながりを捨てないとの意志表示であった─「安かれ」と言ってくださった。ここに示されている真理とは、神様は過ちや罪を犯した者を赦して下さり、それをもって平安を与えて下さるとの真理である。イエス様が過ちを犯した弟子たちと神様との間に立っていて下さる。弟子たちには、イエス様が与えて下さったところのイエス様との切っても切れないつながりがある。神様は、そのような者を、決して見捨てることはない。これが復活したイエス様がまず教えて下さった真理だと思うのである。この真理をパラクレイトスなる聖霊は、永遠に私たちに教え続けるのである。イエス様を信じる信仰において私たちには、イエス様との切っても切れないつながりを与えられている。そのような私たちを神様は、決して見放すことはない。私たちがいかなる過ちを犯してもそうなのである。この世の真理がどれほど「おまえはもうだめだ」とささやいても、神様はそうは見ない。これがパラクレイトスなる聖霊が教えて下さる真理だと思うのである。
4 もうひとつ、復活したイエス様が弟子たちに教えて下さった真理が、ヨハネによる福音書の記事から示される。復活したイエス様を最初に見たとき、その姿は弟子たちには幽霊としか思えなかった。ところが、イエス様が十字架の上で負った傷跡を見て、弟子たちはイエス様だと分かり、喜びに満たされたとある(20章20節)。私はここに復活のイエス様が弟子たちに伝えて下さった真理があると、また改めて思う。
私たちの地上の生涯・肉体の命というものは、この『傷』によってピリオドを打たれる。病気や傷が私たちの地上の命を奪う。それで私たちの存在・命は終わりというのがこの世の真理が告げるところである。しかしそれは偽りなのである。復活したイエス様は、この偽りを打ち破って下さったのである。私たちの存在は死によって、また殺されて終わりにはならない。そうではなく、地上の命の終わりの向こうに、新たな命があり、そこにおいては私たちがこの地上の生涯で負った傷─私たちに死をもたらした傷─は、残された遣族たちに喜びをもたらすものへと変えられるのである。これもまた復活のイエス様が弟子たちに教えて下さった真理であり、パラクレイトスなる存在が永遠に私たちに教え続けて下さる真理なのである。
聖なる霊であり真理の霊であるパラクレイトスなる存在が、私たちに教え示して下さる真理に対して、そうではない偽りの霊というものが、私たちにささやき吹き込もうとする嘘がある。聖書の中には「諸霊」という言葉や「死霊」や「悪霊」という言葉書が書かれている。そのような霊の存在を否定できない。それらが私たちに吹き込む偽りの影響力はかなりのものである。18節には「わたしはあなたがたをみなしごにはしない」という言葉があり、19節には「わたしが生きるのであなたがたも生きる」とある。自らの裏切りや否定の中で最愛のイエス様を奪われてしまった弟子たちに、「お前たちのような者をもはや誰も必要とはせず、許してもおかない。お前達のような者を愛し養育してくれる者などもはや誰もいない」とささやくこの世の霊があり、弟子たちは自分たちを本当にみなしごのように思ったことであろう。それだけではなかった。偽りの霊たちは、殺されたイエス様をあたかも亡霊や幽霊のような存在に変え、「どれほどお前達を憎んでいるか、うらめしやと思っているか」と吹き込んだだった。復活して生きておられるイエス様を死んでしまった存在に変えて、それによって弟子たちを生きてはいるけれど死んでいるに等しい存在に変えてしまった偽りの霊がいたのである。
以前に、東日本大震災で、最愛の家族を失った遣族たちに、その後に起きた様々な霊的出来ことを扱った本のことを紹介した。死んでしまった人間をいつまでも津波の冷たさた暗さに閉じ込めてしまう悪しき霊がいるのである。遣族が聞くのは、津波に呑み込まれた家族たちの、辛いうめき声ばかり。そのため遺族は、生きてはいるが死んだような状態に追い込まれていった。ここにこそ不可欠なのは、真理の霊、聖なる霊としてのパラクレイトスなのである。まず、死んだ者たちには「お前達は生きているのだ。死んで終わりではないのだ。イエス様に出会って進むべき道へと向かえるのだ」との真理を語り聞かせるパラクレイトスが不可欠なのである。また、遣族たちには「あなたがたの最愛の死者は生きているのだ」と教えてくれるパラクレイトスが不可欠なのである。
聖霊なる存在の不可欠さを、少しでも伝えられたなら幸いである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 5月13日(日)復活節第7主日礼拝
03:18だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。 03:19この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、 03:20また、/「主は知っておられる、/知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。 03:21ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 03:22パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、 03:23あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
1 20節までに、「この世の知恵」や「愚か」といった言葉が繰り返し出てきている。この手紙の著者パウロは、どういう文脈で、またどういう思考の流れにおいて、このようなことをここで語ったのだろうか。
聖書をここまで読んできた私たちは、「この世の知恵」や「愚かさ」といった言葉は、1章の後半から2章にかけての主題であったことを思い起こすことができる。愚かさということで、何よりもその中心にあったのは、当時の多くの人々にとって、十字架の上で処刑されて殺されたイエス様が、救い主・キリストであるということの愚かさだった。しかし神様は、多くの人々にとっての愚かなこのことを、福音、すなわち喜びの知らせとして告げ知らせたのだった。そしてこの知らせを福音として信じた人を救おうとされたのだった。それがとても不思議な神様の知恵であり賢さなのだとパウロは言いたかったのである。1章21節に「それは神の知恵にかなっています。神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうとお考えになった」とある。
このような神様に従って、パウロはコリントの人々に、専ら十字架の上で殺されたイエス様がキリストであると宣べ伝えたのだった。不思議にも、コリントの人々は、これを信じてくれたのだった。そして、そこからコリント教会が誕生したのだった。そういったことをパウロは、3章10節以下でも語っていた。特に11節、そこでパウロは、イエス・キリストという土台以外に教会の土台を据えることはできないと語っていた。イエス・キリストを土台にするとは、多くの人々にとっては愚かでしかないことだったはずである。しかし、この福音は、それを信じた者によって教会がたてられていったということを指していた。それを信じた人が、たとえほんのわずかであったとしても、そこに堅固な教会がたてられていったのだった。マタイによる福音書の18章20節の「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とのイエス様の言葉を併せて示した。たった二人、または三人でも、イエス様の名前によって集まるということの核心には、他でもない十字架につけられたイエス様が救い主であるとの信仰があった。その信仰によって集まった者が、たった二人、また三人でもいたならば、そこに教会が建った。そのような小さな集まりなど、あっと言う間に消えてしまうだろうと、この世の知恵は見たであろう。しかし、このような集まりを堅固な教会としてたてたもうたのが、神様の不思議な知恵であり賢さだったのである。
2 パウロは、このような流れから、この文章を書くに至つたのではないかと想像する。ここまでのことを書いてきて、パウロには、ふと、これまで自分が語ってきたことに反論するであろうコリント教会の人々のことが頭に浮かんできたのではなかったかと思う。その証拠に、4章以降には、とても激しいタッチで、パウロを悪し様に言っていた人々のことが言及されている。18節では「あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら」と穩やかな表現に留まっていた。しかし、コリント教会の中で「自分は知恵ある者だ」と誇っていた人々のことをパウロは思い越していたのだった。
彼らが誇っていた「この世の知恵」とは、具体的にどのようなものだったのか。ここでは何も語られてはいない。しかし、3章で語られてきた主題であったところの、教会がどのようにたてられてきたかというテーマから、それは推し量ることができるのではなかろうか。「自分はこの世で知恵がある」と誇っていた人々は、どのように教会を建ててゆこうとしていたのだろうか。3章6節・7節に「成長させてくださったのは神です」とある。改めてここでパウロがなぜ「成長」ということを語り「成長させて下さったのは神だ」と2度にわたって語らざるを得なかったかを思わせらた。それは、パウロが思い浮かべていたコリント教会の中に、教会の「成長」ということを強く語っていた人がいたからではなかったかと思う。そして彼らが、自分たちこそが、この世の知恵によってこの教会を成長させてきたし、これからも成長させてゆくと主張したことが背景にあったのではなかろうか。
いつの時代社会でも、この世の知恵が考える「成長」とは数的・量的な成長である。そして、コリント教会の数的・量的成長というものを、この世の知恵から考えたならば、その最大の邪魔となったのは、当時の多くの人々にとって愚かであり躓きであった十字架だった。十字架の上で殺されたイエス様が救い主だという「宣教の愚かさ」なのであった。だから、コリント教会の中の一部の人々は、このことを語るのを避けたのではなかったかと思うのである。十字架上で殺されてしまった救い主・キリストではなく、たとえば多くの奇跡をして下さったイエス様や、殺されたけれども復活したイエス様を宣べ伝えたかったのではなかろうか。イエス様を救い主として信じたなら奇跡を体験できる、信じたならばスーパーマンにもなれるというようなことを語って人々を引き付けたのではなかろうか。もしかしたら、そのような宣教によってならば、コリント教会はパウロが伝道していた頃よりもずっと大きく成長したかもしれない。数的・量的にコリント教会を大きく成長させた伝道者たちと比べられて、パウロは散々な言われようであったことが容易に想像できる。それが4章から語られてゆく点である。
私たちの教会も、このような「この世の知恵」によって大きく左右されないとも限らないのである。今私たちの日本基督教団では、信従が毎年500人ずつ減少していると言われている。このような現状の中で、数的・量的な成長を求めるこの世の知恵が教会に入り込んでこないわけがない。私たちの教会は40周年を迎えた。執事会では、次の50年への歩みを話し合った。その執事会での協議の中で、この筑波学園教会の中にも、数的・量的な成長を強く求める声があったのではないかという反省があった。しかし、そのような私たちに、聖書の御言葉は、いつでも神様の知恵はどこにあるかを教えて下さる。「本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」と18節の最後に語られている。19節最初には「この世の知恵は、神の前では愚かなものだ」とも書かれている。神様の賢さにおいて、私たちはこの世の知恵においては愚かにならなければならない。また、そうなってもよいのである。たとえどんなに、その福音・宣教が多くの人々にとっては愚かであっても、それを信じて集まる人が、たった二人、または三人しかいなくなっても、私たちは十字架につけられたイエス様が救い主だと宣べ伝えればよいのである。十字架のイエス様における神様の弱さ・辛さこそが、私たちを救う神の力なのである。それを信じる人が二人か三人いれば、教会は消えることなく立ってゆくのである。
3 教会に関しての「この世の知恵」や「愚か」ということだけでなく、私たちの人生一般における「この世の知恵」や「愚かさ」ということについても考えさせられる。何が私たちを成長させ、また何が私たちの人生をしっかりとたてるかという点についても、あてはまることではなかろうか。
いつの時代でも、この世の知恵は数的・量的な成長を求める。申命記にもあったように、3000年以上昔のイスラエル人は、数と力では、はるかに勝る民のパレスチナ先住民の中に入ってゆかざるを得なかった。それゆえに神様は、モーセを通して、どうすればそうした人々の中で生き残ってゆけるかを教え下さった。では、その神様からのアドバイスは何であったか。それは、パレスチナ先住民と同じように数と力で勝とうとせよということではなかったのである。この世の知恵によって生き残れということではなかったのである。では何によってか。ひと言で言えば、この世的には愚かな生き方によってだったのである。それは、申命記14章後半から15章の御言葉から言えば、収穫の1/10を取り分けて、それを礼拝に持ってゆき、皆で分け合つて食べなさいというアドバイスでだった。また7年目ごとに負債を免除してあげなさいということであった。そのようなことは、数と力で勝つというこの世の知恵からすれば、本当に愚かなことに思えるであろう。ばかげたことに見えよう。損することと思えよう。しかしそれが、あなたがたを生き延びさせる秘訣だと神様は教えたのだった。それを実行して、ユダヤ人たちは生き延びてきたのだった。私たちが右に行くか左に行くか迷ったときには、この世的に愚かだと思われる方向に進んでゆけばよいということなのである。
秋の収穫期とは、私たちの人生に置き換えれば、それは晩年にあたる。その収穫をすべて自分や近しい家族のためだけに用いるのではなく、この世の知意からすれば愚かと言われることにも用いてゆきたい。その分量はちょうどいいあんばいにも1/10と示される。神様は、すべてを自分や家族のために使うなとは言っていない。その1/10で良いのである。私は、諾川伝道所の代務者をさせていただいたのも、また思いもかけず教区の責任を背負わせていただいているのも、人生の秋の収穫期にある私の賜物を自分やその家族、自分の教会のためだけに使うなという御心だと受け止めている。父親がそうした生き方をしたということは、必ずや子供たちにも貴重な遺産として受け継がれてゆくはずだと考えるのである。その遺産は、何かの時に子孫を必ず守り、数と力に勝つことをよしとする社会の中で彼らを生き延びさせてゆくものとなると信じる。
4 21節からは、一体どう理解したらよいのか。なかなか難しい箇所だと感じている。
「だれも誇つてはなりません」というのは、これまでの流れから意味がわかる。しかし、どうしてその後に「すべてはあなたがたのものです」という文章が書かれていったのであろうか。注解書によれば、「すべてはあながたのものです」という言葉は、自分を誇っていたコリント教会の中の一部の人たちが口にしていたスローガンのようなものではないかとのことである。なるほどそうなのかもしれない。パウロの手紙には、よくそのような文字が出てくる。彼らは、「コリント教会をここまで大きく成長させたのは自分たちなのだ。すべては私たちの功績なのだ。この教会は創立者であるパウロのものなどではなく、わたしたちのものなのだ。」と誇っていたのかもしれない。
そうした言葉を受けて、「では、すべては自分たちのものだと自慢できるのだとしたら、世界や生や死や、今起きていることや将来起こることもすべてあなたがたのものだと言えますか」とパウロはいどみかかるように問いかけたのかもしれない。「私はそう言えるよ」とパウロは暗に言おうとしていたのかもしれない。それはどういう意味においてだったのか。どういう意味で、世界も生も死も一切のものがわたしのものと言えるのか。パウロは最後に「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」と語っている。すべてはキリストのものであり神様のものなのだとすれば、どんな出来事もすべて神様の御心が成就してゆくプロセスの中に組み込まれているということになる。そう理解することができれば、どんなことが私たちの上に起きてもそれは神様の御心が成就するプロセスにおいて起こることなのだと悟れるのである。そのように受け止めることができるということが、つきつめれば「すべてはわたしのもの」ということの意味ではなかろうか。文字通りの出来事の現れとしては、ほとんどのことは、自分の思い通りになどならない。老いることも病むことも死ぬことも、生老病死と呼ばれるすべての出来事は「わたしのもの」とは言えないのである。むしろその反対に私たちは老いることや病むことや死ということに支配されているといえる。しかし、そうしたこともすべては神様のもの・キリストのものなのである。そして、私たちもまた、その神様のもの・キリストのものとされているのなら、論理的にも「すべてはわたしのもの」と言い得るのではなかろうか。すべては自分のものなどと自慢するのではなく、すべては神様のものと信じることができることこそが大事なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 5月6日(日)復活節第6主日礼拝
05:19そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 05:20父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 05:21すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。 05:22また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 05:23すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 05:24はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 05:25はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 05:26父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 05:27また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 05:28驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、 05:29善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
1 ヨハネによる福音書にはひとつ特徴がある。それはある具体的な出来事の後に、イエス様がえんえんと教えを語る場面が出てくるという点である。19節から章の最後までは、その特徴的場面の最初のものである。いつも感じることだが、ヨハネによる福音書を読み解く難しさは、この特徴にある。このような長い教えの核には、勿論イエス様自身の言葉があるのだとは思う。しかし長い教えそのものは、おそらくはイエス様自身が語ったのではなく、この福音書を書いたヨハネが、ある切実な思いから書いたのではないかと想像できる。その切実な思いをヨハネに抱かせたものは何だったのか。この福音書が書かれた紀元100年頃、エフェソを中心とする小アジアにいたクリスチャンたちを取り巻く厳しい状況が、それではなかったかと思う。その厳しい状況というものを物語るのが、18節の文章ではないかと思うのである。「このために、ユダヤ人たちは・・・とされたからである」とある。
5章1節以下のエピソードが生じさせた波紋について語られている最後の部分である。38年間も病気で苦しんでいた人に、イエス様が「起き上がれ。床を取り上げて歩け」と言うと、そう言われた彼は、その言葉通り歩きだしたのだった。ところが、その日はちょうど安息日だった。安息日に床を担ぐことは、律法で許されていなかったのである。なぜ安息日に禁じられていることをするのかという批判に対して、イエス様は17節に記されているように答えた。そこでユダヤ人たちは、ますますイエス様を殺そうとねらうようになった。「イエス様が安息日を破るだけではなく、神様をご自分の父と呼んでご自分を神と等しい者とされたからである」とある。
おそらくこの状況が、西暦100年頃著者ヨハネやエフェソ周辺のクリスチャンたちを取り囲んでいたものではなかったかと想像できる。要は、クリスチャンたちがイエス様を神と等しい存在として信じていたこと、そして律法を守らないことへのユダヤ人からの憎しみ・敵対であった。ヨハネが、イエス様の言葉として語らせた長い教えの言葉は、そのような敵対心を持ったユダヤ人への弁明という意味があったのだと思う。また、敵対心に囲まれていたクリスチャンたちを、この弁明によって励まそうとした意図もあったのであろう。そのような切実な思いがあったので、これほど長いものにならざるを得なかったのであろう。今の私たちは、同じような状況にはないので、ヨハネの切実な思いを十分に理解することはできないかもしれない。しかし私たちの信仰にとっても何か資する点はあるように思う。
2 さて、そこでまず私たちが気づくことは、何度も何度も「父と子」という言葉が操り返されている点である。まずこの「父と子」という比喩─アナロジー─は、クリスチャンはイエス様を神様と等しい者としているということへのユダヤ人の攻撃に対する弁明なのである。ただ、これが果たして弁明として有効であったかと言うと、かえってユダヤ人の反感という火に油を注ぐようなものではなかったかと思うのである。確かに「父と子」と言えば、子は父と全く同じではないと言えるかも知れない。実際キリスト教信仰の歴史の中では、この「父と子」という比喩を根拠にして『イエス様は神様と等しい方ではない、従って神とは言えない』という主張を展開した人々もいた。
しかしこのアナロジーの最大の問題点は、あたかも神様が人間の子を生ませたかのような誤解を持たせてしまうことである。多神教の神々の神話には神が人と交わって人間との子を生ませたという話がよく出てくる。紀元100年頃の小アジアには、そういった話があちこちにころがっていたように思う。ユダヤ人たちは、このような話を、最も神様を冒続するものとして忌み嫌つたに違いない。それは今のイスラムの人々も同じかもしれない。イエス様を預言者とするのならよいが、神と等しいとか、ましてや神の子であると言うのは、最大の神への冒流なのである。私が訪ねたインドネシアでのこと、クリスチャンの多いマナドではクリスマス絵柄の買い物袋を持って歩いていても平気だけれど、ジャカルタでは少し気を付けた方がよいとアドバイスされた。イスラムの人々にとっては、クリスマスこそが神様を冒流する最大の行事のようだからである。
これらを承知の上で、あえてヨハネは父と子というアナロジーを用いた。彼がこの比喩を用いた決定的な根拠は、イエス様自身が自分と神様との関係を「父と子」なるものとして、しばしば語っていたことにあると思う。イエス様が弟子たちに教えた祈りの手本『主の祈り』は、イエス様の祈りに由来する。その最初は、神様を「アッバ(パパ・お父ちゃん」と親しく呼ぶ言葉から始まっていた。まずイエス様が自身と神様とを「父と子」だと言った事実があって、そこにこれまでの長いクリスチャンとしての歩みから得た様々な確信も加わって、ユダヤ人からの攻撃に、この「父と子」という比喩をもって応じようとしたのではないかと想像するのである。
19節から23節、また最後の30節にも、父と子の関係が様々に語られている。このようにいろいろな言葉を駆使して語らねばならなかったということは、ヨハネ自身にとっても「父と子」という比喩をもって神様とイエス様との間柄を説明することは相当に難しいことだったろうと感じるのである。彼が言わんとしていたのは、やはり「父と子」なのだから、全く同じではないということだったのである。しかし、別人格でありながらも─22節に「一切を子に任せておられる」とあるが─父はわが子に全権を委ねていたのだった。全権を委ねられた子は単なる使者や言葉を預かった預言者とは違う。子の語ることは、要は父の言葉そのものなのである。聞いた人はそう受け取ってよいのである。子のすることをそのまま父の行為とみなしてよいのである。
3 なぜ父なる神は、それほどまでしてイエス様を私たちのもとに送ったのであろうか。それは神様が、それほどまでして私たちに神様自身の思いや意図を伝えたいと願ったからに他ならないのである。それまでに様々な存在が、使者や預言者として神様の意図を伝えようとしてきた。しかしそれらは、神様の御心に完全に沿うものではなかったからなのであった。不本意だったのである。子を人として送ることではじめて、人として子が語る言葉、人としての子が与えるものこそが神からのものだと知ってほしかったのであった。5章1節以下のエピソードが語るのは、べテスダ「神の恵みの家」というすばらしい名前の付いた池のほとりに38年間もいながら、神の恵みに一度も浴したことのない人がいたということであった。38年という期間は、イスラエル人が十戒を与えられつつ荒れ野を彷徨った期間、ひと言で言えばイスラエル人の信仰生活の歩みそのものを示していた。それほどに長い時問を歩んできたにもかかわらず、彼は神様の恵みに浴したことがなかった。それはなぜか。神様からの全権委任を受けて神様自身の言葉・意図を、つまりはその恵みを人々に与えられた存在が、それまでいなかったからなのであった。神の子がいなかったからであった。
イエス様が神の子であるとの証拠はどこにもない。かえってユダヤ人からの反発を招く危険さえあった。しかし、もしイエス様が神の子として私たちのもとに遺わされてきたとすれば、そこにはどれほどすばらしいものがあるかとヨハネは批判するユダヤ人に間いかけていたのである。「あなたがたは、あたかも38年間べテスダ池のほとりに神の恵みを知らずして横たわっていた人と同じではありませんか」と間いかけたのだった。神の子であるイエス様によって、神様の恵みを受けてほしいと語りかけたのだった。
4 さて、父と子という比喩を用いて、ヨハネがユダヤ人に対して次に弁明をしようとしたのは、なぜ律法ではなくイエス様の言葉に従ったのかという点であった。イエス様が父から全権委任を受けた子だったからである。十戒を核にしてできた律法は、もともとは神様自身に由来するものであった。しかし、そこにはモーセや、その後の人々の意図が大きく加わっていた。神様自身の御心とは随分違ってしまっていたのだった。この福音書でヨハネが言わんとしたことを総括しているといってよいプロローグの最後、1章18節にヨハネは「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して与えられた」と記している。律法は、モーセ─モーセは神の子ではなかった─を通して与えられたがゆえに、残念ながら、そこからは恵みと真理は与えられなかったのである。与えられるのは何かと言うと、その象徴が38年間神の恵みの家のそばにいながら神の恵みをいただけなかった人の姿なのであった。癒されたその人が「お前は安息日にしてはいけないことをした」と非難された。神様の恵みを与えることができたのは、神の子であるイエス様だけなのであった。だから、律法の言葉に従うのではなくイエス様の言葉に従ったのだった。
24節に「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遺わしになった方を信じる者は、永違の命を得」とある。ここに「言葉」というものが出てきている。実は律法の根幹にあるのも「言葉」なのだった。律法は十戒と呼ばれるたった10の戒めから派生しました。出エジプト記20章に、神様がイスラエル人に十戒を授けたときの場面が書かれている。その1節には「神はこれらすべての言葉を告げられた」とある。十戒は何よりも「言葉」である点が強調されていた。なぜ十戒は言葉であり、言葉をもって書かれたかと言えば、それは人々がそれを読んで理解し応答できるものだったからなのである。応答して、その言葉に従って生きることで神様とつながり、神様の下さる命をいただける。神様の恵みをいただける。十戒という神の言葉の根源には、人を恵もうとする神様の熱い情愛があった。
しかし間題は、十戒を核とする律法が徐々に徐々に、そういうものではなくなってしまったことだった。パウロは「(石に書かれた)文字は人を殺す」とコリントの信徒への手紙(2)3章6節で語っている。結局、石の板に書かれた文字は、どうしてもいつのまにかその背後の神様の本当の思いを覆い隠してしまう。石の板に書かれた言葉は、人間が解釈せさるを得ない。人間の思いが入り込む。律法において私たちは、神様の恵みに出会うのではなく、その文字を解釈しそれを戒め─『ねばならぬ』もの─へ変えてしまおうとする人間の思いに出会ってしまう。そうであればこそ、神様は、石に書かれた言葉ではなく、神様自身の私たちへの本心が、イエス様を生ける言葉としてこの世に送る必然性があった。ヨハネはそれをこの福音書最初のところで、「言葉は肉となってわたしたちの間に宿られた」と語ったのだった。
御言葉の後半には、裁きとか死から命へと移るとか生きるとか、そのような表現が多く見られる。25節には「死んだ者が神の子の声を聞くときが来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる」とある。ここで「裁き」とか「死ぬ・生きる」というようなことが繰り返されているのは、おそらくは当時のユダヤ教世界の中で律法の下、多くの人が裁かれ、文字通り殺されたしまった人もいたかもしれないし、律法に従えないことで永遠の死のような世界へ突き落とされてしまった人がいたことが考えられていると思う。これが悲しいかな、もともとは神様のすばらしい恵み・私たちへの熱い情愛が込められていた十戒の末路だったのである。だから、人を殺す冷たい石の板に書かれた言葉ではなく、人となりたもう生ける神の言葉・神の恵みを一杯に満たした神の言葉を私たちが聞くことが不可欠だったのである。「この言葉を聞いて、それに応答して生きるならら、たとえ律法の行いなどできなくとも決して裁かれることはないのだ、死んだと断じられる者でさえ神の子の声を聞いて、神様とのつながりの中に招かれて再び生きられるのだ」とヨハネは語っているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 4月29日(日)復活節第5主日礼拝
14:22あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない。 14:23あなたの神、主の御前で、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の十分の一と、牛、羊の初子を食べ、常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない。 14:24あなたの神、主があなたを祝福されても、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が遠く離れ、その道のりが長いため、収穫物を携えて行くことができないならば、 14:25それを銀に換えて、しっかりと持ち、あなたの神、主の選ばれる場所に携え、 14:26銀で望みのもの、すなわち、牛、羊、ぶどう酒、濃い酒、その他何でも必要なものを買い、あなたの神、主の御前で家族と共に食べ、喜び祝いなさい。 14:27あなたの町の中に住むレビ人を見捨ててはならない。レビ人にはあなたのうちに嗣業の割り当てがないからである。 14:28三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、 14:29あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。 15:01七年目ごとに負債を免除しなさい。 15:02負債免除のしかたは次のとおりである。だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである。 15:03外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。 15:04あなたの神、主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなるが、 15:05そのために、あなたはあなたの神、主の御声に必ず聞き従い、今日あなたに命じるこの戒めをすべて忠実に守りなさい。 15:06あなたに告げたとおり、あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。多くの国民を支配するようになるが、支配されることはないであろう。 15:07あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、 15:08彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。 15:09「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。 15:10彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。
1 申命記とは、それが実際に書かれて今のような形に編纂された年代はともかくとして、次のような舞台設定になっていた。まさにパレスチナと呼ばれる地に入ってゆこうとしていたイスラエルの人々に、モーセは、どうすれば、その地でパレスチナに長い間住んでいた先住民に呑み込まれてしまうことなく生き延びてゆけるかを遺言として語ったという場面である。どうして「パレスチナ先住民に呑み込まれないように」ということをモーセが語られねばならなかったか。申命記7章1節には、その人々というのは「あなたに勝る数と力を持つ7つの民」だとある。かつてイスラエル人が、エジプトを脱出して2年目のはじめに、カデシュという場所からパレスチナの様子を探るために偵察隊を遺わした(民数記13章)。しかし、もたらされたのは、そこに住んでいた人々が、あたかも巨人のように大きく強く、その町々は堅固な城壁に囲まれているという報告だった。自分たちは、彼らと比べると、まるでイナゴの見えたとあった。そのよう人々が住んでいた場所に、イスラエル人は入っていって住まねばならなかったのである。だから、どのようにしたら彼らに呑み込まれず、滅ぼされず、生き延びてゆけるかは、切実な問題であった。
申命記のこのようなアドバイスは、まさにそのとき、パレスチナに入ってゆこうとしていたイスラエル人にとってのみ意義があったというものではない。時代を越えて、いつの時でも、イスラエルの人々にとっては切実な問題であり、なくてはならないアドバイスだったのである。今、私たちは、毎週水躍日の聖書研究祈祷会で、イザヤ書の御言葉を学んでいる。そこで触れられているのは、当時今のイラクあたりで大きな勢力を誇っていたアッシリアという大国に悩まされ続けていた状況である。このアッシリアによって紀元前722年から紀元前721年にかけて、かつてひとつの国だった北イスラエル王国は滅ぼされてしまった。そして紀元前586年には、このアッシリアを滅ぼしたバビロニアという大国によって、とうとうユダという国も滅亡させられ、イスラエル人はバビロンに捕虜として50年間抑留されることとなったのである。その後も、シリアやローマ帝国といった数と力においては決して勝つことができない勢力に悩まされ続けたのだった。そのようなイスラエル人であったから、この申命記の御言葉は、本当に役に立つアドバイス、なくてはならないアドバイスを与え続けてきた御言葉だったのである。このアドバイスに従って、「そうすれば、あなたの行うすべての手の業については、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう(14章の最後)」とある通りになって、ユダヤ人は今日まで生き延びてきたのである。
そして、この申命記のアドバイスが大いに役立つこととなったのは、決してイスラエル人にとってだけではなかった思う。今の日本の中にある私たちクリスチャンも、まさしく数と力においては決して勝つことができない状況に取り囲まれている。私たち日本基督教団の会員数は、毎年500名ずっ減っているという。このままでは教会は消減してしまうのではないかと私たちは恐れている。そのような私たちに、この御言葉は、どうすればこのような時代にあっても生き延びて行けるかを教えてくれるのである。そして、さらに教えてくれているのは、教会がどう生き延びてゆけるかということだけではない。今まさに私たち一人ひとりは、数と力では決して勝ち得ない勢力に直面して苦しんでいる。老いや病という圧倒的な力が、そして死の力が、私たちに襲いかかってくる。そのような勢力に対してさえも、私たちは対抗することができ、決して滅ぼされることはないとの励ましをも、この御言葉は与えて下さるのではなかろうか。
2 さて、神様はモーセを通してどのようなアドバイスを下さったのか。まず、毎年収穫の1/10を取り分けて、それを携えて、しかるべき礼拝所にゆき、皆でそれを出し合い分けって食べて、神様を礼拝しなさいということだった。もし、その礼拝所が遠ければば、収穫物の現物をお金に替えて礼拝所に行き、そこで一緒に食べるのに必要なものを買って喜び祝えとも書かれている。要は1年に一度、収穫物の1/10を携えて、しかるべき礼拝場所にゆき、収穫感謝の礼拝と愛餐会のようなものを行えということであろう。また3年に一度は、やはり収穫物の1/10を取り分けて、今度はそれを特に町の中に備蓄しておいて、田畑を持たないレビ人や貧しい人々である寄留者・孤児・寡婦が、いつでもそれを食べて満ち足りるようにしてやれとも書かれている。さらには、15章には、7年目ごとに負債を免除するということも命じている。以上の御言葉から、私は3つほどのポイントを示された。
まず示され、心を引かれたのは、ここで神様が与えて下さっているアドバイスが、実行するのがいとも容易だということではないけれども、しかしイスラエル人にとって、そして私たちにとって決して実行不可能なものではないという点である。たとえどんなにすばらしいアドバイスであっても、それが到底私たちに実行不可能なものであるならば、それは有名無実なアドバイスとなってしまう。1/10という割合、また7年目ごとという数字は、実に良いあんばいのものではなかろうか。
受洗準備会の最後に、私は必ず教会への献金についてアドバイスをしている。私たちは音から、その献金を献げることで、少し痛みを覚える金額だと教えられてきた。具体的には、「十一献金」と言われてきた。それは、捧げるのに全く痛みを覚えないような金額、いとも簡単にぱっぱっと献げることのできる金額ではなかった。しかし、それは全く不可能なものでもなかったのである。15章10節に「与えるとき、心に未練があってはならない」とある。このように勧められているということは、しばしば1/10の献金や7年目ごとの負債免除は未線が残るような、痛いなあ・辛いなあと思うような葛藤があることがほのめかされているのである。だからこそ、そこには心もあったのではなかろうか。
7年目毎の負債免除というのは、どうであろうか。人々の中には7年間、一度も借金を返さなかったという人もいたかもしれない。しかし大抵は、分割してでも、少しずつは返していたのではなかろうか。割合としては1/7、もしくは、やはり1/10位を免除してやるということになったのではなかろうか。全額免除はできないけれども、それ位ならば、してやれたのではなかろうか。神様はまず、できることをアドバイスとして与えて下さって、それをもって私たちが数と力では勝てない世界でも生き延びてゆけると約束して下さるのである。
3 第2のポイントとして示されたのは、次のようなことであった。1/10を取りわけ、また7年目毎に負債を免除するということは、その部分だけは自分の手の中から取り分けて、収穫物のすべてを自分の手中に収めないということだと思うのである。それは神様から土地なりお金をいただいたことへの感謝でもあり、古い言葉かもしれないが『小作料』のようなものに思える。神様が地主であり、その地主に対する小作料として1/10を払う。そのようにして1/10は、私たちの手から切り離されて、神様の御手に委ねられるのである。委ねられたものは、神様がレビ人や寄留者・孤児・寡婦を支え、満ち足らせるためのものとして用いられることになった。私たちの手から切り離されたゆえに、その1/10の部分に、神様のお働きというものが現れてゆくことになったのである。
7年目毎に負債を免除するとは、つきつめれば、お金の働きに対して神様の安息を与えるということを意味していると思うのである。「7年目毎」は、言うまでもなく神様が天地創造のお働きにおいて7日目に安息なさったことに由来する。お金がただ人間によって用いられるときには、たとえば、どんどん利息を生み出したり借金をしたりした人々が、そのために奴隷にされたりしてしまうことがある。資本主義の暴走ということが昨今は、よく言われている。放っておけば、お金というものは、どんどん暴走して、勝手に利息を生み、膨れ上がり、多くの人を借金の奴隷にしていまう。だから、そこに神様が干渉し、7年目毎にその働きにストップをかけるというのである。神様自身が、7日目には安息なさったように、お金の働きにも安息を与えるということなのである。こうしてお金の働きの中に神様の安息が入り込むと、借金に支配されていた人をそこから解放するということが起こる。
このように、1/10を取り分け、すべてを自分の手中に収めず用いず、神様の用途にお任せするからこそ、その1/10の部分に神様の働きが現れ、結果的にはそれが私たちを祝福してゆくことになるのである。それは、すべてを自分の手中に収め、自分のためだけに用いた人生に、はるかに勝って、私たちを祝福して下さることになる。たとえば500万円の年収のある二人がいるたして、片方の人は毎年50万ずつを取りわけ、もう一方の人はそういうことをせずにすべてを自分の手中に収めたとすると、10年たてばふたりの所持金には当然500万の差が生じる。10年で何と1年分の年収分だけ手元に残るお金に差が出る。どれだけのお金を持っているか、またそのお金の力で勝負するとすれば、言うまでもなくすべてを自分の手中に収めた人が勝つ。しかし、そこには、1/10を取り分け、それを神様に委ね、またお金の働きに神様の安息を介入させたゆえの富み、すなわち神様の不思議が働く余地というものが何もないのである。
15章8節には「彼に手を大きく開いて」とあり、11節にも「手を大きく開きなさい」とある。大きくと言っても、先ほどから示されたように、収入全部とか半分とか1/3ではないのです。わずか1/10でよいのである。それが実は大きい。すべてを自分の手中に握らない、収めないことが大きいのである。そのようにし手を大きく開いてゆくと、神様は14章の最後にあるように「あなたの行うすべての手の業について」祝福して下さるのである。それは、私たちの手から取り分けられて神様に委ねられた1/10の部分が、計り知れない大きな働きをなし、私たちに神様からの不思議な祝福をもたらして下さるからである。その大きな祝福が、私たちを生き延びさせる。数と力では決してかなわない勢力に対して、この神様の祝福において勝ってゆくのである。
4 最後のポイントは、私たちが収穫物の1/10を取り分けて、神様の用途に委ねるということが、単に献金のことだけではなく、人生そのもの、特に人生の収穫期である秋・晩年の人生の時を、ただ自分やその延長線上にある家族のためだけに用いずに教会や社会の中のハンディを背負っている人々のために捧げてゆくということを意味しているのではないかということである。そのようにすることにより、神様が思いもかけない大きな祝福を与えて下さる。その祝福が、私たちを様々な困難に対抗させ、生き延びさせて下さることになると思うのである。
先日、朝方に目が覚めてしまったので、ラジオをつけた。建築家の安藤忠雄さんのインタビューを聞くことができた。安藤忠雄さんは、大阪の千里にある教会を設計した建築家として有名である。彼はクリスチャンではなかったと思うが、その生き方には、大いに啓発された。安藤さんは2回、ガンになった。2回目の手術では、予後がかなりよくない膵臓と脾臓の全摘手術を受けた。今確か77歳と言っておられた。声に張りがあり、生き生きとしていた。その秘訣は何かというと、それは仕事なのだという。その多くは勿論、利潤を得るものであろうが、たとえば東日本大震災で被災された方々のためのチャリティ活動とか、古い家を取り壊さずにリフォームして貧しい子供たちが集まれるような場所にしようとか、そういう活動を熱心にやっておられるのだそうである。面白いと思ったのは、中国からよく仕事の依頼がくるのだそうである。彼の仕事を実際に見て依頼するのかと聞くと、「いやそんなことは関係ない、安藤は5つも内臓を取って2回もガンの手術をして、それでも生きている幸運な奴だから、そういう幸運な人間に仕事を頼むのだ」とのことである。会社の人事の人は、優秀な人と幸運な人のどちらを採用するかというと、幸運な人を採ると聞いたことがある。だから面接の時には、あなたが経験した幸運な体験を教えてくれと尋ねるのだそうである。とにかく安藤忠雄さんの幸運さとは、どこから来るかというと、おそらくその人生の秋の収穫の1/10を、自分のためには用いないというところから来ていると感じるのである。神様はそういう人に幸運を授けて下さる。私も、今まで与えられた収穫の1/10を、自分や家族の利とならないことに捧げてゆきたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 4月22日(日)復活節第4主日礼拝
03:10わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。 03:11イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。 03:12この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、 03:13おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。 03:14だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、 03:15燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。 03:16あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 03:17神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 4月15日(日)復活節第3主日礼拝
05:01その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。 05:02エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 05:03この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 05:04*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。 05:05さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 05:06イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 05:07病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 05:08イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 05:09すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
1 ヨハネによる福音書においてイエス様が行なった奇跡─不思議な働き─の3番目のできごとが記された箇所である。この福音書の中に、奇跡が何回記されているかを数えたことがあった。今回改めて数えてみたところ、─何を奇跡として数えるか判断に迷うものもあったが─ラザロを生き返らせた出来事までで、ちょうど7回あった。聖書において完全数とされる「7」という数字が出てきたことに、はっとさせられた。この7回の奇跡の最初のできごととしてヨハネが記したのが、カナの結婚式での出来事である。ヨハネはこの福音書を記してゆく上で、イエス様の奇跡を、いわば総まとめするようなものとして、カナの結婚式の奇跡を書いたのだと改めて思った。7つの奇跡が、すべてカナの出来事と重なり、響き合う部分があると言ってよいのではなかろうか。この箇所にも、そのようなものを感じる。
エルサレムの「べトザタ」という池のほとりで起きたエピソードである。「べトザタ」は、54年版の口語訳聖書では「べテスダ」と表記されていた。この呼び名は「オリーブの家」という意味にもとられるようである。私はずっと、ベース(家)・へセド(神様の慈しみ・恵み)が短くなった呼び方として「神の恵みの家」という意味に受け取ってきた。このエピソードのひとつのポイントは、この池が、このようにずっと呼ばれてきたという点にこそあると思う。人々は、この池に浸かることで、そこに一杯にたたえられた神様の恵みに浴することができると信じてきたのであった。
2 では、人々は、どのようにすればこの池を通して神様の恵みに浴することができると長い間信じてきたのか。4節の終わりに見慣れない印がついている。これは、この部分の聖書の言葉に違ったバージョンがあるということを示している。それは、このヨハネによる福音書の巻末(212ページ)に書かれている。今、私たちがこうして読んでいる聖書の、原本とよばれるものは、いまだに発見されていないのである。もともと、まとまった原本があったかどうかさえもわからない。とにかく、いろいろな人々が、自分の手元にあったものを書き写し、それが今日のようにまとまったものなのである。筆写している内に、写し間違いがおきたり、時には書き写す人の解釈や注解のようなものが挿入されたりすることもあったであろう。この巻末に書かれているのは、まさにそういう挿入であって、もともとのものには、かなりの確率でなかったものと考えられている部分である。しかし、これを読むと、この池を通して、人々が長い間、どのようにして神様の恵みに浴することができたかを考えてきたかがよくわかる。おそらく、この池は、いわゆる間欠泉のようなものであって、地中から水が噴き出してくる瞬間が、神様の使いが降りてきて水を動かす時だと信じられ、その瞬間に真っ先に水に入ることによって、神様の恵みに浴することができたということなのであろう。
人々はこのように信じ、38年間病気で苦しんできたというその人も、そのように信じてきたのだった。だから、イエス様から「良くなりたいか」と尋ねられたとき「主よ、・・・・降りてゆくのです」と訴えたのだった。しかし、ここにこそ核心があるのだと思う。「神様の恵みの家」と呼ばれたすばらしい池がそこにあった。しかし残念ながら、多くの人は神様の恵みに浴することができないでいたのだった。その代表が、38年間も病気で苦しんでいた人であった。せっかくそこに「神の恵みの家」があったのに、どうして多くの人が神の恵みに浴せずにいたのか。それが、先ほど示されたように、人々が長い間信じてきたことにこそあった。神様の恵みに浴するためには、この池の水に、昔から信じられてきたような形で入らなければならないと思ってきたからなのだった。水が動いたとき真っ先に入らねばらないと信じてきたからこそ、だれも手伝ってくれる人がいなかったとか、他の人に先を越されてしまったとか言わざるを得なかったのである。神様の惠みというものは、そのようにしてしか、いただけないものだったのだろうか。この池の水に、そのような形で入ることによってのみ、従って、だれかに手伝ってもらい、まただれかを押しのけて、いの一番に入らなければ浴することができないようなものなのかとヨハネは問いかけていたのだった。私たちは、神様からの恵みをいただくということを、何と狭く何と小さく何と限定されたものとして信じ込んでしまっていたことか。問題の核心は、私たちが往々にして神様の恵みをいただくということを勝手に限定し、枠をはめ、いただくためにはこうでなければならない、こうしなければならない、こうなることが神様の恵みをいただくことだと、本当に狭く小さく受け取ってしまうところにこそあると思うのである。実は、どこにだって「べテスダ」はある。神様の恵みに浴することのできる場所はどこにでもある。
3 創世記28章の出来事を思い起こした。ここには「べテル」という地名が登場する。これは「べテスダ」とほぼ同じ意味、また似たような言葉である。
「べテスダ」が「ベース(家)・へセド(神の慈しみ」であり、「べテル」は「ベース・エル(神)」である。この創世記28章16節でヤコブは、「主がこの場所におられるのにわたしは知らなかった」と言って、そこをベテル(神の家)と呼んだ。双子の兄から憎まれ、殺されそうになって家を出ざるを得なくなり、野宿する場所─普通で言えば決して神の家・神の恵みの家などとは到底呼べない石ころだらけの場所─が、ベテルだとわかったのだった。兄から殺されそうになったずる賢い彼に、神様は天からはしごをかけて恵みを与えた。こういうことが神様の恵みをいただく原点にあり、このヤコブからこそイスラエルという人々が生まれ出たにもかかわらず、イスラエル人はある特定の場所や条件や状態に神様の恵みに浴することを限定してしまったのだった。
音から、「38年」という数字は、とても象徴的で寓意的な数字として理解されてきたとバークレーが解説している。「38年というのは、ユダヤ人が約束の地に入るまで荒れ野をさまよっていた38年をあらわしている。もしくは人々がメシア(救い主)を待ち望んでいた世紀数をあらわしている」と。私なりに言えば、この数字はイスラエル人がエジプトを脱出して荒れ野をさまよう中、神様から十戒をはじめとした律法を与えられた年数を表していると感じる。そこには確かに神様の恵みがたたえられていた。しかし、そこからは、どのようにしても神様の恵みをいただけない人々がいたのだった。神様の恵みをいただくためには、ある特定の池の水に真っ先に入らねばならないのだという限定、律法の行いを満たさねばならないのだという限定が、私たちをしてこの御言葉の主人公のようにさせているのである。それを打破して、私たちを神様の恵みに浴させて下さろうとされたのが、イエス様の御業だったのではなかろうか。
4 38年間病気で苦しんできた人というのは、このような人間による限定によって神様の恵みに浴することのできなかった者の代表であった。だからイエス様は、まずこの人に目をとめて、彼に神様の恵みを与えようとしたのだった。イエス様は、どのようにして彼を神の恵みに浴させようとしたのか。池の水に飛び込ませることによってだったでのか。それとも水が動くときに真っ先に入れるように手助けをすることによってだったか。いや、全くそうではなかった。まずイエス様は「良くなりたいか」と尋ねた。次に「起き上がりなさい」と命じた。私はここに、カナの結婚式の奇跡と重なる部分を強く感じるのである。ぶどう酒がなくなったというのに、イエス様は、水を汲めと命じたのだった。なくなったぶどう酒とは何の関係もなさそうな水を汲めと言った。その水がぶどう酒に変わっていった。それと同じなのである。神様の恵みをいただくためには、水に真っ先に入らねばと、この人は求めていた。それこそが彼の求めていたぶどう酒だったのであろう。しかしイエス様は、それを与えなかった。一見すると全く役に立たない、無関係なものを与えたのだった。それがぶどう酒に変わっていったのである。
イエス様が、まず彼に「汲め」と命じたものは何だったか。神様の恵みに浴するために「為せ」と言ったことは何だったか。それが「良くなりたいか」との問いかけに込められていたと思うのである。イエス様はどうして、わざわざ尋ねたのか。それは、「よくなりたい・治りたい」という思いがあれば、もうそれで十分なのだという心なのである。その切なる思いを神様・イエス様に訴えれば十分なのである。それ以外、何ひとつ神様の恵みに浴する条件はないのである。池の水に、だれかを押しのけ、だれかに助けてもらって、いの一番に入らねばというような条件は、どこにもなかったのである。ただ、もう自分ではどうにもできず、神様の恵みにすがるしかないという思いのみがあればよいという心なのであった。そういう切なる願いなら、私たちは、だれでも「汲む」ことができるはずである。
カナの婚礼でも、役人の息子をいやす場面でも、そうだったのである。勿論、人々がイエス様にぶつけた願いには、的はずれなところがあった。「ぶどう酒がなくなりました」と言った母マリヤに対して、イエス様は「わたしとどんなかかわりがあるのですか」とこたえた。役人はイエス様に「一緒に来て癒して下さい」と願ったが、イエス様は「帰りなさい」と言ったのだった。だから、私たちの切なる願いには、的はずれなところが沢山あるのである。しかし、親であれば子供から願われることは嬉しいように、神様も、きっとそうなのだと思う。勿論、願い通りにかなえてくださるわけではない。しかし願われることは、頼りにされることは嬉しいことなのである。だからイエス様は、まず「良くなりたいか」と声をかけたのだった。「良くなりたい・治りたい・神様の恵みをいただきたいと38年間もそう願い続けてきたことは尊いのだ。そのことがきっとあなたを救ってくれるよ」と語りかけて下さったのだった。ある意味では、それが神様の恵みが一杯たたえられた池に飛び込むことだと言ってもよいのではなかろうか。
5 この語りかけに対して役人は、彼の側が勝手に限定してしまっているところの神様の恵みを受ける条件をくどくどと述べた。しかしイエス様は、もうそのような繰りごとになど耳をかさずに、ただ「起き上がりなさい」と命じたのだった。
彼の息子の病気がどういうものであったかはわからない。しかし、起き上がって歩くということはできなくとも、わずかでも体を動かすことは、できたのではなかったかと思う。イエス様が彼に命じたのは、「わずかでもあなたにあるものを用いてみよ」ということだったのではなかろうか。
「かめをぶどう酒で一杯にすることはできないかもしれない。起き上がって健康な人と同じように歩いたり走ったりすることはできないだろう。しかし、起きあがることはできるはずだ。その小さな力を用いてみよ。今あなたが汲むことのできる水を汲んでみよ。」とイエス様は言ったのである。もし、神様の恵みに浴する条件があるとすれば、それはまず「良くなりたい」との切なる願いを神様・イエス様に訴え、「ではあなたの中にある小さな力・賜物を精一杯用いてみよ」との命令に応えることなのである。
イエス様が奇跡をなさった物語を読むときに、いつも思うことだが、私たちには、聖書に書かれているのと同じことが起きるわけではないということである。この病人は、病気が願い通り癒された。しかし、私たちはそうではない。「良くなる」とはどういうことか。起き上がるとはどういうことか。それは、私たちの願い通りではないのかもしれない。しかし、神様・イエス様は、必ずや「良くなりたい」という私たちの切なる願いを聞き届けて下さる。肉体の足で起き上がることはできなくとも、心の足・信仰の足で、またイエス様の足が私たちの足となって下さって、私たちを起き上がらせて下さる。良くならないことは決してない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 4月8日(日)復活節第2主日礼拝
10:12イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、 10:13わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。 10:14見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。 10:15主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。 10:16心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。 10:17あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、 10:18孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。 10:19あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。 10:20あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。 10:21この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。 10:22あなたの先祖は七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを天の星のように数多くされた。 11:01あなたは、あなたの神、主を愛し、その命令、掟、法および戒めを常に守りなさい。
1 12節から13節には次のように書かれている。「イスラエルよ、今あなたの神、主があなたに求められていることは何か。・・・幸いを得ることではないか」と。神様がイスラエル人に求めたことは、また私たちに求めていることは、神様を主なる方として心を尽くして愛し従い、それによって幸いを得よということである。私たちが神様を心から愛し、仕え、幸いになること以外のことを、神様は求めてはおられない。これは聖書全体を通しても、特筆すべきすばらしい御言葉である。これと同じ言葉は旧約聖書・新約聖書のどこを探しても見当たらないのである。
神様を主なる方として心から愛し仕えて幸せを得よということは、言い方を変えれば、そのようにすれば幸せを得ることができるとの約束である。さらに別の言い方をするなら、もし幸いを得たいのならばそのようにしなさいという処方箋でもある。14節以下に書かれているのは、神様を主として心から愛し、仕えることの具体的な有り様と言ってよいと思う。これまた言い方を変えるならば、なぜ神様を主として愛し仕ることが私たちに幸せを得させて下さるかの理由が語られている箇所なのである。
わたし自身が、「あなたは幸いを得ているか」と問われたならば、「幸いにも私は幸せです」と答えることができる。では皆さんはいかがであろう。また皆さんのご家族はどうであろうか。もし幸いを得ていないというのなら、この御言葉に、謙遜して耳を傾けるべきである。健康に不安を覚えるときには、医者の診察を受け治療していただき、また処方箋をいただいて薬を飲む。そのように、幸いを得ることができていないのなら、今日の御言葉をもってその原因を知り、具体的な処方箋をいただくのである。そうすれば必ずや幸いを得ることができるのである。
2 幸いを得るためには、神様を主として心から愛し仕えればよいということであるが、一体なぜそのことが幸いを得させて下さるのであろうか。その理由が14節から具体的に明らかにされている。3つのポイントをあげたい。
第一の理由は、14節に書かれている。「見よ、天とその天と天も・・・主のものである」とある。神様を主なる方として愛し仕えることによって、天と地の中に置かれた私たちの身の上に起きるすべてのことが神様の御手の中で起きることであると信頼できるようになる。天と地の中で起きることのどれ一つとして、「神様のもの」でないことはないと信じることができれば、私たちは幸いを得ることができる。反対にこれを信頼できないのなら、私たちには幸いはないのである。だから、もし自分自身や家族に幸いがないという現実があるのならば、一体自分自身や家族にとって、主なる方とは誰か、だれが主人になっているかを改めて問うてみたらよいのである。
ところで、健康診断のテレビ番組、健康増進を図るテレビ番組は、私が最も嫌いなテレビ番組である。先日のNHKのそういった番組では、指先のほんのわずかな部分の毛細血管の血流の様子を診ることで全身の健康状態がわかるということであった。いつも申し上げるように、私はもう20年近くも健康診断なるものを受けてない。ああいった番組の根本にあるのは、指先のほんのわずかな毛細血管の血流さえも不断にチェツクして、健康を維持し、病気からおのれを守ろうとする思いである。そうすれば健康が維持でき、病気を防ぐことができるという思いである。自分の体は自分が守る、つまりは、自分の体は自分のものなのだとの思いである。自分が自分の体の主人公なのだとの思いである。
私がそういった番組を観て、なぜ不快になるかと言うと、勿論、自分が自分の体の主人公だという思いに何よりも反発するからである。実際にわずか指先の血流をさえ不断にチェツクするのをおこたりなくやって、それで、果たして病気になることから完全に守ることができるかと言うと、決してそうではないはずである。むしろ自分の体のことを四六時中心配してチェックをするということは、かえって思い煩いばかりを増やしてしまう。実際、その番組の最中には、もう何干通ものファックスやメールが殺到して、その番組によって余計に触発され、心配が増した人が沢山おられたようだった。そのようにして不断のチェツクを行ったら、病気になることを完全にブ口ツクできるならよい。思い煩いも可である。しかし、たとえ毎日毎日全身くまなく健康診断を受けたとしても、病気から完全に自分をブロックすることはできないと思う。イエス様が、山上の説教でおっしゃったように、「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって寿命をわずかでも延ばすことができようか」なのである。自分が自分の体の主人公になることは、結局のところ思い煩いしか生み出さない。なぜならば、私たちがどんなに自分が主人なのだと思い上がっても、神様が主であることを動かすことはできないからである。主である神様は、私たちの計らいを越えて、私たちに病気をお与えになることがある。私たちは、私たちの体に死が入りこんでくるのを妨ぐことはできない。神様が主であることに対抗して、自分が主であろうとすることは、決して私たちに幸いを得させることにはならないのである。
3 だから、今日の御言葉が告げている何よりも大切なことは、私たちに起きるどのような辛いことも、それは神様の御手の中にあることであり、それは究極的には主なる神様が私たちに幸いを得させるためにお与えになって下さるものだと信頼しなさいということなのである。そうすれば、必ず幸いを得られるとの処方箋なのである。
先週の聖書研究祈祷会で与えられたイザヤ書のすばらしい御言葉を紹介したい。それは11章1節以下の「エツサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上には主の霊が留まる」と始まる有名な御言葉をであった。主である神様は、私たちの願いに反して、私たちを切り倒すことがある。それによって私たちは、切り株となってしまうことがある。しかし、それは主から出た御業である。私たちを切り倒すためのものではなく、その反対に新しい芽を芽吹かせ、若枝を育み、それが神様からの聖霊をいただいて成長してゆくための御業なのである。大木のままであったなら、神様の霊という水や栄養分に敏感に反応してそれを吸収して成長するなどということは到底かなわないのかもしれない。大木を維持し、成長させるためには、もっとちがう水や栄養分─経済力や武力や政治力など─が必要なのである。しかし、切り株となったからこそ、神様からのわずかな水と栄養をいただいて、それを吸収し、新芽を芽吹かせることができるのである。若枝として成長できるのである。
私たち一人ひとりも、そうであり、教会もまたそうではないかと思う。教会の将来が心配だという声ばかりが声高に叫ばれている。しかしそれは、大木となった教会の維持ばかりを考えるからではなかろうか。大木となった教会が切り倒される時が、実は新芽が芽吹くときではないかと私は思う。ヒトラーの強制収容所に入れられた人々は、それでも監視の目をかいくぐって、自らの命の危険を冒してでも、木立の陰やバラックの陰で礼拝を守ったそうである。そういう状況下に置かれた時にこそ、教会という共同体は、何によって立つのかが、何によって芽吹くのかが明らかになる。私たち一人ひとりも、またそうなのである。切り倒された時にこそ、自分にとって、何が不可欠なのかがわかる。それまで見向きもしなかった神様からの聖なる場物を発見できるのである。それをいただいて芽吹くことができるであろう。芽吹いて、若枝となった者がもたらす世界は、驚くべき世界である。ライオンと小羊、熊と牛、幼子と毒蛇というような本来は決して共存などできない者同士が平和的に睦み合う世界がやってくるとある。私にはその意味は、私たち人間にとっては決して共存できない災いと幸、病と平安、死と生命といったものが共存できる世界を言うように感じる。神様によって切り倒されたことの向こうにある幸いな世界である。
4 第二のポイントは、15節と16節に書かれている。「主はあなたたちの先祖に・・・二度とかたくなになってはならない」とある。19節の後半には「あなたたちもエジプトで寄留者であった」とあり、22節には「あなたたちの先祖は70人でエジプトに下った」ともある。しかし、神様は寄留者であり、たった70人しかいなかったイスラエル人の先祖に心を引かれ、その子孫であった者たちも特別に目をかけていただいていた。幸いを得たいのなら、この神様の不思議な選びというものを忘れてはならないのである。心に包皮をまとって、これを拒絶してはならないのである。
7章7節には、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、・・・あなたたちが他のどの民よりも貧弱であった(から)」とあった。神様はなぜか、このような私たちを選んだのである。そこに私たちの幸いの源がある。すると逆に、私たちから幸いを奪うものも分かってくる。私たちの心に、頑なな包皮を被せるものがある。それは、この貧弱な者を、なぜかお選びになった神様が主になるのではなく、自分自身がまた誰かが主人となって私たちを選ぶということに目が行くことである。神様以外の者の選びは、すべからく強いもの・優秀なもの・健やかなものの選びではなかろうか。そういう選びにずっとさらされてきた私たちは、いつのまにか心に厚い包皮を被ってしまっている。この世の選びに応えるよう自分を強く、能力高く見せかけようとしてしまう。そのようにして被るのが心の包皮なのである。私たちの頑なさである。しかし神様は、「もうそんなものは捨てよ」と語りかけて下さる。「なぜなら神である私は、最も貧弱なものを選び、寄留者を選び、たった70人たちを選ぶからだ」と。こんな貧弱な私を、神様は選んで下さったのだと信じ、貧弱な者として、しかし謙遜に委ねられた働きを精一杯果たすところに幸いがある。貧弱な者だからこそ、なし得ることがあるゆえに、神様はわざわざそういう者を選んだのではなかろうか。
5 最後のポイントは19節はじめの「寄留者を愛しなさい」という御言葉から示される点である。もし私たちが幸いを得たいと思うなら、寄留者を愛せよというのである。もし私たちや家族が幸いでないのなら、寄留者を愛していないからなのである。では、寄留者を愛するとはどういうことなのであろうか。最も単純に、文字通り私たちが出会う寄留者─それは生活の基盤を持たない社会的な弱者と呼ばれる人々を意味する─に手を差し伸べることである。そのような働きをすることで、あなたの関心は自分自身からその人々へと向かうようになるであろう。それが私たちに幸いをもたらすのである。
しかしそれだけではないと私は感じる。テモテの信徒への手紙一の6章6節以降に「信心は、満ち足りることを知る者には大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです。」とある。寄留者を愛しなさいとは、自らの寄留者性というものを愛し受け入れるということではなかろうか。私たちは、裸でこの世に生まれ、死ぬときも裸で世を去る者である。それが寄留者であるということではなかろうか。神様が、私たちをそのような存在としてこの世に生まれさせられたのは、そのような者であろうとも十分に生きてゆけることを教えるためである。神様が主であるがゆえに、私たちは困窮することはなのである。だから、何も持たない寄留者であることにおいて満ち足りることができるのである。この世において何も持つ必要はないし、所有する必要も豊かである必要も強い必要もないのである。私たちの主人である神様は、何も持たない寄留者である私たちを十分に愛し、守り、支え、最後には幸いを得させて下さる。「常に裸であろうとしなさい、何も持たない者でありなさい、切り株でありなさい」そうすれば、食べ物と着る物を豊かに下さる神様を見いだすことができるのである。新しく芽吹かせて下さる神を見いだすことができるのである。幸いを得ることができるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 4月1日(日)イースター(聖霊降臨日)礼拝
15:12キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 15:13死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 15:14そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。 15:15更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 15:16死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 15:17そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。 15:18そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。 15:19この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。 15:20しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
1 本日はイースターであるが、しかし本日読んだ聖書箇所は、イースターの出来事そのものを記した箇所ではなかった。そこでごく簡単に福音書などに書かれているイースターの出来事をまとめてみたい。私達が用いているカレンダーの曜日で言うところの先週の金躍日の正午頃に、イエス様は十字架の上で殺されてしまった。当時、金曜日の日没から土曜日の日没までは、安息日と定められていたので、イエス様の遺体は大急ぎで十字架から降ろされ、用意されていた墓に収められた。安息日には、イエス様の遺体に何もすることができなかった。イエス様が逮捕され、裁判にかけられ、処刑されるまでの間に、ぺトロは「おまえもあの男の仲間だろう」と言われた。しかし彼は、これを何度も否定した。弟子のある者は故郷へと逃げ帰り、またある者は自分たちも同じ目に遇うのではないかと恐れて最後の晩餐を守った家にカギをかけて中に閉じこもっていた。安息日が終わり、私達の躍日で言うところの今日、すなわち日曜日の朝早くに、女性たちはイエス様の遣体に香油を塗るために墓へと出掛けた。すると、墓からイエス様の遺体がなくなっていたのである。女性たちが、誰かが盗んでしまったのかと悲嘆にくれていると、神の使いが現れた。使者は「あの方はもうここにはいない。復活されたのだ。そのことを仲間の弟子たちに知らせよ」と女性たちに告げた。その後、復活したイエス様は、様々な形で弟子たちに現れた。復活したイエス様の、弟子たちへの最初の言葉は、ヨハネによる福音書の20章によれば、「安かれ」だったとのことである。イエス様は、40日間にもわたって弟子たちと一緒に食事をしたり、いろいろなことを教えて下さったりした。そうしてイエス様は、天に昇ってゆかれたのだった。
イエス様の弟子たちは、イエス様を何度も否み、だれ一人としてイエス様と死を共にできなかった。弟子たちは、それどころか、自分たちも同じ目にあうのではないかと恐れて閉じこもっていたのであった。そのような弟子たちに、復活したイエス様が、最初にかけた言葉は、「うらめしや」ではなく「安かれ」だったのである。さらには、そのような弟子たちを、イエス様のことを人々に宣べ伝える者として再度選んだ。これがどれほどの喜びであったかは、想像に難くない。その喜びから、弟子たちは、毎週日躍日に礼拝を守るようになったのである。いつのまにか金躍日の日没から土曜日の日没にかけての安息日を守ることが中心ではなくなり、日躍日に復活したイエス様と出会った喜びを思い起こす礼拝が中心となっていったのである。復活したイエス様との出会いの喜びが2000年もの期間、私達に礼拝を続けさせる原動力となってきたのである。
2 こうして弟子たちや、弟子たちからイエス様の復活のことを聞いた人々が、それを宣べ伝えるようになって、コリントの人々も、イエス様の復活を信じたのであった。ところが12節を読むと、「キリストは・・・言っている」と書かれている。このコリント教会の事情については、様々な解釈がある。しかし私が最も納得がいったのは、次のような説明である。彼らは、イエス様の復活それ自体を否定していたのではなかった。そうではなく、イエス様の復活と結び付いて死者が復活するということに対して疑いを持つようになったのだった
イエス様の復活の出来事があったのは、おおよそ西暦30年より少し後のことだった。このコリントの手紙が書かれたのは西暦50年代の後半位だと思われる。その間の20年、幾人もの人々が、イエス様を信じ、イエス様とつながる洗礼を受けて、信者になっていったであろう。私達も洗礼を受けるときには、受洗準備会で、必ず学ぶローマの信徒への手紙の6章3節以下にある次のような御言葉を、おそらくは心に刻んだはずである。そこには「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが、皆その死にあずかるために洗礼を受けた」「わたしたちは、洗礼によってキリストと共に葬られ・・・それはキリストが・・・死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」とある。そうであるならば、洗礼を受けてイエス様と結ばれた者は、復活したイエス様と同様に復活させていただくはずではなかったか。しかし、この20年間というもの、ひとりとしてイエス様のように復活させていただいた者がなかったのである。残された者が、復活した者に会わせていただいたことがなかったのである。そこで、イエス様が復活したことを否定することはなくても、そのイエス様を信じて死んだ者がイエス様と同じように復活させていただくということのほうは、信じることができなくなったのだった。
残された者にとって、死んでいった者がどういう状態にあるかということは、本当に切実な事柄なのであった。先日、私は新聞の書評を見て、イギリスの高名なジャーナリストが書いた『津波の霊たち─3・11死と生の物語─』という本を読んだ。この本は、津波被害者の中でも、特に石巻の大川小学校で犠牲になった子供たちと、その親たちを描いたものだった。親たちは、発見された子供たちの目をどんなにぬぐってやっても血のような赤い液体が吹き出してくることや、泥が次から次へと吹き出してくるという遺体の有り様を忘れることができなかった。親にとって、子供たちは、いつまでもいつまでも、津波の犠牲となった存在、また小学校の責任者たちの不作為や過失の犠牲となった存在、また自分たちが早く迎えにいってやれなかったために犠牲となった存在、つきつめれば死という痛ましい出来事の犠牲になって、苦しんで死んでいった存在であり続けるのである。おそらくコリントの遺族たちも、同じ思いであったはずである。だから、イエス様と全く同じように、すぐに死の三日目に復活して40日間も弟子たちに現れてくれるようなことは望みはしないものの、イエス様と同じように、いつか復活させていただくのだとしたら、そのほんの兆しでもよいから見せてほしいと願ったのだった。死んでいった者たちが、もはや死の苦しみに支配されているのではなく、復活されたイエス様と同様の喜びや平安を抱いている者であることを見せて欲しかったのである。そして、その幾分なりを遣族である自分たちに分け与えてほしいと願っていたのである。不思議なことだが、先ほどの本には、死んでいった子供たちが夢やいろんな形で送ってくるメッセージが徐々に変化していったと書かれていた。相変わらず幽霊や亡霊といった形で、地上を彷徨っているとしかいいようのない存在に、多くの人々が遭遇したという。その一方で、ある子供たちは、死んだ後に『成長』しているとしかいいようのない変貌を遂げているというのである。幼い子供では決して言い得ないようなアドバイスを、生き残った親たちに送ってきたのだそうである。それによって親は、慰められていったのである。「ああ、あの子は死んではいないのだ。向こうの世界で何らかの形で生きていて成長してくれているのだ」と知って、親たちも元気で生きてゆけるように変わっていった。コリント教会の人々が求め願っていたのも、そういうことだと思うのである。しかしそれは与えられなかった。死んでいった人々が、死の中に閉じ込められているとしか思えなくなっていたのだった。
3 このようなコリントの人々の切実な思いや問いかけに、パウロが精一杯、牧会者として答えようとしていたのが、12節から15章の最後までの箇所だと、私はしみじみ思うのである。ここでパウロが操り返し語ったのは、「死者の復活がなければキリストも復活しなかったはずです(13節)」であった。また「死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです(16節)」という言葉であった。パウロの語りかけの重心は、死者は復活するのだというところに置かれていた。それを保証するのがキリストの復活だと語っていた。死者を復活させるためにこそイエス様の復活があったのだとさえパウロは言おうとしていたようである。死者の復活は、イエス様の復活によってもたらされるひとつの効果のようなものではない。死者は、イエス様の復活のおこぼれにあずかって復活するのではないのである。しかしそうではなく、イエス様の復活は、死者を復活させることにこそ何よりもの目的があるとパウロは言わんとしていたのである。
ではどうして、これまで何人もの人々がイエス様を信じて召されていったのに、イエス様のように復活させていただくことがなく、遣族に現れてはくれなかったのか。この疑間に精一杯答えようとしているのが20節以下のところではないかと思う。23節に「(キリストによってすべての人が生かされることになるとしても)ただ一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときにキリストに属している人たち」とある。35節以下では、蒔かれた種が発芽する比喩にたとえて、どんなふうに死者が復活するのかという疑問に答えようとしている。地中に蒔かれた種は、すぐに発芽して花が咲くわけではな。しかるべき時が必要だとパウロは言おうとしていたようである。
4 正直パウロの精一杯の答えを読んでも、なぜ死者がイエス様と同じように復活させていただけないのかという切実な疑問への十分な答えにはなっていないと思う。しかしそれは仕方のないことであろう。なぜイエス様だけが三日目に復活し、40日間も弟子たちに不思議な体をもって現れ接して下さったのか、なぜ私達には同じことが起きないのかは、神様しか知り得ないことなのである。私達には知り得ない事柄なのである。
ただ言えることは、「イエス様は、キリスト(救い主)であるのだから、特別なのだ」ということである。救い主としてイエス様は私達に、死んで私達は決して死に支配されたままなのではなく神様と復活されたイエス様に支配していただいて、いつか復活させていただく待望の日を待ち望み、その日まで地中に蒔かれた種のように「成長」する存在なのだと教えて下さらなくてはならないのである。その為には、イエス様が特例的な形で復活されることが不可欠であった。死んだ者が特別な体をいただいて復活し、イエス様のように弟子たちに40日にもわたって現れたということは、実はたやすいことではないと思うのである。それは神様の御業の中でも例外中の例外ではなかったのかと思うのである。しかし神様はそれを、ただ私達のためにして下さった。私達を死から解き放ち、死者は死人のままではいないということを遺族に知らせるために。
新聞で、奥野修司氏の『魂でもいいから、そばにいて─3・11以後の霊体験を聞く─』という本の書評を読み、私は心を揺さぶられた。奥野氏は、大宅壮一ノンフィクション賞を取ったことのある作家である。彼は決して「まゆつば物」の本を書くような人ではない。そのような彼が震災後に、その地でまことしやかに語られ、多くの人を揺り動かしてきた『霊体験』というものを書かずにはいられなくなったという。この書評を読んで、わたしが心を揺さぶられたのは、どういうことかと言うと、奥野氏か書いたことは、要は、死者は実は死んではいないということであった。死者は必死になって、死んでもなお生きることを願い、生きている者に死んだ自分の叫びを聞いてほしいと願い、先ほどから言われていることで言えば、なお『成長』したいと願っているのだというのである。パウロの比喩で言えば、発芽し花を咲かせ結実したいと願っている存在なのである。しかしその道を断たれ、またどうやってその道を見つけたらよいかわからない故に彷徨っているのである。そういう人々のためにこそ、イエス様の復活があったのだと直感的にわかったのである。イエス様が復活したのは、死者が決して死んではいないということを教え示して下さるためだったとわかったのである。
14節でパウロは「キリストが復活しなかったら・・・無駄です」と言い切っている。イエス様の復活がなかったら、死者の復活ということを私達ははっきりと胸を張って堂々と語ることはできなかった。だとしたら死者はいつまでも死んだままの者である。「わたしは生きているのだ。成長したい・芽を出したいと願っているのだ。その道筋を教えてほしい」との切なる死者の叫びは無視され、遺族たちにとって死者はいつまでも痛ましい死の犠牲者であり続ける。死者がそういう死者である限り、生き残った者も平安に生きてゆくことはできないのである。「わたしたちの宣教」とは何であろうか。私達がイエス様の十字架とその復活から与えられた福音とは、喜びの知らせとは何であろうか。それは、私達がたとえ死んでも死に支配されるのではなく、イエス様と神様の御手の中にあって生きているという福音なのである。この福音は、愛する人を失った人々にとっては、本当にかけがえのない支えとなるであろう。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 3月25日(日)受難節第6主日礼拝
13:01さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 13:02夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。 13:03イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 13:04食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 13:05それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 13:06シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 13:07イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 13:08ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 13:09そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」 13:10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 13:11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
1 今日は、代々の教会が、特別に「棕相の主日」と呼んできた礼拝の日である。なぜこのように呼ばれているか。それは、12章12節以下に次のように書かれていることから、そのように呼ばれている。「群衆はイエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って・・・ホサナと叫び続けた」とある。ホサナとは、詩編118編25節のへブル語から取られたもので「今、お救い下さい」という意味とのことである。なつめやしが棕櫚であり、そのことから、この日が「棕相の主日」と呼ばれるようになった。
今日からはじまる1週間を、特に『受難週』特に呼んでいる。私たちの曜日で言えば、今週の木曜日にイエス様が弟子たちと最後にされた食事、すなわち最後の晩餐が守られた。今日の聖書の場面は、その最後の晩餐の冒頭で、イエス様が弟子たちの足を洗ったことを記した箇所である。これゆえに、特に今週の木躍日は『洗足木曜日』と呼ばれているのである。この最後の晩餐が終わって、ゲッセマネの園での祈りが終わった後に、イエス様は捕らえられた。瞬く間ともいうべきスピードで裁判にかけられ、金曜日のお昼には十字架につけられて殺されてしまったのだった。そして、それから数えて三日目の朝─来週の日曜日の朝に相当─に、墓から復活なさったので、次週の礼拝は「イースターの礼拝」として守ることとなる。今日の礼拝では、イエス様が弟子たちの足を洗ったという出来事に、特に心を向けてゆきたいと思う。
2 まず、1節を読むと、この最後の晩餐が守られたのは過越祭の前のことであり、この時に「イエスは・・・愛し抜かれた」とある。この過越の祭がいつの頃からのことかは、はっきりとした年代は定かではないが、おおよそ紀元前の13世紀頃に、エジプトで奴隷だったイスラエル人が、モーセに率いられてエジプトを脱出した出来事を記念して始まった祭りである。そしてそれは、イスラエル人にとっての正月にあたる祭りである。こういう祭りを覚えてなされる大切な食事、また弟子たちとの最後の夕食の席で、イエス様は「この世から・・・この上なく愛し抜かれた」と言ったのだった。これは、きわめて単純に言えば、イエス様が自分の死を悟り、弟子たちをとても深く愛されたということである。
さて、この世を去ろうとする者が、世に残される者を愛するというとき、それはどういう形で表れるものであろうか。それは、世に残される者たちが、この世を生きてゆく上で必要なものを精一杯遣そうとするという形でではないかと思うのである。
先々週から先週初めにかけて私は大変な歩みをしていたように思う。18日は、山北先生が当教会の40周年記念礼拝の説教をして下さった。少しゆっくりできるかと思って、久しぶりに15日の木曜日に郡山の母を訪ねた。母は、私が泊まってゆくと思っていたようだった。前の晩は、これが息子と過ごす最後の夜かもしれないと思って、なかなか寝付かれなかったと言っていた。しかし私が実家に泊まるのは、いろいろな事情があって難しく、また翌日は茨城YMCAの幼保園の卒園式が予定されていたこともあり、どうしても泊まらずに帰ってこざるを得なかった。母は「私がおまえに遺せるものは精一杯遺すつもりだから」と言っていた。木曜日の6時すぎにつくばに帰ってきたところ、夜の10時に、高崎から訃報の電話があった。翌日金曜日、私は幼保園の卒園式が終わるとすぐに高崎に駆けつけた。日曜日(18日)は、礼拝後の講演会が終わってすぐ、また高崎に向かった。高崎で前夜式を行い、そのまま高崎に1泊して翌日葬儀をさせていただいた。召天された姉妹も、またこの世に残されたご夫君やお子さんたちのために、精一杯のものを遺そうとされたのではなかったか。そういったことが、イエス様が弟子たちを「この上なく愛し抜かれた」という言葉の意味するところだと思うのである。ここでとても大事だと示されるのは、「世にいる弟子たちを愛して」の「世にいる」という言葉だと思うのである。13章から17章の最後までは、ずっとイエス様の遣言のような言葉が記された場面である。そこには何度も何度も弟子たちが世にいることが言及されている。世を去って神様のもとへ行こうとされていたイエス様の最大の心配は、この世に残される弟子たちが、どうやってこの世を歩んでゆけるかであった。だから、彼らがこの世を安心して歩んでゆけるための『遺産』を遣そうとされたのである。それが彼らを愛し抜くことであった。その形が弟子たちの足を洗うということであった。その遣産をもらわなければ、弟子たちはこの世を歩んでゆくことができなかったのである。還産をもらわない者はイエス様の子供ではない。8節で「わたしの足など決して洗わないで下さい」と言ったペトロに、イエス様が「もし・・・何のかかわりもないことになる」と言った意味は、そういうことでもあった。
3 では、イエス様が世に残る弟子たちへの遺産として遺そうとされたものは何だったのか。それがどうして足を洗うという形で表れたのか。キーポイントは、1節と3節で繰り返されている言葉だと思う。1節には「この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り」とあり、3節前半には「父がすべてを・・・悟り」とある。2節には12弟子の一人であったユダの裏切りのことに触れられている。ユダの裏切りによって封切られ、人々の憎しみによって科せられようとした十字架の死が、「自分の時」として、また「父がすべてを自分の手に委ねられたこと」として起きることであり、あくまでも、父から来て父のもとへ帰る歩みの時だと悟っておられた。
ここには、どんな意味が込められていたのか。十字架の受難は、一方ではイエス様がユダの裏切りや人々の憎しみの犠牲とされることであった。しかしイエス様は、そのような時もまた「自分の時」であり、神様がすべてを自分に委ねておられる時だと悟られたというのである。「自分の時」とは、自分の手中に治めることのできる時という意味であろう。十字架の出来事は、客観的に見れば、どう見てもユダや人々のなすがままに犠牲とされた時にしか見えない。しかし、それだけではないとイエス様はわかっておられたのである。それは、ただユダの裏切りや人々の憎しみによって科せられた十字架の苦しみに引きずり込まれる時ではなかったのである。そうではなく、あくまで「自分の時」なのであった。自分の手の中に神様が与えて下さっているところの自分の人生の時なのであった。そこをどう生きるかは自分で決めることのできる時なのであった。そしてそれは、他でもない神様から来て神様に帰る歩みの時なのであった。十字架に捕まって死へと引きずり込まれて、それで終わりという歩みでは断じてなく、あくまで神様から来て神様のもとへ帰るところの、使命を果たし終えて凱旋する栄光の歩みなのであった。イエス様は、このような「悟り」というものを弟子たちに遺産として遺そうとされておられたのである。そのような歩みの力、あるいは足の力とでも言うようなものを、この世を歩まねばならない弟子たちに最も必要な遺産として遣そうとされたのであった。
4 この世にある私たちには、そのようなイエス様の足の力が必要だと思うのである。前出の姉妹のことになりるが、彼女は49歳のとき乳ガンの手術を受け、57歳のとき再発と転移が明らかになって、その後12年間にわたって辛い抗ガン剤による治療に耐えてこられた。けれども最後には、もう治療方法がなくなり、69歳で天に召されたのだった。今の女性の平均的な寿命からすれば20年近く短い。私たちは、イエス様のように、身近な者の裏切りや、十字架にはりっけにされるほどの憎しみを受けるということはないかもしれない。しかし、人生が自分の思い通りにならないという『人生からの裏切り』は、皆がどこかで味わい、病によって苦しめられ憎まれるというような境遇に必ず置かれるのである。それがこの世にあって、この世の材料である土の塵から成る私たちの歩みの根源的有り様なのである。私たちの足は、この世にからめとられるのである。裏切りと情しみと死の中へと足が引きずり込まれるのである。
そこには、悪魔のささやきが聞こえてくる。「そんなお前の人生には何の意義があるのか」と。「50歳になるかならないかでガンになり60歳になる前に再発し、20年にわたって常に死と向かい合わねばならなかった人生は、何と不幸であったか」と。「それは、病と死に翻弄された人生でしかなかったではないか」と。ユダに取り付いていた悪魔とは、そういうささやきをする存在なのであった。要は、悪魔とは、この世にある私たちの歩みを不幸なものとしてのみ悟らせようとする存在なのである。世にある私たちは、このような悪魔から守られねばならない。足がこの世にからめとられることから守られなばならない。そのためにイエス様が、遺産として遺して下さったのが、言わば自分の歩みの力・足の力であった。それが洗足という形で表れたのだった。
イエス様は弟子たちの足を洗うことを通して、つきつめれば、「あながたの足は私が守るのだ」と言って下さっておられたのである。「わたしの足があなたがたの足となるのだ」と約束されたのだった。「あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言ったペトロに対し、イエス様は「わたしのしていることは・・・分かるようになる」とこたえた。そのときのペトロにも、いつか自分の足ではもうこの世を歩けなくなるときがやってくるのであった。この福音書の21章18節以下には、復活されたイエス様が、彼の後の人生についてつぎのようなことを告げている場面がある。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて行きたいところへ行っていた。しかし年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れてゆかれる」と。「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われた」と著者ヨハネが、その後に解説している。帯うんぬんとは、私たちすべてにあてはまるものだとしみじみ思う。他の人、また力によって帯を締められ、行きたくないところへ連れてゆかれる境遇に置かれている人々が、どれほど多くおられるであろうか。しかし、「そのような歩みにおいてこそ、わたしがあなたの足になるから安心せよ」とイエス様は言っておられる。そしてそのような歩みにおいても私たちは神様の栄光を現すことができると約束して下さったのである。
9節「主よ、足だけではなく手も頭も」と言ったペトロに対するイエス様の答えは、写本の乱れのためか意味がよくわからないものとなっている感じがする。しかし、イエス様の答えの意味は、頭が何を考えようと手が何をしょうと、要は足が大事なのだ。足があなたがたをどんな歩みへと導くかが大事なのだ。その最も大事な足をイエス様が洗って下さったのだから、すべてが清いのだ。大丈夫なのだということではなかろうか。
5 このようにイエス様は、ユダの裏切りを端緒として始まっていった十字架の時を、弟子たちに遺産を遺す「自分の時」として歩んでいったのだった。その「自分の時」の表れが他でもない弟子たちの足を洗うということであった点に、改めて心を引かれる。他にこの時を「自分の時」とする有り様もあったのではなかろうか。ユダが求めていたものとは、まさにそれであったに違いない。イエス様を十字架へと追い込めば、ものすごい力を発揮して自分たちをローマの支配から救ってくれるかもしれないと期待したのかもしれない。それもまた悪魔のささやきなのであった。私たちにとっての「自分の時」とは常に何か大きなことを成し遂げるような時である。悪魔は、十字架という苦しみの時・受難の時をなくして、自分の思い通りの人生を生きることが「自分の時」だと考えさせるのである。しかしイエス様は、それは「自分の時」ではないと教えておられるのである。自分の時とは、苦しみの中にあっても愛する者の足を洗うことなのである。愛する者に大切なものを遣してゆくことなのである。イエス様は弟子たちの足を洗うことを通して、あなたがたもそのように生きることができると約束して下さったのである。
前述の姉妹は、この20年間、自宅で家庭集会をし続けてこられ、そこからは信者となり牧師の夫人として起こされた姉妹が弔辞を述べられた。お悔やみにこられた人々の中の何人もが、「あなたに導かれた。励まされた」と言って下さった。イエス様の足が彼女の足となって、イエス様が弟子たちの足を洗われたように、彼女も多くの人の足を洗い、周囲の人々の歩みを力づけてこられたのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 3月18日(日)創立40周年記念礼拝(受難節第5主日礼拝)
10:35ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 10:36イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 10:37二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 10:38イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 10:39彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 10:40しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 10:41ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 10:42そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 10:43しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 10:44いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 10:45人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
1 筑波学園教会創立40周年を祝し、主の祝福と導きがさらに豊かならんことを心から祈る次第です。筑波学園教会が誕生したのは、全く聖霊の導きによる出来事であります。勿論、稲垣守臣牧師を中心に聖ヶ丘教会に開拓伝道計画があり、多くの尽力がなされたのです。伝道地の選択から検討され、幾度となく候補地を訪れました。しかし最終的には、新聞折り込みの筑波の土地の売却広告を牧師が見たことから始まったのです。「そうだ。筑波へ行こう」と、委員会は一つの方向にまとまって歩みを進めました。全く聖霊の導きによるとしか表現できません。
しかし、トントン拍子とは行きませんでした。筑波の地は不動産業者が乱立し、客引きまで行っている賑やかさだったのです。広告のチラシを手に店に入り、案内され、その後、手付金を払うところまで辿りついたのですが、ある日突然、店ごと蒸発してしまったのです。地元の警察署長さえも土地の購入で騙されたという噂を、あとで聞きました。
そんな中、教会を騙すなどとんでもないと助力を申し出られた地主の光橋 賢(しばはし けん)氏と出会いました。そして、単価11万円×300坪の購入に及んだのです。これまた、人智を越えた導きによることでありました。「聖霊、つまり目には見えない神様の愛の御手によって、主の体なる教会が見える形に結晶して、筑波学園教会が形成されたのです。(ハリー・バートン・ルイスU.M.C. The United Methodist Church 関東教区Division)」
一体、教会は何のために建てられ、そこに連なる者は何のために存在しているのか。それはまさしく「仕えるため」と、先ほどの聖書の箇所に書かれておりました。教団の今日の聖書日課であります。
主イエスが十字架と復活を予告されたあと、その重い事実に応えて生きるとは、仕えることであります。仕えるために生きることこそが、神にあって生きる人生の目的となることを、教えているのです。
弟子たちがいぶかしく思うほどの緊張感を以って、主イエスが十字架と復活を宣言されたのに、その弟子たちの間にトラブルが発生しました。それはヤコブとヨハネが「栄光をお受けになるとき、一人をあなたの右に、一人を左に座るようにして下さい」と言いました。それを聞いた他の10人が、自分たちを出し抜いて何ということをと憤慨したのでした。ヤコブとヨハネという筆頭格の弟子が、こんなハシタナイことを願い出たと言うのでは示しがつかないと思ったのか、マタイ20章20節では、教育ママよろしく「母親が願い出た」となっています。母親ならあり得るとしたのでしょうか。
しかし、右大臣・左大臣ともあろう二人が、主のみ傍にいさせて下さいと願ったことは、ハシタナイこととは言えないとも思うのです。主イエスを愛するなら、いつまでも主の傍近くにいたいとの思いは、当然の求めでありましょう。
問題は、自己満足的に権力志向的に上に立とうとするのか否か、多くの人に広く遠く仕えるために上に立つのか否かということなのです。「あかりを机の上に置け。山の上にある町は隠れることがない」と主イエスが教えておられる如くであります(マタイ5章14節)。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者はすべての人の僕になりなさい」と主は言われました。神様が、どういう人を求めておられたのか、それを知ることができる言葉です。それは、「仕えていく人」ということであります。そして、そのことは、自分のために神様を求めるのではなく、神様のための自分になるという、厳しい人生の関所をくぐり抜けていく生き方と重なり合うのです。
2 「もっとお金や時間があったらやろう」、「もっと能力や体力があればやれるのだが」と人は言います。しかし、人生は「たら・れば」ではない、現に今与えられているもので何をするかということが問題なのであります。得たい、獲得したい、Getしたいということのみを口にしている限り、成長はないのです。まず与えること、自分にあるものを分かち合おうとすることです。「与えなさい。そうすれば与えられるであろう」と主が教えられたことは、真実であります。
聖ヶ丘教会が筑波学園教会を創立し、筑波学園教会が成長していく姿を見ることによって、聖ヶ丘教会自身も成長させられていったのです。聖ヶ丘教会が筑波学園教会設立を決議した1976年の現住陪餐会員は183名、礼拝出席者数は94名でした。そして、筑波学園教会が創立10周年を迎えた1988年には、聖ヶ丘の現住陪餐会員は308名(+125名)、礼拝出席者数は168名(+74名)となっていました。以後、筑波学園教会に刺激され、聖ヶ丘教会は成長していきました。現在では、40年前の約3倍の規模になっています。これも、また聖霊の導きに属することであろうと思います。
主イエスは宣言されました。「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。私たちは、<主は来ませり、主は来ませり>と賛美いたしますが、主は、ご自身が何のために来られたのかを、自己紹介されているのです。
主がおいでになられたのは「仕えるため、そして多くの人の身代金として自分の命を献げるため」、この世と私たちを愛するためであったのですが、愛するとは、愛する者のために死ぬことに極まるのです。
「自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者となられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」とフィリピの信徒への手紙27章以下にあるとおりです。その御子の姿、つまり自分の命を捧げ切った生涯を、神は「そうだ。それで良かったのだ!」と言って、私たちの初穂として甦らせ、永遠の命のよすがとし給うたのです。
私たちのため命を与えるために来て下さった主の愛・その独り子を与えるためにこの世を愛し給う神様の御心を思うとき、私たちはその愛に応えて私たちも人に仕える方向に歩み行こうと思い、そうする力が与えられるように祈るのであります。
アメリカの教会には、標語のように書いてあります。“Jesus loves me ? so do I(主は私を愛して下さる。それだから私もそうします!)”と。「主が仕えて下さったゆえに、私も仕えます」と。 これは、被奉仕の奉仕〔=奉仕をこうむっているので奉仕する〕であります。
「仕える」という言葉の原語は「下の漕ぎ手」という意味だと言います。戦艦の底の部分で漕ぎ続ける奴隷のことなのです。
Strong men always stand at the bottom. 底辺、底に立つ者、それは主に仕える者の現実です。「あなたがたの中で偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい」。そうした逞しさを持つ者を、教会は輩出していくのです。
人に対しては勿論、自分についても言ってはいけない言葉があります。それは「役立たず!」です。「それを言ってはおしめえよ(フーテンの寅さんの決め台詞)」です。役に立たない人はいません。自分でそう思うとき、そうなってしまうだけのことなのです。
3 仕える人生は、この役立たずから解放されるこのなのです。実際、自分の存在が誰かの役に立っているという実感ほど、人に喜びとみずみずしさを与えるものはないのです。人生は人が生きるということと、人を生かすということからなっています。だから、「仕え合う」を「仕合せ」と読み、「仕えること」を「仕事」というのも、故ないことではありません。
仕えるために来て下さった主イエス、十字架にて我らの救いを成就して下さったイエス・キリストを思うレント、受難節のなかで筑波学園教会創立40周年礼拝を感謝と共に捧げることができました。
この40という数も、象徴的であります。40日40夜、雨が降り、ノアの洪水はもたらされました。モーセは、40日、シナイ山にいて十戒を授けられました。40年間、荒野をさまよい、栄光への脱出を続けました。主イエス自身は、40日間、荒野にてサタンの誘惑にさらされました。そして、復活の主は、40日、神の国を語られました。
列挙すればきりがありません。40という数字は、かくして、試練と苦難の象徴でありつつ、栄光への道筋を示す数字なのです。苦難から栄光へ、十字架から復活へと、信仰の軌道を整えるべく、レントは40日間置かれているのです。
40周年を期して、筑波学園教会は、高く太く十字架を掲げつつ、逞しく前進して行きます。願わくは、仕えるために建てられている筑波学園教会を、神様が用い給わんことを!
山北 宣久 先生(聖ヶ丘教会 前牧師)
2018年 3月11日(日)受難節第4主日礼拝
09:01さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 09:02弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 09:03イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 09:04わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。 09:05わたしは、世にいる間、世の光である。」 09:06こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。 09:07そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 09:08近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 09:09「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 09:10そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、 09:11彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」 09:12人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
説教要旨の掲載はありません
土浦教会牧師 嶋田 恵悟
2018年 3月4日(日)受難節第3主日礼拝
08:01今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。 08:02あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。 08:03主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。 08:04この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。 08:05あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。 08:06あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。 08:07あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、 08:08小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。 08:09不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。 08:10あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。
1 1節に「今日、わたしが命じる・・・取ることができる」とある。「命を得」とある。申命記という書物は、これからパレスチナの地に入ってそこに住み着こうとしていたイスラエル人に、どうすればその地で「命を得る」ことができるかを、つまり長く生き延びてゆけるかを、神様がモーセを通して教え示した書であった。なぜ神様は、このようなアドバイスをされなければならなかったか。それは、イスラエル人が、この地で生き延びてゆくのは、とても大変だったという事情があったのである。
どのように大変だったのか。7章1節に、パレスチナに住む先住民は「あなたに勝る数と力を持つ7つの民」だとの記述があった。7という数は、聖書では完全数を意味している。イスラエル人を待ち受けていたパレスチナの先住民は、数と力ではパーフェクトな人々だったという意味なのである。私は、それを「先住民の人々は、数と力で勝つということを価値観として生きていた」という意味に受け取った。そういう価値観は完全であり、この世にあっては、その価値観に勝てる者はいないという意味だと思う。イスラエルの人々は、そういう価値観に支配されていた地域に入り、住み着こうとしていたのだった。そこで生き延びて行くことが大変だったというのは、勿論、文字通りの意味で、数と力に勝る先住民に滅ぼされないで生き延びてゆく大変さであった。実はそれ以上に、彼らの価値観に征服されないで生きるということの難儀さでこそあったのだと思うのである。
2 20節までには、神様がモーセを通して、イスラエル人がパレスチナの地で、こうなってはいけないとの警告が書かれていることがわかる。11節の小見出しにも「主を忘れることに対する警告」とある。20節で、はっきりと、もしそうなったら、神様はイスラエルの人々を、他の国々と同じように滅ぼすと厳命していた。どうなったら滅びるのか。12節・13節では「あなたがたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が増え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れ」たらとある。
実はこれは、パレスチナにおいてイスラエル人が実際にそうなっていた状態である。イザヤ書の5章5節には ─これは紀元前7世紀の終わり頃のイスラエル人の様子だと思われるが─ 「災いだ。家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでにこの地を独り占めにしている」とあった。イスラエル人は、パレスチナにおいて先住民に、文字通りの意味で征服されてしまったのではなく、むしろその逆だったのである。ダビデは、この地をすべて平定して王国を建てた。その王国は、紀元前586年にバビロニアによって神様の言った通りに滅ぼされてしまった。しかし、それまでの500年近くは、イスラエルの人々が数と力において先住民に勝っていた。現代のイスラエルもそうである。そういう中で、12節・13節に書かれている有り様が現実となっていた。それは決して先住民に征服された姿ではなく、その逆であった。だが、それこそが、数と力に勝るという価値観に征服されてしまった姿だったと言ってよい。数と力に勝る価値観というのは、この世においては本当に完全な価値観なのであり、それに勝る価値観はない。ゆえにイスラエル人も、その価値観に征服されてしまい、神様が言った(20節)通りに滅ぼされたのだった。イザヤ書の6節には「万軍の主はわたしの耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は必ず荒れ果てて住む者がなくなる」と書かれている。数と力に勝る価値観によって生きるとき、私たちは滅びへ至るのである。
申命記の警告、またイザヤ書の言葉は、今日の私たちに対してこそ厳しく響いてくるものではなかろうか。今から3000年以上前の時代に比べて、今日の時代社会は、ますます数と力に勝る価値観によって私たちが支配されていることは言うまでもないことである。私たち一人ひとりの生涯で言えば、確かに青年期から壮年期までは人生も上り坂であって、数と力においてどんどん勝って行ける時なのかも知れない。しかし人生の後半、また晩年はどうか。数と力で勝るといえば、勝るのはマイナスの数と力である。抱えている病気の数、飲まなければならない薬の数、老いの力、そして死の力が勝ってくる。プラスの数と力が増し加わってゆくということを価値観とし、それを幸せの物差しとするのならば、私たちの人生の晩年には幸いはあり得ないのである。ただただ滅んでゆくばかりの人生として受け取るしかない。それが、神様が「滅び去る」と言った(20節)意味なのである。数と力に勝るという価値観は、この世においては、本当に完全で強い価値観であり、私たちを席巻する。それに征服されたなら、私たちは滅ぶしかないのである。私たちは、生きる喜びや生きがいを、人生の後半において失ってしまうのである。
3、だから、神様はイスラエル人に、また今日の私たちにこそ、この価値観に征服されて滅びに至ることのないようにと処方箋を与えて下さっているのである。
2節以下「あなたの神・・・40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」とある。本当にイスラエルの人々にとって、40年間は、荒れ野の旅だった。数と力に勝ることを価値とし幸いとするのなら、何ら意義のない吐き捨ててしまうしかないような40年間であった。民数記に、エジプトをやっとの思いで脱出した第1世代の人々の中で生き残ったのは、わずかカレブとョシュアの2人だけだったと書かれていた。指導者であったミリアムもアロンも死んでしまい、モーセもこの申命記の最後には召されてゆくことになる。一坪の土地さえ手に入れることもできず、ただただ荒れ野を彷徨(さまよ)い、野宿(のじゅく)生活をしてきたのだった。これほど数と力に勝つという価値観に逆行する歩みはなかったであろう。しかしモーセは、「これが神様がよしとして、あなたがたに与えた歩みだったのだ」と語ったのだった。そこにこそ幸いがあったことを思い起こせと語ったのだった。それを思い起こすことが、数と力に勝る価値観に征服されることからあなたがたを守るものだと語ったのだった。
40年といえば、私たちの人生の、まさに後半の40年を指しているのではなかろうか。それは、他でもない荒れ野の40年だと、神様は教えている。モーセもアロンもミリアムも死んでゆき、エジプトを出た第1世代のほとんどが死に絶えたように、私たちの青壮年期を支えたものは死んでゆくしかないのである。プラスの意味での数や力に勝るということは、死に絶えてゆく。人生の後半は荒れ野なのである。しかし「この荒れ野の旅の中でこそ、味わい知ることのできる幸いがあったではないか」と神様は告げている。人生後半の40年は、ただただ辛く、多くのものを失ってゆく荒れ野ではない。荒れ野の中だからこそ味わったものがあった。知り得たものがあったのである。
それは何か。3節にあるように、「主はあなたを苦しめ、飢えさせ」、だからこそ、そこで「あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた」というのである。荒れ野において、私たちは苦しめられる。飢える。しかし、その時にこそ、はじめて、あなたも先祖もこの世のだれも味わったことのない不思議な食べ物であるマナ ─へブル語で「これは何。What」という意味─ を私たちは味わうことになる。突き詰めれば、人生の幸いとは、人生の意義とは、このマナを味わうということにこそある。神様はこんな不思議な食べ物によって私を生かしてくださるのだと知ることができれば、それで人生の目的は果たされているのではなかろうか。
マナとは、突き詰めれば、十字架の上で苦しまれ復活なさったイエス様にゆきつく。十字架の上で殺された人間が、どうして私たちの食べ物となり得るのか。数と力で勝つことを食べ物としてきた私たちには、決してわかりえない食べ物である。しかし、苦しみと飢えの中に置かれたとき、それがわかるのである。イエス様が私のマナであると。十字架につけられ復活したイエス様が、神様の下さる不思議なパンなのだと知ることができた人生は、それを味わうことができた人生は、本当に幸せなのである。
4 さらに、このマナを私たちに食べさせることで、神様が私たちに教えようとすることは「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きること」である。
この言葉は、言うまでもなく、イエス様が特別に愛し心に刻んでおられたものであった。イエス様は洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後、荒れ野で40日間試練にあい、その時、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」との誘惑に対し、イエス様が答えたのは、この申命記の御言葉だった。「人はパンだけで生きるものではない」というのは、言うまでもなく、私たちが生きるのにパンはいらないという意味ではない。パンというのは、申命記の流れから言えば、私たちがそれを糧としているところの、数と力に勝つという価値観を指している。そういうパンを私たちは必死になって手に入れようとあくせくしている。私たち自身が働いてパンを得なければ、私たちは生きることができないと思い込んでいる。ここでのパンとは、要は、私たち人間が己の力で手に入れて、自分で自分に食べさせるパン、数と力に勝るパンを意味している。
しかし、マナの出来事を通してイスラエル人が体験したのは、それとは全く違うことであった。荒れ野にいて、田畑も貯蔵庫も持てなかった。働いて給料ももらえなかった。そのような自分たちが、それにもかかわらず神様が、天から不思議にも与えて下さったマナによって生かされていたのだった。それは、自分たちの生が、自分たちが稼いで手に入れるパンによらないという体験であった。荒れ野での出来事は、生きるということを、私たち自身の働きや業と切り離すことにこそ意味があったのである。私たちの働き、それもプラスの数と力という糧を作り出さねば生きることができないとの固定観念を打ち破り、私たちの生命とは、私たちの働きなどをはるかに越えた神様の下さる不思議の数々によって成り立っているとの教えである。
そうしたマナをいただいたゆえに、荒れ野の歩みではあったが「この40年の間、あなたがたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」とモーセは語りかけた。それを思い起こせ、と神様は言った。日野原重明先生が、インタビュー形式で最後に残された『生きていくあなたへ ─105歳 どうしても遺したかった言葉─』という著書を読んだ。この本は今、ベストセラーになっているとのことである。その中に、こんな一節があった。「最愛の人が重い病気に。何と声をかけたらいいのかわからず、自分の無力さを感じます」との問いかけに対し、先生はこう答えている。「人間というのは不思議な力を持っていて、病によって弱められるのだけれど、やがてその弱さの中からある種の強さというものが立ち上がってくるものなのです。僕はそういう患者さんをたくさん見てきました。聖書にある『力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』という言葉のとおりのできごとでした」と。イザヤ書の「残りのもの」という言葉を、またもや思い起こした。神様は、数や力ではもう負けるしかなくなった私たちのために、それに征服されない何かをちゃんと残して下さっていると改めて感じた。人生の晩年の荒れ野の40年があってはじめて、そのような破れない着物や腫れない足があることがわかるのである。その幸いは、どれほど深く大きいことであろうか。プラスの数や力に勝る幸いなど、この幸いに比べたら何ほどのこともない。荒れ野でいただけるマナや幸いというものによって、私たちは数と力に勝るという価値観によって征服され滅びることから守られるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 2月25日(日)受難節第2主日礼拝
04:46イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。 04:47この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。 04:48イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。 04:49役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。 04:50イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。 04:51ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。 04:52そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。 04:53それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。 04:54これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。
1 46節に「イエスは再びガリラヤのカナに行った。そこは前にイエスが水をぶどう酒に変えた所である」とある。このカナという村のことは、2章1節以下に書かれていた。著者ヨハネは、そこがイエス様によって水がぶどう酒に変えられた出来事が起きた場所だということを、読者に再度思い起こさせようとしていたのがわかる。2章11節に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた」とあった。著者ヨハネ自身、イエス様を救い主として信じる決定的な契機となったのが、そのカナの結婚式での出来事だったのであろう。カナの結婚式でのこのできごとにヨハネが改めて触れた(46節)のは、単に同じ村で起きたエピソードだったということを言うためではなかったと思う。
この出来事は、前にこの村で起きたことと重なり合うことなのだと、著者ヨハネは言いたかったのではなかろうか。カナの婚礼での不思議な出来事は、決して1回きりのものではなかったのだとのメッセージかもしれない。「それは何度も何度も起きるのだ」と言いたかったのであろう。この福音書を読む私たちは、当然ながらイエス様の時代のカナに行くことなどできない。しかし、2000年前のカナに行くことができなくとも、私たちすべてに、「カナの婚礼の出来事は起きるのだ、追体験できるものなのだよ」とヨハネは励ましてくれているのではなかろうか。
ヨハネは、カナの結婚式の出来事の核心にあったのは「イエスが水をぶどう酒に変えた」ことだと捉えていた。ぶどう酒がなくなったときに、どうしてイエス様は、人々に直接ぶどう酒を与えず、水を汲むように命じたのであろうか。最初からおいしいぶどう酒を与えることは、イエス様の御心ではなかったのである。最初はただの水から始まる。一見すると、「水を汲むことと、足りなくなったぶどう酒と、何の関係があるのか」と私たちはいぶかしく思う。しかし、ただの水を、イエス様の言う通りに汲むことが大事なのである。ぶどう酒は、どこにもあるものではないが、水ならばどこででも手に入れられる。水を汲むことは、たやすくできることである。私たちがたやすくできることを、イエス様は先ずやらせたのだった。すると、それが徐々になくてはならないぶどう酒に変わってゆくのである。ヨハネの思いに従って、カナの結婚式での出来事に重ね合わせながら味わってゆきたい。
2 カナの結婚式では、披露宴に無くてはならないぶどう酒が足りなくなってしまった。それを何とかしてもらおうと、イエス様の母マリアがイエス様のもとにやってきた。これが、水を汲み、それがぶどう酒に変わってゆくための第一の歩みであった。ぶどう酒が無くなったことに気づき、それを他の誰でもなくイエス様のところにやってきて「何とかして下さい」と頼むことから始まった。
この物語に登場した役人も、まさしくそれと同じようにした。46節の最後に、この人は「カファルナウムの王の役人」だったとある。カファルナウムは、カナの東の約30キロ位の、死海沿岸に位置していた。そこには、ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスの館があった。この役人は、ヘロデに仕えていた役人だったのである。役人とはいっても、とても地位の高い貴族のような高官だったとされている。普通ならば、大工の息子(イエス様)などと、何の接点もありえない人だったのである。そのような人が、なぜイエス様のもとにわざわざ30キロの道程をやってきたのか。それはm彼の息子 ─それはたった一人の子どもだったようである─ が、重い病気で死にかけていたからであった。彼がイエス様のもとに行くことが、その地位や身分に、どういう影響を及ぼしたかは定かではない。しかし、へロデ・アンティパスと言えば、遊び半分で洗礼者ヨハネの首をはねたような人である。イエス様と洗礼者ヨハネとのつながりは、浅からぬものがあった。そのようなイエス様のもとに、地位の高い自分の部下が行くことを、へロデが快く許したとは思えない。もしかすれば、主人の赦しを得ずに、彼はイエス様のもとに走ったのかもしれない。このことこそが、息子の病気が癒されてゆく上で決定的に大事なことだったのではなかろうか。イエス様のもとに行くということ自体が、すでに病気が治ってゆく過程の始まりなのであった。すでに水を汲みはじめていたのである。そして、彼がイエス様のもとに行ったことは、決して無駄にはならなかった。
彼は手に何も持たずにイエス様のもとから帰って行った。50節にあるように「イエスの言われた言葉を信じて」ではあったが、求めたぶどう酒に相当する息子の癒しも、イエス様が一緒にカファルナウムに来て下さるということもかなえられずに帰って行った。ぶどう酒を望んだのに、与えられたのは、水どころか何もなかったと言ってもよい。しかし、イエス様のもとにぶどう酒を求めて行ったことは、決して無駄にはならなかったのである。「だれでもそうなのだ」と、著者ヨハネは語りかけているのであろう。だから、他の方法ではどうにもならない「ぶどう酒の足りなさ」を抱えたなら、それをイエス様のところへ行って何とかしていただきなさいとヨハネは励ましているのである。望み通りのものは与えられないかもしれないが、イエス様のもとに行き、お願いすることは、決して無駄にはならないとヨハネは語りかけているのである。
3 イエス様は、カナの結婚式の際、母マリアに、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのですか」と、文字通りに読むと本当に冷たく、これが実の母に対する態度かと思うような返事をした。それと同じように、「一緒にカファルナウムに来て下さい。息子が死なないうちにおいで下さい。」と頼んだ役人に対し、イエス様は「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ決して信じない」と言い、「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」と、ただ言葉だけを与え、彼と同行するのを拒んで、彼をひとり帰した。ここにこそ、ぶどう酒を求める者に、直接ぶどう酒を与えるのではなく、水を汲ませようとされたイエス様の姿が重なる。
そこには、イエス様のどんな心があったのであろうか。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ決して信じない」という言葉は、つまりは「人とは、ぶどう酒を求めてしまう者だ」という指摘なのである。しるしや不思議な業が、「望みのぶどう酒」に相当する。「それを与えられたら信じるのが、あなたがただ」とイエス様は言っているのである。しかし、求め願うぶどう酒を希望通りに手に入れられる人は、少ないのである。「望み通りのものを、神様・イエス様から与えられたなら信じよう」というのでは、決してイエス様・神様を信じられるようにはならない。信じる歩みは、先ずはぶどう酒とは遠くかけ離れた水を汲むことから始まる。水ならば、たやすく汲むことができる。水だからこそ、カナの婚礼では、空っぽの6つものカメを一杯にできた。最初からぶどう酒を一杯にはできないけれども、水ならば満たせるのである。それがぶどう酒に変わってゆくのである。
またヨハネは、イエス様と役人との対話に、以下のような意味合いも含ませていると感じる。この福音書を読む私たちは、カナに行くこともできないし、イエス様に会うこともできない。病気を抱えた自分や家族に触れていただくこともできない。そういう私たち読者のことを、ヨハネは考えてくれていたのだと思う。そのような私たちに、「直接イエス様に来ていただいて、しるしや不思議な業をしていただくことは必要ないのだ。カナに行かずともよいし、イエス様においでいただかなくともよい。癒していただかなくともよいのだ。ただ水を汲むだけで十分なのだ。」とヨハネは励ましてくれているのである。望み求めるしるしや不思議な業というぶどう酒を与えられずとも、水を汲めるならば、それは必ずや私たちにとって必要なぶどう酒に、いつかは変わってゆくのだとの励ましである。
4 では、水を汲むことの意味は、どういうことであろうか。それは、50節にあるように「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行く」ということなのである。一緒に来て息子を治して欲しいと頼んだのに、与えられたのは「あなたの息子は生きる」という言葉のみであった。役人は、怒ることも「所詮、かなえることなどできないから、いい加減なことを言って帰そうとしたのだろう」と思うこともできた。しかし、彼は、イエス様のその言葉を信じたのでだった。その言葉を信じて帰っていった。それが、水を汲むことなのである。すると、それはぶどう酒に変わるのである。不思議なことに、イエス様が「あなたの息子は生きる」と言われた時刻に、息子の熱が下がった。
私たちにとって、水を汲むとは、どういうことだろうかと改めて思う。それは聖書を通して神様の言葉・イエス様の言葉をいただくということなのである。最初、それはほんのわずかな水を汲むことから始まる。わずかな水は、あっという間に乾いてしまうであろう。しかし、繰り返し礼拝に集い、聖書を読むことを通して、汲む水は少しずつ少しずつ豊かになってゆくのである。私自身、60年以上、水を汲むことを重ねてきたように思う。そして、聖書の御言葉を通して汲む水は、年齢を重ねると共に豊かになってきたと、しみじみ感じるのである。そして、その水が、私たちの中で、ぶどう酒に変えられてゆくのである。
「いや、この役人は、死にかかっていた息子の病気が治るというぶどう酒を与えられたのに、私には与えられない。あいも変わらず水のままだ。大切な人が死にかかっているのは何も変わらない。」と嘆く人もいるであろう。聖書を通していただく水が、ぶどう酒に変わるとは、一体どういうことなのか。文字通り、私たちも病気が治り、死にかけた人が元気になるということが起きなければ、水はぶどう酒に変わっていないということであろうか。
イエス様は、「あなたの息子は生きる」と言った。しかし、それは、肉体の命を持った存在として生きるという意味ではないと思うのである。勿論、ある時までは、肉体の病が癒されるという形でのぶどう酒が与えられるかもしれない。しかし、時がくれば、私たちは肉体を去って、新たな命の器へと旅だってゆかねばならない。いつまでも土の器にはいられないのである。神様・イエス様が下さるぶどう酒とは、私たちが土の器から霊的な器へと移ってゆくとき、つまり死の時にも、それを喜び言祝いでゆけるようにして下さるものではなかろうか。
今、イザヤ書を祈祷会で学んでいる。イザヤの言葉は、60歳を過ぎた私に、以前よりもより豊かな水を与えてくれる。そして、その水は、私の中で確実にぶどう酒に変わっている。「残りの者」という言葉に深く心を打たれた。40代・50代の時には、その言葉にそれほど心打たれることはなかった。しかし、私自身がだんだんと終わりの時に向かっているゆえに、この言葉が豊かな水を与えてくれているのだと思えるようになってきた。「残りの者」とは、神様が来らせて下さる終わりの日 ─それは、全世界に訪れるものでもあり、また一人ひとりにもやってくるものでもあるが─ に、必ず残りの者を残して下さるというメッセージである。私たちは、肉体の命の終わりによって、すべてが終わって何にも残らないと思ってしまう。しかし、神様は、終わりの時に決して終わらず、決して消えないものを、私たちに示して下さると言うのである。終わりの時に、そのようなものがあるとわかるということは、どれほどの喜びであろうか。
「残りの者」とは、言葉の上では「余りのもの」という意味もある。元気な時には見向きもせず、不必要・余りものとしか見ていなかったものが、終わりの時には俄然残ってゆくものだとわかってくる。この言葉によって与えられる水が、私の中でぶどう酒に変わっている。肉体の命が終わる時へと徐々に向かっている私たちが、それにもかかわらず、その歩みを言祝ぎ喜べるものとなるためのぶどう酒となっているのである。
最後に、病気だった息子が肉体的に癒された理由について触れたい。この役人は、へロデ・アンティパスの高官という地位をかなぐり捨てて、息子のためにイエス様のもとへと走ったのかもしれない。父がヘロデの高官として生きることが、もしかすればこの家、特に、その一人息子に暗い影を落としていたのではなかったかと思うのである。息子のために、へロデのもとを離れた父が、その後もヘロデに仕える役人であり続けたかどうかは分からない。しかし、彼の心の内では、イエス様に仕える者となったのであった。彼は、神様・イエス様に助けを求め頼る弱い姿をさらけ出した。それは息子のためであった。そのような父の姿こそが、息子を救い、新たに生かしたとは言えないであろうか。彼の一家を救ったと言えるのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 2月18日(日)受難節第1主日礼拝
03:01兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。 03:02わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。 03:03相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。 03:04ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。 03:05アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。 03:06わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 03:07ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。 03:08植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。 03:09わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
1 4節に、コリント教会の中に「私はパウロにつく」「私はアポロに」と言って対立していた人々がいたことが記されている。このことは、この手紙の書きはじめの1章12節にも記されていた。そこには、2つのグループだけではなく、4つのグループがあったと書かれていた。「私はパウロにつく」という文章は、原文のギリシャ語では「エゴー・エイミー・パウルー」である。「エゴー・エイミー」は、「私は・・・である」という意味である。「パウルー」とは「パウロに属する・パウロのもの」という意味である。私はギリシャ語については、ほんの少し神学校で聞きかじった程度である。しかし、「エゴー・エイミー」とまではっきりと言うというのは、よほど「私は・・・である」ということを強調する言い回しだとわかる。6節に「私は植え、アポロは水を注いだ」とあった。パウロは、コリント教会を植えた人、つまり設立した人であった。アポロは、パウロの後にコリント教会にやってきて、それに水を注いで大きくした人だった。そこで、コリント教会のある人々は、「私はこの教会の創立者であるパウロ先生のものだ」と言って自慢し、またある人々は、「いや、私はこの教会をぐっと大きくしてくれたアポロ先生に属する者だ」と言っていた。彼らは、自慢合戦のようなことをしていた。
どうしてコリント教会の人々が、このように自慢しあっていたのか。コリント教会のメンバーの多くは、奴隷階級の人々だった。テレビの時代劇では、「おれはどこそこ家の召し使いだ」とか「誰々様の使用人だ」と言って張り合う様子がある。それと同じようなことだったのではなかろうか。彼らは、自分自身については、何も自慢できるものを持たない分、「私は誰々様という主人に仕える身だ、・・・何々家に属する奴隷だ」と口にすることで、誇りを持つしかなかった人々なのであった。そういうことが習慣になっていたので、クリスチャンになっても「私はパウロ先生のもの」「私はアポロ先生に属する者だ」と言って誇りを口にするようになっていたのではなかろうか。私たちは、どこかで誇りを持つことが必要だと思う。しかし、それは、うぬぼれるとか、思い上がるという意味の誇りではなく、自分自身の貴さや価値というものに、しっかりとした確信を抱くということであろう。コリント教会の人々は、奴隷としての習慣が、クリスチャンになっても、そのまま続き、「誰某先生に属する者だ」という点で、自分の貴さや価値というものを見いだそうとしていたのだった。そういう誇りの持ち方が、教会の中に対立を引き起こしていたのである。
2 そのように自慢合戦をしていた人々にパウロは、「(そのように)言っているとすれば、あなたがたはただの人にすぎないではありませんか(4節の最後)」と語りかけた。「お互いの間に妬みや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる(3節)」とも言った。「あなたがたが、今までと同じように『アポロ先生やパウロ先生のものだ』と言って誇りを持とうとするのならば、それはクリスチャンになる以前と何ら変わりがないではないか」、「ただの人、周囲の人々と同じように誇ろうとしているのではないか」と。
これは、私たちにとっても、まことに耳の痛い指摘ではなかろうか。信仰者になっても、なおその時代社会内における周囲の人々と同じようなところに、誇る根拠を置き続けてしまうことから避けられない私達である。申命記の7章に、神様はこれからパレスチナに住もうとするイスラエルの人々に、あなたがたを待ち受けているのは「あなたに勝る数と力を持つ7つの」先住民だと言ったとあった。私はその語順を入れ替えて、「あなたがたを待ち受けている先住民は、数と力で勝とうとする7(完全数)つの民」という意味に受けとった。神様は、その民を「滅ぼし尽くせ」と命じたが、その本意は「滅ぼし尽くせ」ではなく、むしろその反対に「滅ぼし尽くされないように」なのだと思う。「数と力によって勝とうとした先住民の生き方や価値観に呑みこまれてはいけない」との神様の言葉である。数と力で勝とうとし、そこに誇る土台を置こうとするのが「ただの人」であり「肉の人」ではなかろうか。イスラエル人が、いつの間にか先住民の価値観に染まっていってしまったように、私たち信仰者も、数と力によって勝とうとするこの時代社会の価値観に染まってしまうのである。そこで誇ろうとするとき、必ず教会の中に対立が生じる。また、教会の中だけではなく、自分自身や家族の中にも、葛藤や分裂が生じてくる。それは、私たちが数や力によって勝って誇ろうとしても、そうはできない弱さや力の無さを持つているからなのである。私たちは、誇りの邪魔になるものを許せないのである。
3 そんなコリントの人々に、そし私たちに、「それでは、私たちは何によって誇ればよいのか」というアドバイスを与えてくれている。
5節でパウロは、「アポロとは何者か。・・・・主がお与えになった分に応じて仕えた者です」と語りかけた。ここでパウロは、「コリントの人々が『私はパウロのもの』、『アポロのもの』と言っているが、そのパウロやアポロとはそもそもどういう存在であるのか。そしてあなた方は何をより所にして誇っているのか」ということを教えようとしていたのだった。そこで、最初に教えたのは、「私たちは主に仕えているのだ」ということであった。パウロがわざわざ「仕えている(ギリシャ語の原文ではディアコニア)」という言葉を使ったのは、奴隷としてこの世の主人に仕えていたコリント教会の人々を、おもんばかってのことだった。「私たちは、神様とイエス様に仕えている者なのだ」、「あなたがたもそうではないか」とパウロは勧めたのだった。「確かに、この世の主人に仕えざるを得ない者ではあるが、同時に、神様とイエス様に仕えさせていただいている者ではないか。それならば、そこに誇りを置けるのではないか」とパウロは言ったのだった。
主なる神とイエス様は、私たちを、是非とも必要だからと、ディアコニアとして仕えさせて下さっているのである。申命記7章6節・7節には、神様がイスラエル人を選んで宝ものとされたのは、彼らがどの民よりも貧弱だったからだとあった。奴隷であったコリント教会の人々を、神様は宝ものとして選んだ。仕える者として必要だから選んで下さった。そのことを誇れるのではなかろうか。
4 次にパウロが、自分たちのこととして勧めたのは、ディアコニアとして選ばれた私たちに、神様が委ねた働きが「まことにささやかなもの」だということであった。小さな役割を与えられたことにこそ、誇りを持ちなさいということであった。新共同訳聖書では、7節は「ですから、大切なのは・・・成長させて下さる神です」となっている。しかし、1954年版の口語訳聖書では、「だから、植える者も水をそそぐ者もともに、とるに足りない。大事なのは成長させて下さる神のみである」となっていた。新共同訳では「とるに足りない」という言葉が、無くなってしまった。残念なことである。奴隷であったコリント教会の人々は、自分が主人から取るに足りないこととは正反対の、より大事な、より大きな役割を任されれば、それをもって自慢したのだろうと思う。そういう様子を想像してパウロは、わざわざこういう語りかけをしたのではなかったかと感じる。ところが、ディアコニアとして私たちを選んだ神様は、この世の主人とは違って、私たちに「取るに足りない役割をお任せになるのだ」とパウロは教えたのだった。パウロは「委ねられていることが、より小さなことであれば、よりそこに、神様のあなたへの信頼が大きい。そう思って、それを誇りなさい。」と勧めたのだった。
このことは、私自身にとって本当に慰めに満ちたものである。私は、牧師になって30余年経った。これまで幾度となく、自分の働きが取るに足りないものではないかと悩んだことがあった。もっと数や力の点で大きなことを成し遂げたいと思い、今でもどこかにそういう思いが潜んでいる。しかし神様は、私に「取るに足りない」働きこそを委ねて下さる。取るに足りない働きこそが、神様の与えたもうたものなのである。それを果たしてゆくことに対して、8節にあるように「働きに応じて報酬を受け取る」のである。
また私は、今私に託されている務めを「取るに足りない」ものとして見るようにとのアドバイスもいただく。牧師としての「自分がやらなければ」、地区長や教区の執行部としての「自分がやらなければ」という思いが、どうしても強くなってしまう。「伝道しなければ20年後・30年後の教会がなくなる」、「教勢を増やさねば20年後・30年後の教会がなくなる」というプレッシャーを、私たちは常にかけられている。しかし神様は、「あなたの務めは取るに足りないものでいいのだよ」と語って下さるのである。「数や力に勝るものでなくとも良く、小さな働き・ささやかな働きで良い」と言って下さる。そして「それを誇ってよい」と言って下さる。そのことは、私たちにとってどれほどの慰めであろうか。
5 それでも、「私がやらなければこの家族はどうなるのか。この教会の未来はどうなるのか」と言われるかもしれない。そのような私たちにパウロは、「私たちの『取るに足りない』働きを神様が成長させて下さるから大丈夫だ」と励ましてくれたのである。私たちの拙い小さな働きを受けとめて、それを不思議にも成長させて下さるのは、神様なのである。私たちではないのである。
そもそも「成長」とは何なのか。今の時代社会において、私たちが普通に「成長」と思うのは、数と力で勝るようになることであろう。しかし、神様が与えて下さる成長とは、そういうものなのだろうか。むしろ、私たちが成長と思うことと、神様のそれとは、大きく違っているのではなかろうか。イザヤ書の2章1節から11節には、有名な「終わりの日」についての預言が、また「剣や槍を打ち直して鋤や鎌にする」と記されていた。「終わりの日は、それまで私たちが目標として目指していた山々や峰のどれよりも、神様の山が高くそびえるようになり、そこに向かって私たちが、決して無理強いされてではなく、喜々として登って行けるようになる時だ」とあった。そういう時にこそ、それまで手にしていた剣や槍を鋤や鎌に打ち直し、争いがなくなるというのである。
数や力で勝ろうとする「成長」というものが、私たちが目標にしていた山々・峰ではないかと思う。しかし、終わりの日には、そういう山々、そういう峰よりも、神様の山が高くそびえるようになるのである。私たちが目標とする山とは全く違う山が、目標なのだということが、はじめてわかるのである。「一体、私たちは、何と見当違いな山を目標とし歩んできたのか」ということがわかるのである。そういう山々に向かおうとするがゆえに、自分自身に対しても、周囲に対しても、剣や槍を振りかざし、争ってきてしまったことがわかるのである。それは、神様がそういう「成長」にピリオドを打ち、「もう終わりだよ」と言って下さる日なのである。先日の地区の社会部の研修会でが、使徒言行録のステファノにちなんで、1975年代からアメリカで実践されてきたステファノ・ミニストリーをしておられる関野牧師に、お話をうかがった。それは、ひとことで言えば、信徒が牧師の働きを助けて、教会の門を叩いた人たちの聞き役・付き添い役になるという働きだという。関野先生は、「自分が牧師になったら世界が変わるのではないか」と、まことに大きな幻を抱いたそうである。しかし、現実はそれとは全く正反対で、悩んだあげく、香港に勉強に行き、そこで指導をうけたのが、このステファン・ミニストリーだったそうである。求めていた「成長」に「終わり」を突き付けられた時、神様が与えようとされる成長への歩みというものが始まってゆくのではなかろうか。神様に仕える私たちは、本当に取るに足りない働きを成長させて下さる神様・イエス様の宝ものとされていることを誇りとしたいものである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 2月11日(日)降誕節第7主日礼拝
07:01あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、 07:02あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 07:03彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。 07:04あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。 07:05あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。 07:06あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。 07:07主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。 07:08ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。 07:09あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、 07:10御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。主は、御自分を否む者には、ためらうことなくめいめいに報いられる。 07:11あなたは、今日わたしが、「行え」と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。 07:12あなたたちがこれらの法に聞き従い、それを忠実に守るならば、あなたの神、主は先祖に誓われた契約を守り、慈しみを注いで、 07:13あなたを愛し、祝福し、数を増やしてくださる。主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子と、土地の実り、すなわち穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油など、それに牛の子や羊の子を祝福してくださる。 07:14あなたはすべての民の中で最も祝福される。あなたのうちには子のない男も女もなく、あなたの家畜にも子のないものはない。 07:15主はあらゆる病気からあなたを守り、あなたの知っているエジプトのあらゆる重い病気にかからせず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。
1 まず申命記とは、どのようなものか。
申命記は、英語ではデュートロミー。これはギリシャ語のデュートロノミオンをそのまま英語表記にしたものである。デュートロとは2番目という意味、ノミオンとは法律とか決まりを意味するノモスから変化した言葉である。モーセは、神様から「あなたは約束の地に入ることはできない」と言われた。それで、これからパレスチナに入って行こうとするイスラエルの人々への、言わば遺言のようなものとして、神様の命令(ノモス)を2度目に(よくよく、改めて)語った。それがこの申命記である。
とは言うものの、果たしてこれが事実かと言うと、到底そうは言えないだろうと言うのが、今日の定説である。確かに神様からモーセが聞き、イスラエル人に語った言葉もあるにはある。それが口伝えに伝えられ、ある時から文字に記され、それが元になって申命記の土台となるような書物が書かれたのであろう。列王記(下)22章8節以下、ヨシア王がエルサレム神殿の修理をしていたとき、神殿の中から「律法の書」を見つけたとあった。これが今の申命記の元となるものだと言われている。しかし、それは今の申命記のごく一部分にしかすぎない。これに色々なものが付け加えられて今の形として書かれ編纂されたのは、恐らくはバビロン捕囚のさなか祭司を中心とする人々によってであっただろうと考えられている。
バビロン捕囚のさなかにまとめられたというのがミソである。4節に「主の怒りが・・・速やかに滅ぼされるからである」とあった。申命記は、これが現実になったさなかに書かれたものなのである。当然、その信仰の立場とは、なぜ自分たちはこうなってしまったのか、なぜ神様の怒りにあって滅ばされてしまったのか、そのことを問うものであった。すると歴史を溯っていって、はるか昔、先祖がパレスチナに入った時にこうすべきであったのではないかという答えに行き着く。それが、モーセを通して、神様の命令として語られたという場面設定となるのである。
2 そういう背景を知ると、2節の「滅ぼし尽くさねばならない」という恐ろしい言葉の意味を理解することができる。申命記にも、ヨシュア記にも、「滅ぼし尽くせ」という神様の命令が何度も出てくる。これを、いったいどのように受け止めたら良いのか、私たちは悩むのである。滅ぼし尽くせという神様の言葉をどう理解したらよいか、そのことを昨年関東教区の女性部の総会・修養会にお招きした小友先生に、お聞きした。小友先生でさえ、とても難しい問題だとおっしゃっていた。
中には、これを文字通り神様の命令として読む人々がいる。これを神様の絶対的な命令として受け止めた人々は、アフリカや南北アメリカ大陸に入って、先に住んでいた人々を追い払い、絶滅させたことさえ正当化する。今日のイスラエルも、パレスチナの人々を追い払う理由として、このような一連の聖書の言葉を根拠としている。しかし、この言葉は、決して文字通りの意味ではない。
それは、祖国を滅ぼされてバビロンに捕虜とされたイスラエル人が、あのとき先祖はどうすべきであったのかという問いから聞こえてきた神様の言葉だったのである。そこには、何よりも祖国を失うべきではなかった、国土を奪われるべきではなかったという立場があった。どうしてこうなったのかと言えば、周囲の人々と婚姻関係を結び、いつの間にか彼らの信じている神々に仕えるようになったので、神様の怒りを買ったからだと考えた。だから、「先ずは滅ぼし尽くすべきであった」、「婚姻関係など結ぶべきではなかった」、「様々な契約をすべきではなかった」と考えた。或いは、伝えられてきた神様の言葉を、そういう意味から受け止めた。あくまで、国や領土を失ってはいけないという立場に立って聞いた神様の言葉だったのである。しかし、それは本当に真実の神様の言葉だったのか。私は疑問に思うのである。
これは、旧約聖書全体を通しての根本的な問いである。神様はアブラハム以来、何度も繰り返して、この地をイスラエルの人々に与えると約束してきた。しかし、それは果たして、どういう意味だったのか。7章1節には「所有する土地」とある。関根正雄先生は、ここを「所有する」ではなく、民数記にあった「嗣業」という言葉の「嗣」から、「嗣ぐ」と訳した。私は適切な訳だと思った。
確かに神様は、イスラエルの人々に、この地を与えた。しかしそれは、あくまでも、くじ引きの結果として偶然に住む場所が与えられたというものであった。所有ということで言えば、それは神様の手にあった。イスラエル人が所有するという形態ではなかった。前から住んでいた人々を追い出し、文字通り滅ぼし尽くしてのものなどでは、決してなかった。実態は、共存だった。むしろ現実には、、そもそも滅ぼすことなどできない人々だった。彼らと争って土地を所有しょうとしたからこそ、逆に彼らと協定を結び、姻戚関係となり、結果的には、彼らの神々に引き込まれ、彼らの価値観にどっぶりと染まってしまったのだった。そして滅びへと向かったのだった。「どうすれば祖国や領土をバビ口ニアに奪われなかったのか」、「土地所有を失うことがなかったのか」という立場からしか神様の言葉を聞くことができなかったなら、その立場で聞いた言葉は、本当には神様の言葉とは言えないと私は思う。
3 では、奧底にあった本当の神様の御心は何だったのか。所有するのではなく、イスラエル人はパレスチナの地にただ住む。そうするにあたって心すべきことがあった。それが神様の御心だったと私は思うのである。それは、やはり先に住んでいた住民との関係なのであった。そこに住むことになれば、様々な契約を交わし、姻戚関係を結ぶことも起きるこのになる。しかし、確かに、彼らとそういう関係を結べば結ぶほど、彼らの神々に仕えるようになって、滅びを招くということがあった。だから、たとえ彼らとつながりを持ったとしても、決して彼らの神々に仕えてはならず、また彼らの価値観や生き方に染まってはならないということだったのである。埋もれてはならないということだったのである。
では、彼らの価値観や生き方とは、どういうものであったか。その核心にあったのは、彼らが「あなたに勝る数と力を持つ7つの民(1節3行目)」という点なのであった。7とは、完全数である。彼らは数と力では完全で、イスラエル人は数と力では決して太刀打ちできないパーフェクトな民だということを意味していた。40年ほど前に、カデシュという場所から偵察隊を遺わしたとき、彼らがもたらした報告は「そこに住んでいる人々は巨人のように強く大きく、町という町は城壁に囲まれている(民数記13章28節以下)」というものだった。「そのような人々が、あなたがたを手ぐすねを引いて待っている。あなたがたを取り込み、あなたがたを滅ぼし尽くそうと待っている」という状況だった。「だから、あなたがたは、そういう人々と戦ってゆかねばならない」ということだった。神様の御心は、「滅ぼし尽くせ」ではなく、むしろ反対に、「滅ぼし尽くされないようにせよ」ということなのであった。負けないように、ということなのであった。
では、どう戦うのか。彼らと同じ土俵に引き込まれ、数と力で戦おうとしても、負けは完全に見えていた。だから、数や力によってではなく、全く違う土俵で、違う武具をもって立ち向かってゆかねばならなかった。そうすれば勝利できた。文字通りの意味ではないが、「勝利する」ということが「滅ぼし尽くせ」の意味であった。それは、数や力で勝って、文字通り滅ぼすことを意味していなかったのである。価値観や生き方の点で、あるいは信仰の面で、先住民のそれに打ち勝ち、飲み込まれずに独立を保つということを意味していたのである。
先住民を追い出し、滅ぼし尽くすことなど、できるはずがなかった。そうしようとすれば結局は、数と力で戦おうとすることになった。今のイスラエルや、それを支持する人々がやっているのは、数や力で勝とうとしていることである。それは決して神様の御心ではない。勝っているとしても、むしろ根本的には数と力を行使する彼らによって滅ぼされてしまっている姿でしかないのである。
4 それでは、この困難な戦いのために、神様は、私たちに、数や力ではなく、どのような武具を与えて下さるのか。それが、6節から8節の御言葉に記されている。ここには、申命記の中でも、とくに有名な御言葉が記されている。神様は、イスラエル人に心引かれて彼らを宝とされた。では、神様がなぜイスラエル人を宝としたのか。その理由は、彼らが「どの民よりも数が多かったからではない。他のどの民よりも貧弱であった」からだという。何が武具なのかといえば、それはこの神様の選びなのであった。「神様が、誰よりも貧弱な私たちを、神様自身の宝物として選んで下さった」ということを武具として、7つの完全な民に、数と力の戦いに打ち勝てということであった。
彼らは、数と力の尺度をもって私たちに挑み、「お前達はなんと貧弱なことか、価値のないものか、生きていても無意味だ」と嘲った。数と力の豊かさを持っていなかった者など、何の価値もないと言うのだった。「明日の友」という雑誌に、淀川キリスト教病院のチャップレンと、関西いのちの電話養成講座講師との対談が載っていた。チャップレンの藤井さんは「ホスピスで一番よく聞く言葉は、『生きている意味がない』です。迷惑をかけて、家族の負担になって、自分が生きていても意味がないから早く死んでしまった方がいいと本当にたくさんの方がおっしゃいます。人に迷惑をかけない存在であるべきというとらわれが、自分自身の今を受け入れられなくしているのでしょうね」と言っていた。
藤井さんが言うように、まさに私たちは、囚われているのである。とらえているのは、いつまでも元気で健康で人様に迷惑をかけない存在でありたいという、元気さや、健康の力、それをより所として生きる生き方であり、価値観なのである。病気や弱さを持たない「完全な者」であることにおいて勝利しようとする価値観なのである。しかし、私たちすべてが、いつかは「この世で最も貧弱な者」になってゆく。その時に、数と力で勝とうとする価値観に囚われているからこそ、生きていても意味がないと口にするのである。それが滅びなのだる。そうならないためのただ一つの武具は、ただ神様の選びなのである。神様は、この世で最も貧弱な私たちを、神様自身の宝とされるということが武具なのである。
一体なぜ神様は、そのような選びをされるのか。7節にある「心引かれた」という言葉は、本当に独特の言葉で、ある聖書の訳では「恋い慕って」と訳されているという。それは、私たちが異性を恋い慕うという意味で用いられる言葉である。神様は、数や力で勝る者ではなく、最も貧弱な者を恋い慕われるのである。私たちが貧弱な者とされたとき、神様はそのような私たちを恋い慕って下さるのだと、特別に必要とし大切に思い宝物として下さるのだと思うことができたら、どれほど慰めとなることか。このようにして神様は、私たちを滅ぼそうとする7つの民に打ち勝って下さるのである。私たち自身が勝つのではなく、神様が勝って下さるのである。
そして、神様の勝ち方は、数や力によってではなく、貧弱な私たちを選ぶことによってなのである。それは、十字架の上で最も貧弱で、あざ笑われ、役に立たない者と唾棄されたイエス様の選びに行き着く。このイエス様を、神様は最大の宝とされた。だからこそ神様の最大の宝だったイエス様だけが、永違の命をいただいたのである。数や力で勝とうとする民は、イエス様を十字架にかけて殺したように、一時は私たちにも勝つであろう。しかし、十字架につけられたイエス様が復活し、今も生きておられるということは、十字架という貧弱さと私たちの貧弱さこそが神の宝とされ、いつまでも存続するものであると教えてくれているのである。神様が十字架のイエス様を最大の宝とされたことが、私たちの支えとなり励ましとなるのである。そのことは、この世の7つの完全な民、数と力で勝とうとする生き方に、私たちが滅ぼし尽くされないで生きるための武具となるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 2月4日(日)降誕節第6主日礼拝
04:31その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、 04:32イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。 04:33弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。 04:34イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。 04:35あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、 04:36刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。 04:37そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。 04:38あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」 04:39さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。 04:40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。 04:41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 04:42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」
1 ヨハネによる福音書の4章1節以下で、「水」が主題になっていた。ここでは「食べ物」がテーマになっている。32節、イエス様は弟子たちに「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言った。その言葉を援用すれば、4章1節以下の主題は、「あなたがたの知らない水がある」ということになろう。
その当時に至るまで1000年以上涸れたことのない「ヤコブの井戸」から、サマリアの女性は水を汲んで飲んでいた。彼女は、5人もの男性との遍歴を重ね、イエス様と出会ったときには6人目の男性と生活を共にしていた。ここには、彼女が飲んでいた水がどのようなものであったかが、象徴的に示されていると改めて感じる。それは1000年以上も涸れることがなく、代々にわたって人間を潤してきた水であった。そして、人を愛し、人とのその絆を築くことによって人間を潤してきた水というものを示していた。それは夫婦や家族といった愛する人々とのつながりであり、また、お金や土地を得ること等の経済的な潤いであり、また民族や国家というものの存在から与えられてきた水なのであろう。彼女のように私たち人間は、長い間、そのような水を十分に飲んできたのである。
しかし、それでも癒されることのない渇きが彼女にはあった。彼女が知ることができず、また手に入れることのできなかった水があり、それをイエス様との出会いによって与えられたのだった。29節や30節にあるように、「わたしが行ったことをすべて言い当てた方がいます」と、彼女はイエス様のことを町の人々に語った。その言葉にこそ、彼女がイエス様を通して得た水が何であったかが語られている。だれも言い当てたことのない彼女の心の奥底に隠れていたものに、光が当てられたのであろう。彼女自身も気づかなかった部分に、神様が光を当てて下さったのだと彼女は感じたのであろう。それは彼女を責めるような光ではなく、彼女を貴いと認めて下さる光だったのだと私は思う。イエス様を通しての、そのような神様の出会いこそが、尽きることのない水となったのだった。それが、私たちの知らない水、この世の井戸からは決して汲むことのできない水だったのである。サマリアの女性との、このような水を巡る対話から、今度は、弟子たちとの食べ物についての問答へ、この世からは決して得られない食べ物のことへと、主題が移ってゆく。
2 物語は、町へ食べ物を買いにいっていた弟子たち(4章8節)が帰ってきて、イエス様に食事を勧めた場面から始まる。弟子が「ラビ(先生)、食事をどうぞ」と言うと、イエス様は唐突に「わたしには、あなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言いあった。おそらくイエス様は、とても満ち足りた様子だったのだろうと想像できる。弟子たちが食べ物を買いに町に出掛けたときには、旅に疲れ、喉がかわき、お腹もすかせて、井戸端にへたりこんだ様子だったのに・・・。それで弟子たちは、だれかが食べ物を持ってきたのかと思ったのだった。しかし、言うまでもなく、イエス様を満ち足りた様子にさせたものは、食べ物ではなく、サマリアの女性との出会いと対話であり、彼女が神様に出会って別人のようになって帰っていったことだったのである。それは「私の食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」というイエス様の言葉に込められていた。
サマリアの女性が、ヤコブの井戸、そして何人もの男性との生活から水を汲み上げようとしたように、弟子たちも町に行き、乏しいお金を使って懸命に食べ物を手に入れた。そういう弟子たちに、「あなたがたは、そのような食べ物しか知らないのだね」と、イエス様はまず言った。そして「私にはあなたがたの知らない食べ物があるのだ」と続けたのだった。「井戸端に疲れて座り込み、お金もなく、この世の食べ物など何ひとつ得られなかった私が、今このように満腹できる不思議な食べ物があるのだ」ことを弟子たちに教えた。「そんな不思議な食べ物があることを知りなさい。そういう食べ物によって満ち足りることを体験しなさい。それこそが、あなたがたにとって、なくてはならないものなのだ。それこそが、あなたがたの血や肉や骨となりエネルギーとなり、生きる糧となる食べ物なのだよ。」と。
3 では、それはどのような食べ物だったのか。どのようにして、私たちはそれを手に入れることができるのだろうか。34節の「わたしの食べ物とは・・・」というイエス様の言葉から、イエス様の言う食べ物と、私たちが知っている食べ物との間には、大きな違いがあることが分かる。私たちが知っている食べ物の特徴は、自分のお腹の中に、それを摂取することにある。自分の中へひたすら取り込んでゆき、食欲を満たす食べ物である。しかし、私たちの腹の欲というものは、どこか底無し沼のようなところがあり、満たそうとしても満たすことができないようなことがしばしばある。自分の欲を満たそうとして食べ物を取り入れようとすると、なぜかどんなに食べても満足することができない。私たちの知っている食べ物には、そういう特徴があるように思う。ところが、イエス様がここで教えた食べ物は、自分の腹にそれを取り入れて自分お腹の欲を満たすということがどこにもない。「わたしをお遣わしになった方」、つまり神様の御心を行い、その業を成し遂げるというのだから、言わば神様の腹を満たすものが、イエス様の教える食べ物なのである。
では、神様の腹は、どんな食べ物によって満腹されるであろうか。神さまは、私たちのどんな業によって満たされるのであろうか。神様は、私たちに、どれだけ大きなことを要求されるのであろうか。底無し沼のように、私たちに過大なことを求めるのであろうか。「そうではない」と、いつも教えられている。箴言の16章8節に、「稼ぎが多くても正義に反するよりは、僅かなものでも恵みの業をする方がよい」と書かれていた。神様は、私たちに稼ぎの多いことを望まず、たとえ僅かな働きではあっても、恵みの業を望むのである。小さな働きではあっても、それが誰かのために恵みとなるならば、それを神様は喜んで下さる。神様のお腹を満たすのは、僅かな恵みの業である。イエス様が、サマリアの女性になされたのも、恵みの業ではなかったか。彼女に神様の眼差しを得させた。何人もの男性を、とっかえひっかえして村八分にされていたような女性が、神様の目には貴い存在なのだという恵みが与えられた。この世のどこにもない、ただ神様だけが投げかけることのできる視線が注がれたのだった。
4 自分の腹の欲を満たすために、自分自身の中に摂取する食べ物ではなく、神様に喜んでいただき、具体的には、周りにいる誰かの恵みとなるような僅かな働きをすることが、神様が私たちに与えて下さる不思議な食べ物であり、私たちを満ち足らせて下さるものなのである。
私はここで、旧約聖書の列王記17章8節以下の、預言者エリヤとシドンのサレプタという町に住んでいた未亡人との出会いの物語を思い起こた。その未亡人は、ひとり息子を抱えていた。わずかに残った焚き木を燃やして、最後に残った粉と油を使ってパンを焼き、あとは死ぬのを待とうとしていた矢先だった。神様は、わざわざこのような女性のもとへエリヤを遣わしたのだった。そして、あろうことか、彼女に向かって「ではまず、その焼いたばかりのパンを自分に食べさせよ」とエリヤに言わせたのだった。まず自分に食べさせてから、あなたがた親子が食べよと。未亡人は、その通りにした。すると「壷の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった(列王記上17章16節)」。
私たちが知っている食べ物とは、私たち自身の空腹を満たすため自分自身の内側へと取り込む食べ物のみである。それがなくなると、私たちはもうだめだと思い、希望を失ってしまう。しかし、そこに神様の下さる不思議な食べ物があり、それは決してなくなるものではないということを、この物語は教えてくれている。彼女は、馬鹿げたことを求める旅人に僅かなものをもって恵みの業をした。そうすることのできる心は、なくなってはいなかった。恵みの業ができること、その心を失ってはいなかったことが、壷の粉・瓶の油がなくならないという不思議な現象として現れたのだった。
5 35節以下は、理解するのが難しいと感じさせる箇所である。様々な人が、いろいろな解釈をしている。著者ヨハネ自身も、もしかすれば、はっきりとした理解がないままに書いたのかもしれない。だから、はっきりとその言わんとするところが伝わってこないのかとも思える。私が自分なりに、こんな意味ではないかと了解できた点は以下のようなことである。
これまでの流れを受けて、イエス様は、私たちがこの世の食べ物を得ることと神様が下さる食べ物を得ることとを比較対照して教えて下さっているのではないかと感じるのである。恐らく当時流布されていたであろう二つのことわざを引用して。それらは「刈り入れまでまだ4カ月ある」と、「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」という二つのことわざである。いずれのことわざも、刈り入れまでは何があるかわからないこと、収穫の難しさというものを教えている。この世の食べ物を得るのは、このように難しい。難儀なのである。まずイエス様は、この世の食べ物を得ることの難しさを、語ったのだと思う。
ところが、神様が下さる食べ物の刈り入れはどうか。イエス様は、サマリアの女性との出会いから、思いがけないすばらしい収穫を得たのだった。列王記には、僅かでも恵みの業をすればよいとの神様の御心を行うことにおいて、私たちにはすばらしい収穫がもたらされ、食べ物が与えられるとあった。そういう意味で、私たちの前には、至るところに色づいて収穫を待っている畑があると言える。収穫物が何もない人生のフイールドなどないのである。豊かな食べ物を刈り入れることができるのである。
この世の食べ物を手に入れる収穫においては、種蒔きや雑草取りなどの労苦がまずあって、その末にやっと刈り入れ時が来る。現代社会では、ますます、食べ物を得ることは長い時間の労苦の末にやっと与えられるものになってきている。自分がふさわしく働くことだけが、自分への食べ物を与えるのだという考え方が、ますます強くなっている。そうすると「働くことのできない人や、仕事のできない人は、食べられなくても当然だ」という考え方になってしまう。これが私たち人間の知っている食べ物の特徴なのである。自分たちが労苦した分だけの食べ物しか手に入れることができないというのが、人間の知っている食べ物の特徴なのである。
38節でイエス様が教えようととしたのは、このような私たちの知っている食べ物における自分の労苦と手に入る食べ物との相関関係を、断ち切ることではないかと感じるのである。神様の下さる不思議な食べ物は、思いもかけず、私たちの労苦以上に豊かなものなのである。私たちができるほんの僅かな恵みの業に対し、神様はまことに驚くべき豊かな収穫を与えて下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 1月28日(日)降誕節第5主日礼拝
35:01エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主はモーセに仰せになった。 35:02イスラエルの人々に命じなさい。嗣業として所有する土地の一部をレビ人に与えて、彼らが住む町とし、その町の周辺の放牧地もレビ人に与えなさい。 35:03町は彼らの住む所、放牧地は彼らの家畜とその群れ、その他すべての動物のためである。 35:04レビ人に与える町の放牧地は、町の城壁から外側に向かって周囲千アンマとする。 35:05あなたたちは、町の外から東側に二千アンマ、南側に二千アンマ、西側に二千アンマ、北側に二千アンマ測り、町をその中央に置かねばならない。これが彼らの町の放牧地となるであろう。 35:06あなたたちは、人を殺した者が逃れるための逃れの町を六つレビ人に与え、それに加えて四十二の町を与えなさい。 35:07レビ人に与える町は、合計四十八の町とその放牧地である。 35:08イスラエルの人々の所有地の中からあなたたちが取る町については、大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、それぞれ、その受ける嗣業の土地の大きさに応じて、その町の一部をレビ人に与えなければならない。 35:09主はモーセに仰せになった。 35:10イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るとき、 35:11自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。 35:12町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。 35:13あなたたちが定める町のうちに、六つの逃れの町がなければならない。 35:14すなわち、ヨルダン川の東側に三つの町、カナンの土地に三つの町を定めて、逃れの町としなければならない。 35:15これらの六つの町は、イスラエルの人々とそのもとにいる寄留者と滞在者のための逃れの町であって、過って人を殺した者はだれでもそこに逃れることができる。
1 34章からこの35章は、いよいよパレスチナの地に入ってゆこうとしていたイスラエル人が、どのように住む場所を決めたかということについての神様からの指示が記された箇所である。34章13節以下、モーセは神様からの指示により、くじを引いて住む土地を決めるようにと伝えた。くじ引きで与えられた土地は、聖書では『嗣業(しぎょう)』と呼ばれる。しかし、レビ人だけは、そういう形では住む場所を与えられなかった。2節にあるように、他の部族に嗣業として与えられた土地の一部が、レビ人に分け与えられたという。7節によれば、レビ人に与えられた町は、合計48であったとある。そして、注目すべきことは、そのうちの6つの町が「逃れの町」としてレビ人に特別に託されたということである。この町についての詳しい規定は、9節以下に書かれている。端的に言えば、11節と12節にあるように「誤って人を殺した者が逃げ込むことのできる町」、「復讐する者からの逃れのため」の町だとある。
私が神学校時代に買い求めた旧約聖書の神学書には、この逃れの町についての詳しい記述が全くなかった。手元にある聖書辞典にも、ごく短く説明されているだけである。おそらく歴史上、このような町が実際にイスラエルに存在したのかどうかは定かではないのであろう。しかし、現実に存在したかどうかはともかく、イスラエル人がパレスチナの地に住もうとしたときに、神様が、このような特別な町を作るように命じられたということには、とても心を引かれる。日本の中世にも、そのような特殊な場所があったということを、何かで読んだことがある。そのような場所として、私たちがよく耳にするのは「駆け込み寺」と言う言葉である。日本にも逃れの町と同じような機能を果たした場所が、古くからあったということである。このような場所の必要性を、今から3千数百年以上も前の、はるか昔に、神様がイスラエル人に教えたということは、私たちの心を深く捉える。それが私たちに語りかけているのは、端的に言えば、いつの時代にも私たちには逃れの町が必要だということだと思う。私たちの社会には、必ずそのような町がなければならないと、神様は教えている。
2 では、なぜ逃れの町が不可欠なのか。逃れの町の働きについては、35章11節後半から12節にかけて、次のように書かれている。「誤って人を殺した・・・殺されることのないためである」と。逃れの町は、誤って人を殺した人が、復讐などによって、ちゃんとした裁きを受ける前に殺されることがないように設けられた。16節以下には、誤って人を殺したとき以外、つまり故意で殺人を犯した場合に、その者が受ける刑について、また殺人事件の裁判のあり方について書かれている。故意にせよ過失にせよ、人を殺した場合には、ちゃんとした裁判を受けて犯した罪にふさわしい罰を受けるようにと教えられていたが、いずれの場合にせよ、人を殺してしまった場合には、しばしばちゃんとした裁判を経ないまま、憎しみに任せて復讐を受けたり、リンチのようなものによって犯人が殺されてしまうことがあったのであろう。遣族にとっては、故意だろうが過失だろうが、大切な人を殺されてしまったことへの憎しみは変わらないであろう。だから、しばしばそういうことになってしまったのであろう。故意で殺人がなされた場合には、死刑は仕方がないことだったかもしれない。しかし、誤って人を殺してしまった場合はどうか。全くの過失によって人を死に至らせてしまっただけなのに、故意の殺人犯と全く同様に、ちゃんとした裁きを受ける前に殺されてしまうというのは、本来その人が受けるべきではない責めやぺナルティを科されてしまうということになるのではなかろうか。だから神様は、誤って人を殺してしまった場合には、復讐による殺人やリンチから逃れるための場所が必要だと示したのではなかろうか。
私たちには、どのような関係があるのだろうか。私たちにとっては、誤って人を殺してしまうというようなことは、全くの他人事と感じられてしまう。確かに、誤って人を殺してしまうということは、私たちにとって身近なことではないが、社会生活における人間関係の中で、本来その人が負うべきではない責めを問われ、ぺナルティを科されて、その結果として死へと追いやられてしまうということは、過去には多くあったのではないかと思う。日本では、今でも、恐らく2万件を越える自殺があるという。それは自分で自分を殺す一種の殺人であることは間違いない。他社を殺す殺人事件は、1年間で2万件などは、決しておきないが、自ら自分を殺すという意味での殺人は桁違いに多く起きている。ではその理由は何か。恐らくは、本来その人が負うべきではないことについて、自分で自分を責めるからではなかろうか。自分で自分にペナルティを科してしまうのである。あるいは家族が責めるということもあるかもしれない。皮肉なことだが、他の誰よりも愛する自分自身を、その自分が責めるのである。誰よりも深い愛情を持っている親子や夫婦が、互いを責め合うのである。そして本来、その人に背負わせるべきでないペナルティを科し、結果的に死に追いやるのである。
3 私たちの人間関係、特に自分自身や、夫婦・家族との関係が、こういうものであればこそ、神様はそこから逃げるところを持たねばならないと教えて下さったのだと思うのである。
サマリアのスカルという町にあった井戸端で、ひとりの女性がイエス様と出会った。このエピソードは、まさしくこのようなことだったと、また改めて思う。その女性は、5人もの男性を、とっかえひっかえして6人目の男性と暮らしていた。町の人々は当然、ふしだらな女としか彼女を見なかったであろう。おそらく彼女自身も、自分をそう見るしかなかったであろう。彼女自身、自分がなぜそのような生活をしてきたのかに気づくことができなかった。彼女は、本来背負うべきでない責めやペナルティを背負わされていた。それは彼女を、死に近い状態に置いていた。たったひとり、真昼に、自分の住む町から遠く離れた井戸に水を汲みに来ていたということが、それを物語っている。
その彼女が、イエス様との出会いによって、逃れの町を得た。イエス様との対話によって、はじめて、彼女は自分が、なぜ6人もの男性との遍歴を重ねてきたのかに、はじめて気づいたのだった。それは、男性との絆を求めたのではなく、神様との絆を求めた渇きであった。この世の男性とのつながりでは、決して満たされることのなかった渇きがあったからだった。その渇きに気づかせて下さったからこそ、「私のことを何もかも言い当てた」と彼女はイエス様のことを人々に宣べ伝えたのだった。イエス様を通して、彼女は神様の限差しの前に立たせていただいた。それによって、これまで自分自身や、町の人々、この世の人間関係のみによって科せられた責めやペナルティから解放されたのだった。彼女は「それほどまでに神様への渇きを抱いたあなたは、神様の目から見て貴いのだ」との声を聞いたのではなかろうか。
私たちには、自分自身や家族との人間関係を離れられる、このような神様との間柄に立てる逃れの場所が不可欠なのである。私自身にも、そのような逃れの町が与えられたことがあったのを思い出した。私は前任地で精一杯、あるご婦人と、そのお子さんにかかわり、その母子の友人と共に3人を洗礼へと導いたことがあった。しかし、結果的にその母子は教会を離れ、その友人からも「あなたは牧師失格だ、やめるべきだ」と責められた。その後、訪問したときに、牧師として後にも先にも、はじめて、玄関先で、文字通りの門前払いを受けた。もう牧師をしていてはいけないのではないかと自分を責めた。事情を知っていた教会員の誰もが、私を責めなかったのに、私自身が自分を責めたのであった。牧師というのは、何度も何度も、そんなことを経験する者であろう。そんなある日の夕方、牧師館の玄関横にあったシラカバの根元に座って夕焼けを眺めていたとき、イエス様の言葉が聞こえたように感じた。ちょうど礼拝説教で与えられていたヨハネによる福音書の「あなただからこそ私たちは私の大切な羊を託すのだ。あなただからよいのだ」という言葉であった。このイエス様の言葉が、その時の私にとっての逃れの町となった。その言葉によって私は、誰でもない自分自身が自分に負わせていた責め・ペナルティから解放され、神様の眼差しのもとに置かれた。神様の眼差しこそが、私たちを人間関係における復讐やリンチから解放する。私たちを生かすのである。
4 それでは、このような逃れの町は一体、この地上のどこにどうやって存在できたのか。他の部族がレビ人に与えた48の町のうちの、6つの町に存在したという。他の部族の町ではなく、そこにレビ人が住み、レビ人が生活を営む町であった。
民数記でもレビ記でも、イスラエル12部族の中で、レビ人は特別な役割を負っていた。民数記とは、40年の荒れ野生活の中で、最初の2年目と最後の年に、2度にわたって20歳以上の成人男性の人数が数えられたことに由来している。民数記の1章47節以下に、レビ族のみに、「イスラエルの人々と共に登録したり、その人ロ調査をしたりしてはならない」とあった。つまり、兵士としてカウントしてはならないと命じられたのだった。1章50節には「レビ人には掟の幕屋、その祭具及び他の付属品にかかわる任務を与え・・・」とある。要は、彼らは、ひたすら神様に仕え、儀式や礼拝の準備をすることに仕えたのだった。そのことが、彼らをして不満を爆発させたこともあった。民数記の16章には、レビ族に属するコラが、同じレビ人のモーセとアロンだけが表舞台に立つのを妬んで「あなたたちは分を越えている。・・・なぜあなたたち(だけ)は主の会衆の上に立とうとするのか」と言った(16章3節)と書かれていた。レビ人といえども、他の部族の人々のように、兵士として華々しい戦功をあげたいとか、モーセやアロンの様に表舞台に立って、あたかも人々の上に立つかのように脚光をあびるたいと願うこともあった。しかし、そうしたことはごく稀で、大半は専ら礼拝や儀式の裏方仕事をすることに徹していたのであった。突き詰めて言えば、神様との間柄において、そのような小さく目立たない役割を負うことに喜びを見いだすことができていたのだった。神様からいただく眼差しにおいて、喜んで生きることができていたのであった。
そういうレビ人が生活していた町の幾つかを、逃れの町として定めよと神様は言われた。レビ人といえども、人間関係における不平不満や嫉妬が全くなかったわけではなかったであろう。しかし、それでもレビ人が生活する町では、そこには、兵士や普通の職業をする人々が作る町とは、おのずと違った価値観・尺度が行き渡っていたのであった。それは何よりも、神様との間柄の中で、神様から託された小さな裏方の目立たない役割を果たすという生き方であった。そこに神様の限差しを感じて、喜んで生きていられたという価値観であった。それがあるのが、教会であると私は思う。しかし、教会といえども人間の集まりである。それゆえの欠点を持っている。しかし教会は、私たちが神様・イエス様とのつながりの中に生きる場所なのである。その眼差しにおいて生き得る場所として、教会は逃れの町なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 1月21日(日)降誕節第4主日礼拝
02:06しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 02:07わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。 02:08この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 02:09しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 02:10わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。 02:11人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。 02:12わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。 02:13そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。 02:14自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。 02:15霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。 02:16「だれが主の思いを知り、/主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。
1 まず6節から7節でパウロは、この世の知恵・この世の滅びゆく支配者の知恵ではなく、隠されている神秘としての神の知恵を語るのだと言っている。神秘としての神の知恵とは、これまでずっと語られてきたように、十字架につけられたイエス様がキリスト・救い主であるという知恵である。1章25節には「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」とあった。十字架のイエス様に現された愚かさや弱さによって、神様は私たち人間の考える賢さや強さを打ち砕き、そうやって私たちを救おうとなさるのが神様の知恵であると言ってもよいと思う。
この世の知恵ということを考えるとき、昨今はどうしてもAI(Artificial Intelligence)すなわち人工知能というものを抜きにはできないと感じる。下手の横好きあるが、囲碁がわたしの趣味のひとつである。チェスや将棋は、もう随分早くにコンピューターが人間に勝ってしまったが、囲碁だけはまだしばらくは人間を追い越すことはできないだろうと言われていた。ところが、深層学習・ディープラーニング(Deep Learning)という手法によって、AIが自分自身と数え切れないほどの対局を重ねて、到底人間には考えつかないような最善手を考えだすようになり、あっと言う間に世界最強の棋士を打ち破つてしまった。
AIが不気味なのは、なぜそのような手を考え出したのかという点が、まったくブラックボックスの中にあることだという。ゲームの世界では、結果として勝負に勝つことがゴールだから、そのゴールに向かうべく最善手を探したのだろうということはわかる。しかし最近はAIの判断は、単にゲームの世界だけではなく、たとえば採用や昇進といった人事管理や犯罪を犯した人の刑期の決定・仮釈放のよしあし、あるいは病気の診断にまで取り入れられるようになっているという。間題はその決定の中身がブラックボックスだということなのである。AIがなぜ、どのような尺度で、そのような判断を下したのかということは、人間にはわからない。私が見出しだけ読んだ週刊誌に、私たちがよく利用する世界的規模のコンピューターソフトウェア会社は、いずれ自分たちだけが世界中の物の売り買いを独占することを考えているようだと書かれていた。そういうゴールを目指している会社が開発したAIは、人間には全くブラックポックスとなるような手法によって、当然、ゲームに勝つことすなわち独占を図るようになるであろう。
そのAIの知恵を支配している原理は、要は「勝つ」ということである。では、何によって勝つのかといえば、1章25節の言葉から言えば強さによってなのだと思うのである。強さによって勝つという原理によって人間が考え出した賢さに、さらにAIの賢さを加えることによって勝とうとすることが、この世の知恵の本質ではなかろうか。出生前診断というものが間題になっている。これがもしAIで自動的にされるようになったなら、人間が考える強さ・賢さによって、ハンディを抱えて生まれることになるだろうと診断された子どもは、最初から(生まれる前から)はじかれてしまう。わたしは、牧師になる前の1年間、所沢にある国立秩父学園という重度の知的障害者施設に併設された職員養成所で学んでいた。入学の時に講演してくださった全国障害児親の会の会長さんのお話を35年以上経った今でも忘れることができない。彼は、生まれたお子さんが障害児であると知らされて、お子さんを殺して自分も死のうと考えたと、涙ながらに言った。しかしそのお子さんは、今は家族の宝になったと言う。強さによって勝つことだけを追い求める人間の知恵が支配する社会とは、本当に滅びに至る社会だと思う。なぜならそれは、健康な人・強い人・役に立つ人だけが生きていてよい社会だからである。弱さやハンディを負う人生を排除してしまう社会だからである。しかし、私たちはどうしたってそうしたものを背負わざるを得ない者であるから、それを切り捨てる社会は、いずれ滅びるしかない社会なのである。
2 こういうこの世の知恵・滅びゆく支配者の知恵というものが、知らず知らずのうちに、私たちを支配するような社会にあって、それでもなお、そういう知恵とは対照的で、そしてそういう人間の知恵に打ち勝つてくださる神様の知恵というものが厳然としてあるということに、私は大きな励ましを覚えずにはいられない。7節の後半には、この知恵は「神が私たちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたもの」だとある。9節には、イザヤ書の64章・65章の御言葉を自由に引用して、「(私たち人間の)目が見もせず、耳が聞きもぜず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された」とある。私たちには、そのような神様の知恵があることはわからないかもしれないが、厳然として世界の始まる前から存在していたというのである。だとすれば、私たち人間が、その賢さによってAIを作り、全世界を独占しようとする会社が、私たちを知らず知らずのうちに支配しようとしても、人間が作る世界以前からあるこの神様の知恵に勝ることはできないのである。この神様の知恵に勝って、人間の知恵がこの世界を支配することはできないのである。
神様がなぜ、世界の始まる前から、神様自身の知恵を定めていたかと言えば、私たち人間の作る社会の行く末をお見通しだったからではないかろうか。このような社会において、私たちが何を支えとし、より所として、この私たちを滅びへと向かわせるこの世の知恵と戦っていったらよいか、その武具というものを神様はちゃんと備えてくださっている。それが、十字架のイエス様に現れた愚かさと弱さなのである。十字架のイエス様の弱さと愚かさにすがることが、私たちを滅びへと向かわせる強さと賢さを求めるこの世の知恵の支配に打ち勝ってゆくことになるのである。
ある婦人のことが、この説教の準備の間、ずっと心の中にあった。その婦人は、私たちがつくばにくる半年ほど前頃に、郡山で最後の葬儀を私がした男性のおつれあいだった。お子さんがおられないご夫婦だった。本当に、二人で支え合ってきたご夫婦であった。他教派の教会の会員であったが、その教会の牧師が天に召され、その後、どうしてもその教会に牧師が与えられなかったので、その牧師のご夫人やお嬢さんともども、そのご夫婦も郡山教会に移ってこられたのだった。その男性は、退職されて、これからと思った矢先にガンがみつかり、あっと言う間に天に召された。私は、私のことを本当に頼りにされていたその婦人を郡山に置いて、こちらに来てしまい、それでもここ何年かは、お元気にされておられた。しかし、先日お電話をしたら、心身ともに疲れ果て、九州のお姉様のおられる高齢者住宅に一結に住まわれることになったとのことであった。電話での様子が余りにも憔悴しきった感じで、かける言葉もみつからなかった。
今日の御言葉を読んで、その婦人もまた、この世の知恵というものに支配されてしまったのだと私は感じたのである。確かに、最愛の伴侶をなくされたということは悲しみである。弱さである。この世の知恵というものは、それをただ弱さとして、悲しみとしてしか感じさせず、それを人生の中から切り捨ててしまうようにさせる。しかし勿論、排除などできない。それを背負った人生は、どんどん落ち込んでしまうしかないのである。生きる喜びを奪われてしまうのである。強いこと、悲しみのないこと、マイナスのないこと、そういう人生だけが勝利であり幸いだと思わせるところに、いつのまにか私たちを滅ぼす支配者たちの知恵が入り込んでいるのをひしひしと感じた。本当にこの世の知恵は、私たちの心身を支配し滅びへと至らせてしまうものなのである。
3 それゆえに神様は、このような知恵に立ち向かい、それに打ち勝つことのできるものとして、神様自身の知恵を、厳然として存在させて下さっている。その知恵はイエス様の十字架の愚かさと弱さに現れている。イエス様は十字架によって、そのキリスト・救い主としての使命を成し遂げたのである。イエス様が、十字架の弱さと愚かさに身を置いて下さったことによって、まずは弱さと愚かさの中に置かれる私たちを、みもとへと引き寄せ、イエス様へと結び付けて下さるのである。
ヨハネによる福音書の4章の、あるサマリヤの女性とイエス様との出会いの場面を思い出して欲しい。渇きを抱えて村八分のような状態に身を置いて、たったひとり井戸に水を汲みにきた女性に、イエス様は健やかで何にも困っていない存在として、上から目線で何かを教え諭したのではなかった。その反対に、旅に疲れ、井戸端にへたり込み、イエス様の方から「水を飲ませてください」と彼女に頼んだのだった。イエス様は、彼女以上に渇いておられた。そこに、彼女がイエス様と出会い、引き寄せられた要因があった。昼の12時ころに「水を飲ませて下さい」とおっしゃったイエス様の姿は、やはり正午頃に十字架に付けられて十字架の上で「渇く」と言われたイエス様の姿に重なるものだと昔から言われている。このように、イエス様が、十字架の上で、私たち以上の弱さや愚かさを背負って下さった。その姿が、弱さと愚かさに打ちひしがれる私たちを、引き寄せて下さるのである。
引き寄せられたことで、イエス様から、この女性へと水が流れ込んでいったように、私たちにも何かが流れ込んでくる。それは、何よりも弱さを背負うことに意義があるということだと私は思う。イエス様が、キリストとしての使命を成し遂げるために、弱さを担われたのだから、私たちが弱さを背負うことにも意義があるはずである。弱さを背負わずには果たせない役割があると悟ることができるである。大切な使命を果たすためにこそ弱さを担うのである。それをイエス様から教えられて、私たちは弱さや愚かさを背負った人生を受容する。このようにして、十字架にあらわされた愚かさと弱さとが、私たち人間を滅びへと至らせる強さと賢さに勝るのである。強さと賢さを求めることによって滅びるしかない私たちを救うのである。
4 このような十字架における神様の知恵は、世界の始まる前から定められ、厳然として存在しているのだが、残念ながら9節のイザヤ書の御言葉が言うように、私たちの目には見えず、耳には聞こえない。隱されている神秘・ミステリーとしての神の知恵なのである。だから、これが、この世の知恵によって支配され、滅びへと至らせられている私たちの武具として手に取ってもらうようになることは、なかなか簡単なことではない。それがどのようにして私たちに与えられるかを語っているのが10節以下の御言葉である。
神の知恵を授かるためには、神の霊によるしかないとパウロはここで語っている。では神様の霊とは何を通して与えられるのか。どんなことを通して神の霊が注がれ、十字架におけるイエス様の愚かさと弱さが、私たちを救うと信じられるようになるのか。ただ黙っていて、オートマティカルに神の霊が注がれるのではないのだと思う。2章3節以下に書かれていたのは、神の霊は、パウロがコリントの人々に「衰弱し恐れに取りっかれひどく不安」な中で、十字架のイエス様がキリストであるとひたすら語ったゆえに注がれたということであった。それによって「わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず霊と力の証明によるもの」となったとあった。だから大事なことは、礼拝において、たとえそれを受け入れてくれる人が少なくとも、十字架のイエス様の愚かさと弱さが語られることではなかろうか。
1章21節には、「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと考えた」ともある。宣べ伝える内容そのものも、十字架に付けられたイエス様が救い主であるという愚かなものであるが、それを宣べ伝える方法もまた宣教という愚かな手段によってなのであった。もし神の霊を効率的に賢く注ごうとしたなら、何か特別な方法によってなした方がよいように思う。しかし神様は、愚かで非効率的で弱い手段を取ったのだった。それは、衰弱し、恐れに取りつかれ、ひどい不安の中にあったパウロのような私たち牧師の、つたない説教によって、十字架を語ることによってなのである。それを神様は、よしとされているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 1月14日(日)降誕節第3主日礼拝
04:01さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、 04:02――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである―― 04:03ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。 04:04しかし、サマリアを通らねばならなかった。 04:05それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。 04:06そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。 04:07サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 04:08弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 04:09すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 04:10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 04:11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。 04:12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 04:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 04:14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 04:15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」 04:16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、 04:17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。 04:18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」 04:19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。 04:20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」 04:21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 04:22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 04:23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 04:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 04:25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 04:26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
1 イエス様が、ガリラヤに行く途中立ち寄ったサマリアの町シカルにある井戸端で、一人のサマリアの女性と出会い、言葉を交わした様子が記された箇所である。矢内原忠雄は、この箇所の解説の冒頭に、以下のようなことを書いている。「ここには、はしなくも世の救い主と異邦の女との間に、深きことヤコブの井戸よりも、なお深き会話が交わされた。その記事はヨハネ伝においても、最も文学的香気高きものであり・・」と。しかし、この対話の中にある「ヤコブの井戸よりも深い泉」にたたえられた水を、私たちがどれほど豊かに汲み上げ飲むことができるかとなると、その難しさを改めて感じてしまう。それでも、私たちが何とか、この御言葉から水をいただき、その水が私たちの内で「泉となり、永遠の命に至る水となって」わき出るようになればと願うのである。
この御言葉を味わう上で、どうしても必要となる辞書的知識がある。まず、このサマリアのシカルにあった井戸が、ヤコブの井戸と呼ばれていた点についてである。参照付きの聖書には、5節について創世記の33章18節、48章21節と22節、そしてヨシュア記24章32節が参照箇所として挙げられている。創世記33章は、伯父ラバンのもとで20年間の苦労を経験したヤコブが、故郷に帰ってきて兄のアサウと何とか再会を和解を果たした直後の場面であり、兄エサウと別れたヤコブは、現地の人々からシケムという場所の一部、それはどれ位の貨幣価値かは不明だが、恐らくはかなりの高額であっただろう100ケシタを払って買い取ったという。創世記33章には、井戸のことは何も書かれてはいないが、この土地にあって、いつのまにかヤコブの井戸と呼ばれることになったのであろう。創世記48章には、臨終に際して、ヤコブがこの土地をヨセフに譲ると遺言し、ヨシュア記24章32節ではエジプトで死んだヨセフの骨がここに理葬されたとある。
参考までに、日本におけるヨハネによる福音書研究の第一人者である土戸清の『ヨハネ福音書のこころと思想【2】』によれば、2000年8月のテルアビブでの国際学会の帰りに土井先生が、ここを訪れたときのことが次のように書かれている。「サマリアの町にはゲリジムという山があり・・・このゲリジム山の北東山麓にシカルの町は存在しています。古代のシケムの町の南東400メートルのところにあります。その当時の交通の要衝で、(古代の街道の)二つが交差するところに32メートルほどの縦穴の井戸があったのです。現在も観光客や巡礼者が訪れる場所です。いまから1000年ほど前の十字軍の従軍者が、この上に記念の教会を建てました。しかし、その教会は、実際はこの1000年の間に崩壊して、教会の納骨堂だけが井戸をふさぐようにしてかかっております。それを今なお見ることができます」と。土戸先生が訪ねた当時も、まだその井戸が涸れていなかったかどうかはわからないが、少なくともイエス様の時代には井戸として涸れてはいなかったのである。ヤコブの時代からは、もうl700年ほどは経っていたのだが、その間、この井戸は涸れることなくそこに住む人々に水を提供し続けてきていたようである。
次に触れるのは、いわゆる「サマリア人」と言われる人々についてである。イエス様に「水を飲ませて下さい」と言われた女性は、9節に「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしにどうして水を飲ませてほしいのですか」と言ったとあり、その後に、「ユダヤ人は・・・」との著者ヨハネの説明が付けられている。新約聖書の中で、しばしば「サマリア人」として登場してくる彼らだが、その問題の発端は、紀元前8世紀にまで溯る。ダビデが建てた王国が、その息子ソロモンの死後、南北2つに分裂し、北王国の首都はサマリアに置かれた。この北王国が、紀元前722年頃、アッシリアによって滅亡させられてしまった。ヤコブの12人の子供から派生した12部族のうち、主に南王国にいた2部族を除いて、10の部族がこれによって離散し、アジア大陸をたどって、その末裔は日本にまで到達したと言われている。アッシリアから移住してきた人々との間に、民族的宗教的混交が進んだ。それでも、サマリアに住んでいたある人々は、自分たちこそヤコブの純粋な子孫であり、その印としてこのヤコブの井戸を持っていて、代々そこから水を汲んできたことを誇りにしていたのだった。11節から12節にかけてのこの女性の言葉には、そのような誇りの一端が強く感じられる。彼らは、先程、土戸先生の文章にも出てきたゲリジム山に神殿を建てて、旧約聖書の中で創世記から申命記までの5書だけを聖書として信じ、紀元前6世紀にバニロニアに捕らえ移されて帰国してきたイスラエル人に対して、強い対抗意識をもって、両者は常に反目しあってきたのである。
2 このような歴史的背景のある舞台で、サマリアの女性とイエス様が出会い、対話を重ね、彼女は「さあ、見に来てください。・・・(29節)」とイエス様のことを宣べ伝え、結果的には39節にあるように彼女の証言によって、シカルの町の多くのサマリア人がイエス様を信じるようになったのである。まず、ここに著者ヨハネが伝えたかったことの一端があるように思わされた。
イスラエル人と長く反目しあい、旧約聖書の中でも最初の5書しか聖書として認めず、エルサレム神殿にも詣でたことのなかったサマリア人が、イエス様をキリストとして信じるようになったのである。そして、そのきっかけは、そのサマリア人からも村八分にされていたような、たった一人の女性がイエス様に出会い、信じたことだったのである。これを著者ヨハネは、この福音書が書かれたエペソ周辺の人々に、大きな励ましとして語ろうとしたのではなかろうか。西暦100年頃のエペソ周辺で、どれ位このサマリアの人々や、この女性とオーバ一ラップしてくるような人がいたかは定かではない。しかし、その中には、伝統的なユダヤ人とはどうしても反目せざるを得なかったような人々、到底イエス様を救い主と信じることなど無理だろうと思われた人々もいたのではなかろうか。しかし、そういう人々こそが、イエス様に出会い、イエス様を救い主として信じてゆく可能性を、ヨハネは感じたのだった。そういう励ましを読者に与えるために、著者ヨハネは、この出来事を書こうとしたに違いないのである。
3 このサマリアの女性が、イエス様と出会い、キリストとして信じるようになったことには、なくてはならぬ大切な要因があったと思われてならない。それは、女性の側の要因と、イエス様の側のファクターの両方である。まず女性の側の要因を考えてみたい。
出会いの最初は、7節にあるように「サマリアの女が水をくみに来た」ことだった。それは6節にあるように、真昼の正午ごろのことだった。水汲みとは、普通はこんな時間には絶対にやらないことだった。朝早くか夕方で、一人ではな、必ず仲間と連れ立ってくるのが普通だった。彼女が、こうしなければならなかったのには理由があった。その一番の理由は、18節で彼女が正直に打ち明けていることであろ。5人もの男性を、とっかえひっかえして、今は6人目の男性と連れ添っているとは、一体どんな事情だったのであろうか。そういうことがあって、彼女には一緒に井戸に来てくれる人がいなかった。誰とも顔をあわせないように、真昼に、たった一人で井戸に来るしかなかったのだった。
「水をくみにきた」という言葉に込められているのは、ただ単純に水が欲しくて井戸に水をくみにきたということではないのである。これほどまでの男性遍歴を重ねねばならなかったほどの、深い深い渇きを彼女は抱えていたのだった。しかし、それは単に、肉体的・性的な渇きではなかったのである。それは宗教的な渇きであったに違いな。そうであったればこそ突然、19節から信仰の話・礼拝の話になっていった。彼女は男性遍歴の話題を避けようとして、礼拝の話をしだしたのだとの解釈が、昔からあった。しかし、私にはそうは思ないのである。彼女がこのようにパートナーを変えなければならなかった根源的理由は、霊的なパートナー、すなわち神様とのパートナーシップというものが欠けていたからに他ならなかったのである。10節のイエス様の言葉で言えば「神の賜物を知る」ということである。その渇きが満たされていない限り、どんなにこの世の男性とのつながりを重ねても、満たされることはないのである。世のすべての女性が神様との霊的つながりを求めているとは言えないかもしれないが、しかし女性の中には、そういうものを心底求める方がいる。そういう渇きは、男性との結び付きによっても、さらには、たとえ先祖代々の人々がそこから水を汲んできたヤコブの井戸水をどんなに飲んでも、またサマリア人として誇りをもってゲリジム山の神殿を詣でても、決して満たされることがなかったのである。このような渇きを抱えていたことは不幸なことであろうか。確かにそれは、彼女に、このような生活をなさしめ、村八分のような目に遭わせていた。けれども、それこそが彼女をしてイエス様との出会いをもたらして下さったのであった。
私たちも、このような渇きを必ず抱える者ではなかろうか。それが私たちをして、まず井戸へと向かわせるのである。井戸とは、即ち教会のことなのである。このような女性でも、たった一人来ることのできる井戸があったことが幸いなのである。そこでイエス様に会うことができたからである。私は、教会がそのような井戸でありたいとしみじみ思う。
4 さて、このような女性に、イエス様はどのように出会って下さったのか。その発端は、6節にあるように「旅に疲れて、井戸のそばに座っておられた」ということであった。そして、井戸にやってきたサマリア人のこの女性を、おそらくイエス様は、一目で何か事情を抱えた女性だとわかったのであろう。その彼女に、自分がイスラエル人の男性であるなどという垣根など全く関係なく、「水を飲ませて下さい」と願ったことにあったのである。古くから、この御言葉で、昼の正午ごろにイエス様が、旅に疲れ喉の渇きをおぼえて「水を飲ませて下さい」と言ったことは、正午ごろに十字架にかけられ十字架の上で「渇く」と言った(ヨハネによる福音書 19章28節)のと重なり合うと、解釈されてきた。私も、そのように思う。勿論、このサマリアの女性には、このときには、十字架の上のイエス様の姿など、知るべくもなかったが、とにかく彼女の前に、イエス様は旅に疲れ渇きを覚え、彼女のような素性の女性に、何の垣根もなく「水を飲ませて下さい」と語りかけた。イエス様は、そういう人物として現れたのだった。疲れない者・渇かない者としてではなく、このサマリアの女性以上に疲れ・渇く者として、「水を飲ませて下さい」と願う人として。
イエス様は、私たちに対しても、私たち以上に、この世で疲れ渇きを覚えた人として出会って下さる。イエス様がそうであるからこそ、私たちはイエス様に出会うことができるのだと思う。サマリアの女性は、11節で、イエス様に「あなたは、くむ物をお持ちにならない」と言っている。バークレーの注解には、実際に、この地方を旅した人がくむものを持たなかったので、せっかくの井戸があったのに水が飲めず、前に汲んだ人がこぼしていった水をなめるだけだったことが書かれていた。イエス様が「くむものをお持ちでない」とは、この世で普通に人々が水としていたものを汲むものを一切持ち得ず、それゆえに十字架にかけられていったイエス様の姿をほのめかしていると、ここでも私は感じるのである。そのように、地上では渇き、十字架の上で「渇く」と言ったイエス様が、その渇きのただ中に、神様からの尽きることのない水をいただけるのだ、と身をもって教えて下さったのではなかろうか。その現れが復活であった。十字架という渇きのただ中に、尽きることのない永遠の命をいただく泉が現れたのである。渇く者であるがゆえに、渇くイエス様に引き付けられ、出会わせていただいた私たちは、渇いたイエス様を通して、この神様の尽きることのない賜物を知ることとなるのである。
水は高いところから低いところへと流れてゆく。自分よりも渇いているものと接すれば、そちらの方へと水分はおのずから流れ出してゆく。自分よりも渇いているイエス様が、こうして出会ってくれたればこそ、渇いている彼女の側から何かが流れ出しはじめたのだった。自分の中に、そんな流れを生じさせて下さったイエス様を、彼女は救い主として信じたのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2018年 1月7日(日)降誕節第2主日礼拝
27:12主はまたモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい。 27:13それを見た後、あなたもまた兄弟アロンと同じように、先祖の列に加えられるであろう。 27:14ツィンの荒れ野で共同体が争ったとき、あなたたちはわたしの命令に背き、あの水によって彼らの前にわたしの聖なることを示そうとしなかったからだ。」このことはツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のことを指している。 27:15モーセは主に言った。 27:16「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、 27:17彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」 27:18主はモーセに言われた。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、 27:19祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。 27:20あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。 27:21彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。」 27:22モーセは、主が命じられたとおりに、ヨシュアを選んで祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせ、 27:23手を彼の上に置いて、主がモーセを通して命じられたとおりに、彼を職に任じた。
1 以下の2つのことが記されている。1つ目は、モーセが、この40年間、その場所に入ることを日指してきたが、その土地を日の前にしながら、神様から「あなたはそこに入ってゆくことはできない・先祖の列に加わらねばならない」と死を告げられたこと。そしてもう1つは、そう告げられたモーセが、ヨシュアを後継者に任命した出来事である。まず2点説明しておきたいことがある。1つ日は、14節に書かれていることだが、モーセが日標としてきた土地に入れない理由となった出来事についてである。これは民数記の20章に記されている。イスラエル人は、約40年ぶりにパレスチナを目前にしたカデシュという場所に戻ってきた。ここは、かつてエジプトを脱出して2年目にキャンプをはって、パレスチナに偵察隊を送った忘れられない場所であった。普通なら、ここは砂漠の中のオアシスであり、水がわき出しているはずだったのだが、なぜか水が涸れていた。さらには長い間、自分たちを導いてくれたミリアムを失ってしまったのだった。民は、モーセとアロンに不平不満を爆発させた。これを聞いて2人の指導者は、神様の前に行くと、神様はモーセにこう言った。「杖を取り、共同体を集めて彼らの日の前で岩に向かって水を出せと命じなさい」と。モーセは確かに岩から水を出したが、この時に神様が命じなかったことを2つしてしまった。それは人々に向かって「反逆する者らよ、聞け、この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか」と怒りの言葉を発したことと、杖で岩を2度も打ったことだった。これに対して神様は20章12節でこう告げた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」と。そのことが14節で、再度告げられたのだった。
もう一点触れておきたいのは、モーセがヨシュアを後継者として任じたときに、「手を彼の上に置き」と16節・23節にあるが、これは按手と呼ばれるものである。私たち日本基督教団では、この按手を教区総会で教区議長をはじめとした正教師たちが正教師試験に合格した者に行っている。厳密には途絶えたこともあっただろうが、建前としては初代教会以来連綿として牧会者を立てるときに世々の教会が行ってきたものと考えられている。その按手は、溯れば、このモーセによるヨシュアの按手に行き着くと言ってもよい。私たちは3000年以上にわたって、この按手を行い、牧会する者を起こし続けてきたのだと改めて感慨を覚える。
2 さて私たちは、どんなことを語りかけられているのか。大きく言って3つのことを示されているのである。
第一は、モーセが目標の地を日の前にしながら、そこに入ることができないと告げられたことである。ここから私たちは、モーセはさぞかし無念だったに違いないと想像する。しかし、こう告げられたモーセは、ひとこともそうした思いを吐露してはおらず、また神様に無念さや悔しさをぶつけてもいないのは不思議である。私自身、説教の準備のために、この御言葉に向かいあったとき、最初に感じたのは、なぜか不思議な安堵感というか慰めのようなものだった。モーセは40年間、苦労してそこに入ることを目標にして歩んできた土地を目前にして、そこに入ることができないまま、つまり夢破れ願いがかなわない者として先祖の列に加わらねばならなかった。どうして私は、そのようなモーセの姿に安堵感を感じたのか。それは、そのモーセの姿に私たちのありさまを重ねることができるからではないかと思い至った。私たちもまた、モーセと同じように夢破れ、願いかなわぬ者として先祖の列に加えられる者なのだと教えられるのである。私たちの生涯とは、すべからくこのようなものである。私だけが夢破れ、願いがかなわぬ者として無念さを抱えるのではなく、モーセをはじめとして先祖がすべて、そのような者なのであり、「君もそうであったか。みんなそうなのだよ」と言って、私たちを迎えてくれるのである。
昨年、私にとっては、とても辛く、残念なことがあった。それは、ある人に随分と心を砕いて、一昨年に洗礼を授けたばかりだったのに、生まれたばかりのお子さんと一緒に礼拝を守りたいからという理由で、まだ正式に転会はしていなかったが、他教会に移ってしまった。この教会に赴任して、この3月で満7年が過ぎようとしているが、もういくつもいくつも、夢が破れ、願いがかなわず、どうしてこんなことがと思うようなことを抱えてしまう。もしかしたら、今年もそういうことが起きるかもしれない。でも、新年はじめの礼拝で与えられた御言葉から受ける励ましは、それが私たちの歩みなのだというメッセージなのである。モーセでさえそうだったのだ、すべての先達たちがそうだったのだということなのである。皆が夢破れ願いがかなわなかった者として先祖の列に加わるのである。うまくゆかなかった無念さ・残念さを抱えて人生を終えるのである。それでよいのだ、これが私たちの生涯なのだという励ましではなかろうか。
3 第2に示されるのは、14節に書かれていることである。ここにはモーセが日標としてきた土地に入ることができなかった理由が書かれてる。民数記20章にもあったように、彼が神様の命令に背いて人々に怒りを発し、またそれだけではなく、おそらく神様に対しても怒ってしまったからであった。普通に読めば、牧会者としての責任を厳しく問う神様の容赦ない姿に、私たちはただただ恐れをなすしかないという受け止めになるであろう。しかし、わたしは、ここにもなぜか慰めを感じ取ったのだった。それは、ひとことで言えば、モーセでさえ神様の命令に背かずにはいられなかったということである。いわんや私たちは、である。モーセでさえ牧会者として不完全な働きしかできなかったとすれば、私も不完全な牧会者でしかありえない。パーフェクトな牧会者になどなれないのである。なろうとする必要はないのである。そこに慰めを感じたのであった。
神様は、モーセに、「わたしの聖なることを示そうとしなかった」と言った(14章)。この御言葉の言わんとするところは、モーセは牧会者として聖なる神様にふさわしく牧会ができなかったということであろう。神様は度々不平不満を爆発させたイスラエル人に、じっと忍耐して、岩から水を与えようとした。モーセも忍耐強くイスラエル人にかかわるべきだった。けれどもモーセは、何度も何度も不平不満を言う人々に対し、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。そんな人々になお水を与えようとした神様にもモーセは怒りを覚えたのだった。モーセと言えども人間に過ぎなかった。だから、神様と同じように人々に接することはできなかった。できなくて当然ではないか。できなくて当然の務めをモーセは担わされていたのである。
私たちひとりひとりが、それぞれ神様から、果たすことがそもそも困難な務めを託されているのではないかとしみじみ思う。私は文字通り牧会者として、皆さんは例えば夫婦としてであり、あるいは親としてであり、また教会員として、或いは誰かの友として、聖なる神様からの務めを与えられて、その場に置かれていると思う。しかし私たちは、残念ながら聖なる神様にふさわしく、その務めを果たすことはできないのである。それは私たちが所詮人間に過ぎないからである。私たちは、つきつめれば神様から託された務めを完全には果たし得なかった失敗者として先祖の列に迎えられるのである。
だとすれば、私たちが自分自身やお互いを見る目は、失敗者としてお互いを見るものである。神様が私たちを失敗者として見ているのである。そうであるならば、どうして私たちは自分自身やお互いをパーフェクトな者として期待したり見たりしてよいであろか。他の人から「あなたは十分に務めを果たし得ていない」と非難されたなら、おっしゃる通りですと認めてよいのである。「わたしは完全な者だ」などと弁護する必要はないのである。十分に与えられた務めを果たし得ていない私たちに対して、それを問責できるのはただ神様のみなのである。私たちができるのは、お互いを、哀れみをもって失敗者同士として見ることのみではなかろうか。神様はモーセを、このように問責されつつも、なお彼に牧会者としての務めを続行させた。ヨシュアが後継者として選ばれたが、すぐさまモーセからその務めが取り上げられたではなかったか。不十分な働きしかできない者を、なおも用いられた神様の姿が、そこにはあった。私たちも先祖の列に加えられるまでは、不十分ではあっても与えられた務めを果たす者とされているのではなかろうか。
4 最後に示されるのは、モーセが後継者を選んだことである。後継者が選ばれるのはなぜかと言えば、神様から務めを託された私たちひとりひとりにできることは不十分で不完全でしかないからなのである。神様から、だめだしをされて、その任を解かれて、後継者が任じられてゆくのである。これも普通に考えればショックでしかない無念なことかもしれない。しかし、私はここにも慰めを感じる。なぜならば、そこには、私たちひとりひとりの働きは不十分なもの・不完全なもの・部分的なものであってよいとの語りかけがあるからである。私たち一人ひとりの働きは、そういうものでしかないゆえに、後継者が立てられてゆくのであろう。モーセひとりですべてを完成させることはできなかった。またその必要もなかった。後継者がモーセの働きを引き継ぎ、完成させてゆく。私たちは自分に託されたごく小さな部分をなしてゆけばよいのである。世々の教会は按手をいう儀式をもって牧会者を起こし続けてきた。遡れば3000年以上前に、モーセがヨシュアに手を置いたときから、牧会という務めは多くの人々によって担われてきたのである。そうやって担われねばならないほど牧会という務めは困難で難しいものだと言えるのではなかろうか。しかしまたそうやって後継されてゆかねばならないほど大事なものなのである。不可欠な務めなのである。
この務めについてモーセは、16・17節でこう言っている。「共同体を指揮する人を任命し・・・出陣し・・凱旋し・・進ませまた連れ戻し、飼う者のない羊の群れのようにしないで下さい」と。牧会者の務めとは何か、なぜそれが信仰共同体にとって不可欠かを、この言葉はよく示していると感じる。モーセは戦いの言葉を使ってこの務めを表現した。私自身は勿論、戦争体験などないが、映画などで知る限り、何度も従軍して生き延びた人々が指揮官となることは、その部隊が生き残ることにおいて決定的に大事であるようだ。ベテランの指揮官は、どこに危険が潜んでいるか、どうやって危機を回避し生き延びるかを経験的に知っている。牧会者はそのような指揮官となって信仰共同体を敵から守らねばならない。また、いかに戦うかを教えねばならない。どこに危機が潜んでいるかを教えねばならない。信仰共同体の歩みは戦いなのである。
それは、どんな戦いか、敵は何者かと言えば、モーセがエジプト王に最初に言った「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせて下さい(出エジプト記5:1)」との言葉がよく示している。信仰共同体の戦いは、何よりもエジプト王に対する戦いなのである。あるいは私たちをエジプト的生活へと引き戻し、エジプト王のもとで奴隷として生きさせる誘惑との戦いなのである。羊飼いのいない羊の群れは、しばしば迷子になり、どこに水場やえさ場があるかを見失うという。指揮官のいない信仰共同体は、エジプトでの奴隷的な生活が、水やえさを得る生活だと見誤るのである。だから指揮官・羊飼いは、つねに信仰共同体を荒れ野で神様のために祭りを行うように導くのである。エジプト的生活からすれば、荒れ野としか見えないような信仰生活、また教会での礼拝生活こそが、羊にとっての真の水であり食べ物なのだと示し続けるのである。この牧会者という務めを、不十分ではあるが、今年も精一杯果たしてゆきたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
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